My life as a cat
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2004年04月30日(金) 結婚談義

ビザと結婚の問題。こちらではある程度付き合いが長くなると意志とはそぐわなくても結婚する人をちらほら見かける。わたしも「結婚」まではいかずともある程度の選択を迫られている時でもあり、頭が痛い。

ぽかぽかとした昼下がり同じような問題を抱える女友達と3人、イタリアンレストランでワインを飲み結婚談義をする。3人とも未経験の「結婚」はかなりミステリアスなもので考えれば考えるほど深みにはまってしまう。色々な選択肢があるこの時代だからこそこんな風に迷ってしまうのだろうか。

先日話す機会を得たうちの母くらいの年齢の女性はこちらへ来て30年。
「わたし達の時代は旦那様に一生奉仕するという気持ちで来ましたから」と言う。が、少なくともわたし達3人には「一生奉仕する」なんていう忠誠心は無い。

「あまり色んな人見ちゃうとかえってどんな人と結婚したらいいのかわからなくなるらしいよ」

という友達の言葉にそうかもーと頷き、若い男友達の

「結婚は勢いだよ」

という言葉を思い出して、既にタイミングを逃したような気分になる。

いつまでも日本とオーストラリアを迷いながらふらふら行き来していると大事な自分の道まで見失ってしまいそうだ。

「結婚は迷う時点でやめたほうがいい」

という言葉もどこかで聞いたな。

内館牧子は

「結婚して一生うまくやっていけるような人はエリートよ」

と言っていたけど、本当にそうだ。
わたしがエリートかどうかはやってみなきゃ全くわからない話だ。

日本に帰ったらちょっとは何か違ったものが見えてくるのかな。


2004年04月28日(水) 溜息の日

「生きた牛でBSE感染検査」のニュース。健康な牛に感染牛の脳を食べさせての実験。牛は物じゃない。感情の強い動物だ。わたしは人間なのに、たまに同じ人間が恐くてたまらない。

溜息をつきながら、ゴロゴロと床に転がって遊んでいるミケの隣に横たわって1日が終って行く。


2004年04月27日(火) あなたには帰る家がある

山本文緒の「あなたには帰る家がある」を読んだ。ルックスは悪く決してモテるタイプではないが家族を幸せにしようと務める男と、「誰もが認める美人」で世間知らずで良妻賢母の妻、そしてルックスや人当たりはいいもののいまいち責任感や愛情に欠ける男、家事よりも外にでて働きたい妻との夫婦が奇妙に絡み合っていくお話。若くして結婚し1000円のランチを食べるお小遣いも貰えない男や献立を考えるが面倒になる女のストレスなど給料と物価が見合わない国、日本ではすごく一般的なものなのではないだろうか。読んだ後に伸びをしながら「ふあー、何をしたいわけでもないけど、やっぱり結婚なんてあまり興味が沸かないわねー」とつぶやいてふと山本文緒に描かれてしまいそうな「平凡な27歳の独身女性」なわたしに一人ふふっと笑ってしまった。


2004年04月26日(月) 思い出話に花が咲く

高校時代の友達が遊びに来た。今日の夕飯はジェノバスパゲッティとゼミアコベープラツキ(ポテトパンケーキ)とサラダ。結構油っこい夕飯となったのだけれど、彼女はマーティンが作るスロヴァキア料理と生パスタを気に入ってくれたようでモリモリと沢山食べてくれた。

さっさとベッド・ルームに引っ込んだマーティンにはおかまいなしに、夜中の3時までワイン片手に昔話に花を咲かせた。わたし達はあまり学校での記憶が定かでないくせに、放課後の出来事だけはしっかり思い出せた。同じ時間を過ごしたのに卒業してからは随分と違う道を歩いた。それがまた西オーストラリアで一緒にいるというのは不思議なものだ。そしてまた10年後くらい、、、わたし達はどこにいるんだろう。


2004年04月25日(日) たまに食べると価値がわかる

ベトナム料理を食べに行った。基本的にベトナム料理はストリクトでないベジタリアンにとっては食べられるものが沢山あるのだけれど、そうでない人にはきつい。殆どの料理にニョクマムと言われる魚醤が入っているし、スープものは肉のストックが使われる。だからスープまでこだわる人には食べられるものが無いといってもよい。わたしは大抵フォーファンスープという米の粉で作られたヌードルをスープに入れたもの(ベトナム人にとっての朝ごはん)をオーダーするのだけれど、具はベジタリアン仕様でもスープは肉のストック+ニョクマムが入れられている。

