月に舞う桜
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2014年09月30日(火) |
【9/30】XJAPAN 横浜アリーナライブ1日目(1) |
XJAPANの4年ぶりとなった日本単独ライブ2daysの1日目に参戦した。4年前は日産スタジアム、そして今回も横浜アリーナということで、横浜市民としては嬉しい限りだ。
≪セットリスト≫ Miracle(SE) JADE Rusty Nail Silent Jealousy Beneath The Skin PATA vs HEATH DRAIN SUGIZOバイオリンソロ 紅 HERO Born To Be Free YOSHIKIピアノソロ YOSHIKIドラムソロ Forever Love I.V. X -アンコール- ENDLESS RAIN ART OF LIFE(後半) Forever Love(SE) Tears(SE)
横浜アリーナと言うと、車椅子用のスペースが良い位置というイメージなのだが、今回はサイド(SUGIZO側)の2階席だった。ちょうど目線の高さに柵があって、ちょっと屈まないとステージが見にくい。そして、位置的に、ステージ後方の大スクリーンの右のほうが見えない。まぁ、いたしかたないか。
19時15分、定刻より少し遅れてMiracleが流れる中、YOSHIKIが登場した。ドラムの椅子に立ち上がったYOSHIKIは、その姿が見えなくなるほどの眩い光を浴びて、神々しい。 4年前、日産スタジアムで初めてMiracleを聴いたときは、この曲が怖かった。個人的に苦手な曲調なので。でも、今はもうこの曲にも慣れて、Amethystと同じように、「これから始まるライブへの期待と高揚」を体中で感じられる。
YOSHIKI以外の4人も登場して、JADEのイントロが始まった。ステージの前方と後方からは、炎とスモークが上がる。この曲から始めるなんて、なかなか攻撃的でいい感じだ。
スクリーンに大きく映ったToshlは、若返って見えた。やっぱり精神的なものって表情に現れるんだなあと思いながら、その姿を見つめる。たとえ一生の痛みは消えなくても、怯えながら過ごさなければならない日々は、もう終わったんだ。楽しそうに輝いた表情で歌うToshlを見て、安堵した。 おかえり。よく、帰ってきてくれたよ。
Toshlの髪形、左側は少し編み込んでいて、右側は控えめに跳ねていた。新しい髪形、なかなかいい! HEATHもそうだけど、アンシンメトリーな髪形にするとカッコいいよね。
JADEのサビで、Toshlがスタンドマイクごと客席に向けてきた。 スタンドマイクごと、ってところに驚きつつ、「もう歌わせるんかいっ!」と突っ込みながら、まだ温まり切っていない喉で頑張って声を張り上げた。
JADEのあと、Toshlが「ついにXJAPANが帰ってきたぜーーーっ!」と叫んだ。 そして、間髪入れずにRusty Nailのイントロ。 Rusty Nailでも、ちょいちょい客席に歌わせるToshlくん。自分も口元を動かしながら(ああいうときって実際に歌ってるのかな、それとも口パクなのかな?)、ニコニコ顔でマイクを向けてくる。 「いやいや、ニコニコしてる場合じゃないよ! お前が歌えよ!」と思うけど、お腹を指して「腹から声出せ!」のジェスチャーされたら、腹から声出さないわけにいかない。
Rusty Nailが終わっても、YOSHIKIがドラムがんがん叩いたり、ギターもギュイーンって音をかき鳴らしてて、みんなかなり気合が入っている。 確かこのタイミングで、Toshlが「横浜!」って叫んでくれた。4年前の日産スタジアムでは「会いたかったぜ、ニッポン!!」としか言ってくれなくて、「横浜!」とは叫んでくれなかった。今回、長年の念願だった「横浜!」をやっと聞くことができて、嬉しかった。
