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2010年12月27日(月)

GODSPELL関連で書き遺したことを。

まず22日の件。観客席で知障がずっと歌うは叫ぶはうなるはしていた件。
「自分なら絶対、係員に文句言いにいくな〜」と言われた。

その気持ちはわかる。
が、全く大人しい方ではない私がNoReactionで終えた。

その思考過程を書く。

「観劇マナーを守りましょう。人の邪魔にならないようにしましょう。知障であろうとなかろうと。」
わかります。その意見も。

が、もろ手を挙げて賛同することが出来ないのだ。

観劇マナーって誰が決めたの?
手拍子だって音は出る。それはOK?
ROCK Concertとかだと逆に、じっと固まって座っていると雰囲気壊れると言われかねない。

その場をの空気を読んで、世間にあわす。
自分の好きに楽しむより、空気読むことを上に置く、「常識でしょ」「普通そうでしょ」
反抗しようにも実態のない束縛に縛られることを窮屈に感じ、悉く逆らってあえて無視して生きてきたのに、
人にはそれを強制するのか?!

それが第一。

そして第二が、『高いお金を出して行った元を取りたい』という根性って貧乏くさくないか?との思い。
江戸時代の歌舞伎や相撲の興行は、言うなれば、生演奏レストランのようなもので、
食事したり、知り合い見つけて話したりしつつも、「あ、この曲好きなのよ」と時折見る という程度であったらしい。
そもそも電気の無い時代、そうクリアに舞台が見られたとも思えない。

何か楽しかったよね。

ってその程度で良いのではないか?
一ミリも漏らさずに食い入るようにって、そんなケチくさい
(とか一々書いているのもケチくさい)という気持ちもある。

なので、もう、正直どうにもリアクションが取れなかった。
どうすれば良かったのかね?



その他、書き落していたこと。
・耕平くんが、外人のかつらをかぶった剛くん(SMAP)に見えると思って以来、もうそうにしか見えない。
・『フラニーとゾーイー』に出てくる"太っちょのおばさん"のことを思い出した。
「太っちょのおばさんのためにちゃんとやるんだよ」って。
太っちょのおばさんは誰でもあり、それがキリストなのだ、と。
・明恵上人の「あるべきようは」とか。
どんなものにも、それにふさわしい有るべき様を持っている。と。それは有るがままでではなく、意思を持って作られたもの。
"正解があるような気がする"というのと通じる。

そして。何と言っても無事終われたことが素晴らしい。
終わった今だから言語化するが最悪の可能性をどこまで考えていたのだろうか?

出演者が集まらない。
数は集まったが使えない。
仲が悪い。
意思統一が出来ず舞台が出来上がらない。
チケットが売れない。
急病人が出た。
観客席が盛り上がらない。

うーん。こう並べると、現在火消し役で関わっている現プロジェクトの問題点とかぶるな。
ジャンルは違えど人が集まって何かをなす場合の問題点ってある程度共通するものなのね。

それやこれやの芽が全く無かったとは思えないが、(人が集まる以上当然)、
それらを芽のうちに対処し、見事人の心を動かす作品を作ったことは、本当に尊敬する。

さて、明日も年内最後の火消しだ。
『GODSPELL』で貰った愛を種火に働け!


2010年12月26日(日)

MY大楽(12/25 ソワレ GODSPELL)

いや、22日ですっきり終えるつもりだったんですよ。w
あんなことさえなければ。
それに関する気持ちのあれこれは別途書く(かも知れない)が、気持ちは別として、思い出を上書きしないと、どうにもきつい。

22日の公演は確かに巡り合わせであり、運命であった。
が!植物は種が落ちた土地で育つしかないが、動物は移動が出来る。
運命を変えることが出来る、というのもまた、人間ならではではないか?!
と、例のごとく「つまりもう一回行きたいって言えよ!」という前にあれこれの回路を通り。

結局25日の午前中にTELかけ続けることとなった。当然のごとく26日千秋楽のチケットは撃沈。
「あーどうしよう。今日の券買おうかどうしようか。どうしよう。どうしよう。」
リビングを冬眠前のクマのごとく歩きまわり、やれやれ・・・とあきれ顔で目をそらされる。

