月に舞う桜

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2008年06月30日(月) 迫る

えーとですね、実はワタクシ、2週間後に福祉住環境コーディネーターの資格試験を控えています。7月13日が試験なので、正確に言うと2週間を切っておりますが。
試験が迫っているのに、前例がないくらいに勉強不足です。落ちたとき恥ずかしいので黙ってこっそり受験しようと思っていたのですが、あまりに勉強していないので危機感を覚えまして、自分を追い込むために公表してみました。

「講座をちゃんと修了したら会社が受講料を払うよ」という通信講座に申し込んで、それはお金惜しさに頑張って終えたのですが、いかんせん、そのあとの勉強がねぇ……。
通信講座の業者が試験前の全国統一模試を一回だけ無料で添削してくれるといことで、問題が送られてきたのだけど、気がついたら添削期限が過ぎておった……。

受かったら、日記で報告します。
落ちたら何も触れずにスルーで。


2008年06月29日(日) 週記

この一週間は何やかやと忙しくて、あまりネットに出られなかった。日記も一週間ぶりだ。日記と言うより、もはや「週記」だけど……。

◆悔しい
水曜日、TOSHIくんがすぐ近くでイベントを行ったらしい。なんと、隣駅の大型ショッピングセンターで。
それを知ったのは、水曜日の帰宅後。なんてこったい!
しかも、先週末にも電車で10分くらいのところでイベントがあったらしいではないか。
私、何でいつもこうなんだろう。終わった直後に知るなんて。
悔しくて悔しくて、凹んだ。隣駅なんて、もう当分来てくれないだろうな。ましてや最寄り駅なんて、人が集まる大きな場所がないから来ることはないだろう。
会えていたら、きっと仕事にもやる気が出ていただろうになぁ……なんて悔しさを引きずりながら、「好きなアーティストに会える機会を一度逃したくらいでこんなに凹むなんて、私はちょっとどこかおかしいのでは?」と思わなくもない。
Xが復活して以来、私の病は悪化したらしい。
早く恋をしたほうが良さそうな気がするなぁ。


◆最後の一枚
桜井弓月の名刺を作ったのは、確かサイトを開設した頃だから、3年弱前のことだ。
水曜日か木曜日、その名刺の最後の一枚をある人に差し上げた。作ったときは、まさか使い切るとは思っていなかった。
もう、あげる人がいなさそうなので迷ったけれど、今日、3年前と同じ枚数を注文した。「作家」なんて偉そうな肩書きは、実体が伴っていない。それでも、桜井弓月という名前はこれからも存在する予定だから、良き出会いに備えて持っておくに越したことはないのだ。


◆豆腐
金曜日、豆腐料理の専門店へ行った。
ひなびた旅館風情の造りで、とても趣きのあるお店だった。門をくぐると、お店の入り口まで石畳が続いている。と言っても、でこぼこや溝はなく、大きめで平らな石畳が隙間なく敷き詰められているので、車椅子で通るのに支障がなくて助かった。
石畳の道の両脇には葉を茂らせた木が立っていて、情緒を醸し出すのに一役買っている。
通された個室は、和風のテーブル席だった。掛け軸や生け花、部屋の隅にある背の低い木製の収納棚、それから照明が落ち着いた雰囲気を作っていた。
男性陣は豆乳しゃぶしゃぶのコース、女性陣は季節のコースを頼んだ。

季節のコースのメニュー↓
・小鉢二種・・・トマト豆腐、ささみと牛蒡の胡麻和え
・名物とうふしゅうまい
・じゃが芋のすり流し
・鰹のたたき
・ふく福豆冨麻婆あん掛け
・このしろ寿司
・海老カツ
・順才酢
・汁物(湯葉の赤味噌汁)
・もち麦御飯
・香の物
・デザート・・・蜂蜜と柑橘のアイス

豆腐焼売は少し大きめで、その名の通り豆腐でできている。つなぎに鶏肉を少し混ぜているらしい。豆腐の焼売ってどんな味と食感なんだろう? とちょっと心配だったのだけど、名物と言うだけあって、なかなかの美味。普通の焼売よりやわらかいんだけど、それほど豆腐っぽくはないのだ。
一緒に行った人がクーポンを持っていたので、一人一箱ずつお土産にもらえた。これから蒸して食べる予定。
じゃが芋のすり流しは、ビシソワーズみたいな感じ。カクテルグラスのミニチュア版とでも言えばいいだろうか、足のついた逆三角形の小さなガラス容器に入っていた。薄切りのオクラと小さな桃色の花と鰹節の粉が散りばめられていて、一枚の絵みたいにおしゃれだった。

