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2009年08月30日(日)

世評がちっともわからない

なんなんだろう?って思う。
世間とか社会とか、本当にわからない。
わからないから凄く怖くて不気味。

ねぇ、みんななんでいきなりそんなに自民党が嫌いになったの?
何か悪いことした?
してるのかもしれない。けど、それはここ何年ではなく、ずっとでしょ?

民主優勢が報道されて。
じゃあとゆり戻しがあるかと思ったら、はるかに勝ち馬に乗る人の方が多かったようだ。

リアルな話の気がしない。

票ってホントに数えているのかしら?
バーチャルの世界の話のような気がする。

一票の動きが理解できない。

まだ、ロックフェラーからロスチャイルドに覇権が移ったとか。
アメリカからの資金源が痩せたとか。
中国コネクションとか。
の方が理解できる。

いっそ、爬虫類型宇宙人が政財界の中心を乗っ取っているから。
それでも、"民意が動いた"より、理解できる。

そうであって欲しいとさえ思う。
あーだから私は陰謀論が好きなんだな。


2009年08月28日(金)

本当はどうしたかったの? by 松任谷正隆

前回のスイートJAMの話。
(BSチューナーの入っているTVから外部接続で録画しているので録画予約が出来ないのだ。
日曜日の再放送忘れないようにしないと・・・)

一言一句合ってるかは自信ないけれど、
山本さん達が作った曲の一部コード進行に対して、松任谷正隆さんが山本さんに問いかけた言葉。
「本当はどうしたかったの?」

聞いたときから、良い表現だとは思っていたが、時間が経つにつれ、どんどん存在が大きくなっていった。

自分が正解を教えてあげましょうでもなく、自分はこうしたいでもなく、
答えはあくまで作った本人が知ってるはず、という考え方が好き。

それは、目の前にいるその人、に対してだけでなく人間という存在に対する信頼感が含まれているからと思う。

「答えは常に自分の中にある」
宇宙的摂理?に対する信頼といっても良いかも知れない。
(信頼感が皆無だと、神の視点でジャッジするようになってしまう。
敗戦のトラウマを抱え続けた司馬遼太郎が頭にあるわけですが)


人の書いたDocを基に何かを作ろうとして、その作業の中でこの言葉を思い出し、
「しばらくこのスタンスで行ってみよう!」と思った。

こうすべきと直すのではなく、その人がホントは何がしたかったのかを、どこに行きたかったのかを
探すために、ちょいと手助けをする。
帆の向きを微調整する。
が、決してその人の船自体の性能を否定しない。
目の前のことに一生懸命で風を見逃しているかもしれないその人の代わりに、
周囲を見渡し風を読んで、ほんのちょっと別の風を呼び込んであげる。
でも船を操っているのはその人だし、目的地を変えることまでは踏み込まない。

どっか立ち位置の軸になるものが欲しかった。
とてもしっくりきて、落ち着いた。うれしい。
しばらくの間、心の床の間に「本当はどうしたかったのかな?」掛け軸を下げて過ごすことにする。
(けど、不満を押し切った『春よ来い』のアレンジの件はどうなんだとは思う。)


2009年08月27日(木)

『ドリアングレイの肖像』@世田谷パブリックシアター2回及びMY楽

運良くチケットが取れたので(別口では落選している)ドリアン観劇2回目にしてMY楽。

前回より、きゅっと全体が締まった印象。
間合いの太さを縞と見立てると、デザインが洗練されたとでも言うか。

バジルがこなれて来たからかな、と言う気もする。(おせぇよとも思うが)
私の中で彼はMelodyMakerではなく、RhythmMaker型の人なので、
彼がノると舞台のコントラストが鮮やかになる。

おかげで前回よりずっと楽しめた。
席が前方だったこともあり、ドリアンの綺麗な横顔も堪能。
鼻筋がやっぱり綺麗だな〜。
いや、正面から見る悲嘆顔も、いや酷薄な片頬笑いも絶品・・・と観劇と同時に鑑賞モード。
美しいものを見ると、それだけで気持ちがあがる。


人物造詣や舞台全体の印象は前回より変化なし。
ドリアンは内なる子供、矯正されていない欲望、人間の原型だし、ヘンリーは。

ヘンリーはやっぱり自分だ。
最後のドリアンの死体に指輪を持たせてからの歩き方が、特に。
あー自分のあんなリズムで歩くよなと。

加納さんは私の中でthinker。
視点と自分との距離をセンチ単位で設定出来るところがヘンリー卿に適役だなと思う。


先の日記で、
>例えばRENTと同日同時刻で公演チケットが出されて「どっち?」
>と言われたら、一秒も躊躇わずRENTを選ぶ。
と書いたが、今なら2秒は逡巡するかもしれん。

もちろんRENTを選ぶわけですが。
でも、追加でチケットを取ろうという努力をする気はしていないし、する気はない。
一夜の夢、宝石のような夢として大切に大切に取っておく。



2009年08月25日(火)

バッグ購入 & ドリアン感想一部追記

結局、旅行用にバッグを買ってしまった。街歩き用。
ANNA SUIで色はシルバー。
軽さと収納力、ある程度雨にも耐えられて、持ちやすい(肩にかけられる)
との必要条件を満たし、かつ、ある程度可愛かったので、つい購入。

