月に舞う桜
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実は明日から仕事で新しいシステムを使うことになるのですが、たいした研修もしないまま、今日プレ体制最終日を迎えました。先週半ばから昨日までは、旧システムと新システムを併用して練習しておりました。で、今日は明日からの本番さながら新システムに完全移行しての仕事だったのですけれども。 もうね、皆して、てんやわんやですよ。何が何だかわからないまま1日がすぎていきましたよ。へろへろです。
でも、ぶっちゃけて言うと、この機会に下剋上を狙っているんですなぁ、ワタクシ。 うちには40代、50代のベテランオペレーターがたくさんいるのですが、新しいシステムに慣れるのは絶対に若い方が有利だと思うのです。経験がものを言うのはお客様対応(トーク)に関してであって、そのあとの処理については私もベテランさんも同じスターとラインに立っているわけです。 ならば、先に行ってやろうかと。新システム導入をいいチャンスと捉えて、越えてやろうかと。そんな野望を隠し持っています。 何を生意気にと思われるかもしれませんが、これは自信と言うよりモチベーションの問題です。
まぁ、オペレーターの中でランク分けがされているわけではないので、下剋上と言っても私の気持ちの中だけですけれどもね。
そもそも、下剋上云々の前に新システムに慣れることが大きな課題なんですが……。
2007年07月29日(日) |
非国民と言いたくもなるさ |
北海道旅行1日目(7月19日付け)と7月26日の日記を更新しました。
相変わらず選挙の投票率が低いようですが、皆さん何故選挙に行かないんですかね。 連日、これだけ年金だ憲法9条だ格差社会だと騒がれていて、テレビCMで香里奈や佐藤隆太が投票を呼び掛けているのに、それでも行かないってのは、すげー不思議。 行きたくても、どうしても事情があって行けないという人もいるのでしょうが、投票に行っていない人の全てがそうだとは思えないんですけどね。現状に満足なんでしょうか。
私たちが選び決断したことは、何十年もあとまで影響が残る。年金だって、何年も前に決めたことや何年も前のずさんな処理が今になって大きな問題になってるわけです。 選挙に行くのは自分の生活のためだと思っていたけど、今と近い将来がどうのというだけじゃないんだってことを、ものすごく実感したし、意識が改まりました。 私たちの選択のツケが私たちの代で回ってくるのは仕方ない。でも、まだ生まれてもいない人達に壊れかけた社会を押し付けるようなことは避けたい。 先々のことに想像力が働かない人は無人島にでも行けば? と思います。
ま、恰好良いこと言ってるようだけど、一番大切なのは自分のこれからの生活。でも、私は後世の人に恨まれたくないって気持ちも大きいのです。先人のツケを払わされてるような気がして、はあ? と思うことも多いし。
猛暑ですがな。
朝、暑くて目が覚める。 カーテンの向こうがずいぶん明るいが、携帯で時刻を確認すると、まだ6時半だった。休みの日に6時半になんて起きてたまるか! と思い、意地と根性で寝続ける。
昼。 自室に入ったとき、エアコンのリモコンが示していた室温は29℃。が、しかし、エアコンを入れた拍子に数字が30℃に切り替わった。じっとしていても、こめかみから汗が流れるわけだ。
こう暑いと冷たいものがほしくなるけれど、虎の子のハーゲンダッツのストロベリーアイスはこの前食べてしまったし。 余談だけど、今のところハーゲンダッツではストロベリーが一番好きだ、うん。
夜になれば少しは涼しくなるかと期待したものの、世の中はそんなに甘くないのであった。 まだまだ暑いぞ。 その上、我が家の今日の晩ご飯はけんちん汁。そう言えば、昼間、母が「夜はけんちん汁と……」と言っているのを私はあっさり了解したのだった。 まぁ、暑いときに熱いものを食べるのもいいのだ。
冬より夏の方が好きだ。でも、じっとり暑いのは不快。 エアコンや扇風機にずっとあたっていると体がだるくなるので、長時間つけないようにしているんだけど、そうすると暑くてやってられなくなる。
仕事帰り、小学校時代の音楽の先生に会った。ものすごい偶然だ。先生は近くに住んでいるらしく、買い物帰りだった。 この先生は、ピアノも歌もうまかったので、私が知っている中では唯一「音楽の先生」として認めている人なのだ。小学校から高校を通して、ピアノがうまかった音楽の先生というのが他に思い当たらないので……それって、どうよ?