そして、端から結果は見えていたが、勢い余って25日ソワレの立ち見席を取ってしまう。
「22日はMY楽。25日はMY大楽。ということでw」 


25日の午後。
FITNESSでLESSONその1とその2の間に、帰宅し風呂に入り、髪を常以上に念入りにブロウ(ぼさぼさ髪では失礼だもの)するという綱渡りなスケジュールを、クッキーとほし芋を咥えて走り終え(結局、起床〜観劇終了までの食事はこれのみであった。)何とか到着。


いやぁ。良かった。行ってよかった。がち良かった。
上書き完了!

全体の印象は22日分に書いたのと変わらないから置いておいて、細かいところを。

・9日の感想で音の粒が立ってないなぁ・・・前嶋さんならもうちょっとみたいなことを書いたけど、
前嶋さん大変失礼いたしました。あれは会場の音響ですね。

22日のE列で音聴いた瞬間、えーっマイク変えた?って驚きのあまり口が開いてしまうくらい音が際立っていて、
で今回の立ち見(ようするに端っこ)はまた同じく音がなぁんかとろみがついている、というのはつまり、
会場の反響の問題なのでしょう。きっとZONEというか、はまるPOINTが狭いのかもしれない。
今後トラムで席を選べる場合は、中央列の後方にしようと思う。

・『We Beseech Thee』。
山本さんがアフロくん・Teppennくん・耕平くんの後ろに立ち、それぞれソロを歌う番になると彼らの後姿をじっと見ていた。
その眼差しに、温かさはむろん、どこか誇らしげなものも感じて、心が満ちる想いがした。
『All Good Gift』の曲の終わりでオカリナを吹くみやちゃんも斜め上から見守る目線にも同じものがあったように思う。

・会場の熱量が物凄いことになっていた。
9日⇒16日⇒22日と30%増しくらいに上がっていたが、25日はその倍くらい。二次曲線的な上がり方だった。

・アンコールで暗転から、いきなりクリスマスツリー。綺麗でした。
・John LennonのHappy Chiritmas のSuprise。
思い出に残るクリスマスになりました。    
・山本さんの挨拶は細かい言葉は忘れてしまったのだけれども、表現のどこかが"過去形"で、あぁ本当に終わってしまうのだなぁという哀しさを感じました。

・26日の千秋楽を無事に終えたと聞く。おめでとう ありがとう。

・現在関わっているプロジェクトが、体調不良からストレスからスキルアンマッチ等々から、あちこちで火の手が上がっている状況。
人は誰もが別々のレールを走っていて、それを尊重しつつTeamとして何かをする大変さは嫌と言うほどわかる。
"凄い"と言えるほど軽いものではないが、でも凄い。

・9日の感想に、今回の公演には宇宙もマグマも神降臨も感じないと書いたが、4回見てもその感想は変わらず。
25日の最後に感じたのは緑の苗。
木々が切り倒された森で、汚染された廃墟で、緑鮮やかに地面から芽を出した、手のひらで包みこめそうに小さい小さい苗。
パンドラの箱の最後に残ったもの にも通じる。

心に植えようと大切に持ち帰る。



2010年12月23日(木)

12/22(水) GODSPELL ソワレの感想

前日に満月。しかも月食。さらに太陽が山羊座に移動(つまり冬至)。
中々に派手っちい日だ。
見に行くならこの日か?!と見に行きました。

22日 GODSPELL ソワレ。

確かに派手なだけあった。
聞いた話ではマチネでは電車事故。
ソワレでは一部からマイクの雑音が一度二度あり、結局アフロくんのマイク故障。
さらには精薄っぽい人が終始うなっている客席。

MY楽にして、何と言うか。。。
GODSPELLを見て「おんどりゃ死ねや!」とか思っては行かんと思いつつ、あーもう。
彼女も彼女なりに楽しんでいるのであり、人の楽しみ方をあれこれ縛ってはいかん。と思いつつも。あーもう!

