月に舞う桜

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2007年09月30日(日) 善き伝染の一端になれたらと

どうしたらマザー・テレサのようになれるんだろうかと、ときどき考える。
実際に彼女のようになろうとも、なれるとも、思わない。同じような道を行けるだけの精神力も体力も行動力も強い信念も、私は持ち合わせていない。
でも、あそこまでの精神に少しでも近づけたら、と思う。世の中や他人に苛立つことが多くて、自分の生活と心の安定が一番大事な私だけれど。

耳を澄ませて新聞やテレビを観ていると、今だってマザー・テレサのような人は世界中にいるんだということが分かる。
遠い国に飛んで行って、貧しい人や病気の人や子供や女性のために身を尽くして働いている人たちが、たくさんいるんだ。マザー・テレサほどには知られていないだけで。日本人の中にも。

昨日、マジシャンのセロが出ている番組をただの娯楽のつもりで観ていたら、そんな日本人に出会った。
タイのある村に、親を亡くした子供たちが生活するホームがある。そこの子供たちは皆、HIVに母子感染している。
そのホームを作ったのは、ある日本人女性だ。
彼女の友人がHIVに感染した女性たちを看取るボランティアをしていて、あるとき、友人に誘われて彼女もタイへ飛んだ。そこで死期の近い女性たちが共通して訴えたのは、「自分の子供を残していかなければならないのが一番つらい」ということだった。
それで、彼女は残された子供たちのためのホームを作った。現在、ホームには2,3歳から14歳までの子供30人が暮らしていて、彼女は子供たちの「お母さん」だ。
日本を離れて、HIVに感染している子供たちの面倒を見、愛情を注ぎ、育てる。そんなこと、なかなかできるものじゃない。

番組を観ていて一つ残念に思ったことがある。
「タイでは、HIVの知識を持たない人が多く、まだまだ差別や偏見が残っているという」と、ナレーションが入った。
日本は違う、と思っているのだろうか。
せっかく、あのホームや日本人女性を紹介しているのだから、「タイでも……」と言うくらいの意識をテレビ局には持ってもらいたかった。

マザー・テレサたちのようには、なれない。なるつもりも、ない。
ただ、自分にできるやり方で、何かをしていくだけだ。
セロはホームを訪れて、子供たちにマジックを見せた。驚いたり不思議そうな顔をしたり呆気にとられたりする子供たちの目が、キラキラしていた。
セロは、「僕は病気を治すことはできない。でも、僕にはマジックがある」と言った。
ホームの子供たちは近くの学校から就学を拒否され、車で30分かけて離れた学校へ通っている。村の子供がホームへ遊びに来ることもないため、なかなか交流の機会がない。
ホームのお母さんは、「一緒にセロのマジックを見よう」と言って村の子供たちを招待した。60人か70人ほどの子供がやって来て、ホームの子供たちと一緒に庭に座り、セロのマジックに目を輝かせた。その様子を見て、お母さんは本当に嬉しそうな顔をし、涙ぐんでいた。

人と出会い、その生き様を目の当たりにすると、その人の精神の欠片が自分の中に流れ込んでくる。自分が見聞きしたことを、また別の誰かに伝える。そうして、信念や情熱は少しずつ広まっていく。
マジックでは病気を治せない。でも、マジックを介して人が集まり、子供たちが自然と打ち解けていく。

マザー・テレサは、貧しい人のために生涯を捧げた。

ある日本人女性は、タイでHIVに母子感染した子供たちの家を作り、彼らに愛情を注いでいる。

セロは、マジックで子供たちに夢や希望を与える。

私は日本の横浜のこんな片隅で、ただの自己満足だけれど、見たこと感じたことを細々と日記につづっている。


2007年09月28日(金) つぶやき

この手で壊したいものと
この手で壊したくないものと。

偽善を嫌い、たぶん偽悪家なあたしは、「バカじゃないの!」と舌打ちしてみるけれど。

それでも。
使い古されて手垢にまみれたような青臭い言葉に、不意に心が揺れて、弱くて純粋な気持ちが剥き出しになったりする。

どこかに居る、まだ見ぬ人、どうか早く迎えに来て。


2007年09月25日(火) 生態

mixiの「萌え死に。」コミュにて、「手を繋いで水の上を漂うラッコ」の動画を見た。
あまりのかわいさと物珍しさと、手を繋ぐという人間じみた行為に感激し、職場で嬉々として話した。

そしたら、「ラッコって、手、繋ぐんだよ」と言われた。

えええっ、マジで!?
ちっとも知らんかった〜。

流されないように、近くのものにつかまることが、あるとかないとか。


2007年09月24日(月) 変化、成長……もしかして、退化?

