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2007年02月26日(月)

ヘドウィグ アンド アングリー インチの感想

『HEDWIG AND THE ANGRY INCH』の観劇の感想。

まとめるのは後日として。
取り合えず、思いつくまま書いていく。

まず、英語歌詞で歌うことについて。
『別に構わない』という意見。

ミュージカルの日本語歌詞って、音数にはまってなかったり、
今時の日本語としてどーかと思うセンスだったり、率直に"いけてない"としか言いようのない時が多々ある。
いっそ英語で見せるというのは、それはそれでありだと思う。

英語で歌うことで出来る、舞台と観客との感覚的隔たりを"壁"と見立てる演出家の意図も、
気持ちは分からなくもない。


ただ、歌中のモノローグまで英語だとは思わなかった。
ここは日本語でも良かったんじゃないかなぁ。

あと、やっぱり歌に気持ちを乗せて演じて歌える山本耕史さんだからこそ、
日本語で聞いてみたかった気持ちはある。
前もって予習はしたので、意味は分かってはいたけれど、英語だとどこか腹に落ちきらない。

今CDで売られている曲って、サビ英語だったり、センテンスとか単語とかが英語だったりって
別に珍しいことではないのに、ミュージカルだとなぜ完全に日本語、じゃなければ、一切合財英語の2択に
なってしまうのかしら?

日本語入り英語、ないしは、その逆というごちゃまぜの訳詩っつーわけには行かないのだろうか?
J-POPの大半がそうなのだから耳馴染みも悪くないし、のりも崩さず、気持ちものせられるし。
何か障壁があるのかな。


"英語で歌う"ということを前もってチケット販売時に知らせて欲しかった。という感想も某所で目にした。
これは微妙。
自分は事前に情報集めるタイプなので知っていたが、何も知らずに見に行ったら、
いきなり一曲目が英語で、え?え?と思っていたら、2曲目も3曲目も・・・だと、
かなり舞台に入り込むまでに時間はかかりそうだ。

気持ちは分かるが、私は別に事前に公開の必要はなかったと思う。
演出の一部であり、他の情報はお知らせしないのに、言語にことさらに知らせる理由がないもの。

言語について知らせるのならば。
表現という範囲で同じグループに入る衣装についてだって、事前にお知らせするべき事柄になってしまう。
「ヘドウィグは網タイツはいて歌います!って前もって教えておいてくれるべき!だったらチケット買わなかった!」
という苦情はありorなしと言ったら、やっぱりなしだろうと思う。


英語は英語で良いんだけどさ。
こっちも凝り性で変なところ負けず嫌いなので、4月の厚生年金会館までには
英語歌詞覚える覚悟で取り組んでるからさ。(← この情熱が他になぜ行かない?)



ただ、どー考えても成立しないと思われるのが、「英語でもいいじゃん。」ということを、
演出家の鈴木勝秀さんが説明した本人ブログでのコメント。
(どこに行ったか分からなくなってしまって、うろ覚えなのだけれども)

「歌詞が分からなくても、外国の歌手が歌う歌に感動することはある。
完全にわかることが全てじゃない。」
と言う趣旨と、少なくとも以前読んだ時には、理解した。(間違っていたらごめん)

それはそうだ。
が、それと舞台を同一視するのには、論理の破綻があるように思う。

だって、好きな歌・感動した歌にあったら、普通どーする?
CDの形か、WEBで買うかはともかく、手元においてリピしない?
同じステージということで、外国人歌手のコンサートについて。
英語の歌詞の曲にも心を揺さぶられることはあるだろうけれど、コンサートの場合、
事前に曲が繰り返し繰り返し聞いて、すっかり自分の血肉としていて、
それに思い出なんかも重ねて既に持っていて、そしてステージを見に来るというのが多数派だと思う。

その場で、イチから雰囲気を作り、話を進め、見終わったら、基本そこでおしまい。
という一期一会の演劇と、リピ前提の歌を同一フィールドで語る、その根拠がわからない。

「えっ!少なくとも舞台って3回は見るものでしょ?」というのが前提ならば理屈は通るけど。
でも、それを観客に求めるのも無理があるよな。


わけのわからない理屈つけないで、
・日本語より英語の方がリズムに馴染むから良いかなと思って、とか
・英語という壁を構築し、観客との距離感がある中で舞台をスタートし、ラストで崩す構成こそがロックである。
・かつヘドウィグのストーリーともリンクする。

とでも、言ってくれれば素直に「そういう考えもありかも。」と言えるのだが。
歌詞が良く分からなくても好きな曲はある。とか言い出すから、話がわけわからなくなる。


・・・舞台の感想書く前に、長くなりすぎた。
今日はここでおしまい。

明日以降、随時続ける。
続けたい。。。


2007年02月25日(日)

『それでもボクはやってない』を見た

今週末より地元映画館で、『それでもボクはやってない』の上映が縮小された。
そろそろ公開が終わりそうな雰囲気があったため、多少迷ったが本日映画館に駆け込んだ。

仕事持ってかえってきてるのにー!!
映画見てる時間ないのにー!