およそ15。
おもちゃバックなら妥当な値段かと思いつつ、定価で買うとどこか"間抜けた消費行動"との後味が残る昨今

現在の旅行用が破れてきているとはいえ、まだ使えないこともなかったのにな。
(いや、旅先で破れが広がると収集つかなくなるからしょうがなかったのだよ・・・)
とかなんとか言いながら買ってしまった。

旅行前に靴とバックを新規ご購入とは、何とも気恥ずかしい。
せめて使用頻度を上げようと日常でもしばらく使うことにした。


ドリアン感想の追記。
他の人はどんな思いで見たのかしら?とつらつら感想を読んでいて、ちと驚く。

ドリアンには感情移入も何も、自分の中では人間の欲望の原型というか、
たぶん使い方としては間違っているのだけれども、文字通りの意味で"内なる子供"、インナーチャイルドであり、
気持ちのシンクロ率は100%デフォルトと思っていた。


特異・狂気・別世界というキャプションは逆に新鮮。
社会的な制約や合理的選択あるいは理性による抑圧を経て、そのままで表出することは一般にはまずなく、
その意味で魂むきだしで生きるドリアンは稀有な存在とは思う。
が、それは表出のするかしないかの話。

ドリアン的な情動は常道と思っていたが違うのか。ふーん

他の登場人物については。ヘンリー卿は一番近い、若しくは、かくありたい存在。
バジルは間抜けで可愛らしく可虐心をそそってくれる。
そうは振舞わないけど、振舞いたくもないけど、まぁ居るよねとは思う。

シビルが一番理解不能。完全に別世界の思考回路。
舞台で下手うつところはまだ3%くらいは気持ちがシンクロ可能だけれども、その後の自殺展開はちーともわからん。

"君は僕を失望させたんだ"
"あ、そう。じゃあ他を当たってくれよ。"  それ以上何かあるの?あるのか??


2009年08月24日(月)

『ドリアングレイの肖像』@世田谷パブリックシアター

結論から言うと、嫌いでは、ない。
が、例えばRENTと同日同時刻で公演チケットが出されて「どっち?」
と言われたら、一秒も躊躇わずRENTを選ぶ。

骨格は受け入れられる。
この間の陽炎の辻3と異なって、軸がずれてる感じはしない。
枝葉のところ。
何と言っても衣装だよっ!

宣材写真あんなにかっこ良かったのに!
SANKEI EXPRESSも良かったのに!

あのぺらぺらなソフトスーツはねーだろよ。
茶系でまとめたその他出演者に対してGRAY基調という方針はわかる。(あ、これだじゃれだったのか?)

にしても質感がカッティングが、もう少しなんとかならなかったのか。

2幕はさらに愕然と。
すっげー気持ちの悪い青みの入ったGRAYのスーツ。
やっぱりてろんてろんのソフトスーツで、しかも皺まで浮いてる!
あぁもう気持ち冷める!

以前から、妙に凝った茶人か俳人チックなGRAYが嫌いだった。
色自体ではなくその色のスーツが嫌いだった。

渋好みの江戸では四十八茶百鼠といい、茶とねずみ色のバリエーションが多彩だったという。
だから、日本には妙に凝ったGRAYが多いのか?
着物ならいい!ともかくスーツには止めてくれ!

と思いつつ、じゃあ本家ロンドンではどうなのよ?!と、わざわざCityに観察にも行った。

妙に青みがかったり、緑入ってたり、そんな気持ちの悪いGRAYのスーツは誰も!着てなかった。
やっぱりスーツっつーか背広には、それに合う色っつーのがあるんだよ。
百鼠は着物だけにして欲しい。
スーツには黒と白を混ぜ合わせた無粋で不器用で正統なGRAYが合う。
っつか、俺はそれしか認めねぇっ!(って突然"俺")


後の枝葉で言うと・・・
ヘンリー卿の一幕の台詞が聞き取りにくい。
慣れの問題なのかなぁ。
山本さんのは妙にクリアなのに、他出演者の一音一音の粒が捕らえにくい。
かなりキャリア重ねている方々だからなぁ、やっぱり耳馴染みの問題なのだろうか?

バジルは声は素敵なんだけど、素敵に演技をしている感が残る。
そこにその人がいる、っつー架空のリアリティ、
(つまり、実物どおりに演じたら多分リアリティが欠如しているように見えるはず。
あたかもそこにいそうで、でも実は絶対にありえない。そんな架空のリアリティ、)
がないように思えた。

背丈で言うと山本さんが一番でかくて、ちょっと妙な感じ。
もう一人二人長身が欲しい。
キャラ的にドリアンが一番でかいって、何か今一つ不自然では?
その所為か、山本さんが妙に猫背だったのも気に入らない。

2幕はともかく、1幕冒頭は穢れを知らない白の存在なのだから、そこで猫背である必要はないでしょう。



舞台を見ていて、「あ、あれに似ている」と連想が飛んだのはゴルトベルク変奏曲。

この舞台。もちろん話はある。
けれど、話が太くとうとうと流れるというより、泡のごとくぽこっぽこっと水面で弾ける散文詩的なイメージ。

どの場面も1つの主題のVariationsであるように見えた。
場面場面が短く転換していく様は、合わせ鏡の中で果てしなく続く絵のようで、宇宙的な奥行きも見せつつ、
人の平衡感を削いでいく。