YOSHIKIがピアノで即興メロディーを弾いて、Silent Jealousyのイントロへ。 ライブでおなじみ、Toshlがサビをアカペラで歌う。 このアカペラ、かなり気迫がこもっていて、どこまでも伸びて行った。スポットライトを浴びて、体の奥から魂の歌声を放つToshl。「ああ、私は今日これを聴きに来たんだ」と思った。 YOSHIKIがイントロを弾いているときは会場中から歓声が上がっていたけれど、Toshlの声が降ってきた瞬間に、しんと静まり返った。 ほらね、やっぱり、XJAPANのボーカルは貴方しかいないじゃない。怒号のような大歓声を一瞬で静めてしまえるのは、貴方のその声だけだ。 「聴かせるSilent Jealousy」から、一変して「盛り上がるSilent Jealousy」へ。Toshlは、ときどき客席にマイクを向けながら、PATA、HEATH、SUGIZOそれぞれに体を寄せて歌っていた。間奏では、YOSHIKIにくっついて、シンバル叩いたりして邪魔をする。 私は、歌いながら、泣いた。ここにこうして一緒にいられることへの感謝と、嬉しさと、安堵と、いろんな気持ちが激しく渦巻いて、号泣した。
Silent Jealousyのあと、Toshlが「なかなかいいぜー!」とか、「お前たち、相変わらずかわいいぜ」とか言いながら、ご機嫌。そして、「そんな、かわいいお前たちに、新曲のプレゼントだ!」と言う。
Toshl「新曲は、作詞はYOSHIKI、作曲は……SUGIZO!!」
SUGIZOが、手を挙げて歓声に応える。その動きは、相変わらずセクシーだ。 新曲ってHEROのことだと思ったから、嬉しい誤算。 曲の初めにToshlがタイトルを叫んだけど、聞き取れず。あとで10/1のWOWOW放送を確認したら、Beneath The Skinという曲だった。 ぶっちゃけ、全編英語歌詞なので全然聞き取れなくて何言ってるのか分からない。その上、初めて聴いたので、曲の感じをすぐには掴み切れなかった。 でも、まず思ったのは「あ、YOSHIKI節じゃないな」ってことで、SUGIZOっぽくてカッコいいとも思った。 激しいロックなんだけど、今までのXJAPANの曲とはちょっと違うテイストで、洋楽っぽい。 XJAPANがちゃんと前に進んでる感じがした。
SUGIZO作曲のBeneath The Skinを聴きながら、「私たちは、生きてるんだ」と強く思った。
私たちは生きてるんだよ。 生きているから、進まなくちゃならない。HIDEがいた頃と同じ場所にずっと留まっているわけにはいかない。 SUGIZOは、HIDEの代わりなんかじゃない。 新しい風は、新しい道を示してくれる。
Beneath The Skinが終わると、PATAとHEATHだけがステージに残ってソロ対決を始めた。 まずはPATAのギターソロ。続いて、HEATHのベースソロ。PATAが、自分の演奏を終えてHEATHの方を手で指すときの、HEATHに敬意を表してる雰囲気が好き。 HEATHは、いつ見ても、髪形も衣装もたたずまいもカッコいい。そして、個人的には何と言っても二の腕!
ギターソロとベースソロを交互に2回くらいやったあと、Toshlが登場、通常はSUGIZOがいる位置にHEATHが立って、3人でDRAINをやった。 サビでは、ちゃんとHIDEの声が聞こえた。
入れ替わりでSUGIZOが登場、バイオリンを奏でる。 何度も言うけど、SUGIZOは所作も音も表情も本当にセクシーすぎて、心を打ち抜かれる。 そう言えば、いつだったかToshlが「バイオリンの弓を回すSUGIZOのしぐさを真似て練習してる」って言ってたっけ。でもね、悪いけど、Toshlくんにはあの色気は醸し出せないと思うよ!