でも、見逃したくなく。
映画としても評判良いし、大画面で山本さん見たいし・・・・。
(山本さん関連のこの行動力は我ながら飽きれる。他に回せないのかと、いつも思う。)

見に行っちゃいました。

なので、他のやりたかったことはとりあえず後ろ押し、
HEDWIGの感想書きたい・・・週末やろうと思ったのに。
TVnaviの木村拓哉×山本耕史の感想とか・・・。

あ"ー!!!!
でもでも。

明日は勝負なんで、今日はやめとく。

『それでもボクはやってない』の全体感想だけ。
脚本と演出とアングルと、全て最高。思わず"上手いっ"と声がけをしたくなる出来。
(昨今のTVドラマの劣化を見るに付け。その格差に唖然とする。)

およそ2時間半の長さなのだけど、全く長さを感じない。
どきどきして、いらいらして、うずうずして、あっという間に終わってしまう。

わけの分からない単語の羅列で、明らかに説明台詞だな、解説用のキャラだなというのは、
それと分かりはするのだけど、それが全然退屈でもないし、物語も壊してない。

目出度くも楽しくもないので、見て元気になるとか、すっきりするとかはしない。
私が映画に求めるのは爽快感なので、好みで言うと好みではない。
もう一度見たいかというと、「いや、それは・・・」という気持ちである。
辛いんだもん。

が、チケ代以上の時間は過ごさせてもらった。
秀作であることは間違いない。


2007年02月24日(土)

鬼束ちひろ活動再開!

昨日の日記を読み返した。
世界がrollingしている中で書いたのに、別に普段と変わらないように見受けられる。
酔ってなくても常日頃から文章散漫で論旨なしということかー。

ただ4時まで飲んで勢いつけてがーっと深く寝入ったためか、8時に起きてしまい、
そこから寝られず。

夜になってめちゃくちゃ眠い。
なので、今日は寝る。

あ、一つだけ、先週嬉しかったニュース。
鬼束ちひろの復活!

いや、と書くのはまだ早いか。
Albumを聴いてから、だね。
または復帰2作目の後かな。

活動休止前の迷走を覚えているだけに。

とりあえずAlbum作ると言っても、ちゃんと完成するのだろうか?
出来たものが彼女の意に沿うものになっているのだろうか?
欝に拍車を掛ける要因になったりしないだろうか?
一つ出来たとして、その後への意欲は繋げるのだろうか?

などなど。

素直にわーっと喜ぶ気持ちはもちろんあるのだけど、考えれば考えるほど、
喜ぶことが怖くもある。

でも良くも悪くも。
踏み出さないよりは良いよね?

そう信じたい。


2007年02月23日(金)

真夜中にTVnaviを買いに走る。

日付が変わって真夜中。
コンビニにTVnaviを買いに走るってどーよ!

何でかはあえて語らず。
3軒回って(それもどーかと)、そのうち一軒で包装解体中だったので、
店内をうろうろしながら待つことしばし。

きっと怪しいやつに見えていただろうな。
でも甲斐はありました。

同じサイン太陽/月を持ち、かつ、同じ職業の人がどのように具体的に出るか?というところで、
すごく興味深く読ませてもらった。
年齢が違うというのもいいのかも。
木村くんにしてみれば過去の自分を見るようで。
木村くんの方が度数も先行しているし。

ヘドウィグの感想は週末MATTERの予定。
仕事も持ってきてしまっているし、『それでもボクはやってない』も見ておかないと
そろそろ終わってしまいそうだし。でも、なんとか。

と、打っている今。
実はかなり酩酊。"酔いどれ課長"ではないが。

GINを3FINGERほど。その後ウィスキーで3FINGERほど。
かなりいい気分です。
なので、今日はここまで。
今週、がんばりました!!(疲れたと言わずに"がんばりました"と言えという言霊信仰に乗ってみた。)

酔いがはんぱでない。
明日読んだらどんな文章なのかかなり不安。。。。


2007年02月22日(木)

温暖化って・・・?

