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2004年02月29日(日) |
The last SAMURAI !? |
暑い暑い夕方、マーティンは思い出したようにわたしが京都で買ってプレゼントした甚平を出してきた。風呂上りにそれを着て"僕はトム・クルーズの気分だ"と言っていた。←似てないなぁ(笑)でも案外彼のようなガタイのいい白人というのは甚平が似合っていて引き締まって格好よく見える。今日は暑い上に湿気があって日本の夏の夜を思い出させた。彼は「僕はいつか京都に住んだら夕方これを着て下駄履いて毎日お寿司食べに行くんだ〜」と夢のようなことを言って日本語でオーダーする練習をしていた。
「ウナギとイカとマグロとカエル(?)クダサイ!!」
無いよ、カエルは。。。
一番の飲み仲間だったナエちゃんがやっとシンガポールから帰ってきた。早速お昼に会い、お茶をし、夕方帰るつもりが飲んでしまった。久々の再会に盛り上がりコリアンレストランでガンガン、そして完全に出来上がってシティを歩いているとなんとかつての飲み仲間でとっくに韓国に帰っていたと思っていたリーに再会した。1年ぶり。こうやってKeep in touchしていなかった友達とも偶然にシティで会えるのもパースのいいところ。「よし、来週末に飲みに行こう」と酔っ払いお約束のいい加減なことを言い連絡先を交換し別れたところでナエちゃんのBFのデニスの登場。迎えに来たのだった。彼は一滴も飲まない人なので素面で酔っ払いのわたし達を車に乗せて帰るのはむかついたかもしれない。"Are you angry?"と聞くわたし達に"No!"とちょっと嫌がってる様子だった。が懲りずに日本語で「飲み足んないね〜」と言って「来週は**も誘って飲みに行こうか」とこっそり約束して別れた。が、デニスの顔があまりにも淋しそうだったのでちょっと反省した。ごめんなさい。
夕飯を食べていたら電話が鳴った。マーティンが出るとどこかの団体からで目が見えない人達の為にドネーションをして欲しいという内容のようだ。その代わりにティータオルを送ると言う。彼はあっさりOKと言ってクレジットカード番号と住所をその電話の相手に教えている。わたしは驚いた。いきなり電話をかけられてどこの馬の骨ともわからない団体にクレジットカードの番号を教えていいものだろうか。電話を切った彼に詰め寄るとここではそれは普通だと言う。今までだってそうやってきたけれど一度も詐欺のような被害にあったことはないと言う。でもねっ、と反論しかけて急に虚しさがこみ上げてきた。日本人のわたしはそんな電話を信じることは出来ない。日本では「オレオレ詐欺」のような事件が頻発しているから。今の日本は隣人と塩を貸し借りしたり、訪ねてきた知人が誰もいなかったからと家に上がりこんで一杯やっているなどという風景は考えられないくらい殺伐としてしまった。情深い性質の日本人が軽率に人の善意を裏切れるようになってしまったのは悲しい。そして疑い深くなってしまう自分も、そうならざるをえない社会も。
この団体が万が一詐欺だったとしたら本当に罪は重いらしい。だから大丈夫だよと彼は平然と食事に戻る。思わぬところで日本の不幸を見てしまったようだ。
旅行会社で働いている友達がパースから300km北へ行ったところにある砂漠のようなところで昔々まだ水を含んだ土地に原生林が生えていて、その後砂漠化して原生林もなくなってしまいその根の間にあったものだけが残ったという←(この説明はうろ覚え)ピナクルズツアーに招待してくれた。
途中にあるランセリンという白い砂山のある場所でサンドボードで遊んだり巨大なタイヤの4WDの車に乗って砂山を降りたりした。両方ともすごい迫力で保険に加入していないわたしと友達はそればかりが心配だった。車のほうはすごく揺れるのでみんな縦ノリハードロック状態で笑えた。