YOSHIKIも出てきて、ピアノとバイオリンで紅のイントロを弾く。 続いて、Toshlの「紅だーー!!」の叫びとともに紙テープが舞った。 紅、ほとんど客席が歌った気がする(苦笑)。 間奏でToshlがYOSHIKIに体くっつけたりシンバル叩いたりして邪魔してるとき、YOSHIKIがニコニコしながらドラムを叩くのが印象的だった。
紅のあと、Toshlが「YOSHIKIの声聞きたい?」と言って、YOSHIKIにマイクを渡した。
YOSHIKI「元気? あ、そうだ。みんな何か腕につけるやつ、もらった? バッグにしまっちゃわないでね。あとで何か起きるから」
入場のとき、リストバンドが配られていた。先着順だったので、仕事のあとでぎりぎりに着いた私は残念ながらもらえなかったけど(ちなみに、厳密に言うとこのリストバンドはもらえたわけじゃなくて、ライブ後に返却しなきゃいけなかった)。
YOSHIKI「次も新曲で……さっきやったのは随分前に作ったやつで、まあ、これも結構前に作ったんだけど。この前、新宿でゲリラライブやって……ゲリラって言っても、ちゃんと言っといたんだけど」
うん、ごめんね。ゲリラライブのこと、全然知らなかったよ。
新曲だから、みんなで歌う練習を……とToshlが言って、YOSHIKIのピアノ伴奏でToshlがサビの見本を聴かせてくれた。 ……いやいや、見本がうますぎて、私たち、そんなふうには歌えないからね! ただのお手本なのに、Toshlくん、めっちゃ本気出してた気がする。 そのあとToshlがワンフレーズずつ歌詞を言ってくれて、私たちが歌う。Ahh〜のときのToshlの声が、無駄に艶めかしい。 2回練習してから、本格的に曲が始まった。 XJAPANバージョンは初めて聴いた。6月にYOSHIKIのクラシックコンサートで聴いたケイティがボーカルのバージョンは、しっとりと切ないバラードだったけど、XJAPANバージョンはノリノリのバンドサウンドだった。明るめで、Xにしては珍しく、ちょっとポップな感じ。編曲でこうも印象が変わるものなのね。 で、サビは客席も一緒に歌うわけですが、全部英語なので歌詞を覚えきれず、スクリーンに歌詞が出ていたけど、それを見ていたら流れに乗って歌えず、Toshlの指導と練習の甲斐もなく(?)、私はあまり歌えませんでした。ごめんよ、Toshlくん。 でも、なんか、想像していたより楽しい曲調だから、みんなで歌うには良いかも。
HEROが終わると、すぐにYOSHIKIがピアノでBorn To Be Freeのイントロを弾いた。 Born To Be Freeは、初めて聴いたときから好きな曲で、復活後の曲では1番のお気に入りなんだけど、Toshlの本を読んでからは、さらに思い入れが強くなった。 以前の曲はどちらかと言うと、後ろ向きだったり憂いを帯びていたり、「二度と取り戻せないもの」への哀しみや葛藤が表れているものが多い。でも、Born To Be Freeは、タイトルにも歌詞にも、YOSHIKIの強くて前向きな意志とメッセージが込められている。
スクリーンに映った、力強く歌うToshlを見て、泣いた。 おかえり。 貴方は、もう自由だ。これから先も、ずっとずっと。 自由に、羽ばたけ。自由に、どこへでも飛んで行け。どんな遠くの地でも。 私はいつでも、ここで待っているから。
何もかも、全部許せたらいいのにと思った。 私がこれまで憎んできた人たちも、消し去りたい記憶も、すべて許すことができたら、私ももっと自由になれるのに。
いろんな想いが溢れて、泣いた。
曲の後半、YOSHIKIがドラムからピアノに移って伴奏する中、Toshlが一つ一つ言葉を噛みしめるようにサビを歌う。 free to love の love を力の限り伸ばして歌い上げた。 その姿を見つめながら、もしかするとこれはToshlのためのライブなのかもしれない、と思った。 Toshlがいろんなことに区切りをつけて、歌を通してけじめと覚悟を私たちに伝えるための、そんなライブ。
(続く)
2014年09月28日(日) |
Toshl本を読んで冷静に思うこと(1) |
Toshlの告白本「洗脳 地獄の12年からの生還」は、長年カルトに取り込まれていた当事者が、洗脳に至る経緯および自身が受けた壮絶な暴力と恫喝と搾取、そして自らの意志でカルトを脱会するまでを生々しく書き綴った、貴重な資料でもあると思う。 いちファンという立場をなるべく離れて、いち読者として感じたことをいくつか残しておきたい。