溜息ばかり。
舞台に浸る度60%減。

が、これは3回目だから言えることだろうが、集中力が殺がれた分、見えたものがある。
(初にして最後という人も居ただろうし、もう気の毒としか言えない)

それらこれらを脈略なく思いつくままに終着点も決めずに書き出す。
細かいことは前2回に書いたから、3回目通しての思いをつらつらと。

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キリスト教について、なぁんか嫌だなぁと思う時にまず頭をよぎる言葉が出てくる。

「神とは裁くものなのか」

なんだっけ?これ。
とずっと考えていて、ようやくわかった。
『百億の昼と千億の夜』でのユダの言葉だ。

小学生の頃、親戚の家で、萩尾望都のマンガ版で読んだ。
ずっと心に残っていた。本を買って自分のモノにしたのは成人後。

キリスト教に何に眉をひそめるかというと、
「悪いことをすると地獄に落ちるよ」ではなく、「神を信じない」ことをも罪悪とすること。
ノアの箱舟にしても、ああ、これはまた『はみだしっ子』なのだが(子供の頃見たものが全てってホントね)

「邪魔ものを全てぶち殺せ!」「皆殺しにして新しく築く!ノアの箱舟の話だよ!」

それを体現したのがアメリカか。
キリスト教における神は人を分別する。基準は神の言葉を聞くか否か。
そんな風に自分の言うことを聞くか聞かないかで人を裁き、貶める人のが神なのだろうか? 
というとこが、キリスト教に親和出来ない最大の理由。

なので、正直GODSPELLの各寓話については、表現力(脚本と役者と演出について)は評価しつつも
内容は受け入れ難い(ものもある)

では神ってなんだろう?

今思うのは『神とは感謝する』もの。
裁くものでもなく、お願いするものでもなく、あらゆる生命を作り生かして下さっている大きな力に感謝する、
今ここにいることをただ感謝する そんなもの。

あぁこれって、耕平くんが歌う『ALL GOOD GIFTS』の歌詞と同じだね。
だからこれは染みるのか。


Jesus=山本さんについて。
ここ一カ月で、西田敏行さんには月と評され、高橋克典さんに太陽と呼ばれ、明星さんには海を感じられる。
アマテラスとツキヨミとスサノオのスリーセブンだ。

何故か大自然に例えられる。
そういえば、Jesusは人々を教え導く存在なのに何故か父性を感じない。

では父性って何?

思うに父性や母性は自分より弱いものに対する心性であり、母性は能動的(具体的にはあれこれ世話を焼くこと)であり、生物として身体として今日を生き抜くことをサポートすること。父性とは静的であり(要するに教え見守る)か弱き個人が社会に対峙した時に生き抜くことが出来る力をつけさせること。
それは規範であり、統制であり、知識であり、財力であり、権力、総じて言えば、義務と責任と力 である。

として思うと。
Jesusは身近で今日の栄養を口に運んでくれる母性ではなく、さらに、外界と接して生き抜く「力」を鍛える父性でもない。

じゃぁなんだろう?

思いついたのが、ユングのアーキタイプで言うところの"老賢人"。
現実の社会的な権威とはるかに超える仙人。
仙人はしばしば"童子"に姿を替えて現れる。

大人のような、子供のような。(Byとみい)
純粋無垢なのに純潔でなさそう(ByTeppen)

あぁこの評と同じだ。そうかー。
老賢人=枠を、身体とか社会とかいう枠を、超えた存在なんだ。
だから母性でも父性でもない。それより大きい。じゃあなんだ?

思うに場なんじゃなかろうか。
あらゆるものがその可能性を枠に縛られずにのびのびを己の命を伸ばせる場。

それは要するに自然。山であり海であり光であり地球であり宇宙である。
なるほど、だから、自然物に例えられてるのか。


繰り返しになるが、GODSPELLのキリスト教の寓話には頷けないところもある。
が、場は感じた。

あらゆる生命をそのままの形で許容する愛の場。
先に書いたが、舞台に浸る度60%減だった所為(おかげ?)で、個々人のスキルについてしっかりと味わうことが出来なかった。
なので、よりはっきりと感じたものは、愛の磁場だった。
"ただならぬ包容力"(by 明星さん)との表現と重なるね。