先生は、授業がとても熱心だったし、いろいろと工夫していた。それも、私が音楽の先生と認めている大きな理由のひとつだ。 毎学期末には、クラスの音楽会を開き、グループに分かれて好きな曲(教科書に載っているのでもアニメソングでも、何でもいい)を演奏したり歌ったりする。 6年生の最後の音楽会には担任を呼び、そこで担任は『乾杯』と『昴』を歌った。私たちの卒業を祝って歌ってくれたのだが、小学6年へ贈る曲としては選曲が渋すぎ。子供心に「昴かよっ!」と思っていた。ちなみに、この担任は、私が出会ってきた先生たちの中で一、二を争うほどの名物先生であり、恩師である。
音楽の先生の話に戻る。 毎回、授業を始める合図をピアノでするのだが、その合図は生徒の持ち回りとなっていた。皆に少しでもピアノに触れる機会を……との思いがあったようだ。 それから、ピアノを習っている子は、これまた持ち回りで授業の最初に1曲披露させてもらっていた。習いたてで簡単な曲を弾く子もいたし、かなりうまい子もいたけれど、先生はどんなレベルの子に対しても同じように、頑張って人前で弾いたことへの賞賛と拍手を送っていた。それで、私たちの間にも、ピアノを弾いた子への尊敬の念みたいなものが何となく沸き起こるのだった。 一番思い出に残っているのは、6年生のとき、ひとりひとりに作詞作曲をさせたことだ。どんなに短くてもどんなに単調な曲でもいいから、とにかく自分で1曲作るのだ。そして、最後の授業で先生が1曲ずつピアノで弾いて紹介してくれ、1学年全員の曲が1冊の本にまとめられて私たちに配られた。 とても時間のかかることだし、ひとりひとりに曲の作り方や楽譜の書き方を教えるのは労力の要ることだ。でも、授業というのはたぶん本来はそういうことだし、先生は「音を楽しむ」ことをきちんと教えてくれたのだと思う。
先生は、15年ぶりの私を見て「大きくなったわねぇ」と言った。小学6年が27歳になったのだから大きくなっているのは当たり前なのだが、先生の頭の中の私は今でも6年生のままだったのだろう。 私が大きくなったのと対照的に、先生は縦も横も縮んだように見えた。あの頃はショートカットだった髪は、無造作にうしろで結わいていた。教師らしかったきちんとした服装も、Tシャツとズボンになり、メイクもほとんどしていなかった。4年前に、教師を辞めたらしい。 もう「音楽の先生」ではなく、一人の主婦になって買い物袋を提げている先生を見て、私はほんの少し寂しいような気持ちになってしまった。 でも、時は経つものだ。もう、15年も経ったのだ。
北海道旅行の日記が遅れております。すみません。早く書かないと、詳細を忘れてしまいそうだ……。
ところで。 我が母校が、高校野球の県予選でベスト8まで残ったのですよ! 史上初のベスト8! 私の在学中には考えられなかった快挙なのです。 今日の準々決勝で強豪と対戦し、残念ながら敗退してしまいましたが、ここまで勝ち残ったのは本当に素晴らしい。高校数が多く、強豪ひしめく神奈川にあって、県立高がベスト8に残ったというのは歴史に残るんでは? と思うのは、親バカならぬ卒業生バカでしょうか。 正直、普段は野球にあまり興味がないのですが、ベスト16になったあたりから少々興奮していました。職場でも自慢したし。 選手の皆さん、応援に行かれた方、応援団や吹奏楽やチアの方々、本当にお疲れ様でした。この高校の卒業生でよかったです。 mixiを見ていると、卒業生の興奮ぶりや母校を誇りに感じている空気がひしひしと伝わってきて、「あぁ、やっぱりうちの高校は本当にいい場所で、愛されているんだなぁ」と思います。卒業して何年経っても高校話で盛り上がれるのって、素敵なことだなぁ、と。
で、実は、今日はたまたまお休みを貰っていたので試合の最初の方だけテレビで観ていたのですが、今の高校生って、『紅』を本当に知っているんですかね。うちの高校の吹奏楽部が吹いていたけど。リアルタイムじゃ知らないよね。 毎年毎年、高校野球の応援で演奏されますが、すごく謎。歌詞だって、ちっとも応援向きじゃないし。Xファンで、『紅』に衝撃を受けた者としては、ちょっと複雑なのね。
今日のタイトルに特別意味はないのですが、最近、やっと「どんだけ〜!」の使い方が分かってきたので、無駄に使ってみたかったのでありました。
昨日、無事に北海道旅行から帰りました。 天気も悪くなかったし寒くもなかったけれど、風が強かったです。 若干の心残りはあるものの、とても楽しい2泊3日でした。 少しずつ旅行記を書いているところです。
横浜は暑い……。 明日からまた仕事ですな。
2007年07月21日(土) |
北海道旅行:3日目・帰還編 |
楽しかった北海道旅行もとうとう最終日。あとは横浜へ帰るだけとなってしまった。
この日も、朝食はホテルのバイキング。朝食バイキングも、小樽よりずっと種類が豊富だった(いちいち比べるな!)。 一番おいしかったのは、じゃがいもだ。蒸かしたじゃがいもを、小麦粉をつけて丸ごと揚げてあるのだ。外はさくさく、中はほくほく。まさに北海道の味。 いろんな種類を少しずつ食べようと意気込んでいたのに、ついクロワッサンを食べ過ぎて、気がつくとお腹いっぱいになっていた。残念でならない……。
