My life as a cat
My life as a cat
DiaryINDEXpastwill


2004年08月28日(土) しとしと雨の土曜日

しとしと雨の午後、電車に乗って、帯の「泣くかもしれない。でもじわじわと力が沸いてくる」なんていうコピーに惹きつけられて選んだ「友がみな我よりえらく見える日は」という本を読みながら銀座へ出かけた。ホームレスとか容姿がどうしようもなく醜い女性とか失明した人とかそんな傍目に幸せとは言い難い状況の中にいるそれぞれの物語の主人公が自分なりの道を懸命に探す姿は良いけれど、現在自分が置かれている場所との土台が違い過ぎて、あまり力が沸いてこなかった。

銀座で先週にチェックしておいた和食器を手に入れてからウインドウショッピングをして歩いた。ほどよい大きさで見やすい銀座の書店にも寄って思う存分本を探索してお気に入りの赤い傘をさして家路に着いた。


2004年08月27日(金) パーティ三昧

外資系は「パーティ好き」。何かにつけて会社で食べ物を出してくれてパーティを開く。今日のランチも送別&歓迎会ということで会社持ちで昼からヘビーな物を頂いた。

そして夕方からまたチームの歓送迎会へ繰り出した。今週はもう飲みすぎでかなりきつかったのだけれど、退社するのは死にもの狂いで働いたわたしのパートナーだったので彼女を労う気持ちでわたしも死にもの狂いで(?)参加した。この会には普段あまり親密に関わることもない、隣のビルのマネージャー連中も一緒だったので、この会社のことについてさぐってみるとけっこう面白かった。わたしがビジネス英会話を少し勉強したときにその例文などを見て「こんな激しいビジネスシーンが日本の一般サラリーマンの世界に存在するのか?」と思ったが、あるようだ。

しかし、豆腐が自慢の店で行われたこの会、食事に一切れも肉が入っていなくてとてもヘルシー。マネージャー達がみんな40代だからなのか。わたしには嬉しい限りだ。


2004年08月26日(木) 愉快な晩餐

同僚が今月で退社するので気の合う仲間5人イタリアンレストランへお別れ会。このメンバーはいつもくだらない冗談ばかり言っていて笑いが止まらない。白ワインを片手にお腹を抱えて笑った。しかしつくづく女の子の観察力って鋭くて時に残酷。取引先の束で鼻毛が飛び出した男なんて「鼻束」と命名されていた。

盛り上がっていたせいかわたしは随分飲んでしまい「飲み放題で絶対元を取れるタイプだね」と笑われ、「いや、酔ってないよ。電車で帰れるよ」と反抗したのに一滴も飲まなかった同僚の車に押し込まれ家路に着いた。


2004年08月25日(水) 伊那谷道中

朝起きると、綺麗に晴れ渡っていて山の上のほうまで見渡せる。もう一度露天風呂に浸かった。「あぁ幸せ」昨夜からこの一言につきる。朝食はバイキング。この人々をだらしなく食べさせてしまうようなシステムがあまり好きではないけれど、ここのは感動的に美味しかった。このホテルまた来たいな。

そして伊那谷道中というこの辺りの文化をあれこれ展示しているようなところへ寄って帰路に着くことになった。ここはシルク(養蚕業)が有名なようだ。着物、化粧品、あらゆるシルク製品の販売もしていた。ハンドクリームのサンプルを手に塗っていたらお店の人がやってきてあれこれ話し始めた。そこで卵を産んだら4,5日後に死んでしまう成虫の蚕のことや養蚕業の一般的な流れを知った。つくづく人間ってあらゆることで娯楽の為に他の生命を犠牲にきたのだな。ただでさえ蚕の生涯は短いのに可哀そう。「繭を取る為に取り出した幼虫は煮て食べるんですよ。栄養満点なんです」とにこやかに説明するこの女性から逃げるように後ずさりしてトイレに駆け込んで手を洗った。


