月に舞う桜
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マルイの春のサンシャインバザールに行った。 池袋は遠いので、1月のセールで招待状をもらった時はどうしようかなぁと迷っていたけど、友達からの誘いもあったし、物は試し! と行ってみた。
会場は、予想通りかなり混んでいた。 こりゃあ遠慮してたら良い物がゲットできない! と気を引き締め、周りの人の足を轢かないように気をつけつつも、ワゴンに群がるライバルたちの隙間を縫って、強引に押し進んでいった。
今日の戦利品↓ ・膝丈ストッキング ・スカート(水色) ・スカート(薄い黄色で、ひらひら揺れるタイプ) ・アーガイル柄のハイネック半袖ニット(黄色) ・春用セーター(黄色、胸元にリボン) ・ファーチョーカー(茶色) ・薄手マフラー(光沢のあるベージュ) ・ストール(明るい紫)
以上、しめて2万1千円! 安い! こんなに安いと、普通のときにマルイで買うのがバカバカしくなるよね。 あまり一つ一つをじっくり見ることはできなくて、安さに勢いづいてほとんどが即決で買ったものだけど、それにしてはかなり良い買い物ができた。 黄色が多いのと、マフラーやらストールやら、巻き物(と言うのか!?)をやたら買っているのが気になるところだけど。 当初スプリングコートと腕時計と黒いセーターを見ようと思っていたのに、何一つ買っていないのも気になるところだけど。 あと、セール前の腹ごしらえでチョコレートケーキ、夕飯で苺タルト(期間限定の、あまおうタルト!)、計2個のケーキを食べてしまったのも気なるところだけど。
3時間半くらい人混みにいたので、めちゃくちゃ疲れた。でも、良い疲れだと思う。ライブのあとみたいな。 すごくストレス解消できて、ここのところの精神疲労がだいぶ癒えたと思う。 月曜からまた頑張ろう!って思えただけでも、行った甲斐があったと言うもの。 今日の戦利品を身につけて出掛けるのも、楽しみだ。
こんな精神状態では、電話に出てもまともな応対ができそうにないので。 と言って、もう一日休みをもらった。月曜日には必ず出社する約束をして。
忙しいときに申し訳ないけれど、私はやっぱり自分が一番大事だ。 自分が完全に壊れてしまう前に、早め早めの対処が肝心。それができるのは自分しかいない。 数年前、私はそのことを嫌というほど学んだ。 だから、どんなに他人に迷惑をかけても、私は自分の精神を守ることを最優先する。 自分の精神を最優先することが、結果的には、これ以上の迷惑をかけないことにも繋がるのだし。
休息は大切だ。 だいぶ、まともになってきたと思う。
心が、折れた。
大きなクレームを受けたあとなら、へこんだり嫌になったりするのは当たり前だ。 でも、最近はそういうのじゃなくて、ごく些細な行き違いやよくある意見(もっともだとは思うが現状のシステムではどうにもならないもの)にも、うまく対応できなくなっていた。 とにかく、ちょっとのことでイライラして、応対をこじらせてしまったりもした。 それで今日は、お客さんに対しては自分の感情を出してはいけないと必死に言い聞かせて、うまくかわして頑張っているつもりだった。
が、必死に頑張っていたぶん、限界が来てぷつんと糸は切れ、涙が止まらなくなってしまった。 大きなクレームでもないのにこうなってしまったら、すぐには持ち直せない。クレームというはっきりした原因があっての動揺なら、立ち直りも早いけれど、自分の精神状態に問題がある場合は厄介だ。
とても電話には出られないと判断し、半休をもらって帰った。 みんなが心配してくれた、けれど……。
「いつも元気な弓月ちゃんが、どうしたの」 いつも元気なわけじゃないよ。そんな人、いるわけないじゃない。 笑ってれば心が元気なんて、そんな簡単なものじゃない。
「何かあったの?」 何かあったのなら、よかったのに。何もなく、ただじわじわと押しつぶされて行ってこうなってしまうことが、一番恐ろしいことなんだから。
