月に舞う桜
前日|目次|翌日
2019年05月31日(金) |
続・赤ちゃん泣いてもいいよステッカー |
先日の日記に書いた「WEラブ赤ちゃんプロジェクト」の「泣いてもいいよステッカー」を手に入れ、さっそく電動車椅子に貼りました。
交通機関やお店などで赤ちゃん泣いても大丈夫だよ、全然気にしなくていいよ!の気持ちが広がりますように。 (ちなみに、Kimuraは車椅子業者名です。私の名前ではありません)
2019年05月30日(木) |
言葉は、死者ではなく生きている人に受け取らせてしまうから |
自分の経験を絡めて書きました。ちょっと長くなりましたが、読んでいただければ嬉しいです。
川崎で起きた殺傷事件を受けて、「死にたいなら一人で死ね」という言葉がネット上で飛び交っている。 それに対し、藤田孝典さんが「これらの言説をネット上で流布しないでいただきたい」との記事を書いている。
◆川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい(2019.5.28 Yahoo!ニュース) https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20190528-00127666/
ただその場所にいただけで巻き込まれ、命を奪われたり傷つけられたりした被害者や、被害者の近しい人たちが「死にたいなら一人で死ね」と思うのは当然だし、彼らが犯人に対してそういった言葉で怒りを表明することは、咎められるべきではないと思う。 けれど、私を含め、被害者でも被害者の近親者でもない人々が、感情に任せてそのような言葉を発信してもよいのかどうかは、また別の話だ。
「死にたいなら一人で死ぬべき」と公に発信している人は、おそらく犯人に対して言っているのだろう。 でも、死んでしまった人にはどんな言葉も届かない。 言葉を受け取るのは、生きている人間だけだ。 突き放し、社会から排除しようとする言葉は、死んだ犯人にではなく、発信者が想定していない誰かに届いてしまう。 今まさに死にたいほど追いつめられ、尚且つ社会に対して憎悪を募らせているかもしれない誰かに、「死にたいなら一人で死ぬべき」との言葉を受け取らせてはならない。
記事をしっかり読めば、藤田さんの注意喚起が犯人擁護でないことは明白だし、「次の凶行を生まないため」とも書かれている。 繰り返すけれど、今まさに社会に対し憎悪を募らせている人に「死にたいなら一人で死ぬべき」が届いてはならないから、藤田さんは、もう少しあとではなく、”今” 書いたのだと思う。 被害者を悼み、寄り添い、ケアすることと、同じような事件が起きないよう(同じような加害者と被害者を生まないよう)発信に注意深くあることは矛盾しない。と言うかむしろ、それらは地続きだと思う。 いま生きていて、憎悪や殺意を抱いているかもしれない誰かを、追い詰めてはならない。
追い詰められ、一度は殺意を抱いた人が、カウンセラーの言葉によって救われ、殺意が散った体験談がまとめられている。 そのときの心情がリアルに書かれているので、みなさん読んでほしい。
◆この視点は知っておくべき「マジで通り魔やるか」と決意しかけてやめた話(togetter) https://togetter.com/li/1360563
こういうことは、たぶん誰にでも起こり得ることだ。
ヤフー記事で藤田さんが書いている 「社会はあなたを大事にしているし、何かができるかもしれない。社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない」 という言葉は、私だって、精神状態がちょっと違ったらバカな理想論に思えて一蹴していたかもしれない。 でも、たとえ今の社会が「あなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない」という状態でないとしても、「社会はそんなじゃないだろ」と言ったって意味がない。 理想の状態でないからこそ、理想論を語って、理想に向けて動く意思を表明すべきときがあると思う。
