My life as a cat
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2004年09月30日(木) 仕事治め

カルフォルニア州のフォアグラの生産工程の改善のニュース。よかった、よかった。手足も動かせない小さなかごに体を詰められて、首だけ出し、ひたすらホースで餌を口に流されているガチョウの写真を見たときは人間嫌いになった。フォアグラを食べたことはないけれど、これからも絶対に食べることはないだろう。そんなことを思いながら車を走らせていたら隣の車線に豚の親子を乗せたトラックが走っていた。お母さん豚に寄り添う子豚達。彼らは食べ物ではないと強く思った。

今日は仕事治め。やり残した仕事をキリの良いところまで終らせつつ、社内やクライアント、出入りしている業者に電話を入れたり、挨拶にまわったりした。数年ぶりの日本での社会復帰、はじめはとても怖気づいた。無表情に出社し、残業し、そしてまた無表情に電車に乗って帰って行くかのように見える人々、それに馴染んで自分も感情を失っていくのが恐かった。色々なことを頭の中でイジイジと考えていたら社会から排除されてしまうのではないかというような空気を感じていた。けれど、そこに慣れるにしたがって、逆に自分のペースを守る余裕もでてきてもう少しやっていけそうな気もしていた。次に日本で社会復帰するときはもうこんな風に悩まなくてすみそうだ。

夕方に同期に仕事をスタートした仲間と飲みに行った。彼女達は常々わたしのことを「机の下で靴を脱いで裸足になっているから」とか「田舎暮らしでテレビも見ないし、ベジタリアンだしあまりにも健康的だから」とか「世の中の風潮に動じないから」とかそんな理由をあげては極めて日本社会に馴染みにくい人間だと分析していたけれど(わたしは彼女達をあっけらかんと上手にその場に合わせてうまく社会で生きていくタイプだと分析していた)、そんな性質の違う人間でも案外仲良く楽しくやっていたのでお別れは淋しかった。ほんのちょっとの日本滞在、よい仲間ができてよかった。


2004年09月29日(水) 日本のイタリアンは美味い!

明日で仕事おさめなのでマネージャーがランチを御馳走してくれた。しとしと雨の中、会社からちょっと歩いて大きな通りから外れた隠れ家のような洒落たイタリアンレストランへ。得体の知れぬ不思議な見た目、だけれど美味な前菜からはじまり、パスタは小エビとバジリコのトマトクリームパスタ、デザートはラズベリーソースと食べる生暖かいクリームブリュレ、コーヒーと続いた。料理が運ばれてくるごとに味の良さに加えて食器の美しさにも感激。マネージャーが「ノリタケのじゃない?」というので思わずコーヒーカップのソーサーを裏返して見てしまった。やはりNoritakeと書いてあった。しかし日本のイタリアンは美味しい。日本人の勤勉さや繊細さ、基本的にコシのある麺が好きな国民だからなのだろうか。パースにはアルデンテは無い。甘すぎなくて大きすぎないデザートも。

このレストランはパーフェクト。少食でも大食いでもないわたしが全て平らげたらちょうど腹八分満たされ、午後からも眠気に襲われず仕事ができた。


2004年09月27日(月) 沖縄の旅のみちづれ

木曜の午後に羽田を発ち、夕方に東南アジアのような熱と湿度に満ちた那覇空港に到着。1時間に1本しかこないバスにやっとのことで乗り込み街中へ向かう。沖縄=サトウキビ畑=海というだけのイメージでやってきたわたしは那覇市の予想外に多い交通量や都会さ加減に驚いた。トロトロと進むバスが国際通りを抜けたところで下車し、安宿に荷物を下ろし、夕飯を食べに国際通りを歩いた。スターバックスコーヒーに三越、ドトール、ファミリーマート、ダイエー、マックスバリュ、なんでもある。そしてここは南国、どこの店も夜遅くまで営業しているし、人気もなくならない。さて何を食べようか。沖縄の郷土料理といえば豚肉が入るものが多い。とりあえずは適当な食堂に入り、肉抜きの豆腐チャンプルとジーマーミー豆腐(ピーナッツ豆腐)をオーダーした。チャンプルは暑い地の味付けらしくちゃんと塩分が控えめだった。