ランチはツアー会社がピクニックランチなるものを持参していた。これが一番心配だったんだけれど、肉・肉しくなくてなんとかいけた。途中の休憩の時もこの調子でバスに積んであるコーヒーなどを太陽の下で飲むことになった。本当の大自然ツアーだ。アクティブなオージーとフランス人達は海を見れば水着で飛び出していって日本人はビーチでコーヒーを飲みながらそれを見守った。
行けども行けども同じような景色なのにも関わらず、あまり聞いている人がいないにも関わらず、オージーのドライバー兼ガイドは喋り通しだった。植物の隅から隅まで歴史の隅から隅まで、、、。どうもこの人はこういうのが大好きで知識も深いようだ。そして誰よりも楽しんでいるように見える。こういうガイドさんは良い。エンタテイナーに疲れが見えたりするとこちらまで苦しくなってしまうから。
ちょっと面白かったのはこのドライバーさんが時間を区切るときに日本語で「ニジュップン」とか「ヨンジュップン」と言うこと。今日はフランス人も乗っていたのに仏語インフォメーションは無いということはいかに日本人が英語が苦手かを示しているようだった。過去に日本人と何かトラブルがあったに違いない。
そして肝心なピナクルズは不思議な風景だった。ただの岩というくらいで感動もなかったけれど良い体験だったと思う。WAは観光の要所が離れすぎていて相当の気力が無いと個人ではでかけない。ツアーで行くのがベターだ。
2004年02月21日(土) |
美味しい物は素晴らしい |
今週は北九州の野犬捕獲の件などでなんだか悲しい気持ちで過ぎて行った。5月に日本に帰ることを楽しみにしていたのに「やっぱり帰りたくない」と駄々をこねていた。ここではわたしはまだいまいち言葉の真意がわからない外国人でこの国の裏の顔もまだ見えていなくて、それ故に幸せなのだ。
朝に陶芸教室に行った。日本人の先生に教わる価値はあってわたしの大好きな和食器を作れるのが嬉しい。生徒はみんな日本人でみんなで当たり触りのない映画や食べ物、社会のお話をしながら粘土を捏ねる。それでもふとした人の発言にすごく自分とのギャップを感じてしまって、なんとなく自分が日本人離れしているけれど、かといってどこの国の人とも言えない、宙ぶらりんで孤独感に襲われたりする。「**さんのイギリス人の旦那さんはヴェジタリアンで食事が大変なんですって」なんていう会話にも、わたしは知らず知らずのうちに周囲に面倒をかけているのだろうかと落ち込んでしまったりする。彼女達はわたしがヴェジタリアンなのを知らないので悪気があるわけではないのだけれど。最近ちょっと神経過敏すぎるのかもしれない。
家に帰ってきてネットをしていたら宇宙に飛ばされたライカ犬を悼むサイトに遭遇してまい人間の勝手さの下に犠牲になる動物達を思ってまた心がどんよりしてしまった。
夕方にシティに散歩に出かけた。大好きなキング・ストリート・カフェに入りわたしはお気に入りのプラムとバナナのタルトを、マーティンはキノコのリゾットを頼んでシェアして食べた。リゾットは色んな種類のキノコが入っていて、上に色々な種類のハーブが乗っていてしつこくもなくてヘルシーな味がした。美味しい物を食べて、マーティンはインドカレーを食べておなかを壊して病院に行ったら医者がインド人で正直に話しにくかったなどと笑える話をしていたので少し元気が出た。美味しいものマジックってすごい。落ち込んでいるときも美味しい物を食べると少し持ち直す。
夜に一人でバスに乗り込んだ。ドライバーはオージー。先に乗っていたのはアボリジニの夫婦と彼らの子供と見られる3歳くらいの女の子、そして彼らの知人とみられるアボリジニ男性のみ。彼らがバスの真ん中辺りにいてバスの前方から乗り込んだわたしは不穏な空気を感じたので、そこを通らずドライバーのすぐ近くのシートに座った。アボリジニというのは本当にどこでも奇声をあげていたりするものだけれど、彼らもその典型だった。その女の子に窓から見える景色をみせて「ほらスワンリバーだよ。キーー!!」などと奇声をあげていて、その度に心臓がバクバクとした。そして降りないのに何度もブザーを鳴らしてバスを止めた。
