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気だるい日曜の午後のシティをリサとぶらぶら散歩。キング・ストリート・カフェでケーキをつついて、あとはもっぱら彼女のショッピングの付き合い。U2の流れるお店に走りこんでは、「あぁ、ステキ」と鳥肌を立て目をウルウルさせて、日本人なら滅多に好んで食べないだろうマシュマロを買い込み、中国人の出している露店で5ドルのプラダの財布まで購入した。「イタリア人のあなたがプラダの偽物を購入するのがおもしろい」と笑うと「これはもしかしたら本物よ。こういう露店にはすごく古い型か盗品の本物が混じってるのよ。だってこのプラダ一点しかなかったでしょ」と真顔で説明された。
散々歩き回って二人ともお腹がぺこぺこ。リサの提案で彼女が夕飯を作ってくれることになり、てっきり「今夜は美味しいイタリアン!」と思ったのに、スーパーマーケットで食料を買い込む彼女を見て疑念が沸いた。もしかして。。。。予感的中。彼女の家に着くと「どれがいい?」と数種類のインスタント・パスタを並べられ、ポイントするとOK! とさっさと水を加えて煮立てて"どうぞ!"と置かれた。もしかして料理出来ない??「今度わたしが作ったイタリア料理食べたい?」と恐る恐る尋ねてみると嬉々として"Ye〜s! Teach me!"と言われてしまった。更に「アジアン・ヌードル買ったんだけど作り方が分らないから教えてぇ」とチャルメラを作らされた。あぁ、「イタリアン・スロー・ライフ」という名声が泣きますわよ。
しかし、多くの欧米人がそうであるように彼女の家庭でも夜にパスタやリゾットなど炭水化物は摂らず、肉や魚、そしてフルーツ、コーヒー、それでお終いなのだそうだ。
(写真:散歩の途中にある風景)
ダレンは早朝に、ホエール・シャークを見るのだと言ってずっとずっと北のエクスマウスへ出発してしまった。最近わたしは弱っているのか、たった4日会えないことに"世界の終わり"くらい大袈裟に落胆してしまう。
新婚の友達は、どんなに旦那さんに愛されているかということを嬉々として語る。素直に羨ましかった。わたしは家族以外の他人に愛されたことなどあっただろうかとたまに考える。言葉を尽くしてくれた人はいたけれど、それが自分の心髄まで届いたことがあっただろうか。そう思ったら哀しくなった。
冷たい風が吹き始めた夕暮れ時の帰り道に決めた。わたしがわたしを、誰よりも愛して大切にしてあげようと。
(写真:いつもの公園)
もう何本もグレッグと美味しいワインを飲んだのに、先日たまたまシェア・メイトのダレンと飲んだ帰り道、何故か急に彼を好きだと思って"I like you"などと言いながら勝手に部屋まで着いていってしまった。"プリンス"といった感じの見た目で、立ち振る舞いも絵に描いたようなイングリッシュ・ジェントルマン、ワーキングホリデーと言いながら日本人のそれとは全然雰囲気が違って、言葉の壁の無い彼は、いきなりセント・ジョージ・テラスの高層ビルに本業アキテクトの仕事をゲットしてきて、パリッとシャツを着て通っていて、みんなちょっと風が吹けばそちらへ流れていってしまうような"ラテンノリ"のこのシェア・ハウスでは浮いていた。素直にステキな人とは思ったけれど、どちらかといえば何か聞けば誠実に答えてくれる、何か頼めばちゃんと面倒をみてくれるただいいお兄ちゃんのような存在だったのに、自分でそれを突然壊して相手に近寄って面食らわせたのだから、もしかしたら逆に遠い関係になってしまうのかもしれない、と朝になってまだアルコールの抜け切らない重い頭を抱えて落ち込んだ。一日しっかり落ち込んで、まぁいいや、好きだと思ったことは本当なんだから、どの道じわじわと駆け引きをしながら上手に自然に相手に近寄るなど性格的に出来ないのだ、仕方ないわ、と開き治った。
