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2004年01月30日(金) |
Chicken Run |
Nick Parkの"Chicken Run"のDVDを見た。エッグファームで卵を生さなくなったチキン達をファーマーがチキン・パイにすることを決め、それを察したチキン達が必死で逃走を試みるストーリー。コメディで半分は笑ったけれどそのうち感情移入してしまい涙がでてきた。本当の鶏さんたちはここまで考えないかもしれないけれどコンベアに脚をつるされ仲間がどんどん首を切られて行く時には自分の番になるまで絶対恐怖に戦いているはずだ。でもこのお話、最後はハッピーエンドで良かった。
2004年01月29日(木) |
夢は果てしなく・・・ |
友達から届いたポストカードで彼女が今は健康でないということを知り心配していた矢先、また別の悪いニュースが届いた。ちょっと元気をなくしてしまい今日は無邪気に寝転がるミケを抱っこしてダラダラと家の中を転がっていた。
夕方ふと自分が未来に経営するヴェジタリアン・カフェの空想が沸いた。全ての動物、人間、地球にやさしいカフェだ。動物愛護や環境保護、社会問題に関することについて書かれた本も売りたい。そして週に1度はホームレスに炊き出しをしておなか一杯食べてもらいたい。生ゴミは堆肥してそれを肥料に出来た植物を置こう。訪れる人が優しい気持ちで帰れるように。健康でいられますように。本を手にとって生命に対する問題意識を持ってくれますように。慈悲や感謝の心を培う場所となりますように。
近頃、日本では少年がホームレスに暴行を加える事件が増えている。親に養ってもらっている16歳の少年にはホームレスの成り立ちなどわからないのかもしれない。でも彼らは人間のクズなんかじゃない。どんなに強い人間だっていつ崩れていくのかわからない。世の中は成功者だけでは成り立たないのが常なのだ。彼らだって新生する可能性を持っている。健康でおなかいっぱい食べられる人間が彼らに手を差し伸べたって世の中はうまく廻るのに。弱い者を踏み潰さなくたって世の中はうまく廻るのに。
2004年01月26日(月) |
AUSTRALIA DAY |
オーストラリアデイは1788年の1月18日にボタニー湾に到着したアーサーフィリップがシドニーコープにイギリス国旗を掲げ入植を始めた日。
昨日の夜からオープニングの花火が打ち上げられ、ヘリコプターが空を徘徊していてストレスにさらされた鳥達はいつもとは違った奇妙な声で鳴いている。
今日は朝から大賑わい。若者たちは国旗を身に纏い、振りかざし、飲んで食べて暴れている。日の丸を振りかざしたことなど一度も無いわたしにはちょっと不思議な光景。普通に考えれば愛国心は素晴らしいのかもしれないのに国旗を振りかざす人たちを見て妙に心が萎えてしまうのは愛国心が生んだ悪い物を沢山見てしまったせいかもしれない。
それでもこの雰囲気は楽しい。オージー達はoi-oi-oi!と大騒ぎしている。そして今日は別名「泥棒デイ」でもある。みんな外出するので閑散とした住宅地は泥棒パラダイスと化す。わたし達も貴重品をヘンテコな所に隠し、花火を見るために坂を下ってスワン・リバーまで歩いた。ここの花火は短いけれど綺麗。日本で見たことがない不思議な花火があった。流れ星のようにゆっくり空を落ちていくもの。
白人にとっては祝福すべき記念日でも忘れてはいけないのはアボリジニ達にとっては土地を奪われ迫害されることになる悲しい歴史の始まりの日でもある。彼らはこの騒ぎをどんな風に見ているんだろう。楽しそうに国旗を振りかざす若者達、そしてこの騒ぎの裏でひっそりと忘れ去られたような彼らの存在を思うと一緒に騒ぐことは出来なくて静かに花火を見た。
平岩弓枝の「風よヴェトナム」という小説を読んだ。二人のヴェトナム人の血が混じる日本人女性を中心に凄まじい歴史の傷跡を絡めながら展開されるストーリー。
ヴェトナム戦争が終った翌年、後新政権下で祖国を追われた南ベトナムから小さな小さな小船にギュウギュウ詰めになって手漕ぎと帆に受ける風だけで命からがら海を渡っていたボートピープル。そして江戸時代ヴェトナムに商用で渡っている間に日本が鎖国をし祖国に帰れなくなり、二度と祖国の土を踏むことなくそこで永久に眠った日本人達。祖国に見捨てられる悲しさと戦争の悲惨に胸を打たれた。