精薄っぽい人が発する雑音には溜息ばかりであったけれども、これもまた巡り合わせであり、
出会いだったのだろう。と今思う。(3回目の余裕が大きい)

GODSPELLの幕が開き、回を重ねるごとに客席は盛り上がりを増し、あと数公演のところまで来た今、
山本さんがどんな気持ちでいるか、は理解することが出来ない。
この舞台に立つまでにどれだけの紆余曲折を労力をかけてきたか、も理解することは出来ない。
今後、情報として知ったとしても、永久に理解することは出来ないだろう。それは当人しかわからない。

が、この場所の楽しさをわけあうことは出来る。
舞台の熱量を、演者の情熱を、愛情を、その場を一緒に感じ、共に味わうことは出来る。

それは他の人についても同じ。
ある人が朗らかに笑える今に至るまでに、どんな日々を経てきたか。
それを理解することは出来ない。

ただ、今の笑顔をいつくしむことは出来る。
過去もなく、未来もなく、いまここの自分を愛す。関わった人を物を愛す。
それが私にとっての、No Day But Today。
もしくは「例えばここに生きていること。それ以上確かなことなどなく」

この舞台の感想のGOALはこれでした。
指にまかせて書いていたら何かまとまったね。(って思うの私だけ?)



最後に。
細かい感想を。

・山本さんの年齢域のサビアンで見ると、『いきなり笑いだす少女の顔』
受容性を意味しており、拒否しないことで自分に必要なものを引き寄せる姿勢。
そして、これにアスペクトととるのが土星でサビアンが『ベストを着ていない聖歌隊』
特別に煌びやかな衣装を着なくても、集え歌えばそこに崇高な気持ちはある、と。
日常服の聖歌隊w。もうばっちり。素敵過ぎる。
・演出がどこがとは指摘できないけれど変わっていたところがちょこちょこあった気がする。
・なつきの声が大分落ち着いていて良かった。
・上手い人でも微妙に声がぶれる。Teppenくんとかも。
が、全くぶれないで音を取るのが、まみさん。みやちゃん。明星さん。美紀ちゃん。
山本さんは言わずもがな。
・「あぁエルサレム」と突然嘆かれても気持ちが醒める。
・美紀ちゃん好きだ。
・まみさん絶唱。絶好調。
・山本さんの声も伸びやかで絶好調でした。
・「寂しさのあまり死んでしまいそうだ。」胸が締め付けられるほどに切ない。

ここまで来たら、最後まで皆笑顔で全公演を終えることを願うのみ。
こんな時はやっぱり、神様にお祈りしたくなる。願いたくなる。
神様って何だろう?

あ、戻ってしまった。
明星さんのソロに戻るように。 LOOPがつまり生きてくことか。



2010年12月20日(月)

12/16(木)のGODSPELLの感想を。

流行っている風邪に巻き取られそうになりつつも、崖から落ちずに何とか踏みとどまっているよ。
熱っぽいけど。
28日まで滑りこめ。

12/16(木)のGODSPELLの感想を。

明星さんが出てきた瞬間から、なんか「あ、抜けた」という感じ。
後で知ったが、お誕生日だったのですね。
誕生日前は誰でもくぐもるものだから。9日はそーだったのかも知れないな。
16日のチケット取って良かった。

Tower Of Babbleでは演者の声が束ねたロープの一本線になっていて、どーんとした迫力。
ぞくぞくした。

後、驚いたのはあさひ。
進化してる!
前は演奏家であったのが、今回は観客の気持ちを動かす指揮者になっていた。

2幕のユダの見せ場が前は熱演ではあったものの、単調で長くも感じたが、今回はそのようなこともなく。
ぴりっと締まっていた。
パンフを読んでようやく思い出したが、彼は初舞台であったのだなぁ。
表現力は9日の時点でも初舞台とは思えないほどであったが、観客の前で演じることで意識のアンテナの範囲が大きくなったのではないかと。

なつきは台詞に力があるのは流石なのだが、歌が他のメンツが上手いだけに弱い印象。
語るように歌う、女優ならではの表現が強みになるのはあくまで歌が標準レベルで歌えてこそ。
マイナスにプラス重ねてもチャラにしかならない。

が、他の場だったらそう悪い評価でもないかもとも思う。
とにかく12人のメンバーが誰もが歌えるって、それは、プロの舞台として当たり前のことなのだが、
今現在の日本では当たり前が当たり前に成り立ってない現状がある。

みやちゃんが初ミュージカルというのには驚き。
こんなに歌えるのに?!

