My life as a cat DiaryINDEX|past|will
しとしと雨の午後、電車に乗って、帯の「泣くかもしれない。でもじわじわと力が沸いてくる」なんていうコピーに惹きつけられて選んだ「友がみな我よりえらく見える日は」という本を読みながら銀座へ出かけた。ホームレスとか容姿がどうしようもなく醜い女性とか失明した人とかそんな傍目に幸せとは言い難い状況の中にいるそれぞれの物語の主人公が自分なりの道を懸命に探す姿は良いけれど、現在自分が置かれている場所との土台が違い過ぎて、あまり力が沸いてこなかった。
外資系は「パーティ好き」。何かにつけて会社で食べ物を出してくれてパーティを開く。今日のランチも送別&歓迎会ということで会社持ちで昼からヘビーな物を頂いた。
同僚が今月で退社するので気の合う仲間5人イタリアンレストランへお別れ会。このメンバーはいつもくだらない冗談ばかり言っていて笑いが止まらない。白ワインを片手にお腹を抱えて笑った。しかしつくづく女の子の観察力って鋭くて時に残酷。取引先の束で鼻毛が飛び出した男なんて「鼻束」と命名されていた。
朝起きると、綺麗に晴れ渡っていて山の上のほうまで見渡せる。もう一度露天風呂に浸かった。「あぁ幸せ」昨夜からこの一言につきる。朝食はバイキング。この人々をだらしなく食べさせてしまうようなシステムがあまり好きではないけれど、ここのは感動的に美味しかった。このホテルまた来たいな。
家族と親戚でのお盆過ぎの一泊旅行は毎年恒例。わたしは3年ぶりの参加となった。夜中の3時に起こされて、急いで下着と本だけリュックに突っ込み引きずられるように出発。
近所に住む馴染みの友達と隠れ家のようなアジアン・カフェへ。彼がドライバーなので健全にベトナミーズ・コーヒーなんかを飲んで、ナシゴレンや生春巻きを食べた。最近気になっていたある「あまりにも情熱のない男性の話」を誰かに聞いてもらいたかったので話してみると彼が「それはちょっと情熱ないね」と賛同してくれたことで安心を得た。「そんなもんだよ」と冷たく言われたらちょっと世の中がダークに見えたに違いない。
職場の同僚である彼女はわたしと同じ28歳で「綺麗なお姉さん」のCM系統の顔立ちの美人である。性格は見た目と裏腹にきっぱり、さっぱりしている。そして只今BF大募集中でクライアントや出入りする業者、ここの社員など、一応周囲を見回しているようなのだけれど、なかなか素敵な人にめぐり合えないらしい。電話でやりとりしている業者の男性の素敵な声に淡い期待を抱いては、打ち合わせにでかけ落胆して帰ってくる。今日も隣でまだ見ぬ業者の男性との電話を切りながら「声はダンディなオジサマなのに。。。。。言ってることは支離滅裂なのよね。。。」と悲しそうにつぶやいていた。忙しい仕事の合間を縫ってぶつぶつといいながら男性を物色する彼女が早く良い人を見つけられたらいいなと思う反面、もうちょっと笑えるプチ失恋話を聞いていたいような気もする。
仕事帰り、まずまずの混み具合の電車の中でシートに座って目をつぶってうとうとしていた。この電車は会社帰りといった雰囲気の人が大半で、本を読んでいるか寝ている人ばかりなので静かなのだ。だから誰かが何かを話すと嫌でもみんなに聞こえてしまう。ふと若い男女2人の会話が耳に入ってきた。彼らはただの友達らしい。そして女の子にはつい最近できたばかりのBFがいるらしく、そのBFとのちょっと(いや、けっこう)Hな愛情生活の一部始終を幸せそうに語っているのだ。男の子はちょっと引きながらも一生懸命聞いてあげている。思わず目を開けて女の子の顔を見てみた。20代前半というところだろうか、幼い顔をした化粧気のない子だった。周囲を見るとみんな本を読んだり寝たフリをしながらちらちらとこの子を盗み見ている。これといって何もない電車の中に彼女がちょっとした刺激を運んだことは確かだ。耳を塞ぎたくなるようなえげつない話ではなかったけれど、そんな話をこの静かな電車で嬉しそうに出来るのは何も見えなくなるほど幸せの渦中にいるに違いない。お幸せに〜なんて心の中でつぶやいてまた目をつぶった。
会社の中年男性が「この間電車の中であなたを見かけましたよ」と言う。「声かけてくださればよかったのに」と言ったら顔を赤らめながら「恥ずかしかったので遠目で見てました」と言う。
