My life as a cat
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2004年03月30日(火) 苦汁工場

今日読んでいた本に出てきたアメリカの「苦汁工場」。華やかなブティックの裏側で奴隷のように働かされる不法滞在のアジア人女性達のお話。95年に監禁状態で低賃金の週84時間労働などでタイ人女性達を働かせていたタイ人経営者が逮捕された。白人達が経営するブティックが直接手を下すわけではない。下請けのタイ人経営者に「任せる」だけなので何かあってもブティック側は罪に問われない、そして低コストで洋服を量産できるということで成り立っている。わたしのような先進国の人間の暮らしはあらゆることで貧困への搾取の上に成り立っている。

以前サンフランシスコから車に乗って隣のナパ市のワイナリーへ向かう途中でドライバーが話していた。「葡萄を摘むのはヒスパニック系の不法滞在者で低賃金で過酷な労働を強いられ、シーズンが終れば"不法滞在なのだから"と言って国に返される」と。その後飲んだワインがとても苦く感じたのを覚えている。


2004年03月26日(金) ランチだけのつもりが。。。

先週、二人して歩けなくなるまで飲んでしまったナエちゃんと健全にランチだけする約束をし、イタリアンレストランに集合。パスタ、シーザーサラダを食べてアイスコーヒーを飲んでいた。が、途中から会社員であり主婦でもあり華奢な体からは想像もつかないくらいの酒豪であるサキちゃんも合流し、彼女の「あれ?飲まないの?」という一声で風向きが変わってしまった。向かいのボトルショップでホワイトワインを購入、法律無視のこちらの日系企業、アメリカほどじゃないにしろ訴訟が好きなここの人達、アジア系の子供をここで育てること、チェコスロヴァキアの共産主義時代の悲惨さなど、、、などお堅いトピックについて可笑しく話し合った。

すでに仕事を終えた会社員でごったがえしている午後3時(!)のパブへ移動。恐るべしパース。騒々しいパブで2,3時間話し、耳が痛くなった頃夕飯を摂ることにした。またワインを買い込み、コリアンレストランへ。

8時間も飲める体力が自分にあったなんて新発見。主婦であるサキちゃんの旦那さんが迎えに来たのをきっかけにお開きとなった。サキちゃんの旦那さんもナエちゃんのBFも酒を飲まない人達なのでわたし達がこんなにしょっちゅう飲んでいることが理解し難いようだが、二人とも怒ることはないようだ。家に着くとマーティンは飲みに出ていた。


2004年03月24日(水) 字は心の鏡

イタリアを旅行している妹からポストカードが届いた。フィレンツェのドゥオーモの写真とすらっと伸びたきれいな文字。あまり好きじゃなかったパスタも食べてみたら結構美味しいとのこと。

しみじみ妹の字を見て溜息をつく。どこへ行っても褒められるキレイな字を書く妹とは逆に字だけで笑いを取れてしまうわたし。自分で書いた履歴書を持って就職活動するとうまく行かないのに、妹に書いてもらうとあっさり採用されるのは気のせいだろうか。小学生の時、壁に貼り出されたわたしのお習字はひと際目立っていたし、働くようになってからもわたしの手書き文字はあらゆるところで拒否された。

いい加減、日本企業も面接に手書きの履歴書を持参させるのはやめてほしいと思うが、そこが実は重要どころなのだとしたら、、、、日ペン美子ちゃんに申し込みだ。


2004年03月23日(火) Mostly Martha

久々のDVD鑑賞。"マーサの幸せレシピ"というドイツ映画。こ洒落たフレンチレストランのシェフで、都会のシングルライフを送る孤独なドイツ人のマーサ。がある日突然の姉の死によって面倒を見ることになった姪と、レストランに現れた人生を楽しむことをモットーとする陽気な新入りのイタリア人シェフの出現によって少しずつ気持ちをほどかれていく。見た後に心にほんのり明かりが灯されるようなストーリーも滑らかな落ち着く色合いのヴィジュアルもなかなかよかった。ワインが飲みたくなるような映画だ。

しかしイタリアンとジャーマンという組み合わせは面白い。そういえばイタリアンレストランで食事をしていた時にナンパなイタリア人ウエイターがわたしに向かってあれこれとSweetな言葉を投げかけてくるのにドイツ人のマーティンは顔をしかめていたっけ。。。


