My life as a cat
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2005年03月24日(木) 日本の匂い

電車に乗って東京へ行った。OAZOよりも好きな丸ビルの丸善で本を物色。何冊か選んでレジに持っていった。そのうちのひとつはタイトルがエッチなもので(中身はなかなかインテリジェントなのだけれど)、女性はあまり手に取らないのではないかというものだった。レジの男性はわたしをこっそり一瞥し、「カバーおかけしますか?」と聞くので「いえ、けっこうです」と答えたら「、、、あっ、、、よろしいですか?」と落ち着かない感じで確認されてしまった。「電車の中では読みませんから」と言って彼を安心させてあげるべきだっただろうか。

それからTully's coffeeに駆け込んで喫煙席と禁煙席が別室になっていることに感動。日本ではまだ珍しいのでは? 喫煙しないわたしにはとっても嬉しいこと。でも紙コップで(しかも二重にされた)コーヒーをだすのはいただけない。マグカップにしてください。今度は絶対そう言おう。

帰りの電車の中で女の子2人がお菓子を食べていた。そこでわたしが思ったこと。パースでは電車やバス内での飲食は厳禁で飲みかけのジュースを手に持っているだけで乗せて貰えなかったこともある。パースでそれを許したらゴミが散らかるに違いない。パースの人間は差が激しくて、マナーの良い人間が多い一方で悪い人間がとことん悪いので汚れ方は異常だったりする。そのマナーの悪い人間というのが日本人や中国人などということも多い。わたしは日本にいる日本人とパースにいる日本人は別物だと思った。日本にいる日本人は比較的行儀が良いので日本の電車は飲食を許していても顔をしかめるほどゴミが散らかっているのは見かけない。

電車のドアが開くと夕方の街から揚げ物の匂いが入ってくる。それは日本の匂いで外国で嗅いだことはないものなのでまた帰国したことを実感した。わたしはこの匂いを嗅ぐと今日の夕飯はなんだろうと楽しみになって早く家に帰ろうと心がはやる。


2005年03月22日(火) Lagging

帰国と同時に舞い込んできた仕事の話があり「行ってみようかな」くらいの軽い気持ちで恵比寿まで出かけた。今日は天気も悪いせいか電車から見える東京の空も景色も灰色で、それはパースには無い情景だから、それこそが日本に帰ってきたことを強く実感させられるものだった。発展めざましい恵比寿は見るたびに新しいものがあって、学生の時に寄った古びたダサい喫茶店など幻だったかのようにその場所に今はお洒落なカフェが並んでいる。駅ビルの本屋で長居してとなりの文房具屋も物色してすっかり面接のことなど忘れていたが、いけない、いけない、今日はこれがメインだったのだ。

面接では自分が社会人としてボケボケだということを思い知らされた。アメリカ人の面接官は、英語でも日本語でも良いと言ってくれたのにどちらもでてこなかった。

帰りの電車の中でぼんやりと窓の外を見ながらも手にバッグをギュッと握り締めている自分に気付いてWAの人間としてはボケボケじゃない自分にこっそり笑ってしまった。

小さな町とせまいせまい交友関係にあまりにもシンプルな暮らし、、、そんなところから一揆に飛んできた東京に感覚を戻すのはちょっと時間を要するみたいだ。


2005年03月19日(土) ジゴロのクーちゃん

半年もほったらかしておいたらすっかり愛想をつかされ、ステレオもワイパーも動かなくなってしまった愛車のご機嫌をとるように恐る恐る近所を一周し、家の近くまで来ると猫がとろとろと横切った。よく見ると丸々太った(元!?)我が家の愛猫クーちゃんだった。

クーちゃんは去年わたしが日本を去る直前に行方不明となり、家族の尽力も虚しく見つからなくて諦めていた。が、今年の2月なんと5ヶ月ぶりに傷だらけで丸々太って帰ってきたと、パースまでメールが届き驚いた。その後2,3日こたつで丸くなってガツガツとごはんを食べ、また出て行ってしまい、一週間後にまた帰ってきて、、、、といったことを繰り返していたらしい。どうもあの太り具合から、帰る家が数軒あるのだと我が家では話している。クーちゃんは子猫の時に犬の散歩途中だった母と妹にすごい勢いでなきながら着いてきてしまって我が家の猫となったのだけれど、とても風来坊なオス猫で一晩、二晩帰ってこないということはざらだった。けれど、帰ってくると一番甘えん坊で誰にでもよくなつくので憎めない猫だった。う〜ん、なんだか人間界でもこんなタイプの浮気者なのに、生活力も無いのになぜか憎めない男性はいる。猫の世界にもいるんだなぁ、こんなジゴロのような猫が(笑)