「なかなか心を開いてくれない」
いつだったか――ほんの一ヶ月くらい前だったと思うけれど、冗談めかしてそんなことを言われた。

笑顔で接して、他愛のない話もして、冗談も言って、でも心を開いていないのは、本当。
鈍感じゃないんだな、と、びっくりしたけれど。いくら笑顔だって、「当たり障りのない接し方をする」と決めてかかってたんじゃ、心を開いてくれないと相手が感じるのも当然か。

ごめんなさいね。
でも、悪いけど、私には「心を開く」なんて芸当、そう容易くはできない。
他人に対して簡単に心を開ける人の方が、私にとっては不思議。
私は、心を開ける相手って、ごく限られた人だけだと思っているから。
人によって、「心を開く」の意味合いが違うのかもしれないな。深さや重さが、違うんだろう。
私は、すごく重いことだと思ってるから、「心を開いてくれない」なんて言われると、「って言うか、私とあなたって心を開くような関係だと思ってたの!?」と、逆に驚いてしまう。

でも、これでもね、昔よりは素の自分を楽に見せるようになってきたと思うんだけどね。
だって、最近は「見かけによらず、バッサリ斬るね」と言われることの多いこと多いこと。
前は、本当に近い友人にしか、そんなこと言われなかったもの。

それに、「感情を切る」ということがなくなった。
感情を切って、手指の先から力が抜けて、呼吸が上手くできなくなる……なんてことが、なくなった。
たった2,3年でこの変わりようは、たいした進歩じゃないか。

だから、心を開いていなくても、「見かけによらずキツイことを言う桜井」を知っているなら、良しとして下さい。
心は開いてない。でも、鍵をかけているわけじゃ、ないんで。


2007年09月22日(土) 「十年一昔」って言うけれど

・2日前から、ホットケーキが食べたくて仕方ない。バターを塗って、メイプルシロップかけて、甘めのやつ。

・子猫を抱いてあやしている夢を見た。その余韻もあってか、今日はYou Tubeで子猫の動画を見まくって癒された。

・昨日の朝刊に見開きで、来年行われるB'zのライヴツアー日程の告知が! 6月に横浜アリーナ!! これは何としてでもチケットを取らねば。

・今日で、XJAPANが解散して丸10年だ。10年前の9月22日、朝のテレビで解散を知った。その日はちょうど、文化祭で登校した土曜午後の代休で、高校が半ドンだった。私は学校から帰るとすぐにテレビをつけ、解散の記者会見を食い入るように見た。TOSHIがいなかった。
その日は、とある国会議員が何かの疑惑で追い詰められて辞任する、というニュースが世の中的には一番の関心事だった。でも、私にとってはそんな話はどうでもいいことで、議員のことばかり取り上げるテレビに苛立った。
あれから10年。17歳だった私は、27歳になった。
伝説のライヴと言われる、94年の東京ドーム2days「青い夜・白い夜」。それが、今年の夏、ようやく完全DVD化されて発売となった。買ったのは、つい最近。何となく、観るエネルギーがなくて、今はまだきれいな箱のまま眠っている。でも、そろそろ観なくちゃなぁ。せっかく買ったんだもの。
夏、久しぶりに会った大学の友人に、9月にミスチルのライヴに行くんだ、と話した。友人は、「ミスチル好きだったの? 知らなかった」と言って、こう続けた。
「弓月ちゃんは、私の中でXのイメージが強いんだよね」
大学時代はもう解散した後だったから、そんなにXのことを熱く語った記憶はない。それでも、そんなふうに思っていてくれたのが、嬉しかったな。うん。