夕方シェア・ハウスに遊びに来たリサとコーヒーを飲んでいた。北イタリアの出身で背もすらりと高くダーク・ブラウンのたっぷりとしたまつげにダーク・ブラウンの瞳が大半を占める目が魅力的な彼女を見るや、シェア・メイトの男の子達は紹介してと言わんばかりにいつもよりわたしに優しくなった(いつもは冷たいとは言わないけどさっ)。そのうちダレンも帰ってきて、リサを紹介し、空腹だったわたし達はさっさと手を振って出てきてしまった。レストランへ向かう途中、何も知らないリサが突然「ねぇ、ダレンはあなたのことが好きだと思うわっ。ずっとあなたを目で追ってたもの。」などと言い出した。驚いて「本当?わたしも彼が好きなのよ。」と答えると今度はリサが驚いた。「Wow! You are so lucky!! 何か話したそうだったから戻ってみたら?」と言われ、彼女を残して走って戻ってパソコンの前にいたダレンに近寄ってみると、突然「今夜会える?」との誘い。うわぁ〜っと喜んでまた走ってリサのところに戻った。
マレーシアン・レストランで、リサは欧米人らしい得体の知れないワガママな注文をして中国人達を困惑に陥れ、出てきたヌードルに首を傾げながら、恋愛や社会のことについてあれこれと自立に満ちた強気な発言をした。わたしはひらすらその逞しさにうぅんと唸るばかりだった。
家に戻るとダレンが待っていた。何をするわけでもなくテレビの前であぁだこうだと意見をぶつけあって、いつもと変わらないのに少しだけ近くなったようなほんのりと甘い夜を過ごした。
わたしは一体誰が一番好きなのか。誰も大して好きではないのか。またビザの問題が近い将来に待っているだろうことを考えては気が遠くなって、みんな時間が経てばただの思い出になってしまう刹那的なものなのだと思ってしまう。
2006年05月22日(月) |
All the same? |
いつもの公園で寝転んでいると、オフのグレッグがワインとつまみを持ってきてくれた。白ワインを開けて、散歩中のあらゆる種類の犬を品定めして緩やかな時間を過ごした。この人はあれこれと質問を投げかけてくるけれど、答える気がしなくて口ごもってしまうと、すぐに話題をするりと変えてくれる。そういう品の良さが好き。
家に戻りシェア・メイトとシンプソンズを観ていると、「イタリアン・マフィアと日本のヤクザの対決」などというシーンがあって、"ヒロシ"と呼ばれるヤクザがいきなりヌンチャクを振り回しはじめたので、日本人のわたしは笑わずにいられなかった。シェア・メイトはこのおかしさには気付くことなく、ただただこの突拍子もないアイディアに爆笑していたのだけれど。
ひとりで過ごす夕方は歩いて15分の大きな公園に行くのが日課。今は木の葉も色を変えて公園全体が鮮やかな山吹色に染まっている。池の周りを散歩しては芝生に寝転んで読書に耽って、日が暮れるととぼとぼと家に戻る。
ペットの白いオウムを連れた老人は今日はいなかった。このオウムは老人のガール・フレンドなのだ。既に25年連れ添っているが、普通なら200年生きるから余命推定175年なのだそうだ。確実に老人のほうが先に逝く。彼がわたしと話していると肩に乗って、ヤキモチを焼くようにチュッチュと彼の頬にキスして、彼がエクササイズといって体を動かすと、ピッタリ同じように真似る。彼が逝ってしまったら淋しくなるのだろうな。それでなくても鳥は群れることを好むのに。
ピクニックを楽しむ家族連れで日曜日は少し賑やか。熱中していたエッセイの中では、平凡に結婚することだけを夢見てきたのに、戦争に巻き込まれているうちに行き遅れ、仕方なくエリートとして生きてイタリアに留学した韓国人女性が精神を病んでしまう。そのあたりで一番星が空に現れて、本を閉じて家に向かった。
みんなみんな希望通りに生きられるわけではない。努力が足りないとか夢に向かおうとする力が弱いとか、きっとそれだけではない。わたしだって、ひたすらこの大きな空の下にいたいだけなのに、それでも明日はどこにいるのかわからない。どこにいても何をしていても自分を見失わないませんように、とお腹に力をこめた。