◆Toshlの強さと弱さ 8/22に放送された「金スマ」で紀藤正樹弁護士が言っていたけれど、当事者が自分の意志と力でカルトを脱会するのは極めて稀だそうだ。そして、抜け出すことができたのはひとえにToshlの強さだ、とも言っていた。 確かに、洗脳だとか脱会だとかで世間を騒がせた有名人を思い出してみると、家族などが半ば強引にカルトと引き離したり、説得したりしたケースがほとんどのように思う(ニュースを見聞きするだけなので、真偽のほどは分からないが)。 Toshlは12年に渡って心身をがんじがらめにされていたにもかかわらず、よく自分で目を覚まし、抜け出すことができたものだなあと、その強さとエネルギーに敬服する。
また、今回の本を書くにあたって、残酷な記憶を嫌というほど思い起こして整理しなければならなかったはずだが、記憶と向き合い、これほど克明な告白本を書き上げたことも、Toshlの強さを証明している。本の中で、「MASAYAたちに奪われたお金を取り戻すための損害賠償請求裁判で陳述書を作成したが、作業中にフラッシュバックに襲われ、怒鳴り声をあげて机の上の資料を部屋中に投げつけた」というようなことが書かれているが、同じようなフラッシュバックが執筆中にも起こったのではないかと思う。通常、人は「一生の痛み」になるような記憶を思い出したくないものだし、ましてやその記憶を文字に起こすなどということは、かなりの精神的苦痛を伴うものだ。その苦痛と向き合って一つのこと(ここでは本の執筆)を成し遂げるには、強靭な精神が必要だ。と同時に、自分の記憶を整理していくことは前に進むために必要なことでもあるから、Toshlにとっては執筆作業自体が回復過程の一つだったのかもしれない。
カルトにつけ入る隙を与え、いとも簡単に(本当に驚くほど簡単に)取り込まれてしまったのは、Toshlの弱さゆえと言うこともできるだろう。また、洗脳されている最中でも心のどこかで疑問を感じたこともあったにもかかわらず、脱会を決意するまで12年かかったことにも、弱さが見え隠れする。 ただし、これらを「弱さ」と片づけるのは簡単だが、洗脳が決して私たちに無縁ではなく「誰にでも起こり得ること」と考えるならば、「いとも簡単に洗脳されてしまうほど、当時のToshlは疲弊しきっていた」ととらえるのが妥当なのかもしれない(Toshlの弱さが疲弊をもたらしたと言えなくもないが)。
「強さ」という点で私が一番驚いたのは、暴力や罵倒に怯えながらも、ライブではボーカリストとしてきっちりパフォーマンスして見せたことである。本を読んでから、ZEPP TOKYOのソロライブやXの復活ライブを思い出してみると、開演直前まで携帯を通して罵倒を聴き続けていたとはとても信じられないのである。それほど、ある意味「ごく普通」のボーカリストっぷりだった。これはもう、強さとかの問題ではなくて、プロ根性なのだろうか。
◆自己評価の低さ ある書評に、「自己評価の低さに驚かされる」とあった。まったく同感だ。 1997年9月22日、Toshl抜きでXJAPANの解散発表記者会見が行われた。本によると、この会見をテレビで見たToshlは、「他のヴォーカル見つからなかったのかなぁ」と思ったそうだ。 「いやいやいやいや、そう簡単に見つかるわけないでしょ!」と、突っ込まずにはいられない。 XJAPANのボーカルはToshlでなければ務まらない。ファンでなくとも、Xに対して一定の評価をしている人なら、多くがそう思うだろう。ボーカルだけチェンジしてバンドを続けること自体はできたかもしれないが、それはもはやXJAPANではない。「XJAPAN=Toshlの歌声」というイメージが出来上がってしまっているから、代わりのボーカルを連れてきたって、なかなか聞き手に受け入れてもらえないんじゃないだろうか。 他のボーカルが見つかるだろう…なんて思っているのは、Toshlだけである。周囲は「あなたじゃなきゃ!」と思っているのに、当の本人は自分の存在価値を認識していない。なぜ、そこまで自己評価が低いのか、不思議だ。
カルトにつけ込まれる要素は、「弱さ」ではなくて、「自己評価の低さ」なのかもしれないな。自己評価が低いから、強い言葉で言われたら、信じこんじゃうんだろう。
書きたいことがまだまだあるので、続きます。
2014年09月21日(日) |
ただ、「おかえり」って、笑顔で |
Toshlの告白本「洗脳 地獄の12年からの生還」について、いちファンとしての個人的な想いを記しておく。
本を読み終えたのは、9/15のことだ。 読み進めるうち、「小説みたいだ」と思った。あまりに壮絶な内容なので、私の頭が現実逃避したくなって、小説だと思ってしまいたかったんだろう。