2004年03月22日(月) オージークッキング

何気なしにつけている昼間のテレビから流れてくる滅茶苦茶オージーの料理番組。強いアクセントの指の太い男がズシズシと料理している。まずはハーブポテト。オージーアクセントだと"Baking"は"バイキン"となる。「ローズマリーとポテトをバイキンペーパーで包んで、塩を振ってそれからよく湿らせた新聞紙で包んでオーブンで40分バイク(Bake)するとね、WOW!! Beautiful!!(←自分のやっていることにいちいち感嘆する)....」てな具合に進んでいく。そして出来上がったハーブポテトは....至って普通のハーブポテトだった。それから2つ目は卵も砂糖も使わないヘルシーケーキ。が、ドライフルーツがあまりにもぎっしりですごく甘そう。で、また分量が何人家族で食べるんだと聞きたくなるような量。オージーの料理のレシピは分量の単位がgじゃなくてkgだったりmlじゃなくてℓだったりすることが多い。小麦粉1kg、ミルク1ℓなんて具合に。これを見るとちょっと食欲が失せてしまう。案外ヘルシーな食材、そして無駄の無い作り方をしているのだからもうちょっと油やバター、砂糖を控えめにしてみたらどうでしょう?しかしこの男はいい加減なところがチャーミングで好き。ことあるごとに「本来はここで**するんだけどね、面倒だからやめとくよ。」と言って省いてしまう。


2004年03月20日(土) The Patriot

メル・ギブソンの"The Patriot"がテレビでやっていた。アメリカがイギリスからの独立をかけて戦うお話。メル・ギブソン扮するマーティンは7人の子供を持つアメリカの志願兵。戦争はひたすら悲しい。弱い物からあらゆるものを取り上げ破壊していく。良き父であるマーティンが殺された子供達の為にも勇敢に戦う姿に心を打たれたけれど、マーティンに打ち負かされた男達もまた良き父親だったのではないだろうか。映画ではアメリカの勝利を凛々しく描いていたけれど、わたしはそこには何の感動も無かった。戦争に勝つことは嬉しいだろうか。本当の勝利は何よりも戦争に加担しない国にあるのではないだろうか。


2004年03月18日(木) 踏み潰されたブローフィッシュ

夜に出かけるマーティンとの散歩の途中の橋の上にブローフィッシュと呼ばれる小さなフグのような体調10cmくらいの魚が沢山死んでいる。橋の上で釣りをしている人が食べることができないこの魚がかかると足で踏み潰したりして放置するのだ。彼はそこを通るとき必ず立ち止まり、まだカラカラに乾いていない魚を手で拾い上げて水の中に戻す。大抵はもう死んでしまっているけれどコンクリートの上で干からびるより元々の彼らの住処に帰ったほうがいい。

例え上司でも納得いかないことにはNOといってしまって自分のポジションを危うくして、わたしを不安に陥れる彼にたまに辟易してしまうけれど、その背中を見ていたら、この人は強い者に牙を剥いても、決して弱い者を踏み潰したり見捨てたりする人間ではない、それだけで充分なのだと不安もどこかに飛んでいってしまった。


2004年03月17日(水) 飲みつぶれ

ナエちゃんとベトナミーズ・レストランへ。ワインを持ち込み、生春巻きやクリスピーヌードルをつまみにちびちび。もともと愛想のないウエイトレスは、日本人の女2人なんていう客にはマーティンと来るときよりも明らかに酷い。しかし白人男二人なんていうと、身をくねくねして笑顔満天大サービス。単に好みなのか永住権が欲しいのか。。。。

ナエちゃんといると妙に酒がすすんでしまう。一軒目をでて、途中でピザを買って歩きながら食べ、また次のBarに入った。また話が盛り上がってしまい飲んで飲んで。店が閉店の準備を始める頃席を立って帰ろうとすると真っ直ぐ歩けなかった。迎えに来てくれたマーティンの車に2人で乗り込むと「酒臭いよー」と嫌がられた。はぁ、わたし半年に一回かならず歩けなくなるほど飲んでしまうんだよな。本当に律儀に半年に一度。


2004年03月15日(月) 邪悪な人間は美味しいケーキを焼く!?