みやちゃんのみならず、こんなに歌えて・踊れて・楽しさにはちきれそうに舞台で躍動する若者達をどうして今までほおっておいたか。
青山劇場で人呼んで"ろうろうと響き渡る音痴"を再演している場合じゃなかろうよ。


まみさんはますますの熱唱。
全身全霊で愛して、命かけて歌ってる。

山本さんの声は若干荒れ気味。
Light of the world の高音はきつそうだった。
JESUSの切なさには胸線がきゅーっと引き絞られる感覚。
この人の寂しさの深さってどこから来るのだろう?

9日はなかったカテコの挨拶もあり。

中日を回ってカウントダウン始っている日々であること。
お客様からPOWERを貰い、それを返し、そのPOWERの愛のやりとりでより舞台が高まっていること。
などなどを、非常に大人な淀みない、ザ・演出家なご挨拶でした。
「学生さんもようこそ。」と声もかけていた。

そう、客席には学ラン中学生が5,6人ずらりと。
引率の先生もいたが、あれは一種の社会科見学なのか? 部活動の課外活動なのかしら?
どんな感想を持ったのだろうか。


キリスト教の教義には反射的に、いっ!ってなってしまうところがあり、100%身をゆだねることはできないが、この舞台の愛は染みわたる。


山南さんの『人を愛する天才』との表現が浮かぶ。


でも、天才って、実は人一倍努力する人のことなのだよね。



2010年12月17日(金)

12/16(木)ソワレ GODSPELL 

やっとパンフレットもGET!
なぜ前回買えなかったかと言うとー、今回一緒に行く人には今回が初回と言っているためw。
うっかり2回目ということがばれないように、想定問答を念入りに。
ちらしも前回は見ないようにぐっとこらえていたんだよ。

それはさておき。

胸線痒くなりました。
そしてH列。目線びしばしで最高の席でありました。
全体も見やすいし、影が壁やステンドグラスに映るのも幻想的で好き。

平日夜にも関わらず、立ち見もかなり入っていて、良かったね。

感想はまた。
キリスト教の胡散臭さには完全に身をゆだねられないが、ちょっと身構えは解けた。
愛おしさだけを、愛だけを、存分に浴びればそれで良いや、と。



2010年12月14日(火)

受動意識仮説

人がコップを持つという動作をする時、"私"が「コップを持とう」と考えてからコップを持つのではないということ。
まず、コップを持つという動作のための準備が脳の中で始ってから、「コップを持とう」という意識が生ずるのだ。。。

という話。

要は私の意思なんていうものはなく、"私"とは無意識が勝手にやっていることを受動的に見ていることしか出来ない
にもかかわらず、自分が仕切ってるんだぜと思いこんでいる、おめでたい奴である。と。

本には、『まさにコペルニクス的転回!』と書いてあり、著者もこの考えに行きあたって最初は驚きのあまり"愕然とした"らしい。

そうか?
心は意思的でなく、制御不能な無意識からなる。 うん。その通りでは?
違和感なし。

おそらく理由の第一は、意思力が皆無な自ら故。
そして何と言っても、グレアムペンギン! @『はみだしっ子』

グレアムの心の中で、グレアムペンギンが綱引きしたり、全く言うことを聞いてくれなかったり・・・が、
くっきりとビジュアルで浮かぶ。

コペルニクス的転回、とか、心の謎がついに解けた!とか大仰に言うようなことでもないような。
三原順がグレアムペンギン書いたの何年前だと思ってるんだ?