荷物の大半は、宅配便で送るようにしてあった。身軽になって、「絶対また泊まりたい」と思いながらホテル日航札幌をチェックアウト。 観光客や地元の人でにぎわう札幌駅をあとにして、新千歳空港へ。札幌は薄曇りだったのに、新千歳は雨が降っていた。駅員さんによると、空港周辺は最近ずっと天気が悪いらしい。
飛行機の時間までだいぶあったので、空港内のお店を見て回った。広いのはどこの空港も同じだけれど、新千歳は広い上にとにかくお店が多い。羽田なんて目じゃないと思う。あらゆるものが揃っているので、町に出なくても、空港の中を歩くだけで北海道を満喫できてしまう感じ。 私はその中の一軒で、試食の夕張メロンを一切れ食べた。 なんと、北海道旅行中にメロンを食べたのは、このときが最初で最後だった。北海道に行けばメロンなんてすぐに食べれるだろうと思っていたら、なかなか機会がなく、朝食バイキングにあるだろうと期待したがそれもなく、とうとうこんなことになってしまった。 何事も、積極的に求めなければ向こうから飛んでは来ないのだ、と学んだのであった。
母は、自分へのお土産に「若狭いも」を買っていた。私はずっとスイートポテトみたいなものだろうと思っていたのだが、さつまいもは全く入っていないと知って驚いた。 お店を一通り見たあと、お昼ご飯を食べることにした。 父は一人でラーメン屋へ、私と母はパスタ屋さんへ。私は、タラバガニとほうれん草のトマトソーススパゲッティを食べた。パスタを口に入れた瞬間、磯の香りが広がった。その上、タラバガニの量が半端じゃなくて嬉しい悲鳴。横浜じゃ考えられないくらいの、身の太さと量なのだ。カニ入りパスタを食べて、麺でお腹いっぱいになることはあっても、明らかにカニで満腹になるなんて初めてだった。 こうして、今回の北海道旅行はタラバで始まりタラバで終わったのであった。小樽の夜は思いがけずコンビニ弁当になってしまったり、メロンにありつけなかったりもしたけれど、終わり良ければ全て良し。
食事のあと、帰りは電動車椅子を預ける手続きも比較的スムーズに済み、「あとはのんびり帰るだけ」と搭乗口で待っていた。すると、私たちが乗る飛行機の到着が遅れているとのアナウンス。 同じようなアナウンスが繰り返し流れる中、その飛行機が空港に着き、乗客を降ろし、整備点検をする様子がガラス窓のすぐ外に見えた。 「少しぐらい遅くなってもいいから、しっかり点検してくれ」と祈りながら、搭乗予定の飛行機を見つめる桜井家ご一行様。でも、中には羽田で乗り継ぎをするお客さんもいるようで、私たちみたいに悠長なことは言っていられないようだった。
そんなハプニングもありながら、飛行機は30分ほど遅れて無事に飛び立った。 車椅子の人や小さな子供連れの人たちは、基本的に先に機内へ案内される。空港の係員が私たちを案内して客室乗務員に座席を伝えるとき、「ホテルとキングとジュリエットです」と言った。私たちの席はH、K、Jだったのだ。 ちょっとでもそういう専門用語を聞くと、「おお!」と嬉しくなってしまうミーハーな弓月サン。
いよいよ本当に北海道から離れ、東京目指して飛んで行く。現実逃避はもうすぐ終わり。私の夏休み第一弾も。 旅行が終わるときの寂しさと、ちょっとした安堵感。 飛行機の中でそれを味わい浸っていたけれど、羽田空港の滑走路に飛行機のタイヤがついた瞬間、そんな感傷や余韻は吹っ飛んだ。 だって、暑い! おもしろいくらい、羽田に到着した途端にじめっと蒸し暑い。北海道では全く感じなくてよかった湿気に、思わずげんなりした顔になる。関東の暑さから離れていた分、戦闘体勢が整っていなくてダメージが大きいのだ。 この蒸し暑さは、羽田から電車で横浜へ向かう間ももちろん続いた。 横浜は私が経つ前と同じ顔をしていて、帰るべき場所が何も変わっていないことには安心感を覚える。でも、いかんせん暑い。からっと暑ければよいが、とにかくめちゃくちゃ蒸し暑い。北海道の空気が恋しい……。
ま、とにかく無事に帰ってきたのだ。それでいいし、それが全てだ、と思う。旅行で一番重要なのは、「無事に帰ること」だ。暑かろうが寒かろうが、帰るべき場所はここなのだ。 楽しかったけれど、心残りもある旅行。でも、心残りは旅行の醍醐味。
今回の旅行で改めて分かったことがある。私はやっぱり、田舎より都会向きなのだ。 もちろん、田舎ののんびりした空気や、どこまでも広がる大自然には触れたい。でも、そういうのは、例えば移動の電車の中からだったり、ちょっと1,2時間歩いてみるだけで満足してしまう。あとは、寂しい。町からどんどん人が消えていく夕暮れとか、真っ暗な夜とか。 人がたくさん、邪魔なほど歩いていて、ごちゃごちゃと賑わっていて、油断していたら取り残されるから神経をピッと伸ばして前を向いて歩く、でも、町を彩るお店をちょっと横目で覗くことも忘れない。そんな感じのところの方が、わくわくする。 たぶん、都会の方が整備されていて歩きやすいっていうのが、都会好きの大きな要因だとは思うのだけど。一人で自由に動き回れないところは、好きじゃないしテンション下がる。
2007年07月20日(金) |
北海道旅行:2日目・札幌編 |
北海道旅行2日目は札幌の日。
小樽のホテルでバイキング形式の朝食を取り、荷物をまとめてチェックアウト。小樽の町に別れを告げて、快速エアポートで札幌まで行った。 この日も、快晴ではないものの、雨の心配がない程度の曇り空だった。 札幌駅は、やはり小樽とは比べものにならないほど綺麗で大きく、人も多い。私は、無性にワクワクした。小樽に着いたときよりもずっと。
