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早めに仕事が終わり、こころはやる金曜日。予定は何もないけれど、早く家に帰れるだけで嬉しい。それなのにあいにく電車が大幅に遅れていていた。人でごったがえしてしまった駅のホームに一人の老人も電車を待っていた。やっとのことで電車が来て、いつもより混んだ電車に乗り込んだ。ギュウギュウに満員でもなくて周囲の人がざっと見渡せる程度の混み具合だった。吊り革につかまり横を見ると老人も吊り革につかまっていた。目の前に座っている6,7人の普通の大人や高校生にこの老人が目に入らないはずはない。みんな見て見ぬふりをするのだ。わたしの背後に座っている大人達だって。。。老人は腰が痛いようで辛そうだった。それでも誰も席を譲らない。「あちらに行ったらシルバーシートがあるからもしかして座れるかもしれませんよ」と言うと、老人は「そうだけどね。。。」と言ってそちらには行かずそのまま立っていた。駅と駅の間で電車が立ち往生してしまい車内は携帯のメールをうつ人、いらつく人、疲れ顔の人、、、誰もこの老人を見ようとはしない。
電車で通勤するようになってから何度もこんなものを見て、そのたびに幻滅した。忙しい日本社会には人を思いやる心の余裕が欠けている。老人をおしのけてシルバーシートに陣取って大きな笑い声をあげる中年女性達。こんな女性達が自分の子供に「お年寄りをいたわりましょう」と教えているとは到底考えにくい。こんな社会に流されてしまわないようにお腹にギュッと力を入れた。
2004年07月29日(木) |
日本人よ、もっとリラックスして |
わたしのいる部門にアメリカからヘルプのデザイナーが数人来て、とても騒がしい。ガイジン部屋となった隣のブースからは笑い声が絶えなくて何を喋っているのか知らないけれど仕事は捗っているので問題なし。彼らは朝必ず「オハヨウゴザイマス」と大きな声で挨拶に来て廊下で会っても"Hi! How's going?"などと声をかけてくる。寡黙に仕事をこなす日本人に比べて彼らはとてもリラックスしている。同じ会社で同じ仕事をしているのに、日本人とガイジン(主に欧米人)はムードがとても違う。今日もおやつの時間に"Ladies! アイス買ってきたよー"とオージーのマネージャーがミニストップの袋を抱えて登場した。それでもしらっと仕事を続ける日本人に対し、隣のガイジンブースは"Wow! Ice Cream!!"と大騒ぎ。日本人ももっと和やかな表情で仕事ができるようになればいいな。
2004年07月27日(火) |
密かな祝い事のつもりが。。。 |
同僚と無理やり仕事を早く切り上げて、会社から散歩がてらに15分くらい歩き、イタリアン・レストランへ。今日は密かな祝い事があり、久々に思いっきりワインでも飲むつもりだった。初めて歩くこの町の駅の裏手は外国みたいで驚いた。ワイドな通りに真新しい西洋風のフラットが並んでその1Fは洒落たレストランだったり雑貨屋だったり。実際この町は外国人が多いところなのでその風景と通りを歩く人が溶け合っていて違和感がない。いやー急速に開けたものだとひたすら感動しながら歩いた。
そして乾杯。が、かかってきた一本の電話によりわたし達の祝い事は幻となった。ガックリきて結局は「もう飲むぞ!」と思ったけれど(どのみち飲むんだ)冷静に明日のことを考えて、倒れるまで飲むことは不可能と判断し、大人しくデザートを食べた。話題は真剣に将来のことからはじまって、だんだん脱線し、「人生の修羅場」などというものに。彼女を「日本人男性恐怖症」に陥れた世にも恐ろしい日本人男性の話に身を乗り出し、彼女の経験を通して少し世の中を学んだ。
少しほろ酔いでまた駅まで散歩をし家路についた。
2004年07月26日(月) |
My Sweetie |
マーティン画伯が"My Sweetie"というタイトルのドローイングをくれた。
これはわたしの宝物。
高校生のほんの一時期、銀座のとあるイタリアンレストランのシェフをしているBFがいた。当時彼を訪ねて来てはテーブル一杯に料理を並べてもらって御馳走になった。昼間にコンビニのおにぎりなんて食べている高校生にはそれはそれは豪華なディナーだった。