わたしがいつも残す肉のストックのスープはマーティンが飲み干す。彼はどうしても肉料理の多くなるような土地で育ったので実家にいるときにはこんなものには見向きもしなかったのだという。だけれどこちらに来てわたしの作る野菜のみの料理を食べているうちにたまにこうやってレストランで肉のスープを飲むとすごく美味しく感じて本当に楽しめると言う。こんな飽食の時代に「うわー久々の肉の味!」と喜んでガツガツとスープを飲み干す彼が貧乏臭くて可笑しかった。「たまに飲むポークスープをそんなに楽しめるのはわたしのおかげだね」と言うと苦笑いしていた。

でも本当、人間ってそんなものだ。毎日美味しいものを食べていたら価値などわからなくなってしまうのかも。贅沢はたまにするからいいのだね。


2004年04月23日(金) 禁煙レストラン

喫煙者はパースでは暮らしにくいかもしれない。レストランはわたしの知る限り100%禁煙だし、タバコはとても高い(マルボロが1箱10ドル(850円)くらい)、その他あらゆるところでは禁煙である。一度ベンチに座っていたら、隣に座っていた男がタバコを吸い始め、煙がもろにわたしの顔にかかって不快になり席をたとうとしたところ、その更に隣に座っていた男性が「隣のレイディーの顔にタバコの煙をかけるのはやめないか?吸うならあっちでやったほうがいい」と人気の無い場所を指差したということもあった。知人のオージー男性は日本へ行ってレストランで禁煙席の座ったものの喫煙席から煙が来るので食べながらタバコの煙を吸わされるなんて!とかなり怒っていた。

とこんな風でノンスモーカーでタバコの匂いが大嫌いなわたしにはかなり暮らし易いところ。今夜は友達とタイレストランにワインを持ち込み、長々くだを巻いていた。けれど、髪に変な匂いがつくこともなく、レストランを出た後も気持ち悪さはない。洋服をクリーニングに出さなくてもいい。これは本当に良いところ。日本では喫煙席と禁煙席が別れていても隣り合っているので大した差はなく帰ってからすぐに洗濯できる服とかそういう風に考えて結構面倒だった。

パースの習慣にすっかり慣れてこれが当たり前となっていたところで来月帰国。「そうだった、日本ではこれが当たり前じゃないんだった」と思い出し、もうちょっとパースで飲んでたい気分になった。


2004年04月22日(木) 嘘をつけない人

体中がだるくて寝ているとマーティンがワインとピザを買ってきた。ワインを一口飲んでまたベッドに戻るとなにやら出かける準備をしているらしい音が聞こえる。「どこ行くの?」と聞くと言いたがらない。すぐにまた酒を買いに行くのだとわかった。わたしは父が痛風になったのであまりにも毎日毎日大酒を食らう人が嫌なのだ。「今日はもうワイン1ボトル飲んだからいいでしょ?」と言うと"Please, Please"と何度も頼むので「じゃぁビール2本だけね(360mlのつもりだった)」と言うと"Thank you, Thank you"と何度も言って車に飛び乗って行ってしまった。 

またうとうととし、1時間後くらいに目を覚まして水を飲みにリビングへ行くとなんと彼が大きなビール瓶を持っている。800ml入り。「何それ?」「え?まだ一本目だよ」と悪びれず言う。「それ2本飲むつもりじゃないよね?」と冷蔵庫を開けてみるともう一本同じ大きさのものが入っていた。その隣に普通の360mlのが2本あったので「2本目はこっちの小さいの飲んでね」と言ってわたしはまたベッドに戻った。

そして朝、いつもはキッチンのゴミ箱の隣に置かれる空き瓶が無い。「これは?」と思い冷蔵庫を見ると小さいビール2本が無くなっている。ばれるとマズイので自分で裏のゴミ箱に持っていったようだ。本当いっつもばれるような嘘ついたり小細工するんだよなと呆れていると彼が会社から電話をかけてきた。「全部知ってるんだからね。わたしは騙せないよ」と言うと「絶対飲んで無いよ」と言い張る。嘘つくならもうちょっとうまい言い訳考えとけないかなぁ。男の人って頭の中が理数系でも何故かこういう計算が苦手な人が多いよなぁ。


2004年04月20日(火)