始終くるくる回るセットと相まって、軽く幻惑された印象。
この感覚は悪くない。むしろ好みだ。


あと、ヘンリー卿の言うこと&振る舞いにことごとく「わかるなぁ」と思ってしまい我ながら苦笑。
違いは私は遊ぶ時は自分のおもちゃ(つまり自分自身)で遊ぶということだけ。

愛でる気持ちと相反するようで値は一つの破壊願望、無知や無垢への憎悪と愛情と。
わかるねぇ。

人を動かすスキルがないからやらないけれど、あったら。
自分のおもちゃじゃなく、人をおもちゃに遊んだらさぞ楽しかろう。


2009年08月23日(日)

捨てたい病

あ。来た。
で、来てしまうと突っ走るしかない。
捨てたい病。片付けたい病。

本日のターゲットは紙類。
不要なものを捨て、取っておくものは分類してファイリング。
今回はファイルにラベルもつける。
引き出しも全部浚い、不要なものを捨てる。

が、基本的に最低月1ではあれこれ整理するので、部屋に不要なものはそう、ない。
多少物足りない・・・。
が、今回はファイリング作業をかっちりやったので3時間くらいはあれこれ片付けていた。

今の自分にとって必要の無いものが、目に入るのがいやというのはもちろん、
存在することがいや。
後、自分が把握していないもの、忘れているものも含め、自分のテリトリーにあるのもいや。

なんでも鑑定団とか見ると、物置にずっと前からあったことに気が付かなかった・・・とか言う話が出てきて、
そういうことが世の中にあることに驚く。
何が入っているかわからない物置・・・。

すっげー辛い。
むしろ恐怖。もしくは嫌がらせ。
耐えられる気がしない。


話は変わる。
土曜日。炎天下を全力疾走するはめに。
用事の前に、とある用事でJRの駅売店に寄ろうとしたのだが、時間の計算を誤ったためだ。
JRの売店で購入したのはSANKEI EXPRESS!
写真がとっても19世紀英国貴族調。役者論も含め、走った甲斐はあった。

本日の『ウチゴハン』でも、おぉと思い、先ほど行った紙類の整理中でやっぱそうだよな・・・と思ったのだが、
山本さん、綺麗になってるがな。
女優さんとか視線と賞賛に磨かれるというが、そういうことなのかも知れない。
しかし、30代を超えて若くなるかね。
リアル・ドリアンか?

だが、ここ一年くらいの透明度は怖くもある。
正邪の邪とはまた違うのだけれども、何ていうか、翳り(陽に対する)は感じるし、
また現実世界とのパスが細く・長くなっているようにも感じる。

それが良いとか悪いとかはわからないけれども。
どうなって欲しいとも言えないのだけれども。
必ずしも生が善で勝利で、死が悪とも敗北という価値観には与しないが、
まだまだここでこうして見ていたい、という気持ち(=我侭)はある。


2009年08月20日(木)

『RENT』@赤坂ACTシアター

もう、何と言っていいやら。
素晴らしかった。
天に昇ってしまいたい気持ち。

この記憶だけは残したい。
劣化してぽろぽろと脳細胞が剥離する時が来ても、この記憶だけは残したい。
残っていなくとも歌を聴いたら、気持ちがぶわっと押し寄せる、それだけでもいい。
お願いだからとさえ思う。

アンソニーとアダムを生で見られた奇跡。
色々個々キャストについて書くかとか思ったんだけど、無理だ。
零れ落ちるものが多すぎるというよりすくえる物がない。
天から降ってきたキラキラと輝く宝石のような時間だった。

小さな宝箱に柔らかい綿を敷いて、その上にそっと載せたい、そんな時間だった。
もう、何も言えん



2009年08月18日(火)

私の頭の中の消しゴム

あ。
8月18日か。中居くんの誕生日だーと、そういうことは覚えているくせに。

先日、去年プロジェクトで一緒だった人とオフィスでばったり会った。
さすがに見知った顔というくらいの記憶はあった。
しばし話すが名前は出てこず仕舞。"な"がついたような気がするというとっかかりはあった。

結局、1日2日考えてようやく思い至った。"な"はついていた。

思い出せなかったことに我ながらびっくりし、そのJOBで一緒だった人の名前を思い出そうとした。
存在を忘れている人はムリとして、顔を覚えている人だけでも。と。
そしてさらに深く愕然とする。

全く名前が出てこない。
中には同じチームで週に何度か一緒の打ち合わせをし、一緒に成果物を作り、
半年〜1年、さらにはもっと長い時間過ごした人の名前が、手がかりもなく綺麗にクリアされている。
うそでしょー!と同時にこいつ消しやがった。と思った。

あまり良い思い出のあるJOBではなかった。というのもある。
が、そもそも自分に取って要らないものはとっとと捨てる、という意識的な行動傾向はある。
用済みとすぱっと切り捨てる様は、ぞくっとすると言われたこともある。

要らないものは覚えておいても仕方がない。ムダでも楽しけりゃ価値はあるが、それもない。
だったら捨てろ。

それを意識下で実行していたようだ。それも完璧に。
私の頭の中の消しゴム。有能じゃん。

人の名前は数日考えて、ようやく4名ほどは思い出した。
2週間ほど経って、ケータイの電話帳を見て1名の名前を思い出した。
彼女とは半年ほど朝からずっとペアで仕事していたんだけどな・・・・。

が、同様に一年過ごした人の名前は未だに思い出せない。
とっかかりの一つも思い出せない。

自分、ぼけ症状出てるのか?との恐怖もありつつも、
スイートJAMで鏡リュウジが○Pのホロスコープ見てたけど、
「みずがめ座に木星が入ってるから幸運」とか言ってたけどどーよ!とかは、
覚えている(録画はしてない)のだから、まぁ少ない資源を有効に使っているということなのだろう。


2009年08月17日(月)

可愛い だけのバックがいいなぁ

可愛いバッグが欲しいなぁ。
通勤用じゃなければ、ころんとしたバックでも良いかも。

通勤用だったら、バレンシアガのバッグとか欲しいんだけど。
お金ないから買えない。
いや、そのお金を燃やしてその燃料でヨーロッパに秋のバカンスに行くんだい!