2004年08月24日(火) 長野へ温泉旅行

家族と親戚でのお盆過ぎの一泊旅行は毎年恒例。わたしは3年ぶりの参加となった。夜中の3時に起こされて、急いで下着と本だけリュックに突っ込み引きずられるように出発。

この御一行は何故かとても食欲旺盛。朝の6時にパーキングエリアでしっかり朝ごはんを食べていた。カフェオレを飲んでボーっとそれを眺めた。

中央高速は山に囲まれて空気が美味しい。そんなところを車で走るのは本当に申し訳ないと思ってしまう。

昼前に駒ヶ根の千畳敷に着いた。そこからバスで険しく細い山道をくねくね登り、ロープウェイ乗り場まで行く。上まで登ると辺りは霧に包まれていて何も見えなくてしかもすごく寒かった。山の天気は変わりやすいので昼食を食べながら晴れるのを待った。が晴れる気配なし。あきらめて下りることにした。残念。

この辺りはこれ以外にはあまりやることがないのだそうで、ホテルに行くまでの暇つぶしでトトロが出てきそうな大きな木に囲まれた光前寺というお寺に行った。わたしは写真を撮るのに夢中になっていてみんなに置いていかれて、そのうちどしゃ降りの雨に見舞われた。

面倒くさがりやの叔父が適当に予約を入れたという宿は素晴らしかった。景色、食事、温泉、サービス、部屋、プライス、全てパーフェクト。みんな大満足。千畳敷で何も見えなかった分、ホテルをミスらなくて良かった。露天風呂にゆっくり浸かり、美味しい料理と日本酒、あぁ極楽。


2004年08月21日(土) 波の音の聞きに

近所に住む馴染みの友達と隠れ家のようなアジアン・カフェへ。彼がドライバーなので健全にベトナミーズ・コーヒーなんかを飲んで、ナシゴレンや生春巻きを食べた。最近気になっていたある「あまりにも情熱のない男性の話」を誰かに聞いてもらいたかったので話してみると彼が「それはちょっと情熱ないね」と賛同してくれたことで安心を得た。「そんなもんだよ」と冷たく言われたらちょっと世の中がダークに見えたに違いない。

食後のドライブは山道を抜けて太平洋へ。こちらは夜景も何も見えないけれどまた東京湾側とは違った良さがある。この道を通って夜に海へ行くなんて何年ぶりだろう。太平洋の目の前に車を停めて降りると潮の匂いが鼻下を通過し、暗闇に波の音だけがしている。彼とは結構長い付き合いでお互いにもっと体力や時間があった頃はこんな夜のドライブもしたなぁなんて懐かしかった。年も同じで一緒に成長したような感があって、帰りの車の中でしみじみ「お互いの28歳が幸せでよかったよねぇ」と言いながら、もっと色々なことがうまく行かなくて悩んでもがいたお互いの若い頃を思い出してしまった。


2004年08月20日(金) プチ失恋

職場の同僚である彼女はわたしと同じ28歳で「綺麗なお姉さん」のCM系統の顔立ちの美人である。性格は見た目と裏腹にきっぱり、さっぱりしている。そして只今BF大募集中でクライアントや出入りする業者、ここの社員など、一応周囲を見回しているようなのだけれど、なかなか素敵な人にめぐり合えないらしい。電話でやりとりしている業者の男性の素敵な声に淡い期待を抱いては、打ち合わせにでかけ落胆して帰ってくる。今日も隣でまだ見ぬ業者の男性との電話を切りながら「声はダンディなオジサマなのに。。。。。言ってることは支離滅裂なのよね。。。」と悲しそうにつぶやいていた。忙しい仕事の合間を縫ってぶつぶつといいながら男性を物色する彼女が早く良い人を見つけられたらいいなと思う反面、もうちょっと笑えるプチ失恋話を聞いていたいような気もする。


2004年08月19日(木) 愛情生活

仕事帰り、まずまずの混み具合の電車の中でシートに座って目をつぶってうとうとしていた。この電車は会社帰りといった雰囲気の人が大半で、本を読んでいるか寝ている人ばかりなので静かなのだ。だから誰かが何かを話すと嫌でもみんなに聞こえてしまう。ふと若い男女2人の会話が耳に入ってきた。彼らはただの友達らしい。そして女の子にはつい最近できたばかりのBFがいるらしく、そのBFとのちょっと(いや、けっこう)Hな愛情生活の一部始終を幸せそうに語っているのだ。男の子はちょっと引きながらも一生懸命聞いてあげている。思わず目を開けて女の子の顔を見てみた。20代前半というところだろうか、幼い顔をした化粧気のない子だった。周囲を見るとみんな本を読んだり寝たフリをしながらちらちらとこの子を盗み見ている。これといって何もない電車の中に彼女がちょっとした刺激を運んだことは確かだ。耳を塞ぎたくなるようなえげつない話ではなかったけれど、そんな話をこの静かな電車で嬉しそうに出来るのは何も見えなくなるほど幸せの渦中にいるに違いない。お幸せに〜なんて心の中でつぶやいてまた目をつぶった。