こういうときはXのDVDを観るべきだ。そう分かってはいたけれど、ぼうっとしてしまって、DVDを取りに動くこともできずにいた。 それで、Silent Jealousyを口ずさんでみた。
「どこに行けば 苦しみを愛せる?」 ――XJAPAN『Silent Jealousy』より。
生きる理由を探した。 生きる……ただ息をするのじゃなく、きちんと生きる理由を。 週末は予定があるし、来週末も予定がある。それに、5月までは生きなくちゃいけないんだった。
やっと再び涙が溢れた。 その勢いでDVDをセットしようと決め、「青い夜」にするか「白い夜」にするか……としばし迷った末、思い直した。 いま必要なのは、「過去」じゃない。いまの私にエネルギーをくれるのは、「現在進行形」だ。 それで、「破壊の夜」を手に取った。それならSilent Jealousyも入っていることだし。
同じライブでも、観るたびに新しい発見がある。あ、こんなところでスタッフがこんなサポートしてたんだ! とか。そんな楽しさもあるのが、DVDの良いところだ。 改めて観てみると、正直、やっぱりあのライブは演奏や作りが若干劣っていると思う。10年ぶりだから無理もないけれど、何となくばらばらな感じ。 TOSHIの声はちょいちょいひっくり返るし、紅でYOSHIKIはドラムを叩き切れていないし、ギターの変な音が入ってるし、I.V.のサビを繰り返させるところは探り探りでノリ切れていないし。ピアノからドラムに移って、照明も含めて曲調が変化するときの間が悪いし(HIDEの音と映像待ち? と思わなくもない)。 そんなところに気づいて苦笑しつつ、でも得るエネルギーの方が圧倒的に大きいわけで。
観終わったときは、だいぶ気分が落ち着いていた。 XのライブDVDは大きなスクリーンで観るべき! 誰か、近くにホームシアターやってる人いないかなあ、なんてのんきに考えていたくらい。
リストカットは、しない。 たとえ自殺することがあっても、リストカットだけはしない自信がある。理由は簡単、血が嫌いだから。 でも、リストカットの意義は、解る。死ぬためではなく、むしろ生きるため、死ぬほど苦しい状態から自分を救い出すためだということも、解る。
24の夏から秋にかけて、おそらくリストカットの効果と同じものを、私は経験してしまった。 ちょうどその頃、リストカットに走る若い女性が増えている話が、あちらこちらで上がっていた。 きっと死ぬためじゃないんだろうな……ということは、容易に想像できた。どれくらい効果があるものなんだろう、どれくらい楽になれるんだろう、と考えた。 リストカットと同じような「薬」を求めていて、でも体を切るのが嫌だった私は、自分の手首を思い切り噛んでみた。それから、太腿に長い爪痕をつけてみた。
効果は、絶大だった。 手首や太腿の痛みと引き換えに、心がすうっと軽くなった。胸のつかえが取れて、うまくできなった呼吸がスムーズになり、気管や血管を正しいものが正しく流れている感じがした。 効果が大きすぎたので、私は逆に怖くなった。これは癖になる、と思った。耐えられる程度の痛みで、これだけ即効性があるなら、体に無数の傷跡ができるのも厭わなくなってしまう。そう思うと、自分の狂気が恐ろしかった。
だから、私は手首を噛むことをやめた。後戻りできなくなる前に。 いまも、一歩手前で踏みとどまっている。 恐怖とは、自分を守るためのものなのだなと、つくづく思う。 血に対する恐怖、己の狂気に対する恐怖、後戻りできなくなることへの恐怖。それらが、私の意志とは独立した場所で、私を守っている。 もっとも、狂気も見方によっては自己を守るためのものなのだけど。
私をバカにする奴は、許さない。私の大切な人や大切なものを否定する奴も。 彼らは私の世界を広げてくれる。それはつまり、私を救ってくれるということ。そんな彼らを少しでも否定することは、私をバカにし、蔑ろにするのと同じことだ。だから、許さない。