ということで、旅行バックもかねて、キラキラした、カワイイただカワイイだけのバックが欲しいなぁ。

旅行用といえば、ハイヒール以外の歩ける靴がなかったのでSALEで半額以下だったのもあり、一足買ってしまった。
これは買わないわけにはいかなかったのだから、まぁ、まぁ・・・悪くはないよね?って誰に聞いてる。
お値段は2万とちょっと。
かかとは5センチくらい上がってるけど、前も上げ底なので充分に歩けそうな靴。
軽い。そして何より内側のブルーが可愛いかったんでつい。

最近秋のバカンスのことで頭が一杯じゃね?
でも、同じ時期にチュニジア行く人がいて、「バカンスが待ってるとテンション上がるねっ」
って言い合ってるの。アゲていけるならそれも良し。
が、気分HIGHで買い物はどうかと。

うーん・・・。
寒そうだから、スキーにも使える高機能インナーとかも欲しいし。
毎年あーだこーだいいつつ、ウニクロのヒートテックでいっかぁと2年間に見送っていた
ワコールの"スゴ衣"とかなら普段も使えそうだし買ってみようか。

あーでもでも!
この間人につきあって、青山のCRADLEに行ったついでのギャルソンですっげーかっこいいセーターがあったの!

値段は35・・・・。ま、かっこいいしね。SALEにはならない、だろうなぁ。
価格破壊にはなんていうか、
人の労働環境とかモノを大切に長く使うとか考えてしまって、安けりゃいいとは全く思わないんだけど。

35とは。
もう少し、フレンドリーな価格にならんものかのう。
セーターは2万までっ!って言うのは自分の中の目安なんだけど、どうなんだろう?
ずれてるのかなぁ。


2009年08月16日(日)

麻薬はどの位やばいのか。そしてその理由は?

麻薬って、悪魔に魂売ったのごとく非難されるべき所業なのか?に今1つ腑に落ちない気持ちがある。
麻薬=語るのも考えるのも憚られるほどの存在なのか?

麻薬と言っても、知ってるのって大麻と覚醒剤くらいしか知らず、
依存性とか効き目(幻覚とか)が多様で、十把ひとからげはいささか乱暴だろうが、
分類するほど知識ないので、一からげにして続ける。


麻薬のいけない理由って何だ? 考えるに
1) 暴力団などUnderground経済の資金源になるから。
2) 身体に悪いから
3) 経済的に追い詰められることで家計が破綻するから
4) 3)の経済的な破綻により、犯罪が誘発される。
5) 幻覚症状などにより、犯罪が誘発される。
とかだろうか?

でも1)のUnderground経済の資金源云々していたら、
それ芸能興行とか出来なくない?選挙とかどうよw?
もしくは、農村花嫁とか風俗とか臓器移植とか研修と言う名の外国人労働者の受入とか、
そっちの方が規模大きいようにも思えますが、どうなんでしょう?
それに、経済の始末は麻薬の是非とは別の話のような気がする。

2) 身体に悪いっつーのは、基本的に大きなお世話と思う。
酒やタバコやコンビニ飯はどーよ。
あと、薬の副作用とかは?
インフルエンザのワクチンで以前、ギラン・バレー症候群の発症率が10倍近く上がる副作用が出たこともあったらしいな。
極端なことを言えば、過労死という言葉もある以上、仕事だって身体に悪い。
医療費の抑制として禁止するのは理屈に合ってるけど、そこまで忌み嫌われることないようにも思うけど。

3) 家計が破綻。
これまた、大きなお世話っつーか。
家計のことを心配するなら、市場規模としてパチンコ・競馬等公営ギャンブルを先に始末してから言えと思う。
残債があるのに複数のクレジットカード発行出来る経済の仕組みとか。
また、これを批判の根拠にすると、じゃあ破綻しなきゃいいじゃんという論旨展開も出来てしまう。
実際、最近話題の彼らは別にお金に不自由してなかったんだから、問題ないじゃん、と。

それにそもそも、家庭や人生は麻薬以外にも色んなことで破綻する。
投資の失敗、事業の失敗、天災、付き合った人が悪かった、借金の保証人になった、ローンを重ねた・・・などなど。

4) 家計破綻⇒犯罪
3)と同じ感想。
かつ、Newsを見る限り摘発数は増えているのに、麻薬代欲しさに犯罪とかのNewsって最近聞かないね。
報道しないだけ?じゃあそれはなぜ?