2004年08月18日(水) オジサン&オバサン

会社の中年男性が「この間電車の中であなたを見かけましたよ」と言う。「声かけてくださればよかったのに」と言ったら顔を赤らめながら「恥ずかしかったので遠目で見てました」と言う。

昼間にお弁当を食べる場所はとても明るく光が差し込む場所。それなのに!いつもそこに来る別の会社の中年女性は、自分の場所だけどころかフロア中に煌々と電気をつける。眩しい。「迷惑だわ。。。」とぶつぶつ言うと、横から同僚が「きっとオバチャンは自分ちで節約してるからタダの物は使わなきゃ損だと思ってるんだよ」と言った。

社会にでてからつくづく、オジサンは小さくオバサンは強いと感じる。電車の中だってスーツ姿の疲れ顔で立ち尽くすのはオジサン、いかにも遊び帰りという服装でシートに座って大声で笑っているのはオバサン。女性は子供を産むと強くなるというけれどホントそうなんだ。と他人事のように言っているけれど、先日わたしも「わたしオバサンじゃん!」と感じてしまったことがあった。友達からの預かり物をまだ高校生の友達の弟が取りに来たのだ。サンダルをつっかけて玄関先に出て初めて見る彼らに「お兄ちゃんにそっくりだね」と言うと顔を赤らめて逃げるように帰ろうとする。相手が恥ずかしがっているのだからそこでやめればいいのに、思わずサンダルのまま追いかけていって「学校もう終ったの?」とか「お兄ちゃんによろしくね」とか言ったのだった。ペコペコ頭をさげて足早に車で去られた後、残された自分の姿に気付いてショックを受けた。恥ずかしがる若い男の子に平然と話しかけられるようになったらオバチャンだと思っていたのにまさに自分がそれだった。


2004年08月15日(日) ジョゼと虎と魚たち

老婆がひく乳母車に乗って散歩をする足の不自由なジョゼという女の子と普通の大学生の男の子が出会って恋に落ちてゆくお話。こんなよくありがちな。。。と思いきや、ここからがリアルな生身の人間が描かれていてよかった。若さゆえに夢中になって愛を誓ってみても身体障害者の女の子、しかも所詮は他人と一生やっていくなんてそう簡単ではない。彼女と暮らした部屋を出て、歩きながら泣いてしまうこの普通の男の子と、もう乳母車ではなく電動の車椅子に乗って一人で歩き出さなければならなかったジョゼの姿がなんとも切なかった。この映画にでてくる人間はみんなご立派ではない。「福祉関係の仕事について人助けを、、」などと語っていたのに身障者に恋人を奪われた途端に顔色の変わってしまう女の子とか。でも人間ってそんなもの。そんなところが面白い映画だった。


2004年08月14日(土) Rue Des Plaisirs

パトリス・ルコントのRue Des Plaisirs(邦題 "歓楽通り")を観た。母親は娼婦、父親はその客で娼婦に囲まれて育ったプチルイという男のマリオンという娼婦への一途な愛のお話。危険な橋渡りをしている男を愛してしまったマリオンとその男を見守り続け、3人で人生を共にするという普通ではない愛の形。こんな危険な男より優しくて一途に愛してくれるプチルイのほうがよほど良いのにと思う反面、奪い取ってもくれないプチルイの頼りなさ(よく言えば意志を尊重してくれるところ)にいらついた。

しかし、パトリス・ルコントの映画にでてくる女性はいつも魅力的でそれだけで良い。


2004年08月13日(金) Tokyo

多くの人が休暇に入ってしまい閑散とした職場へ朝だけ顔を出し、お盆前には片付けなければならなかった仕事を携えてジタバタと走り回った。かなりてこずった件だっただけにお偉い人の承認印がピッと押された瞬間は達成感に満たされた。

