INDEX
prevnext
2008年12月31日(水)

おせちも来ました

バゲットが買えない・・・。
売り切れで次の焼き上がりの時間を聞いて再度行ったら、これまた既に売り切れ。
予約してようやく購入。

食料品売り場の鬼込みにはびっくりする。
そして人のかごに入っている食料の量に驚く。
だって、胃は一つだよね!?
普段と同じ大きさだよね!?
お客様が来るからって言ったって、じゃぁお客が家で食べる分は減るわけだから、理屈に合わない。

2日からお店開いてるし、コンビニはずっと開いてるし。
何をそんなに買うか?
ホントに不景気なのかなぁという疑念がふつふつと。

何か一億心を一つにして、その雰囲気が不景気を作っている感がないでもない。
(今は正月で一億心が一つということで)


別段キリスト教の法王の定めた新年に付き合う義理も無いが、
一応、今日は普段よりずっと高めなシャンパン(でも5000円位。一般には安い部類なんだろうな・・・)を空ける予定。

予定メニューは、
・サラダ(生の蕪、葉っぱ、きゅうり、パプリカ)
・サラダ?(トマト、モッツァレラ、バジル)
・サラダ?(スモークサーモン、オニオンスライス、ケッパー、ガーリッククリームチーズ)
・サラダ?オードブル?(あっためたオイルサーディン、レモン)
・バゲット
・いちご
という感じ。

改めて書いてみると、自分が太らない理由がわかる気がする・・・。



祇園花霞よりおせち料理が届いた。
思わず写真撮っちゃった。

不思議なのは、栗きんとんと伊達巻とかまぼこが入っていなかったこと。
京都では栗きんとんって食べないの?それとも庶民の味でちゃんとしたおせち料理には入れないものなのかしら?
かまぼこは外で買えということかもしれないが、伊達巻は作れそうなものだが。

でも見た目とても食欲をそそる彩の良さ。鮮やかだけどけばけばしくない
明日の朝が楽しみ。

思いつくままに話を飛ばしながら書く。
組!の忘年会が今年も開催されたというニュースが嬉しいね。
(何の関わりもない人たちが忘年会を開きましたとさということを聞いてどうしてこんなに嬉しいんでしょうね)
わかっている限りでは、総長、観柳斎、総司、平助、明里、脚本家、そして副長と局長。
局長も来てくれて良かったね!
みんな集まってくれて良かったね!

お掃除とかフィットネスとかで、年末のスタパとラジオ(先日韓国で収録したやつ)の視聴をすっかり忘れる。
まぁそんなに執心だったわけでもないが、ややがっかり。
今日のcowントアップLIVEのレポを読むのが楽しみだ。


さらに話は飛ぶ。
来年の景気がどーこーという話について。けっ!と思う。

資本主義が何かと言われると、全然経済も歴史も知らないからわかんないんだけど、
とりあえず「効率良くいっぱい作っていっぱい売ることで儲ける仕組みかな?」
っていう認識が、勝手にある。
自分で一つの服を縫っている限りは一日一枚しか作れないけど、機械と分業で一日に一人当たり100枚作れる・・みたいな。

とすると、誰かが買わなきゃその仕組みは回らない。
植民地作ったり、流行を回したり、あおったり、捨てさせたり・・・色々な手段で需要を作り出してきたけれど、
でも、ただじゃない以上お金がなければ、どんなに仕掛けをしても無理はくる。

よく思うのが給料は上げない・低く抑える、それは価格を上げないために。
ではそうして作ったものは誰が買うのだ?と考えると、それはどこからか給料を貰っている人であって・・・。

買え買え言われてもなぁと思う。

車の売り上げが未だかつて無いほど前月比で下がったという。
でも、車がなくてこれだけ困った、例えば物流が止まるとか救急車がないとか・・というニュースは一回も聞いていない。
減少分ってそもそも今買わなくても全然問題がない分だったってことじゃなかろうか?
"働く"って"はたを楽にすることだ"とか言っていたけど、不要不急のものをローン組ませて買わせる、
そのための弾を長時間労働してせっせと作っているとしたら、それはかなりむなしいことだと思われる。

景気が回復って言われても回復後の世界のイメージが丸でわかない。
これ以上、ものは買いたくないし、買えるお金貰ってないし。
じゃあ勤労者に買えるだけの給料を上げると、それはモノの価格に反映するわけだから、ほら、結局同じだ。