シティが見えてきた。元々彼らの土地だった場所に敷き詰められたコンクリートのシティと大きなビル。バスの中からそれを見て大騒ぎする彼らを見て複雑な気持ちになっていた。そしてバスがもうすぐ終点に到着しそうな時に急にカップルの連れの男がドライバーに殴りかかろうとして後ろから飛び出してきた。無差別な暴力。ドライバーのすぐ近くに座っていたわたしも殴られるのではないかと恐くなってうずくまった。奥さんは必死に止めろと叫び、子供は驚いて泣きわめきだした。ドライバーは冷静を装って横目で男を見ながら運転し、旦那はその男のTシャツが延びるまで引っ張って止めに入った。3分くらいして急にまた男の態度が急変して大人しくなった。でも子供は泣き止まない。夫婦は子供を泣き止ませるために男を残してバスから降りた。そして3人になった。その男の行動はかなり支離滅裂でドライバーに謝ったり暴れだしたりを繰り返し、大人しくなった隙にドライバーが「ここで降りる?」と聞くと大人しくバスからでていった。が、信号待ちで止まっているこのバスに向かって窓の外から暴言を吐いて騒いでいた。バスが走り出してから放心状態のわたしにドライバーが"Are you all right?"と聞いたけれどha.....としか答えられなかった。
夜にずっと8割型の停電になった。薄暗く電気がついていたけれどこれじゃぁ本も読めない。わたしのような現代人は一夜たりとも電気がないと不便に感じてしまう。が、あがいてもどうにもならない。家の前のレンガで出来た低い塀に腰掛けて生ぬるい夏の夜の風を浴びながら星を見ることにした。わたし達の住むストリート全体が8割停電になっているようで何度か人がわたしのように家から出てきてはわたしに「今日は月が無いね」とか「何やってるの?」とか話しかけながら通っていった。ミケもよくこのレンガの上で横たわって夕涼みしていて通りすがりの人に話しかけられたりしているのでなんだかわたしも猫になった気分。人間「無いと生きていけない」って思い込んでいるだけで本当は不要なものも沢山あるのかもしれない。こんな風に暮らしてたらミケみたいに暗闇でも色んなものが見えるようになるかな。
深夜の空港に友達を迎えに行った。バリ島からの飛行機が着陸するのを見てうわー飛行機ってすごいねと二人して感動し、出口で待った。
待つこと1時間。出てきた彼女をすぐに認識できた。変わってないなぁと思っていると反対に先手をうって「変わってないね」と言われてしまった。マーティンと同い年生まれのオンボロ車に乗って家に向かう。この車を見ると大抵の日本人はひくのだけれど、ここ1年をほぼバリ島で過ごした彼女には違和感ないらしい。家に着いて再会のワインを開ける。彼女はすっかり酒に強くなっていてマーティン並によく飲んだ。が、彼女とマーティンは会話が成り立たなくてそのうちマーティンはゲームを始めて気付いたら寝ていた。小さな声も響いてしまうような静かな夜中のキッチンで、彼女が持ってきた昔の友達の写真を見ながら話を聞いた。わたしはこつこつKeep in touchするタイプではないので知らない話ばかり。みんな違った状況の中で違った悩みや喜びを感じて生きているようだ。略奪愛の末に幸せなお母さんとなった友達、余命の短い闘病生活のBFを持ちその病気に関しての勉強に励む友達、自身が体調を崩し楽しくやっていたBFとも別れてしまいいまいち何もかもがうまくいかないという友達、仕事の面では夢を叶えてうまくやっているのに恋愛面ではいつもトラブル続きの友達、実はゲイだった同級生(ほんとビックリ!!今、彼には素敵なBFがいるらしい)。。。。。そして彼女のバリのお話、バリニーズの元彼とは経済格差や宗教、文化の違いで解かりあうのが難しかったということなど。