感情を抑えることができずに他人や物に破壊的なエネルギーを向けてしまう、そんな人たちの心が、ときどき解ってしまう。「誰でもよかった」というぞっとする言葉さえも、何となく理解できてしまう。 解ってしまう自分が、怖い。 境界線を越えるか越えないかの違いだけで、私と彼らにはいったいどんな大きな隔たりがあると言うのだろう。
抑えても抑えても、沸騰した湯がやかんから吹きこぼれるように、「それ」は私の体から溢れ出ようとする。
他人を壊しては、ならない。 だからせめて、最悪の場合は物にエネルギーを向けるように、と、辛うじて繋ぎ止めた理性で考える。 でも本当は、どうしてもどこかへ刃を向けずにいられないなら、それは人や物を含めた「他者」へではなく、自分へ向けるべきなのだ。
「ぼくを見て! ぼくを見て! ぼくの中の怪物がこんなに大きくなったよ!」――浦澤直樹『MONSTER』より。
高校時代の友達と、ランチした。 彼女と会うのは本当に久しぶりで、友達の中では一番長いこと会っていなかったと思う。「何年ぶりだっけ?」と記憶をたどって、「確か、成人式で会った気がするよね」と導き出した答えが一致したから、8年ぶりか。 それだけ長いこと会っていなかったのに、mixiで頻繁に話しているからお互いの近況にわりと詳しくて、あまり久しぶりの感覚がなかった。
崎陽軒本店の中にあるイタリアンレストランで、ちょっと優雅にランチ。 このレストラン、コースメニューがどれもお洒落でおいしくて、一品が少量で食べやすいので気に入っている。
今日のメニュー(1日50食限定のコース)↓ ・アンティパスト3種盛り合わせ ・筍と南瓜のパルミジャーノチーズ焼き ・ジャガイモと菜の花のスープ ・帆立とアンコウのアーモンド風味焼き ・完熟有機トマトのスパゲッティ バジリコ風味 ・デザート3種盛り合わせ ・コーヒー
まずはスパークリングワインで乾杯(昼間だから1杯だけ、と言いながら)。 大学からいままでの大まかな歩み、仕事のこと、いまの生活環境、高校の同級生の誰々は結婚したらしい、などなどを話しながら、料理が進んだ。 アンティパストの盛り合わせは、イカと野菜のマリネ、ブロッコリーとカリフラワーを茹でたもの(いや、ソテー?)、オリーブオイルを垂らした生ハム(イチゴ添え)だった。 繰り返しになるけれど、少量ずつを数種類食べられるのが、良い。 2品目の筍と3品目の菜の花は、春を思わせてくれて嬉しい。どちらも好きな食材だし。 帆立とアンコウのアーモンド風味焼きは、一番気に入ったメニューだった。帆立とアンコウがアーモンドの香ばしさでおいしいのはもちろんだけど、下に敷いてあるキャベツが甘くやわらかくて美味だった。
最近、キャベツや白菜が一段と好きになった。ただ塩茹でしただけのものを、無性に食べたくなるときがある。 野菜って、子供の頃は「食べさせられてる感」があったけど、大人になって、その本当のおいしさに気づくことができたよね……これが今日、彼女と一致した意見の一つだ。 大人になって、ある程度食べるものを自分で選べるようになったから気づけたおいしさというのが、わりとたくさんあると思う。それまでも知っていたけれど、気づいていなかった味というものが。
パスタに使われていたトマトはさすが完熟なだけあって、濃厚な味がした。トマトとバジルだけのシンプルなパスタだけど、トマトが惜しげもなくかかっているので物足りなさがない。
今日のメニューはどれも、味付けも然ることながら、素材そのもののおいしさを堪能できた。イカ、南瓜、キャベツ、トマト……。 少し贅沢な食事をした帰りは、決まって「明日からしばらく粗食にしなくちゃ……」と思うのだけど、今回はそう言った後ろめたさを全く感じない。それはたぶん、単にカロリーと値段の高いものではなく、いいものを食べた満足感があるからだと思う。 それとも、肉がなかったから贅沢気分が薄いのか?