沢木耕太郎の「檀」という小説を読んだ。「家宅の火」という愛人との日々を綴って逝った作家、檀一雄の妻が語る檀についてインタビューした著者が妻の立場から「わたしは」という口調で書いたノンフィクションというちょっと複雑なもの。夫の小説を読んで知る自分への不満、愛人との一部始終。惨めさ、悲しさに揺れながらも夫への愛の深さが語られている。やがては風向きが変わり、妻の元に戻ってきた夫とポルトガルで過ごした一瞬の幸せの再来。が、後に肺癌にかかり夫は先に逝ってしまう。「裏切られる」という悲痛に胸を貫かれながらも、そこに淀む「深い愛情」に体中が火照るような小説だった。この時代の夫婦の絆というのはすごい。とても粘り強くて簡単には切れない。男性の存在は圧倒的に強いけれど、また女性に対する責任感というものもすごい。30年寄り添った夫を最後にこう書いている。

「あなたにとって私とは何だったのか。私にとってあなたはすべてであったけれど。だが、それも、答えは必要としない」


2004年04月19日(月) SLOWなイタリア人

1ヶ月以上も前たまたま見かけて駆け込んだイタリア人が営むリペアにだした靴とバッグ。「じゃぁ、ミケリーナ(女の子の名前はしっかり暗記出来るらしい)、出来上がったら電話するからね」と言われたが1週間待っても電話が来ない。2週間目に行ってみると「あぁミケリーナ来てくれたんだね!嬉しいよ。でもまだ出来て無いんだよ」と言う。「来週だったら出来てる?」と聞くと「うん」と言う。2週間以上もかかるリペアはどう考えても尋常じゃない。そして3週間目に行くと「靴だけできた」という。バッグは一体何日かかるんだ。やれやれ。そして今日は預けてから5週間くらいは経ったのでさすがに出来てるだろうと思って取りに行った。が、最悪。出来ていない。そんな甘い言葉は要らないからちゃんと仕事しなさい!と言いたくなったが、「もう日本に帰らなきゃいけないからいいわ」と言って壊れたままのバッグを引き取ってきた。ちなみに直してもらった靴を履いて車に乗ってレストランへ行き帰ってきたらまた壊れた。(5分も歩いてないのに。トホホ。。。)

家に帰ってきてそのことについて愚痴りながら先日買ってもらったパスタマシン(手動)で生パスタを作った。生地をこねるにはすごい腕力がいる。マーティンにも手伝ってもらい体力の無いわたし達は2人してへぇへぇと息を荒くしながらパスタマシンに生地をかけた。M:「イタリア人でもこんな苦労してないと思うよ」わたし:「ウソー!してるって、きっと(いや、そう思いたい)」とこんな会話をしながら進行した。最後に麺が形になった時には達成感をかみしめた。熱湯でさっと茹でてキノコクリームで食べた。とろいイタリア人がさぁ・・・・と文句を言う割にはイタリア人ぽいことが好きなんだよな、わたし。"SLOW"は良くも悪くもイタリア的かな。


2004年04月17日(土) コロッケ作り

先日知人が日本人を真似て作ってきてくれたコロッケが美味しくて今日のランチはコロッケにしようと決めていた。具はシンプルで3種類のジャガイモとホワイトマッシュルーム、刻んだスライスチーズ。味付けはパセリと塩、胡椒だけ。揚げ物をするのは面倒なのでいざ作るとなったらすごい。大量に作って衣までつけてから冷凍しておく。大きな鍋でジャガイモをゴボゴボと煮こんだ。大量で大変なのでマーティンを呼ぶと珍しく快く手伝ってくれた。わたしが皮を剥き、彼がマッシュする。そしてわたしが小麦粉と卵をつけて、彼がパン粉をまぶす。何故か今日はご機嫌ですごく楽しんでる様子。「何が起きたの?」と聞いてみると「何もないよ。君の頼むタイミングさえよければいつでも手伝ってあげるのに」と言う。本当?知らなかったなー、そんな気があったなんて。流れ作業で黙々と大量のコロッケを作り10個ほど揚げた。

彼の国ではポテトは主食なのでおかずとしてポテトを食べることは変なのかな?と聞いてみるとそうでもないようだ。そんな食べ方はしないけどこれはこれでなかなかいいという。千切りキャベツとカボチャの味噌汁と白いご飯とコロッケで実家の食卓を思い出させるような素朴で美味しいランチとなった。