そして、おそらくメインであろう、ふく福豆冨麻婆あん掛け。
テーブルの上に大きな四角い容器が置いてあり、席に着いたときには既に中にお豆腐が入っていた。食事の最初に店員さんが火をつけてくれて(実際は電気で熱するタイプ)、コースの中でこのお豆腐の番になる頃に程よい温かさになる。
ヘラで切って掬い、その上に麻婆あんと薬味を掛けて食べるのだけど、お豆腐のおいしいことおいしいこと! とろんとろん、でも、やわらか過ぎず。しっかりお豆腐の味がするから、あんを掛けずにお豆腐だけでも十分おいしい。
海老カツも、外側はサクサク、海老は今まで食べたことないくらいプリプリで、一口ごとにアホみたいに「おいしい〜」という言葉が漏れ出てしまう。
一品一品、どれもこれも上品なおいしさで、幸せだった。
早い段階からお腹が膨れてきて、もち麦ご飯は完食できず残念。上にじゃこの佃煮が乗ったご飯で、これもおいしかった。
特に、ふく福豆冨麻婆あん掛けと海老カツ、これはまた食べたい。


2008年06月22日(日) 腰をさすりながら、貴方の痛みを想う

週末になると腰が痛い。寝過ぎたせいでは? と怠惰な自分を反省してみたりもするけれど、休日の睡眠時間は数年前から変わっていないのだから、今になって突然腰痛になるのもどうかと思うし。
仕事中、確かに腰が痛くなる。その腰痛は時間が経てば治るのだけれど、その疲労が蓄積されたところへ寝過ぎが重なって、週末にずきんと痛くなるんだろう。
一度筋をおかしくして、それが癖になってしまっているのかもしれない。

母には「腰が細すぎる」と言われる。私の腰を触ると、あまりに華奢で体を支えるものが何もない感じがするのだそうだ。
うん、腰は細いよ。お腹は出てるけど、腰は細いのだ。筋肉がついていないから、余計に痛めやすいのだろうと思う。腹筋とか背筋とか、つけなきゃいけないんだよね。

ちょっとした腰痛でも、何かの拍子にかなり痛みを感じることもある。
頚椎のヘルニアって、いったいどれほどの痛みなんだろうか。足りない想像力をフル稼働して、少しでも、と想像してみるんだ。


2008年06月21日(土) 手軽な楽しみ

折込広告を見るのが好きだ。いつも必ずチェックするわけではないけれど、目に留まると見入る。買う予定もお店に行くつもりもないのに、じーっと真剣に見てしまうのだ。
マンション、家電製品、東急ハンズ、コージーコーナー、新しいショッピングセンター……そこらへんが好き。できれば多色刷りでカラー写真入りのやつがいい。二色刷りは楽しくない。
先日、爪切りの下敷にしようと引っ張り出したのは、家電量販店の広告だった。思わず、爪切りを脇へ置いて広告を眺めた。
ノートパソコンって、今は結構安いものもあるんだなぁ。
洗濯機は相変わらず高いね。音が静かで斜めドラムの洗濯機が無性にほしくなる。一人暮らしでもないのに。
実を言うと、我が家では未だに二層式の洗濯機を使っている。何時代だよ!? 母は二層式が好きらしく、私と父が「次は全自動にしよう」と言っても、頑なに拒否する。「絶対、楽だから」としきりに薦めても、だ。そろそろ買い換えなければいけない頃なんだけど、いまどき二層式の洗濯機なんて売っているんだろうか??

