月に舞う桜
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IEが危ないってことで、自宅でも会社でもchromeを使うようにしたけれど、何だか使いにくい。 別にchromeが悪いってわけじゃない。ずっとIEを使っていたから、慣れていないだけだ。 新しいものを「使いにくいなあ」とぼやいてしまったら、柔軟性の低下を認めるようで癪な気もする。 重いとかセキュリティが弱いとか、いろいろ言われるIEだけど、私は不便を感じたことがない。 でも、まあ、この機会にchromeに慣れておくのも良いか。 そう言えば、会社でやってるPC講座で「同じことをやるのでも、何通りか方法を知っておいた方がいいですよ」と繰り返し口にしているのは、他でもない私だった。
バタバタした一日だった。
社長が鬱陶しい。
気分転換に、会社帰りに近くのお店をうろうろ回った。
洋服を見ていてもアクセサリーを見ていても、そのお店にバッグがあれば、私はいつの間にかそちらへ吸い寄せられてしまう。 バッグを見ると、何であれもこれも全部欲しくなってしまうのだろう。洋服や靴やアクセサリーなら、そんなことはないのに。
GUは安い。安すぎる。あの値段を見てしまったら、他のお店では買う気がしなくなるくらいに。 とてもかわいいノースリーブのカットソーがあった。商品の現物を見る前に、ローラが着ているパネルを見て、惚れた。 ローラがモデルとして本気を出すと、何気にすごい。何でも着こなす。どんな洋服でもかわいく見えてしまう。
物欲が急上昇していて危険なことは自覚していたので、ぐっと自分を抑え込んで、何も買わずにショッピングモールを出た。
通りがけに、花屋があった。 例えば、5月2日にピンク色の花を買ったら、少し早めの母の日のプレゼントだと思われるのだろうか。 そんなことを考えたら、急にかなしくなって、人が行き交うのも構わずにワーワー泣きたくなった。
外に出て、暗い空を見上げた。 空。 空は、昼でも夜でも広すぎる。
誰かが隣にいてくれたらいいのに。 誰か、は、家族でもない友達でもない。岡田准一でもなければ、ピンクの花を捧げる人でもない。 その誰でもない、誰か。
別のショッピングモールへ行って、あまり真剣にではなく洋服を見て、やはり何も買わずに出た。
空は相変わらず広かった。
私は急に、一人で気ままにお店を冷かして回れることや、買うも買わないも自由に決められることが、嬉しくてたまらなくなった。 このままどこまでもフラフラ出かけて行って、一人でも生きていけるような気さえした。 ほんのちょっと前に「誰かがいてくれたら」と願ったことなんて、さっぱり忘れて。
春の香りには、麻薬の成分でも混じっているに違いない。 希望とエネルギーに満ち溢れた怪しげな香りに侵されて、いつもは閉じている脳のどこかが開いてしまうんだと思う。 正負を問わず、エネルギーが過剰になる。
まだまだあちこち買い物したい。小説を書きたい。本を読みたい。録り溜めた映画を観たい。
それでも結局、そのすべてが中途半端なまま、私は誰かを待ってしまうんだろう。
家の前の景色は、桜の葉で一面黄緑色だ。若々しい葉の色は、希望を感じさせる。 でも、今日の私が感じている希望は、「これから先の人生にどんな素晴らしいことでも起こり得る」という類の未来志向ではなくて、「ずっとこんな日が続けばいいのに」という、現在に閉じ込められた感覚だ。 それがいいのか悪いのかは、何とも言えない。
絶望している日も希望に満ちた日も、本当はただ季節が等しく移り変わっているだけだ。すべては、気の持ちよう。 けれど、人の心は勝手に季節に左右される。
春、晴れた日は、日が長くなったことに驚く。 今は夜の6時過ぎだけど、まだ4時くらいなんじゃないかと錯覚してしまう。 春はやっぱり、日中を窓のある部屋で過ごすのがいい。 いや、春だけではなくて、夏も秋も冬も、たぶん。 窓があると、自然と外に目を向ける。そして、視線が上に行く。そんな些細なことが、生き物としての人間にとってはとても大事なことなのではないかと思う。
明日はまた、窓のない部屋で過ごさなくてはならない。
朝、会社の一つ手前の駅で、素敵な雰囲気の男性が電車に乗ってきた。 単にイケメンというんじゃなく、その人が醸し出している空気に惹かれるものがあった。 その人は、ドアと手すりで構成されている角にもたれて、文庫本を読み始めた。 席は空いているのに、座ろうかと一瞬でも思案の表情を見せなかったところとか、手にしているのがスマホじゃなくて文庫本であるところとか、ジーンズに包まれてすーっと伸びた脚とか、本に落とした目線とか、一つ一つ、好ましく感じられたのだった。
