月に舞う桜
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★合計17冊 138. コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』 139. 江戸川乱歩『明智小五郎事件簿1』 140. 兼本浩祐『普通という異常 健常発達という病』 141. 湊かなえ『境遇』 142. 浅井春夫ほか編著『Q & A 多様な性・トランスジェンダー・包括的性教育』 143. 安部公房『第四間氷期』 144. エリック・ウィリアムズ『コロンブスからカストロまで(1)カリブ海域史1492-1969』 145. 翔田寛『知能犯』 146. 櫛木理宇『死蝋の匣』 147. 星野智幸『呪文』 148. 金子みすゞ『雨のあと』 149. 櫛木理宇『赤と白』 150. エリック・ウィリアムズ『コロンブスからカストロまで(2)カリブ海域史1492-1969』 151. 東野圭吾『ラプラスの魔女』 152. 村上陽一郎『死ねない時代の哲学』 153. 高井ゆと里・周司あきら『トランスジェンダーQ&A 素朴な疑問が浮かんだら』 154. 東野圭吾『魔力の胎動』
※数字は1月からの通し番号
一番付き合いの長い親友二人に、年々、本音を言えなくなっている。会う前は、あれも話そう、これも言ってみようと考えるのに。自分の中ですでに消化できているようなどうでもいい愚痴は話せるし、LINEだとそれなりに突っ込んだ話もできるけれど、面と向かうと、自分にとって一番核となるような真面目な(あるいは深刻な)あれこれが話せなくなる。 やっぱりこれを話すのはやめておこうと、意識的に思いとどまるわけではない。その場に流されて、話したいと思っていた内容が心の底に沈んでしまう。 でも、やはり本当は遠慮しているのだろう。 子育てや親の介護などなどで、彼女たちはそれぞれに大変だし忙しい。私の悩みなんて……と思ってしまうのは事実だ。私の話を聞いて、彼女たちが「そんなこと」と思ったりしないのは分かっている。分かってはいるが、どうしても真面目で深刻な顔になれない。
親友と別れてから、帰り道や家の自室で、あれも話せなかった、これも話せなかった、と悔やんでしまう。 どうしてなんだろう。いつから、こうなってしまったのだろう。 親しいからこそ、話せないこともある。誰かがそう言っていたし、それは真実だと思う。思うけれど……。
書いていて思い出したが、たぶん、「こんな話されても困るだろうな」という懸念が大きいのだろう。 もう人生にうんざりしていて、早く終わりたい。日常生活全般で他人に介助してもらわなければ生きられない人生が、煩わしすぎてうんざりだ。そんな話をされたって、二人とも困るだろう。 私だって、彼女たちに何と言ってほしいのか分からないし、人に話したからって解決できる問題ではないことくらい分かっている。
ただただ、本当は話したいことが話せなかったフラストレーションだけが溜まっていく。 いつから、どうして、こうなってしまったのだろう。
障害者の人生をやることにほとほと疲れた。 何もかもが煩わしい。
自分で言うのもなんだけど、小学校のころからずっと頑張ってきた。健常者なら気にしなくて済むことを、毎日毎日気にしながら、心配しながら生きてきた。 小学校から高校までは電動車椅子ではなく自走式の車椅子だったし、学校にエレベーターがなかった。だから、移動するときは常に誰かに車椅子を押してもらわなければならなかったし、3,4人で車椅子ごと持ち上げて階段を上り下りしてもらわなければならなかった。体育や音楽や家庭科など、移動教室のときはいつも、誰か連れて行ってくれるだろうかと気掛かりだった。独りでは、移動もできない。 私は健常のクラスメイトに比べて、やることに時間がかかる。板書も、家庭科や美術の作業も。周りに遅れず、時間内にちゃんとやり終えられるか、いつも心配だった。 技術の工作は授業中に終わらないし、そもそも自力で仕上げられないので、家に持って帰って親にやってもらった。 時間をかければ自分でできるけれど、授業中には終わらないようなこともあったから、それは家で自力でやった。高校になると板書量が増えて書き切れず、あとで友だちにノートを借りた。ただでさえ私は生活に時間がかかるのに、さらに家での時間を削られる。なんで私がこんな目に遭わないといけないのだろうと、やりきれなかった。 トイレのことも、いつも気掛かりだった。決まった時間にちゃんと尿が出るか、介助者のいない時間に急にトイレに行きたくなりはしないか。