待ち合わせ場所へ向かう途中、「北イタリア人」のリサとばったり会った。イタリアに帰るまでの3ヶ月にするバイトを探しているのだけれど、なかなかいい所が見つからないという。「ねぇ、ここには"フツウ"の人間がいないのかしら?」と疲れ果てた様子。日本やイタリアのような単一民族の国と違って、ここでは"常識"とか"フツウ"という定義があまりにも曖昧で、どんな人間でも受け入れられてしまうような寛容さがあって暮らし易い半面、自分の中の常識では解釈できない人間も多くて、わたしなどもたまに辟易してしまうから、彼女の言わんとしてることはよ〜く解かる。イタリアン・レストランで働くのは簡単だけど、ここは口の利き方を知らない南イタリア人ばかり、アジア系のレストランにもトライしたけど、オーナーはチャイニーズ・ビッチで奴隷扱いされたし、オージーのレストランは短期ではなかなか雇ってくれないし、、、、という。ブラウンのストレートの長い髪にブラウン・アイズで、背もスラリと高いモデル体型の彼女が、ちびっ子南イタリア人やチャイニーズ・ビッチに酷使されて息切れしているところを想像して吹きだしてしまったが、いや、笑いごとじゃない。「オージーのカフェで長期でできますって言っちゃえば?」というと「ダメよ。わたしは嘘をついたことがないんだから」と長いまつげを伏せて溜息をつく。"Oh! so you are northern Italian!"というと"Sure"と急に誇りに満ちた表情になった。長靴の国の人なのね。
風邪も治って久々の夜遊び!ワインを買い込んでマレーシアン・レストランへ行った。早く喉を潤したくてうずうずしているのに、無愛想な中国人に「ワイン・オープナー?ないよっ」と一撃を食らう。へ?ワイン・グラスはあるのにオープナーがないってどういうことさ?そんなレストランありえないでしょ?あぁ、リサ、"フツウ"なんて期待しちゃだめ、と呟きながらリカー・ショップへ戻りコルク栓でないものと交換してもらった。ピリ辛野菜や揚げ豆腐のチリソースがけなどをつまみにゴクリ、ゴクリ。ほろ酔いで家に戻る途中、前から歩いてきた千鳥足のなかなかキレイな金髪の女の人に、すれ違いざま"You are beautiful!!"とウインクされて、思わず立ち止まって振り返ってしまった。レズビアンに好かれるなんて初体験!
お金と暇を持て余した中国人のアンクル・トーマスは、黙々と中華料理を食べるわたしに、ひたすらジャスミン・ティーを継ぎ足しながら、金持ちのオージーと結婚してここで一生楽に暮らせばいい、紹介してやるからと盛り上がっている。お金持ちで世話好きとなればこのノース・ブリッジ界隈では自然と顔が利くようになるのではないだろうか、彼の財布を一度も見たことがない。こういう類の中国人には珍しく、下品な立ち振る舞いをすることもないけれど、なんとなく彼の連れて来る人間というのが想像ついて気乗りがしない。中国人の成功者にはつきものの若い頃の強烈な苦労話のひとつやふたつは朝飯前だし、そこに集まってくる人間というのは同じくらいハングリー精神を持った人ばかりなのではないだろうか。どんな人が好みなんだと尋ねられて「インテリジェントでスマートな、、、、、」とだけ言って、夕方6時に家に帰ってくる普通の会社員を頭に描いたことは黙っておいた。若い頃にビジネスのことで頭をいっぱいにして働きずくめで生きてきた彼は、時間があり余っている今、その使い方を知らない。彼の美学にアクセプトすることもできるけれど、わたしはきっとお金では幸せになることも安心させてもらうこともできない。必要なのは知性や教養など使っても使っても一生残る財産を持っていることだ。そして休日に公園で一緒に寝転んでいてくれたら、きっともう満足してしまうだろう。