老婆がひく乳母車に乗って散歩をする足の不自由なジョゼという女の子と普通の大学生の男の子が出会って恋に落ちてゆくお話。こんなよくありがちな。。。と思いきや、ここからがリアルな生身の人間が描かれていてよかった。若さゆえに夢中になって愛を誓ってみても身体障害者の女の子、しかも所詮は他人と一生やっていくなんてそう簡単ではない。彼女と暮らした部屋を出て、歩きながら泣いてしまうこの普通の男の子と、もう乳母車ではなく電動の車椅子に乗って一人で歩き出さなければならなかったジョゼの姿がなんとも切なかった。この映画にでてくる人間はみんなご立派ではない。「福祉関係の仕事について人助けを、、」などと語っていたのに身障者に恋人を奪われた途端に顔色の変わってしまう女の子とか。でも人間ってそんなもの。そんなところが面白い映画だった。
パトリス・ルコントのRue Des Plaisirs(邦題 "歓楽通り")を観た。母親は娼婦、父親はその客で娼婦に囲まれて育ったプチルイという男のマリオンという娼婦への一途な愛のお話。危険な橋渡りをしている男を愛してしまったマリオンとその男を見守り続け、3人で人生を共にするという普通ではない愛の形。こんな危険な男より優しくて一途に愛してくれるプチルイのほうがよほど良いのにと思う反面、奪い取ってもくれないプチルイの頼りなさ(よく言えば意志を尊重してくれるところ)にいらついた。
多くの人が休暇に入ってしまい閑散とした職場へ朝だけ顔を出し、お盆前には片付けなければならなかった仕事を携えてジタバタと走り回った。かなりてこずった件だっただけにお偉い人の承認印がピッと押された瞬間は達成感に満たされた。
シドニーの移民局からレントゲンを撮って送るようにと連絡が来た。ここまで来たらあとは健康であればビザはゲットしたようなものだ。が、これがまた厄介で豪大使館まで出向いて指定用紙を入手して、それから指定病院まで行かなければならない。この豪大使館というのが良い噂を聞かず、実際わたしも以前他のビザを取得した時はお世辞にも親切とは言い難い雰囲気だった。気が重いが仕方ない、朝の3時間しかオープンしない窓口へ半休を取って出向いた。気の重い雑用だが、地下鉄を乗り継いで降りたことのない駅で降りるのは楽しい。麻布十番の駅で降りるとお盆前だからなのか閑散としていてイメージしていた街とは違うものに見えた。とことこと歩いてすぐに大使館を見つけ入り口でバッグの中身を全部見られて中に入った。査証課でたった一人佇んでいたインド人男性と喋りながら待った。食べ物の話になって「わたしはベジタリアンだからインド料理屋は食べられる物が沢山あるから便利」と言ったらまた"インド人もビックリ"で「何でベジタリアンなの?日本人なのに!!」と言われた。「わたし動物好きだから」と答えたら君はインド人みたいだ!と賞賛?された。すぐに順番が来て窓口で用紙が欲しいのですがというと「はい」とあっさり渡され、こんなに時間をかけて来たのにまさか5秒で終わるとは、と気が抜けてしまった。適当にランチを食べて仕事に戻ろうと思っていたら先程のインド人がこれからすぐ近くの知人が経営してるインド料理レストランに行くんだけど一緒にどうかと言われ、知らない人に着いていくのはどうかと思いつつもまぁいいかと着いて行ってしまった。こじんまりした佇まいながらもわたし達の後にぞくぞくと人が入ってきて、しまいには人が並び出したそのレストランの豆カレーと焼きたてアツアツのナンはとても美味しかった。インドのテレビ番組では洪水のニュースがやっていてそれを見ながら無言でもくもくと食べた。インドの一方では旱魃で苦しむ人々がいるのに一方ではこうやって洪水で死んで行く人がいるのだそうだ。
女性のみざっと40人のこの部署に新しく男性が一人、しかもアシスタントとして入るという。彼が来る前からちょっとした話題になっていた。司法試験の為に勉強中なので短期のお小遣い稼ぎというところらしいので彼的にもあまり選ばなかったのに違いない。アシスタントの仕事というのはコピーをとったりという雑用なので日中頭を使わずに、その人の脳の働きが低下して司法試験に落ちてしまうのではとか、いくら男女雇用機会均等法などといえ、若い女性に使われることに耐えられるかなどとみんな心配していた。そしてその本人が今日ご登場。これが想像とかけ離れていてちょっと面食らった。みんな同じ事を思ったに違いない。背がとても高くてスタイルがよく、こんがり日焼けしていて茶髪。街ですれ違って職業を当ててくださいと言われたら「ホスト」と以外答えようのない雰囲気の男の子だった。が、とても素直そうな人でランチもちゃんとみんなと仲良く女性陣の輪に入って食べていた。みんな「あんな図体のデカイ男に"コピー1枚とって"とかちょっと頼みにくい」と言いつつも「美白が命」の女性陣は隣のビルにお遣いに行くのがあまり好きではないのでしっかり「既にこんがり焼けたアイツに行ってもらおう」と企んでいるのだった。