5) 幻覚症状⇒犯罪
幻覚から犯罪というNewsを読んだこともあるが、幻覚の原因はホントに麻薬だったのか?
ナチュラルでも幻覚見る人もいなくはない。
エハラー系の霊視を幻覚というか否かはさておき、ある種の心神喪失、
また、幻覚はアル中でも素晴らしいのを見るという。中島らもの本で読んだ。


てなことをつらつら考えるとさ。
どうなんだろう。麻薬=極悪って一直線な思考は?とは思ってしまう。

冒頭に戻るが、何でいけないの?と首傾げてしまうのは、つまりは、"物知らず"なんだろう。
麻薬がどんなに恐ろしく、軽々しく手を出したことでどんなに大変なことになるか、キミは全然わかってない、と。

でも、だったらさぁ、奇行がとか転落の軌跡とか言ってないで、何がどー悪いのかきっちり説明して欲しいよな。
経験者が語るにしても「大変でしたぁ。もうやりませぇん」じゃなくて、もう少しデータ的にならぬものか。
どのくらい(使用量累計及び期間)やると、こういう症状(単純な計算が出来なくなるとか景色がうねって見えるとか)が出て、そのまま続けるどうなるとか。
そして、Point Of No Returnというか、
ここまでなら、止めれば現状復旧するが、ここまでいっちゃうと無理とかも教えて欲しい。
脳細胞の壊死まで行くと、手足の震えはヤクをやめても一生回復はしないです、とか。

そりゃ人によって違うだろうけれども。
あまり具体的な量を言ってしまうと犯罪にデータを使われる可能性があるの懸念もあるのかも。
でも、それを言ったら急性アルコール中毒だって同じ。
アルコールはきっちりデータ出してるではないか。

麻薬についても、知名度の高いいくつかでもいいので、目安を出して欲しいよな。
出さないところが、かえって、「覚醒剤はともかく大麻は無害らしいじゃん」とか、
無用の興味を惹起している気がする。

自分が麻薬やりたいか?というとやらない。
それは、外からの物理的な作用で、自分の内側を意図せずに変容させられることが不愉快だから。
極力、市販薬も飲まない。
インフルエンザの予防接種も副作用の懸念拭えない上に効果が怪しいので、極力しない。

あと、高い。(らしい。)タバコも同じ理由で吸わない。

それから、自分制御に自信がないというのもある。
はまったら自分がどうなるかわからないから、まず近づかない。
パチンコ屋やゲーセンには絶対に入らない。


2009年08月13日(木)

Hotelの予約を入れる

今年はParisやLondonでHotelがかなり安いとか。
法人需要が減ったためと思われる。
のため、お値ごろ感のあるツアーが豊富で、海外旅行が活況らしい。

が!swissじゃあなぁ、Hotelが法人需要減の影響、ないよな・・・。
しかも田舎にいくとHotel自体が少ないせいか、もしくは何と言っても人気観光国だからなのか、
人の旅行記をちらちら見ているとHotelの空きがないとの記述も散見。
しかも空きがあってもDoubleじゃ空いてないのと一緒だ。(凍えてたらそうも言えませんが・・・)
かつ、田舎に行くほどDouble率は高い。

Zurichはいい。
最初の一泊は取ったし、後の一泊は金だせばどこもないということもあるまい。
近くの町に行っても良いのだし。
ぎりぎりまで値引きを待つ。

問題は田舎。
ほぼ、行きたい方向は決まったので、Base設置場所もほぼ確定。
気持ちは決まったならば、ということで、あぁ全く小心者はこれだから・・・・と思いつつ、3泊分の予約を入れた。

拠点はBad Ragazに。
一応説明にはTwinと書いてある。
(Doubleではなく、Twinであろうと思われる写真を掲げていたのはここくらい。
Single2つも考えたんだけどさー。それも楽だけど、ちょいと寂しいかと)
Swissって都市も田舎も物価変わらねーのか?!と思いつつ、一泊約2万で手を打つ。
泣きそう。

そこを拠点に後はお天気しだいかね。
天気ならば、Inn川に沿った奥地の村(意思表示をしないと止まってくれないというバスのような電車が通っているらしい)のGuardaとかScuolに行ってみるも良し、ChurからArosaに行って見るもよし。
自転車でも借りられたら、Maienfeldにサイクリングなんかもいいな。
ワイナリーやブドウ畑もあるらしい。見たこと無いから見てみたい。
とても出かけられないほどの雨ならば、温泉につかりっぱというのも有りかと。

Davosというのもガイドブックにも書いてあったが、Davosというと一直線に思考がDavos会議に。
何か、小難しい経済論が空中待ってそうで敬遠してしまう。イメージって怖い。

Prahaはどーしますかね。


2009年08月12日(水)

沈まぬ太陽

御巣鷹山の慰霊登山の記事に、あーこの季節の事故だったかと思う。
最近『沈まぬ太陽』を読んだので、今年は感慨もひとしお。

全5巻か。多いな。どうするかと思っていたら、ひょんなことで一巻を入手。
読み始めると好き嫌いはともかく吸引力はある。5巻1000円で購入し読む。

・・・力尽きた。むしろ吸われた。

サンプル2つしかない以上、これはずばり偏見なのでしょうが、"関西人。情念が濃し"との感想。
恨みの濃さが半島に似てる。やはり半島の血が濃い(縄文系ではなく弥生系と言ってる)からか?