今日は春の陽気。

今年の冬が暖かかったこともあり、『不都合な真実』の本とか映画のプロモーションには絶妙。
私はゴアの本より、題名忘れたけど、マイケル・クライトンが書いた
「温暖化ってまやかしじゃねー。」という本の方が読みたいな。

と、唐突に言い出したトリガーは田中宇のコラムを読んだため。
大量にゴミを出す生活が単純にもったいないし、冷房温度が上がると嬉しいので、
省エネとかエコとか言う運動が世間的に盛り上がるのは歓迎。
石油があるがゆえに、社会構造がゆがんだり、地域紛争が絶えない国が減るかもとの期待もある。

でも、感覚として。
何の根拠もなく、感覚として。

人間がどーこーすることで地球の温度ってそんなに上がるの?
という疑念はぬぐえない。

だったら氷河期は誰がどーして起こったのか言ってみろ!と思う。
すごーくすごーく長いスパンで見ると、太陽は膨張しているわけで、
だったら何をどーしても地球は暖かくなる方向になりそうだ。

火山の噴火で吹き上げられた灰が太陽光を遮って、その年の平均気温が下がったという報道があったはず。
だったら、排気ガスとか煤煙とかの量が増えたら、温暖化じゃなく寒冷化では?

とか。

まぁ別にどっちでも日常の行動が変わるわけじゃないのでいいのだけど。
ゴアがやけに持ち上げられているのがいやな感じ。

別に行動とか思想が好きとか嫌いとか言うのではなく。
何となく、見た目が。

そんなに純粋な人には見えず。
人間別に世間のためだけに行動するのが善というものではなく、
例えば温暖化の危機意識が世界中で高まることで儲けが上がる人々の宣伝部長なのかもしれないが、
それはそれで別に悪いことじゃない。

ただ、彼を褒め称える風潮に対して、違和感は感じる。
勝手にすればと思うが、何か同調圧力も感じて、嫌な気もする。

だからと行って、ひねくれて逆方向に走るのも、今回の場合だと大量消費になるので、
それも出来ないし。

何かちょっといらっとする。



2007年02月21日(水)

そこに壁があったとして。

ヘドの舞台の感想はいずれ。(まだ結晶化していない。)

まずはパンフレットにあった演出家と山本耕史、演出家と中村中の"壁"についての対談を
読んで考えたことについて書く。

壁は打ち壊すというより、よじ登るとして捕らえている山本さん。
壁の向こうを見てみたいと思う気持ちについて語る中さん。

壁を全く自分にではなく、外界に存在するものと置いている山本さんの考えは、
私とは全く異質で、きっとだから惹かれているのでしょうけれど。

「壁は自分の中にあるものだと思う。」という中さんの考えの方が、自分には近い。


そこに壁があったとして。

ぶち壊す。
よじ登る。
見つめる。
そこにあることを認める。
向こう側を見てみたい、そのために何かする。

さぁどれ?!

というと、私の場合はどれでもなく。
『作らない』になる。

そとに壁があると思ったことはない。
っつーか、色々恵まれていて、行きたい方向見たい方向を、他から遮られているという感じはないのだ。

いや、あるのかもしれないが。
それ以上に高い城壁を自分の周りにぐるりと積んであるので、外の壁すら見えない。
自分で作ったその壁より壁って、覚えがないもの。
何時だって、現実は自分の予測より拍子抜けするほど安直で安易。


"壁"について語ろう。
一言で終わる。

『作らないようにしましょうね。』
(言外:もういい加減にしたら?うざいから)




2007年02月20日(火)

『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を見ました。

私のホロスコープでは、10惑星をみると3元素で言うと固定宮が多い。
その上、太陽と月がまず固定宮。
理屈で落とす水瓶の太陽(=理性)と、溶け合って混ざっちゃいたい蠍の月(=感情)。

かみ締めると言えば聞こえは良いけれど、要するに反応が鈍い。

なので、言葉に落とすのはしばらく経ってからにする。

ただ、これだけは言える。
気分は"浄化"。

キリスト教の教えには頷けないところが多いので、こういう喩え自分でもどーかと思うけれど。
『自分たちの罪を背負ってキリストは天に召された。』
という話を思い出した。