2004年01月24日(土) |
自然を守るアジアンガール |
近所に食料品を買いに行くときには買い物袋とコンテナーを持参する。そんな人は滅多にいないのか顔を覚えられていて、たまに忘れると「今日はコンテナーは?」と聞かれてしまう。
以前レジで袋を断ったらレジのお姉さんが「要らないの?」と確認するのでマーティンが"No. She protects nature"と言って周囲からクスクスと笑いが起こった。確かにやってることが小さいので笑ってしまうかもしれないけれど、一生に加算したら大きいんだぞっと心の中で呟いた。
そして今日一人で買い物に行ってレジで持参した袋に買ったものを詰めていたらレジのお姉さんにありがとうというお礼の言葉をもらった。これは自分自身のためにやっていることだけれど、そう言われたのは初めてだったので嬉しかった。
今は近所でわたしは「変わったアジアンガールだ」とでも思われているようだけれど、世界を変えたければまず自分が変わることだというマハトマ・ガンジーの言葉に従い、今日も毅然と町を行く。
2004年01月23日(金) |
ベトナム料理とわたし |
ベトナム料理との出会いは19歳の時。書店で有本葉子さんのベトナム料理の本を見つけ、なんとなく可愛らしいその本を買って帰ったのがはじまりだった。が、いざ作ってみようと意気込んだところで当時銀座の明治屋でかろうじてニョクマムとライスペーパーが手に入るくらいでその他の食材を手に入れるのは難しかった。まだ手に馴染まずいまいちうまく作れなかった時に友達に遊園地へ行こうと誘われた。男女6人集まるというのでそうだ!みんなに試食してもらおうとチキンとレモングラスの入った炊き込みご飯を作って持参した。朝作りたてだった時はまぁまぁで「こんなもんかな」と思ったのに、ランチタイムに広げてみるとマズイ。そしてみんなの反応。。。無言で食べている。結局みんなで「変わった味だ」と言いながら黙々おなかに詰め込んだ。
それからも懲りずに色々作ってみたけれどことごとくマズイものが出来て食べられなかった。でもベトナム料理が美味しいということだけはよく知っていた。実際現地を旅行したときなど出てくるもの全てが美味しくて感動した。朝から激しいバイクの喧騒が聞こえるホーチミンで野菜たっぷりの朝食をもりもり食べ街にでると、現地人は家族で道端に座り込みフォーという米の粉で作ったヌードルを食べていた。肉の出汁をとってニョクマムを入れたスープに野菜やハーブとフォーを入れてレモンを搾って食べる。朝ごはんにでも食べられてしまうほど軽くてヘルシーなものだ。フォーボーというのが牛肉入りでフォーガーというのが鶏肉入り。この二種類が主流だと現地の人が教えてくれた。
パースに来てみたらベトナム料理屋が多くて外食二度に一度はベトナム料理屋に行っている。そして美味しいものにであうとレシピをスパイしている。まだまだわたしのベトナム料理探索は続く。
中山美穂さん出産。おめでとう。
小学生の時週末の夜中にラジオをつけると彼女が静かな声で詩を読んでいた。その頃ミポリンの人気は絶好調だったけれどわたしが大人になる頃にはそれも少し落ち着いていた。けれど彼女はイメチェンなどはかることはなく静かに淡々と変わることなくテレビに出演していて、彼女の中の毅然とした強さに惹き付けられた。
その彼女が辻仁成と結婚。「シャルルドゴール空港で佇んでいた彼女のまっすぐな瞳」とか「やっと会えたね」とか辻仁成の情熱に言葉は正に彼女のために存在するよう。
以前「冷静と情熱のあいだ」という映画を見た。背景もよく、ケリー・チャン演じる本が好きで情熱を内に秘めた冷静、知的なあおいという名前の女性がリッチなBFと静かに暮らしているところまではよかったけれど彼にキツネを30匹くらいは殺していそうな毛皮をもらって無邪気に喜んでいるシーンなどは妙に冷めた。
ところが、辻仁成と江國香織の書いた原作を読むと毛皮のプレゼントシーンなどなくもっとよく出来ていた。映画の中のあおいは一目で「高級ブランド」とわかるような服を身につけていてそれもまたわたしの気持ちを冷めさせたけれど、本の中のあおいはそんな風ではなくリッチな恋人ができても冷静で変わらず、簡素で質の良い服、一目で「高級」とわかるものではなく、近寄ってみると細部がよく出来ているような服を少しだけ持っている人なのではないかと想像した。そしてそのあおいという女性像と中山美穂は重なった。