それを考えると戦争ってかなり需要喚起には良い。
爆弾打ち込めばどんどん作れるし、打ち込まれて壊れたら、作り直せるし。
(でも、個人消費がかなりつつましかった戦前ならともかく、今は個人の消費が"欲しがりません。勝つまでは"と
なった場合の減少幅の方が大きいかもという気もする)

というところまでで。
良いお年を。


2008年12月28日(日)

掃除をする

窓を拭く。換気孔のフィルターを洗う。
明日は台所の換気扇とガス台を拭くか?
フィットネスにも行きたいね。

今年の冬はなんか骨が寒い。


2008年12月26日(金)

坂口安吾は好き

新聞とかニュースとかって号外だけでもいいんじゃないかという気になる。
何か1つネタがあると、そればっかりなんだもん。
憶測を積み重ねてで、何を伝えてこれから何をどーしたいのか、わからない。
放送時間の埋め草とか暇な午後の時間つぶしにするには、
特に死者についてだと死体つつきまわしているみたい悪趣味極まりないし、人の不幸ならば心が汚してる気がする。(頭にあるのは飯島愛と雇用調整のニュース)

最近は一応世間のこと知っておくかと思った時には、
NHKのBSニュース(10分間)を見ることにしている。


借り物の『坂口安吾』を読む。白痴とかが入った短編集。
これは好き。時代設定は古いのに妙に古さを感じない。
いかんなぁと思いつつずるずると女に気持ちを纏わりつかせるところは
村上春樹と同じなんだけど、坂口安吾だと全く不快感を感じない。
なぜなのだろう?
感覚的な反応は大半が無意識の発露と思われるので、
自分で認識出来る理由は一部だろうけれど、多分こういうことなんじゃないかな。

"投げてる"

村上春樹の愛情は所有と繋がる気がする。
しかも両手に持った花のどちらも離したくない感じが、私には感じられて、
そこから身勝手とかずうずうしいとか思ってしまうのだろうと思う。

坂口安吾からは、なんていうのかな。
流れるままにふらふら歩いていて、たまたま頬に張り付いた落ち葉を瞬間愛でる、みたいな刹那な愛を感じる。

私にとって、愛っていうか感情全般に対しては刹那であることが自然。
刹那が重なった際にまれに期間になることもあるが、"永遠の"とか"ずっと"とかいう感覚は遠い。

"破壊願望"。

古さを感じない要因の1つはそこにもあるようにも感じる。
1999年の世界の大魔王とか、2012年のマヤの暦の世界の終末とか、
コンスタントにブームになるというのは、"もう面倒だから全部壊しちゃえよ"という願望が、
時期により多寡はあれども、常に一定量は存在するということなんだろう。

多分、今は世の中ごと爆死という衝動は強い時代だと思うから、
上手く仕掛ければ、蟹工船の次は坂口安吾ブームも起こせるんじゃないか?!

とか、書いていると少し落ち着く。
午前中にささいなことだけど嫌なことがあって、気持ちが沈んでいた。
弱い。弱すぎる。自分。

占星術でいうこと、バランス的に四元素のうち風と火の強い人は欝になるとはまるらしい。
過去の蓄積を自分の中に持ててないから・・・みたい。

だから、書くということは助けになる。
まず、自動書記状態なので一種写経っぽいトランス状態になって、気持ちさっぱりする。
あと、読み返すと、噴飯物のなかに、時に自分結構まともなこと考えてんじゃんと、過去LOGを確認して
自分に励まされたりもする。



2008年12月24日(水)

深く反省・・・

昨日会った人がCDをくれた。
「一番好きなCDだから、いいななって。」って言ってくれた。
今日はマフラーを貰ってしまった。

うーむ・・・。
なんかさー人にモノをあげるのって、自分がモノに執着ない(でいて特定のモノを偏愛)なので、
苦手というか臆するところがあるんだよね。

という以前に!

