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2004年08月30日(月)

沢木耕太郎のスポーツレポートは嫌いだ

「不正な事やってないって言うなら、正々堂々とおしっこ出せばいいじゃん。」
そうなんですけど。率直過ぎてかえって言いにくいんです。ばっさり言い切る増田明美すげぇ。

比べるって言うわけじゃないがー。
やっぱり私は沢木耕太郎のスポーツレポートは嫌いだ。彼はプロの文筆家で、一方の増田明美はプロの解説者ではあるが、書くほうのプロじゃない。
上手い下手でいったら沢木耕太郎の方が上手いのかもしれないけど、私は増田明美の書くものの方が好きだ。

沢木耕太郎については、W-CUPの時にもレポを読んでて、その時から、なぁんかイヤな感じを持っていた。
でも『深夜特急』とか、読んでないけどバイブル的なものも書いていて、話を聞くと面白そうでもあるし、カッコよさそうでもあるし、いずれ・・・と思っていた人だったので、W-CUPのレポで嘘だろ?そんなはずはない。と違和感を持ちつつでも信じていて、でもぬぐいがたい不快感は読むたびにわいてきて、で、今回のオリンピックレポで確定した。
この人の書くものは好きじゃない。

まず、個々のカチンとくる点から言う。
W-CUPで韓国に行く時の飛行機の中でのこと。藤原紀香(名前は出さないが誰でもわかるように書いてある)を機内で見かけて、「ヘアメイクだとかマネージャーだとか通訳だとかのお付きの人をぞろぞろ引き連れて、まぁご大層に。えっらそーに。」
と揶揄交じりで取り上げていた事。

ちょっと違うんじゃないか?って思った。
サッカー協会の役員がお付き従えてビジネスクラス(例えば選手がエコノミーなのに。←サッカーは違うと思うけど体操は数年前までそうだったようだ)に乗っているのを、鼻で笑って書き捨てるのなら分かる。
でも藤原紀香は日刊親善大使の女優なんだ。2時間しか寝ていなくとも、飛行機が遅れて(実際その便は遅れていた)ステージの裏階段駆け上がろうとも、表舞台でフラッシュを浴びる時は、8時間寝た素肌に超機嫌のいい笑顔を全てのカメラに与えなくてはならない。

彼女はそれが仕事なんだ。
その仕事を全うするのにヘアメイク、ネイリスト、スタイリスト、コーディネーターなどなど。
なんならスタイリストをスタイルするスタイリストが居たってかまわない。
お付きが多すぎて常に修学旅行みたいな大型バスで移動してたっていいじゃないか。

完璧に綺麗にして現れるのにそれが必要ならばいくらだって引き連れればいい。
私はそれを贅沢とも無駄とも思わない。

オフィスの例でいう。節電や文房具費の削減にこだわることは悪い事じゃない。
でも、それより働く人の環境を心地よくする事(例えばデスクスペースを広くするとか。外資系と日本ローカルってそこらへんの配慮が全然違うんだ。クライアントとして何社か見た限りでは。)で人材を無駄にしないで、能力を存分に発揮してもらう事。
それが無駄を無くすってことじゃないだろうか。
無駄を省くっていうのは経営戦略であって、精神論や自己満足じゃない。

沢木耕太郎の藤原紀香に対する描写に、そんな精神論的な節約/気持ちの悪い清貧論を感じて、ん?この人思ってた人と違うーと思い始めた。


そして今回。
野口みずきに「走っている間に高橋尚子選手のことを考えましたか?」と尋ねてくれた

炎天下、必死で走って優勝して「嬉しい・・・」と涙ぐんでる人に、なんでそんな下らん事を聞けるのかわからん。
帰国して一ヵ月後、あの走りを振り返る2時間インタビューの中でならわかる。

アテネで聞くことか?