用事があって銀座に来て気まぐれでそのお店に入ってみた。そして茄子とホウレンソウのトマトソースという何の変哲もないものをオーダーした。一口。う〜ん、何の変哲も無い味だ。自分が作るパスタとさほど変わらないような。。。10年経って自分の舌が肥えたのに違いない。無心に食べているとキッチンから20代前半くらいのシェフがでてきてわたしの前を通り過ぎた。人間何かを被っていると似ているように見えてしまうもので、一瞬、お?彼はまだ働いてたのか?と思ってしまったが、よくよく考えてそんなことはあり得ない。彼の見た目だって10年プラスされているはずなのだ。時の流れをしみじみ感じその店をでて電話ボックスから知人に電話をすると電話の向こうにとんでもない事実があるらしかった。状況から察してすぐに電話を切り、家路についた。知人には事情があり、2日前にわたしに感情的に話した時とは状況が一転したのである。わたしにはそれがよく理解できたので何も言えなかったけれど事情ではなく感情だけで走れた若い頃が妙に恋しかった。
2004年07月23日(金) |
志のあるところに道は開ける |
"至急!!"とマーティンからの電話。あれとこれにサインして。。。云々。オーストラリアでは結婚しなくても2人の関係を証明できればそのパートナーにもビザが発給される。それをどのように証明するかといえば、2人で同じ銀行のアカウントを持ったり、E-mailや手紙のやりとり、旅行に行った写真を取っておいたり、2人で12ヶ月以上一緒に暮らすことは必須。わたし達はこのためにコツコツとやってきた。今回は彼のビジネスビザも切れるので2人揃っての申請となる。暑い中、朝から書類を持って走り回り、コンビニからシドニーへFaxを入れてひとまずフィニッシュ。やるべきことはやった。後は気まぐれなイミグレーションのご機嫌次第。2人とも取得できなければわたし達はアイルランド、イギリス、カナダ行きなどを考えている。じたばたと走り回ってほっと一息ついたところで本当にこれでよかったのだろうか、これがわたしの望んだことなのだろうかと依然迷う自分がいる。ふとどこかでもらってきた「今日の道しるべ」なんていうタイトルのカレンダーに目が留まる。
「志のあるところに道は開ける」
志とは、心のめざす方向であり、行動の原動力である。心にめざすところがなければ、目的に向けて進むこともできない。心のめざす方向が明確になれば、信念が固まり、雄々しく前進でき、道はおのずと開けていく。
ですって。自分の意志さえ見えない自分には道は開けないのだ。週末はゆっくりと自分の心に耳を澄ましてみよう。
2004年07月22日(木) |
心細さは飛んでいけー |
同僚と一緒にぐったり家路につく。疲れ果てた彼女の口から一度でてしまった不安や心細さは止まらない。年も同じだし、職場に対する不満も同じ。違うのはわたしには帰る場所があるけれど彼女にはそれが無い。わたしの帰る場所は家族がいる家やマーティンとミケのいるパース。本当に仕事が嫌ならば辞めてしまっても次の仕事が決まるまで頼れる人がいる。けれど、彼女にはそれが無い。今の職場に来てから一度ストレスからくる病気で入院してしまったというけれど、それでも辞められないのはどうしても自分で食べていかなければならないから。一人は心細いよーと淋しそうに言われて「BFがわたしの誕生日を忘れた」だのとわたしの甘ったれた悩みを話したことを少し後悔した。
一人の小さなアパートメントに帰る彼女を見送ってからその不安を想像した。自立心もなく仕事ものらりくらりでいつでも家族や男性に頼ってきたわたしは甘ったれなのだと知りつつも、それでも未来に対する不安があるのだ。きっと彼女が一番必要としているものはわたしのような「女友達」ではない。彼女の心細さを拭い去ってあげられるような人に早く出会いますよーに。
28歳になった。日付が変わる時、ネット上にいて、早速友達からHappy Birthday!のメールを受け取り幸せ気分。そして肝心なマーティンはMSNで話しかけてくるものの、誕生日にはふれず。「明後日休み取ったんだ」と言うと「何かあるの?」「なんだと思う?」「何かのアニバーサリー?」「うん。」「パールハーバーが爆撃された日?」あきらめて自分から切り出すのも虚しいのでもう寝ることにした。