自分には愛が足りないのだなぁとしみじみと反省。
選んでくれた時間は少なくとも私のことを考えてくれたということだから。

ワシは自分のことしか考えてねーし。
今回はまじ反省。
モノがどーのではなく、私もちゃんと愛を持たなければ、そして届けなければ。
Seasons of LOVEを好きって言っておいて、いかんいかん。


話は変わる。
『文学部唯野教授』を読む。
筒井康隆って、用語はシンプルなのに文章は鮮やかで濃いように感じる。
こくがあるのにキレがある、という日本酒のようだ。
内容は難しすぎて面白さを味わうには力量が足りず。
フッサールと言われても教養がないもんで、イメージがわかない。
大人が標準的に持っている教養の厚さが一般に薄くなってる気がする。
(っつーか人はどーあれ、もう少し大人の常識というか教養を蓄えるべき時期ではないか?自分)
今日は反省しきり。
愛と奥行きが自分には決定的に足りない。
過去は取り戻せないから、一ミリずつ足すしかないね。

また、話は変わる。
飯島愛が亡くなっていたことを知って、びっくりはしたけど、やっぱりなという気もする。
別に好きな人ではなかったけれど、寂しさはある。

Merry Christmas


2008年12月21日(日)

背中が痛い/『恋愛写真』『国境の南 太陽の西』

福利厚生でマッサージルームがある。
最長が40分コースで月3回まで利用可能。そして無料!

残念ながら、ずっと時間が合わず使うことが出来なかったのだけど、今年の10月に初めて行った。
身体のマッサージは初めて。

その後定期的に通ってる。何と言っても無料というのが良い。
(みんなのお金は、自分が使わなきゃ誰かのもんになっちゃうもんな)

で、今かえって背中が痛い。
固まりすぎていて、痛みすら感じない状態だったみたい。
肩が固まっているのはまだ多少の意識はあったのだけど、腰は自分では全くこってないと思っていた。
触られてびっくり。
背骨の横に、こりこりとした軟骨が!形状は"ささみ"。
背骨に沿って軟骨が・・・あるわけない!

「このこりこりはもしかして・・・?」
「筋肉が固まってます。」と断言される。

定期的に背中を解してもらい、
さらに、週1のエクセサイズでも背中と腰を緩めるようにしたら。
ここ最近は常にもみ返しのような症状で、かえって痛い。
が、痛みを感じるくらいは感覚が戻ってきたということを喜ぶべきなのだろう。

話は変わって。
先日、貰い物の『恋愛写真』by市川拓司を読んだ。

村上春樹のエンポリオっつーか、ケータイ小説Verというかと思いながら読んでいたら、
最後の著者紹介でインターネットで小説発表とあり、やはりと納得。

スイートJAMで小堺さんが言っていたことを思い出した。
"全部出さない。余白を内側に秘めておく"

村上春樹は別に好きではないが、彼の作品の持つ雰囲気には、
"一万円持っている人が2000円のものを価格ではなく、単に好きで買いました"という、余裕がある。
それは品にもつながるような気がする。

同じ比喩で例えると、この『恋愛写真』からは、400円しか持っていないのに、
「人に150円貸して」と頼んでまで、無理に500円のものを買い、しかも50円は財布に残す・・・
といういじましさと逞しさ(これは臆面もなく生き抜くという姿勢であり、その抑制の無さは品の無さと同義と思う)を感じた。


別の日に、『国境の南 太陽の西』by 村上春樹も読んた。
これも貰い物。

純粋な僕を臆面もなく正当化する姿勢にいらいらした。
品とか文学的スキルとか人間を描く・・・とかそういうこと以前に、彼の書く小説の登場人物は
ことごとく嫌いだ、ということを改めて確認。

多分、恋愛とか感情を日常生活よりも優位に置くところに、無責任さを感じてしまうのだろうと思う。
一旦生活を始めた以上、私は愛よりも運営の方が優位だと思っている。
派遣社員をいきなり解雇するのは会社の社会的責任としてどうなの?というのと同じレベルで思う。

特に奥さんに家庭運営を任せ(ということは社会的キャリアを程度の差はあれども中断させ)、
子供をもうけた以上、"僕は彼女が愛おしくて、二度と手放してはいけないと思った"とか言いながら、
女に走ることを正当化されても、ついていけない。
純愛が至高で継続は欺瞞という定義は生活とは別のところにおいて欲しいし、
それを突き詰めるならば、家族と生活とは求めないのが筋ではなかろうか。

