My life as a cat
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2006年01月30日(月) ECOアリ退治

いつのまにか、アリンコ達が巣からキッチンまでの道を作り上げてしまった。窓枠の隙間から次々に侵入してきてキッチンの床に置いてあるミケのごはんを持ってせっせと巣に戻るというのをここ1週間くらい黙認していたのだが、日に日に事態は深刻に。遂にミケのお皿はアリンコだらけになった。 ミケは悲しそうな目でお皿を見つめている。これはなんとかしなければとネットを徘徊して、ケミカルを使わずに退治できないかと調べたところ油が効くというのを見つけた。早速ティッシュに油を含ませ侵入口付近に置いてみた。

そして今朝起きてみると、きれいにアリンコ道は消えてなくなっていた。あぁよかった。ミケはガツガツごはんを平らげ、ぐぅぐぅ寝ている。


2006年01月29日(日) 座頭市

「メクラのほうが人の気持ちが解るんだよっ!」
Cool!!北野武の座頭市よりグサッと胸に突き刺さった台詞。

ストーリーは単純なチャンバラ劇なのだが、映像の所々に挿入されている"リズム"が面白い。下駄のタップダンスなどいかにもガイジンウケしそうでちょっとやり過ぎ?という感じがあるものの、彼は浅草時代の師匠でタップも上手い深見千三郎を崇拝しているし、これがリアルな北野武の世界なのだろうな。この映画のあちこちであがる血しぶきの色が妙に薄くいかにも作られ物に見えたのだが、これは意図的ではないだろうか。そんな細かいところにも彼のカラーが見える良い作品だと思う。

街角で「政治家になって欲しい人」などと聞くと、いつも名前のあがる彼だけれどやっぱり芸術家でいて欲しい。わたしは社会を物理的に変化させる政治家よりも、人間の心の色までも塗り替えてしまう芸術家というものは遥かに偉大だと思っている。


2006年01月26日(木) オーストラリアデイに違いを見た

キャンベラで迎える初めてのオーストラリアデイ。

どうせ朝から若者達が国旗を身に纏い、振り回し、大暴れしているんだろうなといやいや目を覚ますと、そこにあるのはいつも通りの静かな朝。そして何もなかったように1日が過ぎ、日が傾いてくる。腑に落ちない気持ちのまま花火を見ようと浴衣を着込みシティまででた。渋滞していて中心部まで行くのは容易じゃないだろうと覚悟していたのに、そこにあるのはいつもの休日のようにガランと眠ったシティ。辛うじてぱらぱらと見かける人影も国旗も何も手にしていない。何もなかったように目的地に向かって歩いている。花火は近くのリバー(というか人口のダム)だろうと行って見るとあぁ、やっと見つけた。辛うじてオーストラリアデイを感じる小さな人ごみとざわめき。けれど、どこにも騒々しい若者はいない。みんな静かに何かつまみを摂りながら夜の花火を待っている。Oi-oi-o---i!という威勢のいい掛け声などキャンベラで暮らし続けたら知らなかったに違いない。わたし達も芝生に腰をおろし、買いこんできたスナックを広げて静かに待った。パースではわたしが浴衣を着ていようと騒ぐことに夢中な人々は気付きもしなかったが、ここの人々は口々に"Beautiful KIMONO!"と言って関心を示す。そんな反応を示してくれるなら、ここは買い込んだスナックではなく手作りの重箱など誇らしげに広げたかった(笑)。

小さな小さな花火が終ると人々はそそくさと後片付けをして静かに帰っていく。わたしはキャンベラの人間のオージーらしからぬあまりにものジェントルさに気を取られて、マーティンに手をひかれるがままひたすら歩いてパーキングへ向かった。


2006年01月24日(火) 五粒の涙

ちょうど1年前に書いた「切ない」という感情について。それから何度も同じところを彷徨ってみたが、今のところ外国人にもそういう感情があるだろうというところに治まっている。そもそも「切ない」という感情は曖昧で複雑で深い。確かにわたしが持っているこの感情は説明し難いが、前回この記事を書いた時に薦めてもらった「せつない話−山田詠美編」の中によい参考になる解釈を見つけた。