2007年09月17日(月) 世の中をクリアに見るために

先日の健康診断で予想以上に視力が悪かった私。さすがに、これは何とかした方がいいのでは? と、少々焦る。
父は私よりもはるかに目が悪く、裸眼だと0.01くらいだと思われる。眼鏡が手放せないのはもちろんのこと、眼圧が高いせいで、たまに目の血管が切れて出血する。そんな父が視力回復のための本を持っていたことを思い出し、奪ってみた。
その本には視力回復のトレーニング法が書いてあり、「視力アップサングラス」なるものと簡易的な視力検査表がついている。
「視力アップサングラス」とは、眼鏡の形に切り抜かれた黒い紙に、針で開けたような小さい穴がいくつも開いているものだ。それを眼鏡代わりにつけて周りを見てみると、あら不思議、度が入っていないのに裸眼よりもはるかにはっきり見えるのだ。
これを毎日数十分から1時間程度つけていると、自然と視力が回復するらしい。ただテレビをボーっと見ているような時間におすすめだとか。

視力が落ちるのは目を酷使するからではなく、近くばかりを見て遠くを見る機会がなくなり、目の使い方に偏りが出るためらしい。
この偏りを解消するには眼球運動が必要だそうで、視線を上から下へ、右から左へ、斜め上から斜め下へ、ゆっくり動かす。これを逆方向の動きも含めて10秒ずつ、毎日行う。決して、たくさんやらないこと。目が疲れたら、すぐに止めること。

視力検査表を壁に貼り、まずは裸眼で見てみる。次に、上記のサングラスをつけて見てみる。サングラスをつけたときに見えるところまでは、裸眼でも見えるようになる可能性があるそうな。
本には、「サングラスを使ったり眼球運動を実践して、こんなに視力が回復しました!」という体験談がいくつか載っている。それを読んで一つ気がかりなのは、「0.01や0.02だったのが、0.2とか0.3になった」というレベルの話ばかりであることだ。私の父と同じくらいの視力の人ばかり。
私のように、0.3を0.7くらいにしたい場合でも効果があるのかどうか、その辺がちょっと不明。

何はともあれ、しばらく実践してみようと思う。


2007年09月15日(土) どうにもこうにも女なので

夕方、私宛に一通の封書が届いた。差出人は聞いたことのない会社。その上、差出人の住所は東京なのに、なぜか英語表記(最初に町名、最後にTokyoとなっているやつ)。
「うわー、怪しい! 何だこれー」といぶかしみながら、恐る恐る開封した。
すると、中から出てきたのは一枚の手紙と一冊の手帳。
見た瞬間にそれが何であるかピンときて、私は驚いた。

当たっちゃったぜぃ!

一枚紙の手紙を読むと、その手帳が私の思った通りのものであることが分かった。
それは「月経痛ダイヤリー」という、何とも明け透けな名前の手帳で、テレビ朝日で放送されている『たけしの本当は怖い家庭の医学』のプレゼントで当たったのだった。
1ヶ月くらい前、女性の病気特集をやっていたので見ていたら、この手帳を200名にプレゼントするとのことだった。200名だと当たらないだろうなーと思いつつ、ダメ元でハガキを出し、2週間ほど過ぎた頃からすっかり忘れていた。
テレビ朝日の名前で届くものと思っていたので、封筒を見ても思い出せなかった。
それにしても、まさか本当に当たるとは!

この手帳、毎月の月経期間や月経痛の有無、出血量、薬を飲んだかどうか、飲んだならば何を何錠飲んだか、などを記録していく。記録を残すことで、自分の生理周期や体調の変化を把握することができるのだ。
私は、月経痛と合わせてPMS(月経前症候群)の症状を記録していこうと思っている。
PMSというのは、生理前にイライラしたり体調が悪くなったり不安になったりと様々な症状が出るもので、人によっては症状がひどくて日常生活に支障をきたすほどだ。
幸い、私は日常生活に差し障りがあるほどではないし、数年前に比べるとずいぶん軽くなってきた。それでも、2,3ヶ月に1度くらいはイライラし過ぎて泣きそうになったり(イライラが度を超すと、怒るんじゃなくて泣きたくなるんだと、PMSのおかげで知った!)、鬱ぎみになったりするのだ。
思い返せば、PMSが一番ひどかったのは、大学受験の前とか就職活動中とか、決まってストレスの大きい時期だったなぁ。