男の人って、自分が肉体的にやや衰えたあたりで、やけに「オトコのロマン」とか言いたがるよな。
育ての父親もそんなこと言いながら、家を出て行きましたが。

倉本聡とか村上春樹とか才能がある人はその衝動を金銭に昇華し、
勢いのある人は過去履歴を吹き飛ばし、その他大多数の人は日常に放散し、その内のさらに一部は村上春樹に耽溺するのかもしれん。
どのタイプが好きかというと、そりゃ衝動を金銭に昇華する人。
金があれば大抵の矛盾も諍いも解決する。





2008年12月17日(水)

人の夢をみたい

不景気と雇用調整関係のニュースばかりが続いている。
そーなんでしょうけど、そんなにそればっかりやらなくても・・・。
「どこもそうなんだから、しょーがない。」という言い訳作ってるみたいに見える。

貰い物の『インディビジュアル・プロジェクション』By 阿部和重を読む。
中学生の妄想バイオレンス小説みたいでした。

昨日だか一昨日だかに、立ち読みした本に書いてあって驚いた。
安保徹という人の書いた健康の本。
内容はともかく、驚いたのは『身体が温かく代謝が良いと、夢が色つきになってきます。
そしてストーリーが出てきます。』との一節。

ほぇ?

夢って色つきじゃない夢があるの?
ストーリーのない夢って?
風邪熱で朦朧としているときに、原色のアメーバを万華鏡で見たような絵がうねうねと
躍動する夢を見たけどそういうことかしら?

読み進めると、安保さんの夢は通常モノクロだそうだ。
で、人に聞いたら、部分的に色つきだとか、色があるかないか意識したことないとか、
あらためてびっくりした。

モノクロだったら、すぐ夢ってわかってしまうじゃん!
今日の晩ごはん何食べた?って言われたときに、思い返す映像はカラーだよね?
普通の映像だよね?夢ってそういうものではないのか?

連ドラ形式の夢とかないのか?
アニメとか時代劇とか。自分の意識だけが西洋人のおっさんに入ってるレジスタンスの闘士物語とか。
まぁ、本を読む夢、それも視点が自分なので、夢のスクリーンにはページとページをめくる手だけが映る、
というのはあんまりない夢かなーとは思うけれど。

人の夢をディスクに保存して見られるようになると面白いのにな。



2008年12月15日(月)

こんな本を読んだ。

口の端が切れている。
先週直ったばかりなのに。胃が悪いのだろうか。

人から貰った本を読む。
一冊は、山崎マキコの『さようならスナフキン』
心理描写がことごとく図星で胸にずさずさささるが、いかにせんくどい。
同属嫌悪なのかもしれないが、読んでいていらいらした。

太宰治に共感する人も多いというし、この本も需要があるから出版されているのだろうから、
"生まれてすみません。世間についていけなくてすみません"という人が一定層は居るのであろうが、
じゃあ、世間を構成しているのは何者?と思わないでもない。

本を読むというのがそもそも少数派なのかもしれない。
もしくはぐだぐだを抱えている反動で、他人のぐだぐだに過剰に反応し抹殺しようとするとか。


もう一冊は『まもなく日本が世界を救います』大田龍とベンジャミン・フルフォードの共著。
表に出ない権力者層が居るって言う構図はわかりますし、自分も911がイスラム過激派のテロであり、
ゴアは正義の使者であると信じているほど、おめでたくはありませんが・・・。

「生物兵器や最終戦争で地球の人口を5億に減らすという計画が・・・」というのはいかがなものでしょうか?
10年前から比べて人口はいくら増えている?
減らす前に増えないように手をうっておくべきでは?
計画に無理はないか?今でも上手くいってないんじゃない?
だって死体を55億も処理するの大変よ。日本だけだって一億以上いるのに。
一見干からびて見える老人の死骸だって、ほぼ半分が水分だっていうから、簡単には燃え尽きないし。
燃やすのにもエネルギーが要るし、放置すれば匂うし虫は湧くし。
動物に食わせるにしたって、全部は食わないだろうし・・・。

そもそも、一部の権力集団が世界を牛耳るほど、世界って予測可能なものなのかしら?
"途中混雑のため〜"とか言って、電車のダイヤすらほぼ時間通りに動かないのに。



2008年12月14日(日)

『三億円事件 40年目の真実』

『三億円事件 40年目の真実』を見た。
予想以上に、山本耕史さんの出番が多くて嬉しかった。

ドキュメンタリー部分と再現ドラマが無理なく繋がっていたし、
論理的な謎解きに加えて、事件に関わった刑事達それぞれの未だ消えない執念、
巻き込まれてしまった人々の憤りなど人生も描いていて、見ごたえのある良作だったのではないかと思う。