当面必要のない荷物を駅のコインロッカーに入れ、地下鉄へ向かった。地下鉄の車内には風鈴が吊るされていて、冷房の風でちりんちりんと音を立てていた。風がわりと強いので、ちょっと落ち着かない……。 札幌駅から地下鉄を乗り継いで行く目的地は、「白い恋人パーク」だ。 白い恋人パークは、あの有名な北海道銘菓「白い恋人」の石屋製菓がやっている大きな施設で、その素敵な建物をテレビで見たときに「ここは絶対行かねば!」と母と決めたのだった。 最寄り駅から徒歩10分強。その洋風の建物は、遠くから見つけても「うわ、素敵♪」と思わず漏らしてしまうくらい、おしゃれで立派で、そして何ともメルヘンだった。 建物の傍まで来ると、クッキーの甘くて香ばしい香りに包まれる。この建物の中で、実際に白い恋人が作られているのだ。
大まかに言うと、パークにはローズガーデンとチョコレートファクトリーとチュダーハウスがある。庭も建物も、伝統的なイギリス様式で作られているらしい。 ローズガーデンだけなら無料で入ることができ、建物に入って見学する場合は入館料が600円必要だ。この入館料の600円を惜しんではいけない。入ってすぐに元が取れるから。 入館手続きを済ませると、白い恋人が一人一枚もらえる。係員が車椅子用エレベーターまで案内してくれ、見学順路を説明してくれる。
見学は、まずチョコレートファクトリーから。 ここには、西洋のアンティーク食器や、絵画や陶器などの美術品が展示されているほか、足元には凝った柄の絨毯が敷かれ、2階中央の大ホールには大きな噴水と泉がある。まるで、西洋貴族のお屋敷か宮殿に来たみたいだ。 でも、メインはもちろん美術品ではなく、あくまでもチョコレートだ。壁にはチョコレートに関するあらゆる資料(歴史、各国の消費量、さまざまな雑学など)が張られ、昔のパッケージや缶もたくさん展示されている。 3階には、カカオ豆からチョコレートができるまでを再現した大掛かりなジオラマがあり、その先では白い恋人の本物の製造ラインをガラス越しに見下ろすことができる。 目の前で、白い恋人が作られているのだ。白い恋人が1枚1枚作られ、コンベヤーの上を流れ、最後はお馴染みの柄で包装される。ガラス張りにして製造過程をすべて見せるというのは、商品への自信の表れなのだなと思った。 とにかく、どこを見ても何を見ても飽きないように、隅々まで工夫された造りだった。
チョコレートファクトリ−の4階には体験工房とお土産屋さんとカフェがあり、私たちはそのカフェで休憩することにした。 そこでしか食べられないというチョコレートケーキを食べていると、窓の外に見える時計塔に何やら変化が。1時ちょうどになり、からくり時計が動き出したのだ。私たちは運良く窓際の特等席に座っていたので、その様子をじっくり見ることができた。開いた塔の一部から熊やフクロウなど動物のからくり人形が出て来て、太鼓を叩いたりラッパを吹いたりしていた。 それから、塔のどこかから、しゃぼん玉が吹き出ていた。窓からは真下のローズガーデンを見下ろすこともでき、英国式の庭園の上をしゃぼん玉がふわふわ飛んでいる光景は、絵本の中みたいにロマンチックだった。
見学順路に戻って、次は4階で繋がっている隣の棟、チュダーハウスへ。 ここは全体が昭和にタイムスリップしたような作りになっていて、昔の子供のおもちゃや昭和のスターたちのグッズがぎっしり展示されている。ぶっちゃけ、お菓子には関係ないものばかりだけれど、お菓子屋さんがお菓子に関係ないものをよくこれだけ集めたものだと、舌を巻いてしまう。 チョコレートファクトリーにあった西洋アンティーク食器やチョコレートに関する資料もそうだけど、とにかくコレクションが膨大で、でもコンセプトはきちんとしていて、中途半端なところが全然ない。「ちょっと儲かったので、適当に資料館を作ってみました」という感じではないのだ。 あれだけの展示品をそろえてあれだけの施設を作るには、優秀なデザイナーや建築家やオブザーバーを要しただろうと思う。下手な博物館よりよほど楽しめるのではないだろうか。
建物の中を一通り見終わると、外に出てローズガーデンを歩いた。数種類の薔薇以外にも、いろんな花が咲いていて、一休みできるテーブルと椅子も置いてある。それから、あちこちに無人の小人のおうちがあって、とても狭いけれども子供たちが入って遊ぶことができる。メルヘンだ! 建物に入らずとも、この庭を歩くだけでかなり楽しめる。 一角にある雑貨屋で、私はお土産にローズウォーター(アロマオイル)と紅茶を買った。小樽で買った夕張メロンキャラメルに次ぐ、北海道のお土産第2弾だ。
白い恋人パークが予想以上に面白く、最初は1時間くらいのつもりだったのが、結局パークを出たときには2、3時間が経過していた。 「やっぱり来て良かったねー、堪能したねー」と言いながら、また地下鉄を乗り継いで札幌に戻った。 大通公園を歩き、鳩に怯えながら出店のエビマヨを食べ、噴水の水しぶきを浴びながら写真を撮った。 そうこうしているうち、時刻は3時過ぎ。ビルが立ち並ぶ札幌の街を歩いて、ホテルへ向かった。