2005年03月18日(金) 日本到着

おとといの夕方マーティンといつものように空港のCafe DOMEでコーヒーを飲んでお別れした。今回は妙に別れが淋しくて心の中で泣いてしまったけれど、飛行機の中で上映される映画の中に大好きなリチャード・ギアが主役の、アメリカ版"Shall we dance?"があったのでそれを見たら元気がでた。ジェニファー・ロペスのNice bodyでのDanceにも魅せられた。乗り継ぎのクアラルンプールの空港のDuty freeで春色のリップスティックを買ったらもう完全に回復。KLからは隣のシートに座っていた同年代の男の子とべらべらと話してはぐうぐうと寝てを繰り返しあっというまに日本の地が見えた。

そうして昨日の朝、気温たった5℃しかない成田に降り立った。出口で甘酒を買って待ってくれていた妹と通勤ラッシュを逆流して自宅に向かった。電車の窓から見える人々の家が妙に小さくて、人々が妙に痩せていて、忙しそうに歩いていて、わたしの心臓はドキドキしてしまって感覚がすっかりWA寄りになっていることを感じた。

こんな寒さを味わうのは久しぶりで、水道からでる水の冷たさに「こんなんだったっけ?」と驚いてみたり、半年振りの湯船に浸かってみたりして、こたつで夕方まで熟睡。夜は料理好きでない母親お得意の鍋をつついた。見るたびに両親の食生活はヘルシーになっていく。


2005年03月16日(水) La Strada

半年のPerth滞在もあっというまに過ぎて今日の夕方日本に向かいます。

月曜は日本から友達がやってきたので彼女へのWelcomeとわたしのFarewellを兼ねて夕方にイタリアンで食事をして軽くワインを飲んできました。そしてその流れで昨日も彼女達とベトナミーズでランチを。そして腹ごなしにシティを散歩して夕方にはいつものようにマーティンとシンプソンズを観てからサウスパースのイタリアンレストランへ。そのままシティの夜景を見ながらジェッティを散歩して家路に着きました。家に着くとドアノブに袋がさがっていて、中を見ると子供がいないせいかわたしを娘のように可愛がってくれる隣人からの"Michellina,do come back"というカードとパンプスの形の飾りのついたブックマークが入っていてとても暖かい気持ちになりました。ミケはわたしがおとといスーツケースを広げてから様子がおかしくて、チーズ・ハウスに篭っています。わたしがスーツケースを広げるとそのうちいなくなるということを覚えているのかも。

この半年間あれこれ、あれこれ、、、毎日考えた結果、今後のVisionが今はくっきりと自分の中で見えました!計画が計画通りに進んだ例がなくていつも途中で道を反れていって全く違うところに辿り着いてしまったりするのがわたしの人生なのだけれど、そしてそれは思わぬ幸せだったり不幸だったりするのだけれど、それでもいつくもの分かれ道を前に自分の行きたい道が明確に見えるということ、それはそれは本当に気持ちの良いことです。

日本に帰ったらとりあえずは3年ぶりの桜を思いっきり満喫するつもりです。それでは次は日本で!


2005年03月13日(日) Ben Foldsと最後の週末

She’s a brick and I’m drowning slowly
Off the coast and I’m headed nowhere
She’s a brick and I’m drowning slowly・・・・・

陽が落ちる頃ワインを持ってKings Park(というパースのシティが一望できる高台にある公園)のボタニクガーデンへ。コンサートのスタートは20時だけれどすでにみんな芝生にブランキットを広げて寝転がってワインを飲んでゆったり待っている。これぞWAスタイル!日本では好きなアーティストが来てもライブやコンサートに行きたいとはあまり思わなくて、なぜかというと窒息しそうになりながら生演奏を聞くくらいなら静かな自宅でCDを聞いたほうがいいと思っていたから。でもここは芝生に転がってワインを飲みながらBen Foldsのような有名なアーティストの生演奏を聴ける!なんて贅沢なんだろう。しかし、「旅慣れ」していると言われる人がいるようにここの人々は「ピクニック慣れ」(とでもいうのだろうか)している。周囲を見回すとワインのグラス立てやらブランキット、チェス、クッション。。。人々は何でも持っている。用意周到でないわたし達は危なっかしくワイングラスを持ちながらチーズやクラッカー、サラダをつまんで待った。