小説なら、どんなにいいだろう。 Toshlの脱退によってXJAPANが一度解散したことと、hideが亡くなったことはどうしようもないことだったとしても、それ以外の、Toshlの身に起こった12年間の出来事がただのフィクションだったなら、どんなにか……。 でも、あの本に書かれていることは、まぎれもない現実なのだ。だから、私は逃げてはいけない。目をそむけてはいけない。
よく、生きてきたよ。頑張ったね。 つらかったね。痛かったね。悔しかったね。
生きていてくれて、良かった。 その言葉に尽きる。
客観的事実として、Toshlには(彼の意志によらないとしても結果的に)加害者としての側面もあることは否めないだろう。Toshlがもっと早くホームオブハートと決別していれば、被害の拡大を防げた、かもしれない(防げなかったかもしれないが)。 でも、私は、全部許す。 私に「許す」なんて言葉を使う資格も権利もないことは分かっているけれど、それでも、「全面的にToshlを許す」と大声で叫びたい。 生き抜いてくれたことだけで、十分だから。
私は、ずっと目を背けてきた。 Xが解散してからの10年間も、X復活後から2010年1月までの間も。 Toshlが洗脳されていることがたびたび週刊誌などのネタになったけれど、見ないふりをしてきた。 本当は、週刊誌のでっち上げなんかじゃないって、かなりやばい状態なんだろうって、心のどこかでは分かっていたのに。 分かっていたのに、私は目を背けて、「Toshlが自分の意志でXを脱退したなら仕方ないし、Xの解散も仕方ない。Toshlが歌いたい歌を存分に歌えているなら、それでいい」と思い込もうとしていた。 MASAYAは怪しいと感じながらも、Toshlは自分の道を歩むことができているのだと思っていた。Toshlが長い間受けていた暴力や搾取なんて、想像しようとしなかった。
目を背けていたから、Xの復活後、Toshlのソロライブにも嬉々としていった。MASAYAの支配下にあったToshlの、ソロライブ。 ZEPP TOKYOで、Toshlがふりまくペットボトルの水を浴びて喜んでいた。Toshlの実情なんて知ろうともしないで、馬鹿みたいに。 あのとき、Toshlはどんな思いで歌っていたんだろう。もしかすると、ライブが終わらないことを願っていたのかな。ライブ中は、暴力を受けることも、ひどい罵倒に晒されることもないから。ステージに立っているときは、せめて、少しでも心が休まっていたなら良いな。 私は、ライブのあとに握手してもらえるからって、グッズを買った。MASAYAの書く詞にどこか胡散臭さを感じながらも、アルバムを買った。 ライブチケット、グッズ、アルバム……その売り上げのほとんどがToshlには渡らず、MASAYAや守谷香たちに奪われていたのに、私はせっせとお金を払っていた。 あいつらの資金源になっていたなら、私も、間接的な加害者だ。私は、目をつぶったまま、あいつらに加担していた。
何でちゃんと目を見開いていなかったんだろう。 自分に何かできたとも救えたかもしれないとも思わないけれど、目を開いていれば、Toshlの苦しみをほんの少しでも感じることができていたかもしれないのに。
なんで、長い間、たった一人で苦しませてしまったんだろう。
ZEPP TOKYOのライブだったか別のライブだったか、私も行ったライブの直後に、「会場の後ろの方にMASAYAがいた」というネット上の書き込みを見つけた。 今回Toshlの本を読んで、その書き込みを見たことを思い出して、「私、何であのとき会場にMASAYAがいるのを見つけて、殺さなかったんだろう」と思った。 「殺す」ということの道義的な意味や重さや、その言葉が頭をよぎることの恐ろしさや、現実的に考えて自分に殺せるはずがないことなんて、微塵も思わなかった。ただ、「殺さなかった」ことへの後悔だけが頭の中を占めた。
憎しみは憎しみを呼ぶ。 だから、「なんで殺さなかったんだろう」なんて考えてはいけない。
それに、死は、取り返しのつかない事態であると同時に、ある種の救いでもある。だって、死んだあとはもう、糾弾をされることも罰せられることも苦しむことも後悔することも、ないんだから。私は、地獄を信用しない。 あいつらに救いなんてあっていいわけがない。
殺してたまるか。
Toshlくん、貴方は今でも、一つだけ間違っているよ。 「金スマ」を見る限り、hideが亡くなったのは自分のせいだと思っている節がある。 でも、それは違う。
hideが亡くなったのは、Toshlのせいじゃない。 どこの誰が何と言おうと、絶対にToshlのせいじゃない。
自分のせいだなんて言うなら、うぬぼれないでよ。 いくら稀代のボーカリストだからって、貴方に、hideの死の原因を作れるほどの力があるはずがないでしょう?