自分の中のどろどろを引き出して、ぶちまけて、昇華してもらった気分。
演目で好きとか、山本さんの出ていた舞台に絞っても、好み度で言ったら別に高いところではない。

好きとか嫌いとか、演出とか衣装とかメロディとか、思うところは色々あり、
そのうちぶつぶつ指から言葉打ち込むのだろうけど。

そういうのとは全く違うところで。
この舞台は響いた。

変な感覚。今までにない感覚。
見ている間より、この舞台は後になって効いてくる。

身体がくらげのように透明になっている。

意味わかんないけど、軽くて明るくて、でもカスカスではないんだ。
やっぱり"浄化"としか表現できない。


また、書くけど。
とりあえず、当日の感想として書けるのはこんなところ。


本日、新宿FACEにて、HEDWIG AND THE ANGRY INCHを見てきました。



2007年02月19日(月)

『華麗なる一族』第6話。

『華麗なる一族』第6話の感想。
(とか言いつつ、まだ銀平シーンだけ早送りを止めて見ただけ。
←ドラマに対してどーかと思う。その視聴態度。)

予告でフューチャーされてはいたが、どこまで今回なのかもわからず、
そうそう期待しないようにしていたが、予想以上の銀平祭り!!

こういう言い方って、ずうずうしい上に馬鹿丸出しでどーかと思うんだけど。。。
「ね、ね、私の好きな人って凄いでしょー。」と小鼻膨らまして胸張っちゃう状態。
(←一生やってろ。)

足取りから、背中の丸め方から、悲しみを飲み込んだ酔っ払いそのものだった。
酔いシーンだけでなく、頭取室でタバコをくわえる一連の動作も。
山本耕史さんの身体表現は、常に緻密で美しい。

まえにDDDというダンス系の雑誌で、演技とダンスについて、"芝居をする時も全て振りなんだ"
と語っていたが、まさにそうなんだろうな、と思う。

後は目線だなー。
表情と台詞ではなく、目線で反抗とか憧れとか諦めとか自己卑下とかを、
それ単体ではなく、それらをごちゃまぜにした葛藤と混乱をそのまま目に乗せてしまう、その表現力。
毎度のことながら、完全に心を持っていかれる。

あとねあとね。
山本さんの瞬間の演技も好き。
一瞬たりともその人物から離れることなく、画面にいる間、ずっとその人でそこに生きている。
例えば、酔いの帰り道、兄鉄平の姿を見つけて立ち止まって、寒そうに肩をすくめるところ。
頭取室で突貫工事の話が出た時の、流し目からの口元だけの嘲笑。
万樹子から妊娠を告げられ、返事を返す前、一旦酔いのふらつきを止めて表情を固めるところ。

あ、いかん。
暴走している。

日曜日に銀平シーンのみはざーっと見るのだが、つぼつかれまくりのシーンの連続で、
脳内がヒートアップ。

テンションが高くなり過ぎた為、1時頃にクールダウンにヨガをやってなんとか寝付くも。
4時半に唐突に目覚める。

痛い・・・・痛すぎる。。。。


別の話もしよう。
本日のBGMは今日amazonから届いたばかりのクラリネット五重奏曲イ長調。K.581。
第二楽章を聞く度、多分天国ってこんなところじゃないかなって思う。

落ちたきっかけは言わずもがな。

・・・・『毎日モーツァルト』。
これまた言わずもがな。案内人に惹かれて見始め見続けた番組。

同じところに帰ってきてしまったではないかーっ!
頭のねじが飛んでるとしか思えん。



2007年02月18日(日)

土曜ドラマ 『ハゲタカ!』

ハゲタカ!
NHK土曜ドラマです。
録画したのを今朝見ました。

良い!すごく良い!
リピするには余りに辛いドラマと思い、HDDから消してしまったのだけれど、
今になって、やや後悔している。

まず、周辺のことから言うと。
マチベンでもそう思ったけれど、NHKの照明部が素晴らしい。
ただ明るくというのではなく、時間の経過や季節感を光で表現している一種のアートになっている。
役者の表情に対しても。
役者の顔を能面に喩えるのは、少し失礼だが、表情表現により力を与える能舞台を思わせる陰影がある。

カメラアングルも素敵。
あおりあり、俯瞰あり。
それが技の陳列開示にならず、演出の中で効果的な道具として使いこなされている。

銀行を舞台としたドラマということで、頭にあるのはもちろん『華麗なる一族』なんだけど。
全然レベルが違う。
別にNHKに肩入れするというものでもないけれど、余りに違いすぎて、
民放にはドラマを取る力がもうないのだろうか?という感想さえ抱いてしまう。