背広の山本さんも堪能できたし。
童顔なのに、なぜドラマでは実年齢より上の役が多いのだろう?
意図的に選んでいるのかしら?
でも、童顔の人ってふけ方が難しいけれど、今のところ良い感じに年を重ねているように思う。


今日は朝、結樺健さんの夢を見た。
今年の夏から3,4回かの連ドラ形式で見ている夢の続編。
起きた時に「覚えていよう!」と思うんだけど、やっぱり忘れてしまう。
覚えていることだけ断片を書いてみる。

まず、基本的な夢の設定を言うと
・夢の中では私は何かを調べる人(スパイ?)のようだ。
・どっちかっていうと敵対関係。
・場所はライブハウスというか、小さなステージのある飲食店。
・道路に面した入り口から階段を下りて、右手にドアがある。
・店の色調は原色系。朱色とかオレンジとか黄色とか水色とか。中島哲也監督の映像みたいな感じ。
・カウンターがある。
・健ちゃん・大くんなどのお友達のたまり場になっている。(山本さんは登場しない)
・ひげの生えた恰幅よい人がオーナー。たまにドラムをやる。

夏に何回か見た夢では、結局私は正体がばれてしまって、
でも、あんまり責められず、事情があるんだよなとか暖かく言われてほのぼの〜みたいな
ところまで話が進んでいた。
そして、何度行っても健ちゃんは常に不在だった・・・。


今朝のは。
健ちゃんが亡くなったということで、お花を持ってその店に行く夢。
顔を出せた義理ではないんだけどと、ひっそりと行く。
予想外に暖かく迎えられ、そこにいる全員とはぐ。
一番覚えているのは、体のきれが良い女の人とのはぐ。黒のパンツに黒のタンクトップ。
ダンサー系のしなやかな身体。奥さんだったのかなぁ。

送る会に行かなかったので。
夢でお花を供えたということなのかもしれない。

目が覚めてから、ぼーっとした頭で「これで終わりということか」と思った。


2008年12月11日(木)

『グッドナイト・スリープタイト』

『グッドナイト・スリープタイト』@パルコ劇場を見る。
最前列のど真ん中。
しょっぱなから中井貴一とがっつり視線がからみ、緊張した。

上演時間は2時間と10分くらい。
実際の時間より短く感じたが、演者が立つと仰ぎ見る姿勢にならざるをえず、多少疲れた。

戸田恵子と中井貴一の二人芝居。
戸田恵子の若さとカラダの柔らかさに驚いた。
新婚時代から結婚30年後の離婚までを順不同で演じるのだけど、
きゃぴきゃぴの時代も全く違和感がないのが不思議だ。
いやぁ憧れる。

中井貴一も熱演だったが、こちらは年相応な感じ。
あと、キャラ的に、三谷幸喜のうざさとしつこさ(いや好きなんですけどね)を
てんこもりにされていて、損な役回りだったので気の毒だった。

哀しみをはらみつつ、だからこそ明るく自立していく妻と、
ぐだぐだと理屈をこねつつプライドを抱えて暗く自閉していく夫。

邪推は下品と思いつつも、戸田恵子にあてがき?という発想が出てきてしまう。
(実際はそんなに人間関係単純ではないのだろうけれども)

脚本も役者も充実していて、満足のいく舞台ではあったのだけれど、
人間を多層的に描きすぎ、底流がビターであり、単純で楽しけりゃいいという私の好みからは、いささか外れた。

この間の『決闘!高田馬場』は本当に日参しても良いくらい好きだったのだけど。

あと、三谷幸喜の舞台にしては、今回は俳優さんの観劇情報をあまり聞かないのも不思議。
年末は皆様忙しいのか。
業界内で評判がイマイチなのか。

どうなんでしょうね。


2008年12月10日(水)

バチスタと流星

この期で見ているドラマはバチスタと流星。

バチスタのトオルは容易に阿部ちゃんを連想できて笑えるところもあるが、
癖のある役を軽やかに流していて、わりと好き。
無駄に引っ張りすぎと思う展開ではあるが、次回が楽しみというのが連ドラの醍醐味だし、
肩透かしも想定内と思って楽しんでる。
その他、釈由美子がいきなりおばさんっぽくなったなとか、
宮川大輔は目つきが悪いから眼鏡かけて活動しているのかとか、そんな感想。

