月に舞う桜

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2019年04月30日(火) 振り返るべき平成

平成を振り返るTV番組ばかりで辟易するけど、メディアを通して過去を振り返るのって、過去を礼讃したり美化したりすることよりも未来に愚行を繰り返さないための学びに意味があると思うので、どうせなら差別やハラスメントや貧困・労働問題や隠蔽・改竄・同調圧力体質などなどを振り返ればいいのに。

例えば、

・優生保護法がようやく廃止(母体保護法への改正)されたのも平成になってからだし、

・オウム真理教の事件も平成のことで、いまも宗教だけじゃなくいろんな方面でカルト的な活動や言説がはびこってるし、

・自己責任論もはびこってるし、

・障害者へのヘイトクライムが起きたのは、ほんの2年9ヶ月前だし、

・国会議員が差別を撒き散らしても何の処分もされないし、

・各地でヘイトデモは起きるし、

・ジェンダーギャップ指数は110位だし、

・女子は男子よりうんと高い点数を取らないと大学に入れないし、

・警察も司法も性犯罪に甘いし、

・性犯罪被害者が被害の声をあげたら、なぜか被害者が責められ中傷されるし、

・子どもの7人に1人は相対的貧困だし、

・4割弱が非正規雇用なのに何の保障もなく10連休にしちゃうし、

・公文書は改竄するし統計はごまかすしデータは破棄するし、

とにかくこれ全部、平成のことなんで、振り返るには事欠かないと思うんですよ。


1年半前の記事だけど、平成のこんな現実も↓

◆ひらがなも書けない若者たち 〜見過ごされてきた“学びの貧困”〜(2017.11.2 クローズアップ現代)
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4057/index.html


2019年04月27日(土) 10連休に思うこと

土日祝日休みで働いている人は、今年は4月と5月で例年より3日間(4/30、5/1、2)休みが多い。
時給1,000円で1日8時間勤務だと、給料が2ヶ月で計24,000円減る。
これは給料(手取りじゃなく総支給額!)が15〜16万円台の人にとっては大打撃ですよ。

天皇が替わろうが元号が替わろうが、日本社会の問題は何ら解決しない。それどころか、今回の代替わりに伴う10連休措置によって、政府はその大きな問題(非正規の生活の不安定さ等々)をさらに拡大させている。
代替わりを祝事と言うけれど、国民が幸福・安心・安定してこその祝事でしょう。

ついでに言うけど、私の前職場である特例子会社の話。
そこは健常者も障害者も同じ仕事をしているのに、健常者は正社員、障害者は契約社員(時給)だった。祝日が増えても健常者は給料が変わらないけど、障害者は打撃を受ける。
特例子会社なのによ?

お祭り騒ぎしてないで、この10連休こそ、こういう問題を知って、目を向けて、きちんと考えてほしい。
何と言うか、政治の場面だけでなく、各方面で特に何の吟味も批判的精神もなく、無邪気に「平成最期の○○!」や「新しい時代の始まり!」などと言われているのを見ると、無邪気なだけに、よりいっそう底知れぬ危うさを感じるんだわ。

天皇が替わろうが、平成が終わろうが、新しい元号が始まろうが、差別も格差も貧困も隠蔽も多くの人の苦境も、何もリセットされないからな!

流されず、目を見開いていなければならない。


ツイッターより↓

◆古谷経衡 @aniotahosyu
https://twitter.com/aniotahosyu/status/1121064341581656064
「非正規殺すにゃ 刃物は要らぬ 連休10回あればいい」

◆KAMEI Nobutaka @jinrui_nikki
https://twitter.com/jinrui_nikki/status/1121431320377171968
「「平成最後の授業」とか言っている教員や学校/大学があるんですね。そういう、「舌先三寸の国策への迎合」というのは、軽いがゆえに、むしろけっこう危ういんですよ。とだけ言っておきます。乗る乗らないは、個人の自由です」

◆山崎 雅弘 @mas__yamazaki
https://twitter.com/mas__yamazaki/status/1121689218734907392
「実際には特に付加価値など無いにもかかわらず「平成最後の」と言えば何となく特別な付加価値があるかのように錯覚するのは、権威主義思考の一形態だろう。平成最後の何かもそれ以外の何かも価値は同じ。一見無害な錯覚から、その錯覚を利用したより大きな権威の威圧が始まる。」


2019年04月17日(水) 巷の使えない「バリアフリー」

先日行ったショッピングセンターの多目的トイレの話。
中の開閉ボタンがドアとベビーシートの間の角っこにあって、車椅子では手が届きづらい。




ボタンがある壁にべったり寄れないし、ドアが邪魔で近寄れないし。車椅子ユーザーは腕が伸ばしづらい&前屈みになれない人も多い。

でも、このトイレ、ちゃんと背もたれが付いている点は素晴らしい。




車椅子ユーザーは歩けないだけでなく体幹障害もある人が多いのに、背もたれがある多目的トイレは少ない。
後ろにタンクがあれば、不充分ながらも便器の蓋を背もたれ代わりにしたりもするけど、便器の蓋すらなくて現実問題として使えないトイレだってある。

使えないと言えば、エレベーター内に車椅子ユーザーの手が届くボタンが設置されていなくて困ることも、たまにある。エレベーターですよ?
エレベーターの外に「車椅子やベビーカーを優先してください」と書いてあるのに、エレベーター内に車椅子用のボタンがなく、そうとは思わずに独りで乗ってしまって閉じ込められたり。