というわけで、テレビ番組でのプレゼントというのは、本当にちゃんと当たります(疑ってたんかいっ!)。


2007年09月14日(金) てくてく五反田

片道1時間半以上かけて、東京・五反田まで健康診断に行ってきた。
一般検診なので、身長、体重、胸部レントゲン、尿検査、視力検査……と、検査項目はごく普通なのに、なぜはるばる五反田まで行かにゃあならんのか! と、ぐちぐち文句を言いながら。
有無を言わさず病院を指定されているわけで。せめて、いくつかの候補から選べるのならいいのに。
私の「この世でもっとも嫌いなものランキング」で三本の指に入る「採血」がなかったので、まだ良かったものの、採血すらない健康診断のためにわざわざ五反田まで行くって、どういうこと!? と、逆に怒り心頭だったりもして。
駅から病院までは無料の送迎バスがあるのだけど、「車椅子では乗車不可」とご丁寧に予め聞かされていたので、歩く。別に歩けない距離ではないが、残暑が戻っていて暑い。

健康診断の結果、血圧は相変わらず低い。上が100を少し超えるくらい。これでも、以前よりは上がったのだ。昔は90台前半だったもの。
視力も、相変わらず悪い。その上、乱視ぎみでは? と言われる。一応、日常生活では裸眼でもぎりぎり支障なくやっていけているので、放っておいているが、まずいんだろうか。ま、いいや。
それにしても、目が良い人って、どんだけ見えているんだ。私は、眼鏡をかけても0.6か0.7くらい。「眼鏡が合っていないのでは?」という話は置いておいて、眼鏡有りでも、そんなもんなのだ。裸眼だと、おそらく0.3くらいではないかと思われる。それでも、ときどき「あそこの字、見えないなー」ということはありつつも、裸眼で普通に仕事もしてしまっている。
じゃあ、裸眼で1.0とか1.5ある人って、どんだけ世界がクリアに見えているんだろう。私なんて、眼鏡かけてせいぜい0.7の視力ですら、「うわ、すげー見える!見えすぎじゃない?」と思ってしまうのに。目が良い人って、ほこりとかが気になって困ったりしないんだろうか。……困りはしないだろうな。
まぁ、何だかんだ言っても、やっぱりもう少し視力が上がった方が良いかなぁ。

健康診断は、項目が少ないのであっと言う間、1時間足らずで終わった。
それからまた電車を乗り継いで、1時間半以上かけて会社へ戻らなきゃならなかった。たった2時間の仕事のために!
事務みたいに「私の担当」ってのがあるわけじゃなく、オペレーターだから皆同じ仕事をしているわけで、2,3人抜けたって支障ないんである。それでもまぁ、職場は休みの人も多かったので「忙しいだろうな。戻ったら、皆話してる(=仕事してる)んだろうな」と、会社へ行く価値を何とか見出していた。
が、しかし! 予想に反して、暇なんである。会社に着いたとき、2,3人しか電話に出てないでやんの。むきーっ!
こんなんだったら、来なくても良かったじゃないかよー!!……などということは、口が裂けても上司には言えないが。

五反田で電車から降りると、「キャッツ・シアターは改札を出て左」という文字が飛び込んでくる。
仕事サボって、『キャッツ』でも観に行けばよかったなぁ。
そんなことする度胸ないけど。


2007年09月11日(火) Imagine there's no heaven

こんな世の中なら、いっそのこと滅んでしまった方がいいんじゃないかと、ときどき思う。
安心して年老いてゆくことも子供を産むこともできず、先進国と言われながら未だに餓死する人がいるような国なら。毎日毎日人が殺されて、正義だ愛国心だテロとの戦いだと言い訳しながら戦争し続けるような世の中なら。弱いものがどんどん傷つき、その傷に対して無知でいるような世界なら。
それならば、早く滅んでしまえと、その方がむしろ幸福なことだし地球にとっても有難いことではないかと。

本気で、ときどきそう思う。

でも、そんなふうに思っているときの最大の間違いは、私が「滅び」というものを「一瞬ですべてが消え去ること」と想像している点だ。
「滅び」とは本当はそんなものではなく、じわじわと少しずつ人々を蝕み、気づいたときには恐怖が蔓延し、多くの人間が長いこと生と死の間に置かれたまま悲劇が広がっていくのだろう。
もしも全世界の人間が瞬時に死に至るのなら、それは悲劇なんかではなく、地球の長い歴史の単なる一コマに過ぎない。
おびただしい数の死が悲劇になるのは、残されて生きなければならない人や、死に切れずに生を強いられる人が存在するからだ。生の側にいて、生きることを苦しんだり死を悼んだりする人間がいなければ、悲劇は悲劇たり得ない。

