いつだって、あなたのことを感じている。 それがときどき怖くて仕方ない。 もしも、と考える。 この日記は、あたしの遺書になりうるだろうかと。 日々の想いを、恋文のように綴っていけば、いつか、あたしが死んだ時に、あなたは見つけてくれるだろうか。 それとも、紙とペンが必要かな。 旅先で、二人で味わう空気が美味しかった。 静かな景色が愛しかった。 帰ってくれば、喧噪ばかりで、耳の奥が痛いよ。 帰りの高速バスの中で、あたしの横顔をずっと眺めていた華。 「どうしたの」と尋ねれば、「もう少ししたら見れなくなるから」と笑った華。 あたしは、笑えなかったよ。 ねぇ、華。 聞こえてる? 聞いてる? そこにいる? お願いだから、華、ねぇ。 早くあたしを迎えに来て。
一人で。 出来れば、二人で。 明日から、華の帰省に便乗して、二泊三日の旅に出る。 華の実家は、谷間の有名な観光地。 微妙な家庭環境にあるせいで、華の家に泊まれるわけではないけれど。 一日目は、一人でビジホ。 二日目は、少し足を伸ばして、二人で温泉。 連泊をするのは初めてのことで、少し楽しみ。 一人の時間があるのも、少し嬉しい。 華を困らせるようなことばかりしてきた、この数日。 理由もなく、気に障り、傷付ける。 傷付けられた華が、戸惑い、逃げることを選んで下がっていく。 あたしはそれを睨み付け、黙ったまま。 ねぇ、華。 あたしたちは、伝わらない感情を、いつもこうやって交わしていたね。 出会ってから今まで、沈黙の中で、何度も見つめ合っていたね。 触れられない距離で、伝わらない体温に、安堵と、焦燥を覚えながら、歩み寄れずに。 いつも後悔するんだ。 もっと伝えていれば良かったって。 それでも、次の日には、あたしに触れてくれるあなたが、愛おしくて堪らないよ。 怯えながら、壊れ物に触るみたいに、目を細めているあなたが。 あなたが好きだよ。 心から思うよ。 それでもあたしたちは、決して交わることのない道を歩いている。 その事実が、あたしの中の、捻くれた弱さを露呈させる。 三流のあらすじだけれど。 それでも、あたしはいいの。
どうしてそんなに悲しい顔をするの、と尋ねられた。 その時、華の眉間には深い皺が刻まれていた。 あたしが悲しい顔ならば、あなたは苦しい顔をしていたんだよ。 会えば、離れる瞬間が訪れるのに。 あたしたちは全てを共有できるわけじゃないのに。 焦がれた胸が、ひりひりと痛い。 この感情に付ける名前が見当たらない。 一番近いのは、喪失感かもしれない。 けれど、それだけではないのも、分かっている。
悔しいけれど、小説を読んで泣いてしまった。 何年ぶりだろう。 読み終わった瞬間、本を閉じて、涙が溢れたことが不思議だった。 一旦溢れてしまったものは止められずに、あたしは静かに泣いていた。 中山可穂という名前は、ちょうど今読み進めているシリーズで見つけた。 最後の新刊紹介のうちの一冊。 女性同士の恋愛。 その言葉に興味をそそられて、ネットで調べてみた。 どうやら著者も同性愛者らしく、ますます興味が出た。 そうなったら、生来の悪い癖。 ネットで出版物全てを一気に取り寄せた。昨日、届いた。 まずは短編から手を付ける。 何だか華を思い出した。 いわゆるタチと呼ばれる側の主人公。 トランスジェンダーではなく、ただ女が好きなだけ。 淡々と語られるにしては、情緒のある文体。 時折、ファンタジックで、反面ではリアルな書きぶり。 「本物」なんだと、分かった。 あたしはどちらかと言えば、バイセクシュアルの部類に入る。 だからこそ、華を眺めるように、読んだ。 その中でも泣いたのは、「花伽藍」の中の短編。 「驟雨」 四十代で出会った二人。 家庭を捨てて、年老いた後には愛する人の介護をするゆき乃。 孤高の姿を持ちながら堕ちて、年老いて全身麻痺になった伊都子。 死へと続く道をゆっくりと歩いていく、年老いた二人の女。 傷付け合い、苦しんで、それでも愛することを止めない。 激しいのは、リアルな部分だ。 死を予感する、互いの肉体の限界の時に、彼女たちは知り合ったヘルパーの青年に懇願する。 ゆき乃は言う。 「あたしにはお葬式もお墓もいりませんからね。棺の中にいっちゃんが描いてくれたあたしの絵を一緒に入れて燃やしてね」 伊都子が言う。 「あたしも死ぬわ。すぐ死ぬわ」 「自殺じゃないわ。ゆきちゃんの心臓が止まるとね、あたしの心臓も自然に止まるの」 「そうなりますようにって、毎日お祈りしてるからね」 事実、二人はこの後に、共に死ぬことになる。 ゆき乃の心臓発作が起こり、伊都子は麻痺で助けを呼ぶことが出来ない。 伊都子の上にかぶさるように倒れるゆき乃。 その身体が、伊都子の喉にも重みになって。 そうして、二人は、息絶える。 どんな結末になってもいい。 二人が共にいられるのなら。 ああ、もう。 どうしよう、華。 あたしは。 あたしはあなたのくれた宝物を一緒に燃やして欲しいと願って死ぬだろう。 あなたはあたしが死んだ後に、自分の心臓が止まればいいと思うだろう。 あまりにも悲しいけれど。 そんな結末が、幸せだと、思ったの。 ねぇ、華。 いつか約束したよね。 しわしわのおばあちゃんになっても、あたしを愛してくれると。 いつもそばにいてくれると。 介護の苦労も、痴呆症の苦しみも、全部全部、受け止めて。 あたしたちも、そうやって、生きていきたいね。 そうして、一緒に死ねるといいね。
