極端なつぶやき
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2007年05月31日(木) 真に受けない、表面だけでいい

会社で、例の体育会系面子命男に仕事を頼まれる。
その頼み方の情緒的なこと。
別に仕事を頼まれるのが嫌なわけでない。
この仕事はbetyさんの担当と言われれば、すんなりやる。
会社に雇われているんだもの。
ただ、感情で言われるのが嫌なのだ。
この仕事を自分がやって欲しいから、やって。
その思考が嫌なのだ。

感情で言うのでなく、決めるのでなく、きちっとビジネスとして言って欲しいのだ。

あーあ、でもカウンセラーはそれが日本社会の構造だという。
共依存社会
付和雷同
察しろ
おもんばかれ
もっと空気読もうよ

それが日本社会

私は女で彼より年下。
面子男より下の位にいる。

彼は私より偉く、対等ではない。
仕事の出来不出来は関係ない。
女か男か、年下か年上か、というだけ。
それだけで、上下関係が決まる。
それが、この社会のルール。
もちろん、そうじゃない場もあるけど、それは稀。

会社では、この『男>女、年上>年下ルール』は、暗黙の了解であり、当然のこと。

強固な構造。
この社会は差別社会。
凄まじい抑圧。
残酷な現実。

でも、私は巻き込まれない。
淡々と辺境を歩いていきたい。

立てますよ、面子命男を。
お給料と自己保身のためです。
でも、そんな自分を責めません。
よく頑張ったね、と誉めます。

表面だけ合わせる。
私の全てを明渡したわけじゃない。
お給料のため、自分を守るため、生きていくため、演技する。

淡々と、巻き込まれず、本当の自分はちょっと棚上げして、表面だけ合わせる。
戦わない。
相手を変えようとしない。
自分の表面だけ変える。
本当の私は何も汚れてない。
ただ、自分を守っただけ。

淡々と巻き込まれず、辺境を歩く。


2007年05月30日(水) 淡々と巻き込まれずに

金曜日、仕事で会社の男性と一緒に横浜に行くことに。

今日の朝、決まる。
昨日までは私が一人で行くはずだった。

でも、担当者が変わったため、その人も一緒に行くことに。


お腹が痛い。
私、その人苦手。

体育会系、自分の面子を守ることしか考えてない男。
仕事を面子でする人。
仕事の内容・能率はどうでもよく、上下関係命、面子命の人。

でも、カウンセラー曰く、
「男性の3分の2はこのタイプ」なんだって。

えーん、嫌だ嫌だ嫌だよぅ
あいつのご機嫌とりたくない。

カウンセラーのアドバイスを思い出す。
「その男性とbetyさんが対等とは思わないほうがいい。 出るんなら、彼を立てて、出ないのなら、良妻賢母で引いた方がいい。」
「彼の面子命パターンにつきあってあげなくていい。
 彼を見ているだけでいい。」

ご機嫌をとらなくていい。
でも、戦わない。
私がどうあがいてもダメ。
私と彼の間の上下関係は崩せない。
もう、社会構造的にそうなっている。
淡々と巻き込まれずに生きていく。


2007年05月29日(火) 過去に力はない、あるように思えたら、それは自分が力を与えているに過ぎない

私の思考パターン
過去にあった嫌なことを思い出し、それにとらわれる。
怒りの中に居続ける。

何年も前のことに対して、何回も何回も怒る。
一人でいる時、昔の嫌なことばかり思い出し、考える。

この日記で、ずっと繰り返し書いてきたこと。

この思考パターンから抜け出したい、この過去に向けるエネルギーがもったいない、他のことに使いたいと、ずっともがきあがいてきた。

最近は、失恋したから、そのことを考えるのに精一杯だったけど、ここ最近またその思考パターンが再燃。

段々と、よくなっているけど
段々と、昔の嫌な出来事に対する怒りの感情と距離が取れているけど
前よりは、怒りの感情を感じながらも、その自分を見ている自分が育ってきている。

でも、昔のことがグルグルグルグル。

初心に戻って、今日はアファメーションしてみた。

過去は終わっています。
あなたが過去を持ちつづけない限り、過去は存在しません。
過去が力を持っているように思えたとしても、それはあなたが過去に力を与えているからに過ぎません。
過去は終わっています。

どんどんどんどん新しい瞬間がやってくる、やってきている。

過去は終わっている。
新しい私、新しい世界。
いつもいつも新しくなる。
出会ったことのない自分、世界。


私は、自分に愛されることを許します。
私のことを気にかけてくれる人がたくさんいます。

両親、妹、弟、甥っ子、姪っ子、友達のKさん、Uさん、Oさん、もう一人のKさん、そして元BF、鍼灸師のMさん、他にもたくさん。
たくさんの人が私のことを気にかけてくれている。
私は、自分に愛されること、人から愛情を受け取ることを許可します。


2007年05月25日(金) 男女差別

いかん、いかん、失恋してから、ものすごく男女差別に過敏になっている。
頭の中、そのことだらけ。
それをものさしにしか、周りが見えなくなっている。
絶望している。
男性への怒りに、自分が乗っ取られそう。

昔の怒りまくっていた私に後戻りしそう。

誰かを責めても、抑圧はなくならない。
男性を責めても、男性は変わらない。
男女差別は変わらない。
怒る女はヒステリー女と世の中から排除される。

フェミニスト=怒りまくって、男性を責める、化粧もおしゃれもしない、髪振り乱した、ヒステリー女
というイメージがまさにそれ。
社会がフェミニストに与えた固定像。

人は怒られたり、責められたりすると、恐怖で自分を閉じる、自分を守るために自分を閉じる。
耳も目も閉じて、自分を守ろうとする。
怒っている人が、何を言おうとしているかは全く通じない。
ただ、この人怖い人、危険、離れようと思うだけ。