選手に選ばれて、緻密な作戦のもとに練習を組み立てて、スパートの位置まで事前に決めるほどの戦略を練って、シューズの底の素材にまで気を配って、その他、食事内容や筋トレの内容や負荷や時間とかもプロが綿密に計算しただろう。
メンタル面のサポーターもいたんじゃないだろうか?腹を出していたが、あのウェアにしたのも理由があったに違いない。

あとあと、なんだか良く分からないが、彼女や周りの人が知恵と知識の限りを尽くして本番に臨み、野口みずきが最後にそれを形にした。
本番で走るってことは、やったことないけど将棋の王手みたいなもんじゃないかって思う。
緻密な計算と冷静な判断、科学的な裏付け。それらの上にたっての最後の一手が本番での走りなんじゃないかと思う。

それに対して、選ばれなかった選手(自分より持ちタイムが上で、しかも国民的人気者)についてどー思うか?
という、何ていうか"手前勝手な物語"を付け加えようとすることって、今まで彼女や彼女の回りの人が行ってきた勝つための戦略に対する、なんかこんな言葉大仰で好きじゃないけど、やっぱしっくりくる言葉はこれだけ。"冒涜"。

「えっと、それはちょっと・・・」と野口みずきは答えたそうだけれど。
(それで沢木耕太郎はやっぱり意識してたんだ!と勝手に納得してたけど)

ばかじゃん。と思った。
一年以上にわたる勝つための行動・取捨選択を、『選ばれなかったあの人に勝つためにー』という昼ドラにしてしまっていいのか?


なんか、沢木耕太郎のレポって、行動に余計な価値観をつけ過ぎてて、寺まわり紀行ならいいんでしょうが、スポーツには合ってない。
っつーか気持ち悪い。
『死んだお父さんにささげる金メダル』とか『女手一つで育ててくれた母に送る銀メダル』とか、ワイドショー的にわかりやすいなら、まだ可愛げがあるが、それほどわかりやすくもない。

一ひねりした精神論がべたべたに纏わりついてやな感じ。
スポーツという、勝つという"目標"とそれに到達するための"手段"がはっきりしているものに、へんなものつけんなって思う。

門外漢に書かせるのなら、例えば高杉良とか幸田真音とか、経済小説詳しくないのでその位しか名前でてこないけど、経営的に書いてもらったほうがすっきりして通りのよいレポになるのではないかと思う。


台風で風が凄い!窓ガラスが割れそうだ。


2004年08月25日(水)

試衛館の跡地に呼ばれる。

事実はそこにあって、でも認識の仕方は自由。だから言い切る。『呼ばれたんだ!』

江戸川橋のJOBに行って、5時頃に終わった。映画を見ようかと思ったんだけど特に見たいものもない。
外に出たら以外に涼しい。最寄の江戸川橋駅までは一本道で5分。

お散歩をしよう。

大江戸線の牛込神楽坂を目指す。野生のカンでは駅はあっちだ! 歩き出す。

東西線の神楽坂を過ぎる。で牛込神楽坂はどこだ?やや、迷う。
そういう時はコンビニに行き地図を見る。コンビニは?見回す。あった。向かう。

丁度案内板があった。右に行ったら牛込神楽坂。左に行ったら牛込柳町。方向が微妙にずれていたようだ。
その時の進行方向は右。だが、牛込神楽坂の駅は前に行った事があるが、柳町の方はない。
時間はある。柳町に行こう。引き返す。

歩く。歩く。ふっと斜め後ろを振り返る。銀行の支店の脇に掲示板がある。新選組のポスターがある。近寄る。
『試衛館の跡地』への行きかた。

なんですと?!
うそっ!探す。あったよぉ〜。彼らはここにいたんだぁ・・・・。

たまたまなんですけど。分かってるんですけど。
終わった時間とか、夕方になって涼しくなったとか、歩きやすい靴だとか、柳町駅に向かうと決めたこととか。

思い込んで楽しかったら、いいからいいんだもん。『呼ばれました!』


ドラマ『新選組!』のこと。
悲劇と喜劇って紙一重だなと。
頑なに切腹を強いるのも侍ごっこだし、させておいて泣くのはまさに友達ごっこを(否定している本人が)脱しきれていない証拠。
止めればいいんだけど。
「もう、いいか。どーも幕府も先がないみたいだし。内部もぎくしゃくしてきたし。帰って道場やろ。」で投げてしまえばいい。
もしくは、彼は決まりを破った。だからそれなりに処理する。って心の底から思うか。
代々、同じ殿様に仕える家臣集団だったら、ちゃんと先例とか教育とかが染み付いてるから、葛藤無しに出来たんじゃないかって思う。