最近、よく夢を見るの。 望んで、ではないけれど。 それは商売だったり、ボランティアだったり。 無理矢理なのは、一つもない。 あたしは戸惑いながら、受け入れる。 その体温を感じながら、あたしはずっと華のことを思い出していた。 こんなことを、あの子が知ったら。 あの子に知られてしまったら。 そんなことばかり思い描いているのに、拒絶する手は出ないの。 藻掻いている両手は、 本当は悦楽から逃げたいだけなのかもしれない。 その場限りの快楽から。 逃げたくて、逃げられなくて、溺れて。 目が覚めると、微かに余韻を引き摺る心がある。 あたしは一体どうしたいの。 近頃、色んなものがどうでもよくなってきている。 いつもよりも酷い。
それでも、気持ちは削がれていく。 ゆっくり、ゆっくりと。 何気ない瞬間でも、あなたが嫌な顔をした。 あたしが何かをしたと言うよりも、あなたが不服だと思ったのね。 地元を離れた出先。 エレベーターの順番待ち。 日曜なんだし、駅ビルなんだし、前にいたのは家族連れなんだし。 列になってたのがわかんないの? 入り口近くに立とうとしたあなたの腕を、あたしが引き止めた。 それだけのことよ。 不機嫌になったあなたと、それを見つめるあたし。 あたしは、わけもわからず、あなたよりも機嫌を悪くした。 図々しい人は嫌い。 確かに急いでいたけれど、そんな風にする必要はないでしょう? どうせ同じエレベーターに乗るんだもの。 先だろうが、後だろうが、変わらない。 後になってから、ごめんと繰り返していたけれど。 好きなことに変わりなんてないけれど。 削ぎ落とされていく何かを感じている。 そう思える日が来るのかな。
髪を染め直して。 ワンピースのボタンを直して。 華のためにネクタイの結び方を練習して。 ペディキュアも色を変えて。 明日起こること。 明後日の予定。 それらの一つ一つを、噛み締めるように確認して。 あたしは楽しみを増やしていく。 ままならないことが多いけれど、それはあたしだけの不幸ではなく。 少なくとも、華にも降りかかっているもので。 あたしの知らない人たちも、何かしらを背負っているわけで。 そんなことも考えてみる。 だからね。 笑っていたいんだよ、ねぇ、華。 あたしの華。 あなたが喜ぶことを、一つ一つ叶えてあげる。 だから、あたしを笑わせていて。 世界に二人きりになりたいと思うことは、ないわけじゃないけれど。 ならば、いっそ。 あたしたちが消えればいいのだと知っているけれど。 華。 あたしたちは、間違った道を選んでしまったことを、認めることも出来ないで、寄り添うしかないんだよね。 せめて、幸せだと思える時間の中。
赤いチェックのワンピース。 黒い網タイツ。 去年のクリスマスにもらったガーターベルト。 華を誘惑する方法は簡単。 今日はあたしの休みの日。 この間買ったワンピースをきて、仕事の終わった華とデート。 とは言え、今週末のお出かけ用だけれど。 フォーマルじゃないフォーマル。 そう銘打っていたはずなのに。 黒革に、スタッズ付きのブレス。 ゴシックなリング。 銀のゴスブレス。 金のスタッズが付いた、黒いソフトハット。 ……うーん……。 フォーマルじゃないよね。まあ、いいけど。 足元は黒い安全靴。お気に入りv フォーマルじゃないって、絶対……。 でも、そんな格好で、デートをしてきた。 中華バイキング。 バイキングって好きじゃないんだけど、中華はいろいろと食べたいものがあるから、楽しくて。 味もまあ、合格。 ↑の買い物をするために、二人でぶーらぶら。 それも久しぶり。 お前は通りすがりのヘンタイさんかっ。
あたしの機嫌が悪いのは、ただ疲れているだけ。 きっと。 あなたの愛が邪魔なわけじゃないの。 あたしよりも強く。 生まれ立ての雛の、インプリンティングみたいに。 あたしのことを唯一だと信じているあなたに、あたしは、 あたしは、 何もしてあげられない、のに。 沈黙は苦しいの? 孤独は寂しいの? 離れていると不安なの? あたしのことを愛しているの?