人を責めるんじゃなくて、お互いのパターンや欠点を許しあって生きていける、そんな関係を作っていく。
これが理想。
なかなか難しいけどね。

男女差別と正面切って、戦わない。
軽やかにしなやかに、乗り切っていく。

「女はみんな、この社会で売春しているのよ。」
「じゃあ、先生も売春してるんですか?」
「ちょっとだけね。」

「私は、この男女差別の抑圧をひっくり返してやりたいんです。」
「それは無理よ。アリがジャイアント馬場にキックするようなものよ。男女が許しあって、生きていく、そんな感じかしらね。」

この世は抑圧だらけ、人間は不完全で欠点だらけ、そんな中を肩に力をいれず、小さい生き物になって、ふんわり生きていく。


2007年05月24日(木) 人生や人に対する重さ軽さは人それぞれ

最近、囚われている男の子D君(よく遅刻する子)のことを考えて気づいたこと。
重さ軽さは人によって違うということ。

私には、遅刻するっていうのはすごく重いこと。
人にすごく気を遣う、人の気持ちに沿おうとするタイプの私には、遅刻することは重い。
人に迷惑をかけて、すごく申し訳ない、と思うし、それをしたくないから、遅刻しないように自分にすごくプレッシャーをかけている。

でも、D君やZさんにとっては、たいして重くないこと。
自分は遅刻する、時間が守れない人間。
そうです、ごめんなさい。
終わり。
ただ、それだけのこと。

迷惑かけて申し訳ないとか、相手に嫌われるかなとか、そこまで考えない。

パフォーマンスの練習に一人遅れてくるD君。
演出家や他のメンバーに「遅い」「サイテー」となじられる。
でも、D君にとっては、そんなことは馬耳東風。
どこ吹く風。
別に悪いと思ってない。
怒る私は怖いけど、それもスルー。
考えない、気にしない、通り過ぎるのを待つだけ。
人は人、自分は自分。
D君の世界にも、Zさんの世界にも、他人が存在するスペースはあまりない。
MYワールド。
自分の世界はほぼ自分だけ。
なんで、そんなにbetyさんは人のこと気にするのかな、変なの。
気にし過ぎ、重いー
人は人、自分は自分。
人生、今が楽しければいいや。
深く考えない、考えない。
嫌なことに対しては、自分を閉じて、目をつぶってスルースルー。

ま、軽いというか、何にも考えてないというか、

私とは、全くタイプが違うってこと。
2人から見れば、私はクソ真面目で重い人なんだろうな。

で、思ったのは、そういう人にあまりエネルギーを使っても仕方ないってこと。
どうして、D君はいつも遅刻するんだろうって、考えたり、責めたりしても仕方ないってこと。

だって、向こうはそんなに真剣に考えて、生きてないんだから。
今が楽しけりゃいいんだから。
真剣に向き合おうとする私は、ただ滑稽なだけ。

世の中にはいろんな人がいる。

私みたいに、クソ真面目、いつも一生懸命、一生懸命以外できませんって人もいるし、逆にD君やZさんみたいに今さえよければ、それでよし、人生はケセラセラって人もいる。
何が正しいとか、こうあるべきとかは全くない。
それぞれが違うだけ。

ただ、やっぱり相手と自分をよく知って、自分を守らないとね。
私は、D君やZさんみたいな人と付き合う時、空回りしやすいから。
いつもの私のペースで、誠実に一生懸命付き合おうとすると、こっちが傷つくし、疲れる。
この人に、誠実さや一生懸命は通じない、共感的態度は求めない、期待しない、この人は自分以外ほとんど見てない。
今がよければ、それでいい、先のことはケセラセラ。

温度差に傷つくのは私。

私が正しいわけでなく、相手が正しいわけでなく、ただ生き方が違うだけ、タイプが違うだけ、競争したり、相手を変えようとしたりするのは、エネルギーの無駄遣い。

相手の重さ軽さ、温度を読むのが大事と気付いた日。


2007年05月22日(火) 女性のことを認めて、かつ威張らない男もいる

昨日はカウンセリング。

元BFに振られたことについて、いろいろ話す。

思いつくままに話したことやカウンセラーからのアドバイスを箇条書きすると

・この失恋で性差別について、さらに学んだ。
 あまり気付きたくないことに、たくさん気付いてしまった。
 私にとって、手痛い経験だったが、それゆえに多くのことを学んだ。

・元BFレベルの男性なら、たくさんいる。
 また、好きな人ができる。
 デートやセックスがないからこそ、距離があったからこそ、あれだけ純粋な夢が見れた。

・そんなに簡単に好きだった気持ちは変えることができないから、他に好きな人ができるまでは、元BFを好きでいていい。

・元BFのことを忘れないでね。

・元BFにありがとう、というメールを出したという話を聞いて、カウンセラーが
「BFさんもbetyさんにありがとう、ってことがたくさんあると思うわ、BFさんもbetyさんに励まされてきたと思うわ、好きだった、ありがとう、ってBFさんも言ってくれたらいいのにね。」
「男性って、本当に、どうしてかわからないけど、気持ちをなかなか言えないのよね。
 何か、硬直しているというか、しなやかさがないのよね。」

・元BFの兄弟はほぼ4人連続、年子、ってことを話したら、
「きっと、お母さん避妊できなかったんじゃないかしらね。」
「だって、4人も連続して生んで育てるのなんて、大変じゃない。」

・一人の人とずっと一緒にいなくていいじゃない。
 何年か一緒にいて、ぬくもりをもらって、癒されて、それを繰り返していけばいいじゃない。

・あるフェミニストの言葉を私が引用した
「お互い許しあって、男性と付き合っていくのよ。」
「女はみんな売春している。そうしないと生きれない。
 (すると、それを聞いた人がじゃあ、あなたも売春してるのか?と聞くと)
 ちょっとだけね。」