私は、次の駅で降りなければならなかった。
恋にはスパイスが必要だ。恋が人生のスパイスなんじゃなくて。
たった一駅しか見ていられない、ということが、その人の「好ましさ」を感じ取った私の気分をより高揚させたように思う。 それから、春である、ということも重要な要素だったに違いない。春で、気持ち良く晴れていて、暖かな日だということが、恋じみたものにもそれ以外にも、拍車をかける。
メイクをうまくなりたい。 今更だけど、チークって大事だなと思う今日この頃。 忙しい朝にはつい抜きがちだけど、なるべくきちんと使っていきたい。チークの入れ方がうまい人を見ると、そう反省する。 それから、下まぶたに綺麗にアイラインを引けるようになりたい。今は上だけ引いているけれど、下も目尻3分の1くらい引いたら、もっと目力のある顔になるんじゃなかろうか。 でも、私が下まぶたにアイラインを引くと、どうしても滲んでしまったりしてうまく仕上がらない。 他の部分、例えばチークとかなら、失敗しても何とかごまかしが効くけれど、アイラインはそうはいかない。だから、なかなか挑戦できずにいる。 休みの日に徹底的に練習すればよい、ということは分かっているのだが…。
先日、春っぽい明るい色のアイシャドウを買ってみた。 でもまあ、気が付くと同じような色ばかり揃ってしまうことも否めない。
ナチュラルな仕上がりにするには、スポンジやチップじゃなく、何から何までブラシを使うとよい、とネットに出ていた。 この春は、下瞼アイラインよりもブラシの使い方を研究するべきだろうか。
2014年04月14日(月) |
過去の自分の思考回路が理解できない |
小説のデータを保存してあるフォルダをあさっていたら、書きかけの小説が予想以上にたくさんあった。 7,8年前のファイルが多い。どれもこれも中途半端で、ちょっと書いては投げ出し、また別のものをちょっと書いては投げ出し……を繰り返していたようだ。 ひどいものだと、1行しか書いていなかったり。 そんなんじゃ、今となっては、どんなストーリーでどんな世界観のものを書こうとしていたのかさっぱり分からない。 「水鏡」というタイトルがついているので、Coccoに影響を受けてテイストを真似たかったのだろうと想像するけど、それ以上のことが思い出せない。
どうしよう。
……とりあえず、このファイルは見なかったことにしておこう。
2014年04月13日(日) |
体調の変化と体の七不思議 |
30代になってからか、それ以前からだったかは忘れてしまったけれど、ここ数年で体調と言うか体質が微妙に変わってきた気がする。 昔はよほど高熱でも出さない限り頭痛なんてしなかったのだけれど、最近は風邪の引き初めによく頭が痛くなる。熱を計ってみると平熱ということが結構あり、疲れからくる神経性の頭痛かななんて思ってやり過ごしていると、そのうち他の風症状が出てきたりする。 今年に入って、頭が割れそうなほど痛い、という理由で会社を2回ほど休んだ。 とある週末、ひどい頭痛に見舞われて微熱もあり、ずっと寝て過ごしていた。そうしたら月曜には熱も頭痛も治まったので会社へ行った。その日は全社員が集まるイベントがあったのだけど、直前まで体調に何の問題もなかったのに、社長が話し始めた途端に、嘘みたいに頭が痛くなった。思わず笑いそうになった。社長の話が終わってしばらくすると、また頭痛は消えたけれど、翌日に熱がぶり返す始末。
それから、休日の睡眠時間がかなり長くなった。毎週のように12時間くらい寝てしまい、午前中がつぶれてしまう。
PMSの期間も長くなっている気がする。
会社では、夕方になると猛烈に眠くなる……あ、これは体調の問題じゃなくて、気の持ちようか。
そう言えば、これも数年前から起きている私の体の七不思議なんだけど、例えば会社帰りにご飯を食べに行ったりして帰りが遅くなると、左の膝が丸く腫れるのだ。 蚊……脚が黒と白の縞々模様になっている蚊に刺されたときみたいな感じで、全体が赤いんじゃなく、真ん中は広く黄色で、縁がちょっと赤くなる。 痛くも痒くもなく、ただ腫れている。で、お風呂に入っているうちに自然と腫れは引くのだ。
体の七不思議と言えば、もう一つ。 私は、横向きで寝るのが好きだ。特に、左側を下にして寝ると姿勢が安定して、長い時間、熟睡できる。が、この姿勢でくしゃみをすると、横隔膜辺りの筋を違えてしまう。そのままにしておくと痛くなってきて眠れないので、いったん仰向けになる。そうすると、がくっと音がして、筋が元に戻る。私の体、どうなってるんだ!?
