祖父が今日、突然の発作で亡くなって、 明日の夜に、新幹線で実家に帰る。 記憶の隅にある祖父の顔。 高校生の頃までは、よく見かけていた顔。 あたしは、死に、弱い。 強いひとなんて誰もいないだろうけれど。 誰だって弱いだろうけれど。 言葉を換えてみるのならば、あたしは、死の匂いに弱い。 怖くて怖くて、仕方がない。 死に逝くひと。見送るひと。嘆くひと。 泣くまいとして、故人の面影を語り、笑いさざめく空気。 その、匂い。 あたしは、震えるのを堪えるしか、出来ない。 それが荘厳であるから、とか。 それが悲しみであるから、とか。 そう言うものではなく、きっと、未知への恐怖。 自分ではない、何かに変わるのだという、 天災にも似た、その劇的な瞬間。 誰もが、その一瞬を飲み込んで、 ゆっくり、ゆっくりと咀嚼していくのだろうけれど、 あたしは怖くて、飲み込めずにいる。 ただ思うのは、 祖父がやり残したことは無いのだろうかという、問いかけ。 例えば、明日はコレが食べたいとか。 来週にはあれをしよう、とか。 そう言ったものが永遠に失われてしまった、悲しみ。 あたしは明日の夜に帰省する。 何か、あたしの中でも、劇的に変わるものはあるのだろうか。 しめやかな色彩の中で見送る、祖父の姿に、 あたしは何を感じるのだろうか。 少なくとも今、あたしは、いつか訪れる自分の最期に、 震えるほどの恐怖を感じている。
冬の寒さに、爪先が凍る。 ひとりでは体温すら下がり続ける、夜。 バレンタイン前の喧嘩の後日。 つまりはバレンタインの翌日だったわけだけれど。 華とフープのピアスを買いに出かけた。 一目惚れしたバッグとか買ってしまったけど、本命はピアス。 シルバーショップを何軒も巡って、最後に見つけた。 一つはあたしの趣味、割とシンプルな彫りが入ったもの。 もう一つは華の趣味、ドラゴンの形に掘られたもの。 もちろん華が買ってくれました。 正直、それだけで充分すぎるんだけど、 華が会計をしている時に見つけてしまった、ペンダントに釘付けになっちゃって。 細い足をした蜘蛛の形。親指の第一関節程度の大きさ。 華の肩に住んでいる蜘蛛と、似てた。 あたしは思わず華を呼び寄せて、それを伝える。 立体的な蜘蛛の形をしたトップなんて珍しいから、 華は少し考えてから、 (きっとあたしの様子を盗み見してたんじゃないかと思うけど) それを手に取った。 やっぱり、肩にいる蜘蛛と似てる。 結局、チェーンの形が気に食わないので、 それを直してもらうということで、お買い上げ。 あたしといると散財するよね、華サン。 というか、散財させちゃうよね……。 出来るだけ付けておくように心掛けて、 あたしはそのペンダントをもらった。 あたしの左胸の蝶を食うように、今も揺れている。 努力します。
昨夜のこと。 華が泊まりに来れると連絡が来た時。 あたしは既にバレンタインの用意をしてた。 チョコレートは、華が好きだと言っていた小粒の詰め合わせ。 あとは冗談みたいなもの、数種類。 付属のプレゼントは、ベルトチェーン。 雪が降り出す寸前、22時少しで店を出て。 運悪く、吹雪に当たった。 メットのシールドには雪が積もって、前が見えない。 身体中が痛くなるほどの寒さ。 どうしようもなく落ち込みながらも、家路につく。 でも、今日は華がいてくれるから、まだマシとか思いながら、さ。 それなのに、玄関の鍵を取り出す手すら動かなくて、 辛うじてチャイムを鳴らして、開けてもらった後。 ……放置ですか。 グローブだけ受け取って、そのまま華はUターン。 部屋を区切るカーテンすら閉められてしまって、 あたしは玄関先で雪を払いながら、感覚のない手で合羽を脱ぐ。 それを干して、メットもブーツも脱いで、カーテンを開けると。 これでキレない方がおかしいでしょう? 華には知ったコトじゃないけど、リュックの中はお土産でいっぱいだったのよ? 雪を被ったまま帰ってきたんだしさ? ぶちギレて、一通り文句を言って、 ようやく覚醒した華が正座して謝ってて。 まあ、怒りは残ってるけど、仕方ないことなので、流しました。 抑えられたので、良しとしましょう。 埋め合わせに、御機嫌を取ってもらわなきゃ。
侵食される、感覚。 奥深くで息を止められているような、 そんな圧迫感と、 逃げられないのだと思い知らされるほどに、 生まれる、束縛の強さに眩暈すらして。 あたしは、幸福のあまり、意識を失いそうに、なる。 圧倒的なもので支配されることを、心地良く感じる。 拘束された心が、歓びに泣く。 あたしは、ここにいてもいいんだと。 求められているのだと。 馬鹿げた想い。 冷静になればなるほど、そんな自分を見下してしまう。 それでも、これが、あたしのやり方。 他には、知らない。 分からない、何が正しいのか、なんて。 正しいことをしなきゃいけないだなんて、 誰も決めてないはずなのに。きっと。 あたしは、これでいいんだって、開き直るしかできなくて。 あたしはあなたを愛しいと思う。 それだけが真実であればいい。 こんなあたしは、 幸福な病を抱えているのかも知れない。
学生の頃に読んだ漫画の、続編を買ってきた。 懐かしさと同時に、一つの感情も思い出す。 ああ、人を好きになりたいなァ。 苦しいぐらいに焦がれたいなァ。 そんなことを思っていた、昔のあたし。 そして、華を思い出す。 大事なあの子を思い出す。 どうして、愛してるよ、と言いたい時に、あの子はいないんだろ。 だから、滅多に口に出せない。 言いたいのに。 言葉が込み上げてきて、音になるのに、 受け止めて欲しい相手は、いない。 会えない。 そばに、いられない。 愛してるよ。 愛してるよ。 届かない、音で。
残業して帰ってきて。 眠いような眠くないような微妙な頃合い。 最近は不眠症気味で、あまり寝れてない。 今夜は寝られるかもしれない。 今朝、お休みの華が来てくれて、 出勤前に少しだけ会えた。 節分だからって恵方巻きを買ってきてくれて、 それが意外とわさびがきつくて、泣きそうになりながら食べて。 でもそれよりも本当に飢えていたのは、 どうやらあたし自身だったみたい。 華の手が触れる。 数日振りな気がする。 この前のお休みだって、この手はあったのに。 華の腕を強く掴む時。 あたしはいつだって、泣き出しそうな自分を思い知る。 華の左肩、蜘蛛の彫り。 掻きむしりそうになって、思い出して止めて、 そんなことを繰り返しながら、声を絞り出す。 あたしのからだに、触れる、手。 あたしのなかを掻き回す、その手。 あたしが大好きな、華の手。 でも本当に飢えてたみたいで、 あたしのなかは水か滴るみたいになってた。 そんなことは実際にあるのかな。 話なら聞くけど、実際になったことはないし。 でも、今朝は何だか、いつもと違って。 やばかった。 シーツを替えないと……。
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