最近の民放ドラマの絵って、まずアップの多用。
それに批判が集まると、単にカメラを遠くにおいた全景SHOT。

素人が取った写真みたいで、絵が物語を切ってない。


台本についても。
ハゲタカの導入部分の子供が万札を網で掬って、同じ水面に人が浮かんでいるのを華麗にスルーして、
嬉々として掬いまくってそれ鷲づかみにして、おもちゃ買いに走るところなんて。
何のナレーションもないのに、作品の骨子を強烈に訴えている。
冒頭から心鷲づかみ。

夏のうだる暑さと躍動する子供の生命力が、どこか腐敗と死と隣り合わせで、
そのシーンだけでショートフィルムのような完成度だった。

しかも、押し付けがましくなく、風刺とユーモアに包んだ表現が洒落ていて。
あぁとにかく好きだ。


演技ももう。

宇崎竜堂。HDDから映像を消してしまった一因は彼にある。
熱演しすぎ!
コンプレックスとルーズとプライドが混乱している人物が落ちていく様を、見事に演じていた。
辛くて見ていられん。
メイクとか衣装のサポートもしっかりしているのだろうな。
完璧だった。

大森南朋の心に錘を沈めたままの静かな演技。
松田龍平のやりばのない怒り。


これを見ちゃうとなー。
確かに『華麗〜』は学芸会に見えないでもない。


金かかっているというわりに、『華麗なる一族』は非常に安っぽすぎねーか?
ムダ金としか思えん。

まずセットが豪華というわりに、その凄さが画面から伝わってこない。
絵として平板でのっぺりというのは、照明部の力量なのかもしれない。
リモコン鯉に"いっせんまん"というから、どっか使い方を誤ってるのかもしれん。
(猪はいくらなんだろう?)

FANなので、言いたくはないが、木村くんの台詞回しや立ち姿がどう見ても、御曹司として無理があるということかもしれない。
バラエティとかで見ると可愛いが、話し出すと演技以前という二子さんや万樹子さんの存在も一因ではあるだろう。
人物心象まで得々と語るナレーションの存在も講談っぽく、安っぽさを後押しする。
予告や番宣では"果敢に立ち向かう若きリーダーの鉄平"と持ち上げているくせに、
ドラマの中では、全くそれを描けない脚本家の力不足の故かもしれない。
思い返せば、鉄平って何かトラブルがおきれば義父である大川代議士の御威光で解決してもらい、
立ち向かうのは父親の愛人に対してばかりで、それもつっかるだけで何の進展も見せられず、
父親に公私の区別もつけずに纏わりつき、"融資"と"私生活批判"ばかりする奴じゃん。
凄くせせこましい男に見えるのは気のせいじゃないと思うんだよな。

とかね。

まぁ山本耕史さんも出ているし、("も"というか、"山本耕史さんが"になりつつあるけど)
ここまで来たら最後まで見ますけど。


山本さんと言えば。
舞台『ヘドウィグ〜』のほうも、何日かたって大分こなれてきたみたいで、ほっとしています。
来週行くからー!



2007年02月17日(土)

主に『華麗なる一族』の感想。

何だかんだ言っていて、日曜日の『華麗なる一族』の展開が楽しみだ。
前回分は、予告編をハードリピ。
予告だから当てにはしないようにしているが、次回(18日ね)銀平様の感情が揺れる回のようで。
もうわくわくです。

さっき読んだ『ほぼ日』でも書いてあって、「だよね〜。そう思う人多いよね」と思ったのだけど。
前回分の鉄平の態度。
誤射で悪意はなかったにせよ、人を撃っちゃったら、まずは「ごめんなさい。」でしょう。と。
それを「撃たれるようなやましいことがあるんですか?」
話をずらして逆切れって、それはないよなーと思う。


このドラマって色々なものを詰め込み、かつ、木村拓哉に気をつかいすぎなのか、
エピソードを片っ端から鉄平に寄せ集めた結果、結局破綻している気がする。

銀行合併を邪魔するためにリークした政治献金話が、
原作とは異なり、妻の父親の大川代議士のネタになっていた。
大川の死の無念を鉄平に託すという物語にはなったが。

そもそもおかしくない?
新聞に出てヤバイ金って貰って良いのでしょうか?
いけないことが新聞に出て、それを責めるってどーか?
それに、娘婿の実家が銀行なのに、それ以外の銀行とつるんでたって、それある意味裏切りじゃないの?