札幌での宿泊先はホテル日航札幌。このホテルが素晴らしかった! 入った瞬間、小樽で泊まったホテルとのグレードの違いが一目瞭然なのだ。まぁ、宿泊料金が雲泥の差なので、当たり前なのだけど。小樽では、チェックインすると「勝手に部屋に行ってね。後はお好きにー」という感じだった。そして、ルームキーが今どきカードじゃなくて文字通りの鍵だったり、客室の壁や柱にはところどころ目立つ傷があったり絨毯には染みがあったりした。だからと言って別に何か不満があるというわけでもなく、「この料金ならこんなもんか」と思っていたのだが、札幌のホテルに期待をかけていたことは否めない。 で、ホテル日航札幌。まず、接客態度が全然違う。それから、部屋も全然違う。家具がモノトーンで統一されていて、落ち着いた雰囲気なのだ。私はユニバーサルルームに泊まったのだけど、さすがユニバーサルルーム、バスルームも適度な広さがあってめっちゃ使いやすい! アメニティが充実しているのも嬉しい。 実はこのホテル、私が会社から貰っている福利厚生のポイントを使って泊まったのだ。そうじゃなきゃ、全額自腹ではとても泊まれない。通常なら1泊2万以上するホテルに1人9000円くらいで泊まることができた。素晴らしいぞ、わが会社! ま、給料安い分、こういうところで助けてくれなくっちゃ、有名なグループ企業の名が泣くってもんよ。
さて、ホテルの部屋をくまなくチェックしては「やっぱり(小樽とは)違うわぁ」とニンマリしつつ、少しのんびりしたあと、ホテルの隣にある大丸へお土産を買いに行った。 横浜のデパ地下に匹敵する混み様……。人をかき分け、目当てのお店を渡り歩く。結果、六花亭の「霜だたみ」(サクサクのチョコ味パイで、モカクリームをサンドしたもの)と石屋製菓の「白い恋人」、「グレープフルーツクッキー」、それから昆布をめでたくゲットしたのだった。 これらのものを求めて歩き回っている途中に見つけたアイス屋さんで、ソフトクリームを食べた。私は、期間限定のマンゴーソースがかかったバニラソフト。食べ終わってから、マンゴーって北海道名物じゃないじゃん! ということに気づく。おいしかったから、どこの名物だろうと関係ないんだけど。だって、メロンアイスがなかったし。
夕食は、ホテルの1階にある「カフェ セリーナ プロデュースbyミクニ」で。ここは料理の鉄人・三国清三がプロデュースしているカジュアルフレンチのお店で、旅行の計画を立て始めた頃に「札幌の夜はここ」と決めていたのだった。ホテルの隣のビルに、やはり三国清三プロデュースの本格フレンチのお店もあるけれど、料金も雰囲気も庶民にはちょっと入りづらそうだった。
ディナーメニュー↓ ・グラスワイン(白) ・イカのフリットと夏野菜のガスパチョソース ・タラバガニとトマトのミルフィーユ仕立て ・本日のパスタ・・・ベーコンと(たぶん)小松菜のパスタ ・仔羊の香草パン粉焼き(本当はもっと小難しい名前) ・ヨーグルトシャーベットとオレンジのジュレ、パッションフルーツのブラマンジェ(3層になっている) ・パンとコーヒー
驚いたのは、何も言わなくても私にはパンと仔羊をあらかじめ切り分けて持って来てくれたことだ。 パンは、何度でもおかわりを貰え、そのつど種類が違う。私はパンをたくさん食べるとせっかくの料理が入らなくなると思い、最初に出た黒大豆入りのパンだけにした。何度かおかわりしていた母によると、クルミパンもピスタチオ入りも、どれもこれもおいしかったそうだ。もちろん、私が食べた黒大豆入りもとてもおいしかった。 料理も「このお店にしてよかった」と思えるものばかりで、特に仔羊は今まで食べた中で一番クセがなく、食べやすかった。
部屋に戻ると、遠くに花火が見えた。ホテルマンが部屋まで案内してくれたとき、「今日はちょうど花火大会があるのでお部屋から見られると思いますよ」と言っていたのだ。 知っていて札幌に来たわけではなく、偶然の花火大会。大きな窓から見える花火と札幌の夜景を、ほろ酔いの頭でじっと見つめていた。
2007年07月19日(木) |
北海道旅行:1日目・小樽編 |
うちの職場では5日間の夏休みがもらえる。連休にしてもいいし、分けて取るのもOKだ。 今年、私は7月に2日、8月に3日取ることにし、夏休み第一弾を利用して北海道(小樽&札幌)へ家族旅行に行ってきた。 北海道は高校の修学旅行以来なので、10年ぶりだ。小樽にも札幌にもそのとき行ったけれど、時間に追われた班行動だったので、あまりゆっくり町を回ることができなかった。なので、今回は行きたいところへじっくり行ってみようと。
朝5時半起床。仕事の日より1時間も早いので眠いのだけれど、旅行のためなのでそれほど苦にならない。 通勤のサラリーマンに交じって電車に揺られ、羽田空港へ。売店で、朝食用に空弁を買う。 電動車椅子は荷物として預けるのだけど、規則が厳しいことと、私が使っている車椅子のバッテリー搭載方法は係員が初めて見るタイプのものだったため、手続きに時間がかかった。考えてみると、今使っている電動車椅子で飛行機旅行するのは初めてなのだ。 新千歳空港行きの搭乗口で出発案内と一緒に表示されている天気情報(天気「予報」ではなく、現在の天気と気温が表示されている)によると、新千歳は思い切り雨マーク。まだ朝なので気温は少しずつ上がるだろうけれど、天気が良くなる保証はない。ちょっと不安になった。せっかくの旅行、雨は困る。
