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2008年11月30日(日)

コーヒーエネマ・・・

「あんまり人前では言わないほうがいいよ。」とたしなめられたこともありましたが。
やっぱり、浣腸というとSMプレイ?!もしくはイタイ健康ヲタというイメージがあるのだろうか?
あるんだろうな。

"コーヒー浣腸"というものが世間にはあり、おおよそいかなるものであるかを知ったのが
何時頃でどの経路でかは全く記憶にない。
ただ、ヘドウィグの映画を見た時に"コーヒー浣腸バー"と台詞に出てきたのを聞いて、
「ほぅ。アメリカでは健康サロンみたいなもんなんだな・・・」と思ったのだから、
それ以前2006年秋より前には知っていたはず。

新谷弘美の本で読んだのは(立ち読み)その後だったか前だったか。

でもねぇ。
さすがに敷居が高かった。

最後から2番目の一押しは槙村さとるの『3年後のカラダ計画』。
思考も元気に!とあり心がゆれる。
最後の一押しはかなり利用している"トータルヘルスデザイン"でカフェコロンキット一式が買えるようになったこと。
(だって、薬局で買いにくいじゃん・・・・)

9月頃から始めちゃいました。
槙村さとるは一日1回から2回やってるそうだけど、エネマ液が高い(一回300円)なので、
私は週に2回くらい、しかも半分ずつ(ちびだし痩せてるしまぁ半分で良いだろうと・・・)やってる。


大きな声では言えませんが。
       良いような気がする・・・。

別に痛くないです。
嬉しくもないです。楽しくもないです(笑)
ルーチンワークのようにサクサクやってます。
慣れたので今では注入は1分。出すのに本読みながら15分まったりというとこでしょうか。
液が漏れたり、間に合わないっとかもないです。
普通に出せなくなるんじゃないかということもないです。むしろ出るようになる。

私の場合は2回目から3回目で宿便とやらが出たような気がする。
その間、お○らがこの世のものとは思えないくらい臭かった。今まで嗅いだことがないくらい!
3回目にすっきり出て、それからはお○らもう○こも臭わない!
今は、ん?やや臭ってきた?と思ったら、それを目安にやってます。

「お○らが臭い!」とか家族間では普通に話したりするけど。
それは実は普通じゃないって知った。
だって、調理の生ごみを夏に部屋に置いといたら腐るじゃん。臭うじゃん。
そんな食べかすが37度の腸内に何日もあったら、そりゃ腐る。
改めて考えて、確かにそーだと思った。臭いってことは腹ん中に腐ったものおいてるってことなんだよ。
やばいことなんだよ。

お○らが臭うということは、口臭にも体臭にもその臭いが混ざるということだから、
それだけでも気が楽。

肌もなんとなく白くなってきた、かもしれない。
そしてこれは自分でも怪しいという気はするんだけど・・・
髪の毛が真っ直ぐになってきた・・・かもしれない。

体内に蓄積している重金属類はう○こで出すのが一番というし、
髪の毛には有害物質が溜まるというが・・・ホントだろうか?
これはまだ何とも言えない。
ただ、幼稚園くらいの子供の頃髪の毛さらさらの真っ直ぐだったのに、長じて髪の毛がうねるという人って多いよね。
経過観察ということで。

気持ちの点ではどうだろう?
宿便が取れると精神構造が変わるとはエネマからみじゃなくても聞く。
腸は英語でGUTSというだけあって、何か関連があっても可笑しくない。
確かに思考と行動がシンプルになってきた気はする。
エネマのおかげかどうかは断言できないけれど。

心根の変化はさておき、
エネマ液(有機栽培の缶コーヒー。一缶300円。飲むより高いじゃん!)30缶買ってしまったし。
何と言っても自分が臭わないのは素敵。
生理前は大抵便秘だったので、それがすっきりするのも嬉しい。

なので、続けるつもり。
あんまり人に話せないので(お話の機会って食事しながらが多いから余計ね)
この際思いっきり書いてみた。


2008年11月28日(金)

体制が揺らぐ時期

テロとかデモとか。
世界は揺れているなー。

冥王星は根底からの変革。
山羊座は大組織。

国家の形を組み替える期間に入ったのかもしれない。

その雰囲気を反映してなのか、今年の冬の単発ドラマは終戦から昭和の香りの濃い時代を描くものが並ぶ。
単に視聴者の年齢反映にしても過剰ではないか?