大川代議士の葬式を途中で抜け出したことを、攻め立てる鉄平というのもどうかと。
一族の浮沈がかかった仕事ならしょうがないと思いますが。
しかも父親はきっちり謝っているわけだし。
それをさらに批難する鉄平は、既に一家を構えた男のわりに大人気ないし、
経営者としての判断力とか責任感という点でも疑問が残る。

早苗についても理解不能。
自分の父親の葬式を中座したしないで夫と義父が揉めたら、気を使って止めに入れよと思う。
義父に頭下げられて、それを腕組みして無言で受けるって、すごく失礼だと思う。
もう出て行っても良い覚悟なのかと思ったら、その後のシーンで実家に帰るかと聞かれ、
「私は万俵鉄平の妻です。ここに残ります。」

だったら、万俵家で上手く立場作れるように、夫を助けろよ。
自分の実家の話を、ケンカの火種にしてはいかんだろう。


あ、あと。
2話だったかな。
お母さんが乱れた夜着を書き合わせて自分の寝室に飛び込んだ、その扉をがんがんと叩く鉄平。

出てきた先が部屋の特定は出来ないまでも父親の寝室方面ということくらいわかりそうなものだし。
10もいかない少年ならともかく、30超えた男が、乱れた夜着で血相変えて自分の部屋に飛び込む女、
母親とはいえ異性、の部屋のドアをどんどんと叩いて「どうしたんですか?!何があったんですか?!」
は無神経すぎでしょう。

それもあんなに大きな声で問いただすなんて。
他の家族なり、使用人なりが出てきたら、どーするよ。

とかね。


芙佐子との恋人関係、何がやりたかったのかさっぱり意図わからないし。


原作中のエピソードを主人公の鉄平に無理に絡めた結果、あちこちで綻びがほころびが出て、
かえって鉄平のキャラクターを損なっている気がする。



というところで、今日の書き込みは終了。
今日は結構元気にやれました。
まだ、胃は痛いけど。

やっぱり私は書かないと。
くだらなくても、書くネタがなんでも、嬉しくても、哀しくても、憂鬱でも、書かないと。
自分を前に転がせない。



2007年02月15日(木)

Endless Shock感想。 あと、 ヘドウィグ初日

ヘドウィグ初日かー。
訳を担当された北丸雄二さんのブログでは、えらい褒めていたが。
その他感想も色々チェックしたい。

全然ネタばれ平気というか、むしろ、推理小説とかでも最初に結末を読んでから、
落ち着いて読みたいタイプなので、積極的に情報収集。

厚生年金会館のFINALのチケットはまだこないのだけど、
新宿FACEで実は2公演チケットが取れている。
が、他の人にも見せてあげたいので1枚は譲ってしまった。

新宿FACEで1回。厚生年金会館で1回の計2回見る予定。
それにしても最近非常にチケ運が良い!
全ての運をここにつぎ込んでいるかのよう。(それ以外は・・・と考えると暗くなるので。
もう考えない!)

新宿FACEなんて、一列目と4列目っすよ。
もうどうしようという感じ。


ヘドも中々のものだが、最大のチケ運はなんといってもこれ!
光一くんの『Endless Shock』ですよ!
取れたことだけでもすごいのだが、なんと9列目中央!

もうチケット見たとき、めまいがしました。

先週行ってきたのだけど(あ、具合の悪い一因はそれか?観劇の後は大体倒れるんだよな)
もう、表情もばっちり。
見えすぎて、美しすぎて、怖いくらいでした。

ストーリーはまぁ陳腐といえば陳腐なのだが、不覚にも最後涙してしまった。
第一は光一くんの全力でのパフォーマンス。
踊るは飛ぶは、殺陣はするは、転げ落ちるは、笑いは取るは・・・。
そんなぎりぎりまでがんばる姿が、もう堪らなく切なく(何がそこまで彼を駆り立てるのか、
何でも持っているかのように見える彼が走る原動力ってなんなのだろう?とか)
また、単純に生命力というか、人間の力を感じて、素直に感動した。