そして午後は早退してレントゲンのために病院へ。久々に降りた恵比寿の西口はとても発展していた。10年前はこんな駅ビルなかったのにな。代官山へ向かってトコトコと小道を歩いて在日外国人の為にあるようなその豪大使館指定の病院へ向かった。ここでもまたこんなに時間をかけて来たのにレントゲンは1分で終わった。清算まで待合室で座っていた。手持ち無沙汰でふとその辺にあった雑誌やフリーペーパーを眺めているとその内容は随分と偏っていて動物愛護や自然保護のものばかりだということに気付いた。英文で書かれたボランティア募集などもあって日本という彼らにとっての外国に住みながらもそうやって活動している外国人達がいることが窺えた。こんなビルばかりの大都会にいると破壊されてゆく自然も殺されてゆく動物達も餓えで死んでゆく子供達もどこか遠い遠い場所での出来事に感じてしまう。それでもここでそうやって活動する人たちがいることに心が救われる。

せっかく金曜の夜だし、家に帰っても今日は家族はいないので一人散歩がてらに夕飯でも食べて帰ることにした。恵比寿の駅ビルをざっと歩いてちょうど良い大きさの本屋さんを見つけてしまったが最後。そこで1時間半近く本を漁って気付いたら大量に購入していていた。すぐ近くのちょっと洒落た定食屋さんのようなところで買ったばかりの本を眺めながら夕飯を取り、腹ごなしにふと思いつきで懐かしい街に向かってみようと地下鉄に乗りそこに降り立った。購入してしまった重い本を抱えて歩いたのですぐに足が痛くなってしまったけれど東京を歩くのはとても好き。旅行が好きで色々な国の都市を訪れたけれど東京ほど見ても見ても見切れないほど色々な物がちょこまかとあってちょっと知って得意気になっているとすぐに変わってしまう、永久に知り尽くすことが出来ないような都市はなかったように思う。パースに帰るまでに沢山東京を散歩して2004年の東京のほんのひとかけらを記憶に刻み付けておこう。


2004年08月12日(木) 初めての豪大使館

シドニーの移民局からレントゲンを撮って送るようにと連絡が来た。ここまで来たらあとは健康であればビザはゲットしたようなものだ。が、これがまた厄介で豪大使館まで出向いて指定用紙を入手して、それから指定病院まで行かなければならない。この豪大使館というのが良い噂を聞かず、実際わたしも以前他のビザを取得した時はお世辞にも親切とは言い難い雰囲気だった。気が重いが仕方ない、朝の3時間しかオープンしない窓口へ半休を取って出向いた。気の重い雑用だが、地下鉄を乗り継いで降りたことのない駅で降りるのは楽しい。麻布十番の駅で降りるとお盆前だからなのか閑散としていてイメージしていた街とは違うものに見えた。とことこと歩いてすぐに大使館を見つけ入り口でバッグの中身を全部見られて中に入った。査証課でたった一人佇んでいたインド人男性と喋りながら待った。食べ物の話になって「わたしはベジタリアンだからインド料理屋は食べられる物が沢山あるから便利」と言ったらまた"インド人もビックリ"で「何でベジタリアンなの?日本人なのに!!」と言われた。「わたし動物好きだから」と答えたら君はインド人みたいだ!と賞賛?された。すぐに順番が来て窓口で用紙が欲しいのですがというと「はい」とあっさり渡され、こんなに時間をかけて来たのにまさか5秒で終わるとは、と気が抜けてしまった。適当にランチを食べて仕事に戻ろうと思っていたら先程のインド人がこれからすぐ近くの知人が経営してるインド料理レストランに行くんだけど一緒にどうかと言われ、知らない人に着いていくのはどうかと思いつつもまぁいいかと着いて行ってしまった。こじんまりした佇まいながらもわたし達の後にぞくぞくと人が入ってきて、しまいには人が並び出したそのレストランの豆カレーと焼きたてアツアツのナンはとても美味しかった。インドのテレビ番組では洪水のニュースがやっていてそれを見ながら無言でもくもくと食べた。インドの一方では旱魃で苦しむ人々がいるのに一方ではこうやって洪水で死んで行く人がいるのだそうだ。

