月に舞う桜
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年々厭世的になって、昔はすんなり共感できたり希望を感じたりした音楽や小説も、いまはもう心の糧にならなくなってしまったものが少なくない。 そんな、いまの私でも……いまだからこそ、心が揺さぶられる曲がある。 例えば、Coccoのアルバム『スターシャンク』の最終曲である『フリンジ』。
すっかり大人になってしまって、もう若くはなくて、「愛してる」のためにだけ今日も明日もあるような、そんな「愛してる」はもうないけれど(そして、本当はかつて一度もなかったけれど)、無数の傷口を開けたまま朝を待ちつつ泣き叫ぶことも許されるような、そんな曲。
「大人になって いつの間にかこんなザマで 会えなくなって でもまだ生きてて」 「覚えてるって 大きな声で届けてなんて わがままだって百も承知で」 「あの頃なんて戻ってくるわけなくて 惨めになって まだ眩しくて」
▼Cocco『フリンジ』歌詞 https://music.apple.com/jp/album/star-shank/1480336033
2020年08月22日(土) |
名称を知らず、気にせずにいられるというマジョリティの特権 |
何らかの調査で性的指向を聞くときに、異性愛者が異性愛の選択肢を選んでくれない、というツイートを読んだ。 私はバリバリの異性愛者だけど、これには驚愕した。 異性愛者であることが当たり前すぎて、自分の性的指向について考えたこともないということだろうか。 異性愛者であると自覚する必要も、「異性愛者」と名付けられている存在として自分を認識する必要もなく生きられるのは、マジョリティである異性愛者の特権だ。
マジョリティの特権とは、自分の属性を気にせずに生きていけるということ。
マジョリティは、自分たちの存在や暮らし方を当たり前と考えるので、そこに何らかの“名付け”がされているとは思いもしなかったり、自分たちに関する名称を知らずに生きていける。 名称は、マイノリティにだけ与えられ(ていると思われ)がちだ。そして、マジョリティは、本当は自分たちにも名称が与えられていることを自覚せず、自分たちが一方的にマイノリティを名付けてもよいと思い込む。 それで、名称のスティグマ化は加速する。 私たちは、自分がマジョリティである事柄に関する名称を、自覚しないといけない。
私がこのことに気付いたのは、弱視の同僚に「墨字」という言葉を教わったときだ。 それまで、私は、「点字」と対をなす「墨字」という言葉を知らなかった。自分たち晴眼者が使っている文字に、そのような名称があることを知らなかった。
2020年08月21日(金) |
両親のスマホ、その後 |
両親がスマホにして以来、毎日毎朝毎晩のようにスマホについてあれこれ聞かれる。同じようなことを何度も聞かれたりもする。
いいかげん、面倒になってきた。
ほんと、スマホの仕様を高齢者にも分かりやすくしてほしい。 らくらくスマホではなくて、普通のスマホを高齢者にも分かりやすくできないのだろうか。 基本的知識がない状態で始めるから、教えるほうも大変で。 歯車なら設定メニューだろうとか、人物マークなら友達一覧が出るだろうとか、経験がないから推測できない。そういう人たちのために、文字表記にしてくれよ。 スマホ1台持つだけでパスワードがいくつもあるから、その管理も本人たちには大変だし。 あと、彼らは分からないことがあったときググって最適解を得るということも難しいのに、取説が薄すぎて不十分。 だからって、キャリアショップのスマホ講習会みたいなのに行っても、理解できないと思われる。
私も新しい仕組みや機器に疎くてついて行けていないけど、両親と違うのは、ネットで調べて自分に必要な情報を見つけ、どうにか理解できるところだ。 ネットで調べ物をするスキルがものを言うなあと、両親を見ていて思う。
暑すぎて、10分くらい電車に乗っても涼み足りないから、終点まで行って折り返したくなる。 水分補給のためにマスクを外すタイミングで、鼻や口周りの汗を拭こうかと思ったけれど、それまで散々おでこや首や腕の汗をぬぐったタオルじゃあ既に汚染されているかもしれないと思い、やめておいた。
先月から障害者用のスポーツセンター通いを再開した。 行き帰りの電車やバスも、ジム内も、常に換気しているので、例年の夏より冷房の効きが悪いような気がする。 だから、あまり真剣に運動しすぎると疲れて倒れそうなので、ほどほどにしかできない。
とにかく毎日暑すぎる……。
そう言えばちょうど10年前、お盆前にX JAPANのライブで日産スタジアムに行ったなあ。しかも、2日連続で。 あのときもかなり暑かったけど、私、よく倒れなかったなあ。保冷剤を首に巻いたりの対策してたけど、それにしても……若さと気合い? いまじゃ、コロナ禍じゃなくても、もう無理だわ。
何の前触れもなく本当に唐突に、X JAPANの曲を聴いてみようという気持ちになって、再結成以降の曲を数ヶ月ぶりに聴いた。いや、数ヶ月ぶりどころか、一年以上ぶりかもしれない。 やはり、曲はいまでも好きだった。 けれど、複雑なかなしみも、あの頃のような熱狂も、湧き上がらなかった。 このまま時間とともに強い感情は薄れて、その他大勢の好きな楽曲たちに紛れていくのだろうか。 そうなれば、アルバム『Jealousy』も再び聴けるようになるだろうか。
そう言えば、半年くらい前に、誰かがXの曲を歌っているのを聴いた。 Xの曲は、どんなに歌がうまい人が歌っても、Toshlの歌声が脳内再生される。 あのときも、「私はやっぱり、いまでもX JAPANの曲が好きだ」「Toshl以上に歌える人はいない」と思った。 でも、もう昔には戻れないとも思った。
もし、3年前のYOSHIKIのあの一言がなかったら、私は今でも運命共同体だったのだろうか。 それは、分からないけれど。
2020年08月16日(日) |
差別社会と知りつつ、なぜ子どもを……? |
何かの話の流れで、「男性と女性が同じような意見を述べても、男性に比べて女性の言うことは耳を貸してもらえないことが多い」という話題が出て、母が「お母さんが働いているとき(私を産む前)からずっとそう。何十年経っても変わらない」と憤っていた。 それはたしかにそうかもしれないけれど、そんな社会になぜ子どもを生んだのだろうと思うと、手放しで同調もできない。 昔からそういう社会で、差別がなくなる気配もない。自分はその現実を分かっているのに、そんな社会に子どもを生み出してしまうのは、なぜなのだろう。 生まれる子どもが女の子なら抑圧にさらされる可能性が高く、男の子なら、意識的にしろ無意識的にしろ、差別に加担するようになるのに。
2020年08月15日(土) |
他者には間に合わない |
心の中で何を考えているかなんて、本当のところは他人には分からない。 私(たち)は、他者に絶対的に遅れている。 いつも、間に合わない。
両親がそろってガラケーからスマホに替えることになったので、午前中はショップに同行して契約内容などの説明を一緒に聞き(二人は店員の説明をあまり理解していないと思われる)、午後は操作の練習を兼ねて諸々の設定を説明した。
疲れた……。
とりあえず、電話とメールは自力でできるようになったので、良しとする。 明日は、もうちょっと他のアプリの使い方を。
それにしても、高齢者で、スマホの設定を一から自力でできる人っているのだろうか。 世の高齢者たちは、みんな、自分で取説を見ながらやっているのだろうか。だとしたら、すごいなあ。 うちの両親は、たぶん自分で取説を見ても電話かけられないだろうし、GoogleやLINEのアカウント作成なんて絶対できないと思うのだけど。
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