久々に空がどんよりとしていた。朝から体がだるくて家にステイして宮部みゆきの「火車」という長編ミステリー小説に熱中しながらイギリスのお菓子の本に載っていたレシピでレモンケーキを焼いた。卵を節約したいので必要な量の半分は豆乳にしてみたけれどまったく支障なくうまく行った。隣人のダイアナはキャリアウーマンという感じのニュージーランド人で毎日キリッと化粧をして通勤しているのだけれど今日はなぜか家に居た。ちょうどケーキが焼きあがって切り分けている時に姿を見かけたので2切ればかり持っていった。するとワオ!と言って喜んでくれた。

夕方彼女が来て「さっきのケーキすごいおいしかったよ、彼女は良い料理人じゃない?」とマーティンに向かって言うと、「たまにね」などと答えている。おかしい。欧米人はあまり謙遜などしないのだ。本当にそう思ってるに違いない(悲)。「酷いこと言ってくれるわね〜」と2人で言っているとそのうち彼はおかしなことを言い出した。「僕が前にシェアしてたスイスガイはすっごいEvilだったんだけど彼が焼くレモンケーキは絶品だったんだよ。うちの死んだばあちゃんは"Evil people"ほど美味しいケーキを焼くんだっていつも言ってたよ」ですって。(おばあちゃんがこう言う理由には悲しい逸話があるのだが)そんなバカな。。。

が、その後「美味しいーー!!」とガツガツレモンケーキを食べて、夕飯もおかわりまでした。食べ始める前に文句言うわりには良く食べるんだよな。


2004年03月14日(日) 働き者のアリンコ達

食物連鎖が目に見えると感動してしまう。果物や野菜の皮、パスタの茹で汁、残ったお茶などの有機ゴミは出来るだけ堆肥しようと庭のほんの小さな土のスペースに穴を掘って入れ、干した草や枯葉と混ぜて土を被せていた。そこを観察していると面白い。アリンコ達は毎日毎日せっせと働いている。そこから小さな有機ゴミのかけらをどこかに運んでいる。干した草なども大分土に帰った。今日はボーっとしながら蕎麦の茹で汁(冷めた汁)をそこに勢いよく流してしまい、アリンコ達が溺れてしまった。驚いたようですごく足早に逃げていった。ごめん。君達には明日もあさっても働いてもらわなければ。

(写真:そして怠け者のミケ)


2004年03月11日(木) 秋の買い物

先日、朝の寒さに耐えかねて秋の服を買いに走った。こういう中途半端な季節のものを探したがこちらの人は元気でかなり寒くなるまでは半袖で過ごすので薄手の長袖など殆ど売っていない。探している途中で春、夏、初秋と日本ならば3シーズン(=こちらでは殆ど1年中)はけそうな綺麗な柄のスカートを見つけたのでそれをまず購入。その店を出て、それに合いそうなトップを見つけて購入。あまり買い物好きではないわたしは「やっと終った〜。さっさと帰ろう」と思っていた。が、問題発生。スカートに染みのようなものがついているのを発見してしまった。その店は暗かったので見えなかった。すぐに引き返して抗議すると、同じ店がもう一件あるからそこから取り寄せるから明日来てと言われた。

そして次の日行ってみると昨日と違う人がでてきて「担当の人が具合が悪くて帰っちゃってわたしじゃわからない」と言う。あぁオージーだよ、まったく。自分の担当してないことはわからないで済むのがオージー気質。会社全体の責任だなんて思っていない。が、その人が「時間があったら夕方その店まで取りに行ってあげるから夕方来て」と言うのでまた夕方行くと、なんと「勘違いして違うスカートキープしてあったみたい。だからもうこの店にある分しかないの」と言う。そこの店は小さくて工業的大量生産という感じではなくてチクチクと針をさして作っているようなお店なのだ。同じサイズの物もなかった。お金を返すよと言われたけれどまた中途半端な季節の服を探すのも疲れる。結局1サイズ大きいスカートを切って縫い直してもらうことになった。

が、出来上がったら電話すると言われたのに、電話がこない。一体何日かかるんだろうと思い、取りに行ったらやっと。。。。やっと。。。。出来たらしい。やっとやっと出来たスカート。が、わたしの中のジンクスで苦労して手に入れたものは長持ちしないというのがあって悪い予感がする。すぐに破損したりしないことを祈る。