だから、自分のせいだなんて、思うな。
先日、You TubeのYOSHIKIチャンネルで、1994年当時のRusty NailのアニメPVが公開された。 「懐かしいなぁ」なんて気楽に観始めたけど、途中から、「この頃、Toshlは何を思って歌っていたんだろう」と思ったら、泣けてきた。 個人事務所の金銭トラブルやなんかに疲れ果て、守谷香との距離が縮まっていってしまった頃だ。
PVを見て、Toshlの歌声を聴いて、泣いて、こんなんじゃだめだと思った。 こんなんじゃ、横浜アリーナでもずっと泣いてしまう。 せっかくの横浜アリーナでのライブなのに、どの曲を聴いても、「Toshlはこの曲のレコーディングのときは、どんな思いを抱えていたんだろう」とか考えてしまいそうだ。 そんなんじゃ、もったいないし、Toshlを始めXのメンバーに失礼だ。彼らは、私たちに昔を振り返ってほしいわけじゃないだろう。今と未来のXJAPANを見てほしいはずだ。
だから、笑っていようと思う。泣くんじゃなくて。 思う存分、ライブを堪能するんだ。
そして、Toshlに向かって「おかえり!」って叫ぼうと思う。笑顔で。
最近、「Born To Be Free」がよく頭の中を流れて止まらなくなる。 Toshlも、本の中でこの曲について少しだけ触れている。
Born To Be Free
みんな、自由に生きるために生まれた。 Toshlも、これから先ずっとずっと自由であれたらいい。 空の青さに目を細めたり、風のにおいを感じたり、人の温かさにたくさん触れたり、ささやかなおいしいものに感動したり、そうして、ずっとずっと幸せであれ。 人を信じることができますように。平安な心で歌えますように。 12年間のことは一生の痛みだと言うけれど、それは確かにその通りだろうけれど、どうか、心休まる日々が多くあって、天に召されるときは悔いなく人生を閉じることができますように。
最近出会った素敵な人のこと。
その1. これは私自身の体験談。 通勤に使っている路線はホームと電車の間に段差や隙間がほとんどないため、駅員さんにスロープを渡してもらわなくても、一人で乗降できる。 いつかの仕事帰りのこと、その日は会社の最寄駅で電車に乗る人が多くて、電車のドア付近が一時的に混みあった。私は、周囲の人にぶつからないように少し待ってから、一番最後に乗ろうとしていた。 そうしたら、電車内のドア寄りに立っていたサラリーマンが、私が乗り込むまで電車とホームを跨ぐように立って、ドアが閉まらないようにしてくれたのだ。 時間にして、5秒弱。でも、そのたった5秒弱の出来事は、私の胸の内にあたたかい風を届けてくれた。 そのサラリーマンが電車とホームを跨がなくても、たぶんドアは閉まらず、私は安全に乗り込むことができただろう。でも、そんなことは問題じゃないんだ。その人の、小さいけれど大きな気遣いに、私は感謝した。 片方の足を電車の外へ出したその振る舞いは、私の車椅子が通るのに邪魔にならないよう立ち位置も配慮されていて、でも、さりげなくて、全然これ見よがしじゃない。 一瞬で状況を判断してごく自然にそんな気遣いができる人は、本当に素敵だ。気遣いだけでも嬉しいのに、さりげないところが素晴らしい。
その2. これは、電動車椅子を使っている同僚の体験談。 同僚の自宅から最寄り駅の途中には、押しボタン式の信号機があるらしい。ただ、同僚は自力でそのボタンを押すことができないので、周囲に人がいないときは、車が来ないことを確認して赤信号で渡らざるを得ないそうだ。 あるとき、やはり周囲に誰もいなくて、道を渡るタイミングを見計らっているとき、後ろからサラリーマン風の中年男性が歩いてきて、同僚のほうをちらりとも見ずに信号機のボタンを押したそうだ。そして、その男性は、横断歩道を渡らず、何事もなかったかのようにスタスタ歩いて行ったという。 同僚が事態を把握したときには、男性は結構先まで行ってしまっており、大きな声を出すことができない同僚は、男性の背中に向かって頭を下げたそうだ。
私は、この話を聞いただけで、その男性に惚れてしまった。 なんて感動的な、なんて胸キュンな話だろう! 同僚の方をいっさい見ずに、さっとボタンを押して、何食わぬ顔で自分はそのまま歩いて行く……なんてジェントルなのかしら!! どうしたら、そんな素敵な人間になれるのだろう。ちょっとでもいいから、見習えたらなあ。
二人の素敵な紳士に、心から敬意を表します。
2014年09月15日(月) |
連休中の記録というか記憶 |
12日にラゾーナへ行ったことは昨日の日記に書いた。
食事の前後に適当にお店を見て回って感じたけど、ラゾーナって何でもあるのね。 おいしいものもいろいろあるし、大きな本屋も家電量販店もロフトも洋服も。それから、私にとっては4℃とAfternoon Teaがあるのが大きい。 ラゾーナはあまり行ったことなかったけど(ちゃんとウロウロするのは初めてかも)、好きな買い物場所の一つになりそう。
まず、Windows8.1の小さな本を買う。 母が長年使っていたノートパソコンがいよいよ危うくなった(まともに起動しないことがある)ので買い替えたのだが、諸々の設定をほぼ丸投げされ、しかし家でも職場でもWin7を使っている私は見慣れない8.1のスタート画面に戸惑って作業が進まないため、本を買うにいたったのだった。
それから、10/1のXJAPANのライブがWOWOWで生中継されるのに、録画用のディスクがなかったことを思い出し、ビックカメラへ。 そこでは3DS用のマリオの新しいソフトも手に取ってみたけれど、いま買ったら連休中ずっとマリオ漬けになってしまう! と思いとどまり、棚に戻した。 買わなかった私、偉かった!