サンプルのもう一つは司馬遼太郎。

両者共に、膨大な資料を集めることで有名であり、史実、論理を前面にだしてはいるが、
いやいや、そんなもん表皮にもならない薄さで、真皮以下骨髄までみっしり"恨"が詰まっている。

気持ちはわからぬでもない。
が、いかにせん濃い。
読んでてすら疲れるものを、よくまぁ書けるなと。
ペンが折れんがばかりの筆圧に、気持ちは尊敬や感心を超え、異世界の生物を遠巻きに眺める心情に到る。

言い始めても最後は結局ごにょごひょ口ごもる、腰が引けた自己主張の東北の方が肌なじみが良い。
胸はって正論を訴えないところとか。わかる。
これは優劣ではなく、親和性の話。血統なのか育ちなのか。どうなんでしょうねぇ。

主張しないからと言って、わがままでないことはまるで無く、すみませんねぇと低姿勢なくせに、
やることは超わがままという、そこらへんも、凄くわかる。
頭にあるのは、太宰に啄木に寺山修司なわけですが・・・

話は戻る。
『沈まぬ太陽』力作でした。
途中で止められないんだけど、でも、読んでいて辛いし、疲れる。
再読はごめんです。映画も。
あんな暗くて陰惨でどろどろな人間模様を映像で見たらうなされる!


2009年08月11日(火)

『RENTキャストの来日会見』の報道とか

今一つわかんないのは。

芸能ニュースの需要と供給。

『RENTキャストの来日会見』
そんなもんだろうよ、とは思ったが、予想以上に、
山田優の恋愛コメント>アンソニー、アダム&ユカの会見。

知名度はね。そりゃね。
でも、熱量はどうだ?!
能動的に追いかけて、下世話な言い方でいうと金出しても欲しい情報か?!
山田優のぶっちゃけるはずもない、お約束のコメントをそんなに一般市民欲してるのか?・

・・・わからん。
わかるのは、数は少なくともアンソニーのアダムのコメントを焦がれて待ってる人は確実に存在するということ。

事務所の力が強くなり、ネガを報道できなくなってから、芸能ニュースがパワーを失ったとも言うが、
何を捕まえようという意図もなしに、網を放ってるから何も捕まえられてない・・・という気もする。

が、コアを絞っているように見える演劇雑誌も軒並み、ヅカとジャニに魂売って生きながらえてる現状と見るに、
そいういうものでもないのかもしれない。

『陽炎の辻』についても、
マサトと家基様と泰造の会見はスポーツ紙で写真見たけど、磐音さまはほぼスルーだった。
でも、家基様はともかく、マサトの会見写真需要あるのか?

格闘家としてはかっこよかったが、あのどんくさい立ち回りは見ちゃあいられなかった。
面汚しならぬ、画面汚し。格闘家がアクションでだめだしされて、後に何が残るというのか。
それに比べて有吉の小悪党は素晴らしかった。


と、話がそれたが。
芸能ニュース配信元が旧態依然で追いついていないのか、
あまりに興味が細分化しすぎて、マスで考えることが最早無理なのか、どうなんでしょうね。

っつか、今の状況なら、芸能ニュースなぞ、止めちまえと思う。
○Pについても、ここぞとばかりに"奇行"だの"激ヤセ"だのって。
後からなら何とでも言える。

そもそも、「157センチで公称43キロだが、最近は30キロ台とも言われる激ヤセ」って・・・。
それじゃあ、アムロちゃんとかどーなのさ。
170センチ近くて、40キロ台の人なぞ、芸能界にはごろごろいるがな。

つか、157センチで30キロ台って、それ自分ですがな。
自分、激ヤセだったのかw?

でも、人って自分基準に考えるから、意外なことわからなかったりはする。
山本耕史さんについて、"目が大きい"という評を聞いて、思いがけないことを考える人がいるものだ、と
思っていたら、全く通説として受け入れられていて、非常に驚いたことがあった。

タレ目とは思っていたが、あの目は大きいのか。知らなかった・・・・。

自分が猫目なもんで。
基準軸がずれてるんだろう。


あ、書き忘れてたが、アンソニーの口から"Kojiに会いたい"と聞くと、
話は聞いて知っていたが、アンソニーの声で聞くと、ただただジーンとする。


2009年08月09日(日)

主に陽炎の辻 最終回の感想

とりあえず、最後は気持ちよく終われてよかった。
お疲れ様でした。

色々と思うことはあれども、主役シリーズを3まで続けられたことは素敵なことでした。

霊界交信には思わず吹いてしまったが・・。
気持ちはわかる。
必要な展開とは思うし。

でも、入れるなら磐音さまが斬られた後、8話か9話だろーよという気は、大団円で気持ち良い今でもある。
おこんさんを関前まで同道し、両親に仁義きって、仮とは言え祝言終えてから、
「いいのかな・・・」って霊界交信して、「だめ!」って言われたらどーすんのさ。

やっぱ、自分だけのうのうと幸せにはなれません。おこんさんさらばっ!と放浪の旅にでも出る気でしょうか。
そりゃ人でなしでしょう。

とかね。

とかく、作りの安っぽさと底の浅さが目に付いて、何とも持ったいない作品との印象。
部分部分は良いところも有るんだけど、作り手の背骨というか根幹がない感じ。

だから妙な小細工や展開(要するに脚本ね)の粗さが目に付く。
釣り展開以上の意図が見えなかった、磐音の母のキャラ設定とか、
いちいちカンに触る各女性キャラの余計な一言とか。

