My life as a cat
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2004年05月31日(月) サイクルの早い国

今日はけっこう蒸し暑くて夕方に夏の夜の我が家の定番ゴーヤチャンプルが食べたくなったので母にリクエストした。材料を買ってくることを頼まれたので、夕飯前の主婦でごったがえしたスーパーに行った。日本は何でも綺麗にパックに詰められて大きさの揃った虫も食っていない、泥もついていない綺麗な野菜が売られている。豆腐とゴーヤを掴んでレジに並んだ。前に並んでいた主婦が買った揚げ物はプラスチックのバックに入れられているのに更にレジの人が袋に入れる。野菜もばらけたものは別々の袋に入れられる。水が出そうなものも。見ていたらあまりにもの過剰さに嫌悪感がこみあげ、わたしの番が来たときに「何もしなくてけっこうです」と言ってしまった。

やっぱり日本ってすごいな。どこに行ってもむせ返るくらいの物が売られていて、目が回るくらいの早さで新商品がでては忘れられていく。物だけではなくペットなどの命も同様だ。一瞬楽しいなと思う反面ふと気持ちが悪くなってしまう自分もいる。

そういえば昨日テレビでやっていた「今話題のにがり」の安売りという新聞折り込み広告が入っていたな。日曜の夕方の健康がテーマのテレビ番組で特集された次の日に特売をするなんてうまいこと考えたな。


2004年05月30日(日) チョコレート

邦題で「チョコレート」という映画を見た。舞台はアメリカの田舎町。レイシストで偏狭的な父親の影響を受け自らもレイシストとなった白人のハンク、それに反発するその息子のソニー。刑務官であるハンクとソニーが死刑を執行した黒人男性とまた黒人であるその妻のレティシアとその息子。ソニーが好きだった父親に反発しながら自殺した日を堺にハンクにも変化が現れはじめやがては自分も父親に不信感をいだいていく。そしてハンクはあるどしゃぶりの日に道でレティシアとその息子を自分が死刑を執行した黒人の家族だと知らずに助ける。やがてひき逃げされた息子は逝ってしまい、お互いに息子をなくしたハンクと女は何も知らずに惹かれあっていく。自分ではどうにもできない社会の黒人に対する差別への無念さ、それなのに結局は白人男に泣きついてしまった一人の女性の頼りない姿がとても切なかった。やがてはハンクも父親を見捨て、レティシアの元に行く。静かに2人が人種の壁を壊していくのが感動的だった。


2004年05月29日(土) ベジタリアン家族

二日酔いの重い重い体を引きずってダラダラと過ごしていた。今の気候が本当に心地よくてこのダラダラがいくらでも許される時間がたまらなく幸せ。猫にでもなった気分だ。

夕方に我が家の食卓に久々に小さな肉が乗った。我が家はもともとあまり肉を食べる家庭ではなかったけれど、わたしと妹が肉を食べなくなってから以前にもまして両親も肉を食べなくなった。帰国してから数週間経つけれど食卓に肉を見るのは2度目くらい。そんな風に暮らすようになってから両親は体重が落ちて高かった血圧が下がったのだそうだ。やっぱりベジタリアンは体にいいのだ。うちの家族4人とマーティンとミケも健康なことにつくづく感謝。わたしも昨日飲みすぎたので今夜は母の作った煮物をつまみにサワーを一杯飲んでおしまい。涼しい初夏のような風が家の中を吹き抜けて、滅多に口にしない炭酸が喉に心地よかった。