農民の武士ごっこの悲しさだ。滑稽で馬鹿らしくもある。

太平洋戦争と同じ。
南方での戦いは敵より飢えとの戦いだった。なんて、アホらしいとしか言いようがない。

身の丈に会わないことを必死でやってるのって、間抜けで哀しい。
そんな哀しさに心を寄せるのって、きっと"べた"なんだろうし、甘いんだろうな。でも好き。

『新選組』の公式ホームページで堺さんが、山南スマイルについて、人の気持ちを受け入れない、気持ちの扉を閉めたある意味閉鎖的な笑顔って言っていて、そうそうそう!と膝を叩いた!膝壊れそう。役者ってすごいな。


2004年08月23日(月)

『新選組!』で山南さんが死んでしまった。

窪塚洋介がかなり元気なのでびっくりした。
9階から落ちて、車椅子ではあるけれど、顔も綺麗なままだった。

前に三輪明宏が三島由紀夫のことを書いていて、彼は『英霊の声』を書いたあたりから、霊に付かれていて、結局引きずられてしまったと。
窪塚も明らかに、どっかからか破綻していた。
精神世界に興味があるとかはいいんだけど、身体無視して、頭だけで精神世界につっぱしると、実社会から浮きすぎて、はじかれてしまう。リバー・フェニックスみたいに。

「落ちた時のことを覚えてない。」というのはホントかどーかは、知らん。
そういうことで通すと決めたのかも知れんし、忘れたいのかもしれないし、忘れたのかもしれない。

何があったにせよ、呼ばれてしまったんではないかと思う。
それでなお、9階からダイブしてなお生きてるんだから、誰か(あるいは何か)守ってくれる存在がいたに違いない。

綺麗なすごく透明な目をしていたのに感動した。
妙にねっとりと理論の断片を吐き出すところがなくなってて、静かに色々なものを飲み込んで湖面に波風一つ立たない、そんな深さを感じた。

汚れないように大事に守る白でなく、あらゆる光を重ね合わせた結果の白。
アメリカのネイティブ・アメリカンへの取材の後編は直って歩けるようになったら撮りに行くと言う。
一作品の中で前後が見られる。その番組は絶対見る!

『新選組!』で山南さんが死んでしまった。
最初に出てきたときは、なんだこのニヤニヤ仮面、やな感じと思っていたけど、もはや山南さんは彼以外考えられない!

温厚さと屈折(仙台という教育藩で教育を受け、北辰一刀流というエリート流派で、それが農民出身が主流の集団に入ろうとする、部下も引き連れずに。素直な生き方とは思えない)によるニヤニヤが、もう、山南さんだ。

明里もぶっとさとやわらかさがぐー。
慎吾ちゃんの上目にらみも気合を感じた。(それにしても太ったね・・・)
オダギリジョーが珍しく感情をあらわにする、その表情にもやられた。
ひでちゃんに、山南さんと歳さんの関係性について語るところ、山南さんの切腹を見守るのにすごく涙目なところ。
今までがクールな表情ばっかりだったから、余計、じーーんときた。

それより、なにより!
歳。あー歳さんが泣いちゃったよぉ。近藤さんが肩を抱いてあげてるよぉ。
というあたりで、もう駄目。やられた。

山南さんがどーこーというより、歳さんが泣いちゃった、泣いちゃった、泣いちゃった・・・。
頭はそのことだけだ。

やられた。ハートが砕けた。



2004年08月16日(月)

幕末とイラク

なんだかすごくだるくて。
でも、この間夜窓を開けたらリンリンと虫が鳴いていて、セミの死骸が道に転がっているようにもなったし。
秋が来ているのだ。もう少し。生き抜きましょう。

ラクーアとか行きたいな。平日の漫画喫茶でのんべんだらり。などなど。
なぁんかささやか過ぎる夏休みだ。

映画にも行きたかったのだがー。華氏911?スクリーンで見るほどのもの?とか思ってしまう。
下妻物語に行きたかったんだけど。終わってしまったようだしな。

オリンピックだらけのテレビにもだれるし。
でも、開会式はちゃんと見たいな。ニュースのダイジェストでしか見ていないのだが、さすが演劇と哲学の国。
抽象的なものを平易にかつ高尚に伝える事に長けているのだと思う。