デザートの盛り合わせは、ぶどうシャーベット、パルミジャーノを生地に練り込んだクッキー(ラスク?)、何かのパンナコッタだった。あんまり私好みではなくて、残念。 私の席の後ろの方にシェフのいるカウンターがあって、そこに切り分ける前の、大きな長方形のショートケーキが乗っていた。あれが食べたかったなあ。
ランチのあとは、ぶらぶらお買い物。本屋と雑貨屋と成城石井を見て回った。 Afternoon Tea Livingは、空間そのものが相変わらず魅力的すぎる。できることなら、買い占めたい。
とっても楽しい一日だった。会わなかった時間がどんなに長くても、隔たりや違和感を感じなくて済む友達は、ありがたいものだ。 これも私と彼女の共通した意見なのだけど、私たちが通っていた高校は本当に平和な場所だった。平和でのびやかで、いい意味で放任されていた。 当時はそれなりに嫌なことも心痛めることもあったけれど、あの3年間、私は確かにあの場所に守られていたのだと思う。
2009年02月14日(土) |
あったかバレンタイン |
なんなんでしょう、この暖かさは! 昼間、窓を開けて網戸にしていたら熱風が漂ってきましたがな。暖かいと言うより、暑いくらい。
今日はバレンタインですな。 昨日はバレンタインコーナーを物色して帰ろうと思っていたのに、じじい2号のせいで帰りが遅くなり、腹ペコだったこともあってお店に寄るのは諦めた。 バレンタインと言っても、ワタクシ、今年も本命がいない上に義理チョコは一切あげないので、自分と女友達&同僚女性のためですが。 チョコの摂取量がいつもよりほんの少し増えただけで、すぐニキビができるので、バレンタインでいろんなチョコが並んでいるからと言って、喜々として買い込んでもいけないんだけどね。 ……あ! 私の肌荒れを阻止すべく、じじい2号は帰りが遅くなるように仕向けたのだな? そうか、そういうことか。じじい2号、やりよるのぉ(とでも思っておかないと、腹立たしいので)。
サイトに歌詞を一点アップしました。 別にバレンタインを狙って書いたわけではないけれど、ちょうど内容が恋愛物だし、仕上がりが間に合ったので今日の公開にしてみました。
最近、歌詞ばかり書いているので、いいかげん、小説も書かないとなあ。 GWあたりに公開したいストーリーがあるので、私の遅筆っぷりから考えると、そろそろ本気で書き始めないと間に合わないかも。
関わる人が増えるほど、集団は小難しくなっていく。
ちょっとした軋轢が、いろんな方向から聞こえてくる。一つひとつは小さくても、寄せ集まれば見過ごせない不協和音になってくるわけで。
自分自身が誰かと仲たがいしているわけではないのに数々の軋轢に触れてしまうのは、ものすごく無駄なストレスだと思う。
お風呂の給湯器が壊れました。追い炊きができないのです。幸いシャワーのお湯は出るので、それでしのいでますが。 夏ならまだしも、冬に壊れるってねぇ。
まだまだ寒いじゃん! と思っていたけれど、立春を過ぎると、やはり春へのスピードが加速する。 暖かさ、日の長さ、そして空気。 春の空気は刺激が強い。たくさんのものが目覚めたり芽吹いたりできるように、春の空気には、生命に影響を及ぼす力が過剰に含まれているのだと思う 私は花粉症ではないけれど、春には体が少なからず影響を受ける。肌が荒れたり痒くなったり、瞼が腫れたり。 今朝は、起きると右目が腫れていて、ちょっと人相が変わっていた。会社に着くまでには腫れが引いていたから良かったけど。 春は、体が生まれ変わるのだ。新しいものを手に入れるためには、旧い自分を脱ぎ捨てなくてはならない。 肌荒れも目の腫れも、その過渡期、つまり新しい自分に適応していくときに起こる摩擦や副作用なのだと思う。
2009年02月10日(火) |
時を越えて、支えられている。 |