私の世界観の基準は『はみだしっ子』であるようだ。 (Not 『ドラゴンボール』w)
子供の頃のわーっとかきゃーとかすげーっは真珠の核だ。


2010年12月12日(日)

GODSPELL@12/9の感想

みんな、そんなに海老蔵が好きか?
彼の舞台見たことあるのそのうち何パーセントなんだ?と突っ込みをいれつつ、チャンネルを替える。

にも関わらず、「オーラの泉」の予言が的中とか言うNEWSまで入ってくるのだから、
情報は切りすぎるくらいで丁度良いのだろう。

で、ふと思い出して、山本さんが出た回の『オーラの泉』を見返した。それは4年前。29歳の時。

"自分のCompanyをお作りになればいいのよ"。by 美輪さん

それから4年経ってTeamYamamotoが起動したこと、いや、起動させたことには感嘆の極み。
もう一々の手続き、版権とか後援とか宣伝とか損益分岐点とか、もう、そんなことの一つ一つを片付けて、
今恙無く初日の幕を開け、無事公演を続けていることが素晴らしい。
もうその大変さの想像がつかないもの。
ちゃんとTeamをそう言う面で支えてくれる人もいるのだ。すごい。

それこれも含めた敬意を前提として、12月9日(木)で見た回の感想を。

総論としては、直後に書いたものを日を置いても同じく。
良い舞台だったが、『私の背な毛が、私の胸線が反応しない!』

うわっと思うより先に、身体のセンサーが反応する。
それが私の場合、背な毛を風が駆け抜ける感覚=これは超すげーということ、OR
胸線がきゅっと熱く痒くなる=心の柔らかい場所を鷲掴みということ、になる。

それはなかった。
理由は・・・考えたけどわからん。
つまり、そうだったということなのだろう。


以下は、備忘録的に。
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訳詞
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こなれていて耳触りが良かった。
原曲のリズムとイントネーションが近かったからだと思う。
ミュージカルの歌詞って力一杯に日本語に訳しすぎて、字余りだったり、原曲の音色と違い過ぎて、
のりが崩れることがたまにある。
あと、J-POPでもあれだけ英語が入っているこの昨今で、その歌詞をあえて訳す必要性はなかろう、
と思うこともある。
その点、この舞台のは良かった。

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舞台装置
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破壊と想像を思わせる舞台装置がカッコ良かった。
ステンドグラスのみ色がある(でも割れてる)のもアクセントになって良し。
光が差し込むとジーザスの髪の色が綺麗。ああこのライティングを意識したカラーリングなんだなぁと思った。

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衣装・化粧etc
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キャラにもあっていたし、特に違和感なし。
ただ、ナツキ。顔だけ白く塗りすぎ。首と色が違いすぎて変だった。

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歌える人を揃えていて、しかもそれぞれちゃんと基本もありつつ、個性もあり、平均点の平板さがないところが好き。
(四季って、全部じゃないにしても、無難すぎて引っかかってこないし、時にファストファッションなみに安っぽく聞こえる)
ただし、時にハーモニーが崩れる。
特に序盤。複数の線が一本になりきれないところがあった。

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前嶋さんならもうちょっと印象強い音でも良かったなぁ。
音響の問題なのかもしれないが、音のつぶつぶが全体につぶれているとの印象。
コメが一粒一粒きらきら立っていず、べちゃっとしている感じ。

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演者
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オーディションで選んだだけのことはある。
そこいらの名ばかりキャストより、よっぽど歌える。
誰とは書かないが。卵投げて良ければ投げたい人もいた。

オーディションで演者を募ると聞いた時に、
若い人にチャンスを与えられる立場に山本さんが来たことに、感慨深いものを覚えた。
この舞台をきっかけに羽ばたいて、誰かが、後々、この舞台を転機、と語る日が来ると良い。