2004年04月16日(金) 陽気な夜

いつも恒例の金曜の夜の集い。今日もコリアンレストランへ赤ワインを持ち込みあれこれと話していた。

軽く飲んで店を出てある高いビルのてっぺんにあるレストランへの移動中に3年ぶりに韓国人の友達と再会した。わたしはあまりにもの彼のルックスの変わりように気付かなかったのだが、一緒にいた友達が気付いたのだった。当時は体型もスリムで、わたしを見つけると遠くから"Michellina!"と叫びながら走ってくるような元気な男の子だった。そして「あともう少ししたら兵役の為韓国に帰らないといけない。親は恋しいけど韓国の堅苦しくコンサバティブな人間関係を考えると帰りたくない」と言っていた。その彼が今は認識できないくらい太ってしまい、雰囲気もすっかり落ち着いてしまって昔のような身軽さはない。聞いてみれば兵役への召集を無視し続けた結局祖国へ帰ることの出来ない身となってしまったのだそうだ。祖国へ帰れないというのはどういう気持ちなのだろう。戦うことなどしたくない人にそういった訓練を施すことはどうなのだろうと思った。

初めて訪れたそのレストランへのエレベーターを降りた瞬間、目の前に広がる夜景とそのレストランの都会的な雰囲気に驚いた。てっきりパース=田舎町=砂漠の中と思っていたのに、窓から見えるのは紛れもなく綺麗な夜景。レストラン自体がゆっくりゆっくり回転する。そこで働いている友達のBFを訪ね、彼の兄弟やその友達とマジックショーを見たりして楽しんだ。紹介されたバブル時代の六本木のディスコ顔負けな服装の賑やかなマレーシアン女性に「やっぱり日本人は大人しくてポライトねー」と言われ、いつもなら「英語が得意じゃないだけなんですよー」と返すがこの人相手では「確かにわたしおとなしいかも」と納得してしまった。今度ラテンダンス踊りに行きましょうねと言い放ち二児の母でもあるその人は帰っていった。陽気で賑やかな楽しい夜だった。


2004年04月14日(水) Would you like〜?

女友達と3人赤ワインを持ってコリアンレストランへ。話題は国によって様々な男性と女性の立場の違い。

マーティンは自分がどこかへ行きたい時、必ずわたしに"Would you like to go 〜?"と聞く。"Would you like 〜?"と聞かれたら答えはYesかNoかになる。特に考えてなかった場所を言われてもNo......と答えることが多い。するとがっかりした顔をする。要するに自分はそこに行きたいけれどまずわたしがYesと言わなければ誘えないのだ。別に"Why don't you go〜"とか"Let's go〜"とか言ってくれれば日本人のわたしには自然なのだけれど、絶対にそうは言わない。本当に行きたい時などNoと言っているのも関わらず何度も"Would you like?"と聞いてくるのだから鬱陶しい。逆に"Would you like?"と聞き返すと"YEEEEEEEEEES!!"と言う。結局わたしが"OK,let's go"と言ってそれで交渉成立なのだ。何でも最終的な決定権はわたしにあり、彼は絶対に決定することはせず可能性だけを示してくる。"I can take you 〜"とか"You can stay here"などなど。これはいかに女性が強い国で育ったかということを示すものなのかレディファーストの精神なのか、、、。日本人男性ならば大抵は「〜に行ってみない?」などと誘うのではないだろうか。そう誘われれば「うん、行ってみようか」などと自然に答えられるのに。わたしと彼だけの話なのか、それとも欧米人はみんなこんな風に(女性上位というのかレディーファーストというのか。。。)女性が決定権を持つのだろうか。オージーもやはりどちらかといえば女性が強く男性が優しくておとなしい。女性はいつもお姫様扱いされているので謝ることを知らなかったりする。中国系マレーシア人のBFを持つユナちゃんは「うちはあっちが全部決めるよ。すごい亭主関白」だと言い、中国系オージーのBFを持つナエちゃんは「うちも"Would you like〜?"って聞いてくるけどそれは質問じゃなくてもう"行くぞ"って意味なんだ」と言っていた。やはりアジア系は男性上位?と思うがこちらは夫婦が財布を別々に持ったり旦那さんがコントロールする家庭も多いのに対し日本は奥さんが財政をコントロールする家庭が多いからまたそれも面白い。


2004年04月13日(火) The quiet American

The quiet Americanという映画を観た。(邦題"おとなしいアメリカ人")舞台は1952年のサイゴン。アオザイに身をつつんだ若くて綺麗なベトナム人フォーンを巡ってロンドンタイムスから派遣された年老いたイギリス人、ファウラーと表向きは医療物資調査員(実はCIA)の若いカイルが三角関係となる。ただの恋愛ものではなく歴史や戦争など社会的な事柄も織り込まれている。一人よがりだけれど、恋愛するには悪くないカイルと、ただの記者だけれど、ロンドンに離婚に応じない奥さんを持ってフォーンを悲しませるファウラー。うーん、どっちもどっちだ。