「今、その言葉に希望を見るんだ。そんな風に、軽やかに性差別の抑圧を乗り切っていけばいいのかなって思ってる。
 元BFにやっぱり戻ってきて欲しい。
 そして、お互いの幻想を小さくしあって、許しあって関係を作っていく、それが今の私の夢。
 夢がないと生きられないからね。」

・元BFにやっぱり戻ってきて欲しい。
 せめて、自分の弱さを認めるくらいの強さを持って欲しい。
 それくらいは強くなって、強くなったBFと付き合いたい。
自分がそう思っていることを言語化できた。

・元BFが心変わりした相手・椿さんが素敵な人でよかったわね。
そういうの、女性同士の連帯っていうわね。


そして、一番心に残ったのはこの言葉。

「いるわよ。少ないけど、女性のことを認めて、威張らない男は。
 会えるといいわね。」

本当、会えるといいな。
そして、そういう人と依存しあわない、ぬくもりあうような関係を作りたい。


2007年05月21日(月) 白黒思考しないで許しあう

パフォーマンスの仲間で、いつも練習に遅れてくる人がいる。

昨日も30分以上遅れてきた。
演出家に遅いよ!と言われる彼。
彼は謝りもせず、台本が無くてと言い訳する。
他の人からも「いきなり言い訳かよ!」とか、「サイテー」など責められる彼。
私も、「サイテーって言われてるよ。もっと言ってやって。」などと言う。
でも、彼は謝らない。
「あー台本どこ行ったのかなー」なんて言っている。

ムカツク。
大学を出て、就職もせず、ぶらぶらしている彼。
私が練習の休み時間におやつを食べていると、「ください」と寄ってくる彼。
パフォーマンスの才能がすごくある彼。
センスのいい彼。

クソ真面目な私と正反対の彼。

ムカツク。

私が演出家と話していて、話している内に私があることを勘違いしていたことが明らかになる。
演出家が軽く冗談めいて「なんだよー」と言う。
彼だけが笑う。
「受けすぎだよ」と言う私。

彼のことをものすごく責めたくなる。
今日の午前中も、衝動的にマイミクを切りたくなってしまった。

白黒思考にはまりそうになる。
彼がいいかげんで、全く周りの人のことを考えない、どうしようもない奴に思える。
彼が私の中で真っ黒い人になる。
そして、彼に怒っている自分を人に見せちゃいけない、見せると人から嫌われると思う。
怒っている自分を許せない、受け入れることができない。
人に見せるのが怖い。

でも、この間の舞台では演出家に見破られていた。
「怒るんなら、はっきり怒れ、そうじゃないとおばさんになる。」
って言われた。
そんで、もらったアイディアが怒りまくる女王様。
はは(笑
舞台は大成功。
私の女王様キャラは大成功。

あーあ、私にとって怒りという感情を上手く扱うことは、本当に難しい。
小さい頃は怒り=暴力だったから、怒ること=人を傷つけること、悪いことっていう思い込みがある。

で、我慢して、我慢して、突然爆発。
その人との関係をぶっつり切っちゃう。
Zさんの時みたいに。

その繰り返し。

自分の怒りが怖い。
白黒思考。
自分の中に、いい私と悪い私。白い私と黒い私がいる。
いると思っている。
実際は、そんなにはっきり白黒割り切れないのにね。
完全にいい人も、完全に悪い人もいないのにね。

遅刻常習犯の彼にもいいところはある。
私だって、遅刻する時はある。

白黒はっきり割り切れないのが人間。

でも、彼が私の勘違いを一人だけ笑ったのを思い出すと、マジ腹が立つ。
いつも彼を怒っている私が、勘違いを演出家に「なんだよー」と言われたのが、きっといい気味だったのかな?なんて、想像したりして。
すると、途端に彼との距離が近くなって、彼にやられた、彼に負けた気がして、腹が立つ。

超極端思考。

(彼と距離の近い私)
彼に馬鹿にされた、負けた、悔しい!

(彼を人間じゃない、でくの坊だと思う私)
別に、彼は何も考えてないし、感じてないんでしょ。

この二つを行ったり来たりする。
あーあ、疲れる。
この往復運動。
この揺れ。

でも、こういう揺れは私だけが経験しているものじゃないらしい。
程度の差はあれ、こういう揺れを持ち堪えている人は結構いる。

例えば、元BFの心変わりの相手・椿さん。
彼女のブログを読むと、心の中ではいろいろ揺れているけど、そういう自分をヨガをすることによって支えようとしてるんだな、って感じる。
そして、その姿を見て、私は救われる。

椿さんの他にも、たくさんいる。
揺れている自分をなんとか支えようとしている人。
気分を垂れ流しにせず、自分で自分を支えようとしている人。

その姿に私は救われる、支えられる。

白黒思考じゃなく、灰色(いろんな段階があるって意味の灰色ね)思考で、お互い許しあうってところでやっていけたらな。

もう、関係を切りたくないな。
べったりもしたくないし、ぶっつりもしたくない。
中庸で、つかず離れず、近くなったかなと思えば離れ、離れたかなと思えば少し近づき、揺れながら、人と関係を作っていきたい。




私の癖、傾向

人と関わろうとするところ
よくも悪くも関わろうとする。

彼の遅刻癖を自分に引き寄せて考える。
パフォーマンス仲間で、彼の遅刻にここまで反応しているのは私だけだろう。
私が一番反応している、怒っている。
まあ、同じチームだってこともあるけど。