飛行機はほぼ定刻通り出発し、私は機内で空弁を食べた。 私が買った空弁は六角形の容器が二段重ねになっていて、上段には煮物や焼き魚や肉団子などのおかずが、下段には、梅じゃことゴマと細かく刻んだたくあんをまぶしたご飯が入っていた。おかずは全体的に甘い味付けで可もなく不可もなくだったけど、ご飯はおいしかった。 東京と北海道は結構近い。のんびりご飯を食べたりお茶を飲んだりしていると、寝る間もなく着陸態勢に入った。飛行機に乗るのが大学の卒業旅行以来ということもあって、離着陸のときは少々緊張する。
旅行1日目は小樽の日。 空港から小樽までは、JRの快速エアポートで1時間だ。 新千歳を出たときにはどんより曇っていた空も、電車が進むにつれて明るくなり、ときおり青空も見えるようになった。よかった。ぐずついているのは空港周辺だけみたいだ。 北海道はやっぱり広い。土地も空も。札幌は都会でビルがたくさん並んでいるので多少ごちゃごちゃした印象を受けるけれど、それでも、だーっと果てしなく伸びた道路を車窓から眺めると「うぉ、まさに北海道!」と思う。 車両と車両を繋ぐドアの上には、ローカルニュースがテロップで流れていた。「道警」なんていう言葉を見ると、これまた「うぉ、まさに北海道!」と感激する。 札幌を過ぎて少し経つと、右手には海が、左手には山が見えた。私は海の方が好きなので、ひたすら右側を見つめていた。水平線、ごつごつした岩、積み上げられたテトラポット、穏やかな波。
小樽に着くと、ホテルのチェックインにはまだ時間があったので、お昼ご飯を求めて歩いた。 たどり着いたのは、小樽運河食堂。木造でちょっと薄暗くレトロな雰囲気のところに、ラーメン屋さんやお寿司屋さんなど10店ほどのお食事処が集まっている。 その中で私たちは浅草橋ビヤホールというお店に入り、タラバガニとお寿司のセットを頼んだ。新鮮なネタとわさびの利いたお寿司、ぎゅぎゅっと身のつまったゆでタラバガニ、ほぐしたカニの身が乗った茶碗蒸し、カニ入り味噌汁、大葉と大根おろしにイクラが乗った小皿。 どれもこれも「北海道に来たー!」と口いっぱい感じられるものばかり。特に、茶碗蒸しと味噌汁はカニの旨味がよく出ていておいしかった。ゆでタラバは最初はレモンを絞って食べていたのだけど、途中から味噌汁にじゃんじゃん入れてみた。もったいないと思われるかもしれないが、これがおいしさ倍増。
カニで満腹になったあと、小樽運河食堂の一角にあるお土産コーナーで「夕張メロンキャラメル」を購入。北海道のお土産第一弾である。 それから、ホテルへ行ってチェックインを済ませ、荷物を部屋に置いてから、小樽の町散策へ。 日が当たると少し暑いけれど、涼しい風が吹くので心地よい。心配していた雨も、降る気配は全くなかった。北海道は歩道が広いので、概ね歩きやすい。でも、小樽では「ここは歩きやすいが、一本隣の道に入ると歩道が石畳」ということがあって、たまに苦労した。 小樽と言えば、ガラス工芸とオルゴール。目に付いたお店に手当たりしだい入っていって、ずらりと並んだ作品を見て回った。小樽は建物自体が素敵で、メルヘンチックだったり明治時代風情だったりする。中は床が板張りになっていて、人が歩くとギシギシ音を立てるところが多い。 ガラス製品は淡い色合いで、どれもキラキラと輝いていた。流行りなのか、ごく小さいものから中くらいのものまで、カエルの置物が多く見られた。どこかのオルゴール店では、万華鏡を覗くこともできた。覚えている限りでは、人生初の万華鏡。 きれいなガラスやオルゴールは、小樽の町の中に並んでいるからこそ、より一層きれいで魅力的なものに見えるのだろうなと思った。買って帰ってうちに飾っても、埃をかぶるのがオチでして……現に、私の部屋の片隅では、高校の修学旅行で買ったうさぎのオルゴールが鳴らされることなく埃をかぶり、ヴェネチアングラスは、最後に出して使ったのはいつのことやら、という有様。
さて、小樽の町でよく見かけたものの一つが人力車。交差点毎に人力車が客待ちをしていて、多いと一つの交差点に2,3台が待機しているのだ。料金は、どの人力車にも500円と書いてあった。安くないか? あとは、ポニータクシーというのもあって、その名の通りポニーが馬車を引いている。そして、ポニーを引くおじさんは、カウボーイハットを被っているんである。 よく見かけたもの二つ目は、風鈴。ガラス工芸の町なので当たり前かもしれないけれど、お店の中だけではなくて、町なかの、そこらへんに風鈴が吊るされている。ある川(用水路?)には、ロープが何本か張られていて、ロープ一本あたり10個弱の風鈴がさがっている。風流だし涼しげだけれど、風が吹くといっせいに鳴るので少々うるさい……。 が、しかし、小樽で一番インパクトがあったのは、何と言っても昆布屋さんだ。小樽には、ガラスとオルゴールのほかに昆布屋さんがたくさんある。その中の一つの店先に、「お父さん預かります」という看板が! 見た瞬間、私と母は大笑い。父は苦笑い。何で写真取るのを忘れたんだ、私! 女性陣が町を歩き回っている間、お父さんを預かってくれると言うのか。しかし、大変失礼ながら、ただの昆布屋。レストランでも何でもない。女の徘徊は長いぞ。昆布を見ているだけで時間をつぶせると言うのか、恐るべし。「お父さん預かります」なんて、抜群のセンス。お店の奥さんが考え付いたに違いない。 で、小樽の昆布屋さんの看板には、示し合わせたように「七日間食べて鏡をごらん」と書いてある。すごい、まるでシャンプーか、ビリーズ・ブートキャンプの広告!