今思い返しても、長野オリンピックの伊藤みどり(いや、彼女が悪いわけではなく、演出とメイクになのだが)は痛かった。
閉会式の欽ちゃんは怖くて見られなかったからなんとも言えないがー。

今回は聖火以外はカッコよかったと思うなぁ。聖火はなんか湾岸コンビナートの煙突のようで興ざめ。
一気に工業なんだもん。それも第二次産業的。テクノロジー方面にいくなら、せめて宇宙方面に進んで欲しかった。


『新選組!』は視聴率はあんまり見たいだけど、私は凄く好きで。
今、"ほぼ日"でも毎週金曜日にレビューしてくれだして、応援団が増えた気持ちで凄く嬉しいんだけど、えっと、そんなことが言いたかったわけじゃなく。

つまり、あの時代って。
新選組はつまり政府軍で、薩長は反政府軍。(幕末の最後でひっくり返るがそれはともかく。)ばりばりの内乱だ。
英国公使館焼き討ちにしたり、道を歩く異人に切りかかったり。
"明里"は借金のかたに売られたっつーことは、ネパールの債務奴隷と似たり寄ったり。

高遠菜穂子さんは「イラク人のこと嫌いになれない・・・」と言ったが、当時、日本に対してもそう思ってくれた人がいたんじゃないだろうか。

今日は、っつーか、今日も話題はぶつ切れでした。


2004年08月09日(月)

中国の反日でいつも疑問なのが、反英とかはないのだろうか?ってこと

嵐は過ぎ去り、ちょっとばかり平穏。一息つきました。
分け目にそってはげたしまった夢を見て、(起きてすぐ鏡を見に行った)、気分が暗くなってしまったよ。

アジアカップは優勝でした。
相変わらず試合は見れない。見ると負けてしまうような気がして。
ニュースを見るのも怖く、スマステまでじっと待機。テレビもつけず。つけた途端に10chだったらやばいじゃない。
慎吾ちゃんの顔を見れば結果がわかるだろうと。待つ。

やったじゃん。

反日のことは、勝ったからかどーなのか、マスコミは案外冷静なので一安堵。きっとネットは凄い事になってるんでしょーが。
中国の反日でいつも疑問なのが、反英とかはないのだろうか?ってこと。

植民地に土地取られて100年近く返さなかった国なのに。
アヘン売りつけて民族廃人にされといて。
租借を持ち出せば、英だけに留まらない。アメリカとかドイツとかロシアとか・・・には反感は持たないのか?
白人は対象外?(← ここらへんは日本人と似てる。アジア人としてのシンパシーを感じる。)

やっぱり中国そろそろ分裂かなぁ。
満たされてる国の人は右翼にはならないと思うんだ。画一的思考なのかもしれないが。
東ドイツの失業者がネオナチとかさ。そんな印象ばっかり。

中国揺さぶるんなら、公式抗議とかじゃあしらわれるだけだと思うのさ。
気功団体とか宗教広めてみるとか。そんなゲリラ活動をお勧めしたい。
大体、国家分裂の分裂のきっかけって宗教の乱じゃんよ。細木数子あたりを流刑してしまえ。
"六星占術の乱"とかよ。


2004年08月03日(火)

右から左にと、片付けていけ

リディックは男のシンボル。
きっとあなたは歓喜に酔います。

おすぎの声で断言されると、非常に隠微なものを感じてしまう。狙いなんでしょうが。リ・ディックだもんなぁ。

週末はあまりのだるさで寝たきり老人。
週が空けて出社すると、瞬く間に打ち合わせ予定がなだれ込み、手帳を見て呆然とする。
うーん、仕事をする時間がねぇ。

こんな時昔話のことを思い出す。
ある農夫がとっても綺麗な天女の女房を貰う。

通りすがりにその女房を見た王様は、自分のもんにしたいと思う。
で、農夫に無理難題をふっかける。

明日までにこの畑を全部掘り返せとか、崩れた塀を修理しろとか。
で、出来なければ女房を渡せと言う。

それはぱっと見、とても一人でその時間ではこなせない。
農夫は妻に言う。「あんなん出来ねぇよ。二人で逃げよう。」

女房は言うのだ。「あとどのくらい残ってるとか、どのくらいやったのかとか、考えないでとにかくやんなさい。」と。
で、その通りに目の前だけ見て片付けると、ちゃんとリミットまでに片ついてる。