死にたいと思うことと実際に命を絶つこと、誰かを殺したいと思うことと実際に殺してしまうことの間には、本当はとても高い壁があるはずだ。でも、人は苦しみの蓄積の果てに、何かの拍子、ちょっとしたきっかけで、その高い壁を乗り越えてしまうことがある。 本来は高いはずの壁を乗り越えさせてしまうような要因(言葉、眼差しetc.)を、私たちは作り出してはならないし、きっかけを与えてはならない。
私の話。 殺意まではいかないけれど、中学生のとき、無性に誰かを傷つけたくなったことがある。 小さな要因はいくつか思い当たるものの、なぜそこまで荒んでいたのかはっきりとは分からない。 幸運にも、私は高い壁を乗り越えなかった。少なくとも、誰かを故意には傷つけなかった。 それは、私を救ってくれる音楽があったのと、生涯の親友と思える友達がいたことが大きかったと思う。決して、私個人の資質だけで踏みとどまったわけじゃない。 広い意味での“支援”があったから、踏みとどまれた。 あのときの「誰かを傷つけたい」という気持ちは、負のエネルギーに自分が押し潰されそうなほど辛いものだった。
もう一つ。 昔は、人身事故で電車が止まるたび、他人を巻き込まない方法で死ねばいいのにと思っていた。 でも、15年前、人身事故で通勤電車が止まったとき、もしかするとその人は最後に社会に対してささやかな報復をしたかったのかもしれない、それなら仕方ないな、と考えた。 それは電車に飛び込んだ人への同情や想像力というより、勝手に共鳴してしまう感覚だった。 その頃の私は、精神的に追い詰められていた。 自分が精神的に追い詰められているからこそ、社会に報復するために電車に飛び込んだのではという考えが浮かんだ気がしたし、そうしたい気持ちが自分の中にも潜在的にあるんじゃないかと思って、怖くなった。
生きていれば、そういうことが、ある。
私も含め、いま生きている人は、みんな凄いんです。 どんな状態にあったって、自分には生きる価値がないんじゃないかと感じてたって、生きている人はみんな凄い。 自ら命を絶ってしまった人も、最後の最後まで生きたんだから、凄いんです。 そして、私も含め、誰も殺さずにいる人も、凄いんです。
なお、江川紹子さんが、この件に関する何人かの見解を紹介しながら、論考を書かれています。こちらもおすすめです。
◆「1人で死ね」ではなく〜川崎19人殺傷事件で当事者でない1人として言えることできること(2019.5.29 Yahoo!ニュース) https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20190529-00127888/
「横浜市で精神障害者のグループホーム建設に住民の反対運動が起きて、反対の署名が600集まった」とのニュースを見てしまい、それがボディブローのように効いている。
民間賃貸主の4分の3だか3分の2は、障害者がいる世帯には貸したくないと思っている、という記事もあって、じゃあ障害者はいったいどこへ行けと言うの?
岡田准一が表紙のananを買って、見えるところに立てているから、岡田くんがこっちを見つめているけれど、
つらい。
存在を脅かされるって、つらいよ。
この社会はほんと無理だなと思うんだけど、なんで無理してまで生きなきゃならないのか、ずっとずっと不思議で仕方ないんですよ。
2019年05月21日(火) |
赤ちゃん泣いてもいいよステッカー |
「WEラブ赤ちゃんプロジェクト」の「泣いてもいいよステッカー」。 これいいなあ。 交通機関やお店など、公共の場所で赤ちゃんが泣いて、焦ったり心苦しくなったりしている保護者(主に親御さん)に向けて「泣いてもいいんだよ♪」という意思表示をするステッカー。 ぜひ電動車椅子に貼りたい! 配布場所で行けるとこ探して、近いうちに手に入れるぞ! (配布場所は、一番下にリンク張りました!)