山南さん(どーしてもぱっとこの名前が出る・・)が映画版バチスタに出ると聞き、
他に回覧しても映画が始まる3月までに戻ってくるだろうし、その時期なら300円くらいで売れるやも知れず、
だったらまぁいいか、と『ジェネラル・ルージュの凱旋』を購入し読了。

本は面白かった。が、映画化には一抹の不安。
まず、原作のイメージは山南さんとはかぶらない。原作を小手先で弄ると人物描写が破綻しかねない。
また、論旨展開を読んでいる分には大変どきどきするが、映像にした時の面白さを想像出来ない。
前作の評判があまり芳しくなかったことも、不安要素の一つ。

あと、ぐっちーの役を女っつーのも気に入らないところ。
別に竹内結子がどーのじゃなく、あえて女性にする意味がわかんない。
綺麗どころで客を呼ぼうという発想なら、全くずれてるし、
(桜の園が目標興行収入の十分の一というありえない大コケをしたことでもわかると思うが・・・。
がっきーのアイドル映画も振るわなかったし。要するに今、女性を鑑賞しに映画に行く奴はいないってこと。
ちちでも出してるんならともかく。)
恋愛要素展開を盛り込むと、ストーリーが散漫になりすぎて虻蜂取らず。

まぁ、評判を聞いて良ければ、山南さん鑑賞に行っても良いけど。
『アフタースクール』はとても面白かった。あれ見終わると絶対もう一度最初から見たくなる!!
悔しくて!!

もう一つの見ているドラマは流星の絆。
やっぱり、ニノは別格に上手いなー。
なんといっても間がいい!

クドカンのドラマは好きで他のも欠かさず見てる。
これも最後まで楽しみだ。
今までで一番好きってわけでもないけれど。
好きなのはなんだろう?タイドラか木更津かなぁ。
木更津でコヒさんが和田アキ子の真似をしてあの鐘を鳴らすのはあなたを歌うシーンは、
すごく可笑しいんだけど、物凄く切なくて、思い返すだけでじーんとくる。



2008年12月09日(火)

胃痛と吐き気。でも叱咤をもらう

昨今の暗い世相ニュースと戦前戦中のリアル描写を読みすぎたのか。
見事な胃痛と吐き気。

風邪か?立ち上がる元気もなく寝込む。

ありそうななさそうな先々の不安が心に重い。
何時の時代もどんな身分も、絶対的な安定なんてないのに、どうしてこう変化が怖いんでしょうね。
初めて陸に上がった生物は凄い。あと、なまこ食べた人。

間歇的に痛い胃をさすりつつ、さっきある人のBLOGを読んだ。

今年に入って、知ったことの一つ。
一つのドラマにとても多くの俳優さんが関わっていて、こんな風に仕事を取っているんだってこと。
知ったきっかけは山本耕史さん。
彼の出ている、例えばドラマの打ち上げのこととか、ロケのこととかが、
共演した人のブログに書いてあることもあり、それを知ると書いた人のBLOGに行って読んでいた。

色々な俳優さんがいた。
磐音様でいうと中居様や柳ちゃんのような有名どころにもお邪魔した。
あまり有名でない、という描写は曖昧だが、例えば"役に名前がない人"のもあった。
陽炎の辻のある話では女中、他の話では花魁役という人もいた。
ワンシーンだけだけど、マネージャーが何度も何度も局に営業して取ってきた仕事だ、と心をこめてと、
気合を入れている人も居た。
思ったように演技が出来ず夜、部屋で泣いてしまったと書いている人も居た。
仕事運UPのお守りの写真とともに"今年は"と書いている人もいた。(2007年のお正月というのが泣ける)
メインキャストが壇上で挨拶するのを見て、又、差し入れ大盤振る舞いを見て、
いつかは自分もやっちゃる・・・と書いている人もいた。

好んでやっていることとは言え。
少なくとも読んだ人のBLOGは俳優専業で、実はそれなりに恵まれた位置にいるのかも知れずとは言え。

その真剣さに心を打たれた。
主役やキャスト相関図に出てくる脇役以外にも色々な役者がいることはもちろん概念として承知はしていた。
でも、どこか実感がなかった。
肉声(文字だけど)を読むことで、言い方は悪いけれど、一人ひとりが人間であり、俳優であることが、
心に落ちたような気がした。
役を仕事を取ることがどんなに大変かも知った。