昨日の夜はディズニーランドの近くのシェラトンホテルに泊まった。たまたま友達の伝手で格安で泊まれると誘われて知人が数人集まった。仕事を終えてから電車に乗り、舞浜の駅で降りて面食らう。降りた途端にワンダーランドのはじまり。ベトナミーズレストランで夕飯を食べ、ワインでちょっと良い気分になったところでホテルに移動。モノレールやバスなどの乗り物も全てディズニー色で子供の頃から一度もディズニーに惹かれたことの無かったわたしにはこういうものに乗るのが気恥ずかしかった。ホテルに着くと泊まるのを楽しみにしていたわりには酔いと疲れですぐに寝てしまった。
翌日、ディズニー嫌いのわたしはもう舞浜に用は無いということで適当に昼ごはんを食べ、友達と2人東京へ行った。成り行きから降り立った町を少し歩いたらなんだか懐かしい気がした。歩いているうちに思い出した。ここは5年前に読んだ山本文緒の「恋愛中毒」に描かれていた町だ。それに気付いたら、散歩をしながら、小説の内容を辿ってしまった。「主人公の働いていたお弁当屋はここだな」とかそんな風に。都心にあってもけっこう静かな良い町だ。ダサすぎず、洒落すぎず、お弁当屋さんが沢山あって、たまに自転車に後ろからチリンチリンと鳴らされた。坂を上ったり、下ったり、わたしは幼稚な英語でだらだらと小説の内容を説明し続けて、歩き続けた。友達は面白いともつまらないとも言わず、相槌をうち続けてくれた。仕事を始めてからストレスを溜め込んでいたわたしにはこんな時間がとても幸せで心底リラックスした。
そしてまた電車に乗って思いつきで行き場を決めて行動した。CDを見たり、ワインを飲んだり。わたしはこういうLazyな暮らしが好き。28歳のスタートはとても幸せだった。
朝から良い天気。暑さと湿気に「日本の夏」を実感する。はじめて丸の内線に乗り、その駅にはじめて下車。友達とそのお姉さん夫婦と4人でランチを食べた。わたし以外の3人は日本人の両親を持ちつつも英語が母国語という人達なので4人の日本人顔が英語で会話をするという不思議な雰囲気だった。旦那さんにいくつかのオージー英語を試したら「本気で理解できない」と言われた。やっぱりオージー英語は世界に通用しないのかな。そしてベジタリアンのわたしと生野菜とトマトが食べられないお姉さんとミルク入りコーヒーが飲めない旦那さんというかなりの偏食で一人がよけた野菜を誰かが食べ、一人がコーヒーを2杯飲み。。とこれまた奇妙な雰囲気だった。わたしは本当に疲れがたまっているのかおなかは空いているのに殆ど食べることが出来なくて、申し訳ない気持になった。
食後はお姉さん夫婦と別れて東京散策へ。お茶の水で降りて秋葉原まで歩き、だらだらとウインドウショッピングをし、まったりとお茶を飲み、また御徒町まで歩いた。御徒町に着く頃、また仕事中になるような頭痛に襲われ(わたしはこれはストレスからくる頭痛なのではないかと思っている)、気分がすぐれなかった。電車に乗って家に帰るか、予定通りこの後池袋まで飲みに行くか迷ったけれど、家に帰って寝たところでとれるような痛みではなく、本当に変な頭痛なのだ。山の手線の中で居眠りしながら池袋まで行き、飲み会の時間までトヨタのショールームで車を見た。他の自動車メーカーのエンジニアである彼はわたしをほったらかしで車の隅から隅までチェックを入れ、最後にぼそっと「どうして日本人って車に自分が発音できない名前つけるのかな?」と言っていた。確かに発音できない。。。しかしどうしてこんな余計な機能が沢山あるんだろう。シンプルイズザベストと思ってしまうわたしには理解し難い。「だって余計な機能くっつけないと他社に勝てないんだよ」と言うけれど、わたしだったらそういう余計な機能よりもやっぱり水素で走る車とかそういうほうが興味があるなぁ。
そして頭痛も限界に達した頃、飲み会が始まった。この調子の悪さで酒など飲んでかなり危険なのではないかと思いながら恐る恐る白ワインを一杯飲むと、なんと頭痛がひいていくではないか。そして2杯飲んだらすっかり気分がよくなってしまった。こういうのをアル中と呼ぶのだろうか、と考えつつ、良い気分で帰りの電車でぐっすり眠った。
2004年07月16日(金) |
波乱に満ちた職場での一日 |
来週締め切りの製品が沢山あるのでもう職場は滅茶苦茶。散らかったオフィス、泣く人、キレル人、八つ当たり。。。目の下にクマを作ったみんなの目つきが危ない。
AM10:00 小さな印刷会社の5日睡眠をとっていないという(ホント?)女性がなかなか大きなミスをやらかした。言い訳「どうしてなのかわかりません。何故か手が勝手にそうやってしまったのです」と放心状態。聞いているほうも放心状態。