「滅び」は、「滅んでしまえ」と言いながら私が想像するするような簡単で幸福なものではなく、とてつもなく大きな悲劇をたどった先にあるものなのだろう。
「滅んでしまえ」とは思うが、悲劇を目の当たりにしたくはない。

ならば、そうならないように生きねば、と思う。

災害や殺人や虐待や貧困が起こる。
それでも、人は必死に生き続ける。
他者が生きる様を見ると、私は「生きなければ」と思う。とてつもない理不尽さへの怒りから「私も含めて世界は消えてしまえ」と思うのとバランスを取るように、「生きなければ」と強く強く思う。

どうしたって、世界は輝いているのだ。
例えば、この前Mr.Childrenのライヴに行ったとき、世界はやっぱりキラキラしていて、強大な感動とエネルギーがあって、ずっと向こうの方から希望が向かってきた。
それが、その場にいた人間だけの狭い狭い世界での自己満足でしかなくても、世界の輝きと希望を感じる瞬間がある限りは、滅びへの道を進んではいけない。
世の中ごと、自暴自棄になってはいけない。


今日の朝日新聞の夕刊に、『イマジン』の歌詞の一部が載っていた。
中学か高校のとき、英語の教科書(副読本か、先生が配ったプリントかも)にこの曲の歌詞が載っていて、訳もついていた。
私はそれを読んだとき、「Imagine there's no heaven」(想像してごらん、天国なんてないことを)の部分に衝撃を受けた。当時の私は、「白人は皆、天国天国と言って、その存在を信じ込んでいるんだろう」という偏見を持っていた。
だから、白人であるジョン・レノンが「天国なんてない。皆、今を生きているんだ」と歌っていることに、心底衝撃と感銘を受け、目が覚めた。

アメリカで同時多発テロが起こった直後、この曲の放送を自粛する動きがあったという。それを聞いて、私はもう本当にアメリカに失望した。「こういうときこそ必要な歌、歌わなきゃいけない歌なのに」と。
でも、放送自粛の一方で、それでも歌い続ける人がいた。それが、「希望」だと思った。

音楽で世界は変わらない。音楽で世界を変えられるとは思ってない。
けれども、たまには、「音楽の力で国境も何もかも越えて、戦争をなくせるんじゃないか」とバカみたいな理想論を恥ずかしげもなく言ってみたくなるんだ。

それが、この前のライヴで私が得たエネルギー。


2007年09月09日(日) その香り その身体 その全てで僕は生き返る(Mr.Children『口笛』)

ミスチル〜!!!

感激のあまり、冒頭から叫んでみた。
昨日、念願だったMr.Childrenのライヴに初めて行って来たのだ。

Mr.Children "HOME"TOUR 2007〜in the field〜
会場は日産スタジアム(旧・横浜国際総合競技場)。

新横浜で腹ごしらえをして、強風で髪をぐしゃぐしゃにしながら会場へ。
風は強くても、台風一過で天気は良好。そして、暑い。
暑いのも風が強いのも困りものだけれど、台風が過ぎ去ってくれて本当に良かった。桜井さんも台風をとても心配していたらしく、台風が行って無事にライヴできることが嬉しくてたまらなくて、昨日は朝6時半に起きてしまったそうな。で、7時だか7時半だかに家を出て、意味もなく会場をぐるっと一周して、また家に帰ったんだそうな。

セットリスト↓(ところどころ間違いがあるかもしれませんが)

1.彩り
2.名もなき詩
3.星になれたら
4.シーソーゲーム
5.CROSS ROAD
6.Tomorrow never knows
7.My Life
8.ひびき
9.もっと
10.HERO
11.Imagine(ジョン・レノン)
12.CENTER OF UNIVERSE
13.Dance Dance Dance
14.フェイク
15.Any
16.口笛
17.Sign
18.ポケットカスタネット
19.Worlds end
20.終わりなき旅
21.しるし