二日目、遅めに起きてふらふらとランチを摂りに国際通りに向かって歩いていたら突然のスコールに見舞われてシャワーを浴びたようにびしょ濡れになってしまった。とりあえずスターバックスに駆け込み熱いコーヒーとシナモンロールを摂りながらわたしの服が乾くのと雨がやむのを待った。スコールの後の晴天で空気が一層蒸している。通りでバスを拾って首里城へ向かった。暑さと湿気に強いわたしでも倒れてしまいそうな空気が立ち込めていた。意識朦朧としながら石畳を歩き、那覇市を一望した。向こうのほうに海が見えたのでもう歩きの観光はやめて泳ぎに行こうと投げやりな気持ちで踵を返した。宿に戻って自転車を借りて、一番近い人口ビーチへ行った。えっ。。。なんだここ? 水は確かにきれいだけれど、頭上はハイウェイだし、ビーチの前には3,4軒ラブホテルが並んでるし、沖縄気分というより東京湾気分。。。などと思いながら2時間くらい無心に泳いでいたらすごくお腹が空いた。宿に戻って屋上へ夕焼けを見にでると同じ宿に泊まっている男の子もビールを飲みながら寝転がっていたので東京の忙しさにいまいち着いていけない者同士だらだらと会話した。

三日目、また朝からどしゃ降りの雨。宿を移動するのでちょっと重いリュックを背負って徒歩で国際通りからちょっと小さな路地に入ったところにある宿に着いた。この宿も古びた安宿だけれど「おばあちゃんの家」のような懐かしい匂いのするところで気に入った。台風が近づいているというのでこの宿に宿泊している人達はみんな縁側や卓袱台の周りでごろごろとしていた。北のほうのビーチへ足を延ばしてみようか思っていたのだけれど、宿のオーナーに台風が近づいてるからビーチ閉鎖してるのでは?と言われ、自転車で行って閉鎖ならすぐに帰ってくることができる昨日と同じビーチを薦められた。行ってみると明日の台風に備えて閉鎖していた。仕方なく自転車に乗って宿に戻り、縁側で庭のバナナの木を眺めながらごろごろした。夕方になったら宿に人が沢山集まってきて卓袱台を囲んでみんなゴロゴロしていた。ギターを弾く人、歌う人、テレビを見る人、マンガを読む人、パソコンする人、酒を飲む人。。。のんびり屋さんな人ばかりで妙にこの空気が心地よかった。この夜にはもう雨足が激しくなり台風慣れしていない関東育ちのわたしは夜中に何度も目をさました。

四日目、沖縄を通る台風は長居するらしい。今日も朝から宿の人達は居間でだらだら、ごろごろ。雨も激しく降ったり、止んだりを繰り返す。雨が止む時を見計らってダイエーへ行って食料調達。コーヒーを飲んで、おかきを齧りながらこんな日は読書が捗る。こんなこともあろうかと小説を沢山持ってきていたのでよかった。南部の戦跡や北部のビーチも楽しみにしてきたけれど、まぁこんなふうにだらだらの旅行も悪くない。旅の目的はリラックスすることや日常とは違う空気や人に触れたりすること。この宿にステイしているのは一人でふらふらとやってきた人ばかり。愛媛の市役所の公務員、レコード会社で音の研究をしている人、半導体の研究開発をしている人、都内で美容師をしている人、大学生、都内で突然仕事を辞めてここに来たまま居ついてしまった元サラリーマン、幼稚園の保母、普段の生活ではなかなか知り合う機会のないタイプの人達と話すのは面白い。沖縄最後の夜は泡盛という強い酒をロックでちびちび飲みながら、案外マジメな議題について面白おかしくそして深く語り合いながら更けていった。旅の途中の一期一会はわたしの人生の大きな道しるべになることが多い。