冷静と情熱の間に生を受けた十斗君は素敵な男の子に育つのではないだろうか。
マーティンが会社の上司が書いたという高価な本を購入してきて、それを眺めながらしみじみ「信じられない。僕は今はこうやって本だって買えるんだ」と言う。スロヴァキアからなけなしの小銭を握り締めてここに来た彼は、しばらくは全く先の見えない暮らしをしていて、本を買うこともできなかった。ここでのスタートはどん底貧乏だったけれど、失業率が高く職にありついても生活に余裕を持てない物価と給与のアンバランスな祖国に帰ることは絶対に嫌だった。だから彼は成功して懐に余裕のある今でも実家に帰ることが恐くて一度も帰っていない。
こんな話を聞く時にいつも自分と比較してしまう。わたしがここに来るとき、何冊本を持ち込んだだろうか。本を買う夢などみたことはない。欲しい本はいつだって買えた。パソコンだって持ってきた。ラゲッジに入らない荷物は郵送した。食べたいものはいつでも食べられた。働き出したら休みをとって海外旅行に繰り出した。わたしだけではないだろう。多くの若い日本人は好き好んで無職を選んでいるのでなければ何かしらの仕事が見つけられてそしてここに来ても恋しくなる日本という存在があるのではないだろうか。わたしは彼のように自分の実家にもう帰りたくないなどと思ったことはない。
彼に会う以前のわたしには世の中にはこんな国があってこんな人がいるというのは薄々知っていてもどこかの遠い国でしかなかった。「本を買うのを夢見てるなんていう日本人に会ったことがなかったよ。そんな人が世の中にいるなんて気付いたこともなかった」と言うと「そりゃそうだよ。リッチな人が貧しい世界を見下ろすことなんてまずないんだ」と言われた。確かに貧しい人がリッチな人を見上げても逆は見えにくい。大半が中流階級で生きている日本という国はとても豊かだ。だから貧しい人が見えにくい。
彼は道を歩いていてホームレスの横を素通りできる人間ではない。必ず何か食べ物を買えるくらいの小銭を置く。きっとそれは彼が空腹がどれほど辛いことか身を持って知っているからだ。自分が体感したことがなくても人の痛みや苦痛を想像できる人間になりたいと思った。わたしは彼にそういうことを沢山教わった。
池澤夏樹の「明るい旅情」という紀行エッセイより。
ヤップ島という太平洋に浮かぶ小さな島に住む生物学者でエコロジストでもあるアメリカ人女性とその島のお話。
この島の人達は果物を餌とするコウモリを捕まえてはシチューにして食べていた。ある日それに目をつけた観光業者がそれを高級レストランなどのメニューにすることを思いついた。これが当たりコウモリを捕まえれば良いお金になるのでみんなどんどんコウモリを捕まえた。やがてコウモリが少なくなりこの島の生態系が狂ってくることを心配した彼女が「コウモリ狩禁止」を遠慮がちに提案し結局この提案がのまれた。現金収入源を失った島の住人に恨まれるのではないかと思っていた彼女に逆にみんな「ありがとう」と言った。
島の人達だけが自分の分だけを捕って食べているときは問題もなかったけれど商業化したら絶滅に追いやったというお話。小さな島で全ての物事の循環、生態系を目の当たりにして暮らしている人達だからこそ人間が生態系に手を出すことは全てを狂わせることになるのだとこのコウモリの一件ですぐに学ぶことができたのではないだろうか。日本のように何がどこから来ているかわからずスイッチを入れれば電気がつくような環境ではわかりにくい。
パースでは最近ある地域で昔イギリス人がこの孤立した大陸にハンティングのために持ち込んで放し、増えてしまったキツネを狩ることに決まった。悪さをするらしい。歴史の本で読んだアボリジニだけが自然の掟を考慮して狩をして暮らしていた時とは違い植民地開拓が始まったあたりから既に生態系はバランスを崩している。そしてそれを人間が取繕おうとする。一度崩してしまった生態系は完全に元通りにすることは難しい。
朝起きたら曇っていた。これは夏のパースでは珍しいことでそして人間は無いものねだりで久々の曇り空を喜んでまったりとコーヒーを飲みながら真っ白な空を見た。