ざっと思いついた限りでも。

・3億円事件 40年目の真実(題名曖昧)
・刑事一代
・落日燃ゆ
     (なぜかここで行間を空けるw 推測込みで一応わけてみた。)
・警官の血
・肉体の門
・あの戦争はなんだったのか(たけしのやるTBSの東京裁判のやつ。題名曖昧)
・黒部の太陽
・そうか君はもういないのか。
・NHKでも戦犯のをARATAでやるよね。
・白州次郎もあった。
・男装の麗人


多い。

敗戦記念日にあわせたわけでもあるまい。
気持ち的にたな卸しなのか

あ。今まさに映画『わたしは貝になりたい』も絶賛公開中だ。
(わたしは余りの宣伝物量作戦に引いた。熱演だろうと思うしすごいとか素晴らしいとかは思うけれども、
率直に言ってもううんざりだ)

企画の時期と経緯を知りたい。
平塚八兵衛なんてそうそう有名ではないだろうに。なぜ数ヶ月の差でかぶる?
なぜ戦争犯罪ドラマが各局で続く?
あっちがやるからこっちもというほど、当確な企画でもないしー。
いわゆるシンクロニシティか?
もしくは情報操作とか。←陰謀史観


2008年11月27日(木)

冥王星が完全に山羊座に移る。もう射手座には戻らない。

冥王星が山羊座入り。
動く時期に入ってきた。
その日に何やら仕事も降ってきて、今週の金曜日は新月だし。
そろそろ活動期か?

それはさておき今年の振り返り。続き。

11月初旬。
結樺健さんが亡くなったことを知った。呆然。

展開が早すぎて。心が現実に追いつかなかった。
だって、4月くらいまでは画像だけど元気に見えたよ。
6月頃には確かに素人目にも具合が悪そうだったけれど・・・。
でもそんな急にこんなことに。

私でこれなんだから。
健ちゃんの近くに居る人の気持ちを思うと、胸が潰れそうになる。

この間、健ちゃんのブログを読み返した。

そうだね。去年の10月31日にはお誕生日メッセージを書いてあげてたね。
一昨年はイベントがあったね。楽しかったね。
2008年のお正月には"今年はこんな年に"って書いてるね。

明日が来ることを丸ごと喜べるほど、
満ち足りた人格ではないのだけれど、明日や来年がこうして断ち切られているのを目の当たりにすると、
日々が続くのを幸運とは思わないまでも、当然ではないことを痛感する。

charaの歌うTomorrowがずっと頭の中でなっている。
自分にも誰にも何時か明日がない日がくる。


健ちゃん。楽しい時間をくれた事を忘れない。ありがとう。


2008年11月26日(水)

一年を振り返る

まだ、早いけれど、この機会にこの一年を振り返ってみる。

仕事の点では先日も書いたが改めて書く。
三田の仕事は確かに色々と理不尽なことはあったけれど、得たものも大きかった。
最大のものは、プレゼン資料の作り方。
とても上手な人がいて、人に見せる資料の作り方を学ぶ事が出来た。

伝え方についても、相手の思考の流れを見つつ、プロトコルを通すような、
もしくはタイミングを計って餌を投げるようなやり方を、攻略したとは言えないまでも、身に付ける、
その端緒を開く事が出来たように思う。

それは視界を広く持つということであり、自分にとても欠けている部分だっただけに、いい機会であった。

なので、三田については事例としては、イヤなことの方が多いはずなのだが、
無駄であったり消したいと思う過去ではない。
やれて良かった仕事であった、ありがたい期間だったと思っている。
感謝。