大学を出て、三つの会社で働いた。自分なりに一生懸命仕事した。特に二社目と三社目では、働きぶりを周囲に認められていたと思う。
自分なりに必死になって、頑張ってきて、でも、それがいったい何だというのだろう。 いまはこんなに、すっかり疲弊してしまった。 障害者の人生をやらされていることに表立って不平を言わず、わめき散らしもせず、頑張って頑張って、それが当たり前みたいにやって来たけど、あれはいったい何だったのだろう。それで何が得られたというのか。どこまで行っても終わりはないじゃないか。
私はもう、人生を下りたい。 人生でやるべきこと、やりたいことは一通りやったし、もうじゅうぶんでしょ? 仕事を辞めて8年も経って、今は、周囲から見たら何の努力もせず、お気楽な人生と見えるのだろう。でも、ちっともお気楽ではない。煩わしさと疲弊と苛立ちが増えるばかりだ。 たとえ「最善の医療福祉」とやらが提供されても、日常生活全般に渡って他人の介助を受けなければ生きられないことの煩わしさは解消されない。 四六時中、他人と接して感情のやり取りをしなければならないことの煩わしさと疲弊を、”善良な人々”はどう考えているのだろう。
2024年09月05日(木) |
マイクロ・アグレッション |
障害者は舐められやすい。 相手が非障害者なら、絶対そんなこと言ったり訊いたりしないだろ? と思うようなことを、障害者相手だと平気で言ってくる奴らが多い。 障害者をやっていると、毎日毎日がマイクロアグレッションの積み重ねだ。一つ一つは小さな砂粒でも、降り積もれば大きな山となり、心を押し潰す。
新しく契約したヘルパー事業所は、ヘルパーさんが慣れた頃に、男性のサービス提供責任者が介助の様子を見に来たいと言う。私がお願いsているのは、朝の身支度だ。女が朝の身支度するのを、どうして、一度も会ったことのない赤の他人の男に見られなければならないのか。男性のサ責が見に来る予定だと言ったのは、女性のサ責だ。彼女は、自分がものすごく失礼で侮辱的なこと言っていると気づかないのだろうか。同じ女なのに? 相手が健常者なら、あり得ないと分かるが、相手が私(障害者)だから、頭がバグってしまうのだろうか。
昨日はラポールに行く日だったが、いつものヘルパーさんがお休みだったので、サ責が来た(上記とは別の事業所)。そのサ責も他に用があるようで、ラポールにいる間に別の人に交代した。 私がフィットネスルームのマットに脚を投げ出しているとき、交代のスタッフが来た。私の会員カードがないと、介助者登録できないとの話だった。 私に付いていたサ責が、ロッカーにしまってある私のバッグからカードを出して手続きしてくると言って、私をおいて、私のロッカーの鍵だけ持って出ていった。「バッグを開けてもいいですか?」と一言も訊かないで。私は靴を脱いで高いマットに脚を投げ出していたから、とっさに私も行きますと言えなかった。脚を下ろして靴を履かせてもらうと、手間をかけさせてしまうし、その間、交代の人を待たせてしまう。 でも、一言こちらの意向を確認するべきではないのか。なぜ、本人がいないところで、貴重品も入っているバッグを開けてもいいと思ってしまうのか。なぜ、他人に介助されることの多い障害者なら、平気だと思ってしまうのか。
今日は、トイレのリフターを交換できるかどうかの確認のために、ケースワーカーと福祉機器センターの人と業者が来た。 福祉機器センターの人は顔なじみだ。仕事はテキパキやってくれる人だが、やはりこちらが障害者だとなめてかかるところがある。今日は、体重を訊かれた。一応、業者の男性スタッフから離れたところで、小声で訊きはしたが、私の体重が仕事上、真に必要な情報だとは思えない。なぜ体重を訊く必要があるのか、説明はない。そして、通院しているかどうかも訊かれた。子宮内膜症で婦人科に定期通院しているが、それは言わず、「障害のことで通院はしていません」と答えた。嘘はついていない。福祉機器センターの職員が、通院情報まで必要とは思えない。こちらは、健康管理なんか頼んでいないのだから。 福祉関係者はは、真に必要とは思えない機微な情報を聞き出したがる。あの無礼さは、どうにかならないものか。
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