もっと良い作品になったと思うんだけどなー。色々惜しい。
いや、違うな。惜しいっていうのは画竜点睛を欠くみたいな、あともう一歩という表現とすると、それとは違う。
根幹が曖昧だと、どんなにがんばっても、ここまでという好例かも。
会社もプロジェクトもそうだけど、リーダーのポリシーが大切。

リーダーって別に何を作ったり、具体的な作業を何するわけじゃないんだけど、
「こんなことをやりたい」「こんなものを作りたい」「こんな風な組織にしたい」ってリーダーの意思は、
驚くほどに組織に影響を与える。

霊的な言い方をすると、オーラの色を染めるっつーか。
リーダーが代わると何が変わるって、空気が変わるのだ。

陽炎制作陣のチームワークが悪いとは思わない。
ただ、GOALイメージを共有していた気がしない。
(何が言いたいかというと、プロデューサーとチーフ演出が力量不足と言ってる。何様発言w)
急いで作りすぎた(正月SPから間が無さ過ぎた)ことも一因か?

続編はどうなんでしょう。
遼次郎のキャスティングを見る限り、やる気まんまんのような気がするんだけどよ・・・

と、一周回って最初に戻る。
何はともあれ、お疲れ様でした。最後は気持ちよく追われてホントにっ!良かったです。


テロップもかぶらずに済んだし・・・。
っつーか、ここら辺が私の冷たいとか死生観が投げやりと言われる部分なんだろうけれど、
逃げるなら死ぬ覚悟くらい持てよとの感想がまず最初に来る。

ま、やるなという正論はおいておいて、
やばいことやってるなら、捕まったときのシミュレーションくらいしとけとか。
影響を最低限に抑えるなら、こんなに日数引っ張っちゃいけないとか、頭がーっと回転させて考えようよとか。
だって、実家ないんだし、子供育てんの自分しかいないじゃん。

勝手に夢仮託してると言えばそうだし、その瞬間楽しませてやったんだから、それで有難いと思え!との見解もわかるし、責任という表現が馴染むかには疑問もあるが・・・

でも、人の愛情と憧れを集めて生きたことには、それ相応の責任はある、と思う。
アイドルに限らず、個人の恋愛でも友人関係でも、見取るとか全うするとか、そんなような責任が。

絶対にメディアにはのらないし、きっと人非人なんでしょうが、テロップの"出頭"を見た瞬間の感情は落胆。
逃げるなら死ね。死なないなら逃げんな。と。




2009年08月05日(水)

アメリカさん

アメリカさんはやっぱり凄いなぁ。
ひょぃと行ってひょぃとつれて帰ってきちゃうもんな

何を代わりに差し出したのか、どう脅したのかはわからんが、
やっぱ国力の差というものなのでしょう。

で、少なくとも偉大なる首領様は生きてはいる、と。
CGには見えなかった。

後はなんだろう。
やっぱりヒルズは縁起が悪いとか。

前に書いたことの繰り返しになるが、あそこは好きじゃない。
車を駐車場に入れたにもかかわらず、何も買わず何も食べず、30分もいないで何となく出てきてしまった。
別に霊気が・・・とかじゃないんだけど、互いにそれぞれ、何となく落ち着かなかったようだ。

人からも、あそこは磁石が狂うとか、あんまり良くないとこだ、とは、別口で何度か聞いた。
長州だから自分とは合わない・・・と結論付け、必要も縁も、もちろんお金もないので
ことさらに近寄らないで過ごしてきたが、どうも個人の体質だけでもないようだ。

世間でかまびすしいもう一件のことは、あえて語らず。
先日のスイートJAMを思い出すと、何ともはや、言葉がむなしいというか。




2009年08月03日(月)

陽炎の辻3 13話の感想

なんだか、だるいなぁ。
そんなに疲れることしていないはずなのに、妙に、眠い。

磐音さまも来週っつーか、もう、今週最終回か・・・。
何か前半はまぁまぁだったのに後半ぐちゃぐちゃで、あんまりワクワクがなくなってしまった。

年老いた男が女ウケ狙って、当たり前のことだが、大きく踏み外した好例ではなかろうか。
おこん目線で共感を得ましょう・・・と、書いた話が、『うじうじおこん欝双紙』。
やっぱり嫁姑問題は外せないでしょう!とヒステリーババの話をねじ込む。

しかも、作り上げたおこんのキャラがことごとく逆なでするっつーか。
どうして、でっちあげるならでっちあげで、もう少し可愛げのあるキャラに出来なかったか。

得意技が立ち聞きと失言と欝。
怪我人に大丈夫の一言も無く、真っ先に愚痴をぶちまけ、
お仕事中に抜け出して、オトコの部屋に元カノ我が物顔で案内するわ、茶店でまったりお茶するわ。
「男の子生まないときっとみんながっかりしますよねー」と、臨月の妊婦に笑顔で話しかけるわ。

これ、魅力的か?!
ひょっとしてヤな女を描きたかったのかしらん。

つか、この女の子を主人公にした物語書きたかったら、原作要らなくね。
居眠り磐音江戸双紙の核はさぁ、そもそもの話の突端は、
お家騒動と上意討ちと友の死を背負って生きる磐音さまの苦悩ではあるまいか。
(まぁ、この話そのものが、登場人物が思慮無さ過ぎて、よく考えると笑えるのだが、
一応悲嘆と悲恋はまとっている)

贖罪という表現が合っているかは、言葉が重過ぎて判断できないが、
友を切った罪として、自分は世俗の幸せを得てはいけない身だ、と
自らを閉じ込めて生きる道を選んだのだと思っている。