以前はキーホルダー(ストラップ)や缶バッジも個数限定で配布していたそう。 バッグチャームがあると、付けやすいし、どこでも意思表示しやすそうだな。 無料配布ではなく有料でもいいと思う。活動に寄付できるように。
◆赤ちゃんは泣いてもいいんだよ(2019.5.20 NHK NEWS WEB) https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190520/k10011922421000.html
◆「WEラブ赤ちゃんプロジェクト」のサイト https://woman.excite.co.jp/welovebaby/
◆「泣いてもいいよステッカー」の配布場所 https://woman.excite.co.jp/welovebaby/shop/
2019年05月13日(月) |
おいしいもので心は躍り、満たされる |
友達と点心ブュッフェにいった。 かなり並んでて、かなり待ったけど、小籠包もシュウマイも海老蒸し餃子も春巻きも回鍋肉も美味しかったから、待った甲斐があったなあ。
そのあと、カフェでストロベリーショートケーキと、ピーチ&マンゴーソーダティー。
ケーキが運ばれてきたとき、苺の芳醇な香りがふわあっと。 そして、苺ソースもスポンジの間の苺クリームも、口の中で自然な甘みが広がって、心踊り満たされる。 ソーダティーも、桃とマンゴーの味と香りが程よくブレンドされていて満足でした。
今日は、そのカフェで買ったバウムクーヘンとアップルティーを堪能。 バウムクーヘンは、私好みの硬さで美味しかった。バウムクーヘンはふわふわ系より、しっかりしていて、ぎゅっと詰まったものの方が好きです。 昨日カフェでオレンジケーキも買ったので、それはまた後日の楽しみに♪
ところで、いつも通る駅前の通路、不法駐輪のせいで車椅子で通れなくなってしまうことがあるんだけど、今日は「不法駐輪禁止」と張られた柵が設置されていた。駐輪できないようにブロックしてくれてるのはいいのだけど、柵の外(通路側)に自転車を停める奴がいて、かえって通路が狭くなっていた。 でも、そこに停めてある自転車は撤去する方針ぽいので、そのうち通りやすくなると期待しよう! 柵があるだけでも、ちょっと通路が狭くなってるわけだけど、そもそも不法駐輪する奴がいなければ柵だって設置されなかったんだぞ!
2019年05月06日(月) |
龍玄とし DINE & CONCERT 2019 〜ツーショット撮影編 |
「龍玄とし DINE & CONCERT 2019 in 東京」夜の部のレポートです。
今回の物販はDVDにキャッToshl Tシャツが付く。Tシャツは好きな色を選べるのだけど、黄色とオレンジのどちらにするか最後まで決められずにいた。そしたら、今回新しく出たDVDだけでなく、大坂公演で販売したDVDにもTシャツが付くとのことだったので、どちらも買って、黄色とオレンジのTシャツ両方をゲット。金銭感覚が狂いまくり……。 黄色いTシャツは、キャッToshlがバナナを食べながら南の島を思い浮かべている。オレンジは、キャッToshlが子どもを乗せて自転車をこいでいる。 ちなみに、スタッフが「夜の部で、Toshlさんはオレンジを着られるそうです」とアナウンスしていた。商売上手である。
大坂公演でやったリクエストコーナーが、好評だったうえに本人もとても楽しかったそうで、今回もリクエストを募っていた。 受付で、Toshlに歌ってほしい1曲(持ち歌ではなく、他の人の曲)を書いた紙をリクエストボックスに入れた。私の、当たるかなー。当たりますように。
受付を済ませたら、Toshlとの乾杯&ツーショット撮影です! 私はワイングラスを持ったまま移動ができないので、撮影位置についたらスタッフがグラスを渡してくれることに。
Toshlは、プッチンプリンのCMの衣装を着ていた。 そうかあ、今回はプッチンプリンかあ。欲を言えば、黒か白のシンプルなジャケットを着た普通のToshlと撮りたいんだけれども、まあ、去年はゲーム『ORDINAL STRATA』のキャラ「精霊Toshl」のコスプレしたToshlとのツーショットだったことを思えば、今年はToshlの顔がちゃんと見えてるから良いかな。
Toshlの隣に並ぶ。 写真を撮るんだからなるべく近づいたほうがいいのだろうけど、車椅子のタイヤでToshlの衣装(プッチンプリンスのマント)を汚してはいけないと思うと、あまり寄るのも躊躇われた。 そしたら! Toshlが!