以下は人別に。

*桜井美紀さん
 キラキラしていて、目を奪われた。
 静止画像より動画の方が魅力的な人。

*アフロくん
 がんばってる。休憩時間も含め。
 人前でどーんと心を開く強さのある人。歌も太くていい。

*天辺くん
 写真で想像していたのと全然違う柔らかな優しい声。
 身体の後ろから入って前上方に抜けた。清濁を越えた声だと感じた。

*耕平くん
 きらきら。若木の伸びやかさ。
 気持ちを吐くように歌っていたように思う。

*とみぃ
 PURE全開。

*みやちゃん
 人に歌声を添わせるのが上手い。
 声が細いのに、芯が有って、かつぜつ良くきっちり抜ける。

*明星さん
 いや・・・力量あるはずなのに、そして素敵ではあったのだけど、見た日はどうも抜け感がなかった。
 どこかにつまりがある。
 ここが流れると、コーラスに統一感が出るような気がした。
 ブログは一番好き。っつーか、わかる。

*まみさん
 切ない。一見強そうで自分でもそんなキャラで押しているくせに、心が乙女タイプの人。
 いやというほど見て来たよ。
 強そうで弱い。
 常に糸をぎりぎりと強く張ってるもろさがある。生き方も声も。

 そんな切なさ全開の歌声、堪能してきました。
 あと、この人の他の演者を見ている目が好き。

*転球さん
 このシャウトな歌声好きなので、ソロがないのが残念。
 存在が安心感をキャストにも山本さんにも与えているのは見てて分かる。

*なつき
 歌手が歌うことと、女優が歌うことの違いがわかる。
 場の空気を変える力は流石。

*あさひ
 予想以上に歌えたことに驚き。
 不穏な空気を余すところなく表現し、なるほど、この役は俳優じゃないとだめだ。


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山本さん
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日程が決まったところでも書いたがー。
この人の舞台って、きっちり水星逆行にはめてくるのだ。なぜか。

要するに復習であり、提出前再チェックである。

GODSPELLはもう、手品ありマイムありはもちろん、L5YありHedwigあり、さらには舞台装置はTTBにも似て、
まさしく総浚えだった。

『オーラの泉』を見た後で、竹中半兵衛とJesusは36歳で亡くなったのだなぁ。と思った。
35歳で亡くなった歳さま、モーツァルト、ジョナサンと合わせて5名。フルハウスだ。
これもまたある意味完成。

舞台の上の山本さんの安定感は言わずもがなだが、嘗てなく受容的であるところが印象的だった。
そろそろ年齢域的にも、火星の管轄にうつるし、ここで切り替えということなのか?

テンペストはさておき、(なぜおくw)次の展開を期待して待つ。


あー次はH列なんだー。全体が見られる。やったー。




2010年12月09日(木)

GODSPELL 12/9(水)ソワレ  

うーん。。。頭を整理してから書く(多分)
皆歌は上手く、愛すべき人々でありー。 良い舞台でした。

が、何かが足りない。

座席がC列だったもので、初見の絵の全体像を掴む前に、ぴたっと顔くっつけてみるような感じだった所為かも知れぬ。
新興宗教国家アメリカの匂いが強すぎる作品だったからかも知れぬ。

演技構成点(フィギュアじゃないぞ)は標準以上ではあり、良い舞台ではあるのだけどー。
神様が降りてきたとか、宇宙を走ってきた光に胸を貫かれたとか、地熱に包まれたとか、ガラス細工に雪明かりが差し込むようだーとか、そういう映像が浮かぶことはなく。
そして、背な毛が泡立つ感じも胸がざわざわと動くこともなかった。

何でだろう?

でも、良い舞台なんだよ(繰り返しすぎ)


2010年12月07日(火)

情が足りない。愛が足りない。

ちょいとここ数日別件仕事。
気分が変わって良い。
適当に作業時間を水増しして報告し、しばしまったり。
会社のリラクゼーションルーム(マッサージがただ)に行ってみたり。

何ていうかー。飽きるのだ。(きっぱり!)
毎日同じところに通うのって。同じメンツ見て過ごすのって。
(ってまだ2カ月くらいだけどー)

そうは言っても1年位で回りの人も場所もすっかり変わるんだけどさ。
で、終わるとほぼ完ぺきに忘れる。

前に同じJOBだった人に一年ぶりくらいに会って声掛けられて、顔は何とか覚えていたものの、名前を思い出すのに3日かかった。

それじゃぁと。
他の人の名前も思い出してみようとしたが、上司1名(こいつ凄く嫌いだった。でも教えてもらったことが一番糧になってる。)以外の人はさっぱり。
中には2名でチーム組んで3カ月くらいWORKしたのに、さっぱり記憶から消えていて、自分の情の薄さに愕然とした。