今回はBen FoldsとWASOというWAのオーケストラのジョイント。このWASOというのは政府がオーガナイズしているもののようで雰囲気的にはちょっとお堅い。20時ちょうどピシッとした恰好をしたオーケストラが前奏をはじめ人々が飲食する手を止めピッタリと静まり返って姿勢を正したところにBenの登場。あっ、あれ?よれたネルシャツ一枚(笑)うわーなんかデキルアーティストっぽいではないか。重々しい感じの靴でしっかりペダルを踏み込みながら、立って上から鍵盤を叩きつける様な力強い演奏。一曲終るごとにBen自身がMCをするのだが、なかなかユニークな人で会場もゲラゲラ笑いノリノリ。やっぱり英語圏での演奏は彼自身も同じジョークを間をおかずに分かち合えるだけにやりやすいだろうな。わたしはところどころ通じなかったり笑いが一歩遅れたりしてガイジンな自分を感じてしまったが。そして抜群のタイミングで池のアヒルが鳴いてしまうのだ(笑)歌のクライマックスで一瞬止めて息を大きく吸い込んで最後に一揆に吐き出すようなところの息を止めて静まりかえったところでグワッグワッと鳴いてBenは思わず振り返っていた。

これから彼は親戚の結婚式がここであるので2,3週間パースでホリデーを過ごす予定なのだとか。

BenとMartin, Thank you for the great time!


2005年03月11日(金) 日本も性の解放を?

今日は明日ここを去る友達のお別れ会。といってよくよく考えてみればわたしも来週末はもう日本なのだが。主役の彼女が持参してくれた日本酒と赤ワインを持ってイタリアンレストランへ。ワイングラスになみなみ注がれた日本酒を一口、日本人一同「あぁ醤油系のつまみが欲しい!」と口を揃える。でもまぁワインと和食が悪くないようにイタリアンに日本酒も悪くない。ブルスケッタやピザやラビオリ、シーザーサラダ、、とぐんぐん平らげながらゴクリゴクリあっというまにボトルを空けてしまい、さっさと2軒目のパブへ。そこで話題にでた「日本の電車内の痴漢」の話。オージーの男の子は理解できない、なんでなんだ、そしてどうして女の子は大声で叫ばない?という。こちらの電車はそこまで混まないし、痴漢などに触られようものなら欧米人女性はまず黙っていないだろう。まず人々は女性がどんな恰好をしていようとあまり反応しない。こちらではあまり「痴漢」というような中途半端なセクシャルクライムは聞かないのはいいのか悪いのか解からないけれど、公共の場で嫌な視線にあったり、体に触られるなんてことはまず考えられない。彼が「日本は隠しすぎるから人々が余計Curiousになってしまうのではないか」と言っていて納得。確かにわたしの周囲でもポルノなどを固く禁じられた国から来ている人ほどそういったことに興味津々だったりする。日本ももっと性を解放したら公共の場での中途半端な変質者は減るのかしら。


2005年03月09日(水) ミケ復活

あり得ないけれどわたしの風邪がうつってしまったのではないかというくらい昨日ミケは元気がなくて、いつもは朝に鬱陶しいくらい魚をねだるのに、死んだように静かに寝ていて、たまに目を開けるものの捨てられた猫のような悲しげな表情をしていた。目を離したら消えてなくなってしまうのではないかとか、もう目覚めないのではないかとか良からぬことを沢山想像しては不安になって何度もベッドルームを覗いてミケがいること、そして呼吸していることを確認してしまった。夕方に外に遊びに行ったのだけれど、いつもは家から半径15mくらいをうろうろして1時間おきくらいに帰ってきてドアの前でないて中に入って腹ごしらえしてまた遊びに行くというパターンなのに、ぱったり帰ってこなくて、それはまたわたしを不安にさせた。猫というのは本当に不思議な生き物だ。小声で名前を呼んで家の周りを一周したけれど、返事はなくて、悲しい気持ちでベッドに行った。が、夜中の1時頃、ニャーとか細い声が聞こえてミケが帰ってきていつも通りわたしのベッドで一緒に寝た。

今朝は騒々しく魚をねだる彼女に起こされた。そして朝ごはんを食べると急いで外に飛び出していくといういつもどおりの朝があった。

何があったんだろうと考えたのだけれど、ひとつ気になるのは、道路を挟んだ向かい側に住んでいていつも夕飯を終える頃彼女を迎えにきたマーブル模様の親友が引っ越してしまったこと。新しい人がすぐに越してきたのだけれど、おじいちゃんのペットは猫ではなくてオウムだった。そのオウムも越してきて早々逃げ出してしまい、おじいちゃんは淋しそうにオウムを探して近所を徘徊しているのだけれど。動物は環境の変化にとても敏感なのでミケも何かいつもと違う雰囲気を察して変になってしまったのかもしれない。でもよかった、元に戻って。