が、昼頃からいつものように青空がもどって普段通りのパースに戻った。外にでてみると秋のような風が吹いていた。春の風と秋の風ってどう違うんだろう。でも何かが違う。春の風はわくわくするやつで秋の風はすこし切なくきりりとするようなやつ。自分の心の違いだけなんだろうか。
週末の人でごったがえしたノース・ブリッジのギリシャ料理屋へ行った。オープン・テラスで通りを歩く人を見ながらワインと料理を楽しむ。パースの気候はギリシャと似ていて、特に夏の午後に吹く風はミコノス島の旅を思い出させる。
人々がカフェ・テラスでエーゲ海の地平線の彼方に沈む夕陽に胸を締め付けられる時間、漁師が魚を捕って港に帰ると港沿いのレストランのシェフとペリカンと猫が船に近寄る。まずはシェフが魚を買い、残った売れなそうなものをその辺になげるとペリカンと猫が一斉に群がる。そうしてやがて愉快で楽しく長い夜がやってくる。港のカフェでたった30分前に上がった魚介類をシンプルに味付けしたものを食べて楽しい音楽をバックに酒を飲んで笑って踊って。世界の雑多事など全て忘れて、、、、。
ワインと思い出に酔いながら人ごみを抜け家路についた。
(写真:ブラスモンキー)
2004年01月15日(木) |
畜産不祥事に思うこと |
年末のBSEに引き続き、鶏インフルエンザ、京都の卵事件、畜産業界の話題は治まらない。
山口のある養鶏所では県の畜産課の呼びかけも鶏の血清抗体検査などのモニタリングを実施していなかったらしい。なぜなら「病気が見つかると困るから」だそうだ。他人の健康よりも自社の生存が大事なのだ。でもそうさせているのは質よりも安さばかりを求めてしまう消費者ではないだろうか。鶏処分はガス殺してから埋めるという記事も読んだけれど麻袋に詰めて生き埋めという噂も聞いた。それだけはやめて欲しい。
そしてマクドナルドも豪ビーフの安全さを知ってもらうために大量に無料券を配布するようだ。子供達が群がること間違いなし。豪ビーフは安全かもしれないが、その前に重役達が絶対口に入れたがらないようなハンバーガーを売っているという事実を忘れてはならない。無料券よりも彼らが3ヶ月くらい自社製品を食べ続けて健康診断でもして証明してくれれば安全だと認めよう。去年、牛に与える抗生物質を減らすといったマクドナルドだけれどその採算はどう合わせられるのだろう?
一連の畜産不祥事は「家畜達の病んだ体」が命を物としてしか見ない「人間達の病んだ心」を反映しているように思えて仕方がない。
2004年01月14日(水) |
あなたは絶対!運がいい |
日本を発つ直前にSaikaさんに頂いた「あなたは絶対!運がいい」という本を読んだ。運は気からでプラスの気持ちが幸運をもたらすという内容。納得。
昔わたしのことをいつも「運が良いよね」と言う友達がいた。彼女が欲するものをわたしが持っているということらしかった。彼女にはただじっとしていてもわたしにそういう幸運がめぐってくるように見えていたようだけれど実はそれは容易に手に入れたものではなかった。だからいつもそれを言われる度に努力を認められていないようで内心ちょっと悔しく思ったが、それを口に出せば「あなたには努力が足りない」と言っているように聞こえてしまうのではないかと思い心に閉まっておいた。
北野武が以前テレビで言っていた。「人間の幸福の量はみんな平等なんだ」と。本当は平等に与えられている。それを生かすも殺すも自分次第。人を羨んでもはじまらない。運も同じ。幸運は頑張った人や行いの良い人に与えられるご褒美。
夕方、誰とも喋りたくない気分だったのでマーティンが帰ってくるちょっと前に散歩にでてしまった。遠回りをするバスに乗って通ったことのない通りを通って「こんなお店があったのか」と窓に貼り付いてみた。バスから降りたらお腹が空いたのでカフェでサンドイッチを食べて公園を散歩した。ジョギングする人、犬の散歩、観光客たくさんの人がスワン・リバー沿いの夕暮れを楽しんでいた。帰りは1時間ゆっくりと歩いて帰った。夜の訪れと共に星が次々に空に現れてその度に小さく胸を躍らせた。何かいいことが起こりそうな予感に包まれた。