2004年05月28日(金) WA癖の抜けないわたし

パースではちょっと寒かろうと晴れた日にはノースリーブで出歩く人が多いし、暑い日の服装なんかは水着?というくらいに開放的。露出度は高いけれどそんなことは誰も気にしない(少なくとも目で追うような人はみかけない)からわたしもすっかりそれに馴染んでしまっていた。今日は3年か4年ぶりに友達と再会する為にまたパースで買った胸の開いた白いノースリーブのカットソーとジーンズ生地のスカートをさっと着込んで電車に飛び乗り銀座に向かった。真昼間の電車はそんなに混んでいなくてちょっと人と人がかすかに触れ合うくらいだった。窓際に立っていたら錦糸町あたりで何か異変を感じた。目の前に立ってわたしに背中を向けている大柄のサラリーマン風の男性の手がわたしに当っている。気のせいかなと思っていたら明らかに動いているのでむっとしてその手を思いっきり掴んで跳ねのけた。するとその男性は跳ねのけられた手を窓に当ててすごい勢いで汗をかき始めた。気の小さい人に違いない。わたしは違うけれど世の中のNOと言えない女性のことを考えたらその人と次の駅で降りて警察に行こうか迷ったけれど、明らかに待ち合わせの時間に遅れるので思いとどまった。友達に会い、そのことを話すと「その恰好じゃねー。日本人はストレスたまってるから服装は慎んだほうがいいよ。それにまだノースリーブじゃ寒いでしょ」と言われた。全然気付かなかった。大体スーツのサラリーマンに合わせているのかどこのカフェも冷房が効きすぎて寒すぎる。羽織るものを持たなかったわたしは震え上がった。

カフェで軽いランチをとって屋外のカフェでジェラートを食べ、夕方に飲み始めた。彼女と初めて会ったのは15歳の時で、若かったゆえに何もかもを相談したり話したりしてきたので27歳になっても会うとたちまち15歳に戻ってしまう。ドイツ人と付き合ってみたいという彼女の思い描いているドイツ人像があまりにもマーティンのようだったので彼は典型的ドイツ人なのかもと思った。「自転車と自然が大好き」な彼をこんなに褒めてくれたのは彼女くらいかも。一杯飲んでから居酒屋を出たけれど飲み足りなくて近くで飲んでいた友達グループに合流した。どんな集いかいまいちよくわからなかったけれど、沢山のカナダ人がいてつくづくやっぱりオージーの英語は色気に欠けるなと感じてしまった。さっぱりした人達で初めて会ったのにとてもリラックスして楽しめた。


2004年05月26日(水) 幸せな夕べ

先日母が買ってきてくれた料理にも合うさっぱり味のにごり酒が残っていたので夕方にちょっと車を走らせておつまみを買いに行った。スーパーの隣の本屋さんで欲しかった宗哲和尚の精進レシピという本を手に入れてからガンモと胡麻豆腐、エリンギなどを買い込んだ。豆腐ハンバーグの試食コーナーがあったので口に入れてみたら美味しい。そう思っていたら販売のお兄さんに「鶏肉も入ってるんですよ」と言われたので「じゃー買わない」と言って通り過ぎた。おしいな、豆腐だけではやっぱり旨みを出すのが難しいのかな。家に帰るとちょうど男子バレーの時間。オーブンで焼いたガンモをしょうが醤油で、つまみながらちびちびとにごり酒で観戦。ミスだけですごい点を取られていてがっかり。ミスさえなくせば勝てるんじゃないかという試合ばかり。両親がキッチンで夕飯を食べていて、わたしがリビングで一人で飲んでいるのは我が家の日常なのだけど、しかし幸せな夕べだな。

買った本のレシピはすごく美味しそう。繋ぎには卵の代わりに摩り下ろした長芋を使っていたりする。まだにごり酒も残っているので明日は何かおつまみを手作りしようかな。









2004年05月25日(火) リッチな日本のするべきこと

友達と約束があり銀座に繰り出した。待ち合わせの時間より早く着いたので少し散歩をし、つくづくわたしはすっかりウエスタンオーストラリア人と化していることを認識した。大好きだった銀座なのに、以前とは違う町に見えた。スーツに身を包んだ人達も綺麗に化粧を施した人達も無表情に足早に行き交っている。その波に乗って歩いたものの立ち止まって上を見上げてみたりするとたちまち人にぶつかられたりする。わたしは本当に田舎者みたいで(いや、事実だけど)怖気づいてしまった。本屋さんに立ち寄ったら楽しかったけれど、それ以外のお店は素通りした。高級な洋服も化粧品ももう無縁の物に思えた。待ち合わせまで30分あったけれど何も見る気になれなくて待ち合わせ場所に突っ立って、道行く人を眺めた。