そんなこんなで歩き回っていると、早くも夕暮れ。ところどころ漂っていた暑い空気は影を潜め、すっかり涼しくなった。やはり北海道は、涼しくなる時間が早い。 ここから、のんびり気分で夕食のお店を探し始めるが、ここで誤算が。まず、あらかじめ候補として挙げておいたお店が、どこもここも階段の先にあったり、せせこましかったりして入りづらい。次に、私たちは皆、お昼に食べたお寿司とカニがまだ胃の隅に居座っていて、本気で夕食を探す気になれない。 そして極めつけは、小樽は店じまいが早い。あとで調べて分かったのだけど、お昼に行った浅草橋ビアホールは、ビアホールであるにもかかわらず8時か8時半までなのだ。 観光地なのに、どんどんどんどんお店が閉まっていき、いつの間にか町がシーンとしている。何てこったい。そのうち暗くなって、すっかり夜。何てこったい。 仕方がないので、とりあえずホテルに戻った。ホテル内のレストランはどうだろうと見てみるも、あまり食べたいものがない上に、高い。しかもこれまた8時とか8時半まで。この時点で、7時半くらい。 その結果、桜井家が取った行動は……家族3人でホテル近くのローソンへ。
ありえん!
北海道まで来て、なぜコンビニ!? ローソンなんて、横浜にもごろごろあるっちゅーねん。
でも、まぁ、さすが北海道と言うべきか、お弁当のご飯にはほぐした鮭がどっさり乗っていたから、まいっか。 母と私は「甘いものがないとダメよね」と言ってイチゴタルトを買い、私は少しでも北海道気分を出すべく、メロンカクテルを買った。このカクテルは千疋屋と提携して作られたもので、横浜のコンビニにも置いてあるものなのだが……。
こんな感じで、小樽の夜は更けていくのであった。
札幌編へ続く。
先週は、すっかり日記を放置しておりました。忙しかったわけでも体調が悪かったわけでもなく、ただ、やる気が皆無だっただけであります。 放置している間もいろいろと思うことはあったので、脳内ノートに書き留めておりました。で、それをちまちま更新したのですが、途中で力尽きました。 えーと、おとといから今日にかけて、7月9日〜13日の日記を更新しています。
そして、私は明日から2泊3日の北海道旅行へ行って参ります。 その間は日記の更新および掲示板へのレスができませんので、ご了承下さいませ。 帰ってきたら旅行記書きます。
2007年07月13日(金) |
そんな「やさしさ」は要らない人と、傷つけるつもりなんてない人と |
中学の卒業式でのこと。 ひとりひとり名前を呼ばれるのだが、私が呼ばれたときだけ、後ろの保護者席から大きな拍手が起こった。 それは、私にとって大変屈辱的な出来事だった。
人と話をしていて、「この人、私の中学の卒業式に居合わせたら、きっと拍手をしているタイプだな」と感じることがある。 最近、そんなふうに感じると戸惑ってしまうのだ。 もし、目の前の人が卒業式に出席して私に対してだけ拍手をしていたならば、それが全くの善意からだろうということが容易に想像できる。一対一で話していると、分かるのだ。 けれども、純粋な善意であることが分かっても、私が感じた屈辱が消えるわけではない。むしろ、善意だからこそ屈辱なのだ。
善意も本物。屈辱感も本物。 ならば、その間の大きな溝は、一体どうやって埋めればよいのだろう。 そう思って、私は途方に暮れる。
2007年07月11日(水) |
想像以上に幸せで、たぶん想像以上に不幸です |
「不幸だ」と決め付けられるのは嫌いだ。 でも、私のことをたいして知りもしない人から「あなたは幸せ」と決め付けられることは、もっと嫌いだ。絶対的な意味でならまだしも、どこかの誰かと比べられて「こういう人もいるのだから、あなたは幸せ」と躊躇いもなく面と向かって言われるのは。
誰にだって、表には出さない人生の壮絶さというものがある。 私だって27年間生きてきたのだから、それなりにいろいろあるんだ。 たぶん、その「壮絶さ」を無視されているような、なかったことにされたような気がして腹立たしいのだろうね。
でも、昔みたいに傷口はそう簡単に開かなくなった。傷口が開かないように必死に踏ん張ることも必要なくなった。 私にとって重要なのは、そこのところなんだろう。
私のことをよく知ってる、愛する人たちは、私の幸福を相対的に推し量ったりしない。 私が幸せであることも、同時に不幸であることも、そして結局それは私自身にしか分からないということも、彼らは知っている。
雨の音を聞きながら眠るのが嫌いだ。特に、しとしと降る雨の音は。世界から取り残されて、たった一人でこの部屋に閉じ込められているような気分になる。たとえ部屋を出たとしても、歩いても歩いてもやっぱり閉じ込められていることにかわりがないような。
雨音を聞きながら、どうして昔のことを思い出したのだろう。ふと、もう13,4年も前の誕生日の出来事がよみがえった。