過去の私やこれまでに出会った人たち、彼らの言葉は、ふいに今の私を助けてくれる。
朝ご飯を食べているとき、何の前触れもなく、先生の言葉がよみがえった。もうずいぶん長いこと、先生のことなんて思い出さなかったのに。 24〜25歳の頃、片道2時間かけて、母校大学の付属病院の精神科に通っていた。なぜそんな遠くまで行っていたかと言えば、先生に診てもらいたかったからだ。学生時代、講義を受講して好印象を持っていた。 ある日の診察、無性にイライラして困ると訴える私に、「イライラするのは、心がやわらかくなってきたってことだよ」と先生は言った。イライラしている状態はつらいだろうけど、変化が出てきたんだから前進している、良いことだ、と。 そのとき、私は納得した。説得力があると思えたのは、先生を信頼していたからだろう。 絶望の中で心が冷え固まり、感情を切ってしまった状態よりは、たとえ苛立ちでも、感情が出てきたのはマシなことなのだろう。そう思って、そのときの自分を少しだけ肯定できた。
その頃とは状況がまったく違うから、先生の言葉をいまの私にそのまま当て嵌めることはできないかもしれない。けれども、このイライラ感は、少なくとも最悪の状態ではないのだ。
そう思えたら、心が軽くなった。 そして、家を出た。 途中、見ず知らずのおばさん(と言うか、おばあさん?)に声をかけられた。 「大変ね。若いのに車椅子で、お気の毒に。私くらいの年だと、そうなっている人もいるけど……。頑張ってね」と。 私は、おばさんに対して何も言っていない。おばさんの方を見ていたわけでもない。例えば段差があったとか、膝に荷物をたくさん乗せているとか、そういう大変な状況だったわけでもない。 何もないのに、唐突にそう話しかけられた。
こういう人種は、ときどきいる。 彼らはいったい何の意味があって、わざわざそういう発言をするのだろうか。 やさしい人だと思われたい? 優越感に浸りたい? 私が「お気遣い頂いて……」と、ありがたそうに微笑むとでも思った?
あなたに言われるまでもなく、生きていくのは大変です。みんな、大なり小なり大変なんです。 あなたが「お気の毒に」と言うことでその大変さが少しでも軽減されるなら、どうぞ何百回でも仰って下さい。でも、実際のところ、あなたの言葉は何も生み出さない。私を不愉快にさせるだけです。
「頑張ってね」って、いったい何を? 生きること? あなたのような人種に寛容でいること? 理不尽な電話に笑声で応対すること? わけのわからない上司とうまくやっていくこと? それとも、何を?
例えば、大きな仕事や試験の前に友達が言ってくれる「頑張って」は、心から嬉しいと思う。 でも、私のことを何一つ知らない無関係の人間が、何のやり取りもなく唐突に投げかける「頑張って」は、大嫌いだ。 むやみに他人に頑張れと言ってはいけない、なんてことくらい、いまどき誰でも知っていると思っていたけど、まだまだ違うのね。
仕事していると、人生の先輩から学ぶことが本当に多い。年を重ねるのは悪いことじゃない、と思える。 けれど、上のような人種に出会うと、「無駄に年だけ取りやがって!」と腹が立つ。大切なことを学ばずに、年だけ取って立派な人間になったような顔をしている人間は、害悪だ。若さゆえに無知だったり傍迷惑だったり生意気だったりする人間よりも、はるかにタチが悪い。
頭にきて仕方なかったので、会社に着くなり、「朝から、変なばばあに声かけられた!」と同僚にぶちまけた。 すると、一人は「お前が頑張れよって感じだよね」と言ってくれ、もう一人も同調しつつ、自分の同じような体験談を聞かせてくれた。 おかげで、すうっと心が晴れていった。 こういうとき、いまの職場にいて良かったと思う。病気や障害の内容と程度は違えど、やっぱりどこかで分かり合える部分も大きい。