それでも今日は日本も身体障害者やお年よりなどにとって暮らしやすい街づくりが進んだことに気づいて嬉しかった。パースに越したばかりの時はあんな小さな田舎町でもそういったものが日本より格段に充実していることにショックを受けたものだ。弱者を見ない町は良くない。税金はそういうところにきちんと使われるべきだと思う。ちょっと見ない間にわたしの住む町の駅もエレベーターが出来た。以前はエスカレーターさえなくて車椅子の人などはさぞかし大変だったのではないかと思う。銀座などを歩いていると殊更リッチな日本のするべきことはこういうことなのだと思う。


2004年05月21日(金) 社会人への第一歩

仕事を得た。今日は2時間もあれこれテストを受けてクタクタだ。久々に袖を通したスーツはウエストがきつくて、大分長いこと社会人を放棄して怠けていたことを実感した。そして慣れない靴を履いたので踝がこすれて血がでてきてしまった。テストを受けて驚いたのは小学生でも出来そうな計算問題が出来なかったこと(泣)。でも今日の面接は悪くなかった。人に圧迫感を与えるような面接官ではなくてとてもリラックスして話すことができた。自分にもこういう場であっさり話せるくらいの成長はあったと思っていいのかもしれない。もっと若いころは本当に自分の経歴を要約して見ず知らずの人に話すなど拷問だと思っていたのだ。

社会人への第一歩を踏んでしまった。長いこと休んだツケが周ってこないといいけど。頑張らなくちゃ。


2004年05月19日(水) 雨と酒と肴と

1年半分ぶりに男友達と再会。食べ歩きが好きな彼にちょっとお洒落な居酒屋に連れて行ってもらった。店内には小さな川が作られていて雰囲気はとても良いのだがやはり日本の繁華街ではどこへ行っても壁が薄いので騒がしい。そのことにちょっと文句を言いながらも、わたし達も真剣な話をするわけでもなくくだらないことでゲラゲラと笑っているだけだった。パースでは居酒屋のようなものはなかったので小さな料理がチョコチョコと運ばれてきて、酒をチビチビやるのは楽しい。胡麻豆腐や長芋の磯辺焼きどれをとっても美味しい。1年半ぶりといえども彼がこのHPを見てくれていたせいで大まかなところはツーカーなのであまり公共の場では言いにくいネガティブなことを話してみた。最近気付いてしまったのだけどわたしは案外メンタリティが男っぽいのかもしれない。見た目的には「男っぽい」とは言われたことはないのだけれど、何故か男友達の意見に共感し、女友達の意見に新鮮さを感じてしまったりすることが多い。

彼とは家が近くいつでも気軽に会えたので滅多にハシゴして飲むことはなかったのだけど、今日は久々だったので2軒目に突入した。「日本人が酒の最後にラーメン食べるのは理解できないよなぁ」と言う意見は一致したのでそこでお開き。外に降り続く雨と酒と小鉢に盛り付けられた肴が妙に日本を感じさせてくれた夜だった。


2004年05月17日(月) コロちゃんと父

テレビで流れているアイフルのCM、犬のブームの裏側を想像するとぞっとするけど、単純に言えばとっても可愛い!そしてあのCM正にうちの父とシーズー犬コロちゃんみたいだ。コロちゃんはどしゃ降りの雨の中ぐったり弱って死にそうになっていたのを車で通りかかった父が連れて帰ってきたのだった。どう見てもシーズー犬だったので野良犬とも思えず、捨てられたのか迷ってしまったのかと当時の夕飯時の話題はいつもそればかりだった。動物病院などに保護している旨を届けたけれど飼い主は現れずやがてコロちゃんと命名し、我が家の犬となった。しばらくしてコロちゃんはほぼ盲目で天才的に耳と頭が良い犬だということを知った。ドライブと散歩に行くのが大好きで、家族の会話の中で「散歩」という言葉を発しただけでも起き上がってすごく反応するのだ。車の鍵を持って玄関に行くと着いてくるのだけれど、「行くよ」と言えば車まで着いてくるし、「お留守番」と言えば絶対に着いてこない。いつも帰宅する人間を玄関まで迎えに出るのだけれど、父の場合は本当に早い。車で帰宅する父を迎えに3分前に玄関に行くこともあるくらい。こんなふうなので父はもうコロちゃんにメロメロで休日は一緒に車に乗せて連れ歩き、「死んだらコロと同じお墓に入れてくれ」とまで言っている。