PM4:00 パートナーが隣のビルから号泣しながら帰ってくる。いい加減過ぎる男性社員にとうとう怒り爆発だ。確かにその人が悪いのだ。疲れとストレスが爆発して出てきた涙は止まらず。そんな彼女を見て怒りだす女性陣と焦りだすマネージャー達。この男性はちょっと良いポジションにいる人だけれども、40人もの女性を敵に回すとよくよく不便なんじゃないかなぁ。
PM5:00 "Hello everyone!! WOW! so many new faces!!"などと言いながらご機嫌な謎のイタリア人が現れる。誰も相手せず。
PM6:30 突然オフィスに入ってきたどこかの部署の女性が「皆さん、夕飯を用意しました。ホテルも3部屋とってあります」などと言う。みんなの顔が強ばる。泊まりたくはないよー。
PM7:30 お寿司がでてきた。散らし寿司とサラダ巻きを口に入れてみたけれど味がわからず。先ほどのイタリア人が隣に座っていて「何かとりましょうか?」と聞いてみたら「僕はレディが食べた後に残ったの食べるからいいの」と言う。殺伐とした雰囲気の中、陽気なこの人の雰囲気に少し元気付けられる。
PM8:00 え?謎のイタリア人はとてもおエライ人なのだと知る。その頃彼は残ったお寿司を楽しんでいた。
PM8:30 今日最大の爆弾。わたしが今まさに汗水流して取り掛かっている製品の担当マネージャーがなんと帰宅しているではないか。明日から締切日まで彼は海外出張。どういうことなのだ?携帯電話にかけると陽気な彼の声。「何してるんですか?」「お酒を飲んでまーす!早くおいでよ!」なんですってーーー!そして居酒屋からわたし達に指示をだす彼。そして結局「わかった!もういいよ。締め切りずらす。5日遅らせるから、それでいいね!」エーーー。そんなこと出来るなら最初からやってよ!!
こんな風に一日が過ぎていきました。
ちょっと可笑しい話。会社の30代前半くらいの見た目の女性をみんなが「オバサン」と呼んでいるので面食らった。どうみても気軽に「オバサン」なんて呼ばれることが似合わないキャラである。見た目はマジメそうで話してみても至って普通の女性だ。が、今日彼女の苗字が「大場さん」だということを知って大きく納得した。
この会社は日本にあっても日本の習慣を無視している人間は結構いる。その中でも日系人というのはちょっと異様。日本語で電話をかけてきて、自分の日本の下の名前を名乗る。今日は威勢の良い日系人から「ケンジでーす!」と電話がかかってきてなんだか夜の世界みたいだと思った。
疲れ果てて家に帰り母親にあれこれ会社のことを話していると、「ミケリーナは女ばかりの職場は合わないだろうと思ってたよ。自分が大雑把で男みたいだからね」と言う。さすが親。見た目が「女」なので他人は相当親しくならないとなかなか気付かないようだ。性格的にはさっぱりした裏表のない良い人ばかりで一緒に飲みたい感じだけれどやはり仕事の上で合わないのだ。女性は細かい。どんなに忙しくてもさほど重要でないドキュメントに何度も直しを入れたりする。まぁかといって隣のビルの男性陣はあまりにも大雑把で本当に重要なこと以外は一切関与したがらない。わたしは中間を行き来しているのだ。
2004年07月10日(土) |
家族一人増えてない? |
土曜日だというのに、プレゼンテーションがあるらしく仕事上のパートナーは疲れた体を引きずって出かけていった。あぁ彼女がどうか倒れませんように。疲れきった彼女の背中に自分の近い未来が見えてぞっとする。。。ともあれわたしは待ちに待った休日。神経的疲れを取るには黙って散歩でもするのが一番、と銀座へ出かけた。バーゲンシーズンなのに銀座はごみごみしてなくていいなぁ。よたよたと歩いて、Silver Spoonというブランドの若草色のワンピースを手に入れて、どこか素敵な場所へ出かける自分を想像した。一人でぼーっと歩くことがとてもリラキシングだった。
夕方家に帰ってシャワーを浴びてまどろんでいると最近以前にも増して頻繁に遊びに来るようになった父の知人の若い男の子が普通に自分の家に帰宅するようにやって来た。最近はうちの家族に自然と溶け込んでいるので気を使わない。特に相手もしないし、気が向くと一緒に飲むくらい。うちの家族は誰かが客を連れてくるとたちまち家族の一員のように扱ってしまう。人懐っこいのだろうか。マーティンが来た時もすっかり我が家の息子のようになっていたし。今日は父の誕生日で夜遅くに外で遊んでいた妹がバースデーケーキを買って帰宅したので蝋燭を立ててお祝いした。家族の団欒が無いという彼は「家族っていいですね」と飲みすぎの虚ろな瞳を潤ませていた。確かに、そう言われてみると普段は当たり前となってしまっているがとても幸せなことだ。