その磐音さまが、江戸随一の道場主というある意味、場を得、世俗的な栄達を得、
かつ、嫁も娶る。
しかも故郷の家も名も捨てる。
これは今までの磐音さまの生き方を180度変える、大きなの山場のはず。

そんな磐音さまの葛藤がほぼ描かれていない。
あの磐音さまにして不覚を取るほどの、深い思い悩み。
自ら手にかけた友のこと、奈緒のこと、自分は幸せになっても良いのだろうか?
日々のたつきのために人を斬った自分が道場を継ぐ資格があるのか?という自問自答。
おそらく現代人の想像範囲外であろう名家の嫡男が家を捨てることの重さ。

武家に嫁いで大丈夫かしら?私深川育ちだしぃ・・・という悩みとは次元が違うと思いますが。

磐音さまのキャラとして、あんまり表現しすぎるのもあれだが、だからって、あっさり書きすぎてねぇか。
しかも、誰も思い出してもあげないんだもの。

おこんのことばっかり。
あと、意味不明なバトルね。
でも、バトルはまぁいいの。
失笑はあるけど、痛快娯楽作なので、戦隊モノみてぇと思いつつも原作のテリトリーの範囲内と思う。

とにかく。
おこんもお佐紀も奈緒もばばも、とにかく女性キャラがことごとく、爆死。

脚本家。あえて名は書かぬが。
実力はあると思うんだけど。ま、今回は皆してナレのようにしゃべってて手抜き?とか思ったが、それはまぁいい。
いい年なら、女性目線で女性を描くのは自分には出来ない、という自覚くらいは持って欲しい。
そして出来ないものには手を出すな!
求められのかも知れないが、出来ないものは人に振るくらいの才覚あるだろうよ。

分を知れ、分をわきまえろとか言いたくなる。
(私この言葉って、全否定しない。
やっぱり人には分相応ってあると思うから。人が平等だとか人の命は平等だとか、思ってない。
長くなるから、これ以上は書かぬが)




2009年08月02日(日)

千住真理子@東京オペラシティ

先日、千住真理子のコンサートに行った。
東京オペラシティ。
初めて行ったけど駅近で楽で良いな。

4段階ある値段の下から2つ目。
場所は3階横の前列にした。(座席指定で買った。)

ステージを斜め前方上から覗き込む位置。ほぼ見えない。が、演奏会ならば音が聞ければ充分。
予想以上に気に入った。
演者の視線を気にせず、目を閉じてうつらうつらしながらでも聞ける。
後ろの席とも板で区切られてて段差もあるから姿勢も身体の向きも思うがまま。非常に楽。

一番安い席でも充分だったかも。(音響とか色々あるんだろうけれど、そういうの良くわからないから)
気になるのがあったら、また行こうと思える会場だった。

当日の埋まり具合は3階席は1割程度。1階は8割、2階は4割くらいか?
彼女程度のネームバリューでもこれくらいなのか。正直もっと埋まっているものだと思っていた。
不景気もあって最近興行系は大変というが、そういうことなんだろうか。

って、自分もクラシックのコンサートはほぼ行ったことない。
多分、生まれてからの累計でも片手じゃないだろうか。
そんな身で言うのはあれだが、もっと盛況でも良いのに。
原宿の服屋に並ぶより、コスパ良いと思うが・・・とか人の金の使い方にあれこれ言うなって。


ま、それはさて置き。
前述の通り、クラシックに接点がないので、比較のしようはないのだが、漫然と受けた印象を書く。

千住真理子の音って"腕力"。
天に駆け上る奔馬、もしくは天馬(ペガサス)を思い起こさせる力強さだった。
ヴァイオリンという楽器には、触れなば折れんの繊細な印象を持っていたが、彼女の音にはそれはほぼ感じなかった。音が厚くて太くて強い。青年期というより脂のまわった壮年期の力強さがある。
曲は切なくとも、まとう雰囲気ははかなさではなかった。あくまで悲嘆に引きずり込む引力。

私はいいなと思ったけれど、古典的なクラシックファンでは好まない人もいるかもしれない、と思った。

胸の奥に手を突っ込まれてぎゅっと握られて揺さぶられるそんな感覚。
芸術に感動して涙を流すって一般に、ストーリーに共感とか美しさに打たれて・・・とかだろうが、
たまねぎを切るとか、頭をどっかにぶつけたとか、そんな身体の反射として、泣けた。

シャコンヌとアンコールのヴィバルディの冬。
号泣。

良いとか好きとか嫌いとか、そんなんじゃなく。
気持ちじゃなくて、身体が涙を出した。

イメージ映像は、胸の奥が、緑のつるりとしたハートで、それが震えてる。
楽器で何がどこまで変わるのかとかも全くわからないが、確かに「あのヴァイオリンは触れるとね、
血が通っているように暖かく脈打ってるんだよ。」と言われたら信じても良いくらい、生き物っぽかった。
ちょっと気味が悪いくらいの生命感があった。

以前、癒しのなんたらヴァイオリンとか聞きに行ったことがあったけど、もう全然違う。
海に潜る深度が違う。

千住真理子が枯れて、もう駆け上がれなくなり、その哀しみをはらみつつも、
経てきた時代を大切に誇りながら弾く、そんな演奏をいつか聞きたいと思ったのでした。

スイートJAMがくれた出会いに感謝。


alain

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