以前は嫌いだった室内犬をコロちゃんとの出会いを堺に大好きになってしまった父がまだどこかで捨てられたらしいキャバリエを見つけたようだ。一匹ならうちで飼えるかもと思ったけれどよく見たらはらんでいるという。結局携帯電話についているカメラで写真を撮って帰ってきて、「あのキャバリエどうしたかなぁ」と時々呟いている。本当、変わったもんだ。


2004年05月15日(土) 全てが懐かしい

いつの間にか西オーストラリアに馴染んでしまっていたのだろうか。家の近くを車で走っていても、スーパーマーケットに行くだけでも「あぁこんな物あったっけ」と思い出して懐かしくなる。

図書館にも行ってみた。高校受験の時からの付き合いで、社会人になっても頻繁に出入していたこの図書館も思い出深い。一生かかっても絶対に読みきれない量の本に満たされることはパースでほんの数冊の本しか持っていなかったわたしには愉快だ。気持ちが理解できる程、英語に長けていないわたしはパースでは人の言葉に深く傷つけられたりすることもない代わりに大きくときめいたりすることもなく、比較的淡々と日常を過ごしてきたように思う。大江健三郎や須賀敦子の本をめくり一言一言にぐぐっと吸い込まれるように感じてそれが快感だった。偶然元上司に再会した。帰国してから会う初めての家族以外の人でまたまた懐かしかった。図書館の外の石で出来たベンチに腰掛けてわたしは缶コーヒーを上司はタバコを手に話しているとまるで会社での午後4時くらいの休憩時間のようだった。わたしにも秒単位で時計を気にして走り回っていた時があったなんて今の生活からは考えられない。今の会社の状況や短波ラジオ放送の話、ベジタリアンレストランの資金の貯め方などの話題について話して別れた。妹を自動車教習所に迎えに行き、近所の電気屋やVideoレンタルショップなどを回って夕飯時に飲もうと辛口の日本酒を買い込んで家路に着いた。そろそろ職探しに取り掛かろうかな。


2004年05月14日(金) 傷害事件

缶コーヒーを飲んでみたり、車を運転してみたり、近所で採れたタケノコで作ったタケノコ御飯を食べたり日本2日目を満喫している。昨日はネット接続がうまくいかなくてサポートセンターに電話したら解かるまで原因追求してくれてこういうところでやはり簡単に"I'm not sure"とも言わない日本はいいなと思ってしまう。

平和な我が家にちょっとした事件が起きた。妹がわたしが帰国する寸前にバイト先のちょっと気のおかしい女性に突然殴りかかられて軽い怪我を負ったらしいのだが、後遺症のようにそれが痛むと言う。軽い怪我と思っていたが今日病院に行ったらけっこうなもので家族でちょっとした騒ぎとなった。しかし、次は刃物でも持っていると恐い。この事件に誰よりも怒ってしまったのは近所に住んでいる叔父だった。叔父は商売をやっていて殴りかかった女性の家とも商売柄付き合いがあるにも関わらずそんなことはどうでもいいと一目散にその家に飛んで行ってしまったという。叔父は誰よりも姪っ子であるわたし達姉妹を心配してくれる人であり心強い。