パースのわたし達の家の隣に住むダニエラは50代くらいのキャリアウーマンで一人植物に囲まれて暮らしていて、休日になる彼女より少し年上っぽい男性が大きな大きな車でやってきてよく2人で庭いじりを楽しんでいた。わたし達はたまに「あれはBFなのか親戚か何かなのかな」と話したけれどそんなプライベートなことを聞くわけにもいかず知らないままだった。この男性の英語は本当に激しいオージー訛り(方言)で半分も理解できなくて、断然英語の堪能なマーティンは「あの人の言葉使いはすごいよ。会社でも聞いたことが無いよ」と苦笑いしていた。彼はもうリタイアしたのか、平日の昼間も庭いじりをしていることがあったのでわたしはたまに庭にでていって彼の周りをうろつき、暇つぶしに英会話の練習をしたりした。いつも泥んこになっていてブッシュを走り回って育ったのではないかとイメージさせるような素朴ないいおじさんだった。
世間は楽しい金曜の夜もここの会社はフル活動。最近就任したばかりのインド人マネージャーがやってきて「夕飯何かとろうか」と言う。彼はちょっと体格の良い人で彼が選ぶと大抵結構ヘビーな物がやってくるのだ。そして今日は**のステーキ屋の。。。などという声が聞こえてきて、どうやら有名なところのようでみんな「わー食べたい!」などと言っている。どうしよう、心臓ばくばく。結局そこのステーキ屋さんのハンバーガーということで話がまとまってしまった。チキンorビーフらしい。「あのわたしは結構です」と言うとマネージャーが「何で!!」と聞くので「わたしベジタリアンなので」と言うととても驚かれた。「日本初のベジタリアンじゃない?」いや、、、そんなことはないけど、確かに普通に生活してたら見かけないね。が、彼はさすがインド人。「僕も10年間ベジタリアンだったんだよ」と言うので「宗教的な理由かなにかですか?」と聞くと「ううん、ただそうしたかっただけ」と言っていた。止めた理由を聞いてみたかったけれど、「うちの子供が」などとよく話していたのでなんとなく結婚とかが理由なのかなと想像した。結局男勝りで強引な性格の女性マネージャーがそこのステーキ屋に電話してあるか無いかも聞かず「あとベジタリアンバーガー一つね。 え? 無いの?でも肉食べられないのよ!」などとやり取りしていた。念のためベジバーガーを2つオーダーしたようだった。結局わたしには無理矢理作り出したに違いないシーザーサラダを挟んだだけのバーガーがやってきた。マネージャーがアメリカからヘルプで来ているデザイナーの女性に「ハンバーガーどう?」とすすめるとあっさり「わたし朝ジョギングしたのよ。ハンバーガーは食べられないわ」と言う。そこでもう一つのベジバーガーのご登場。「それなら食べる」と言って持って帰った。
友達の結婚式へ行くと言って2日仕事を休んだわたしのパートナー(仕事の)が出社するなりわたしにアツい決意を語った。
つくづく感じた日本とオーストラリアの違い。それは結婚していないカップルの社会的な認容度。オーストラリアでは籍など入っていなくても不都合などなくて"彼がここにいるからわたしもいるのだ"ということができるし、プライベートな保険でも彼の保険にわたしの名前を添付することができる。ところが日本に帰ってみると不便が多く"ここでわたしと彼が入籍していればあっさり説明できてあっさり事が片付くのに"と何度思ったことか。
家からドライブがてら1時間弱車で走った町で開かれる七夕祭りへ妹と我が家によく来て弟のようになってしまった男の子と3人で出かけることになった。彼が車で迎えにくる30分前に浴衣を着ることを決意し、じたばたと走り回った。わたしは紺色の浴衣と朱色の帯で年相応、妹はイチゴ柄のピンクの浴衣とイチゴのヘタのような緑色の帯で年相応ではないけれど、幼稚気味な妹によく似合う。庭で黒猫ミュンを抱っこして2人+1匹で写真を数枚撮って母親がドライブの友にと買ってきてくれたポテトチップスを抱えて出発。"おねえちゃん、どうして今頃七夕祭りなの?""天の川は7月より8月のほうが実はよく見えるんだって。だからじゃない?"などと話しながら、山道をことことと走りぬけるとだんだんと浴衣を着た人がちらほら歩くのが見えるようになってきた。駐車する場所を探すのもなんだか夏休みの風物詩っぽい。車を降りて小さな川にかかった橋を渡るとそこからだーっと露店が並んでいる。このお祭りに来るのは子供の時以来でその頃は歩くのもままならないくらい多くの人がいて、両親に手を引かれて夢中で歩いた。大人になって来てみると子供の頃に感じたほど大きなお祭りではなかった。露店を覗きながらひたすら他愛ない会話をし歩きまわった。来年の夏はどこにいるのかわからない自分を思うと花火が散って消える瞬間のようにほんのり切ない日本の夏をめいいっぱい感じておきたかった。
Michelina
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