昼間に那覇を発つこの日に限って朝から晴天。この宿に居ついてしまった隣の民家の白い犬(めちゃくちゃ可愛い)もお別れの挨拶をするようにちゃんと朝にシッポを降ってやってきた。深酒に朝まで付き合ってくれた人達との別れが淋しかった。「じゃーまたね」と言ったら、みんなが「行ってらっしゃ〜い」と見送ってくれたので、またここに帰ってくるような気分になった(いや、実際帰ってくる人が多いようなのだ)。


縁側で昼寝をするのが好きな隣家の犬








2004年09月22日(水) 環境破壊の現場を求めて

「わたしの地球遍歴」という本を読んだ。東大の教授である著者が環境破壊が実際に起こっている現場を訪ねて書いたものだ。これは先進国の人間が行う「環境保護」などという甘っちょろいものではなく、命をかけて自分達の住む森を守ろうとするインディオ達や活動家の血なまぐさいお話ばかりだ。自分達が住む森が焼かれて牧場に姿を変えていく。住む場所を失う人たち、そしてそこに移住してくる先進的な暮らしをする人間達。森を失ったインディオ達は自分達の住処を略奪した白人を恨みつつも狩ができなくなった今、皮肉にも自分達の土地を略奪して切り開かれたファームに従事し生計を立てることになる。自殺者も増加するという。「自殺の動機なんて難しい議論しなくてもわかっている。酸素を失った魚が口をパクパクしてい死んで行くように、森を失ったインディオが死んで行くだけのことだ」というインディオの言葉に胸が締め付けられた。

先進国が生活を潤そうとすればするほど途上国に犠牲がでていくような現実。もっと先進国はそういうことを知るべきだ。自分達の贅沢な生活の裏側で今日も地球のどこかで死人がでている。それじゃぁ先進国が近代的な暮らしをやめればいいといえば極論だけれどそんなことは不可能だ。わたし達はまだまだ平等ではないこの世界の改善を考えて暮らしていかなければならない。


2004年09月20日(月) パースに帰ってくるな事件勃発

平和な平和な日曜日の昼下がり、事件は起こった。マーティンに日本で新しいスニーカーを買って帰ろうと思って久々にチャットをオンラインにしてサイズをたずねた。すると様子がおかしく「もうパースに帰ってこなくていいよ」と言う。ええーーーー!!エアチケットを取るのにも結構苦労して、仕事を辞めることだってもう決まっているし、何よりビザを取るのに2人して奔走したではないか。で、何で?「君は一週間僕と喋らなくても平気なんだ」。確かに忙しくしているとあっというまに過ぎてしまう。わたしは家族と暮らしていつもワイワイやっているのであまり淋しさなどはないけれど、一人で暮らしてる彼は淋しいのかもしれない。気持ちはわからないでもないけれど、話したかったら電話してくれればよかったのに。ちょっとストレス溜まり気味の彼にあれこれ言われ、鬱陶しくなったわたしは「そんな鬱陶しい話したくない。そんなことばかりチャットで話したいなら名前もう削除して」と言い放ち、彼の名前を削除してPCをオフにしてしまった(てっきりそれでもうチャットはできないのだと思っていた)。