「成るようになる!」という楽天的な性格は全く変わってなくてこれからここでうまくやっていけるかなぁと心配するわたし達を尻目に"Thank you!!"と豪快に言い放ち去っていった。そんな彼女の背中を見ていると本当に「成るように成るかも」と思えてきてしまうのだった。
2004年02月14日(土) |
8年ぶりに再会なるか |
先日8年間音信不通だった友達からメールがきた。パースに来ることが決まってからわたしがここにいることを聞きつけてメルアドを入手したらしい。昔から人を驚かせるのが得意なコだったけれど、8年ぶりにまたやられた。何をしていたんだろう、この8年間。
しかしそれ以来なかなか連絡がこなかったので予定変更でもしたのかな?と思っていたら昨日突然メールで「明日の夜着くから」と連絡が来た。そして今日のお昼にバリ島から電話をしてきて「急でごめん。連絡しようしようと思いながら遊んでて忘れちゃった」などと言う。会う前から変わってないと悟ってしまった。
とりあえずこれから空港まで迎えに行くことにします。
(写真:Beaufort St. Northbridge)
2004年02月11日(水) |
シンガポールの散歩道 〜バイバイ・リトルインディア |
朝ホテルから歩いてリトルインディアを散歩。表通りは観光客も沢山いて全く問題無いのだけれど裏通りはちょっと危険な感じがする。ちょっと裏に入ってみたらジロジロ見られた。
コピを飲もうとCafeに入ってみたらカレーが沢山あって思わずおなかもすいていないのに取ってしまった。コピとインディアンカレーで2.4ドル。ここでも貧富の差はあってやはりインド人達は出稼ぎみたいな人が多いのだそうだ。Cafeのインド人達はとても愛想の良い人達でほっとした。
食べてみると禁断の味(?)がした。夕方飛行機に乗るのでおなかを壊しては困ると半分しか食べられなかった。ごめんなさい。
ナエちゃん&デニスが空港まで送ってくれた。モスバーガーも食べとけばよかったなぁと言うと、オージーのデニスは
「飛行機の中に3,4個持って行って食べればいいじゃん」
とあっさり言った。3、4個って、、、。大体飛行機の中にそういうの持ち込んでる人見たこと無い。ナエちゃんは
「あぁそんなこと思いついちゃったら次にこの人絶対ヌードルとか持ち込むよ」
と恐れていた。
日本から行くシンガポールとパースから行くシンガポール、
そして観光客として見せられたシンガポールと素顔のシンガポールはとても別物に見えた。新発見が沢山あっておもしろかった。
2004年02月10日(火) |
シンガポールの散歩道 〜リバーサイドで更けていく |
ホテルのPCは日本語が全部文字化けしていてメールもチェックできなかったので朝にシティホールまで来た。結局ここでも日本語が打てるPCにありつけなかった。それにしてもこの辺りのホテルは立派。
黒猫発見。SARS騒動の時にシンガポールの野良犬、猫はみんな狩られて処分されたと聞いていたのに意外に野良猫をがいるものだ。でもどの猫も体が小さいのでその時に子猫でどこかで身を潜めていたのかもしれない。見ていたら近寄ってきて撫でたい衝動に駆られたけれど我慢。
路地裏でおなかを空かせた猫がいた。何か食べ物をあげたいけれど去勢してあげられない猫に食べ物だけ与えるのは罪だ。誰か飼ってくれるといいね。
ナエちゃん達が観光客の見ないローカルなシンガポールを見せてくれるというので、シティホールから電車で15分、Clementiという駅に向かった。駅を降りたとたんに見たものはゴミ箱からはみ出したゴミ・ゴミ・ゴミ。
うわぁ幻滅。植物園、ラッフルズホテル、マーライオン、セントーサ島、
オーチャードロードあの辺りだけ歩く観光客には想像もつかない景色ではないだろうか。シンガポール=クリーンというイメージはあえなく崩壊。