夜中の1時頃、わたしが彼の車を運転し、免許取り立ての妹が母の車を運転し、まっすぐに歩けない彼を家まで送った。いつの間にか兄弟が増えたような気分だ。
会社のことや自分の仕事が少しわかってきたところで幻滅。まずシステムがアナログなこと。とても21世紀のやりかただとは思えない。これを見直したら残業も要らないし、アシスタントは半分人員削減できてしまうのではないだろうか。はじめからこの会社に大きな期待を抱いていたわけではないけれど、有名で大きな会社であるし、売上はその業界ではトップである。それなのでもっと画期的なやり方をしていて勉強になることが沢山あるのではないかと思っていただけに大きく落胆した。その古臭いやり方を変えることができないのは頭でっかちな客のやり方に従わなくてはならないからだという。
それでも色々な職場を見ることは良いことだ。日本は欧米と比べて一度入社してしまうとそこで一生働く人が多いけれど、社員がその会社色に染められているところよりもあちこちから経験豊富な人が集まってきて発想転換もできるような会社のほうがよりよいシステムやフローを作っていけるのではないだろうか。この会社でもここしか知らない人達はここのシステムのヘンテコさ加減に何も感じていないようだけれど、やはり色々なところを経ている人は幻滅しているようだ。
甘いものをあまり食べなくなっていたのに今日は朝から大福を食べてしまった。あと数ヶ月精一杯働こう。
2004年07月08日(木) |
Betty bleu |
夜の8時を廻ったオフィスで連夜終電で帰宅するような人間が集まってセールスコピーを考える。もうみんなナチュラル・ハイで冗談のようで本気なアイディアがでてきて力無い笑いが起こっては消えていく。机上で本気で考えてもアイディアなど浮かぶものではない。思いがけない瞬間、例えば洗面所で手を洗っている時とかにふと良いアイディアが浮かぶのが人間の性質だ。
もらったアンパンを齧りながら「こんなの生活じゃない!」と叫びたくなった。周囲を見るとみんなポーカーフェイスで文句も言わず働いているので彼女達はわたしとはすごく違う人間なのではないかと思っていた。10代の頃"Betty bleu"という仏映画を見た。その映画について友達と話していると努力家で頭脳明晰で成績も優秀だった彼女がふと「わたしは今度生まれ変わったらああやって愛に生きたい」などと言ったのを思い出した。自由奔放だったわたしは「生まれ変わらなくても今からそうすればいいのに」と思っていた。その後も彼女は順調にキャリアアップして行ったけれど、今は何をしているのだろう。そんなことを思い出していたら一人の新入りの女性が自分の子供の話をはじめた。すると周囲にいた女性陣の目が一揆に輝きはじめ「何歳?」とか「いいな〜」などという声がもれた。彼女達も本当は普通の女性なのだと知って少し親近感を覚えた。
家に帰るとマーティンがイミグレーションに提出するために銀行にわたしと共同口座を持っているという証明書をもらいに行ったという知らせを受けた。仕事にかまけて沢山の人を忘れかけているけれど、どこかでわたしを覚えていてくれる人がいるなんて嬉しい。
やっと、やっと定時であがった。電車の窓から夜が訪れる寸前の街を眺めながら今夜星に願うことを何度も確認した。願いは1ヶ月前から決まっていた。七夕に願ったことが奇跡のようにかなったことがあるので、この日にはとても期待をかけてしまう。
仕事はかなりきつい。もう二度と踏み込みたくないと思ったデザイン業界でもっと若い頃に積んだほんのわずかな知識とスキルを生かして働いている。二度と戻りたくない、数年前は確かにそう思ったのにひょんなきっかけで戻ってしまうのだから人生はわからない。過去に味わった絶望感などすっかり忘れて、腰掛けのつもりで戻ったのだった。そんな気の持ちようでは辛い仕事だと思い出した時にはもういくつかの仕事を任されていた。配属された部門は同年代(25歳〜35歳くらい)の女性のみ40人くらいで逆に男性ばかりの会社で長々働いていたわたしには、かなり違和感があった。そして面食らったのは彼女達のたくましいこと。ミーティングなどではがんがん発言し、意見を言い、男性陣を打ち負かしてしまうので恐い部門だと思われている様子。そして今は時期的にかなり忙しいため、毎日のように終電で帰るという。わたしは。。。といえばまだ入ったばかりということもあるけれど、これからも彼女達のようにガンガンできるのだろうかと怖気付き、きれいな夜景を眺める度に「わたしは過労死するに違いない」と思っている。