今日は朝から頭が痛かった。出発間際に「もう来なくていい」などと言われてどうしていいものかわからなかった。エアチケットをキャンセルして10月から職探し?とりあえず友達に電話してみると「それでも帰ってちゃんと話してきたほうがいいよ」とアドバイスされた。確かにこれきりと言われてもこれきりにするにはあちらに置いてある荷物が多すぎる。頭を抱えて家中虫けらのように転げまわり、電車に乗って散歩にでてみたりしたけれど、もう気が遠くなってきた。夕飯時に恐る恐る母に切り出してみた。いち早くわたしに結婚してもらいたそうな母を落胆させるのが恐かった。が、案外あっさりとした返事が返ってきて面食らった。「じゃぁとりあえず行って全部荷物まとめてこっちに送ってさっさと帰ってくれば?で、日本人の彼氏つくればいいじゃん。」と。母が「いつでもこっちに帰ってきなさい」と言ってくれたような気分になって頭痛もひいてきた。

そして夕方友達にメールを打っていたらチャットで彼に話しかけられた。??何で?どうしてそんなことができるんだ?彼の名前をリストから削除したのに。よくわからぬまま、"How are you?"などと聞かれ「あの、昨日のことで頭が痛いんですけど」と言うと「え?何のこと?」と返され挙句の果てに「あぁそれね、許してあげるよ」と軽く言われ(って何を許してもらうんだ、わたし?)、何もなかったように「あっ、僕これからミルク買いに行くから、じゃぁね」と言ってオフラインになった。もう呆れて言葉が出なかった。もうこの人の言葉をまともに受けるのはやめようと今度こそ心に誓った(もう何度誓ってるんだ。。。)。


2004年09月18日(土) OAZOに行ってみる

古い友達と恵比寿でランチの約束。2人とももはやどこになにがあるのかわからないので、適当に代官山方面に歩いて、名前を聞いたことのある有名っぽいカフェに落ち着いた。道行くジャラジャラと着飾った若者達を眺めながらあれこれと日常を報告しあった。それからとぼとぼと代官山を散歩。ここの人々は高級な小型犬に服を着せて連れ歩くのが好きらしい。うんざりしながら渋谷まで歩くとここもすごい人だかり。すっかり主婦のようになってしまった彼女は3時ごろに帰るというのでそこで別れ、丸の内に新しく出来たOAZOに行ってみた。1階から4階まで本屋だ。大きい本屋だからといって圧倒的に種類が多いわけではなく平積みが多い。これは見やすくて良い。通りから直接歩いてこれる1階にビジネス書や資格マニュアルが置かれているのは丸の内という場所柄なのだろうか(普通1階は雑誌とかじゃないかなぁ)。書店にも個性があって面白い。あれこれと手に取って見ていたらあっというまに日が暮れてしまい、おなかが空いたので足早に家に戻った。


2004年09月17日(金) おいしい を つくるもの

先日、素敵な表紙に吸い込まれるようにして衝動買いした"おいしい を つくるもの"という本。三重県鈴鹿の関町という場所にある"而今禾"というギャラリー兼カフェの器やレシピ、食に対する精神が盛り込まれている。凛とした和の風景の中に温もりのある器と食事。

物を大事に、食べものに敬意を、季節を感じて、時間を大切に、

基本だけれど忙しい日本社会が忘れがちなことを教えてくれるような素敵な本だ。いつかこのカフェを訪れてみたいな。


2004年09月16日(木) 悲しい夢ときれいな秋晴れ

気候が急に涼しくなって昨日は夜中に寒さで一度目を覚ました。それからまたうとうとと眠り始めたら、久々に夢を見た。すごく悲しい夢で、一番悲しいところで目が覚めた。夢だけれど現実だった。受け止めたくなかった現実をほら、見てみろっと突き出される夢だった。目が覚めてもそれが完全な夢ではなく変えようのない事実が現実のわたしの世界にあるので救いようがない。どたばたと忙しく朝の身支度をして会社に着いてちょっと落ち着いたらまた夢の悲しみが甦ってきた。朝から隣のビルにいるマネージャーに呼び出されていたので外にでてみると風がひんやりしていてきれいな秋晴れで空も夏よりも青くなった。ぼんやり歩いていると隣のビルの1Fにあるトラベルエージェンシーの前に飾られたきれいな2枚の写真に吸い込まれるような錯覚をおこし立ち止まった。アテネの町から見上げたパルテノン神殿とトロント郊外の紅葉。それをビルの隙間で眺めるわたし。自分の居るべき場所はどこなのだろう。わたしは居場所を探して彷徨うジプシーのような気持ちになる。