この映画はイラク戦争突入寸前にリリースされ「テロとの戦争」を掲げるアメリカが過去にこの国で起こしたテロが描かれていてバツが悪くタイミングが思慮されたというのがちょっと面白い。

フォーン役の女の子は英語があまりうまくない役なのだろうけれど、それにしても感情の入っていないような喋り方で気になった。しかしスラっとした華奢な体と漆黒の髪は世界に誇れるアジアンビューティー。


2004年04月12日(月) アザラシ狩りがはじまった

ついに今日からカナダで悪夢のようなアザラシ狩りがはじまってしまった。感情だけで物を言うのは説得力がないというけれど、身をくねくねして氷の上を這うあの姿と無垢な目。そんなアザラシ達が撲殺されていくなど居た堪れない。人間は身勝手だ。魚が減った=捕り過ぎたとは考えない。魚が減った=アザラシを殺そうとなる。毛皮にも使えるし、油は美容液として売れるし一石二鳥と。

以前村上春樹の小説で読んだ生きたまま皮を剥がれる人間の話。どれだけ痛いかと(「ねじまき鳥クロニクル」だったかな??)。平和に暮らしているアザラシに棍棒を持って突然襲い掛かり生きたまま皮を剥ぐというのは普通の人間の感情でできるものだとは信じ難い。

ちなみにオーストラリアはもう3年前くらいに毛皮はなくなっている。大手のデイビット・ジョーンズというちょっと高級感あるデパートがあるのだけれど、そこから全面廃止した。日本語の通じるお土産屋でクオッカというある小さな島にしかいない希少動物の皮をまるごと剥いだものを見た時はかなり引いたけどよくよく考えて殺すなど許されるはずがない。死んだクオッカから取ったのだとだろうと思う(そう信じたい)。ここは気候が温暖なこともあるけれど、寒いカナダにしても暖房完備の家で暮らせる人間が彼らがたった一枚彼らの親から授かった毛皮を剥ぎ取って着る権利などあるのだろうか。


2004年04月11日(日) ラッフルズホテル

シンガポールに住んだ経験を持つ友達が貸してくれた村上龍の「ラッフルズホテル」を読んだ。10代の頃に1度読んだことがあるものの、当然だけれどその頃よりも自分の見聞が広まったことでより深く理解できて楽しめた。

ストーリーはベトナム戦争を撮った経験を持ちながら、グラビアを撮影するカメラマンへと転身した狩谷という妻子持ちの中年カメラマンの前に萌子という奇妙な女優が突然現れることで展開していく。ニューヨークで知り合ったこの二人。やがて舞台は狩谷がこの女優から逃げるために選んだシンガポールへと移って行く。熱帯の湿度と生ぬるい空気の中に狩谷を探しに現れた萌子は背筋が凍ってしまうような恐ろしく純粋な女だった。

しかし、気になる一文。

「日本人の商社員がカラオケキャバレーのマレー人ホステスに「結婚するからさ」と口説き、成功したが、熱心な回教徒であった彼女は結婚が嘘だと知って自殺した、そういうのはシンガポールではよくある話だ」

というところ。この本の初版がでたのは1992年だけれど、こういった類の話はこの本の持ち主がつい最近シンガポールで実際働いて見てきてわたしに話してくれたものとほぼ同じ。日本の社会はこの間に大きく変わっていても、海外にいる駐在員とその国の人達の関係性はなんら変わっていないのだろうか。


2004年04月10日(土) 高級レストランより居酒屋

根詰めて勉強しているマーティンを「夜景の綺麗なレストランでちょっとコーヒーでも飲まない?」と誘ってみた。明らかに疲れきった顔で"Ok"というので坂道を下ってスワンリバー沿いのレストランへ。が、イースターのため考えていたレストランは閉まっていた。(※イースターというのは本当はクリスチャンは酒を飲んではいけないらしい。が、昨日もママから「酒など飲まぬように」というメールを受け取った時点で彼は既に1ボトルは飲んでいた。)仕方ないのですぐ隣の高級な雰囲気のレストランに入った。