絶望もあった。それはシステムがかなりアナログなこと。もうちょっと効率の良いやり方があるはずだと入って3日で生意気ながらも確信した。大先輩にそう感じたと素直に打ち明けると「もう気付いたか」と言われたがまだ直せない理由もあるのだという。原始的なやり方にいらつくこともある。
人間関係は最初に女性のマネージャーに「うちは女ばかりだけど派閥はないよ」と言われたとおりだった。あるわけない。だっていがみ合う暇もない。外資特有なのだろうか、帰国子女なども多くて思考が日本人離れしている。人は人、自分は自分、はっきりした人間が多い。口論など面と向かい合って激しくやりあっている。それでも女性の甲高い声やエネルギーが苦手でたまにその雰囲気だけで疲れがでてしまう。が、組んでいる女性は「気だるい男性」のような人。仕事はきちんとこなすけれど、雰囲気的に張り切りが見えない。「さて、さて、だるいけどさっさと片付けましょうかね」などとブツブツいいながら手はきちんと動く。そして今日突然、わたしがここ数日あまりにものいい加減さにきれかかっていた中年男性社員に対して彼女がのんびり口調ながらにきっぱり喝を入れたので心の中で「よくぞ言ってくれた」とガッツポーズをとりパートナーに恵まれたことに感謝した。
こんな感じでなんとか生きてます。さて星に願ってさっさとベッドにもぐりこみいい夢でもみようかな。
細々とした用事があり電車に乗って東京へ。エステから送られてきた誕生日割引券があり体験が出来るようなので初めてトライしてみた。もちろんただでは帰してくれない。言葉巧みな勧誘と説得をされ、これでみんな高いお金を払ってしまうんだなぁ、なるほどとちょっとした社会勉強をした。実際良かったけれど安い買い物ではない。強く「ゆっくり考えます。今日は入会しません」と言い放ちエステを後にした。
有楽町から山の手線で渋谷に向かった。隣に座っていた男が胸元を食い入るように覗き込んでくる。周囲の人も異様な雰囲気に気付き始めた。すごく屈辱的で嫌な気分になり「なんですか!!」と声を張り上げてしまった。周囲の注目の中その男は席を立って次の駅で足早に降りていった。
渋谷はすごい人だかり。そうだバーゲンシーズンなのだ。若い子の間を縫うように歩きながら「もう少子化でいいじゃない」と投げやりに思った。「有名になりたかった」から犯罪を犯す少年もいてそれは最悪だと思うけれど、こういうところを歩いていると自分の存在の小ささを感じてわたしがここでコテっと倒れても誰にも気付いてもらえないのではないかという不安に駆られ、少しだけその少年の気持ちが解かったりする。
社員食堂へランチを食べに行ってみた。これが想像よりも立派で驚いた。メニューも豊富だしサラダバーのようなものやデザートもあった。ちょっと目移りしながら、豆腐バーグと昆布の煮物と温泉卵を取った。白い御飯もついてこれで580円。このビルは立地条件がよくて晴れた日や夕暮れ時や夜景も綺麗(でも夜景を見られるまでは働きたくないんだけどな。。。)。運良く窓際の席が空いていたのでそこに座ってボーっとランチを食べて、食後のコーヒーを飲みながら小説を読みふけっていった。ふと「ご一緒させていただいてもよろしいですか?」と声をかけられて顔をあげると小柄で若くて可愛いらしい女の子がいた。「どうぞ」と言うと目の前に座ってわたしのように小説を読み始めた。何読んでるんだろうと気になって思わずちらっと盗み見てしまったけれどわたしの知らない作家の本だった。わたしが小説にカバーなどをして持ち歩くのはこうやって「この人どんなの読むの?」などと盗み見されて人格を想像されたりするのが嫌だからなのだ。
昼からこんなに食べて午後から眠ってしまわないかなぁと心配したけれど、その必要はなかった。眠くなるスキもないほど過激な午後が待っていて、今日もめでたく素敵な夜景を見ることができた。