  アンコール

1.Wake me up
2.Innocent World
3.旅立ちの唄

(途中、MCが2,3回あり)

このセットリスト、さすが15周年のツアーだけある。
最新アルバム『HOME』の曲ばかりでないことを願っていた私は、『名もなき詩』や『Tomorrow never knows』をやってくれたのが本当に嬉しかった。私が中学から高校にかけての曲で、ミスチルを好きになったきっかけの曲でもあるから。
そして、アンコールで『Innocent World』とは!
友達も、「最近の曲をあまり知らないから、どうしようと思ってたけど、懐かしいのもたくさん聴けて良かった」と言ってくれた。
『youthful days』や『タガタメ』を聴けなかったのは残念だったけど。

『シーソーゲーム』のときと、あともう一回はどこだったか忘れてしまったけれど、花火が2回上がった。
そうそう、桜井さん、『シーソーゲーム』は歌詞を忘れまくりでしたが……でも、そういうのもライヴ! って感じでむしろ嬉しい。
最初のMCでは桜井さんが「照明を落とすと星が見えるよ」と言って、皆で空を見上げて星を探したり。
『口笛』は、スクリーンに歌詞を出してくれて、6万5千人で大合唱した。ただ聴くだけじゃなくて、そこに集まった人全員が一体になってライヴを作っていく。それは、何物にも変えがたい貴重な経験で、本物の感動だ。

『フェイク』が終わって、「それもまた真実〜」と『Any』に入っていく構成にはぐっと来た。
何が真実で何が嘘だか分からない世の中。もしかすると、フェイクだらけかもしれない世の中。でも、私にとっての「真実」は、そこら中に確固たるものとしてキラキラと存在している。
私が結構期待していて、希望が叶ったのが『Imagine』だ。私の大好きな曲。横浜アリーナで歌ったと聞いていたから、日産スタジアムでもやってくれることを願っていた。スクリーンには、英語と和訳の歌詞の両方が映し出されていた。きっと、Mr.Childrenにとっても大切なメッセージなんだろうな。

正直、ミスチルは曲が好きなだけであって、ビジュアル的に魅力を感じているわけじゃない。でも、今日の彼らは恰好良かった。本当に音楽を愛していて、伝えたい想いがあって、それを表現できるプロというのは、恰好いいんだ。
桜井さんが、心から嬉しそうに楽しそうに歌っているのが印象的だった。そして、ときには祈るように、ときには魂の叫びを吐き出すように。
スクリーンには、ブリキの人形やぜんまい仕掛けの鳥が小さな火を灯していく、というようなストーリー性のあるメッセージ映像や、青い地球や、世界中の子供たちや、ごく普通の人々のいろんな表情。
それから、『ポケットカスタネット』か『Worlds end』のときは、「日本の自殺者3万人以上」とか「イラク、アフガン兵士の何割が心の病」などの数字がスクリーンの下にどんどんテロップで流れていた。
希望だ、と思った。
どんなに悲惨な数字が流れていても、その奥から溢れてくるのは、「それでも」と「だからこそ」という希望の塊だ。

音楽と彼らからのメッセージが、容赦なく、がんがん入ってきて、『終わりなき旅』の時には何だかわけも分からず叫び出したい気持ちになり、思い出のある曲ということもあって、私の目からは涙が流れていた。
『終わりなき旅』で感動の頂点に達してしまった私は、肝心の『しるし』ではちょっとボーっとしてしまった。個人的には、『しるし』がライヴのメインと思って楽しみにしていたのに。


たっぷり3時間あったのに、あっと言う間だった。
ライヴ直後は半ば放心状態で、あまりいろんなことを考えられなかった。その分、一日経った今、あの濃密で強大な3時間の興奮と感動を反芻している。
ピンクのシャツで熱唱する桜井さんの表情が、脳みそのど真ん中に焼きついて離れないんだ。
あまりに余韻が大きくて、苦しいくらいだ。