それから、もう少し前のこと、某スーパーの金物市の広告が入っていた。
広告に掲載されていたのは主に台所用品で、包丁やスライサーやフードプロセッサーはもちろんのこと、様々な種類の専門用具が並んでいた。ピザカッター、ハニースプーン、くるみ割り器、ところてんつき……見ているだけで楽しい。
用途が一つに限定されている専用品は、どれもこれも高い。極めつけは「ねぎーる」という名の、ネギを千切りにするための道具だった。ネギの千切りなんて包丁で十分じゃん。白髪ネギを作るためだけに1000円も出せるかっつーの! と突っ込まずに入られない代物。
でも、ちょっと欲しくなったのも事実。


2008年06月20日(金) 立つ鳥は後を濁さないで

社長が退任するということで、送別会があった。
普段社長がいる本社から私が勤めているセンターまでは、電車とバスを乗り継いで1時間以上かかる。
そんなところから、わざわざ来なくていいのに。いくら社長と言ったって、普通、送別会は勤務地だけでやるものよね? うちのセンターが招いたとしても、気を遣って遠慮すりゃあいいのに。めんどくさい。
今週はとても疲れた。そんな疲労困憊の金曜日の夜。とっとと解放してほしいのだけれど。
課長が、「頃合を見計らって、順番にワインを注ぎがてら挨拶に行くように」と耳打ちして回る。あー、ばかばかしい。あー、めんどくさい。私はどんどん白ける。
「貴重な週末の夜に、こんな会を催してくれてありがとう」って、そっちからお酌に来てほしいくらいなのに。
こういうとき、ほんと私って組織というものに向いてないなと思う。全てがばかばかしくなってしまうのだ。
前述の課長というのは、受付時間を過ぎても私がお客様との話を終われず、すぐ近くで電話していると言うのに、笑いながら大声で話していた奴なのだ。疲れてて機嫌の悪い私は、危うくキレそうになった。
だから、余計にばかばかしくなる。

そんな、ばかばかしい会の中でも、やっぱり楽しい瞬間もあるわけで。
基本的に、酔っ払いは嫌いだ。でも、ムカっと来るかどうかは相手を普段から好きかどうかによるのだ、とよく分かった。同じことを言われたりされたりしても、「酔っ払ってんじゃねーよ!」と張り倒したくなる相手と、「面白いなー」と笑える相手と。
いつまでもこの仕事してて良いのかなぁと漠然と考えながらも、いつか貴女のようになりたいと、心の底でいつも思っているんです。

仕事ぶりで尊敬できる人もいる。仕事がものすごく嫌かと言うと、それほどでもない。人間関係に悩んでいるわけでもない。
なのに、ここ最近、どうして会社に行くのが嫌で仕方ないんでしょう。
きっと疲れているだけだ、と思う。
前職で学んだのは、自分の心身を守れるのは自分しかいないということ。自分の心と体が小さなシグナルを出したら、早め早めの対処が必要ということ。
来週取るつもりだった有休は、諸事情で取れなくなってしまった。会社のせいではなく、むしろ個人的な事情なので文句は言えないのだけど、激しくがっかり。
大学に戻りたいなぁ、母校の大学で事務の求人がないかなぁなんて考えてしまうのは、ビジョンも何もない、ただの現実逃避。
どこかで弾けないと。


2008年06月19日(木) 最も輝ける年に向けて

誕生日の実感が全くないまま、28歳になりました。
以前新聞で読んだのですが、女性に「あなたが最も輝いていたのは何歳のときですか?」というアンケートをとったところ、回答の平均年齢が28.2歳だったそうです。
女性の28歳は輝かしい年らしい。まさに、私ですよ! まさにこれからの一年が旬ですよ!

最近オペレーター業務以外のことで忙しくて仕事(に行くこと)が嫌になり、あまりやる気がなく、しかも今日は週で一番嫌いな木曜日、体が重いし眠いのです。
でも、輝いた女を目指して、気持ちを新たに頑張りたいと思います。いろんな面でステップアップを図りたいし、本気でキャリアについて考えなきゃいけない年にもなったし。


2008年06月18日(水) ヤツがやってきた

今年度の住民税がやって来ましたよ。
し、市民税が高い!
今月はわずかばかりの残業代がついていたんだけれど、それを上回る住民税が引かれているので、がっくりですがな。

実はワタクシ、住民税というものを払うのは今年が初めてでして。
なんか、給料はちっとも上がらないのに、物価と天引き額は上がっていくのよね。保険料も上がるらしいし。


2008年06月17日(火) 何度でも何度でも

こんなときに他のアーティストの曲を引っ張ってくるのはおかしな話かもしれないけれど、朝からずっとミスチルの『蘇生』が頭を離れないでいる。

私を救ってくれた、生かしてくれた、そして一回り以上年上のくせにいつまで経っても我が子のように心配させられる、最強にむちゃくちゃで偉大なアーティストへ。
一番大切なのは、自分の体と心。
心身が健康になれば、あとのことはどうにだってなるよ。時間はたくさんある。無理をしないで。生き急がないで。