午前中はぼんやり悲しい夢を思い出して過ぎていった。午後になって、いつも人に話すと冗談だと思われて笑われてしまう話をパートナーにしたら、彼女は笑わず聞いてくれたので少し元気がでた。この人は口数が少ない分、人をよく見ているのかもしれない。


2004年09月15日(水) 見苦しい

元チェッカーズ、なんだか見苦しい。芸能人の暴露話でいつでも見苦しいのは暴露される側じゃなくてしているほう。「小柳ルミ子の離婚」以上の見苦しさ。どんなに芸能人がテレビで気に入らない人間の醜態を暴露しようと、わたしのような一般人にはそれが本当かなんてわからないので、とりあえずは人の暴露話なんかしている人の人間性を疑って哀れんでそれで終わり。


2004年09月12日(日) 丸ビルへ行く

丸ビル初体験。ちょっと目を離した隙に東京はずんずんわたしを置いていく。とりあえずはタイレストランで腹ごしらえをしてざっとお店を見てまわった。これといって普通のビルだな。丸善を見つけて入ってみた。品揃えはかなり好み。わたしが住んでいる町にも同じくらいの大きさ(いや、もっと大きい)の書店はいくつかあるのに、マンガが面積の半分埋めている(マンガの需要が高い町なのだ、きっと。。。)。あぁ、わたしの町にもこんな垢抜けた品揃えの書店があればいいのにな(間違いなく流行らないだろうけど)。


2004年09月08日(水) 愛という名の報復

辻仁成の「目下の恋人」という短編集より"愛という名の報復"という話。

アメリカの同時多発テロのニュースを30年連れ添った妻とカウチで見ている男の元に20年連れ添った愛人が駆け込んで来て一揆に世界貿易センターのようにこの男の平和だった生活も崩れていく。男は妻がでていった後、静かに植物に水をやり、植物と妻との思い出に話しかけ続けた。そんな男の人生と冷静さを欠いて取り返しのつかない次元に踏み込んでしまったイラク戦争が平行して書かれている。そして静かに孤独に10年かかってこの男は平和(30年連れ添った妻が隣にいる生活)を取り戻した。

久々に早く仕事が終わり、家に着いてシャワーを浴びてテレビをつけるとイラクで亡くなった米兵と米国内の市民の声、ラムズフェルドやブッシュの演説を流していた。あぁ、テレビが放送する市民の声と"市民が選んだはず"のブッシュの決断がいつも一致しないのは何故だろう。「兵士の死を無駄にしないように。。。」なんて。。。そもそも無駄死なのよ。


2004年09月06日(月) 仕事中の遠足

気だるい午後に視察の為同僚と3人バスに乗って外出した。今日は天気も良好。同年代の同僚と数年ぶりに乗るバスに小学校の遠足のような気分になってわくわくしたがすぐに現地に到着。商品の陳列のされ方や見栄えなどをチェック。自分が作り出したものに実際中身が入って大量に並んでいる風景にはちょっと感動してしまう。「あぁこれは手こずったな」とか「これやってた時には大事件が発生したよな」とかほんの1ヶ月くらい前の思い出が甦ってきて3人で製品を手にとっては「あ〜!**さ〜ん」と製品担当者の名前を叫び、奇妙な雄叫びをあげた(相当怪しい客だ)。8月に退社したわたしのパートナーも辞めた後に自分の仕事の出来映えを目にして感動しているか、強烈労働の思い出が甦って吐き気がしているかどちらかだろう。