2005年03月07日(月) WAの3連休

WAは土曜日から3連休。ちょっと鼻づまり程度の風邪をひいてしまいおとなしめに過ごした。来週末はBen Foldsがここパースへ来て野外ライブを行うようだ。20歳の時に初めて聞いたとき彼のピアノがとても心の奥底まで響いて、それから2枚だけCDを買った。わたしの心も日々変化してきたので今聞いたらどう感じるのか分らないけれど、気まぐれに行ってみようかと昨日は会場視察に出かけた。ボタニカルガーデンの奥のほうで行われるようだ。夜空の星を眺めならがのライブもよかろうね。。。

そして貴重な日曜日を割いて3000人のボランティアがビーチやパークで拾ったゴミなんと470トン!。酷い!でもボランティアの方々にはありがとう&おつかれさまでしたと言いたい。

そして今日はちらし寿司を作ってMatilda Bayへピクニックへ出かけた。鼻づまりで少々味覚オンチになっているにも関わらず、自分の作ったちらし寿司がまずかった。何か大切なものを入れ忘れたに違いない。でもそれが何なのかわからない、、、。オージー達はBBQを楽しんでいてマーティンはそれを「リアルバーベキュー」と表現するのだけれど、それはそれはすごい。大きな肉の塊にソーセージの山。。。わたしはこのところつくづく感じるのだけれどここはやりたい放題やってもまだ自然が豊富なせいか環境に対する危機感が薄い。田舎だから比較的人々がそういったことに関心を示さないというのも一理あると思うけれど、それにしたって環境に配慮したフローさえ作られていないのだからこれはかなり問題だと思う。無くなってからその大切さに初めて気付くのが人間なのか。。。。?

芝生に寝転がって水辺で遊ぶ子供や犬を眺めつつそんなことを考えて午後を過ごした。


2005年03月04日(金) Indian dinner

日が暮れる頃いつもの飲み仲間、そして先週お会いしたばかりのSayuさんも合流してインディアンレストランへ。今日はノースリーブでちょうどいいくらいの陽気だったので外の席へ腰を下ろして冷たいホワイトワインをごくり、そしてベジサモサからはじまって、数種類のベジカレー、バターナンにガーリックナン、ベジドーサ、、、とベジオンパレード。わたしには嬉しい限り。ここのサモサはパースで食べた中で一番美味しかった。

話題にでた「マレーシア人(主にマレーシアンチャイニーズの話)」や彼らの男女の位置関係はなかなか興味深かった。みんな見聞きしているものが違うだけにイメージというのもちょっとずつ異なるのだけれど、日本人では考えられないことは多い。わたしの知るマレーシア人男性3人もすごく激しい。何が激しいかというともう全て。全てにおいて常軌を逸している。彼らの一挙一動に「あり得ない。。。」と思うけれどかといって付き合いにくいタイプかといったらそうでもなく、普通に日本人的な発想のジョークも通じるし、友達付き合いは成り立つ。一方わたしの知るたった一人のマレーシア人の女の子はこれが本当に奥手で彼女から多々恋愛相談を受けたものの、どうにもこうにもわたしのアドバイスは彼女にとっては突飛な発想だったようで多々彼女を幻滅させた。「マレーシア人」とは。。。?多民族複合国家なだけに謎が多い。

そんな話をしながら2件目のパブへ。ここではオージーたちが踊りまくりでSayuさんは太った女の人にお尻で突き飛ばされて飛んでしまったらしい(笑)。


2005年03月03日(木) 根ほり〜な、葉ほり〜な

こちらでほんの少し語学学校へ通った時、日常を描いたショートストーリーのビデオを見ながらその中で表現や文化を学ぶという授業があった。その日のシーンはパーティだった。お互いにパートナーを連れて知人に紹介し、握手を交わした後会話が始まる。ここで白人同士はあたりさわりの無い世間話を始めたのだけれど、アジア人女性はそばにいた白人女性に家のことや家族のこと、たとえば子供はいるか?なぜ子供を作らないのか?など、、を根ほり葉ほり聞き始め怪訝な顔をされていた。

このビデオ、白人達がアジア人に対して感じてることをそのまま描いたのではないか? 先生は「欧米では初対面の人にプライベートなことを突っ込むのは歓迎されません。アジアではこういった会話はあまり違和感がないのかもしれませんが、こちらでは嫌な顔をされますから気をつけてください。」と言って授業はお開きとなった。