2006年05月13日(土) |
I survived |
日中は苦しくてベッドに転がって泣いてしまった。数日前からおかしかった喉を軽視していたら、突然熱もでてきて体中の筋肉が痛くなった。健康だけが取り得というくらいの自分がベッドに転がって悶え苦しむなど信じ難くて、わたしはここでひとりぼっちで死ぬのではないか、などと意識の遠のいていくような苦しさの中で思った。
けれど夕方になって少し回復。起きてジュースを飲めるくらいになった。友達に言われた通りチャイニーズ・レストランでお粥を買って、少し口に入れてまたベッドに戻り、目を瞑って、あぁわたしは生き延びた、と「戦争を終えて帰還する兵士」くらいの大袈裟な感情に包まれはじめると、ここへ来てから忙しかった日々の中で、沢山の他人の親切に支えられたことを思い出してあらためて感謝した。宿やら身の周りのこと、何から何まで助けてもらっているナエちゃんとデニスとステファンに、会社から帰ると課題はやったの?と心配して、わたしの書く幼稚な英文を添削してくれるシェアメイトのダレンに、喉大丈夫?と売り物のトローチをくれたベジ・マーケットのおじさんに、変質者に後をつけられているところを家まで送ってくれた通りすがりの学生の男の子に、、、。書き出したらきりがないくらい。どんなに辛い運命に見舞われても、世間には依然良いことが沢山溢れている。良いことばかりを栄養に、しっかり記憶に刻んで元気に生きていこう。
2006年05月09日(火) |
えーー!お久しぶり! |
すれ違う瞬間にふと目が合って、ものすごいスピード感のある懐かしさがこみあげた。カレン!!ミケリーナ!とお互いに奇声をあげて立ち止まった。3年半以上も前のシェア・メイトとばったり再会してしまったのです。
カレンは香港からの移民で、若い見た目とは裏腹にお姉ちゃんのような存在で、いつも頼りないわたしをあれこれと面倒みてくれた。チャイニーズ・ビッチとはここでよく使われてしまう言葉だけれど、彼女は都会の知識人らしい先進国的な常識というものが備わっていていたからたちまち仲良くなった。そこに年下のチャイニーズ・マレーシアンのジャニスも引っ越してきて三人でドライブにでたりするようになった。ジャニスも移民で、どのみち二人ともここでの生活が長かったからあれこれと面倒を見てくれて、わたしはいつも妹のように二人の後ろに嬉々として着いて行くだけだった。一度、ジャニスがマレーシアから来たという男の子を連れて帰ってきて、三人で夜のキングス・パークを散歩した。いつになくジャニスは恥ずかしがりやの小さな女の子のように振舞っていて、この二人はどういう関係なのだろうと想像した。彼をホテルで降ろしてからの帰り道、「ねぇ、わたしは彼が好きなの。どうしたらいいのかな。」と呟くように小さな声で打ち明けられて、到底できないことを解りながら咄嗟に「好きって言えば?」と答えて、彼女を失望させた。次の日の夜、彼が家にやってきて泊まっていくという。ジャニスの部屋は彼に貸して、彼女はカレンの部屋に寝るといってせっせとマットレスを運んでいた。わたしが「好きなら、一緒に寝れば」と提案するとジャニスは目を真ん丸にして「えええ!!」と悲鳴をあげていた。カレンも日本人のBFがいたけれど、そういったことになるとわたしが一番お姉ちゃんのように逆転してしまった。クリスマスには敬虔な仏教徒でベジタリアンのジャニスの手料理を食べた。そしてそれが三人で摂った最後の食事だった。次の夜、二度も強盗に押し入られて、三人とも知人を頼って散ってしまった。しばらくして、カレンと公園で待ち合わせて再会した時、彼女はしばらく香港に帰るのだと言って"If you need any help,just e-mail me"とアドレスと英語の辞書を残していった。英語に慣れた今ならわたしも「何かあったら連絡して」というくらいの意味でこの言葉を使うけれど、その時はHelpという言葉がとても大きな救済のように思えて、いざとなったら連絡できるところが出来たことを心強く思った。