後は、他キャストの光一くんへの想いかな。
M.A.の米花くん。
彼の顔は全然好みではないのだが、彼につい視線がいってしまった。
光一くんのフライング時の器具の装着は、ほぼ彼が一手に引き受けていた。
締め付けがゆるければ、接続を誤ったら、一直線に光一くんの命に関わる作業を、
ショーの流れの中で短時間で行う。
その緊張感と、光一くんを見守る、祈るような見守るようなその目線は美しかった。

ショーの�癸欧郎G�はトウマ。生田斗真くんだった。
彼はもう素晴らしかった。
気持ちが入った熱演で、しかも舞台の表現としてもこなれている。
(帰宅後に調べたんだけど、結構舞台キャリア積んでいたんだ。)
動きも切れがあり、しかも、顔が・・・美しい。

前に見た時は、錦戸亮くんで。
彼のより、私は今回の生田斗真くんの方が好き。
錦戸亮くんの陰影も捨てがたいのだけど、�癸殴�ャラの持つ身を焼き尽くす嫉妬の熱量は、
斗真くんの方が強く、それが舞台にスピード感を与えていた。

あと体格。亮くんのなで肩は、舞台栄えという点でマイナスにはなる。


歌が良いとか、ダンスが、とか、曲の持つ力・・・とか、一つ一つを取ると、
何ということもないのだけれど。

でも、舞台として、ショーとして、すごく楽しい。
あぁもう一度見たいなー。
再演しないかな。
また、当たらんかな・・・。




2007年02月14日(水)

弱い・・弱すぎる・・・

色々あり。
というか、何もないんだけど。

自分の中でループしてしまい、
落ち込みが身体に出て、動けなくなった。

思考は停止するし、胃腸は停止するし、やる気はもちろん(←えばるな)なし。


何を書くという気もしなくなり。
更新も出来ず。

というか、ここ最近更新が滞っていて、危険信号だとは思っていた。
嫌なことがあり、上手くいかないことがあり。
それはそうと、そのことを吐き出すにもエネルギーが必要で、
どっこらしょという思いは確かにある。

不貞寝していた方が楽でもある。

でも、初期動作で歯車を回すのに力はいるけれど、書かないと。
自分が自分で動いていけない。

ここ2日。
ひたすら寝込んだ。っつーか、もう何もかもいやで動けなかった。

あり?なし?でいえば、大人としてはもちろんなしなのだけど。
してしまったこと、なってしまったことは、もうしょうがない。

一つ学んだこと。
やっぱり、気持ちは言葉にして落とさないと。
おっくうでも、無意識を改めて自覚するのがいやでも、でも、書かないと。
私は私として、形を作って生きていけない。

と、知った。



2007年02月05日(月)

イマキュレー・イリバギザの書いた『生かされて』を読んだ。

イマキュレー・イリバギザの書いた『生かされて』を読んだ。
正確には先週、いや、先々週かな、読んだ。
何の気なしに立ち読みしていて、止まらなくなり、買ってしまった。
ほぼ一気に読んだ。

読後、手近な所においてある。
が、再読の手は、まだ伸びない。読む気持ちにならない。


ルワンダの内戦というか、大量虐殺で生き残った、フツだかツチだか
(ほら、もう忘れている。それだけ遠いし、違いがわからない。)の女性が書いた本。

ニュースは聞いた覚えがある。
100万人近くが、異国から攻めてきた軍隊にではなく、近所の人の振りかざすナタで殺されたという。

セルビアでも同じようなことがあったって聞いたことがある。
総数は少ないにしても、関東大震災の朝鮮人虐殺の事例もある。
いやな話だと思い、それきり。一つのニュースとして忘れていた。


この本は恨みつらみではなく、許すことの大切さや、幸せのイメージングの効果を書いている。
その心境は尊敬に値するし、そこに嘘は無いと思うが、でも、飲み込むと引っかかる小骨は消えない。

幸せのイメージング(未来をリアルに脳内に描くことで、望みを実現すること)の力の多寡で、生死が分けられてはたまらないし。
神に祈ってどーにかしてもらうというより、そもそも、顔見知りをぶった斬る性質を持つ人間を作った神様ってどーよ、とか。(造物主としての力量を疑う)

家族を殺されても許すという人間の聖の部分と、燃え上がって殺しまくる邪の部分。
その振幅が激しすぎて、疲れてしまう。
自分の心の中でも、いらっとしたり、でも、まぁ許そう優しくしようと思ったりという揺れはあるけれども、
それの増幅100万倍。