「そう何度でも 何度でも 君は生まれ変わって行ける
そしていつか捨ててきた夢の続きを
ノートには 消し去れはしない昨日が ページを汚してても
まだ描き続けたい未来がある」
(Mr.Children『蘇生』より)

蘇生の歌詞


2008年06月12日(木) 合唱団VS.会議

職場で、他部門の方を招いての打ち合わせがありました。と言っても、社内で行うのではなく、職場のすぐ近くにある地区センターの会議室を借りて行いました。
うちって、少人数で打ち合わせできるスペースはあるものの、きちんとした会議室がないのよねー。

地区センターだから、いろいろな人が利用するわけで……隣の部屋では合唱サークルが練習してました。
えーと、ドアを閉めても歌声がはっきり聞こえてくるんですが。
ソプラノの声で、「雨雨降れ降れ 母さんが〜♪」とか歌ってるわけですよ(この曲を大人が歌うとは思わなかった)。ときどき、先生(男性)が指導する声もばっちり聞こえるわけですよ。しかも、曲がころころ変わるんですよ。もう少し1曲をじっくり練習した方がいいんじゃない? と部外者ながら口を挟みたくなってしまうくらい。
もう、気になって気になって仕方がない。隣の人と「練習、何時までだろうね」と言いながら、苦笑しておりました。

まぁ仕方ないけど、合唱を聞きながら真面目な打ち合わせしている私たちって、どうなのよ。
何だかシュールでございました。


2008年06月11日(水) 続々登場

近頃の日記はハーゲンダッツのネタが多いですね。興味のない方、すみません。今日もハーゲンダッツの話なんですが。

また新商品が出たようで。マンゴーと、ワイルドアップル。どちらもおいしそう! さっそく探しに行かねば。
アイスじゃなくてソルベだそうで、これからの暑い夏を乗り切るにはもってこいですな。マンゴーはアイスでもいいけど、アップルはソルベのほうが絶対私好みのはずなので、いっそう楽しみ、気分が盛り上がります。
近くのコンビニかスーパーで売ってるといいなぁ。
あぁ〜、書いてたら、りんごシャーベットが食べたくなってきた。


2008年06月10日(火) あなたへ

愛する人たちへ。かつて愛した人たちへ。

どうか生きていて下さい。
生きていれば、それだけでいい。
他に何もなくても、もう二度と会えなくても。

いろんなニュースが重なって、私の想いはそこに辿り着いた。「生きていてほしい」と。

祈ることは最終手段のはずで、でも、今はそれしかできない。

どうして、涙が流れるんだろう。


2008年06月09日(月) 夏向き風味

涼しい日が続いたせいで、なかなか日の目を見ずに冷凍庫の中でじっと出番を待っていた、ハーゲンダッツの期間限定「カシス&オレンジ」。週末、暑さが戻ってきたので食してみた。
蓋を開けると、カシスとオレンジがマーブル模様をなしている。カシスの濃い紫と薄色オレンジのコンビネーションは、一見ぎょっとする色合いなのだけど、口に入れると爽やかな香りが広がって気持ちいい。
カシスは色ほどは味が濃くなく、どちらかと言うと、味ではオレンジが主役だ。カシスとオレンジ、それぞれ味の違う酸味がいい感じにハーモニーを作っている。あまりに暑い日はシャーベットやゼリーに手が伸びて、甘ったるかったりバニラが濃かったりするアイスは敬遠してしまう。でも、このアイスは蒸し暑い日にこそ食べたくなる味だ。
以前、同じく期間限定のホワイトピーチも試したけれど、私はカシス&オレンジの方が好み。
これからの夏本番、ちょくちょく、この爽やかな酸味と香りのお世話になりそう……いや、なりたい。


2008年06月08日(日) プロダクトRED

先日のチャリティーコンサート「Africa Mission2008」でTOSHIが紹介した、アフリカのエイズ対策を支援する「RED」について。
TOSHIの説明だけでは分からないことも多かったので、少し調べてみた。