人は変えられない。
自分は変えられる。
まず、彼の遅刻癖に反応している自分を認める。

彼の遅刻癖は、私にはどうにもできないこと。
私のせいでないこと。
彼の問題。
彼の遅刻癖は、全くの彼の問題。
私の問題では全く無い。

私は私一人分の人生しか生きることができない。
彼の人生は背負えない。

何回も自分に言う。


2007年05月18日(金) 世界は白黒で割り切れないことばかり

今日はいい天気。

ヨガの練習も気持ちよくできた。

6時に目覚ましをかけているけど、眠くてなかなか起きられず。
どうしても6時半くらいにしか起きれない。

ヨガの練習は40分くらいで諦めて、お化粧を丁寧にして、服もゆっくり選んで、家を出る。
(昨日、会社に10分ほど遅刻しちゃったからねー)

大げさだけど、自分の限界を知るというのは大事と思った。
昨日なんて風邪っぽかったから、10時前に寝たけど、やっぱり6時に起きるのはきついし、ヨガ練習1時間はしたいけど、そうするとお化粧したり、お弁当の用意をする時間が足りなくなるし、、、
私が起きることのできる時間は早くて6時半。
お化粧もある程度はしたい(仕事行くのに仮面をかぶるのは必要だし、大事)、お昼も自分で用意したものを食べたい(といっても、お惣菜を近くの店で買い足すんだけど)。

だから、ヨガは40分くらいで諦める。
本当はもっと練習したいけど、諦める。
でも、その分今この瞬間にいることを大事にして、集中して丁寧にやる。

練習を続けていると、睡眠が深くなって、朝にも強くなるそうだ。
(私はかなりの低血圧、上が100切るくらいの、だから朝の起床は本当苦手。)

無理しない、できない自分を受け入れる。

今日、元BFのブログを見る。
ライブのリハ中の写真をアップしている。
楽しそうな笑顔。
あーやっぱり男前だな、このゴリラ顔が好きだったな、この彫りの深い顔がぐしゃっと思い切り崩れる、あの笑顔が好きだったな、なんて感傷にひたる。

彼の楽しそうな笑顔を見て、
「あーあ、この人は本当に私から逃げたんだ。
 私と育ててきた関係を、恐怖から否定したんだ。」と思った。
そして、
「彼には、私は真面目すぎて、重い女だったんだろうな。
 恋愛の相手としては、対等すぎたんだろうな。」と思った。

小倉千加子さんの「結婚の条件」という本に、
「面白い女はもてない」
というのがあった。
それを思い出した。

私は彼にとって、
「パフォーマンスに真剣に取り組み、自分の頭で物を考え、自分で稼ぐ、女らしくない女。(この場合の女とは、従順で男より弱い存在と言う意味)」
だったのだろう。

男に守られたいが、自分の力を思い切り発揮したい。
この願望は満たされない。
でも、夢は捨てることができない。

この世は白黒で割り切れないことばかり。
願望が100%満たされることはない。
でも、0%でもない。
ちょっともらって、ちょっと諦めて、ゆらゆら揺れて生きていく。

元BF、最後は逃げたけど、でも途中でたくさんくれた。
本当に優しくて、誠実でいい人だった。
弱いけど、いい人だった。


2007年05月15日(火) 社員旅行

今朝、先輩から社員旅行に行くことが決定したと告げられる。
行先も日程も既に決定しているそう。

聞いた途端、お腹が痛くなる。
絶望。

社員が5人程度の小さな会社。
行かないわけには行かない。
そして、楽しいふりをしなければならない。

プチ金正日。
私が心の中で上司につけたあだ名。
彼は社長の息子。

入院中でも、会社の経費として、10万円以上の領収書を持ってくる彼。
自分の家のガーデニング代8万円、ファミレスの領収書、タクシー代etc。
経営者ならそれが当り前?
会社のお金は自分のお金?

もういい。
きちんとお給料さえもらえるなら、会社が潰れないなら、好きにしてくれ。というか、これだけの力の格差があったら、諦めるしかない。
と思ってきた。

でも、休みの日にまで、会社の行事に付き合わせることは止めてくれ。

あんたは、自分が部下から好かれていると思っているようだが、全く逆。
普段の行動、言動から軽蔑されているよ。

それを否認する、それがわからないのは仕方ない。
でも、休みの日まで、心の労働を強いるのは止めてくれ。
みんな、あんたが上司だから、権力を持っているから、仕方なく、あわせてるんだよ。
すごい自分を偽って、仕事だと割り切って、あんたの不正を見て見ぬ振りをして、頑張って接してるんだよ。
あんたと接するのは、本当に疲れるんだよ。
心の労働をものすごくしてるんだよ。