2007年09月07日(金) 去って行った

台風が傍若無人に通り過ぎた。

出勤時、風はそれほど吹いていなくて雨だけだった。これなら行けるだろうと思い、家を出発。家の周りは木の枝が散乱していたけれど、かき分けながら案外順調に道を行った。
が、しかし! 家と職場の中間辺りで暴風に見舞われた。
いやー、あれは凄まじかった。ゴォーと音がして、傘が壊れるのはもちろんで。横殴りの雨で前がよく見えないし、風に飛ばされそうで、もう、どっちに進めばいいのやら。
こんな暴風雨の中を車椅子で突き進むなんて、アホの極みじゃないかと思うのだけど、何せ中間まで来てしまっているので戻るに戻れず。
何とか無事に職場にたどり着いたときには、出勤しただけで1日分の仕事を終えた気分だった。
電車通勤の人たちも、複数の路線を乗り継いで到着。みんな、はぁー、と溜息をつくのであった。

大変な思いをして出勤した甲斐あって、何と、上司が「台風手当」と称して全員に一つずつ、どら焼きを配ってくれた。普段はロクでもない……コホン。もとい、普段から素敵な上司でございます。
でもね。
なんで、どら焼きなの〜!
和菓子が苦手なので、気持ちは嬉しいが物自体はあまり嬉しくない……。
どうせなら、バウムクーヘンかマフィンかパウンドケーキが良かったなぁ。
結局、どら焼きは、同じく大変な思いをして出勤に付き添ってくれた和菓子好きの母の胃袋に収まった。結果的には、良かったかな。

明日は台風一過。そして、ライヴ!


2007年09月06日(木) やって来た

たぁいーふうがぁ来る〜もぉのぉすごいーやつ〜♪
(ブルーハーツ『台風』)

というわけで、台風です。
明日は職場が臨時休業にならないかな〜なんて、不謹慎な期待を抱いております。コールセンターなので、それはあり得ないと思いますが。
電車が止まったら、どうするんでしょう。職場の最寄り駅はJR一本しか通っていないのです。
私は徒歩通勤なので関係ないし、バス通勤の人も何人かいますが、少人数では電話をさばき切れませんがな。

鉄筋の家に守られて、暴風雨の音を聞きながら少なからずワクワクするのって、何と贅沢なんでしょう。


2007年09月04日(火) 神様、どうか

特別な信仰はない。キリスト教的な意味での神という存在は、信じていない。
でも、ときどき、本当にやりきれないことが起きると、神の存在を願わずにはいられなくなる。
人間だけではどうしようもないこと、身を引き裂かれるような悲しいことや苦しいことがたくさんあって、それで大昔の人はすがるような思いで「神」を発明したのかもしれない。

どうか、この世界に神様がいますように。
どうか、いつでも正しく裁きが下されますように。
どうか、生まれたばかりの小さな命を殺した人間が、のうのうと生きながらえるようなことのありませんように。

いかなる理由であれ、子供、それも赤ちゃんの命を奪うような年寄りは、いくら八つ裂きにしても足りない。
そんな輩が呼吸している上に、さらにやりきれないのは、「気持ちも分かる」だとか「同情できる」だとか言い出す人間が多くて正しい裁きが期待できないことだ。

神様でもいなきゃ、やってられない。

でも、こうも思うんだ。
神様がいるのにこんな世の中って、その方が余程絶望的でやってられなくないか?
正しい裁きがなされないならば、神などいないと思う方が、むしろ救いがあるんじゃないか?

神様はいない。デスノートもない。
ならば、私たち人間だけで、世の中をどうにかしていかなきゃならない。

でも今は、今だけは、どうか神様……。


2007年09月03日(月) 私は今日も生きている

数日前、右手の人差し指を擦りむいた。
当初、そこは赤くなっていて、指を普通に動かすだけなら何ともなかったけれど、押さえると少しヒリヒリした。日が経つにつれて、その痛みもなくなり、赤いところは茶色く変化していった。
そして昨日、新しい皮膚が茶色い部分を覆い始めていることに気付いた。
そこまでくると、あとははやい。治り方がどんどん加速していく。
昨日から今朝より、今日の朝から夜にかけての方が治りが大きい。今朝と比べて茶色い部分はぐっと小さくなり、新しい皮膚が猛スピードでできているのが目に見えて分かるのだ。

私は、こういう小さな傷が治る過程を見ると、生命力を感じる。単純に、「やっぱり体ってすごい」と感心してしまう。何という、素朴な驚異と不思議だろう。
時間とともに傷は癒え、皮膚は再生されるのだ。私の体は、日々作られている。
破壊と再生。それが生きること。


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