*詳細はこちら↓
世界基金支援日本委員会のサイト内の「プロダクトRED」に関するページ

正しくは「プロダクトRED」といい、U2のボノと国際NGO「DATA」の人が発起人になっている。
上記サイトには、「民間企業から世界エイズ・結核・マラリア対策基金への持続的な資金の流れをつくる寄付の仕組み」という説明がある。「運動」ではなく、「仕組み」なのだ。つまり、一過性の基金キャンペーンではなく、現実的で継続的なものと捉えられる。

パートナー企業は、「(PRODUCT) RED」というブランドを立ち上げ、そのブランド商品の利益の一部を世界エイズ・結核・マラリア対策基金に寄付する。「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」とは、その名の通りエイズ、結核、マラリアの三大感染症への対策を支援するために作られた民間組織なのだけど、プロダクトREDで得た資金は三大感染症の中でもアフリカでのエイズ対策、特に女性と子供への支援に使われるとのこと。
確か、「(PRODUCT) RED」の商品には目印として赤いマークがついていると、TOSHIが言っていた。

具体的に、どのような事業に資金が提供されているのかについては、上記サイトに記載があるのでご覧頂ければと思う。

現在、パートナー企業の中でプロダクトRED商品を日本でも販売しているのは、GAP、アルマーニ、モトローラ、アップル、DELLだ。パートナー企業がまだまだ少ない。
日本ではそんなに知られていないし、そもそも、日本にはプロダクトREDの事務局がないそうだ。
今後、TOSHIのようなアーティストがどんどんプロダクトREDを広めていって、日本の中にもパートナー企業がでてくればな、と願っている。

寄付というと、日々の自分の生活費とは別にプラスアルファでお金を出すイメージがあって、何か特別な慈善活動のように思えてしまうこともある。正直、「こんなに安月給の自分が、寄付なんてしている場合!?」という気持ちも出てきてしまう。
でも、必要なものを買って、その代金の一部がエイズ対策に回るとしたら、それはとても嬉しいことだ。特別なことをしているわけでも、無理をしているわけでもない。それで物欲が満たされる上に、ちょっと良いことをした気になって精神的な満足まで得られるのだ。
チャリティーコンサートの翌日の朝日新聞に、アフリカ支援に関する著名人からのメッセージが載っていた。そこでアルマーニが、「楽しく買い物をして、アフリカ支援に貢献して頂ければ」と言っていた。私はそのスタンスが気に入って、プロダクトREDに一層興味を持ったのだった。
私はシャープの携帯が好きなのだけど、今度機種変するときはモトローラを試してみようかと思っている。


2008年06月04日(水) お金じゃない贅沢

先日、家庭菜園で採れた無農薬の苺をもらった。
一度冷凍庫で凍らせてあり、解凍してもそのままでは食べられそうになかったので、母がジャムを作った。
無農薬の苺で作った無添加のジャム。過剰な味がせず、自然のおいしさが口の中に広がった。
クラッカーにつけて食べたら、これが病みつきになるくらいおいしい!
苺の控えめな甘みと酸味が、クラッカーの塩気を引き立てるのだ。

少し奮発して、おしゃれなレストランで豪華なコース料理を食べるような贅沢も好き。
でも、こういうふうに、安心して食べられる手作りの素朴なものを味わって満足する方が、よほど贅沢なことだと思う。


2008年06月03日(火) Beautiful Harmony(2)

(昨日のつづき。5月30日のAfrica Mission2008の話です)

TOSHIは、新曲の「EARTH IN THE DARK〜青空にむかって〜」を歌った。
ソロの曲を、初めて生で聴いた。Xの曲を歌うときとは別ベクトルの、強い想いがこもった声だった。確か、歌詞の中に「君が生きた証」というフレーズがあったと思う。その言葉が印象的だった。
「どんなに暗い世界でも、ひとりひとりの心に必ず青空がある」とTOSHIは言う。
Xの世界は「破滅に向かって」だ。生きることそれ自体が、少しずつ確実に破滅に向かっていることに他ならない。Xの曲はそれを意識させることで、逆に「生」の強大なエネルギーを突きつける。
TOSHIのアプローチは違う。たぶん、「生」の美しさが、やがて訪れるであろう破滅さえも包み込んでいる。
破滅に向かって突き進む「生」と、破滅の中に一筋の光を与える「生」。
TOSHIは、「Xでもソロでも、やりたいことは同じ」と言った。何となく、分かるような気がする。方法が違うだけで、TOSHIにとって意味は同じなんだろう。
生きている、ということ。