ピアノの生演奏の隣で女性が歌っている。客はそこそこの身なりをしている。目の前のテーブルでは若いアジア人のカップルがドレスアップして綺麗な色のカクテルを飲んでほんの数回目のデートを楽しんでいる様子。バブル世紀の日本を思い出させるような雰囲気。黒いスーツを着て高級車で迎えに来る男と前髪を逆立てて妙に高いハイヒールを履いた女とバカ高い西洋料理のようなものを空想していると、ウエイトレスがオーダーを取りに来てこの空想はあっさり壊された。てっきりコーヒーだけだと思っていたのになんと彼は「アサヒビールと刺身と生牡蠣」とオーダーしたのだった。どこの居酒屋なんだ、ここは。そして運ばれてきたものはこの綺麗な夜景を見ながら食べるには辛い代物だった。"SASHIMI"は切り口がずたずたなサーモンのみ。チューブから出したワサビと彼が嫌う「安い割り箸」がきた。ちゃんとしたSASHIMIと美味しいワサビと良質な割り箸を知っている彼の表情は一気に沈んでいった。そして次に出てきた生牡蠣を2つ食べた彼の顔は更に疲れ果てて「美味しくない。もう食べられない」と言う。わたしが食べてみるとあぁ。。。生牡蠣なのに新鮮じゃない。取繕うように残りはわたしがおなかに押し込んだ。結局美味しいのはアサヒビールだけだったようだ。

家を出たときより彼の顔は疲れ果てていた。ニール・ヤングのようなワイルドな男に憧れる彼に「ここはニール・ヤングが来る場所じゃなかったね」と言ってみたけど笑ってもくれなかった。

が、帰りの車の中で黙りこくっていた彼が突然思い出したように「あのレストランはニール・ヤングの行くところじゃないよ!」と言い出した。ニール・ヤングには錆びれた居酒屋のほうがいいようだ。


2004年04月09日(金) EUに加盟するスロヴァキア

ちょっと良い知らせをマーティンから聞いた。1989年まで共産国だったスロヴァキアのチキンファームは政府が規定した小さな小さなゲージ、そして底はコンクリートというチキンにとっては劣悪な環境だった。が、今年の5月EUに加盟するにあたって、全てはEU規定に合わせなければならず、新しいゲージを買い換えることにファーマーによる抗議はあったものの、結局チキン達にとっては大分環境が改善されたようだ。最もそこまで首がまわらず閉じてしまったファームもあるようだけれど。やはりいずれ殺される運命にしてもストレスに満ちた短い生涯が緩和されたチキン達。よかった。


2004年04月08日(木) 新しいベジ友達

こちらはイースターで明日から4連休に入る。週末の賑わうシティにいつものごとく飲みに繰り出した。週に1度は必ず一緒に飲んでいるナエちゃんが、今日はユナちゃんという新しい友達を連れてきて紹介してくれた。そして3人で赤ワイン持参でコリアンレストランへ。話してみるとユナちゃんもベジタリアンだった。理由は単に嫌いだということ。日本人の「単に肉嫌い」の人はあまり「わたしはベジタリアンです」とは言わない。彼女も「肉は食べられない。魚もあまり。。。好きなのはお芋や豆やごはん、パン。お酒も殆ど飲めない、タバコは吸わない」と言っていた。粗食で健康的。今の日本人の食生活をこんな粗食に戻せば成人病患者や肥満も減るに違いない。子供の頃からそうやって暮らしてきたという彼女は背もスラッと高くスリムで年齢と比べて肌もハリがあって綺麗。それで至って健康で風邪もひかないというので本当に「肉や魚や乳製品を食べなくちゃ体に悪い」なんて畜産業界の陰謀だとしか思えない。

石焼きビビンパやチヂミ、冷麺をつつきながらユナちゃんと一緒に暮らしているマレーシア人のBFとの成り立ち話に「すごい!ドラマみたい」と感嘆。11年前に知り合ったという彼らは数々の障害を経て1度は別れたもののまた奇跡的にめぐり合って今一緒にいるとのこと。本当に「運命の人」とはこういうものなのだろうか。神様は一度は彼らに障害を与えて離れさせたものの心が完全に離れていない彼らにもう一度チャンスを与えたのかもしれない。日本でのめまぐるしく速く回転する生活、口もきかずにすれ違うだけの人々、一瞬気に留めても忙しさに紛れて忘れてしまった人々、そして忘れられていく自分の存在。。。そういったものに寂しさを感じていたわたしにはとても心がポカポカするような話だった。