待ち合わせの時間より早く来てしまったのでちょっと歩いてすごくメッシーなフードコートに行き、チャイニーズ達に紛れてコピを飲んだ。席がなくて相席させてもらった。目の前では歯が一本しかない叔父さんがお粥を食べていた。ここですごい光景を目にする。コピをテイクアウェイしたいというと金魚すくいの時に金魚を入れてくれるような袋にコピを入れて客に渡すのだ。ラッフルズの周りのクリーンなCafeで紙コップに入れてテイクアウェイすることを考えると本当にローカルなシンガポールを見た感じだ。後でナエちゃんに聞くと缶詰の缶にコーヒー入れて持ち歩いてる人もいるんだとか。そしてなんとこのメッシーなフードコートはシンガポールの衛生局がやってるクリーン判定基準ではABCDEのうちCという判定をもらってるらしい。DEってどんなんなの??想像したくな〜い。
ランチは美味しいパン屋さんに連れて行ってもらった。久々に日本のようなしっとりパンにありつく。そしてちらっとオーチャードロードを歩きチャイナタウンへ。横浜中華街などとは違ってここのチャイナタウンにあまり活気がないのはこの国の大半をチャイニーズが占めるからだろうか。あまり生活感漂っていない。
可愛らしい巻きスカートが10ドルくらいで買える。2枚購入。ナエちゃんはパースに住んで以来物欲を失ってしまい欲しいものが殆ど無いと言っていた。すごくよくわかる。わたしも物欲弱し。衰えないのは食欲だけだよね〜と意見一致(笑)
ライチをおなかいっぱい食べたくて来たんだけれど季節を過ぎているのか売っていなかった。
夜はデニスがベストなラクサを食べさせてあげると言ってなかなかメッシーなところに連れて言ってくれた。でもそこのラクサは本当にすごく美味しかった。具に貝が入っていたのだけれどこれにアタル人が多いので食べないほうがいいよと教えてくれた。ナエちゃんのヌードルには髪の毛も入っていたのだが黙って取り除くのを見ると、随分鍛えられたもんだ。
そしてまたデニスはゲームにわたし達はリバーサイドで飲むことにした。川べりの生ぬるい風にシンガポールにいることを実感。
デニスの家族とのつきあいのお話やナエちゃんがパースに帰国してからのこと、わたしのベジタリアンレストラン計画、あれこれ話して最後の夜は尽きていった。
ホテルに帰ってベッドに横たわっていると裏路地から眠らないインド人達の喧騒が聞こえてきて今日でこれも終わりかぁと思ったら淋しくなった。パースの夜は静かで短くてあまりにも健康的だから余計かもしれない。
2004年02月09日(月) |
シンガポールの散歩道 〜ラッフルズの夜景 |
朝起きてまた昨日のベジタリアン食堂にコピを飲みに行った。わたしは普段は朝ごはんを食べないので料理はとれず、蓮根ボールのようなものをつまんだ。ここの奥さんは太った黒木瞳のような雰囲気の中国人で顔の作りはとても綺麗なのでもったいないなぁと思った。
お昼にナエちゃんとシティホールという東京で言う丸の内みたいなところにある古本屋に行くつもりだったのだけれど、急にちょっとした用事を思い出したというので一人で行くことにした。ここは本当に日本人ビジネスマンが多くて丸の内みたい。日本語があちこちから聞こえてくる。ちょっと面白い話は日本人駐在員というのはとてもリッチで現地採用で働いていたナエちゃんとは
随分待遇が違うのだそうだ。そしてその駐在員の奥さん達というのもエステに通ったりして肌もピカピカ、綺麗な服を着ているらしい。
パースでワーホリ日本人のような汚らしい恰好の日本人ばかり見ていたデニスは
「うわ〜。綺麗な日本人だー!」
と感動したらしい(笑)
地下にある和書の古本屋さんに行ってみた。スーツを着た日本人ビジネスマンばかりが本を物色していた。でも、もっと大きな古本屋があると聞いていたのでそこで2,3冊だけ買った。
そしてBugisという駅でナエちゃん達と合流。デニスは食べるのが大好きで、昨日から