2004年05月12日(水) 日本到着

夕方日本に到着。慣れない道を走るのは恐いという母と妹が成田まで電車で迎えに来てくれていた。母が空腹だというので成田空港で軽く食事をし、早速自動販売機で大好物の缶コーヒーを買い込み「いやぁ日本はいいね〜、自動販売機は治安の良さの象徴だよ」などといいながらいい気分で電車に乗ろうと切符を買うとシンガポールから来たわたしにはとても高く感じる。「いやぁ日本はお金のかかる国だね〜」と言い電車に乗ると、混んでいる。「満員電車だけはいただけないなぁ」とこんな具合にあらゆることにちょっとした感想を持ってしまう。家に着くと知らない人には背を逆立てるミュンミュンはわたしをじっと観察していたけれど寄って来なかった。きっと見覚えのある人だなと思いつつ思い出せないのだろう。ミュンミュンはミケほど頭の良い猫ではないのだけれど、そこがまた愛嬌かな。誰でも大好き!なクーちゃんという猫はわたしを覚えているとは思えないが喉をゴロゴロ鳴らして迎えてくれた。日本の実家は騒々しいな。早速マーティンからミケがわたしを探しているようだという報告を受けてパースの静かな家を思った。これから迷い悩む日々のはじまりかな。まぁせいぜい1ヶ月くらいは日本の良いところを再発見して楽しめるだろう。


2004年05月11日(火) シンガポールメモ

こんな小さな国に4度目となるとかなり色々なことを覚えてしまう。MRT(電車。Metro rail trainとかそんな意味かな??)の駅の順番とか乗り換え場所とかも覚えてしまってかなりシンガポーリアン気分。今回もリトルインディアにホテルを取り、眠らないインド人の長い夜の喧騒を楽しんだ。観光地のようなところには行かずひたすらMRTと徒歩で散歩をした。ちょっとしたサプライズなどをいくつかメモしておこうと思う。

秩序の保ち方

わたしがシンガポールに着いたのは夜の10時過ぎ。空港から空いているMRTに乗り込み中心地に向かっていくと車内には監視カメラが着いていた。滞在中注意しながら見ていたけれどこの電車のみだった。夜の人気のない車両のみについているものなのだろうか。そして車内や駅に人目につくように罰金の金額が書かれている。駅やMRT内での「飲食−500ドル」「喫煙−1000ドル」「ガスなどの持ち込み−5000ドル」。ヌードル一杯3ドル〜5ドルで食べられることを考えるとこれは痛い罰金。シンガポール人から聞いた話ではここは凶悪犯罪などには世にも恐ろしい鞭打ち刑というものがあるし、あらゆることに罰金制度があることで秩序が保たれているという。こうやって罰金制度を人目に触れさせるのも実際有効なのではないだろうか。厳しい罰を作ることで秩序を保つ。とてもシンプルだ。悪いことをすれば痛い目にあうのでしなければいいだけの話だ。実際犯罪も少ないという。日本は法律だけ作ってもそれが役に立っていないことが多すぎると思う。ちなみにシンガポールの刑務所内の食事は毎日カレーなんだそうだ。


華奢な人々

女性の下着はA,Bカップが妙に沢山種類がある。Cカップになるとちょっと選択肢が少なくなり、Dカップになると1軒に1種類くらい。聞いたわけじゃないけどこの分だとEカップは無いだろうな。ということでCカップより大きい人はシンガポールで下着を買いにくいだろう。それと比べたら日本人女性は栄養がいいのか、日本では逆にAカップが少ない。同じアジアだからと侮って下着を持たずに出かけると多くの日本人女性は困ることになるじゃないかな?滞在中に明らかに太った人は2人しか見なかった。余計なお世話だけれどどこで洋服を手に入れるのだろうと考えてしまった。


「アッ?」「ラ」

中国人に何か言って「アッ?」と聞き返されるのはあちらからしたら普通。英語でいうPardon?とかもっとぶっきらぼうでWhat?とかそんな感じなのかな? 英語で話して文の最後にラーをつけるのは日本語でいう「〜よ」とかそんな感じかな。例えば何か聞くと「I don't know ラー」などと言われる。こんな人多すぎる。やっぱり共通言語はEnglishならぬSinglishだ。