日本の主婦向けサイトで、ある主婦からの投げかけ。「同じ銘柄、量で詰め替え用のシャンプーとボトルのシャンプーが売っています。ある日の大売出しでボトル入りのシャンプーのほうが安くなりました。もうボトルは家にあるからゴミをだしてしまうけれど値段は安いほうがいい。とても迷います。皆さんならどちらを選びますか?」というもの。わたしは真っ先にそれでもゴミの出ないほうだなと思った。シャンプーが安いと言ったってその差は100円以内の物なのではないだろうか。ところがそこに寄せられていた回答では9割型の主婦が「安いほう!」と答えていた。わたしはシャンプーのボトルなんて綺麗に洗えば永久に使えるのではないかと思っている。それにあんなプラスチック容器のゴミなど出すのは嫌だ。目の前の100円をセーブできてもゴミを出すことにより、莫大な税金がゴミ処理に使われ、ダイオキシンを発生させ空気を汚染する。自分が汚した環境は自分にも巡り巡って戻ってくる。だから本当はお得でも何でもないのにな。
2004年01月10日(土) |
Penguin Island |
早朝にカヤックを車に積んでパースから南に約40km、潮が引くと歩いて渡れるペンギン・アイランドという小島にでかけた。その名の通りペンギンをはじめペリカン、アザラシ、沢山の鳥が住んでいる無人島。
島と本土の間はラグーンになっていて、波もない。そこで一つのカヤックを交代で楽しんだ。初めてのカヤックだったけれど風もないので簡単に出来た。カヤックを漕ぎながら島に渡りビーチを歩いていると子供達が木で作られた階段の下に顔を突っ込んでペンギン!と騒いでいた。見てみると沢山のペンギンが潜んでいて、人が天井になる階段の上を通るたびに心配そうに見上げている。夜は無人で平和なのだろうけれど、夏の日中は人間が沢山来て近寄ってきたりするので彼らにとってはちょっとストレスだろう。と思いつつも可愛らしくて夢中になって見てしまう。ミケと遊ぶのに都合の良いペリカンの羽根が落ちていたのでそれを拾って帰った。
こちらに月に1度発行される日本語の新聞がある。去年末に終ってしまったがこちらでも関心を集めている日本の捕鯨問題を扱ったコラムが毎月連載されていた。日本人女性が書いたものだ。その最終章がふと目にとまり読んでみた。そこには第三世界における食料難の問題や水不足、環境破壊面からまず書かれていて牛や豚の家畜と鯨どちらが効率が良い食べ物かということを比較した上で家畜より効率の良い鯨を食すことにシフトしていけば、、、などと書かれていて「捕鯨を推奨するの?」と驚いてしまった。ここでも日本の捕鯨に対する強いバッシングがあり人々の鯨愛護心は強い。ツナ缶にはマグロを捕獲するときに鯨やイルカが網にかかって死んでしまうのを気にする人達のためにドルフィンセーフマークというものが付いている。
家畜を食べる欧米が捕鯨を批判する。矛盾しているようだが、大きな違いは日本が捕獲している鯨は絶滅の危機に瀕しているということ。そこに目を瞑り「家畜をやめて鯨を」という記事(それも日本人女性が書いたもの)は見たくなかった。わたしだったら「家畜を辞めて菜食を」と書きたい。
昨日の夜ふとおにぎりが食べたくなったので今日のランチはそれだと決めていた。お米を研いで研ぎ汁は庭の植物にあげて、お米を水に浸して30分待つ。それから炊くのに20分。火加減を変えなければならないので鍋のそばで本を読みながら見張る。おにぎりが出来るまでに1時間かかる。日本のコンビニで買えば10分なのに。でもやっぱり働いていないわたしにはこういうスローな生活が心地よい。1時間かけて作るおにぎりは10分のよりも美味しい。お腹を満たしたら洗濯に取り掛かる。洗濯機が無いので全て手洗い。重曹とオレンジ石鹸を使って洗い、手で搾って外に干す。こんな風にお昼は過ぎて行く。
以前から興味があった日本人女性が教える陶芸教室に電話をした。電話にでた母くらいの年であろう女性は声や喋り方から岸惠子を想像させるような雰囲気だった。すごく話しやすいテンポの人だったのと、久々に声に出す日本語が嬉しくってあれこれ喋ってしまった。わたしがどうしてここに居る理由もなくなったのにここにステイすることに決めたのか?と聞いたら「神様はどうしてそう決めたんでしょ。一度は日本に帰ろうと思って荷物まとめたのよ。不思議だわ。」と答えたのがふわっとした喋り方のその人に似合っていてとても印象的だった。2月からその教室に通うことになりそうだ。
2004年01月06日(火) |
Not tested on Animals |