「EARTH IN THE DARK」というタイトルを初めて目にしたとき、私の頭に真っ先に浮かんだのは、人工衛星「かぐや」が送ってきた映像だった。
暗闇に、ぽっかりと浮かんだ地球。それは、ほのかに光って見えた。暗闇の中にあるからこそ、光を放っているように見えるのだろうと思った。
「生」の美しさや輝きとは、そういうものなんじゃないだろうか。
TOSHIが込めた意味合いとは少し違うかもしれないけれど(TOSHIは「でも」で、私は「だからこそ」)、私はこの曲のタイトルからそんなことを考えた。

歌のあと、女性司会者の質問に答える形で、アフリカへの思いを語った。
アフリカへは行ったことがない。でも、とても関心がある、と。

薬害エイズで亡くなった少年がいる。彼は絵を描くこととX、特にTOSHIが大好きだった。天に召される直前まで、彼は病床で絵を描いていた。それが、まだ髪を逆立てていた頃のTOSHIの肖像画だった。
その絵はポストカードになり、写真立てに入れて私の部屋にも飾ってある。天を仰いで叫ぶ、TOSHIの横顔。TOSHIの魂の歌声が聞こえてくる絵だ。
その絵がきっかけで、TOSHIは薬害エイズの被害に遭った人たちとの交流を始める。そこから、アフリカのエイズ問題にも関心を持つようになったそうだ。

U2のボノが立ち上げた「RED」というエイズ支援のプロジェクトがある。それに自分も協力したい、とTOSHIは言っていた。
プロジェクトにはアルマーニも参加しているそうで、「今日の僕のこのスーツもアルマーニなんですが……」と。
やけに光沢のあるスーツだなと思っていたら、アルマーニだったのか。いいもの着てるなぁ。ドームの衣装もアルマーニだったのかな。

TOSHIの歌が1曲だけだったのは残念だったけれど、他の人よりトークが長くて、X再結成にいたった経緯や想いをTOSHIの口から直接聞けたことは、本当に大きな意味があった。内容は、インタビューやドームライブのパンフレットなんかの活字を通して既に知っていることがほとんどでも、すぐ近くで生身のTOSHIが自分の声、自分の言葉で語ると重みが違う。特に、ロスのスタジオで初めてWithout Youを聴いたときのことをXファンじゃない人も大勢いるところで話してくれたのが、嬉しかった。

「『この曲どうしたの?』ってYOSHIKIに訊いたら、HIDEが……HIDEはギタリストで、10年前に死んでしまったのですが、彼が死んだ直後に書いた曲だ、って。ああ、だからこんなに儚いんだなぁと思いました。Without Youというのは『あなたなしで』という意味です。あなたなしで、あなたはもういないけれど、それでも生きていく。前を向いて生きていくんだ、って、そういう曲だと思いました」

TOSHIはこのとき、自分がやりたいこととYOSHIKIの音楽に接点を見出したのだろう。

最後に、ジェット・エドワーズという黒人ミュージシャンと彼が率いるアフリカン・バンド、それに出演者全員が登場してセッションした。
もちろんTOSHIもいたけれど、やや控えめな参加の仕方だった。BLENDZの二人とアフリカン・バンドの女性がメインでボーカルを務めたので、TOSHIはジェット・エドワーズに振られて時々歌う程度だった。

アフリカの音楽は、やっぱりスケールもリズム感もノリも日本とは全然違う。特に、あのリズムは日本人にはなかなか出せないんじゃないだろうか。それに、全身を使って表現するからアフリカの大地みたいにダイナミックだし、演奏者が底抜けに明るくて楽しそうなのだ。とにかく、陽気。
アフリカの打楽器がたくさん使われていたけれど、ボンゴくらいしか知らないので、せっかくだから詳しく紹介してくれると良かったのになぁ。

永遠に続くかのような太鼓と笛の音の中、締めのメンバー紹介をする司会者に一言求められて、TOSHIが「みんなで世界を平和にしようぜー!!」とX風味に叫んだ。

予想より長いコンサートで、3時間はあったと思う。
ホールから駅に向かう途中で見たコスモクロックは、10時半を過ぎていた。

このコンサートのことを知ってからずっと、TOSHIの「Beautiful Harmony」という曲が頭の中でぐるぐる回っている。生で別の曲――「EATH IN THE DARK」を聴いたあとでさえ、相変わらずBeautiful Harmonyの力は弱まることなく私の中で流れ続けている。
95年に発売されたアルバム『GRACE』に収録されていて、TOSHIの曲の中で1,2を争うくらい好きな曲だ。
チャリティーコンサートにぴったりの曲ではないかと思う。歌ってくれることを少なからず期待していたのだけど、まぁ、新曲が出たばかりだから、そっちを歌うのは仕方ないか。