秋にダーっと発売されるチョコ菓子にも興味津々で(労働外)沢山買い込んでしまった。やっぱりわたし達遠足気分だ。

そしてまたバスに乗って会社に戻った。しかし、最近のバスはアイドリングストップバスらしい。信号で止まるときにエンストしてる!なんて思っていたら最近そんなのが常識だそうだ。


2004年09月03日(金) 職場のパートナー

9月に入って職場でのパートナーが変わった。彼女は人に対する気遣いも仕事のやり方もとても繊細で、芯が強そうだけれど表面的には人と対立するようなことは好まなそうだ。わたしは仕事はけっこう大雑把、自我が強くて物事をはっきりと言わないと気がすまない。自分がやるべき仕事の中でとりかかれる状態にあるものは残業してでも100パーセント処理しているけれど、とりかかれないもの、例えば資料が揃えられていない、情報がどこかで留められている物に関しては催促しなければきちんと期限内に資料をださないのは切羽詰っていない証拠だと見なして放っておく。発売日に間に合わなくて困るのはわたしではないので彼らは自分で自分の首を絞めているようなものなのだ。大体、忙しさのせいかいい加減なところが多いので構いきれないのが現状なのだ。忘れているかもしれないので一度は親切に催促の電話を入れるけれど、それ以上は知らん顔をすることにしている。そして昨日そうやって放っておいた仕事についてパートナーにちょっと咎められ「それはマズイよ。もう一回催促の電話してさぁ。。。」などと言われたが、「嫌です。"催促"はわたしの仕事ではありません。」ときっぱり断って帰ってきてしまった。

普段はおとなしいわたしが強い口調で跳ね除けたので周囲は驚いてしまったのか、今日の朝来るとマネージャーがわたしに押し付けた仕事(本来彼がやるべきこと)を彼自身がこなしてあり、パートナーも昨日の件には触れずに、それでもいつやるのかと窺われているような気配を感じた。そんな心配性な彼女が気の毒になってしまい、「もう2度とこんなことやらないから!」と心の中で叫びながら午後からしつこく催促の電話を入れ、夕方に発売に向けてあらゆることが動き出し、彼女は隣で胸を撫で下ろしていた。責任を被りすぎるパートナーにいらついていたのだけれど、夕方になって彼女がわたしが担当することになってしまった「ハム」をわたしがベジタリアンなことを知ってそっと代わってくれたことを知り、世の中は自分と同じ意志や性格を持った人ばかりではないのだ、社会にでたら人との調和もある程度考えなければと少し反省した。


2004年09月01日(水) Autumn,2004

会社で秋から売り出される新製品の見本市を眺めに行った。この会社ではありとあらゆる商品を開発しているので自分が普段は見ることのないような物も手にとってみる。製品を通して日本のトレンドが見えるようで興味深い。色とりどりのランドセル(わたしの時代は2色しかなかったのに)には防犯ベルがセットになっていたり、(その会社の精神レベルは怪しくとも)「環境に良い」ことをうたうのは今の時代は当たり前のようだ。環境に優しいことを前面にだしているこの会社の毛皮はもちろんフェイクだがよく出来ていて、こんなリアルな見た目の毛皮を欧米で身につけたら卵でもぶつけられそうで恐い。しかしこんな技術があるのだからもうわざわざ動物を殺さなくてもいいじゃないか!といいたい。そして食品コーナーへ。今世の中は「イソフラボン」「にがり」とかそんな言葉に弱いらしくとってつけたようにそんな言葉を製品の前面に出している。しかし「健康に良い大豆タンパク質」に飛びつく人達が増えている一方でやはり肉も衰えない。今はやっぱりオージービーフ。安全をうたってオーストラリアの大自然ですくすく育った牛が流行。肉の展示スペースの脇に置かれたAUSの大自然の写真の中にいる牛の漆黒の可愛らしい目を見て、いつになったら牛さん達が救われる日が来るのだろう。。。。と溜息をついた。


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