天女の力だと思って読んでたけど、そしてストーリーとしてはそうなんだろうけれど。
きっと昔話ってある意味実話で。きっと自分であぁだめやって思うことで自分の枠を決めていて、それを外せば案外なんとかやっちゃうなんてことが実生活であったんでしょうなぁ。と思うわけよ。

だから、後どのくらいとか、どれだけやったかとか、意義とか、そのことにどう思うかとか、オートマティックに反感かき立てられたりせず、右から左にと、片付けていけ。と。思うのだ。淡々とな。淡々と。

ロシア民話だったような気もすれば、日本昔話だったような気もする。


2004年08月01日(日)

女の人のほうががっさがさで、男の人のほうがうるうる。

木曜日の会議終了後、Hさんと小爆発。
まわりの失笑と呆然をかった。
やってこいと言ったものを全くやってこず、ぐだぐだと中身のない言いっぱなしを延々聞かされていらいらしてしまったのだ。

どっちが優れているというのではなく、一般に言い聞かされてきた事と違うなぁってしみじみ思う。
男の人にあるのは社会性であって、決断力じゃない!

顔を立てるとか穏便にとか、波風立てないとか、そういう気の使い方と忍耐力には感心するけど、もーちょっとぱきぱき出来ないもんでしょうか?

立場を慮って、なぁんとなく曖昧に曖昧に決まったような決まってないような言葉遊びで、だらだら会議することが、ゆるせないっつーか、いらいらする。

会議なんだから、意見戦わせてなんぼ。
主張を明確にして、論点洗い出して、調整して、結論して。短くできるじゃん。
さっさと片付けて、さくっと帰ろうよ。暇なの?!

女の人のほーがあーだこーだ、決めないっていうけど、ホントに?
クライアントでも内部でも、女の人とだと物言いが直接的でクリアだから、仕事が早い早い。

ストレートすぎてカチンとくるだとか、カチンを表に出しすぎて大人気ないだとか、仲悪い人と仕事するのイヤがって、わがまま言うなよぉ〜と悩ませてくれたりだとか、色々あるけど。

だから、どっちが上って言ってるんじゃなくて。
男の人の方が気ぃ使いで人情派で、女の人の方が理詰めで実だけ取った味気ない論展開をするように思える。
それって言われてきた事と違って、そうかなぁでもなぁ気のせいかなぁ偶然かなぁとずーぅっとずーぅっと思ってきたけど、やっぱ違うよ!

女の人のほうががっさがさで、男の人のほうがうるうる。
女を演じることが職業の女優さんが大抵、素では"兄貴"なのが良く分かる。

男の目で女性性を演じられるから、魅力的な女優なのだと言っている人がいたけど、それは違うと思うよ。
ばっさばさこそが女性性で、もちろん一面ではあるけれど、ばっさばさが大きいほど、それと表裏一体の女性性、細やかさとか包容力とか情緒不安定性とか依頼心とか。。。も大きいって、それだけのことなのだよ。きっと。

社会的組織として男の人中心だったっていうのは良く分かるんだ。
人格・人情が中心に来ないと理屈を超えた力が出ない。
惚れさせるっていう人格求心力を中心にした組織(西郷隆盛を思い描いてるんだけどね)ほどの集団としての強さは望めない。
あまりに合理的過ぎると自分の利害をまず冷静に考えてしまうので、組織として強くなれない。
惚れるっていう熱狂がないと馬鹿力が出ない。
つまり、人情に惚れて内部では気を使いまくって、そのくせ責任はぼやかすって組織の方が強いってこと。

でも、社会の集団の目的は既に変わってきてる。生存、生死をかけた戦いのために集まるのではなく、楽しく死なず殺さずに過ごすことに。
だったら、いっつもいっつも目を三角にてんぱってる必要はない。
組織は使うだけ使って(お金を貰うとか運営するとかね)、とっとと個人生活を大事にするってありじゃん。これからは。

しかし暑いね。
それやこれやで、先週は疲れたよ。すっきり行きたいね。スーツも脱いで言葉も飾らずに。


alain

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