ただし、三田の土地には合わなかった。
やはり薩摩の勢力範囲だからだろうか?
毛利藩邸の跡地の六本木ヒルズにも合わなかったので、東夷とは相反するという可能性もある。
ただし、六本木ヒルズについては、事件や不祥事が相次ぐ為"ヒルズの呪い"とか言う記事にもなっている。
磁場が悪いと言っている人もいたので、相性ではなく土地の気が良くないのかもしれない。

三田のその建物については、私はそこにいるだけで、腰は痛くなる、頭痛はする、
で長時間働く事が全く出来なかった。(他では平気)
多少気を感じる系の人が「自分もそうだ。ここは何か変だ。」と言っていたので、そういうこともあるのかもしれない。

上野のお仕事は色々知識を付けさせて貰って、これまた大感謝。
幕張は・・・歯ごたえがもう少しあると楽しかったがそれは贅沢な不満というもの。
道中のおしゃべりが楽しかったからいいや。
ライフワークは、不愉快ではあったけれど、がんばってくれたしな。
奴ががんばらなければ、オチがつかなかったのだし、大分楽させて貰ったし。これまた感謝。

全体としては、不足しているスキルを足してもらえる機会が与えられて、
お金は貰えるし、時間的には余裕があるし、とっても仕事には恵まれた一年だった。


占星術で見ると2005年〜2008年が転換期である。
nAscにt冥王星が合。
n太陽にt海王星が合。
p太陽がサインをうつる。

中々に派手である。
しかし、目をむくような災難も幸運もなく息災であった。

流れが変わったところは多少ある。
物事を判断する際に、頭の割合を減らした。変わりに感覚と直感の割合を増やした。

『合理的でなくても、無駄使いでも、変な事でも、自分がこれいいな好きだなと思ったら、
それは自分にとっては"今一番欲しいもの"なんだよ。』
と今は思っている。

n太陽n月のサインが四元素で言うところの風と水の故だと自分では理屈付けているのだが
(ここら辺の書き方がまず風要素だ)、判断が情報と情に絡めとられて、本質から離れてしまう傾向がある。

おそらく、一番騙されやすいタイプ、詐欺にひっかかりやすい人だ。
良いと書いてあると、良いと思わない自分の感覚が変なのかな・・・と思ってしまう。
店員さんが一生懸命だから・・・とかで買ってしまう。

それは資質でもあるので否定はしないが、自分の五感及び六感をもう少し大切にしても良いのではないか。

その転換の象徴的な出来事があるサイトからの退会。10月下旬。
意図したわけではない。更新のお知らせがこず、従って手続きも取らなかったので期限切れでの退会。
(やり方が陰険。そいつは西のやり方か?(@カリフォルニア物語))
更新メールが来たら迷いが生じていたはずなので、思えば理想的な展開ではあった。
メールを見逃していたとしたら、それはまさに運命だ。

ここ一年半くらいは、雰囲気にに違和感を感じていたのは事実。
施術内容の変化には「これって気持ちよいのかなぁ。正直前のが・・・」という感想を持っていた。
にも関わらず、自分の感覚より文字情報に重きをおいていた。
自分って変?わからない自分がだめ?
また、自分以外のことだが、人を使い捨てるような展開が他人事とは言え、気分の良いものではなかった。

今思えば、もう何年も前に「関わるな」という直感はあった。
施術者が他の人の場合はそうは思わないのだが、その人の場合は、ものすごく暴力的に入られているという感覚があった。
施術の種類は異なっても感覚は同じだった。

自分の意識レベルが低いのかなぁとか。
邪念や悪意が多いからかなぁとか。  自分の感覚を信じる事が出来なかった。

でも、もういいや。自分の感じた事は人にはどうあれ、自分には正。
発信については俯瞰や折合は必要だけど、受信については100%自分が正でどこが悪い!

合わないのは異なるだけでどっちが悪いとかの話じゃない。
なら無理に近くにいる必要もない。
気分良く離れました。
数年に渡り色々役に立つことも教えてもらいました。感謝です。


もっと自分の感覚を信じる事にする。
自分の気持ちいいとか、好きとか、可愛いとか、楽しいとか、愉快とか、うっとりとか、
うきうきとか、爽やかとか、イトオシイとか、愛しているとかを大切に回りにおいて、
その中で機嫌良く感じ良く生きてく。

そんなことを思う、2008年の秋でありました。
って長いな!