「そこでいいよ」
って! これが、すっごーーーーーく、やさしい声なんですよ! ささやくような、ソフトな声。話すときはいつもやさしい声だけど、それにしても、「そんな声、今までどこに隠してたの!?」っていう感じの。 あれは絶対、夜に女を口説くときに使う声だわ!(←妄想しすぎ)
「そこでいいよ」と言いながら、お尻をずりずりして私のほうに寄ってくれた。たぶん、車椅子は横には動けないから私がそれ以上近寄れないと思ったんだろう。 いや、あの、えーと、お気遣いは本当に嬉しいんですけれども、その、あんまり近づかないでほしい、緊張するから。……でも嬉しかったよ。何てやさしいんだろう。
私がスタッフからワイングラスを受け取るとき、ちょっともたついてたら、手を貸してくれた。たしか「大丈夫?」とか何とか言いながら。あの、女を口説くときの(←違う)ささやき声で。 反応できず、固まる私。 あなたのやさしい気遣いは分かったから、お願いだから、耳元でささやかないで。グラスを持つのは大丈夫だけど、この状況が大丈夫じゃないんだ!
そんなこんなで、あまりよく覚えていないけど、ちゃんと乾杯はしたと思う。 そして、人生2回目の、Toshlとのツーショット撮影。 頑張って、満面の笑みで、“いい顔”を作った。ささやき攻撃に内心ぶっ倒れそうだったけど、頑張ったよ、私! しかし、問題はこのあと。あろうことか、去年に引き続き、ポラを受け取り忘れるという失態を犯す私……。そのまま宴会場へ行こうとしたところを、カメラマンに「あの、写真写真!」と呼び止められた。ほんと、申し訳ない。そして、Toshlくんの前で、恥ずかしい。写真撮ったら満足しちゃうのと、Toshlくんと待っている人たちに迷惑かけないように早く行かないと、と思って焦っちゃうんだよね。あぁ、恥ずかしい。
宴会場の席に着いて、写真をじっくり眺めた。 なかなか満足のいく表情で写っていた。ただ、ラベンダーのセットアップにライトグレーのジャケットを着て行ったのだけど、ほとんど白く飛んでいた。ポラだから、プッチンプリンスの黄色みたいなはっきりした色じゃないと、きれいに映らないかあ。もっと濃い色を着ればよかったかな。でも、濃い色はあんまり似合わないんだよね。まあ、顔もいい具合に白く飛んで肌の粗が消えてたから良かった! あと、写真をよく見ると、Toshlが私のワイングラスの脚を支えてくれていた。かたじけない。私としては、自分で持つのに支障はなかったのだけど、Toshlは私の持ち方を見て心配になったのかも。かたじけない。
(続く)
2019年05月01日(水) |
「もしもし亀よ」に乗せて |
新元号「令和」の出典である『万葉集』の「梅花の歌32首」の序文は、後漢の詩人・張衡(役人、学者でもある)の漢詩「帰田賦」が元になっているそう。 漢詩を参考に『万葉集』の序文を作るあたり、さすがに昔の人は教養がある。自国より何歩も先を行っていた他国の文化を取り入れ、そのエッセンスを大切にしつつ自らも手を加えて新たな文化を築いたところに、他者への敬意と謙虚さ、豊かな創造性を感じる。
一方で、「元号で初めて国書を典拠とした」と強調し、それが何か素晴らしいことであるかのようにアピールするのは、歴史の深みや他者との繋がりや先人たちの心を無視し、文化をぶつ切りにするようで、無教養で謙虚さがないと思う。
新元号が発表された日、首相はNHKの番組で 「『令和』というのは、いままで中国の漢籍を典拠としたものと違ってですね、自然のひとつの情景が目に浮かびますね」 と言ったらしいのだが、大伴旅人が聞いたら泣くんじゃないだろうか。
さて、後漢というワードから、中学か高校のとき試験対策として「もしもし亀よ」のメロディーに乗せて中国の国名順を覚えるのが流行ったことを思い出した。 手拍子しながらどうぞ。
もしもし亀よ 亀さんよ 殷 周 秦 漢 三国 晋
世界のうちで お前ほど 南北 隋 唐 五代十国
歩みののろい ものはない 宋 元 明 清 中華民国
どうしてそんなに のろいのか 中 華 人 民 共 和 国
|