他の仕事でも真摯な人はいくらでもいるのだろうね。
今日もまた、ある俳優さんのBLOGを読んで、過去LOGもほとんど読んで、元気と勇気と叱咤を貰った。
ありがとう。
陽炎の辻の3話の長太郎役、改めて見返しました。これからも応援します。

今を大切に。
出会いを大切に。
目の前のことに全力で。


2008年12月08日(月)

近頃疑問に思うこと

近頃疑問に思うこと。
定額給付金は選挙対策っていうけど、お金くれたから自民党もしくは公明党に票入れる人っているの?
そもそも、感謝するのか?っていう疑問と。
入れたらくれるならともかく、既に貰ってんのに票を入れる?
ばっくれないんだ。まぁ律儀という疑問と。

報道で選挙対策選挙対策って言ってるから。
誰に何を期待しているのかを具体的に説明してほしい。

『落日燃ゆ』を読んだ。
『失敗の本質』に続きさらに欝になる。

そういえば今日は真珠湾攻撃の日か。
ということはジョンレノンの命日であり、稲垣吾郎ちゃんの誕生日でもある。

そういえば、この間「吾郎ちゃんがついに脇役オチ?」って人に言われた。
SMAPも30代半ばですからね。
どこかで展開考えないと。主役に固執する意味もない。

そもそもテレビの先の展開も不透明。特に連続ドラマの凋落は質も存在感もあまりにも急激。
この後どうなっていくのか。
60年周期のなんたらいう波があったかと思うが、テレビ業種という産業モデル
(企業から広告収入を元に番組を作成するという)の寿命もそんな長さなのかもしれない。


これもまた、近頃疑問に思うこと。


2008年12月07日(日)

散歩

夕方、散歩に出かけた。
気分も良く、上手く言えないが、これはこれで完全なのだという気がして嬉しくなった。
いたずらに未来を思い煩うことでも、過去を悔やむことでも、運命を渇望することでもなく、
ただ目の前に降ってくるものを慈しんで愛して、やり過ごす。
それでいいんだという、ふっとそんな気になった。

歩きながら、ある風景で思い出が蘇った。
KKDで苫小牧でLIVEをやった日があったね。確か春先で。
あの日苫小牧は小雪だった。東京はこんなに暖かいのに、日本は思いのほか広いな、
楽しいLIVEになってるだろうな、ってそんなことを思いながら散歩をしていた、そんな日のことを。

K.D.earthはたまに東京駅でLIVEをしていたよね。そのうち行くなんて思っていたけど、その日はもうない。

山本耕史さんのファンクラブに入っているので昨日メールが来た。
淡々としているのに擦過傷がうずくような痛々しいメールだった。

今年は大学時代の友人の母上が亡くなったという連絡もあった。

哀しみの中に居る人に何が出来るというものでもない。

永遠に死なない人もいないし、親しい人に死なれない人も自分がいち早く逝かない限り、いない。
(死が何か?という定義は深く突っ込まないとして、)死なないということも出来ない。死ななきゃ生まれられない。

死を悼んでいる人に"全てはOK!"声掛けする気はないが。
その人が何かを見て、綺麗だなとか美味しいなとか楽しいなとか思う瞬間が少しでも早く、少しでも多くくると良いと思う。
哀しいけど、ご飯食べた瞬間、故人を忘れてもしくは故人を思いながらもめちゃくちゃ美味しい。
哀しいけど、悲嘆の中で「ちょっとトイレ」ともよおす。

そんな生き物としての強さか弱さ。
それらひっくるめて"全てOK"って思う。


2008年12月05日(金)

山本さん関連のあれこれ

山本耕史さん関連のあれこれ。
・10月の頭に磐音様の撮影が終わってほぼ3ヶ月の間に、SP3本と映画1本(噂レベル込み)。
働くなぁー。
・22〜24日に韓国で収録見学ツアー。
タクさんとの歌声は是非聞きたいのだが、あんまり交流会みたいなのには惹かれない。
舞台を見る以上には近づきたくないというか関心ないというか。
それに乗り気だったとしてもさすがに仕事納めの週は休めない。
収録の放送が楽しみ!
映像だったらもうこの上なく嬉しいんだけどな・・・