それに気づかないあんた。
心から自分は部下に慕われていると思っているあんた。
おめでたい。

それでも、お金のため、頑張ってきたけど、休日までそれをしなきゃいけないのか、と思うと、本当にうんざり。
絶望。

あーあ、辛すぎる。
もう、乖離しちゃお。


2007年05月14日(月) もう今日は。。。

なんか、イライラ、ソワソワして、、、

頭の中、否定想念がグルグルしてる。

仕事に集中できない。

昔、鍼灸師に「そういう時は乖離して」と言われたことを思い出す。

乖離って、病気の一つの症状で、悪いものと思っていたけど、そんな考えもあるんだなと思った。

あるWSで、講師が
「人生、少しはごまかさなきゃ、そうじゃないと辛すぎて生きていけないよ。」と言ったことも思い出した。

真正面から向き合うことも大事だけど、そうそういつもはやってられない。
あんまりにも、現実は辛すぎて。

たまには、ごまかしつつ、乖離しつつ、生きていきまっしょ。

社会は、世間は、抑圧だらけ、不正だらけ。

でも、そのすべてが変わらないと幸せになれない、そのすべてを変えないといけない、なんて思うと大変すぎる、生きることが重過ぎる。

砂浜の一粒の砂、大海の一しずくの、小さい小さい自分のままで、ゆっくり今をただよいましょう。

小さい小さい小さい私。
生まれてきたことも死ぬことも、自分ではままならない、小さい私。


2007年05月11日(金) 揺れる

今日は、ヨガの練習を気持ちよくできた。
ヨガの練習には、その時の自分の心の状態がでる。

私のやっているヨガはシャバアサナは最後に一度だけ。
呼吸を止めずに、呼吸に合わせて、アサナを連続してやっていく、ハタヨガの一流派のヨガ。

だから、イライラしてたり、心が落ち着かなかったりすると、途端に動きも呼吸も乱れる。
心と体は本当ひとつだなと思う。

今日は、涼しかったせいもあるのか、なんか集中して練習できた。

いい気持ち。

昨日、何年も前にベストセラーになった「負け犬の遠吠え」を読んでいて、「負け犬と純粋」という章を読んで笑ってしまった。
私は三十代半ばのまさに負け犬女なんだけど、この「負け犬と純粋」という指摘がドンピシャ。

恋愛に純粋さを求めすぎる。
一生愛し合える人としかセックスしない。
「だって、私普通に幸せになりたいだけだもん」と負け犬は言うが、「その普通の幸せがどんなに難しいものか、わかってんのか!」。
などなど、いちいち自分に当てはまって、声を立てて、笑ってしまった。



本当やね。

私は、純粋を求めるから、元BFを好きになり、3年以上セックスはおろか、デートもほとんどない関係を続けたんだな。
あの距離だったから、元BFの嫌なところは目に入らずに済んだし、夢が見れた。

元BFと関係を育ててきた3年。
私は、彼をすごく美化?していた。
美化という言葉が正確かどうかはわからないけど、とにかく彼のいいところばかり見て、悪いところは全く見えなかった。

失恋するまでの彼に対するイメージは、優しくて、照れ屋で、人を頭ごなしに否定しないで、人との違いを尊重してくれて、純粋に音楽に打ち込んでいて、私をありのままに受けとめてくれる人というもの。
はは、今振り返るとすごいなー
生身の人間に、それも週1、2回は会っていた人間(二人きりじゃなく、サークルの練習でね)に、ここまでいいイメージを持てるなんて、、、
本当にいい夢を見させてもらったな。

振られてわかったのは、彼の弱さ。
私が彼に電話を何回かかけて、友達関係から距離を縮めようとした途端、彼はよそよそしくなった。
電話して話した時は、彼は受けとめてくれたんだけど、私の知らない彼の心の中で、きっと揺れてたんだろうな。

私が電話をかけてきてうれしいっていう気持ちと、私が近づいてきて怖い、重いって気持ちの間を揺れてたんじゃないかな。

そして、最後の最後は今までの関係を冷たく否定して、他人行儀に距離を取った。

弱い人。優しさと弱さは表裏一体だった。

彼は今、両親と住んでいる。
都内近郊にある、大きな一軒家。
サークルの練習で彼の家をよく使わせてもらったけど、すごくいいお家。
床暖房も入っていて、窓は自動シャッターがついていて、リビングは20人くらい座れる。
お母さんは美人で、優しくて、お料理が上手で、練習にやってきた私に、
「いつもありがとうございます」と頭を下げて挨拶してくれる。
時には、おやつを作っておいてくれたりも。


これも彼に振られた今考えると、すごいことだよね。
30代半ばのミュージシャンの男。
それも、全くメジャーな分野の音楽でなくて、相当マイナーな分野で、小さいライブハウスでコツコツやっていて、収入もあんまりなくて、そんな息子を大事に大事に小言も言わず、支えてくれる両親。
まるで、奇跡のようなご家庭。
こんな家があるんだね。

ほとんどの人は生活のためにお金を稼がないといけない、そのために時間とエネルギーを費やしている、そして、その中で社会・世間に自分を合わせる、自分を変える。
でも、元BFはそういうお金持ちで優しい理解あるご両親がいるから、そういう家庭に支えてもらっているから、それをしなくていい。
そういう環境があってこその、人への優しさ、包容力なんだよね。


私は、母親に受けとめてもらうっていう経験をほとんどせずに育ったから、ああいうBFの家庭が羨ましかった。
そして、BFに恋愛感情を持ったのは、自分があんな家に生まれて育ちたかったという願望の現れだった。

そして、確かにもらった。
元BFから、確かに暖かいものをもらった。
恋愛関係は無理だったけど、確かにもらった。

最後は悲しい終わり方だったけど、彼の弱さが前面に出た終わり方だったけど、でもその過程では幸せだった。
あんな純粋な関係が持てて、あんな純粋な夢が見れて幸せだった。









今、頭の中にいろんな考え、気持ちがある。


今度、男の人を好きになる時は、ここまで純粋な夢を見ないようにしよう、とか
今度、付き合う人は一人暮らし歴の長い人にしよう、とか
私は本当に純粋な夢を見すぎてたんだな、とか
元BFは、意地悪な目で見れば、坊ちゃん、甘やかされた長男、自分がいかに恵まれているかってことに鈍感な人、今の自分があるのは、今自分が音楽活動をあんな風に気ままにできるのは、ご両親がいるから、守ってくれるから、全部自分の実力と思うなよ、とか
あーあ、やっぱりBFに戻ってきて欲しい、今度はそんなに夢を見ないから、そんな純粋関係を求めないから、とか
BFに今度会った時、冷たくされたら辛いな、とか
逆に、今度BFに会った時自分はどんな態度とるんだろう、とか
今まで通り、仲良くできないかな、とか
無理かな、とか
心変わりの相手と彼はどうなるんだろう、とか