2008年11月25日(火)

2月以降の動静のメモ

2月以降の今年の大よその活動をメモ。

・4月末で三田でのお仕事が終了。
頭の回路に悪い虫でも湧かしているかのような相手と離れられて、はればれとした。
上位者に対しても何度かむかっ腹を立てたこともあり、お仕事の終了にはやれやれという安堵もあった。

悪意の人ではないことはわかっている。
ただし、自分のキャパ以上のことを抱え込んで破綻するのは勝手だが、
わからない理由をこっちに押し付けるのは止めてほしかった。
その所為か仕事を離れて6ヶ月以上経った今でも何かしらの問い合わせがくる。
非常識としか思えない。
だから、引継ぎはちゃんとしよーよとあれだけ言った・・・。

・4月と5月(頭)にヘドウィグを2回。
一ヶ月押して三田JOB終了後の五月だったら、当日券で日参の懸念もあったので、
4月で良かったのか悪かったのか。

・5月はなんとはなしにまたーりと。パンドラを見たり。
最初の勢いは良かったんだけど、最終回見終わったところで風呂敷を畳み損ねた印象。
でも色んな賞取ってるんだよな・・・。
他の作品の出来があれとかこれとかだからな。

・6月はヘドウィグのFINALと打ち上げライブに。
初演の中村中の情感も良かったが、ソムンタクの男前な歌声には惚れた。
山本耕史さんの佇まいにも遊びが感じられて、思う存分わくわくし、きゃぴきゃぴし、深く満たされる舞台だった。
打ち上げライブでジョナサンが山本さんの額に銀の十字を描いた時のことは、今でも鮮明に残っている。
神々しくさえあった。

代役の彼女については、諸所感想を読んでも感謝と努力に対する応援がほぼで賞賛がないあたりが
皆様大人、という印象。
代役の舞台は見ていなかったが打ち上げライブでわかった気がする。
中ちゃんとソムンタクとは何かが違う。
それは技量の問題なのかも知れない。
だったら、まだ救いはあると思う。
才能とかピンで舞台を支えるオーラだとかの話になってしまうと、人生とは残酷なものだと思った。

そして彼女が某役で出る11月12月のシアタークリエの舞台のチケットを取ることを完全に止めた。
このレベルの歌手をオーディションで選ぶ舞台に12,000は払えない。

・その印象を抱えつつ荷造りをし、翌々日には機上。一路ポルトガルへ。
リスボンとポルトを堪能。
ポートワインの試飲でふらふらになり、ポートワインの美味しさに目からうろこの驚きを得る。

・7〜9月末は不本意ながら半ばライフワーク(?)として負ってるなんやかやを持ちつつ、上野のお仕事。
ほとんど降り立ったことのない地だったので、色々散策出来て楽しかった。
仕事も楽で、相手ともコミュニケーションが取りやすかったため、快適だった。

・7月下旬。五右衛門ロック鑑賞。
なぜもう少し早くに新感線の舞台を見ておかなかったか!とても楽しかった。
色々舞台を見たところ、自分が嗜好も見えてきた。
自分はまず歌がある舞台が好き。それから笑える舞台が好き。
その笑いはストーリーからくるものじゃなくちゃだめ。
こっけいな身振りとか一発ギャグ系ではないのが好きだ。
舞台ジャンルには詳しくないけれど、喜劇が好きで笑劇はあんまり、ということか?

・7〜9月はライフワーク(?)の件で、いらつく奴と何度かバトルあり。
言い方にいちいちむかつく。
今のところ縁が切れたのでほっとしている。二度とかかわりたくない。

・9月より磐音さま始まる。
木曜8時のドラマの視聴率が惨憺たるものなのに、もう45分には戻らないのだろうか。
30分はやはり短い。磐音さま以外の脇役のストーリーが描けないので、物語の軸が細いというか、
あらすじくさいものになってしまった気がする。

最終回の涙はさすがだなあと思った。
泣かせたら今や右に出るものはいないのでは?