物の売り方

デパートなどでもこちらが何か聞くまで話しかけてはこないことが多い。しつこい人とそうで無い人の差がくっきりしていて後者が圧倒的に多い。日本の化粧品売り場で店員がでてきてファンデーションを顔に塗ってみたりしてくれるとそれに使った下地のクリームなどまで売りつけられそうになることは多いけれど、こちらでは勧めてもこなかった。じゃぁそれもらうわと言ったらさっさと箱に入れて"Thank you"とお辞儀して次に行ってしまう。良くも悪くも中国人はせっかちだ。

今、AU$50をS$に変えると59ドル〜60ドルが普通なのだけどあるインド人の老人がやっているMoney Exchangeで51ドルと言われて「そんな悪いレート見たこと無い。他に行く」と言って背中を向けて出て行こうとしたら追いかけてきていくらが普通なんだ?と聞くので「60」と言ったら60ドルくれた。本当いい加減。何故かわたしはこんなインド人の老人によく遭遇した。でもここでは日本人にふっかけようなんて人は本当に稀だと思う。


衛生観念

空港からラッフルズプレイスやシティホールの周辺のみの観光だと「シンガポールはクリーン」だと思ってしまうけれど、ローカルなところはやはり汚い。特にトイレはもう憂鬱になってしまうし、食堂のテーブルには肘をつくのも嫌なくらい。食べ物もおなかを壊しそうな保存方法だったり。観光客に見せるのと一般人が住むエリアの衛生的な差が大きすぎる。その点日本は田舎だから汚いとかいうことはなく全体的にキレイにしてるなぁと衛生的安心感はある。


2004年05月09日(日) 冬のはじまり

パースは朝から雨。
冬のはじまり。

昨日はミケをキレイに洗って、
マーティンとフリーマントルを散歩して
夜にテレビでやっていた"Pulp Fiction"を見た。
一番はじめのと最後の場面の
町の「喫茶店」みたいな
煮詰まったアメリカンコーヒーだしそうなところは
レイモンド・カーヴァーの描く小説に出てきそうでなんだか好き。
日本のパーキングエリアとかで旅行中に空腹を満たすためだけに食べる
美味しくないけど忘れられない味を思い出す。

午後からシンガポールに向かいます。
ちょっと遊んでから日本に帰るつもりです。それではまた。


わたしのスーツケースでお昼寝するミケ。
このまま日本に一緒に行けたらいいのにね。








2004年05月07日(金) いつ帰ってくるの?

1番の飲み友達ナエちゃんとわたしはここで本当によく飲み歩いていた。パースに来て初めての友達であり、ひょんなところで劇的に再会した。イヤな意味での女らしさがなく、基本的にさっぱりした男のような性格で気が楽だった。今週末わたしは日本へ向かうのだけれど、彼女も今はビザのことでてんてこ舞い。もし彼女が帰国を決めればわたし達はまた東京の居酒屋で日本酒でも一緒に飲むことであろう。それに焦っているのが彼女のBFのデニス。若い彼はとてもわかりやすい。先日「Michellina、次はいつ帰ってくるの?」と聞かれて「わからない。帰ってこないかも」と半分冗談で答えたら、その後彼はナエちゃんに「帰っちゃだめ」と言ったそうだ。わたし達が日本でつるんでしまったら本当に二度と帰ってこないかも、と恐れているようだ。

今夜はそのナエちゃんも含め女友達と4人でお別れパーティ。そのうちの1人はここで結婚したのでいつでもここにいるのだろうけれど、あとの3人は道に迷っているので今後どうなるのかは不明。気の合う仲間だっただけに次にいつ会えるのかわからないのは淋しいものだ。ここでの日本人の友達の存在は大きかった。バックグラウンドや言語の違いに戸惑う時もそれをあっさり理解してくれる人がいるのは心強い。性格や考えが違えど、やはり同じ国で同じ制度や文化の中で育ってきたのだ。

二軒目のパブで飲んでいるとナエちゃんの電話が鳴った。デニスが今からジョインすると言う。わたしが「絶対、彼はわたしがちゃんとここに帰ってくるか確かめるつもりだね」と言っていたら本人ご登場。図星だった。一言目に「で、いつ帰ってくるの?」と言うので笑ってしまった。