もう、いろいろ。



今は、そういう自分を自分で受けとめて、体の感覚を大事にして、体が気持ちいいことをする。





音楽に関して、男と張り合っていたことに気づいてよかった。
なんか、人に認められるためのパフォーマンスになっていた。
早くいいパフォーマーになりたい、早く一人前になりたいと焦っていた。


でも、今回の失恋で、まずは自分が気持ちよく生活していくことを大事にしようと思った。
音楽・パフォーマンスは、生活を豊かにしてくれるもの、人に認められるためのものじゃないことに気づいた。
音楽・パフォーマンスの分野でも、男になろうとしていた。
それはしなくていいことに気づいた。

まずは、私が楽しむこと、それが大事。











追記
私、彼のお母さん好きだったな。
夢みたいなお母さんだった。
優しくて、きれいで、包容力があって、、、
でも、自分があって、子どもに依存してなくて、、、
あのお母さんに会えただけでもよかった。
癒された。

彼の心変わりの相手のヨガの先生もすごく素敵な人。
彼を通じて、彼女に近づけてよかった。


元BFは弱い奴だけど、女を見る目だけはある。
よかった。
彼を通じて、素敵な女性に二人も会えてよかった。


2007年05月10日(木) やっちゃった〜電車の中でにらみ合い

生理前だからか、なんかイライラしてる。
毎日の日課のヨガも、全然集中できず、、、
ポーズの順番を間違えたり、途中で止まったり。
呼吸も浅い。乱れる。

そして、通勤電車の中で、そんなに混んでないのに、グイグイ押してくる人がいて、思い切りにらんでしまった。
(つり革が空いたので、掴まろうとしたら、その人もそう思ったらしく、彼女の肩にかけたカバンがグイグイ私に当たってきた。)
向こうも負けずににらみ返してくる。
その人から離れる私、振り向くとまだその人は私をにらんでいる、私も引っ込みがつかず、にらみ返す。
にらみ合うこと、10秒ほど。
まあ、最後は私から引いたけど。

あーあ、嫌な気分。
自己嫌悪。
その人を責める気持ち。
朝の電車の中って、私が一日で一番イライラしてる時。
これから仕事だ、と思って、憂鬱でイライラしてる。
だから、余裕が無い。
で、こんなことが起こる。

あーあ、嫌な気分。

私って本当小さい。

あーあ、何回も私をにらみつけた、眉間に皺のよったあの女性の顔を思い出す。
あの彼女の表情は、私の鏡。
私も同じような表情をしていたのだろう。

私って、本当人の感情、行動に反応しやすい。






まあ、ドンマイ、ドンマイ。
自分を責めずに行きましょ。
ダメな自分を責めないで。
ダメな自分を受け入れる。認める。

常に、心は揺れている。

私ってダメね、と笑い飛ばす。


2007年05月09日(水) 失恋1か月目

食欲はほぼ回復。
まだ、一人前は食べられないけど、かなりお腹が減るようになった。
食べ物がおいしく感じられるようになった。

肉や魚、油をたくさん使った料理は、消化にエネルギーが要るので、食べられないし、食べたくもないけど、果物や玄米・胚芽米、野菜を中心に食事している。
段々、太ってきた。
まあ、失恋したばかりのころにすごく痩せたからね。

もうこれ以上は体重が増えないように気をつける。
今、お腹が出る寸前だからねー

それから、ヨガを毎日練習しているので、少しずつ体に筋肉がついてきた。
太ももの前や、二の腕に筋肉がついてきた。
うれしい。

私がやっているのは、パワーヨガの原型になったヨガで、かなりハード。
呼吸に合わせて、1時間以上動き続けるヨガ。
フーフー言いながらやっている。

体を動かしてないと、落ち込むばかりだからね。
体に助けられてる。



気持ち的には、やっぱりまだ呆然としてる。
付き合ってはないけど、3年以上彼との関係を育ててきたと思ってたし、二人の間にはいつも暖かい注目と空気が流れていたから、それが急に無くなって、ただただ呆然。
最後の彼の冷たい声と、今までの関係を否定する言葉。
思い出すと辛いし、いまだに信じられない気がする。

彼の心変わりの相手の女性を知れば知るほど、好きになってる。
ヨガの先生椿さん(仮名)、本当に素敵な人。
すごく正直で、純粋で、真正面からヨガに打ち込んでる。
ヨガの先生を週5日して、ヨガスタジオの近所でアパート借りて一人暮らしして、毎朝4時に起きて、自分の練習をスタジオで何時間もして、、、
彼女をブログを読んでいるけど、そこから本当にヨガに打ち込んでいること、自分に真摯に向き合っていることが伝わってくる。

本当に素敵な人。
彼の心変わりの相手が彼女でよかった。
そして、失恋を通じて、椿さんに近づけてよかった。


女が強くなればなるほど、男は離れていく。
男に守られるためには、弱くないといけない。
自分があったらいけない。

彼との恋愛で知ってしまったこと。

私の中の守られたいという願望と、自己実現したい、自分の力を思い切り発揮したいという願望。
両方一緒には満たされない。

私は、彼にすごく受け止めてもらってきたので、それが無くなって、途方にくれている。
本当に、彼に支えられてたんだな。
そして、彼に大きな幻想を抱いていた。
いつもあったかくて、私を受け止めてくれる人という幻想。
そう、お母さんの投影。