・31日の年越しライブにも参加するとか。
これも是が非でもという思いはないのでスルー。それに年越しは毎年地元の神社で過ごすのだ。
山本さんにとっても参加する人にとっても、盛り上がるステージになるようにただ祈る。
来年は素敵な思い出を作れる年だとよいねって。

翌1日の"スタジオパークからおめでとう"って、正月時代劇の主役は出席恒例じゃなかったっけ?
完徹明けで出演か?良く働くなぁー。

・class「冬の日の2009」のPVはスカパーもCATVもないので見られないかと思ったら、
ニコ動で見ることが出来た。感謝感謝!!
著作権侵害映像を見ているのかもしれないが。
でもPVって宣伝FILMだし、それを広く見られるところに出すって、それがどうまずいのか、
著作権問題ってよくわかんない。コピーワンスとか。

PV映像は眼福だったので感謝満面だが、歌自体はどーなの?カラオケでうまい人という印象。
替え歌出して、では次は?。続く気がしない。


築地の木村家のあんぱんはまじ美味しかった。
また買いに行きたいが、いい加減に通った道だったから、どこだかよくわかんない。

TV聞きながら書いているんだけど、景気の悪い話しかないな。


2008年12月04日(木)

小春日和

小春日和が気持ちよい。
11月12月の天気が良くてふわっと暖かい日が一番好き。
色づいた葉にやわらかい光があたって、空は青く。

こんな日はあぁ世界は綺麗だなと思う。

そしてこんな日とあんな日は地続きで、だったらあんな日にもどこかに綺麗はある。
とも思う。

移動の途中で築地の木村屋であんぱんを買う。美味しい。

「ホ・オポノポノ」
ここ2、3ヶ月ことあるごとに耳にするので、何か縁があるかと思い、本を買ってみた。読んだ。
やってみる。

ずっとね。自分の中の小さな女の子。ぶかぶかのハイヒールを履いてる子がいるような気がしていた。
それとも合うし。
別にお金もかかるもんでも疲れるものでもないので。
上手く転がったらめっけもんだもんね。

ものを動かすという物理的なものには物理的な作用が必要だとは思うけど、
目に見えないものを動かす力、放すにせよ近づけるにせよ、は、目に見えないものであるというのは、
理屈も通る。(いや、好意という目に見えないものも金や権力、暴力でも得られるか・・・wwwww


2008年12月02日(火)

「失敗の本質」を読み欝になる

魂の修行のために生まれてきたとか言うけれど。
もうとっととRESETして、最初からやり直したほうが良いんじゃないかとか思う。
RESETする気で今からちゃんとやれ!とかも思うんだけど。
何でまたこう、ぐだぐだなんだろう。うーん。。。自己嫌悪で自分を消したい。
(ってループしてるがな)

しかし実際のところ、
現在ウィルスに宿られもせず、細胞も変異せず、車にも引かれず、通り魔にも合わず、
明日はともかく今までは無事。
意味などないのかもしれないし、「君にはまだやることがあるんだよっ!」と言う事かもしれないし。

意義はともかく、親が生きている間は死ぬわけにもいかない。
結樺健さんは大くんを残していくことが凄く辛かっただろうなと思う。



話は変わる。
「失敗の本質」中公文庫を読み終えた。
欝になる。

日本軍の負け戦の分析。意思決定過程のぐだぐださに胃が痛くなる。
この時代に兵隊に生まれなくてホントに良かった。
"ヤツの男気を買う"みたいな理由で認可された支離滅裂な作戦で、
玉砕ならまだしも、彷徨の果てに餓死じゃぁ、それこそ何のために生まれてきたのかわからない。

前に「戦争になったらワーキングプアでもエリート層を引っぱたけるから、
階級社会をひっくり返す戦争キボンヌ」みたいな論調があったけど、昨今ではこれも微妙という気がしないでもない。

戦前の貧困層って肉体労働者だから体は鍛えてたよね。
それに当時の食べ物は今や高価な無農薬野菜。健康的だ。

小学生が思いっきり運動するために、サッカークラブなりのスポーツクラブに参加する現代。
添加物の入っていない食べ物や有機栽培・無農薬栽培の食べ物も値が張る。

戦争になったら、金がある層の方が体力的にも健康的にも優良で
結局愚図だデブだと小突かれるのでは変わらないのでは・・・?と思ったのだがどうだろう?


alain

My追加