歌詞を紹介したくて歌詞検索サイトを渡り歩いたけれど、残念ながらどこにも載っていなかった。
もし良かったら、機会があればぜひ聴いてみて下さい。一人でも多くの人に、歌詞に込められた意味やこの歌が作り出す世界を感じて頂けると嬉しいです。

The day will come
Brothers & sisters will live as one
We'll sing a song
And live in Beautiful Harmony
(TOSHI「Beautiful Harmony」より)


2008年06月02日(月) Beautiful Harmony(1)

金曜日、アフリカを支援するチャリティーコンサート「Africa mission 2008」に行った。先日の日記にも書いたけれど、TOSHIが出ると知って急いでチケットを取ったのだ。
こんなに早くTOSHIに再会できるだけでも大喜びなのに、今回はもう一つサプライズがあって、なんと、急遽コンサートが完全な招待公演になった。受付でチケット料金を全額返金するとの知らせが届いたのは、前日の木曜日だった。
火曜日にコンサートのことを知って、水曜日にチケットを手に入れ、木曜日には無料コンサートに切り替わり、金曜日にTOSHIの生歌を聴いた。何だかものすごい展開の速さだった。タダでTOSHIくんを観られるって、すげーな!

外はあいにくの雨。しかも寒かった。
Xおよびメンバーのイベントに行くと、いつも天気が悪い。hideサミットのときは雨こそ降らなかったものの、ずっと曇っていて風も強かったから、少し肌寒かった。
いったい誰が雨男なんだ!? と元凶を探していたけど、Xとしてじゃなくソロでの出演でも雨ってことは、TOSHIのせいか!!
んー、待てよ。YOSHIKIのシンフォニックコンサートのときも雨だったなぁ……うーん。
あ、「私が雨女」という説は無しで。

会場は、パシフィコ横浜の国立大ホール。桜木町へ行くのは久しぶりだった。
受付への通常ルートだと階段しかなかったので、インターコンチネンタルホテルのエレベーターを使った。このホテル、初めて入った。広くて静かで、ちょっと落ち着かない。でも、一度は泊まってみたい。
エレベーターで階を下りて、またホテルの外に出ようとしたとき、ホテルの人に「警護対象の方がいらっしゃるので、このまま少々お待ち下さい」と止められた。言われてみれば、入り口付近には体格の良いスーツ姿の外国人が何人も立っていた。アフリカ開発会議が開かれている関係で、要人もたくさん泊まっているんだろう。要人が通るからと通行を制止されるなんて、まるでドラマみたいだ。

会場には車椅子用席と言うほどの特別なスペースはなかったけれど、前から30列目くらいにわりと広い通路があって、そこで観ることができた。ドームや味の素スタジアムに比べたら、TOSHIをかなり近くに感じられた。ステージ上の彼を見ていれば十分だったから、大型スクリーンはほとんど見ていなかったもの。
ただ、そんなにステージを見上げる感じではなかったのに、首がものすごく痛くなった。叫んだり揺れたり跳ねたりするXのライブでさえ、痛くならなかったのに。観ている間、体が固まっていたのかしら。

実行委員長の挨拶のあと、アフリカで長年獣医師をやっている男性が出てきて少し話をし(アフリカの現状や日本のODAに関すること)、アフリカのミュージシャンたちと1曲セッションした。
それから、世界各地の先住民の楽器を演奏する岡野弘幹が登場。今回は、アフリカではなくアメリカ先住民の楽器を演奏した。
続いて、アフリカと日本のルーツを持つ男性ユニットBLENDZが出た。このユニットは横浜生まれらしい。岡野弘幹のゆったりとした広大な音楽から一変、会場がFankのリズムに包まれて盛り上がった。こういう系統の音楽は普段聴かないので、そもそもFankとHip-Hopの違いもよく分からないのだけど、ノリノリで楽しかった。
メインボーカルのマイケルは、ガーナと日本の血が流れているらしい。国籍は日本だけれど、ガーナも自分の国。いつか帰りたい。帰れるように、いい国になってほしい。そう言っていた。
いい国になってほしい。その一言だけで、いろいろな問題を抱えている現状を垣間見た気がした。