家に帰るとデリバリーピザの空箱が転がっていた。マーティンも友達と飲みに行くと言っていたのに相手の都合が悪くなったので結局ピザをオーダーしたようだ。こんなところを見せるなんて酷い。彼の食生活を心配してしまう。彼の舌は不健康な味を好まないからわたしがいなければマーケットで出来合いの惣菜を買うのだろうけれど、やはりパックに詰められたグラム売りの食事は味気なくてなんだか淋しい。そしてキッチン用具の在り処がわからないと日本まで電話してくるに違いない。「わたしいつ帰ってくるの?」こっちが聞きたいくらいだわぁ。


2004年05月06日(木) 最後の晩餐

今日の夕飯でわたしが料理をするのも最後。今度はいつこちらへ帰ってくるかは未定。日本で様子を見つつ決めることになる。

マーティンは「アジアン料理がいい」と言うので何がいいのか考えた挙句、一度も作ってあげたことがない、そしてこちらでは食べられない日本の魚料理をしてあげようかと思った。ベジタリアンになる前から触るのが恐いという理由で魚料理は出来なかったのでかなりの葛藤があったけれど、結局鯖の切り身を手に入れた。こちらの切り身は大きいのでそれを8枚に切った。野菜しか切ったことのないナイフとまな板に血が着くのを見て血の気が引いた。半分後悔しながら何とか切り、鍋に突っ込んで、鯖の味噌煮を作った。

キャベツの味噌汁と鯖の味噌煮と付け合せのブロッコリーに白い御飯。食卓に乗ってしまえば暖かい家族の夕飯みたいだ。殺傷も血の色も何もなかったように。わたしは血を触ったことに気分がすぐれなかったのだが、唯一の救いは彼が美味しいととても喜んでモリモリと食べて骨までしゃぶってくれたことだった。


2004年05月04日(火) パブでの出来事

秋の風が気持ちよくて午後から友達と電車に乗り、小さな小さな旅へ。ショッピングをしながら散歩をし、のどかなカフェの中庭でアイスコーヒーを飲んだ。

そしてそのままホワイトワインを買いこみどこかで夕飯を摂ろうと彷徨っているとどこからか香ばしい醤油匂いが鼻下を通過した。「日本人はやっぱりこの匂いに弱いねー」と和食レストランに決定。わたしは天丼、友達は刺身定食をいただいた。