「今日は何食べる?」
とそればかり。今日も会うなり
「アレ食べなきゃ、コレ食べなきゃ」
と言われ、とりあえず彼がおすすめのココナッツジャムとバターを挟んだトーストを食べに連れていってくれた。甘さ控えめでとてもおいしかった。これはパースでも買えるようだ。これを食べているそばから
「じゃぁ、次は何食べる?」と聞かれてしまった(笑)。
そして大きな古本屋さんに連れて行ってもらった。ここは未購入の本もお茶を飲みながら読めるCafeと本屋が一緒になったようなところでまるで東京にいるみたいだ。ラッキーなことに今日は丁度半額の日だったので沢山買い込んでしまった。そして明治屋にも連れて行ってもらってパースでは買えない日本の食材を買った。ここ、日本のスーパーとなんら変わりはない。
そして夕方はデパートの地下にあるフードコートのようなところで食べた。色々なお店があってそこで自分の好きな物を選んで食べる。わたしはTAU FUと書かれたテナントに行った。←この中で好きな物をボールにとってレジに行き、好きなヌードルを選んで汁とネギを入れてもらう。これで5ドルくらい。ここは本当に食べるものや着るものは安くて土地や車が高いようだ。
餃子やフィッシュボールもどきをとってみたけど本当に肉じゃないの?って何度も聞きたくなってしまうくらいよくできた擬似肉だった。ナエちゃんいわくシンガポールの人達は思ったよりも肉を食べないんだそうだ。ここに引っ越してきてから無意識ベジタリアンのようになっているということだった。確かにパースではベジどころかミータリアンだったデニスがベジタリアン食ばかり食べているので驚いた。ここでナエちゃんはチャイニーズのベジタリアン食のテナントに並んでいたら
「日本人?ここ肉無いよ」
と言われたらしい。ふむ、、、。日本人は肉好き国民ということなのだろうか。
わたし達が食べていたところのすぐ近くでデニスの叔母さんがアップルストルーデルを売っていて、持ってきてくれた。ドリアンストルーデルも。どちらもすごくおいしい。パースのアップルストルーデルを見て正確にはジャーマンオーストリアンのマーティンはいつも
「これはアップルストルーデルではない」
と怒っていたけど確かに随分違うな。これは生地が薄くてシャリシャリっとしてて中のアップルカスタードもドリアンカスタードも甘さ控えめでとってもおいしかった。はぁ食のことを考えるとパースに帰るのが嫌になるわたし。
デニスはゲームをしに行き、大人のわたしとナエちゃんはラッフルズシティの上にあるBarで飲むことにした。以前はIDチェックがあったのに今回素通りできたってことはそういうことなのか??入ってみてショックを受ける。6年前に来たときはとても静かで夜景の綺麗な大人のBarだったのに今は音楽ガンガンでクラブのような雰囲気になっていて、隣の席の男性群がやかましかった。でも久々の再会を遂げた彼女と色々話せて楽しかった。パースにおける過去の人種差別のお話、教育者として真実を教えたかった彼女のお父さんや
小説を書き続けるお兄さんのお話、子供の頃からビジネスマンになることしか教えられない中国人達の話、シンガポールの駐在員たちのお話、、、、、尽きることがなく喋り続けた。
2004年02月08日(日) |
シンガポールの散歩道 〜リトルインディアに到着 |
シンガポールは今回で3度目。急に決まったもので急いで航空券を手配して、ネット上で適当なホテルを予約、さっと交通などの情報をネット上から
プリントアウトしてリュックに詰め込み出発。今回はカンタス航空を利用。
(写真:パースを離れていく飛行機から)
パースとシンガポールは時差なし。5時間で着く。空港で電車のSUIKAのようなカードを購入した。わたしはSUIKAも使ったことが無いのでドキドキ。みんな手慣れていてすんなり涼しげな顔で通っていく。遠くから観察してから、人の波に乗ってズンズンと足早に歩き、カードを画面にペタン。あぁよかった、すんなり通れた。