同僚に向かって無邪気にぶちまけることができたのは、先生の言葉を思い出したからだと思う。 自分を肯定していなかったら、心にしまってイライラを募らせていただろう。
これがあれば大丈夫、って、そう思えるものが私には確かにある。 それを大事に大事に、思い出すんだ。忘れないように。幻にならないように。
うまく息ができなくなったら、すべてを遮断して、全身全霊で思い浮かべる。細胞の一つひとつに染み渡って、酸素を送り込むように。
2009年02月07日(土) |
女子はやっぱりデザート命 |
昨日は、もう2月なのに新年会という名目の食事会だった。
女性陣三人はメニューを開くなり紅茶のロールケーキが目に留まり、メインより先にデザートが決定。 セットメニューだとデザートはマンゴープリンと決められているので(それはそれで魅力的だけど)、メインは単品で頼んで、プラス紅茶のロールケーキにした。 写真では普通サイズのケーキが一つだったけど、実際に出てきたお皿には小さめのが二つ乗っていた。そっちのほうがおしゃれだし、食べやすくて嬉しい。 驚いたのは、ケーキの脇に飾られたソース(たぶん杏と苺)の模様が、三人とも違っていたことだ。私は星のような形、一人は縦の波線、もう一人は点が弓なりに連なっていた。 細かいところにまで気を配れるお店は好きだ。そのセンスも。 食事とワインは可もなく不可もなくだったけれど、デザートは大満足だった。
男の人って、妙にウエットなところがあって困る。 みんながみんなではないし、たまたま私の周りにそういう人が多いのかもしれないけど。 もうちょっとドライに行こうよー、と思う。ま、私が冷たいのかもね。 でも、私だって相手によってはウエットなつもりなんだけど。
たぶん、平均的には女の方がドライよね。
なんか、めんどくさいなあ。ウエットに迫られると、どんどん引いてしまう。 あ、「迫られる」ってのは、色恋沙汰の意味ではございませんが。
2009年02月04日(水) |
憎しみはなくならない、だから武器を捨てよ |
憎しみからは何も生まれない、とよく言うけれど、それは違う。 憎しみは、本当にたくさんの悲劇を生む。 いや、上記の「何も」が「建設的なものは、何も」の意味であることは分かっている。けれども、それにしたって、憎しみが生み出す計り知れないほど大きな悲劇を、見ない振りしているような気がしてならないのだ。
帰り道、どこの誰だか分らない酔っ払いじじいが、後ろのほうから罵声を浴びせてきた。 もちろん振り返ったりはしなかったので、人相も何も分からないけれど、耳に入った言葉から察するに、あれは絶対私への罵声だった。 ちょうど手に携帯を握っていたので、もし私に近づいてきて何かしたら、すぐ110番してやろうと思っていた。人通りも多かったし、少し歩けば警察署があるから、怖くはなかった。声の大きさからすると、結構離れていたと思うし。
怖かったのは、じじいじゃなくて、自分のことだ。
もしもこの手に銃があったら、私は振り返って撃っていた。 冷静になれば「こんな奴、私の手を汚す価値もない」と思えるけれど、私、いざとなったら何をするか分からないと思って、ぞっとした。
だから、武器を持ってはいけない。個人も、国家も。 あれば、使ってしまう。 抑止力として、とか、持っていても使わなければいい、なんて言葉を私は信用しない。 自分のことも他人のことも、つまりは人間というものを、そこまで信用していないのだ。 私は、軍事力増強を訴える人たちこそ、むしろ楽天的で平和ボケしていると思ってしまう。手にした武器で自分や愛する人たちや自国や地球を滅ぼさない確信があるとしたら、どうしてそんなに、自分たちを信用できるのだろう。
憎しみを完全に消し去ることは難しい。 武器を捨てるほうが、よほど簡単だ。
2009年02月03日(火) |
春の香りと思い出すのは |