さてパブで一杯飲んで帰りますかーとオフィス街の近くにあるパブに寄った。以前よく行ったシティの近くのパブはアフリカ人と学生と妙に年をとった身なりもメッシーな男性達がたくさん屯していて、彼らは無邪気なもので気付くと隣に座っていて一緒に飲もうとしていたりするのでゆっくり話したい時には鬱陶しい。ということで最近はめっきり会社帰りのようなスーツを着込んだお行儀のいい人間が多いオフィス街のパブで飲むようになった。ナンパのようなものもなくゆっくり話せるのがお気に入りだったのに、今日は珍しくちょっと奇妙な男性と遭遇してしまった。わたしがワインをオーダーしているとカウンターに座って一人で飲んでいたこのパブ典型のスーツを着た白人の中年男性がわたしを食い入るように見ている。本当に露骨に。Naughtyな女友達は日本語で「Michellina,オジサンにすっごい見られてるよ、気持ち悪い」と言う。そしてワインを受け取り通り過ぎようとしたら日本語で話しかけられた。「こんばんは。はじめまして」わたし達はちょっと青ざめた。日本語を理解していたのだろうか?わたしはちょっと愛想笑いをし、友達は全く無視し、パブの裏の一番外れた静かな席まで来て飲んでいた。「わたしはどうしてもあぁいう孤独そうな人を全く無視することが出来ないんだよね。でも中途半端に優しくしてつきまとわれたりしたことがあるんだー」と話すと、友達は「孤独なんかじゃないよ、あの人きっと。ルックスもそこそこいいもん。きっと若い頃日本人女性に良い思いしたんだ。だから日本語なんて喋るんだ。」と言う。確かに、そんな人がここには多すぎる。とそんな話をしていると前からさっきの男性が歩いてわたし達の席の横を通り過ぎていく。全く通る必要のないところなのに。明らかにおかしい。そして5分後もう一度。そして通りすがりにわたしの耳元で「おやすみなさい」と言う。わたし達の心臓はバクバクと振るえ、友達も「恐い。刺されるかも」などと言い出し人が沢山いるカウンターの近くの席まで移動した。が、なんとカウンターにまたその男性が座っている。そして椅子ごとこちらに向けてまたわたし達を凝視している。その姿は本当に気味が悪い。彼女のBFが迎えにくるまであと15分。通りにでるのも恐いのでそこで耐えた。何を話してもその人の食い入るような視線を感じるので落ち着かない。そしてついにその人が寄って来た。「ワイン一杯奢らせてもらえませんか?」と綺麗なイギリス英語で言う。このオフィス街にはヨーロピアンが多く「グダイマイト!」なんて言ってるオージーチックな人は滅多に見かけない。わたしは平静を装って「ごめんなさい。あと10分したら帰らなくちゃいけないから」と言った。すると黙って席に戻って行ったのだけれど、依然こちらを食い入るように見ていた。が、わたし達ははっきり声をかけられたことと英語で話しかけられたことで大して日本語が出来ないだろうことが解かりいくらか安心した。「ただ見てる」とか周りをうろついているとかそれほど気味の悪いことは無い。そういう人の交わし方とは難しいもので全く無視しても逆上されそうだし、中途半端に愛想を振りまくのもマズイのだ。

友達のBFの車が見えたときにはほっとした。ちょっとスマートで真面目な人間のナンパは恐い。今思えば、以前のパブのビールジョッキ片手に「いいじゃん、いいじゃん、一緒に飲もうよ〜」と愚図っているような人達のほうがよっぽどよかった(笑)


2004年05月03日(月) フツーのOL、フツーのサラリーマン

こちらで人に「どんな仕事してるの?」と聞くとすごくはっきりした答えが返ってくる。日本人のように「フツーのOL」とか「フツーのサラリーマン」とかではなくて何をしている会社のどんな部門でどんな仕事を与えられているかと詳しく答えられる。それはいかにもみんな自分の仕事に誇りを持っているように感じられるが、実はそうでもない。それについてつっこむとあっさり"I don't know"と言われ、プロ意識の無い人間もかなり多い。

こちらに来る前のイメージと違ったのは案外「専業主婦」は認められること。村上春樹が「アメリカでは妻は"専業主婦"です"と言うと納得してもらえない。**でボランティア活動をしていますとか言えば納得する」とエッセイに書いていたけれど、ここは案外そうでもないと思う。意外に今は日本人女性のほうが結婚してもバリバリ働いているように見受けられる。どうなんだろう、実際。


2004年05月02日(日) WA土産

昨日はやっとスロヴァキアがEU加盟を果たし、この日を指折り数えて待っていたマーティンがヨーロピアン・シチズンになることが出来た。お祝いだと言って買ってきた赤ワインは有名でないワイナリーの物だったけれど、掘り出し物。大満足。

帰国するのでさっとお土産を買いに行った。けれど、WA特有の物って思いつかない。友達はベジマイトを友達に送って嫌がられたというし、ハチミツは美味しいけれど、ベジタリアン的にはやめておこう。Tim Tamは日本でも簡単に手に入るし、後はヌガーとか。。。あまり喜ばれそうなものがないな。ワインは重いし。妹には普通のマーケットで売ってるお菓子を買っていけばいいので楽なのだけれど、大人はそんなわけにもいかないしな。結局チャイニーズマーケットで日本では売ってなさそうなものを手に入れてお終い。どこの土産だか全くわからない。

もうすぐWAワインも飲めなくなるのかと思うと淋しい気もするけど、代わりに美味しい日本酒が飲める!う〜ん、楽しみ!


Michelina |MAIL