あと、ロフトに行ったら早くも来年の手帳が並んでいたので、仕事用とプライベート用を買う。いまだに、プライベートの予定を携帯じゃなくスケジュール帳にメモっているのだった。
13日(土)は、本を片手に母のパソコンを設定したあと、2時間くらい寝てしまった。昼寝って、何であんなに気持ちいいんだろうか。
昨日14日の明け方は、仕事でやり取りのある行政の人に「書類はもっと早く出してください!」と怒られる夢を見た。 いつもちゃんと提出してるつもりなんだけどなぁ。無意識にプレッシャーを感じてるのかな。
日中は、数年前に友達にもらったレミオロメンのアルバムを久しぶりに聴いてみた。曲をほとんど忘れていたけど、期待以上に心地良い音楽が流れてきて、それだけで有意義と思える日だった。
今日の明け方は、夢の中で職場が移転することになっていて、社員総出で引っ越し準備をしていた。連休中というのに、夢で仕事から逃れられない私。 そして、背中から腰にかけて筋を違えてしまったようで、激痛で目を覚ます。
夕飯前にToshlの本を読み終えた。内容が内容だけに簡単には感想を書けないので、また後日。
12日(金)は、先週末に休日出勤した分の振休を取った。それで、今日まで4連休だった。
12日は、小学校からの友人2人とラゾーナで食事した。 メニューの豊富なビュッフェレストランで、少量ずついろんなものを味わって、お腹いっぱい、大満足だった。 私は独身で実家暮らし、友人の1人はパート勤務の兼業主婦、もう1人の友人は1児(男の子)の母で、育休中だ。環境や暮らしぶりは3者3様だけど、会えばすぐに話に花が咲く。話す内容が昔とは少しずつ変わってきているとしても、空気感はやっぱり昔と同じままなのだ。
友人の息子くんは、8ヶ月になっていた。この前会ったのは生後1ヶ月のときだったから、そのときから比べると随分顔がしっかりして、体も大きくなっている。
正直、これまでは子供を見てもそれほどかわいいとは思えなかった。そりゃあ他の人が思う程度には普通にかわいいと思うことがないわけじゃないけれど、他人の子供にそれ以上の情なんて湧かなかった。 子供を邪険にする気持ちはないし、子供というのは世の中で最も守られ、最も未来が約束されるべき存在だと思っているので、「子供を虐待死させた奴は死刑にすべき」というのが私の以前からの感情的な信条なのだけれど、その信条と、子供が好きかどうかというのは別の話だった。 要するに、私は、子供が嫌いという訳ではないけれど、ぶっちゃけ、好きでもないのだった。
ところが、だ。 友人の息子くんのことは、かわいくて仕方ない。 確かに、息子くんは顔もかわいい。でも、顔がどうのっていう、そんな次元の話じゃないのだ。
帰宅してからも、息子くんのことを思い出しては、にやにやしている。 澄んだ目や柔らかな頬や、ベビーカーの上で自分の両足をつかんで口まで持ってこようとする仕草や、キャラクターが飛び出すおもちゃを見てケラケラ笑う顔や、ガサゴソと音を立てるビニール袋が気になって端っこをつまんでみる指の小ささや、離乳食をもぐもぐする口元や、母親(私の友人)に抱っこをせがもうと伸ばす腕や、眠くて泣いてみたときのゆがんだ表情や……とにかく、思い出せば切りがない。 他人の子供にこんなに愛情じみた気持ちを抱くなんて、どうしちゃったんだ、私。 たぶん、息子くんへの想いは、友人に対する愛情ゆえなのだと思う。私は友人のことが好きだから、彼女の宝物である息子くんのことも愛おしく思うのだろう。 友人にはずっとずっと幸せでいてほしい。息子くんが幸せなら、友人だって幸せなはず。だから私は、息子くんの幸せを願う。素敵な出会いをたくさん得て、きれいなものややさしい気持ちにいっぱい触れて、キラキラした人生を歩んでほしい。できることなら、悲しいことなんて何一つ知らずに。 いつもクールな彼女が、いまや「みんなでご飯食べると、おいしいね」なんて、やさしい顔と声で子供に語りかけてるんだもの。そんなの見ちゃったらもう、何だかそれだけで涙出ちゃいそうだわ。