<以下抜粋>
どんな時に「せつない」と感じるのか、自分自身の心の動きを考えてみようとする。すると、この言葉は、どうやら涙腺に関係しているらしいことが解る。涙腺に関係しながらも、涙にはあまり関係していないという不思議な代物である。万が一、涙に関係している場合も、五粒以内の涙である。瞳から流れ落ちるのが五粒以内の涙であれば「せつなさ」を原因としているのであるが、それ以上であれば、その原因となる感情は「悲しい」と呼んだほうが正しいだろう。
 悲しいのだけれど、悲しいと呼ぶ程でもない。苦しいのだけれど、それを口にだすほどでもない。せつない感情は、涙腺を刺激しながらも五粒以内の涙で解決することの出来ない複雑なものである。


これは外側からの刺激を自分の内で屈折させるフィルターを持った人だけに許された感情のムーヴメントで、この感情を作り出すフィルターは、ソフィスティケイティッドされた内側を持つ大人だけが所有しているとも書かれている。

五粒に凝縮された濃度の濃い涙。わたしはどんな時にこんな涙を流しただろうと考える。いつでも感情の激しいわたしには特定の出来事を思いだすことは出来ないが、人間が草臥れていくのを見るとき胸の内にこんな涙が迫ってくる。帰国したわたしを空港まで迎えにくる母親の背中が前よりも丸まってしまっていることに気付いた時や一時的な鬱病にかかった父が自分の名前を忘れてしまった時。どこにもいかないでとしがみつきたいのに手を振り解かれることが解かっている。どうにもせき止められない時間の経過にわたしは五粒に凝縮された涙を流す。


2006年01月22日(日) 夏休み

朝から快晴。昨夜寝る前に開け放したままの窓から立ち込めてくる熱気で目を覚ました。真っ青な空に大きな雲がもくもくと勢いよく流れているのを見ていたらじっとしていられなくなってプールへ走った。

1時間、無心に泳ぐ。気分爽快!黙々と机に向かって勉強したこの一週間にどっぷりと貯めた肩こりがすーっと消えていった。

夜はマーティンが借りてきた"The Locals"というニュージーランドのホラー映画を鑑賞。どこにでもいるような少年二人がドライブしながら迷い込んだ一見普通のその村の一見普通の住人達は実はゾンビだった。ニュージーランドの大自然の深い夜の暗中に繰り広げられる気味の悪いゾンビ劇に背筋が凍りついた。その後、外から帰ってきた ミケが化け猫に見えた。


2006年01月20日(金) Memoirs of a Geisya

静かなキャンベラの金曜の夜は映画鑑賞につきる。多くの日本人がイマイチと評するこの映画を見に出かけた。

貧しい漁村生まれのブルーの瞳を持った幼いお千代が家族の生活苦を理由に花街に売られるところからはじまる。先輩芸者のイジメを受け奴隷のように働く幼いお千代。成長するにつれて状況はよくなるどころか、再会したお姉さんと逃亡を試みて失敗したことで芸者としてのレッスンをさせてもらえなくなり、悲嘆に暮れてぼんやり佇んでいたお千代の前に「会長」と呼ばれる紳士が現れ、カキ氷をご馳走してくれる。その日を堺に彼女は彼との再会を希望に立派な芸者になることを夢見るようになる。

明らかに作られ物といった素晴らしく煌びやかな和の世界でアジア人顔が英語で会話。主役のSayuriを演じるのは中国人女優(チャン・ツィイー)だし、工藤夕貴演じるおカボなど"パンプキン"と呼ばれていて、あちこちがちぐはぐでもうどこの世界の話だかわからない。ストーリーは単純明快、ハッピーエンドのハリウッドのお約束的なものだけれど、この監督自身が発言した通り「ガイジンが日本に抱くファンタジー」と端からそういう目線で鑑賞すれば面白い。

しかし、渡辺謙、立派なハリウッドスターになってしまった。難病を克服した役者がその後一時的に有名になることはあっても彼のように揺ぎ無い人気を確立して益々パワフルになるという例はあまり見なかったように思う。その漲る生命力に感動してしまう。彼の活躍は難病と闘う人に多大な希望を与えているのではないだろうか。


2006年01月16日(月) Where is the passion?