ちょっと酔っていたわたしとナエちゃんはこれからのことはまだ想像もつかないというユナちゃんに「頑張ってね。頑張ってね」と何度も繰り返して帰ってきた。


2004年04月07日(水) 純粋な日本語

ある日系人の男の子と知り合う機会を得た。年は大して変わらない。英語も日本語も同レベルだという彼と話すときはやはり日本語。日系人というのは複雑なもので一揆に興味がわいてあれこれと質問をぶつけてみた。彼の親族の戦争中の苦悩や海の向こうから見た日本について、あれこれ話してくれた。聞いていると本当に不思議な感覚に陥る。海外で育っていても日本人としてのアイデンティティはすごく強く残っているように思う。事実、わたしが日頃ここで文化の違いに悩むことを話してみるとあっさり理解してくれるところにうわぁ、育った場所は全く違っても彼には本当に日本の血が強く残っているんだと実感してしまった。そして何よりも彼の日本語にとても胸が熱くなってしまった。一度は忘れかけて頑張って勉強しなおしたという彼の日本語はとても良い。「良い」というのは流暢というだけでなくてもっと別に純粋に響くのだ。ここには日本人が沢山いるし、知り合う機会もある。だからわたしは日本語に飢えていると感じたことはない。それなのに彼の日本語にハッとしてしまったのはきっと流行り言葉も流行の言い回しも無い、熱のこもった日本語に聞こえたからだ。流暢だし文法的におかしいところなどひとつもない。それでもちょっとした言い回しやトーンやニュアンスが違うのだ。言葉をきちんと選んで話しているような雰囲気。わたしはこういう日本語が好きなんだ、きっと。

日本に帰ればどこでも日本語を使えるのに、嫌でも日本語を使うのに、こんなに自分が日本語を母国語とすることを嬉しく思ったのは初めてだった。


2004年04月06日(火) 自分の誕生日の祝い方

夕飯に春巻きを作っていたらマーティンが帰ってきて「今日は会社でスプリングロールを食べた」と言う。ある社員が誕生日で自らケーキと春巻きを持参してきたのだそうだ。こちらの会社は(欧米はみんなそう?)本当に面白いのだけれど、自分の誕生日には自分でケーキやちょっとした食べ物を持参し、みんなに「今日は僕の誕生日でケーキを持ってきたので集まってください」などとメールを送信する。そしてみんながぞろぞろ集まってきてそれを食べる。初めて知った時は彼らの性格を反映したような習慣だよナァと笑ってしまった。積極的な国民性というか、、、。わたしの周囲の人々は、わたしの誕生日をきちんと覚えていてくれておめでとうのメールを送ってくれる。その時ばかりはありがたいと思って彼らの誕生日には!と意気込んでも、わたしは人の誕生日を覚えるのが大の苦手。気持ちはあるのでメモしてみたりするけれど、それを見るのすら忘れてしまう。日本もこうだったら楽だけれど、でもやっぱり自分の誕生日は受け身でいたい。


2004年04月05日(月) パン作りは気長に

先日日記に書いたクロワッサン作りの話題。あれから反省点を踏まえて2度目に挑戦。少しはまともになったものの、まだ何かが違う。3度目もあまり進歩無し。パン屋さんで売っている美味しいクロワッサンのように作るのは職人技に違いない、特殊な物を入れているに違いない、何か良い機械を使っているに違いない、素人が家で作るにはこれが限界なのか?と疑いつつ今日4度目に挑戦。少しずつレシピや時間、発酵のさせ方、発酵させる場所などを変えてみた。すると、大成功!!2次発酵が終った時点でお?これはかなり良さそうだと思ったのだけれど、オーブンに入れて焼いている間に成功が見えた。焼きたてアツアツのクロワッサンを食べてみると美味しい!外側はサクサク中はしっとり。完璧だ。パンというのは本当に湿度、温度によって出来が左右される。自分の家のオーブンの特徴もつかまなければいけない。本に書いてある通りにやればうまく行くものでもない。4度作ってみてやっとコツがつかめた。でもちょっとおしいのは形。これが今後の課題。

生地を発酵させている間に観た"The Piano Teacher"という仏映画。狂気に満ちた孤独な中年ピアノ教師と若い男が恋に落ちるという単純な展開。この2人がひたすら薄気味悪く感情移入できぬまま終った。しかし、イザベル・ユペールの華奢な肩に気だるくしなだれかかる薄手のカーディガンが妙に印象に残った。