2004年03月10日(水) 古い友達

先日8年ぶりに再会した友達とランチをしながらチビチビとワインを飲んだ。人懐こさと明るさでもう友達も出来て楽しくやっているようだ。都会じゃなきゃ暮らせないんじゃないかというイメージとは裏腹に「こんな健康的な生活もいいかなって思うようになった」と言うので安心した。彼女にわたしがどう変わったかを言わせると面白い。「肌が綺麗になったね」とか「ふわふわした感じが取れて少し落ち着いた」などと言われて、ニキビに悩まされたり、自由奔放に振る舞い周囲を慄かせていた過去のことを思い出した。自分はすっかり忘れてしまった自分が起こした行動でもある人にはすごいインパクトを与えていたりする。彼女にそんな思い出話をされて、「そんなことしたっけ〜?」と可笑しくなってしまった。

わたしもふと思い出した。どう見ても彼女に夢中だったBFに、ある日突然何の前触れもなく振られてしまい泣きじゃくっている彼女の姿が、捨てられた子犬のように見えてわたしまで人間不信になってしまった夜のことを。けれど今目の前にいる彼女はもっとたくましくて時間の経過をしみじみと感じた。そして異国の地で昼下がりにワインを飲みながらこんな思い出話をするなんてあの頃は夢にも思わなかったな。


2004年03月06日(土) カップルはうまく出来ている

早朝から陶芸教室へ。金曜の夜はだいたい飲んでいるので土曜の朝の陶芸教室はいつも二日酔いで無心で粘土を捏ねている。今日は煮物を入れる鉢を2つも作れた。終ってからわたしがみんなで食べようと持参した手作りの豆乳のブランマンジェを先生の作った器に盛り付けていると、レストランを経営している奥さんがさっと庭でミントの葉をつんできて乗せてくれた。食べ物商売をやってる人は見た目にもこだわるんだな。でもやっぱりそれはすごく大事。口に入れれば美味しくても見た目が悪ければ美味しさ半減だ。紺色の器とブランマンジェの柔らかな白とミントの緑がとても綺麗。

教室をでてから同じバスで帰る女の子とシティへでてランチを摂ることにした。イタリアンレストランへ行き、ランチをとって、やっぱり買い物は女同士か一人がいいねと話しながらウインドショッピングをした。

5時を過ぎてシティのお店が閉まり始めるころ、一杯飲んで帰りましょうかということになったが彼女は亭主関白だという日本人のBFに電話をかけて「ごはん食べた?帰るのちょっと遅れるけど大丈夫?」などと許可を得ている。大変だなぁ。マーティンはわたしがごはんを作るものだとは思っていないので、わたしがいなければ冷蔵庫をあさって何か食べている。

飲みながら彼女達の話を聞く。食が合わなくて大変だということや、亭主関白な彼と喧嘩するといつも自分が謝らなければそのまま関係が終ってしまいそうなこと、「もう出て行く!」と家を飛び出しても追いかけてきてくれないことなど。けれどつくづく世の中のカップルはうまくできている。わたしのような気の強い人間がこの彼とつきあったら3日で破局を迎えるに違いない。それにしても家を飛び出した彼女を追いかけてあげないなんてあまりにも可哀そうだ。追いかけてきてくれなきゃ帰りにくい。。。。


2004年03月04日(木) Michellina's Pizzeria

先日作ったジェノバペーストがまだ余っていたので沢山作って冷凍保存できるピッツァを作ることにした。ガバガバっと材料を仕込みもりもりこねる。こね終わったら次は発酵!夜の発酵は寝ているミケの背中に生地を入れたボールが当るように置く。そして上からブランキットをかける。ミケはエライ!ちゃんと今日も職務をまっとうした。

生地をのばしてソースや具を乗せる。ジェノバペーストは油っこいので薄く薄く塗って、チーズも本当に少しだけ。オリーブとバジルの葉を多めに乗せた。熱いオーブンに入れるのはマーティンの仕事。彼は沢山出来たピザを見て驚いていた。「Pizzeriaでも開くの?」と。あぁでもそういうのも楽しそう。とまた夢を見てしまった。