これはちょっと極端な例だけれど、確かにアジア人のほうがそこそこの距離を保つことが苦手だ。わたしも会ったばかりのアジア人にどうしてそこまで聞かれなければならないんだ、、、とか逆にそんなことまで初対面のわたしに話していいんですか?と聞きたくなるほど開けっぴろげで苦々しく思いながら会話したことはある。欧米人はちょっと深いところへ突っ込みそうな時は"May I ask〜"という表現を使う。答えたくない質問ならば"No"と言えばいい(のかな?すごいところに突っ込まれ慣れている日本人のわたしにとっては大抵大して話しにくい質問では無いのだけれど嫌ならわたしはNoをいう)。相手も「聞いていいことなのか?」と半分思いながら聞いているのだろうから、Noといえば"Oh, sorry. It's ok"で終わりになる。こんな風に逃げ道も用意してくれるのはとてもよいと思う。直球で聞かれてしまい、「答えたくありません」と言えばとても冷たい感じがするし、相手も気を悪くしそうで苦痛でも答えてしまう。

今日、化粧品売り場の30代くらいの白人とアラブ系の血が入ったような顔つき、だけれど英語のアクセントはオージーの女性にこの根ほり葉ほりをやられて困ってしまった。こんな人は初めて。"Where are you from?""How long have you been here?""What are you doing here?"このあたりまでは普通だけれど、この3番目の質問でわたしはいえ、何もしていなくて、BFと暮らしているんですと答えることになるのだけれど、またまたどうして結婚しないの?とかあなたの日本の親は何も言わないの?(日本はすごくコンサバティブだという思い込みがあるらしい)とか今月日本に帰ってまたこちらに帰ってくるの?それに対してBFはどう言っているの?とかとにかくすごい。挙句の果てに「わたしは妊娠が発覚したら親にすぐに結婚しろと言われてだから先月結婚したの」などとそんな話までされてしまった。こんなオージーもいるのか。。。


2005年03月02日(水) 姫様とプレイボーイ

シティで買い物をして、仕事帰りのマーティンにピックアップしてもらうつもりでいたのに、名刺を忘れてナンバーが解からなかった。まぁいっか、バスをキャッチして帰ろうとのろのろ歩き出すと背後から"Michellina!
と呼ぶ声が。振り返るとこんがり焼けた茶髪の男が立っていた。こんな人に見覚えはないと怪訝に思っていると近寄ってくる。え!もしかして。。。エーーー!!!友達のコリアンだった。つい先日会ったばかりだったのにこの変わりようは。。。

互いに暇な雰囲気を読み取りお茶でもということになった。マーティンのように"Michellina,what would you like to drink?"ではなく"Let's go drink JAVE JUICE"と指定され"so you are korean,,,," と彼の背中に向かって呟きながら着いていった。もったりとぬるい空気が淀んでいるテラスで冷た〜いスムージーを喉に流しながら、なかなかいい年の彼がつい最近できた日本人の若い若いGFにてんてこ舞いだという話を聞く。髪の色も彼女が決めた色なのだそうだ。いつも"黙ってオレに着いてこい"的なことを言ってるくせに相手が若い日本人ギャルでは太刀打ちできず尻に敷かれている様子。

その後、女友達なんて連れて帰って大丈夫なの?と思いつつも、半分恐いもの見たさで(笑)すぐ近くにある彼らのシェアハウスにお邪魔することになった。案の定「誰この人?」という顔をされてしまったのだけれど、ご機嫌を取るように一生懸命話しかけたらやっぱり若いコは柔軟でだんだん口数が多くなってきた。彼曰く彼女は「お姫様」らしいので、家来のわたしと彼で冷蔵庫にあるもので簡単な夕飯を作ることにした。わたしはオムライスを彼はコリアン風大学芋を(といっても日本のとぴったり同じだった)。オムライスはお姫様のお口に合ったようで、「うん、うまい!」とお褒めの言葉をいただいた(笑)(その後、食べ物は何が好き?と聞いたら「オムライス」と言っていた。)。食事中話を聞いていると若い彼女は何かとこのプレイボーイが心配なようだった。わたし的には普段プレイボーイだからこそ特定の人がいるときは飽き足りたことには手を出さないように思うけれど。後片付けは姫様がしてくださったので、わたしはのんびりワインを一杯いただいてからバスをキャッチして家路についた。


Michelina |MAIL