|
|
■■■
■■
■ 四季
「生きていることが、どれだけ、私たちの重荷になっているか、どれだけ、自由を束縛しているか、わかっている?」 「生きていることが、自由を束縛している? それは、逆なんじゃない?」 「いいえ、生きなければならない、という思い込みが、人間の自由を奪っている根元です」 「でも、死んでしまったら、何もない。自由も何もないじゃないか」 「そう思う?」彼女は微笑んだ。 「だって、それは常識だろう?」 「常識だと思う?」 (森博嗣『四季 春』講談社、2004 )
「君はいったい何がしたいのかね?」 スワニィが押し殺した声で聞いた。 「私はただ、私の生を見たいだけ」 「生を見るとは、どういうことだ? 自分の人生ならば、誰でも見られると思うが」 「貴方が覗かれる顕微鏡の中に、貴方の生がありますか?」 「人間の神秘はあるよ」 「貴方の神秘は?」 スワニィは目を細め、難しい表情で止まった。 (『四季 冬』同上)
その問いに答えがないのは、わかっている。 生きてここに在ることは、大いなる矛盾だ。 だが、神にも等しい天才・真賀田四季は微笑んでいう。 その矛盾は綺麗だ、と。 「生き」ているという薄いガラスのような 足場の上に積み重ねられていく日々の出来事。 立っている場所はあまりにも脆弱で希薄で、奇跡的。 いつ崩れ去ってもおかしくはないというのに。 この、矛盾を多くの人はどうやってやりすごすのだろう。 例えば、世界があと5分後に消滅するとしても、不思議はないのだし、 同時に5分前に出現したのだとしても証明のしようはないのだ。 どちらでも違いは、ない。あってもわからない。 どちらであっても、なぜそうあるかのその理由も根拠もない。 ただ、終わらずに在る。
……いつか終わるだろうと思っての二十数年はさすがに長い。 それでもこの矛盾は綺麗なのでしょうか。
「永遠に対する希求でもなく 終わらないことに対してだけ そう、 終わらない。 絶対に終わらない でも
もう やめてよ ねえ?」 (岡崎京子「終わらない」『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』平凡社、2004)
2004年07月28日(水)
|
|
|