いまだから書けるけれど、私はこの友人に対して嫉妬したこともあった。それも、そんなに昔じゃない話。 能力も仕事もキャリアも愛してくれるご主人も、何でも手に入れて順風満帆のように見える彼女。他人には分からない大変な思いもしてきただろうけれど、外から見れば、すべてを持っているかのようだった。そんな彼女を羨んだ。 でも、自分が彼女と息子くんに対してやさしい気持ちを抱けていると分かって、私の中で、一つ壁を越えた気がした。 嫉妬が消えたら、彼女は今も昔も変わらず、聡明でやさしくて知的で自立した女性だった。 壁を越えたと思える私は、たぶん、自覚しているよりも人生がそれなりに充実しているんだろう。
2014年09月01日(月) |
悔い改めた者は、許されなければならないのか。 |
Toshlの著書「洗脳」をまだ読んでいない。 読まなければと思いながら、あまりに重すぎるであろう内容に尻込みして、なかなか買えずにいた。 だけど、横浜アリーナのチケットが取れたとき、ライブまでには絶対読んでおくべきなんじゃないか、私には読む義務があるんじゃないかとまで思えてきて、悩んだ末に昨日ようやくアマゾンで注文した。 本を読む前に、その重さに少しでも耐性をつけておきたくて、録画してあった8/22の「金スマ」を週末に観た。Toshlの12年間の壮絶な体験が語られた番組だ。 わりと冷静に観ることができたのだけれど、夜になって思い出して寝付けなくなり、むせび泣いた。
月曜夜8時から、TBSで「ペテロの葬列」というドラマがある。宮部みゆきの小説が原作だ。 宮部みゆきの小説は好きな部類に入るが、このドラマはどうしても苦手だ。父が観たがり、放送時間帯は私の夕飯時なので、自室へ逃げるわけにもいかず、見ざるを得なくなる。 人間の持つ悪意や毒に浸食されそうになって、気分が悪くなる。悪い奴らが出てくるフィクションは嫌いではないし、むしろ痛快に思える物語もあるけれど、このドラマはダメだ。 (ドラマを批判するつもりはない。ただ、私と波長が合わないだけだ)
人の心を操って痛めつけるような類の悪は、私の憎しみを誘発する。
ある登場人物が言った。 「どんな悪人でも、改心するものなんですよ」
そのセリフを聞き取った瞬間、大声で叫んで手当たりしだい物を投げ散らしたい衝動に駆られた。 そうしないように、体中にぐっと力を入れて踏ん張った。
ふざけるな。 改心したから、何なのだ。 悔い改めれば、それで許されるのか。 痛めつけられた者の傷はどうなる? 痛めつけられた者の傷や記憶がさらりと消えるなら、存分に改心するがいい。 一生の傷を抱えたまま生き続けなければならない者のことを考えたら、「どんな悪人でも改心する」だなんて、聖者みたいなこと言ってられねーんだよ。
加害者が心の底から悔い改めたならば、許されるべき罪というのは確かにあるだろう。 でも、どんなに悔い改めたところで、許されるはずのない罪というのも確かに存在する。
悔い改めた者は、天国へ行くのだろうか。 冗談じゃない。
私は、あの人たちを決して許さないだろう。 私に、許す、許さないと言葉にする権利なんてなくても。
貴方が許したら、私も許せるのだろうか。 貴方がこの先の人生を幸福に過ごすことができたら、私はあの人たちを許すことができるだろうか。
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