ここの駅はホームがガラス張りになっていて電車が止まるときしかドアが開かないようになっている。友達は小学校でも落第させられるというこの国の厳しい教育システムからストレス社会で自殺する人が多いと言っていたから自殺予防だろうか。
プリントアウトしてきたホテルの地図を見る。おバカさんなことにこの地図にホテルの名前がない。そして最寄の駅から徒歩10分と書いてあるのでそれを信じてその駅で降りた。駅を降りた瞬間熱気と湿気に包まれた。パースのような乾燥したところにいると本当にこんな湿度が恋しくなる。あぁこの湿気こそアジアだ!と嬉しくなった。
駅で降りて聞いてみるとみんな口々に「歩いて行くのは無理」と言う。そんなはずはないと頑張って歩き出した。でもその地図にあるストリートさえ見えてこない。
熱帯魚屋さんからでてきたおじさんに尋ねたら車でホテルまで送ってくれた。かかった時間約10分。嘘つきホテルだ。今まで持っていたイメージ通りの紳士的なシンガポリアンのおじさんにお礼を言い、疲れ果ててホテルに入り、
受付の中年男性にチェックインをしようと予約番号と名前を告げると
「予約したいの?」
と聞かれた。
「いえ、もうしたんです。調べてください」
「予約したいのね」
と言われ情報を打ち込んでいる。どうなってるんだ??
「前払いです」
「えー!まだ両替してないんです」
「裏にあるのでしてきてください」
。。。。。やっと座れると思ったのに、両替をしに行くハメに。ホテルの裏通りにはインド人男性がうじゃうじゃ。ここはもしかしてリトルインディアの中??インド人達に紛れて両替を済ませ「ウエルカムドリンクです!」とミネラルウオーターを渡されやっとのことで部屋に入れた。はぁ、、、。
一息ついて夕飯を食べるためにホテルの周りを歩いた。Gパンにニットという至って普通の服装のわたしを通り過ぎるインド人男性達が上から下まで見て何か言いたげに通り過ぎていく。そんなに女性が珍しいのか?と思っていた。
大きな通りまででたらやっと中国人などを見るようになって、「素食」と書かれたベジタリアン料理の食堂を見つけた。うわーっと一目散に入ってしまった。とてもアットホームな雰囲気のお店で何かと話しかけられながらケースの中に入った料理と大好物の「コピ」(濃いコーヒーにコンデンスミルクが入っている)を頼んだ。
これでS$6。(350円くらい)
中国人というのは本当にフェイクを作るのに長けている国民だ。この茶色っぽいお肉に見えるものは豚のしょうが焼きに味がそっくりだった。こういうタレの味が濃い肉料理というのは野菜や豆腐に同じタレをつければ似た味になるのだけれど、肉の食感まで出すのはなかなか難しい。すごいな、中国人。なかなか客の入りがいい食堂だったけれど、お客さんがベジタリアンなのかはわからない。ベジタリアンでなくても楽しめそうな料理が沢山あるのだ。
散歩しながらホテルに帰り、こちらに住んでいるナエちゃん&デニスに電話してみた。泊まっているホテルの名前を教えると、デニスに、そこはリトルインディアの中でその裏通りは娼婦が立つストリートなんだと教えられた。こちらの娼婦は「娼婦」という恰好はしないようだ。すぐに捕まってしまうからだろうか。道理でわたしをジロジロ見ていたはずだ。
シンガポールでは環境を考えてあまり車を増やさないために車に乗るのにはガソリンから駐車場、車本体、免許あらゆるところで高くつくようなシステムになっているので、車を持つのはリッチでなければ出来ないようなのだけれど
2人はデニスの叔父さんの車を借りているようで、ホテルまで迎えに来てくれて
リバーサイドに飲みに繰り出した。