でも、彼はお母さんじゃなかった。
普通の大人の男性。

彼は、フェミで下ネタを言い、大声で笑い、はっきり自己主張する私を恋人としては受け止めなかった。


私がもっと女らしい女だったら。
もっと控え目な自己主張しない、男についていくような女だったら。
彼が受けとめてくれただろうか。。。

なんか、そのためになら変わってもいいとさえ思ってしまう。

でも、私は性差別にすごく怒っている。
私はもう二度と、女だからといって、差別されたくない。
女だからといって、抑圧されたくない。

でも、この社会に生きてる限り、それは無理。
どこに行ってもある、性差別。

男のようになりたいわけじゃない。
男と競争したくはない。
誰かを糾弾したいわけじゃない。

周りと調和して生きていきたい。
周りの人と繋がって生きていきたい。
男の人といい関係を作りたい。
子どももできれば欲しい。
でも、女だからといって、役割に縛られた小さい人生は生きたくない。

どうしたらいいだろうね。

私と彼との間に起こったことの背景には、こんな大きなものがある。



彼と椿さん、上手く行ってない感じ。
椿さん、多分他に付き合っている人がいる。
彼のこと、友達としてしか見てない。
彼のブログを読むと、数日前、最近うっぷんが溜まっていると書いてあった。


振られたんじゃないかなー


30半ばで親の家に住み、お母さんに身の回りのことをやってもらいつつ、音楽に打ち込む彼と、東京に親はいるけど、経済的に自立して、ヨガに打ち込む椿さん。
彼は、私を捨て、もっと可愛い女がいいと椿さんを好きになった。
でも、椿さん可愛いのは表面だけで、私よりもっと強い女だった。
彼の読み違い。
笑ってしまう。

私は彼を強い男と見誤り、彼は椿さんをか弱い女と見誤り、お互い見誤った二人。
似ている(笑

あーあ、やっぱり彼に帰ってきて欲しい。
椿さんに振られたんなら、私のところに帰ってきてやり直したい。
今度は、幻想をもう少し小さくするから。


そうそう、振られて、気が付いたこと。
私の声を使った表現に対する姿勢には、ちょっと無理があったってこと。
なんか、一生懸命プロミュージシャンとして音楽に打ち込む彼と対等になろうとして、上手くなろう、認められようとしていた。
認められようとするがあまり、強迫的だった。
楽しんでなかった。

今回振られたことで、音楽は私にとって、人生を豊かにしてくれるもの。
人とのつながりの中にあるもの。
ということに気づいた。

狭い部屋の中で一人で声を出して、自己満足するのは嫌。
誰かと競争して、勝った負けたとやるのも嫌。
他者の存在を感じつつ、表現したい。


失恋、辛いし、すごく傷ついたけど、たくさんのものを得た。


2007年05月07日(月) 受け入れられたいけど、思い切り力を発揮したい

私の中に、自分を守ってくれる男性が欲しいという気持ちがある。
この人だけは、どんな時だって、私の味方でいてくれる、私のことを見ていてくれるって確信できる人が欲しい。

経済的なことには、こだわらない。
プレゼントも欲しくない、食事はいつも割りカンでいい。
でも、心だけは、いつも私の味方でいて欲しい。

私のことを女だっていうことで、差別しないで欲しい、見下さないで欲しい、女だからああしろ、こうしろと言わないで欲しい。

私が、仕事やパフォーマンスで、力を発揮していくことを見守って、応援して欲しい。

下ネタを言ったり、セックスの話をあけっぴろげにしたりする私を否定しないで、受け止めて欲しい。
男性より低い、怪獣みたいな声を舞台で出す私を受け止めて欲しい。
(ああー、今一緒に舞台に立った男性に女捨てた声だなと言われたのを思い出して、嫌な気分。一緒に舞台に立っていても、女は女、どんな表現をするかどうかより、女らしくあることが大事。)

その願望、欲求を満たしてくれると思った人が元BFだった。
10年武道やっていたから、肩幅が広くて、胸板が厚い体型。
低めのしゃがれた声。
鼻筋が通った、整った顔立ち。
笑い上戸で、照れ屋で、優しくて、自分と違う人を頭ごなしに否定しないで、距離を置いたところで、見守ってくれて、私が下ネタ言っても、ドン引きしないで、笑ってくれて。

私をありのままに受け止めて、でもいつも味方でいてくれて、受け止めてくれる人だと思った。


実際、この3年以上、たくさん受け止めてもらった。
でも、それは恋人関係じゃない時の話。
私が恋人関係になりたいと、少し出た途端、彼は逃げた。
今まで、積み重ねてきた関係をあっさり、冷たく否定して、逃げた。

受け止めてもらえると思ったと言うと、カウンセラーに甘かったねと言われた。
そして、元BFの女性を見下すところを見ないようにしていたことに気づいた。

私は絶望した。
そういう人はいないんだ、この先いないんだと思ったら、絶望した。

カウンセラーに、「人生は諦めの連続なのかね。」と泣きながら言うと、
「諦めというか、すべてをくれる人はいないってことね。でも、betyさん、元BFさんから確かにもらっていたと思うわ。betyさんがこんなに丸くなったのも。彼からたくさんもらったからよ。」
と言われた。

私が女のポジション(彼より下で、彼より能力がなく、未熟で、彼に従うポジション)にいなくても、私を受け止めてくれる人が欲しかった。
でも、カウンセラー曰く、そんな男はいないらしい。
最初、自分がまだ彼より能力がないうちは、受け止めてくれても、betyさんが能力をつけると、男は逃げていくと。
でも、それを5、6回繰り返せば、60代になって、もう恋愛はいいわってなるわよ、とも。

カウンセラーの、その言葉、言った内容をまだ受け入れられない私。
やっぱり欲しい。
ステディな人が欲しい。
でも、威張る男はいらない。

弱いふりはできない。

あーあ、どうやって生きていけばいいのやら。

守られたい自分と、女のポジションにいたくない自分がいて、その二人に引き裂かれそう。


カウンセラーは、「そんなに急いで、彼を諦めなくていいと思うわ。諦め切れないうちは、夢を持っていてもいいし。betyさんは、いつも体の声を大事にして生きてきたから、今回も体に従うといいわよ。」と言った。