来週末に、華の友達の結婚式、の二次会へ行く。 あたしがなんで? でも、相手の子が「いちごちゃんも是非」と、誘ってくれたそうな。 面識はないけどね……。 知らない場所で広がっている、あたしの情報。 華の惚気のせいだけれど。 だから、今日のお休み。 華と二人で服を買いに行った。あたしのだけれど。 フォーマルでもなく、カジュアルでもなく。 難しいんだよねぇ。 結局、ずいぶんと色々な場所を回って、目当てのお店の、目当ての服はもうなくて。 歩き回った挙げ句の。 LIZLISAのチェックワンピ。 うーん、可愛いんだけど、好きなんだけど。 自分で買って着ようとは思わなかったなぁ。 秋物のワンピでベロア地。 胸元はレースで透けて、襟はきちんとある。 スカート丈は膝上。ウエストよりも下で絞ったフレア形。 濃いめの赤。 可愛いんだけど、ちょっと、年が。 でも、華はすごくすごく気に入ってたみたいなので。 買って、しまった。 華はスーツパンツっぽいのに、白ブラウス。 赤と緑のチェックのネクタイ。 こっちもいつもと違う格好になる予定。 ちなみに、ネクタイか、ベストかで選択させたのはあたし。 可愛いんだもん。 お互い様なので、文句を言わないようにしましょう。 出かける前、午前中。 休みの恒例で、たくさん遊んで。 華が最近、楽しんでいること。 ゆっくり慣らしていってくれてるけど、さすがにねぇ……。 まあ、多少のことどころか、大体の無茶にはお付き合いしてしまういちごサン。 痛い目見るのはあたしなんだけど。 ゆっくりゆっくり、愛して貰わなきゃ。 壊れたら、おしまいだもの。
寝ぼけ眼で見つける、朝方、華の顔。 両手を広げて、おいでおいでを繰り返すと、華は意地悪をして、近付いてこない。 手の届かない、それでも見える場所に座って、あたしのことを笑っている。 今朝は、何だか本当に寝ぼけていて、ついつい、華の手を掴んで引き寄せてしまった。 「朝から元気だね」って、華が笑う。 あたしは泣きそうになりながら、華に縋っていた。 珍しく、何度も、何度も繰り返して名前を呼ぶ。 名前を呼ぶ声も、まともに響かないぐらい、あたしは寝ぼけていた。 何よりも、寂しかったんだと、思う。 よくわからない。自分。 よくわからない。 気分を上げてみたり、落としてみたり。 笑ってみたり、泣いてみたり。 季節の変わり目は、天気も変わりやすい。 あたしの天気は、いつだって移り気なんだ。
あたしが休みの日。 華は仕事の日。 少しだけ、という約束で、仕事上がりの華に会いに行く。 帰り道の時間だけが欲しくて。 けれど、少しだけ遅くなれるから、と。 久しぶりにカラオケ。 でもね、あたし、頭痛が酷くて。 あんまり酷くて。 歌なんて歌ってる場合じゃない。 でも、頭が痛むその分だけ、華へと注がれる感情も高まっていく。不思議。 二人きりの部屋の中で、キスをした。 もっと、と強請れば、華はダメだと繰り返しながらも、あたしには逆らえないで。 何故だかとても広いトイレで、いけないことをしてしまった。 漏れる声を、叱られて。 震える足を、掴まれて。 耐えられないと嘆くこと、数回。 お客さんが少なかったからね。 ずいぶんと奥まった造りだったからね。 ちょっとだけ、反省。 それなのに。 なんで帰り道の神社で、またしちゃうかなぁ。 蚊にいっぱい刺された。 華にいっぱい虐められた。 誘ったのはあたしだし、許可を与えたのもあたし。 滅茶苦茶にされたい。 壊されてしまいたい。 そんな、凶悪な欲求から。 顔を上げれば、柵の向こうには道路。 暗くてよく見えないけれど、屋外には変わりない。 そんな中で、滅茶苦茶感じてしまったのは、二人とも。 ね、同罪なの。 蚊に刺されてたまんない痒みを堪えて、華とばいばい。 また、明日の朝に。 ほんの少しの逢瀬のために、努力して、早起き。 なんだ、あたし。 まだ大丈夫そうじゃないの。
あなたの来ない部屋で、あなたの面影を探して。 出歩くこともせず。 あなたがいない休日には、あなたに会いに出かけ。 あなたのために予定を組み。 親から離れ。 友人と別れ。 一人。 それが望みだったのかな。 それがあなたの理想なのかな。 好きなことに変わりはないけれど、ふと、気付いてしまった事実。
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