・10月より幕張の仕事に関与。行くのは週1。

・浅草歌舞伎を見に行く。現代風にアレンジしていない古典的な様式の歌舞伎を見るのは初めて。
豪雨の中で仮設小屋での鑑賞のため、台詞が雨の音にかき消されるという得がたい経験をする。

雨の音を除いても、正直なところ、良さを味わうことは出来なかったが、
古典芸能を抑えた人の体の動きの美しさは存分に堪能した。
能とか古典的な武道とか、日本古来の習い事を何かしてみようかしら?

日本舞踊とかだと衣装代がかかりそうなのと、後寒そうなのが冷え性にはきつい・・・。

・10月末でほぼ2年半毎週続けた太極拳のクラスが消滅。
24式をほぼ覚えたのにー。

太極拳をやることによって、股関節が矯正されて足のO脚が直ったことに感謝。
11月以降はラテンエアロとキックボクシング風のエアロをやっている。
太極拳で見た動きを自分でやるという回路が脳に出来たみたいで、なんとかエアロにもついていける。
進化したようで嬉しい。

・11月初旬。2泊3日で京都に行く。
行った所はほぼ順に。

(一日目)京都御所、晴明神社、祇園八咫で夕食
夕食はばか旨。多少のお酒を入れて一人8千円くらいか。

(二日目)清水寺、産寧坂、祇園花霞で昼食、東福寺、伏見稲荷、夜間拝観で高台寺と円徳院。
菱岩のお弁当を夕食に。
祇園花霞は一番安い4,500円のコース。ばか旨。
客が我々だけのため板さん2名と女将さん1名に注視されて食べることに。
味が微妙だったら居たたまれない状況だったが、素晴らしく美味しかったので助かった。
完食。
こんなに美味しいのであれば思い切って一番高いコースにすれば良かった。
こちらのサイトに載っている感想は、お品からして我々が食べたものよりいささか値がはるコースと思われる。

はもって、しっかり食べたことがないんだよね。食べたかった。
銀杏ご飯も美味しそうだな。(我々が食べた白いご飯もぴかぴかしていて綺麗だったけどね)

あんまり美味しかったので、後日おせち料理の宅配を頼んでしまった。
35,000円なり。楽しみだ。

一度仕出弁当なるものを食べてみたかったので菱岩の4750円のお弁当を予約。
正直これは期待はずれ。
まずくはないけれど感動はない。
これなら大人しく和幸のとんかつ弁当なり米八のおこわ弁当でも食べていれば良かった。

(3日目)嵐山の渡月橋、なんたら言うお寺、竹林、トロッコ電車、壬生界隈(壬生寺、八木邸、前川邸、光縁寺)

トロッコ電車はふきっさらしの車両のため、凍える寒さ。
念願の壬生にも行くことが出来た。

八木邸は初めて見た。
何かを感じるということはなかったが、かつて彼らが居た地に立つというのはそれだけで嬉しい。

いつかは局長のお墓参りと函館にも行きたいな。


2月以降の活動はこんな所だったように思う。


2008年11月24日(月)

唐突な再開

随分と長いこと放置してしまった。

放置の理由はない。
病でもない。忙しくもない。むしろかつてなく暇であった。
単に書きたくなくなってしまったのだ。

そもそも、情報と情に判断が左右され、本質的なところでないがしろにするのが、
自分の癖ではある。(というのが明確に自覚したのは最近でもあるが)
それにいい加減飽きてしまったのかもしれない。

"語る"ことより"感じること""動くこと"。
でなければ"何もしないこと"をやってみたかった。

理屈を編まない暮らしも良いものだった。

では、今なぜまた書き出すのか?

これまた何となく。としか言いようがない。
何が変わったという自覚もないが、いずれ俯瞰して楽しむ時もあるやも知れず。

かつ、自分の過去ログには、言わば自分の匂いのついたブランケットのような、
ちと恥ずかしさを孕んだ甘やかな安心感もあってね・・・


alain

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