会社に帰り、インド人とランチをとったと話すと何故かみんなに「あなたらしい」と笑われた。食べ過ぎたナンがなかなかお腹から消えず午後からの仕事は眠気で倒れそうだった。


2004年08月10日(火) こんがり焼けたアイツ

女性のみざっと40人のこの部署に新しく男性が一人、しかもアシスタントとして入るという。彼が来る前からちょっとした話題になっていた。司法試験の為に勉強中なので短期のお小遣い稼ぎというところらしいので彼的にもあまり選ばなかったのに違いない。アシスタントの仕事というのはコピーをとったりという雑用なので日中頭を使わずに、その人の脳の働きが低下して司法試験に落ちてしまうのではとか、いくら男女雇用機会均等法などといえ、若い女性に使われることに耐えられるかなどとみんな心配していた。そしてその本人が今日ご登場。これが想像とかけ離れていてちょっと面食らった。みんな同じ事を思ったに違いない。背がとても高くてスタイルがよく、こんがり日焼けしていて茶髪。街ですれ違って職業を当ててくださいと言われたら「ホスト」と以外答えようのない雰囲気の男の子だった。が、とても素直そうな人でランチもちゃんとみんなと仲良く女性陣の輪に入って食べていた。みんな「あんな図体のデカイ男に"コピー1枚とって"とかちょっと頼みにくい」と言いつつも「美白が命」の女性陣は隣のビルにお遣いに行くのがあまり好きではないのでしっかり「既にこんがり焼けたアイツに行ってもらおう」と企んでいるのだった。


2004年08月08日(日) それはあっというまの出来事

パースのわたし達の家の隣に住むダニエラは50代くらいのキャリアウーマンで一人植物に囲まれて暮らしていて、休日になる彼女より少し年上っぽい男性が大きな大きな車でやってきてよく2人で庭いじりを楽しんでいた。わたし達はたまに「あれはBFなのか親戚か何かなのかな」と話したけれどそんなプライベートなことを聞くわけにもいかず知らないままだった。この男性の英語は本当に激しいオージー訛り(方言)で半分も理解できなくて、断然英語の堪能なマーティンは「あの人の言葉使いはすごいよ。会社でも聞いたことが無いよ」と苦笑いしていた。彼はもうリタイアしたのか、平日の昼間も庭いじりをしていることがあったのでわたしはたまに庭にでていって彼の周りをうろつき、暇つぶしに英会話の練習をしたりした。いつも泥んこになっていてブッシュを走り回って育ったのではないかとイメージさせるような素朴ないいおじさんだった。

その彼を日本に帰る3ヶ月前くらいから見かけなくり「最近見ないね」と話していた。が、今日3月に彼が亡くなっていたことを知らされた。そして彼はダニエラのベストフレンドだったということも。何か石のようなものを動かしている最中に頭上から何かが落ちてきてそれで頭を打って亡くなったという。それはあっというまの出来事。ある日突然やってくる。大切な人が突然自分の前から消えてしまう切なさを思って、今日はマーティンが前から欲しがっていたのに面倒くさがって送らなかった写真を送ってあげた。


2004年08月06日(金) 日本初のベジタリアン

世間は楽しい金曜の夜もここの会社はフル活動。最近就任したばかりのインド人マネージャーがやってきて「夕飯何かとろうか」と言う。彼はちょっと体格の良い人で彼が選ぶと大抵結構ヘビーな物がやってくるのだ。そして今日は**のステーキ屋の。。。などという声が聞こえてきて、どうやら有名なところのようでみんな「わー食べたい!」などと言っている。どうしよう、心臓ばくばく。結局そこのステーキ屋さんのハンバーガーということで話がまとまってしまった。チキンorビーフらしい。「あのわたしは結構です」と言うとマネージャーが「何で!!」と聞くので「わたしベジタリアンなので」と言うととても驚かれた。「日本初のベジタリアンじゃない?」いや、、、そんなことはないけど、確かに普通に生活してたら見かけないね。が、彼はさすがインド人。「僕も10年間ベジタリアンだったんだよ」と言うので「宗教的な理由かなにかですか?」と聞くと「ううん、ただそうしたかっただけ」と言っていた。止めた理由を聞いてみたかったけれど、「うちの子供が」などとよく話していたのでなんとなく結婚とかが理由なのかなと想像した。結局男勝りで強引な性格の女性マネージャーがそこのステーキ屋に電話してあるか無いかも聞かず「あとベジタリアンバーガー一つね。 え? 無いの?でも肉食べられないのよ!」などとやり取りしていた。念のためベジバーガーを2つオーダーしたようだった。結局わたしには無理矢理作り出したに違いないシーザーサラダを挟んだだけのバーガーがやってきた。マネージャーがアメリカからヘルプで来ているデザイナーの女性に「ハンバーガーどう?」とすすめるとあっさり「わたし朝ジョギングしたのよ。ハンバーガーは食べられないわ」と言う。そこでもう一つのベジバーガーのご登場。「それなら食べる」と言って持って帰った。