今日は日曜なのでリバーサイドもなかなか静か。ちょっと騒がしいバンドの演奏を聴きココナツのコップに入ったピニャコラーダを飲みながらあれこれ話した。 ナエちゃんは旅行者には見えにくいシンガポールの影の部分に触れながらパースが恋しいと言っていた。その影の部分というのは旅行者でしか来た事が無いわたしのイメージとはかけ離れていた。例えば自分の家は綺麗に使うのに公衆の物は汚く使う人も少なくないなどということ。政府が厳しく取り締まっているのも旅行者が行く場所だけなのかもしれない。その後連れて行かれた旅行者はあまり立ち寄らなそうな場所のトイレはとても汚かった。千葉によくいる自分の高級車は土足厳禁にして窓からタバコの吸殻や空缶を投げ捨てる人々を思ってしまった。もちろんわたしのイメージしていた「紳士的なシンガポリアン」もいるのだそうだけれどそんな人ばかりではないようだ。
2004年02月07日(土) |
緊急シンガポール行き |
事情があって急にシンガポールに行くことになりました。
あたふたとチケットを取り大変でしたが
あちらにいる友達が和書が買える古本屋に連れて行ってくれるというので
日本から持参した本を読み終えてしまったわたしは楽しみです。
すごいなぁ、シンガポールの日本人コミュニティは大きいな。
おなかいっぱいライチを食べたいともリクエストしました。
できたら日記も更新しますね。まぁすぐに帰ってきますが。
明朝出発です。行ってきます。
昨夜の残りのヒジキで炒飯を作ってマーティンのランチに持たせることにした。調理している隣で「もっともっとヒジキ入れて」と言うので言われたままにしていたらメインは御飯ではなくヒジキになってしまった。
いってらっしゃい!と見送り車のエンジン音がしてすぐに停まった。あれ?と思っていると箸を忘れたといってわざわざ戻ってきた。「会社にスプーンとかあるんでしょ?それでいいじゃん」と言ったら、いや箸でなければ!という。どうやら彼の会社にはあまりアジア系がいないので箸を使って物珍しい物を食べているとちょっと人気者になれるらしいのだ。自身も箸を上手に使いこなす日本人張りの自分にちょっとうっとりしている。幸せ者だ。
2004年02月04日(水) |
千葉県民の会 in Perth |
このHPからもリンクさせていただいている"White Bearの新世界探検記"のKumaさんとランチに出かけた。初めてお会いした時は1年以上も前でしかもちょっと挨拶を交わした程度でじっくり話す機会を持ったのは今日がはじめて。イタリアンレストランに行き、パースの気持ちいい風を浴びながら千葉県ローカルネタで盛り上がる(笑)「幕張」「稲毛」「ナンパ橋」「栄町」「勝浦」「和田浦」「内房線・京葉線」「姉ヶ崎」って、、、、懐かしい。Kumaさん宅にもおじゃましてお手製のイチゴのババロアをご馳走になりながら猫のようにゴロゴロ寝ているワンコを触ってきた。ご馳走様&そしてありがとう。
マーティンはわたしが料理するのを見て「なんでそこ捨てるの?」などとよく言った。例えばもやしのヒゲネとか絹さやの筋とか。わたしは日本で覚えた普通の感覚で取り除いていたけれ欧米人はまずやらないようだ。彼に料理をさせると皮もあまり剥かないし、灰汁を取ったりもしない。ブロッコリは下の方も小さく切って入れてしまうし、キャベツなどは芯も切って入れてしまう。これを見ていたら今まで普通だと思っていたことがすごく無駄に思えてきたのでやめた。
こちらに来て覚えたのは茹でこぼしはすごくもったいないということ。栄養分が流れてしまう。なので、ふかしてみたり、茹でた汁を何かに使ったりすることにした。じゃがいもの皮と芽には毒素があるらしいので食べない。けれど皮むきは丸ごと茹でてから熱いうちにする。そうすると綺麗に皮だけ剥けて実が無駄にならない。
こんな風にするようになってから日本人に書かれた料理本を見てると捨てたりすることが多くてもったいないなぁと感じてしまう。繊細でいいなぁとも思うのだけれど。すっかりこういうことをしなくなったわたしの料理を日本人がみたら「大雑把な男の料理」だというだろう。