出来上がって味見。パンのようにさっぱりしていて美味しい。これなら朝食にも食べられそうだ。ミケにもあげようかと思ったけれど、食べたくないようだ。残念。


2004年03月02日(火) 誠意の無い言葉

日本に春一番が吹いたとの情報と共にこちらにも秋の風が吹いた。晴れた日中はちょっとだけひんやりした風がノースリーブの肩に気持ちよく当たる。ミケも庭でぐっすり眠りこけていて呼んでも返事もしない。わたしも口に入れるもの全てが美味しくて、もりもり食べて、夜は川べりの鳥達に余ったパンを持って長々散歩し、疲れ果てて朝までぐっすり眠っている。

今日はシティへでた帰りに一人でバスに乗っていた。どこからか聞こえてくる日本語。「** みたいなーーー   ** それビミョーーー」こんな言葉が繰り返される。わたしがバスに乗っていた15分間何度もその言葉が繰り返された。思わず振り返るとわたしと対して年の変わらなそうな女の子2人。こういう会話は時間の無駄ではないかと思ってしまう。きちんと敬語を使えなくてもいい、正しい日本語を使えなくてもいい、でも一生懸命考えて何かを伝えたくて話しているという誠実さが見られない言葉は嫌い。日本人はいつからこんなに全てのことを曖昧に話したがるようになったのだろう。自分に自信が無いのだろうか。若い子の間ではちょっといい加減で曖昧で気だるいのが格好良い、誠実で勤勉なんて恰好悪いという空気が蔓延しているように思う。悲しいことだ。

欧米で長年暮らして久々に日本に帰国した男性が言った。「いつから日本人女性は無知と幼稚を売り物にするようになったんだ。そしてどうして日本人男性はそれを"可愛い"と言うんだ」と。確かにこちらではそんな物は売り物にならない。無知と幼稚なんて振りかざしていたら踏み潰されるだけだろう。別に欧米が世界標準だというわけではないけれど無知と幼稚が売り物になるなんて相当おかしいと思う。そして不誠実で曖昧なことも。


2004年03月01日(月) ヴェネチアの宿

日本から梅も咲いて春がそこまで来ているとのメールが届いた。日本の春、桜、、、飛んで帰りたい気持ちでいっぱいになるのに、どこかで日本に帰るのを恐がっている自分がいる。早い世間の流れもあっさり忘れられて捨てられていくもの達もメディアの洗脳も動機の歪みすぎた犯罪も、キレやすい人々も。。。自分はそんな中で普通に育って暮らしてきたのに、一度そこを離れて外側から見てみたらそこへ帰っていくことが恐くなってしまった。が、こちらにずっと居られない理由や事情もあり5月には日本に帰る。わたしはどこの国にも受け入れられないような気分になる。

そんな帰国に対する期待と迷いと不安を抱えながら須賀敦子の「ヴェネチアの宿」という本を手に取り、まだ海外留学生などが今ほど多くなかった時代にイタリアやフランスに留学していた著者がその時に抱えた気持ちを書いた節に深く吸い込まれた。既に著者が苦難を乗り越え著名人となりシンポジウムのためヴェネチアを訪れ、仕事を終えホテルに戻る途中で突然劇場から通行人にもスピーカーで発せられたコンサートの音が古い記憶に重なる。

「ここにある西洋の過去にもつながらず、故国の現在にも受け入れられない自分はいったい、どこを目指して歩けばよいのか。ふたつの国、ふたつの言葉の谷間にはさまってもがいていたあのころは、どこを向いても厚い壁ばかりのようで、ただ、からだをちぢこませて、時の過ぎるのを待つことしかできないでいた。とうとうここまで歩いてきた。ふと、そんな言葉が自分の中に生まれ、私は、あのアヴィニヨンの噴水のほとりからヴェネチアの広場までの果てしなく長い道を、ほこりにまみれて歩きつづけたジプシーのような自分のすがたが見えたように思った」

わたしの状況はここまで大それたものではない。けれど少なからず海外で暮らす人達はこんなことを感じたりするのだろうか。そしていつか二つの国、二つの文化と自分の中で融合させて自然と生きていくことができるのだろうか。


Michelina |MAIL