2004年08月05日(木) ビルの隙間の蝉の声

友達の結婚式へ行くと言って2日仕事を休んだわたしのパートナー(仕事の)が出社するなりわたしにアツい決意を語った。

"わたしもう決めたんです!"
"え?何を?"
"もう絶対に終電で帰ります!"
"え?"
"どんなに仕事が沢山あろうと、わたしは絶対終電で帰りますから!"
"えっ、えぇ。。。そうしたほうがいいですよ"

かなり引いていると

"ミケリーナさんも結構担当増えてきたしこれからきっと残業増えるんでしょうけど終電で帰ったほうがいいですよ"

えっええーーー!終電って。。。。死んじゃうよ、わたし。。。ここの会社の人達は感覚麻痺しているに違いない。

寝ても疲れが完全にとれないだるい体を引きずってお昼にビルの隙間を歩いていたらふと蝉の声に気付いた。ビルの庭に植えられた木にとまって鳴いていた。こんなビルの隙間でも生きられるんだー。ふとラジオ体操や駄菓子屋でラムネを飲んで過ごしたかれこれ20年前くらいの夏休みを思い出して大人になるって大変なのねと今更実感した。


2004年08月03日(火) 入籍しない不便

つくづく感じた日本とオーストラリアの違い。それは結婚していないカップルの社会的な認容度。オーストラリアでは籍など入っていなくても不都合などなくて"彼がここにいるからわたしもいるのだ"ということができるし、プライベートな保険でも彼の保険にわたしの名前を添付することができる。ところが日本に帰ってみると不便が多く"ここでわたしと彼が入籍していればあっさり説明できてあっさり事が片付くのに"と何度思ったことか。

仕事の合間にやるあらゆることの手続きに手を焼いて疲れ果てた残業中、フリスクでも買おうとコンビニに行ってみると"ユーカリ味"があった。口にフリスクを放り込むとユーカリの匂いに包まれたパースの夜の散歩道が甦って人生の回り道のようだった日々が恋しかった。


2004年08月01日(日) 七夕祭り

家からドライブがてら1時間弱車で走った町で開かれる七夕祭りへ妹と我が家によく来て弟のようになってしまった男の子と3人で出かけることになった。彼が車で迎えにくる30分前に浴衣を着ることを決意し、じたばたと走り回った。わたしは紺色の浴衣と朱色の帯で年相応、妹はイチゴ柄のピンクの浴衣とイチゴのヘタのような緑色の帯で年相応ではないけれど、幼稚気味な妹によく似合う。庭で黒猫ミュンを抱っこして2人+1匹で写真を数枚撮って母親がドライブの友にと買ってきてくれたポテトチップスを抱えて出発。"おねえちゃん、どうして今頃七夕祭りなの?""天の川は7月より8月のほうが実はよく見えるんだって。だからじゃない?"などと話しながら、山道をことことと走りぬけるとだんだんと浴衣を着た人がちらほら歩くのが見えるようになってきた。駐車する場所を探すのもなんだか夏休みの風物詩っぽい。車を降りて小さな川にかかった橋を渡るとそこからだーっと露店が並んでいる。このお祭りに来るのは子供の時以来でその頃は歩くのもままならないくらい多くの人がいて、両親に手を引かれて夢中で歩いた。大人になって来てみると子供の頃に感じたほど大きなお祭りではなかった。露店を覗きながらひたすら他愛ない会話をし歩きまわった。来年の夏はどこにいるのかわからない自分を思うと花火が散って消える瞬間のようにほんのり切ない日本の夏をめいいっぱい感じておきたかった。


Michelina |MAIL