≪(池田信夫ブログ 2013/5/28)≫より 2013年05月28日 22:25 自称「慰安婦」の矛盾だらけの証言 慰安婦問題には物的証拠は何もなく、彼女たちの「証言」が唯一の根拠だ。しかしNYタイムズの田渕記者などは、いまだに記者会見で橋下徹氏に「慰安婦が嘘つきだというんですか!」などと詰問しているので、彼女たちが嘘つきであることを証明しておこう。 橋下氏に面会するといって来日しながら、なぜか直前にキャンセルした金福童(87)と吉元玉(84)の2人は、大阪市内で開かれた集会には参加した。朝鮮新報によれば、「金福童さんはまず、14歳の時に軍需工場に連れて行くと騙され、南洋群島の戦場に慰安婦として送られた」という。彼女の証言は次のようなものだ。 最初、中国・広東の慰安所に入れられた。そこには陸軍司令部の本部があり、私たちは将校と軍医官に身体検査をされ、すでに用意してあった部屋に行かされた。日本政府は『自分たちがやったことではない』と言っているが、民間人がどうやって軍人相手のための慰安所を作ることができるのか まず彼女が最初に送られたのが南洋群島(パラオ・サイパンなど)なのか広東なのかという事実が、同じ記事の中で食い違っている。さらに金は「広東から香港、マレーシア、スマトラ、インドネシア、ジャワ、シンガポール…、前線地帯の戦地を日本軍と共に転々とした」という。日本軍の部隊でも、このように太平洋を数千kmも移動した将兵はなく、まして慰安婦がそれに随行することはありえない。 金は87歳というから、「14歳の時」というのは1939年か40年だ。そのころ朝鮮半島に徴用令は出ていないので、「軍需工場に連れて行くと騙した」のは民間人だろう。軍医が身体検査をするのは当然で、衛生管理のためである。「民間人が軍人相手のための慰安所を作る」のはもうけるためで、何の不思議もない。要するに、彼女は民間人にだまされて民間の慰安所で働いたと言っているのだ。どこにも「強制連行」は出てこない。 他方、沖縄タイムスによると、金は「アジア各地の前線を転々とし、8年間、慰安婦を強いられた」という。慰安婦になったのが1939年だったとしても、8年たったら1947年。そのころ日本軍は存在しない。各地の(民間の)売春宿を渡り歩いていたのではないか。 もう一人の吉元玉は、毎日新聞によれば「11歳だった1940年から旧日本軍の慰安所で兵士の相手をさせられた」という。11歳というのは小学5年生で、当時は初潮もなかっただろう。これは現在の年齢と辻褄を合わせるための嘘だと思われるが、集会でも慰安婦としての体験は具体的に何も話していない。 田渕記者の信じる慰安婦の「証言」は、みんなこんなものだ。このように二転三転し、歴史的事実と矛盾する「証言」をいくら集めても、証拠能力はゼロである。今回、彼らが橋下氏との面会をドタキャンしたのも、事前の市当局との話し合いの中で反対尋問に耐えられないと支援団体が判断したためだろう。慰安婦なるものはこういう詐欺師であり、橋下氏が謝罪するような相手ではない。
2013年05月26日(日) |
なかなかついて行けず |
よせばいいのに・・・ わけもわからずFBデビュー。
タイトルを変更します。 臆病者の神主です。
≪八重山日報より≫ 「日本を守る沖縄」へ 兼次 映利加 2013年5月 · 在京OL悲しみの日 進学のために那覇市から上京して、ちょうど10年が経ちました。ふるさとをとりまく環境は、わたしが沖縄に暮らしていた頃のそれとは全く異なるものになったと感じます。以前から問題であった米軍基地返還・移設問題、教科書採択問題、そして尖閣領海侵犯問題…。問題が解決しないうちに新たな問題が起こり、まさに山積状態です。 「なぜ、悲惨な地上戦を経験した沖縄に基地が必要なのか」 「なぜ、育鵬社の教科書が採択されたのか」 「なぜ、中国の領海侵犯に機敏に対応しなくてはならないのか」 これは県内外を問わず人々が抱く自然な疑問だと思います。かわいい我が子にこのような質問をなげかけられたときに、どれだけの大人がはっきりと答えることができるでしょうか。 それは、自分の身を守るためであり、自虐史観から脱し子どもの尊厳を守るためであり、父祖が築いたこの土地を守るためです。 社会生活において強盗事件が起こればわたしたちは警察を呼びます。しかし例えば沖縄の船が攻撃を受けたとき、あるいは島民が命の危機にさらされて自衛隊の助けが必要なとき、今の憲法では自衛隊を即座に出動させることはできません。実際にそのような事態に陥ったとき、わたしたちには解決の術がないのです。それは、大事な仲間や家族の危機を黙って傍観するしかないということを意味します。 沖縄は平和を愛する島ですが、自衛隊や基地をなくせば平和が訪れるのでしょうか。平和を重んじ、武力を持たなかったチベットという国は、1950年以降隣接する中国に侵攻され、たくさんの人が虐殺され、今なお弾圧は続いています。沖縄から基地を追い出し、自衛を放棄することは、新たな侵略の歴史を自ら招き入れるのと同じことです。 長い歴史のなかで、大和との統一やアメリカによる統治を経験した沖縄ですが、わたしたち県民はこの日本という国家の庇護と、アメリカの力に守られて、連綿と続いてきた祖先とのつながりを今日まで維持することができました。 一方チベットやウイグル(東トルキスタン)は、今まさに民族と文化がまるごと消滅の危機にあります。彼らが抱いているであろう、祖国を失う恐怖と喪失感をわたしたちはよく知っています。 それを鑑みたとき、先祖代々のウチナーンチュが現在も沖縄に平和に暮らしていられることは、当たり前のように思えますが、実はとても有り難いことだとわかります。このことに気づき、わたしたちは尊い使命を果たしていかなくてはいけません。 その使命とは、抑止力としての米軍基地受け入れであり、正しい歴史教育であり、他国の侵犯を断固許さないという姿勢です。 人々に愛されるわたしたちの故郷は、「守られる沖縄」から、「日本を守る沖縄」へと変化の時期を迎えているように思います。 (東京都)
なぜ今、憲法96条の改正なのか。 って、とにかく反対します派の人たち。 じゃあいつなの? それこそ「今でしょ!」 まあこの方たちは今でなくても将来も反対なんでしょうけど・・
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