なんか、それで気が楽になった。

今は、頭であんまり考えず、ヨガばっかしてる。
ヨガすると気持ちいいし、ご飯はおいしく食べれるし、よく眠れるし、、、
会社のない日は、ヨガして、自分がおいしいと感じるものを食べて、余った時間はボーっとしたり、本読んだり、そんでもって、夜になると寝る。
そんな生活。
GWはそうして過ごしてた。

今はそれでいい。
そうやって、毎日淡々と生きていればいい。

仕事以外では、あんまり頭を使わないようにする。
体の欲求を大事にする。

ただ生きてるだけでいい。


2007年05月01日(火) いい夢を見た

土曜日はカウンセリング。

カウンセラーと話して、私は元BFにお母さんを投影していたと気づく。

私は欲しかった。
暖かい胸に抱擁され、受け止められ、守られたかった。

でも、元BFは私が関係を深めようとした途端、逃げた。

カウンセラーが元BFを
「弱いね。」という、その後
「でも、男ってみんな弱いのよ。」とも。

人間が男になるには、男になって、男の利権を得るには、バカになるしかない。
この社会で、男であるということは、バカになること。
だからこそ、男はみんな弱い。

私が力をつけた。
元BFと関係を深めようと思って、近づいていった。
そしたら、逃げた。

そこには、フェミの深い問題がある。

女が力をつければ、つけるほど、男は逃げていく。
男は女に自分より下であること、力が能力がないことを求める。
対等な関係は男と女の間には成立しない。


私と元BFの間にもそういうことが起こった。

カウンセラーとその話をして、深い絶望を感じた。

私は欲しかった。
元BFから欲しかった。
母にもらえなかった承認、庇護が欲しかった。

でも、逃げた。

だけど、元BFを責めることはできない。

元BFにそんなにも求めるのは無理な話。
100%、欲しいものをくれる人はいない。

夢を見た。
3年以上夢を見た。

最後は、元BFは逃げてしまったけど、でもいい夢だった。
そして、ただの幻想だけではなく。
本当にたくさんのものをもらった。
セックスはなかったけど、デートも2回だけだったけど、そういうレベルを超えたものをたくさんもらった。

サークルの練習では、いつも私のことを気にかけてくれた。

とにかく、いつも私のことを気にかけて、見てくれていた。

そして、私を受け止めてくれた。

あと、彼のお母さんが好きだった。
彼のお母さんとは、数回ほんの少し会話を交わしただけだったけど、本当に無条件に人を受け入れてくれる人だった。
あんな女性に出会えて、あんなお母さんがいると知れて、本当によかった。


100%はもらえなかった。
最後は逃げていった。

でも、この3年以上、4年近く。
本当にたくさんの注目と受容をもらった。
本当に暖かった。
安心できた。

カウンセリングの終わった後、元BFにメールを送った。
元BFは私にとって、本当に暖かい、正直な気持ちのいい人だったこと。
すごく好きだったこと。
感謝していること。
元BFのお母さんに会えてよかったと思っていること。
私は元BFが思っているような強い女ではないこと。(ここは、こう言えば後日会った時、自分が楽できると思って書いた)
どこにいても、もう一生会うことがなくても(そんなことは絶対ないけど)元BFが元気でいて、幸せでいることを祈っていること。


一気に書いて、数時間おいて、見直して、送信した。
返事はない。
まあ、元BFは何にも言えないだろうな。

カウンセラーに最後に言われたこと。
「でも、元BFさんのすべてが弱いとか、すべてがバカだっていうわけじゃないのよ。いいところもたくさんあるし、実際もらったものもたくさんあるんだからね。それを忘れて、ただ怒りまくったら、前のbetyさんに戻ってしまうからね。」
と言われた。

本当、そうだね。

100%はない。
それは誰からもない。
お母さんの子宮の中じゃないんだから。
でも、ゼロでもない。

人間は夢を見ないと生きられない。
私はお母さんからもらえなかったものを埋めるという夢を、これからも見つづけるだろう。
そのたび、がっかりしたり、満たされたりするだろう。

それが生きるということ。

繰り返しになるけど、
元BFはくれた。
私は確かにもらった。
あの暖かさは本当だった。
ただ、100%はないってこと。



昨日は、ヨガ教室へ。
予定していた先生が風邪ということで、なんと代講で元BFの心変わりの相手・椿先生(仮名)!
ひょえー神様はおつなことするね。

すごく厳しい先生だった。
私ができてないところを、何回も指摘された。
指導にごまかしがなかった。

でも、何回もリラックスして、楽しんで、ヨガしてね、と伝えてくれる。

椿先生のクラスを受けて、自分が早くいいアサナ、きれいな動きがしたい、そして、人に認められたい、誉められたいと焦っていることに気づいた。
毎日一生懸命練習している、自分に酔っている、ひたっている自分に気づいた。

きつかったけど、指摘してもらってよかった。

椿先生は大地にドデーンと根ざしていて、でもすごくリラックスして生きることを楽しんでいて、本当に素敵な人だなと思った。
最後のシャバアサナの時、CDをかける代わりに椿先生自身が歌ってくれたんだけど、本当に素敵な歌声で、今思い出しても泣きそうになる。

低めの柔らかい、まあるい声。

私が、私が、という自己主張を超越した、周りと調和した歌声。
こんな風に歌う人を元BFが好きになるのは仕方ないと思った。

元BFのお母さんについで、素敵な女性に出会えてよかった。

元BFの周りには、素敵な女性がたくさんいる。
(だから、元BFはあんなに暖かい人だったのかな。)
そう思うと救われる。


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