彼女はいつもその男を「唯一信頼して悩みを相談できる上司」だと同僚のわたしに話していた。

前職場では、新卒のコよりも摩れていて、結婚適齢期のくせにのんびりと未婚のわたし達は、適当な遊び相手として妙に男性の人気を集めることができた。また、男の中にぽつりと放り込まれた紅一点というポジション的にも、女性ばかりの部署のコを誘えばすぐに噂となってひろまってしまうことを考えれば声をかけやすかったのだろう。至って普通の日常のように既婚者からも個人的な誘いを受け誰も信用できなかった。男女の本能の違いなのだろうけれど、わたしはまず人間性を信頼できなければ異性に魅力を感じることもないのに対し、あちらはわたしの人間性など見ずにいきなり異性として興味を持てるらしかった。時間的にも精神的にもゆとりのない職場で人間性を見て欲しいなどと思うのは利益に直接関与しない人間の戯言なのかもしれないが、それがなければどこに希望を見出していいのかわからなかった。

そんな人間関係の荒廃した職場でただひたすら悩みをきいてくれるその男は彼女にとってオアシスのような存在だっただろう。

それが、今日彼女から届いた一通のメールには既婚のその男にアプローチされるようになり、もう「唯一信頼して悩みを相談できる上司」ではなくなってしまったと書かれていた。文面から彼女の職場での孤独さが伝わってきてそれが不憫で泣けてきた。その男は本気で彼女のことが好きなのかもしれない。結婚したからといって世の中から魅力的な人間が減るわけではないし、空に浮かんだ雲のように風が吹けば移り動いていく人間の気持ちに白黒つけることなどできない。けれど、あまりにも簡単に一度愛しぬくと決めた相手を裏切れる人が多すぎて、情熱はどこにあったのかと聞きたくなる。そしてその男は好意を抱いている彼女をもっと孤独にしてしまった。

愛ってなんだろう。年をとればとるほど五里霧中になっていく。


2006年01月12日(木) あなたもわたしも神様です

裏山を散策しながら森育ちのマーティンは海育ちのわたしに子供の頃の思い出話をする。冬の厳しい寒さが続くと臆病な森の動物達もついに山を下って人間の住処まで食料を求めてやってくると。春がもうそこまでやってきているという時期には鹿が下りてきて町の人々は彼らに食料を与えるのだという話。

そして今日マーティンが興味深い記事を見つけてきた。アメリカの生物学の教授の論文。動物にも"宗教"があり、彼らは自分達よりもインテリジェントである人間を"神"と認識しているということ。ある母猿は死んでしまった小猿を"生き返らせてください"というように人間に差し出したというような話もある。

わたし達は、鹿も命からがら最後の神頼みで人間のところへきたのではないかと話した。この論文を信憑するならばわたし達人間は信者にやさしく手を差し伸べなければね。


2006年01月10日(火) A wonderful stroke of luck

Remember that not getting what you want is
sometimes a wonderful stroke of luck.