髪や体を洗うためのグローブとサンスクリーンを買いにシティへでかけた。化粧品売り場へ来るのは久しぶり。色んなブランドのものを手にとって"Not tested on Animals"の文字を探す。Made in Australiaの小さなブランドにまでウサギマークと"Not tested on Animals"の文字が見えるのにも関わらずMade in Japanのコスメに動物実験をしていないブランドが見当たらないことに落胆する。これは消費者の関心を強く反映している。誰も関心を示さなければ記載されることもない。
それにしてもわたしのイメージしていたオージー達は無邪気にBBQ、フットボールやラグビー観戦を楽しみあまり社会の動きには興味を示さない楽天家達だと思っていたが住んでみるとそうでもない。環境保護運動などがあればこんなに人口いたの?と思うくらいの人がプラカードを持って集まり、アメリカのイラク攻撃の時もメルボルンでは学生達が大暴れしていた。人々は神経質ではないにしろ化学調味料を嫌悪してみたり、毛皮を嫌悪したり、成分の優しい石鹸を知っていたりする。コスメ売り場の若いお姉さんが動物実験してるかしてないかと答えられるのもちょっと驚きだった。
(写真:ナショナルパークにて)
2004年01月04日(日) |
ジョン&ヨーコ、そしてM&M |
ヨーロッパのお母さんとの電話を切ったマーティンが「ママは君がヨーコ・オノみたいな女の子だと想像してて僕がジョンみたいになっちゃうのを恐れてるんだ」と言うので笑ってしまった。確かに絵を描いていたし、髪も長いし、ヴェジタリアンで平和を願ったりしてるけどわたしは平凡な家庭の平凡な子だ。「ヨーコのアート」のようなものは思いつかない。彼のママは初めて知った日本人女性がヨーコ・オノなので咄嗟にそう想像してしまうらしい。大丈夫、わたし達はカメラの前で裸になったりしませんから。(って裸になってもあまり価値のないわたし達、、、、(笑))
年明け早々地震だのテロだの、爆破だの遭難だの良くないニュースが沢山飛び交っている。正月を毎年平和に迎えられていることにあらためて感謝してしまう。それにしても潜伏期間の長いBSEに対してJ.ブッシュの「僕は今日も食べたし、これからも食べる」って発言は説得力なし。
お昼に戸棚の中にマーティンが買ったらしい奇妙な色のシェルの形をしたパスタを見つけた。野菜を練りこんだパスタのようだ。3色あって、赤はビートルートというオージーがよく食べる赤紫色の野菜、黄色はコーン、緑はホウレンソウ。いかにも料理の色にこだわる彼らしい。冷蔵庫の中の余った野菜を処理するためにそのカラフルなパスタを茹でてパスタサラダを作った。ブロッコリー、カリフラワー、イタリアンパセリ、貝割れ大根、玉ねぎ、人参、絹さや、、、色々入れて、塩、胡椒、酢、マヨネーズを少し入れた。野菜はいいとしてやっぱりパスタが美味しくない。食べずに冷蔵庫に入れておいたら帰宅した彼があっというまに平らげてくれた。よかった、捨てずに済んで。
こちらでは年が明けるとみんなシャンペンをポーン!と開けて飲むらしいのだが、待てずにすでに昨日の10時に飲み始め、年が明ける寸前に力尽きて寝てしまった。
朝起きると良い天気。ベトナミーズ・コーヒーを飲み、つるっとそばを食べて村上春樹の"パン屋再襲撃"という短編集を読んだ。夜中に空腹のあまり起きてしまった新婚夫婦が旦那さんが学生時代にパン欲しさにパン屋を襲撃した夜以来かけられた呪いをとくために夫婦でもう一度パン屋を襲うことになるお話。どの短編も面白くてあっという間に200ページ読み終えてしまった。
そしてまたまたビーチへ。クリスマス同様沢山の人がピクニックを楽しんでいる。わたしだけビーチで車から降りて泳ぎ回り、マーティンは近くのショップにヨットを見にいった。海から上がり彼を見つけると夢中で何か白い団子のようなものを口に入れていた。近寄ってみると小さなイカのマリネとチーズを食べていた。そして「ヨット屋は休みだった。でもその代わりに面白いマーケットを見つけた」と言うので着替えて行ってみた。確かに面白い!色んなチーズ、ケーキ、パン、スパイス、惣菜があった。あれこれ見て周ってオレンジケーキやトマトのディップ、パスタサラダ、パイを買い込んで家路についた。すごい空腹で家に着くなりガツガツ食べてそれでお腹を満たした。