こんなことばかり書いてたら、もう一個思い出したけど、去年の11月か12月に左肩を痛めて以来、いまだに完治していない。日常生活に支障はないけれど、何かの拍子に今でも痛みが走る。それでも、整形外科にも行かず、放っておいてるのだが。
まあ、無病息災は難しいので、一病息災くらいがいいのか。
2014年04月09日(水) |
spider or butterfly |
家のベランダの向かいにある桜の木は、もう花がだいぶ散ってしまった。 桜を眺めていると、よくhideを思い出す。 どうしてだろう。 満開の桜がピンク色だからだろうか。それとも、桜に儚いイメージを持っているからだろうか。
朝、家を出たときから、「ピンクスパイダー」が頭の中で回っていた。 イントロのギター音と、hideの歌声。
蜘蛛は蝶の羽根を羨み、蝶は飛び続けなければならない「自由」のつらさを知っている。
自由は、難しい。
自由は、気が付けばすぐそこに昔からあるもので、でも、本当の自由なんてものはどこにもない。
空は、果てしなく遠いから、憧れる。手を伸ばしたくなる。
自分が紡いだ糸を大切に守るのも、自由。 糸を切り裂いて飛ぼうとすることも、自由。
空へ昇ってみれば、そこは憧れとは程遠い試練の場所かもしれない。 それでも、自らの意志で選んだ場所なら、すべて引き受ける覚悟でなくちゃ。
私は蜘蛛だろうか、蝶だろうか。
少なくとも、他人をけしかけてほくそ笑む極楽鳥には、なりたくはない。
ピンクスパイダーの歌詞↓ http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=64924
2014年04月07日(月) |
懐かしさだけならいいけど |
3月最後の金曜日、会社帰りにみなとみらいに行って念願のハーフトレンチを買い、お好み焼きを食べた。 そのお好み焼き屋では、私が高校生の頃にはやった歌が流れていた。 SPEEDの「Wake Me Up」、猿岩石、大黒摩季の「あなただけ見つめてる」、ポケビ……じゃないや、ビビアン・スーがボーカルだったグループのほうの曲、相川七瀬の「トラブルメイカー」。 とにかく、90年代後半の歌ばかりが次から次へと流れた。 そんなのを聞いていたら、懐かしさと言うよりも、もう戻れないことの痛みを強く感じた。 これから先の人生がどんなに長くても、あの頃には決して戻ることができない。失ったものは、二度と取り戻せない。失ったものが何なのか具体的には分からないけれど、私は「取り返しのつかなさ」を感じていた。 失ったもの……それがな何なのかあえて言うなら、おそらく「時間」だろう。子供の頃、若い頃の、掛け替えのない時間。その時間を使って経験すべきことを、私は経験してこなかったように思う。
過去は美化される。 本当は、若い頃の方が今よりずっと生きづらかった。だから、戻りたくはないし、時間を取り戻したところであまり意味はないのだろう。 それでも、いつの間にか美化されていく過去は、きらきら眩く感じられて、もう取り戻せないのだということが、痛い。
この週末、家でミスチルのベストアルバムを聴いているときも同じ痛みを感じた。 例えば、youthful days。 私はこの曲が大好きで、はやっていた頃、若いってなんて素晴らしいんだろうと思っていた。 今も、そう思う。 でも、同時に、私自身はもう若くはないのだ、とも思ってしまう。私はもう、youthful daysの主人公とは違うのだ。
人生に、後悔はしていない。 そのときそのときで、自分にとって最善の道を選んできた自信がある。 それでもやはり、「あの頃」を取り戻せないことは、悲しい。
2014年04月06日(日) |
2014年になってからのこと |
1月後半から2月上旬にかけて、気力が落ちていた。セロトニンだがドーパミンだかヒアルロン酸だか……あ、ヒアルロン酸は違うか。とにかく、脳内に必要不可欠な何かが不足しているか過多になっている感じがした。