月曜日のたび、帰宅時に見上げる空が、自分の中のイメージよりもまたさらに明るくなっていることに驚く。 昨日もそうだった。曇っているにもかかわらず、記憶にある先週金曜日の空と比べて明らかに日が長い。 と言っても、季節が歩みを進めたのは空だけのようで、相変わらず寒さは厳しい。昨日は凍えそうだった。
それでも、昨日の仕事中、ふと春を想った。早すぎる予感。 エアコンの効いた……効き過ぎているくらいのフロア。相変わらず空が見えない席。仕事中の風景や空気は先週と何一つ変わっていないのに、突然、春の香りを思い出した。 春はいろいろなことが起こる。 恋が始まったり終わったり、新しい環境に飛び込んだり、そこで多くの出会いがあったり、Xが復活したり、hideがロケットで飛び立ったり、花粉症疑惑が出ては消えたり、勉強を始めたり、いろいろと。 今年はどんな春になるだろうか。
今日は、まだ火曜日なのに「もう耐えられない」気分だった。 周期的に、仕事が嫌で嫌でたまらなくなる。トラブルが起きたわけでも、ややこしい電話を受けたわけでも、残業を押し付けられたわけでもないけれど、とにかく嫌になる。 「私、こんなところで何してるんだろう……」と考えてしまう。 電話は2コールで取ることにしているのだけれど、今日は電話が鳴って赤く点滅するボタンをぼんやり眺めてしまって、3コールになることもしばしばあった。 そういう状態になると、もうずいぶん前に消化したはずの昔を思い出したり、する。 自由なように見えて、本当はちっとも自由でなかった頃。あの頃の絶望感がよみがえって、それは決して、いま体験しているものではなくて飽くまでも思い出としての感情なのに、いたたまれなくなった。
いまの私は自由だ、と思う。 世の中はすさんでひどい状態かもしれないけれど、少なくとも私の個人的な世界は、だんだんと良くなってきている。 だから、大丈夫でしょ。
夫婦でも寝室を別にしているという話をときどき聞くけれど、私は基本的には同室にしたいなあと思っている。
でも、同室就寝には一つだけネックがある。 結婚して毎晩同じ部屋で眠るというのは、一人で泣ける場所を失うことだ。それは、困る。 涙は排泄物だ。何日もかけて少しずつ溜まっていき、飽和状態になれば外へ流さずにはいられない。そしてその排泄欲求は、たいてい夜にやって来る。 かなしいことや悔しいことなど理由があって泣きたいときは、相手が受け止めてくれるのであれば、旦那に話してその腕の中で泣くのもありだと思う。 けれども、わけもなく泣きたい夜は、どうすればよいのだろう。そういう夜は、ひとり夜気と毛布に包まれて、孤独でいたいものだ。おそらく、どんなに愛していても、旦那が邪魔な夜。
この間、そんな夜があって、私は夜に一人で泣ける部屋があることに安堵した。 結婚とはたぶんいろいろな自由を手放すこと(その代わり、それまで持っていなかった何か大きなものを得ること)だろうと想像するけれど、泣ける自由を失うことが、一番怖い。
だけど、もしかすると、涙が定期的な排泄物でなくなるような年齢や暮らしもあるのかもしれない、とも思う。
それに、結婚したいと思えるような人には、やっぱり隣で眠っていてほしい。体がこわばるくらいの怖い夢に起こされた夜は、特に。 この間、そんな夜もあって、目が覚めても夢の世界を鮮明に覚えていた私は怖くてたまらず、なかなか再び目を閉じることができなかった。こんなとき、隣に男の人がいてくれたらどんなに安心だろうかと思った。たとえ相手が私の恐怖に気付かず、背を向けて寝入ったままだとしても、その存在を確認するだけで、体の奥にまで入り込んだ恐怖がやわらぐような気がする。
そもそも、結婚の予定なんて全くないのだから、どうしてこんなことを考えているのか自分でも不思議なんだけど。
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