2004年04月04日(日) パースの車事情

フリーウエイを走っていると黄色いフェラーリが軽快に追い越していった。WOW!フェラーリだ!と感嘆し、どんな人が乗っているのか見てみたいと意識して隣に寄って行った。ユダヤ人っぽい若い男性だった。まぁどんな風貌の人が乗っていようと驚くことはないのだけれど、なによりも自分がここの人間と化していることにほんのちょっと驚いた。ここでは日本では廃車にされてしまうような車が平気で走っている。気候が乾燥しているから長持ちするということもあるにせよ、まず人々の意識が「車は移動の手段」でしかないというのが一番の理由だろう。中古車屋さんに聞いた話によると、日本の中古車センターで売れ残った車が頻繁にオーストラリアに流れていくということだ。日本ではまずないが、ここでは車が道路の真ん中で止まってしまうなんていう光景はよく見る。

今年で31歳になる「マーティンの車」は、ブレーキを踏むとキーーっとすごい音を立てるので信号待ちで止まっていたら道を歩いていた中年女性に「修理しなさい!」と注意されたくらいだ。が、恐ろしいことに「この車売ったら**買おうかな」などと言っている。まだ売れるのか?と思うがここならあり得る。

そういうわけでいい車を見かけるとついつい物珍しさに追いかけてしまったりする。


2004年04月03日(土) 陶芸教室終わりの日

9週間で1タームの陶芸教室は今日で終わり。仕上げの色づけをした。わたしは手捻りで作った物のみ10点、どれも「下手なハンドメイド」という感じ。もっとうまくなったら「ちょっとくずれていて愛嬌のある」良い思い出になるに違いない。色づけも初めてで体もカチコチなわたしをベテラン生徒も先生もクスクス笑いながらしっかり教えてくれた。あとは先生が釜で焼いてくれる。

教室が終ってから先生が1週間も煮込んだというカレーを振舞ってくれた。毎日飲んでいるという野菜ジュースを作る時に出る野菜カスも入れて何種類ものカレーパウダー、ハーブを入れて煮込んだというもの。ちょっとだけもち米をミックスしたごはんにかけていただく。適当に作ったから2度と同じものはできないというサラダも美味しかった。こんな料理のうまい人がお母さんだったらいいのに。食べながら、結婚と相手の家族との付き合い方について話す。「付き合いづらい相手の親をあえて面倒見ることが良い勉強になるのよ」という先生の言葉が印象深かった。

金曜の夜はいつも飲んでしまって、土曜の朝二日酔いで臨んだ記憶しかない陶芸教室だけれど終ってみると淋しいものだ。わたしはこれから日本に帰るので次にここに来るのはいつになるやら。


2004年04月01日(木) オージーボーイフレンド

「ミケリーナはマーティンのようなBFがいて幸せだよ」とオージーBFに悩みを持つ友達は言う。理由は彼がちゃんと働いてわたしをサポートしてくれるということ。しかも彼のような技術職のスキルがあれば大抵の場所では仕事にありつける。よって経済的な不安に陥れられることはまずない。日本人男性ならばまず給料の善し悪しは別としてしっかり働いてくれてサポートが必要な人間に経済的な不安を抱かせることはないだろう。が、ここではいい加減で働く気の無いオージーのパートナーに頭を痛める日本人女性も沢山いるようだ。永住権を持つ人間に厚い社会保障が与えられることも働く意欲を失わせる原因かもしれない。典型的なのは日本人女性が日本で働き、ある程度お金が貯まるとこちらに戻ってきてを繰り返して一方的に往復する。相手は絶対に日本に訪ねてきてはくれず電話口で甘い言葉を囁くだけ。が、帰ってみると仕事はしていない、仕方ないのでGFが日本で得たお金で養うことになる。挙句の果てに結婚する気もなく、ビザもサポートしてくれない。そしてやがては諦めて日本に帰っていく。嘘のように悪い話だけれど、実際そんな人が沢山いるようだ。オージー男性達には悪気がない場合が多く、ただただ何もかもがいい加減というのだから余計手に負えない。電話口で甘い言葉を囁かれようとも行動で示してくれないものを信じて帰っていく日本人女性というのはけっこう情に厚く優しいのかな。。。。。

彼女のBFはオージーにしては高学歴だし恐らくデキナイ人ではないので探しさえすれば仕事が見つかるはずなのだろうけれど、なんとなく日々をやり過ごしてその間にもどんどん二人の貯金が減っていくという。彼女がまだ働けるビザを持ってないのだから彼が頑張って働いてくれなければ困ってしまう。

日本人のようにせかせか働く習慣の無い彼らをある程度は理解してあげなくてはならないのだろうけど、あちらだってこちらの生真面目さを理解するべきだ。

(写真:Kings Park)


Michelina |MAIL