次に、村上"ポンタ"秀一と歌手のMyrah Kayが「アメイジング・グレイス」を披露。この曲は完全なアカペラかストリングスが入るイメージがあったので、ドラムと歌だけというのは新鮮だった。それに、「アメイジング・グレイス」というと本田美奈子の歌を思い出すけれど、Myrah Kayの「アメイジング・グレイス」はもっと太くてパワフルだった。本田美奈子の優しい声もいいけれど、アフリカにはこの力強い声が合うと思った。
Myrah Kayと入れ違いで、ベリーダンサーが登場した。ベリーダンス、一度観てみたかったんだ。きらびやかな衣装に、美しく妖艶な踊り。常に腰が動いているのに、体の軸が全然ぶれない。あの小刻みな腰の動きは本当にすごい。観ていて引き込まれた。機会があったら、また観に行きたいなぁ。
みんな腰がきゅっと見事にくびれているので「さすが、ベリーダンスやっている人はスタイルが素晴らしいなぁ」と感心していたのだけど、途中から出てきたメインのダンサーはちと違って、ふくよかだった。ふくよかでも、ダンスってできるのか。と言うか、ダンスやっていても、ふくよかな体型って維持できるのか。そう言えば、森三中の村上知子が社交ダンス上手かったなぁ……なんてことを思い出す。

村上"ポンタ"秀一が、「世界中のいろんな国に行ってみて、ヨーロッパやアメリカはまた行きたいと思う国が多くあるけれど、アフリカは『行きたい』ではなく『帰りたい』と思う」と言っていた。それから、「アフリカに行ったあと、自分の音楽が変わった。自由になった」とも。

続いて、宗次郎。
オカリナって、あんなに種類があるんだね。知らなかった。大きさによって、音色も様々。「ホー」や「ボー」という音だけかと思っていたけど、小さいオカリナは「ピー」という音が出る。
どこまでも広がるアフリカの大地、空、太陽、風、土に染み渡ってゆく水。そういう風景をもっと感じたくて、1曲だけ目を閉じて聴いた。

そしていよいよ、黒いシャツにグレイのスーツ姿のTOSHIが登場。
ライブのような叫び声はないけれども、「TOSHI〜」という呼びかけがちらほら聞こえた。
ソロのTOSHIは、やはりロックミュージシャンではなく、落ち着いていて礼儀正しいボーカリストだった。
歌の前に、これまでの道のりを話した。X解散後の10年間に自分がやってきたこと、X再結成の経緯、HIDEとWithout Youという曲のこと、これからXとして、あるいはソロとしてやっていきたいこと。

「去年ロサンゼルスに行って久しぶりにYOSHIKIと会って……YOSHIKIというのは僕のパートナーなのですが、子供の頃から、幼稚園のすみれ組からの付き合いで、小学校5年のときに一緒にバンドを組んで、それからずっと一緒にやってきました。この10年はほとんど連絡を取っていなかったけれど、久しぶりに会って、彼のスタジオで曲を聴かせてもらいました。Without Youという曲です」

会場には、Xのことを知らない人たちもたくさんいたと思う。Xというバンド名くらいは知っていても、メンバーの名前や曲はほとんど知らない人たちが。
そういう人たちにも分かるように話すとき、YOSHIKIのことを何と形容するか。TOSHIは、「僕のパートナー」と言った。それが、私がこの日一番嬉しかったことだ。
パートナー。
最高の言葉だと思った。TOSHIにとってのYOSHIKIを表すのに、これ以上に適切な言葉があるだろうか。Xのリーダーでドラマーでピアニストで、作詞作曲もして……なんて、そんな説明は要らないのだ。
「パートナー」というその一言が、すべてを言い表している。

「すみれ組の、としみつくんと、よしきくん」を想像したら、自然と笑みがこぼれた。どんな子供だったんだろう。20年後、30年後の自分たちなんて思い描くはずもなく、無邪気に遊んでいたんだろうか。でもYOSHIKIはきっと、こましゃくれたお子様だったに違いない。
私が通っていた幼稚園の星組にはどんな子がいたかな、と自分が5歳だった頃を思い出してみた。

(つづく)


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