雑誌のプチ欝解説とか、人間関係の悩み相談室とか、人の心理を扱ったコメントって案外多い。
職場でも家族でも趣味サークルでも、常に人間同士の心の行き違いが大きな問題となっているようだ。
虐殺とか極端に振れた事例を見ると、そんなの全て誤差レベルとも思える。
いや、虐殺というともう全く別物みたいに思うことが実は誤りで、ボリュームが異なるだけで、奏でているメロディは同じなのかもしれない。


この本は描いている事象が事象なので、事実の持つ力にまず引き込まれる。
かなりえぐい。
かつ、無力感を覚える。

その後、希望を胸に灯して読み終われるかは、個人の資質なのだろう。
私には無理。

作者を尊敬はするし、肯定もするけれど。
"許す"という行為は、ある種自分を楽にする考え方だとも思うので、方法論としても賛成だけれども。

でも、今、自分が同じような目にあって、同じように"許し"を選択するとしたら、
外形は同じであっても、私の場合は自己欺瞞の表象だろう。


多分。
狭量というのが一つ。
幼いというのもあり、世界が狭いというのがあり。
どれも同じことを言ってるじゃんというのが結論。

と、書いておいてなんですが。
良い本でした。



2007年02月04日(日)

こんなユメを見た。

夢を2つ見た。

見合いをして結婚をする夢。
もう一つ。
ダイニングが吹き抜けで、カタカナのロの字型に中二階がある家に住んでいる。
で、その中二階が何故か電車の引込み線になっていて、食事している上を車両が通る。通る。

そんな夢。

満月を超えて、暖冬なりに寒かったり、仕事はなだれのように崩れてきているが、
でも、まぁ100年経てば皆、骨なのだから、気持ちは軽く過ごしたいと思う。

そうだ。
忙しいとか何だとか言いながら、『ユメ十夜』見ました。
金曜日に時間の切れが良く、打ち合わせが終わったので、見るなら今日だ!と新宿歌舞伎町にDASH!

感想としては・・・。
芸術っぽいので、山本さんというきっかけがなければ絶対に自分からは見ないタイプ。
なので、すごく新鮮だった。
モーツァルトもそうだけど、誰かのFANってやってみるもんだなー。
色々新しい扉が開いてきてうれしい。

どの作品も、映像がとても綺麗だった。
特に気に入ったのは、
純粋に絵だけで言えば、第一作の実相寺昭雄監督の舞台装置としての一種過剰な日本美。
作品としては、松尾スズキ監督の第六夜。リズム感が一番身体に合った。
第十夜のキッチュなのりも良かったなー。
第三夜は清水崇監督で、正統派のホラー。きっちり怖かったです。

山本さんの第四夜は、軽めのFANTASYで可愛らしさもあり、連作の中では独自な雰囲気。
映像の色も唯一といって良い暖色系。
味のある小品でした。

それにしても、足が長い・・・・。クラシカルなスーツを着ると際立つな。


その他の感想として。
『華麗なる一族』の3回と4回を続けてみた。
説教くさく、受け売りの知識の断片を偉そうに振りかざす武田鉄矢も、
べたべたした人情をふりまく西田敏行もバラエティ番組でのキャラは好きではないのだけれど、
でも、演技はさすがだ。

話の流れと呼吸が無理なく溶け込んでいて、流れを加速させつつ、
自分も浮かず、かつ、場をさらう。

非常にオヤジくさいドラマになってきているが、
下手に鉄平シーンを増やすより、ストーリーも閉まって、作品としては面白いと思うんだけどな。

木村拓哉のラジオ番組のREPOを読んだんだけど、
『滑舌が悪い』、『ら抜き言葉はあの時代に変だ!』という類の、華麗なる一族に対する突っ込み葉書を読んだみたいで。

リスナーくらいしか指摘してくれる人がいない、見たいな事がREPOに書いてあったが。
それは寂しいなー。

ら抜き言葉くらい現場でチェックしてダメを言ってくれる人がいないのか?
滑舌についても、寒くて口が回らなくてレロレロしていたらしいが、台詞だけ別に取って入れるとか出来るはず。

スケジュールの問題で出来ないのかもしれないが・・・。
SMAPであり、木村拓哉であるが故に、ダメだしもされず、時間の都合で完成度を犠牲にするような仕事しか出来ず、そのことで制作陣は諦めを抱えつつ、営業は視聴率を当然のごとく期待する。。。みたいな日常を過ごすって、想像しただけで、引きこもりになりそうだ。

大変だろうなと思う。


alain

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