設備を作っても、車椅子ユーザーが独りで使えなければ、それはバリアフリーではない。

こういう「多目的トイレなのに、車椅子ユーザーが独りで使えない(使いづらい)構造」とか、「エレベーター内に、車椅子ユーザーの手が届くボタンが設置されていない」等々は、「車椅子ユーザーは独りで行動しない」という偏見(見下し)の産物なのではと疑っている。
差別と不利益の解消、権利保障のために作った設備によって、「社会はどこまでもマジョリティのための設計であり、それを真に必要としている人々の利用を、現実感を持って想定していない」という現実をよりいっそう際立たせる皮肉な結果よ。


2019年04月16日(火) 大学の眩しさ

近くに行ったついでに、母校大学にふらりと立ち寄ってみた。
建物には入らず、敷地内をちょこっとうろうろ。講義シラバスを見ている新入生らしき人もいて、懐かしいやら眩しいやら、自分の場違いさに気後れするやら。
あの頃に戻りたいかと言えば、そうでもないのだけれど、「戻れないんだなあ」と思うと、かすかな感傷と疎外感を覚える。

点在する掲示板のどれにも、「カルト宗教のダミーサークルが勧誘活動をおこなっています」という警告が大きく貼られていた。うちの大学がカルト対策の意識を持っていることに、少しほっとした。
ちょうどそのころ読んでいたカルト関係の本に、「大学でカルトに関する教育や啓発をしっかりやるべき」というようなことが書かれていた。大学にカルトが入り込んでいるのは心配だし、掲示物だけでは不十分だけど、警告が目に付けば危機意識が芽生えて思いとどまる学生もいるかもしれない。
誰も、カルトの被害に遭いませんように。


2019年04月11日(木) 障害者=被障害者

「障害者」を「被障害者」という呼称に改めるのはどうだろうか、と思いつく。

障害者差別を可視化したり、差別に反対したり、社会を改善すべく行動したりしている人の中にも、障害者を「障がい者」と書いてしまう人が結構いるのはなぜなんだろうと考えていて。
身体(※)の機能や様式が多数派と大きく異なる人が「障害者」であるのは、ほとんどの場合、健常者向けに創られた社会に障害があるからだ。
障害者の困難さは社会の側にある障害ゆえであって、障害は、障害者当事者にとってまさに「害」だ。
なのに、なぜ、はっきり「障 ”害” 者」と書かないのだろう。

障害者は障害を持っているのではなく、被っている。
「障害を被っている者」という意味で、「被障害者」。

まあ、ふと思いついただけで、この呼称がふさわしいかどうか深く吟味はしてないんだけど。

※精神障害や知的障害も、広義の意味で身体機能や身体様式にかかわるカテゴリーだ。


2019年04月10日(水) 障害者をめぐる記事をいくつか

◆障がい児者が負っている性暴力を巡る3つの困難 刑法改正でも表面化しない罪とは(2019.3.25 Yahoo!ニュース)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190325-00010000-yjnewsv-soci&p=1

この記事、障害児者が性暴力被害に遭うリスクや、性暴力について抱えている困難さがよくまとめられている。

性暴力における障害児者の「三重の負担」
・日常生活に潜む性暴力を受けやすいリスク
・犯罪に問われるべき被害を証明しにくい
・適切なケアが受けにくい
(性暴力の相談機関は障害に関する専門性がなく、障害者支援機関は性暴力に関する専門性がない)

被害者が障害児者であることに乗じた性犯罪の創設などを求めるキャンペーンがChange.orgで展開されています。↓
よろしえれば、ぜひご賛同をお願いします。

◆なぜ障がい者が性暴力を経験しているの?〜刑法に「性犯罪被害者としての障がい者」の概念を盛り込みたい〜(Change.org)
https://t.co/LGu4s1Q1ZV

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◆旧優生保護法 対象外でも行われた不妊手術の実態(2018.6.12 NHKハートネット)
https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/58/

法律は、法的な拘束力だけを生むのではない。
法律があることで、その法に流れている考え方が社会に広がり、法の外でも圧力となる。
優生保護法の対象外なのに、「障害者は子どもを産むべきではない」「要介助障害者は生理がないほうが良い」との眼差しに追い詰められて ”自ら” 手術を選択したのは、自己決定ではなく、形を変えた強制だ。

先月だったか、この強制不妊手術の被害者救済法案がニュースになっていた。
救済法によって「強制不妊手術が多大な人権侵害であり、救済されるべきことだ」という認識が広まればいいなと思う。
救済一時金が被害者が訴訟で賠償請求している額より大幅に少なかったり、被害者に多大な苦痛を与えた主体として「国」が明記されていなかったりと、法案に不十分な面はあるにせよ。

ただ、上でシェアした記事に出ているような ”自ら” 手術した人は、救済の対象にならないんだろうな……。

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◆障害者殺傷事件 初公判は来年1月頃で調整(2019.4.3 NHK NEWS WEB)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190403/k10011871771000.html

2016年に相模原市の「津久井やまゆり園」で起きた障害者殺傷事件、初公判は来年1月頃の予定とのこと。長いなあ。
そして、裁判員裁判なのか。裁判員に選ばれてしまう人たち、精神的負担が大きいだろうなあ(この事件に限らないだろうけど)。

私は死刑制度に関して明確な賛成も反対もなくて、「できれば、ないほうがいいかなあ」という程度の考えなのだけど、この事件に関しては理屈をすっ飛ばして「こんなの死刑だろ!」との気持ちが止められない。
このヘイトクライムについて考えるとき、いつも自分の中の憎悪と闘わなければならない。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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