月に舞う桜
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死ぬことは怖くない。 ただ、死ぬために苦しまなければならないのが怖い。
自分が死ぬことは怖くない。 ただ、周りの人たちが死んで取り残されるのが怖い。
長生きはしたくない。 むしろ、いつ死んでもいい。 苦しまず、眠りの延長に死が訪れるなら、それが今日であっても明日であってもかまわない。
2020年06月25日(木) |
Afternoon Teaの通販で |
AfternoonTeaの通販でミニハンディファンを買った(目薬はサイズ比較用)。
持ち運べるから、蒸し暑い夏の外出のお供にするつもりだ。 USBで簡単に充電できるので便利だし、ストラップ付きなのも良い。
ついでに、フルーツルイボスティー(ピーチ&マンゴー)も。
味はマンゴーのほうが若干強く、香りはピーチのほうが強い。 水出しもできるけれど、私はホットの方が好きだ。 アーモンド風味のタルトが合いそうだけど家にないので、チョコとマカデミアのクッキーや、ブルボンの「エリーゼ」をお茶請けとして食べている。 ほっと一息、リラックス。
2020年06月20日(土) |
友人たちとの絶対的な隔たり |
私には数人の友人と、それより少ない親友がいる。皆、気の置けない関係だ。 でも、もしかすると私は誰にも――数少ない親友にさえ――本当には心を開いていないのではないかと思うことがある。
私と友人たちとでは見えている世界がまったく違い、絶対的な隔たりがある。ときどき、そう感じる。 ひとりひとりが他者なのだから、見えている世界が違うのは当たり前のことだし、私が悪いわけでも友人が悪いわけでもない。 けれど、あまりにも見えているものが違うと、いったいこれはどういうわけだろうかと考えてしまう。 そうして考えてみて、この隔たりは私が本当の意味では心を開いてこなかったからではないか、私の世界を伝えてこなかったからではないか、と思えてくる。 この世が生きづらく、構造的な差別に溢れているということ。一歩外に出るために、あらゆることを想定して準備しなければならないこと。将来に対して不安ばかりが増していること。“新しい時代”とやらが、格差や差別や生きづらさを是正するものではなく、むしろ今まで以上に私を置き去りにする仕様となるのではないかという懸念があること。 そういったことを、まったく伝えてこなかった。 私は強がりで、見栄っ張りだから、何でもないふうを装って生きてきた。 いま、そのつけがきているのかもしれない。 でも、弱さをさらけ出しては生きてこれなかった。
隔たり、そして寂しさ。
2020年06月19日(金) |
遺書(2020年版) |
大切な人へ もしも私がどこかで泣いていても、どこかで苦しんでいても、あなたはそんなこと知らなくていい。 私が泣いていたことや苦しんでいたことを、あなたが私の死後に知って、気に病んだり後悔したりする必要はない。 あなたはとてもとても大切な人だから、あなたが悲しまず苦しまず、幸せでいることが一番大切。 私のことなんて、忘れたってかまわない。
私をひどく傷つけた人へ もしも私がどこかで泣いていても、どこかで苦しんでいても、あなたにそんなこと知らせてやるものか。 あなたには、私の痛みも怒りも苦しみも、何一つ理解できるはずがないのだから。
2020年6月19日
2019年の遺書はこちら
6月は毎年、暑さや湿気に体がついていかず、体調が優れなくなる。 風邪を引きやすいとかではないんだけど、常にだるい。寝ても寝てもだるい。 ご飯を食べても、それがエネルギーとならずに、どこかへ垂れ流れているのではという感じ。 今日は、暑さが少し和らいだので、久しぶりに体が軽い。 夏に慣れるまで、もう少し。
2020年06月05日(金) |
バースデー・ドネーション |
6月は誕生月なので、SNSでバースデー・ドネーションを呼びかけてみた。 バースデー・ドネーションとは、本来、自分でキャンペーンを立ち上げて寄付を募るものだけど、私にはそこまでの力もやりたいこともノウハウもないから、自分が寄付したいプロジェクトを厳選してシェアした。 福祉現場にマスクを送るプロジェクトと、居場所のない10代女性を支援している団体と、病気で入院している子どもと家族を支援している団体。 バースデー・ドネーションは数年前に知り合いがキャンペーンを立ち上げているのを見て、いつかやりたいと思っていた。 コロナ禍の今こそ、呼びかけるときだ。 私はただ、3つの団体を挙げて、誕生日プレゼントの代わりに寄付をお願いしただけだけど、少しでも何かの役に立てると良い。
21世紀の日本、電動車椅子ユーザーから見てクソな歩道が多すぎる。
・狭くて通れない ・ぎりぎり通れる幅があっても、草木がめっちゃはみ出していたり、電柱が邪魔だったり、一部分だけ地面が盛り上がって段差のようになっていたりして通れない ・歩道の出入口(横断歩道を渡り終わったところとか)が急すぎたり地面が歪んでたりして、上がり下りできない ・車道に向かって急傾斜で、ずるずる持って行かれそうになる
↑こういう歩道がいまだに多い。
だから、車道を通らざるを得なかったり、遠回りしたりする羽目になる。 一歩外に出れば、障害だらけ。
2020年06月02日(火) |
SNSの匿名禁止には反対です。 |
私は、匿名でのSNS利用を禁止したり、SNS利用にあたり顔と本名の公表を義務づけることには反対だ。
これまでSNSでは、性犯罪被害や、家庭・学校・職場での虐待、搾取などの声が多数上げられてきた。 それらの語りや告発は、実名ではないという安心感があるからこそできる人も多い。 現実世界で差別やいじめや貧困などの真っ只中にある(=抑圧されている)人たちが、匿名で現実とは別のコミュニティを持てること、そこで安心して語り合い、現実世界で生き抜くエネルギーを回復できることは、SNSの良さの一つだ。 実名、ましてや顔出しを義務にしてしまうと、抑圧されている人たちはますます声を上げづらくなる。 例えばMe TooやKu Tooのようなムーブメントも、起きにくくなると思う。
たしかに、SNS上の誹謗中傷に対しては何らかの対策を打たなければならないが、原則実名にしたところで誹謗中傷が減る保証はない。いまも、実名で堂々と誹謗中傷・差別発言する人はいくらでも存在する。 匿名での利用を禁止すると、現実のしんどさ(声を上げづらい、声を上げると叩かれる、人間関係が煩わしいなど)がそのままSNSに持ち込まれるだけだろう。 現実世界がしんどい人たちにとって、ほっと一息つける場所がまた一つ失われて、メリットよりデメリットのほうが大きいのでは。
◆SUGIZO、匿名でSNS利用「禁止するべき」(2020.5.25 日刊スポーツ) https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202005250000066.html
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