- Dalai Lama

何をやってもうまくいかなくて、
どこへ向かっても八方塞で、
もうそのままそこへへたりこんで動けなくなってしまった時、
天から延びてきた細いけれど強い手に
最後の力を振り絞ってしがみつくようにこの言葉を反芻してみる。
これは素晴らしき幸運の一撃なのだ。


2006年01月04日(水) 犬の生活

二言目には"Vodkaは好きか?"とくるような典型的ロシア人のご近所さんに誘われて夕方彼の家にお邪魔することになっていた。

キャンベラには友達も身寄りもいないわたし達にこの坂の途中の人々はフレンドリーで常々感謝しているのだが、夕飯を食べてゆっくりとしてしまうとどうもそこまで親しくない人と会うのが億劫になる。だらだらと相談した挙句、今日はキャンセルさせてもらおうということになり、昼間に揚げた芋花林糖を子供へのお土産に持って彼の家のドアを叩いた。

パパが勢いよくドアをあけ"Come in!"と素早く手招きする。うろたえていると奥から12歳の娘がいつものようにはずかしがりながらも嬉しそうに顔を出した。ケイト・モスをもっとあどけなくしたような可愛らしい顔をしたおとなしいこの娘にただ見つめられるだけで、彼女の欲するあらゆることから逃げられないという気分になる。心を鬼にして「ごめんなさい。今日はちょっとBFが忙しいの。またの機会に誘ってね。」と吐き出した。「そうか残念だね。彼女は日本語を教えてもらうんだって君が来るのを楽しみにしてたんだよ。」と言うパパの後ろで道端に置き去りにされた子犬のような目をする娘。自分がすごく邪悪に思えてきたが今更後には引けない。後ろめたい気持ちで足早に立ち去ろうと踵を返す瞬間ぶらぶらと頼りなく手を振る娘を見てしまい、わたしは家までの登り坂を一揆に走った。


2006年01月03日(火) Bagdad Cafe

ほんの少し遠いマーケットまでの道すがらホリー・コールを聴いていたら観たくなったのでレンタルして帰った。

ヴェガスから50km、砂漠のど真ん中、旦那との口論の末車を飛び出したジャーマンツーリストの太った中年の女が灼熱の太陽に照り付けられながら辿り着いたのは足が地につかない人間が集う旧態依然のカフェ(モーテル)。行く宛もなく自然とそこにいついてしまった女はやがてこの乾ききったカフェにオアシスをもたらすようになる。

"Jasmin"をヤスミンと読むジャーマンとジャスミンと読むアメリカン。濃いコーヒーを好むヨーロピアンとお湯を足して薄くしてしまうアメリカン。レーダーホーゼンを壁にかけるジャーマンとそれを見て驚駭するアメリカン。10代の頃に擦り切れるほど観た映画なのに、その頃に解からなかった文化的背景からくるオモシロさを今更理解して新鮮だった。

光と影をはっきりと意識したコントラストの深いビジュアルやカメラワークも抜群。あちこち切り取ってポストカードにしたい。

しかし主題歌の"Calling you"は映画へのマッチ云々は別にしてジュベッタ・スティールのよりもホリー・コールの低く力強い声のカヴァーのほうが断然好き。


2006年01月01日(日) 2006年のはじまり、はじまり

いつもと同じ朝がやってきていつもと同じ外の熱気に体の水分を吸い取られて目を覚ました。2006年のはじまり、はじまり。

シーザーサラダのみをボールにたっぷりというブランチを摂り、マーティンが欲しがっているブルースのCDを探しにシティへドライブ。途中スコールのような雨に見舞われ、熱く乾ききった大地から湯気が沸き立つのを車窓から見渡した。

小さな小さな町のCD屋さんで店内を隅々まで物色し、静まり返ったシティを歩き、辛うじてOpenしていたヴェトナミーズレストランでアイスコーヒーを飲んでひと休み。お店の人が"Happy New Year"と言って緑豆の汁粉をだしてくれた。ほんのりあたたかく、ほんのり甘い。遠く日本から離れて足の長い人々の中に紛れて椅子に座りシャンパンを飲んで小さな違和感の中でNew Yearを迎えるわたしに、それは祖父母の家でみんなでコタツに足を突っ込んでわいわい過ごしたお正月を思い出させて心までもあたたかくなった。ヴェトナム人のおじいちゃん、ありがとう。

そして皆様、今年もよろしくお願いします。


Michelina |MAIL