まだここにいたなんて!!と驚かれて顛末を話すと、「残念ね。わたしもあの時のBFとは距離に負けて去年別れてしまったの。」と言っていた。「じゃぁ、わたしは仕事中だからそろそろ行くわ。If you need any help, just call me」と三年半前と同じように言い残してくれた。
2006年05月06日(土) |
ラビオリ・パーティー |
まだキャンベラで眠っているパスタマシーンが恋しいのだと友人に話したことから彼女の家でラビオリ・パーティを開くことになった。昼から女の子みんなで買い物に繰り出し、せっせと準備。10人分の生地を捏ねるのは一苦労。逞しい腕を持った友達の旦那さんを駆り出し手伝ってもらう。やっぱり男は違う。生地がぐんぐん滑らかになっていく。みんなで赤ワインを片手に薄ら汗をかきながらほうれん草とリコッタチーズを入れたラビオリを生み出していく。
全員分が出来上がる頃にはみんなちょっと無口になっていた。夕方にはもっと人も集まってきて、誰よりもわたしのラビオリを愛してくれるデニスも仕事を終えてやってきた。あっちのほうで密かに作られていたピザも焼きあがって8時にようやくパーティーがスタート。爽やかな音楽をかけながらドロドロとした話題に花を咲かせた。今日のメニュー、オージー男性陣はとても喜んで沢山食べていたけど、日本人には沢山食べられるものじゃない。わたしはひたすらルッコラとアボカドのサラダをつまんでいた。
2006年05月03日(水) |
閉ざしても、閉ざしても |
ほんの少し調子が悪いだけですぐにがたがたと波打ってしまう親指の爪にまた症状が出始めた。以前より食生活が少し乱れていることは確かだけれど、自分がそこまで軟だとも思えない。原因は何だろうと突き詰めてひとつ思い当たることがあった。
子供の頃から、種や皮があって食べにくい砂糖水のような果物をこつこつと食べる気がしなくて、母が剥いてくれない限り食べなかった。マーティンと暮らしてからは、自然と彼が母の役目をするようになった。放っておくと自分では全く口に入れないのに、口の近くまで持っていけば食べるのだから、不器用な手を持った動物にエサをあげるようにそうしていたのだろう。買い物を兼ねた散歩の帰り道、スワン・リバーの土手に腰掛けて、剥いても剥いてもすぐにペロリと食べてしまうわたしに夢中でライチの皮を剥いてくれたことを思い出した。あれは美味しかったな。でも今はもうそんな人はいない、といじけた気持ちになって、果物なんてもう食べないと決めてしまった。スーパーマーケットで、猫缶と青果売り場の前は心を無にして素通りすることにしていた。もう買う必要のないものなのだとしっかり扉を閉ざして鍵をかけるように、脇目も振らずに。
それなのに、ベトナム料理屋でのケビンのバースデーパーティの最中、風邪っぴきのわたしに向かって、「果物を食べてビタミンを沢山とって早く寝たほうがいいよ」とデニスが言った。思わず誰にも知られるはずのない扉を見つけられてノックされたような気持ちになって咄嗟に「だって誰も皮剥いてくれないもん」と駄々っ子のように言い返した。すると予期しなかった答えが返ってきた。「剥かなくてもそのまま食べればいいんだよ」と。鍵までかけたつもりでいた扉を意図も簡単に開けられてしまって、あまりにも真剣だった自分のバカバカしさに思わず噴出してしまいたい気分になった。
夜にマンダリン(みかん)を2つ買って寝る前に自分で剥いて食べた。剥いた指からいい匂いがしたので洗わずにベッドに入った。期待と違う運命に見舞われて、傷ついてしまって、そのたびに真剣に閉ざしても閉ざしても、無邪気な誰かがやってきて意図も簡単に開けてしまうような自分の人生が可笑しくて、そしてそれは案外恵まれている証拠なのだと思った。