確かに「どーでもいいと思ってるでしょ」と言われるだけある。
確かに「現実感がない」と言われるだけある。

今ここに対する愛着が決定的に欠けている。 

情が足りない。
愛が足りない。

だから組!とか好きなんだ。きっと。
ないものねだり なんでしょうなぁ。



2010年12月06日(月)

コレクター

『死刑基準』が文庫化。
すっかり本の帯コレクターだわw


2010年12月05日(日)

インディアンの秘薬

『GODSPELL』初日。盛況だったようで何より。
全身全霊の作品を待ち望んでいた人達がいて良かったね。

広告という意味での宣伝は少なかったが、かつてなく、各番組に出演してのプロモーションは多く、
相当がんばって営業かけたのかと思われる。
また、それをある程度(もしくは予想外に?数少なくはあれど?そこら辺はわからん)受け入れてもらえたのは、
鶴瓶曰く"家内工業"の挑戦を応援してくれる気持ちもあったのかも知れぬ、と邪推。


話は全く変わるが、インディアンの秘薬と呼ばれる『フローエッセンス+』
良い悪いの判断を軽々しく断定出来るものではないが、健康薬品系で少なからぬ変化を感じる稀有な商品。
人によりけりだと思うが、そして、そう数を試してもいないが、私はほとんどのモノが飲んでも変化を感じない。
(たまにちょっと風邪っぽいなぁと思う時に、おまじない半分でカリカセラピを飲む程度。
おまじないかも知れないが、大盤振る舞い!とか言って2袋飲んで寝ると、大抵治る。)


が、『フロー・エッセンス+』は明らかな変化がある。
一週間くらいして、トイレでた瞬間、自分が二センチほど浮いた気がした。
そしてその翌日も。

出すもの出したから単純に軽くなったからでは?!とも思ったが、その後は特にそういう感じもせず。
量の問題ではないらしい。

何ていうのかな。
ゴミが出た。体内にあってはならぬものを出した感覚。

視界が明るくなり、だるさも取れて、身体が飛びそうに軽い。
トイレに入る前と出る時で、別人のように体調が違う。

DETOX効果の高い薬草茶 というだけのことはある。


空気やら飲み物やら食べ物やらで、よっぽど気をつけていても重金属とか体内に溜まっているというから、
気にはなっていた。
アンチエイジングクリニックなどでキレーションでもやってもらうかとも思ったが、ちと敷居が高い。
それはまず値段的に、というのと、他のも色々総合的にやらないと効き目がないとか言われて、
すごいコースに勢いで申し込んでしまったりー。。。
それは効果があるのかもしれないけれど、そこまでお金と時間を突っ込む根性がなかった。

あと、飛び道具はいざという時に残しておきたい気持ちもある。
『フローエッセンス+』も高いっちゃあ高いんだけどね・・・・。

でも、多少間隔を置きつつ、今月はDETOX月間!とか言って、ある程度間隔をおいて集中的に煎じて飲んでる。
やっぱり効く、と言う表現はともかく、何らかの変化はある。

さて、次に変化が欲しいのは、グレープシード。君だ!
シミを消してくれたら、神棚に祭って差し上げる!(ないけど)


2010年12月02日(木)

二次元の人

マオカラーのセーターを着る。
鏡を見て我ながら、「飲茶屋の店員か。お前は」と思う。

似合う。が似合いすぎる。東洋の民族衣装系はほんとに良く似合う。

よく言われることが2つある。

『2次元っぽい。』『存在にリアリティがない。』
もう一つが
『どうでもいいと思ってるでしょう。』


視点は異なれどいずれも現実へのコミットが薄いということなんだろう。
歳食えば変わるかと思ったけど変わらないや。

足元を常に地面から3センチほど浮かせてきっとこれからも生きてく。
まぁそれも良しか。


alain

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