自分のエネルギーが低下しているときは、他人の負の感情に侵されやすい。 その頃、冷凍食品に農薬を入れた男が逮捕された。 多くの人の中に、いや、他人のことは分からないから言うべきではないけれど、少なくとも私の中には、小さな悪意や不満がある。だからと言って、人様が口にするものに農薬を入れてやろうなどとは微塵も思わない。思わないが、小さな悪意や不満に蓋をして善良な市民でいることに、ときどき不公平を感じて馬鹿らしくなる。 犯罪を犯せばそれ相応の刑罰を科される、という意味では、不公平ではない。そもそも、私自身が、善良な市民でい続けることを願っている。 それでも、私が飼い慣らしている悪魔は、ときどき「まったく不公平だ。やってらんねーよな」と呟く。 悪意を持つことと、それを行動に移すことの間には高い壁がある。その壁を乗り越えてしまった人は、罰せられはするけれども、結局はどこかでのうのうと生き延びるのだ。一方で、正義感や倫理観や当たり前の人間らしさで悪意や不満を抑え込み、壁を乗り越えまいと必死で己の足を地につけて生きる人たちもいる。例えば、生活保護以下の給料だとしても、だ。 そこに不公平を感じてしまうとき、私は恐ろしいことに思い当たる。 悪意を行動に移してしまう人に、本当は嫉妬しているのではないか? 本当は、私は壁の向こう側へ行きたがっているのではないか? そして、思考はさらに先へ進む。 私にとって、「悪意や不満といった感情と、それを形にした行動との間にある壁を乗り越える」とは、人様の食べ物に農薬を入れることではない。おそらく、下らなく感じてしまった世の中からドロップアウトすることなのだ。
けれども、物事は、実はもっと単純だ。 思い起こせば、1月から2月は軽くウツになりやすい。ただ、それだけのことだった。 去年は新しい環境に入ったばかりで気が張っていたから、元気だったけれど、おとといやその前の年を振り返ってみると、どうもエネルギーが低下しがちな時期らしい。
2月下旬のある夜、空が澄んでいて星が輝いていた。その日は少し暖かくて、春のにおいがしていた。 帰り道、星を見上げながら春の芽吹きを感じたら、なんだかわくわくした。 そして、以前書きたいと思っていた小説の世界が広がって、主人公が頭の中でしゃべりだした。
春のにおいは、毎年ドキドキする。
2014年04月05日(土) |
何か始めたくてそわそわする季節 |
4月。 暖かくなって体が動きやすくなるうえに、世の中がわさわさするから、その空気に乗って何かを始めたくなってしまう、そんな季節だ。 もう何年も小説を書いていないけれど、2月の下旬くらいから、急に何か書きたくなった。 ずっと前から書きたいと思いつつ形にしていない題材が4,5個はあって、そのうちの2つの世界が私の中でむくむく膨らんでいる。私が小説を書くときは、まず頭の中に映像が広がって、その展開されるドラマを文章に置き換えていくのだけど、最近は会社の行き帰りに、登場人物たちがずっと喋っている。あとは文字に起こすだけだと言わんばかりに。 何かを始めたい衝動と、私の「子供たち」にせっつかれていることと、それから、ここ数年で落ちてしまった文章力を取り戻したい気持ちもあって、ようやく重い腰を上げようとしている。 手始めに、数人の同僚にサイトのことを伝えてみた。「こんなの、やってます」と言ったからには、更新していかなくては、と思う。そうやって自分を追い込まないと、せっかく上げた腰をすぐに下ろしかねない。
小説のタイトルを考えていて、ふと「生者の行進」というのが閃いた。結構気に入ったのだけど、念のためネットで検索したら、同タイトルの小説がすでに世に出ていた。なので、残念だけど、別のを考えなくては。
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