叔父が結婚していた人、つまり私にとっての義理の叔母はとても若く、私とは一回りほどしか違わなかった。年齢の近さによる話し易さから、私は義叔母を「おばちゃん」ではなく「おねえちゃん」と呼んでなついていた。 叔父夫婦には子供がいなかったこともあってか、二人は私をかわいがってくれ、よく面倒も見てくれた。私の誕生日には、毎年プレゼントを持って二人で我が家へやって来た。私が小学校高学年になると、義叔母が手書きのバースデーカードを添えてくれたこともあった。
二人は、私が中学1年か2年のときに離婚した。 離婚直後、私はまた誕生日を迎えた。もう二人で遊びに来ることはないと分かっていたし、プレゼントも期待していなかった。 その日、私が母と外から帰ると、玄関の前にかご入りのアレンジメントフラワーが置かれていた。明らかに私への誕生日プレゼントなのだけれど、どこの誰からなのか私には分からなかった。 すると、母が「○○おねえちゃんじゃない?」と、義叔母の名前を出したのだ。花かごにはメッセージカードも入っていなかったので、どうして母がすぐに義叔母だと分かったのか定かでない。もしかすると、母は義叔母……もう私の義理の叔母でなくなってしまった彼女がプレゼントを持って来ることを、知っていたのだろうか。 母が彼女の実家の電話番号を知っていたので、私は電話をかけたのだが、電話に出た親御さんから彼女の不在を告げられた。それで私は、「私がいない間に誕生日プレゼントのお花を持って来てくれたようなので、戻られたらお礼を伝えて下さい」という意味のことをぼそぼそと言った。相手はよそよそしかったし、私も何だか気まずくて早々に電話を切ってしまった。 親御さんにしてみれば、娘が離婚した相手の血筋の姪っ子など、快く思わないだろう。私は、自分がそういう立場の人間であることを中途半端に分かっていた。離婚という大人の事情を意に介さず無邪気にプレゼントを喜べるほど子供ではなく、かと言って、「それはそれ、これはこれ」と割り切った対応ができるほどには大人でなかった。
それ以後、彼女とは会ってもいなければ話してもいない。お礼の気持ちが彼女に伝わっているかどうかも分からない。 私はそれを、心のどこかでずっと後悔している。あのとき、もう少し大人だったなら、お礼の手紙を送るくらいはできただろうに。母がかもし出す「もうあまり関わりたくない」という空気を押しやって、叔父の家系の人間としてではなく一個人の桜井弓月として対応ができただろうに。 あの誕生日プレゼントの花かごは、とても嬉しかった。でも、嬉しい以上に、切なかった。 彼女はどんな気持ちで、玄関前にそっと花かごを置いて行ったのだろうか。それを思うと、私は今でも胸がきゅうっとなる。
ときどき、私は彼女の幸せを静かに祈る。 叔父は再婚して従妹も生まれたけれど、彼らのことよりも、かつて私の義叔母だった女性のことを想ってしまう。 叔父の苗字なんて忘れて、どこかで素敵な男性と幸せに暮らしていますように。
こんなことを思い出したのは、雨音が寂しいからだ。
気がつくと七夕が終わっていた。でも、地元商店街の裏通りには、まだ七夕飾りが揺れている。 期間限定の飾り物は、イベントに向かって人の気持ちを高揚させるけれど、その日を過ぎた途端に祭りのあとの寂しさを漂わせて、何だか物悲しい。
昨日の新聞に、江國香織がお薦めの本を紹介しているコーナーがあったので、切り抜いておいた。 やっぱりこの人の文章が好きだ、と思う。紹介されている小説を実際に読むよりも、この人の紹介文の方が私にとっては魅力的なんじゃないかしら、とも。まだ小説を読んでいないから、断定はできないけれど。 名作かどうかは読んでみないと分からないのだから「名作を読む」という言い方はおかしい、名作は発見するものだ、との言葉に「あぁ、感覚が同じだ」と、嬉しい。名作は個人的なものである、というところも。 いわゆる「名作」と呼ばれる小説であるかどうか、「どれだけ多くの人に読まれているか、どれだけ長い期間読み継がれてきたか」なんてことは、純粋に自分のために小説を選ぶときの基準としては、あまりあてにならない。 本を読むこと、その世界を心の深いところまで染み込ませることは、ごくごく内的なことだから。 私は、帯に「文学史に残る名作!」とか書いてあるよりも、例えば江國香織が薦めている本の方が断然読みたくなる。感性的な繋がりがあるように思えるのだ。
好きな人を介して、世界は広がっていく。 例えば、THE BLUE HEARTSに出会ったときみたいに。
2007年07月07日(土) |
俺について来い! と言われましたが…… |
ついて行けませんでした。
だって、カウントが速いんだもん、私にはその動きは無理なのよ、ビリー!
あーでも、ゆっくりでも続けた方が良いよねぇ。 動きはだいたい分かったので、ビリーと同じようにはできなくても自分のペースで続けていくべし!
……と決意を固めたそばから、挫折の気配漂う桜井であった。
基本的に、巷で流行り過ぎているものにはあまり乗らない桜井&桜井家なわけですが、ビリーズ・ブートキャンプはちょいと別のようでして。 ビリーが出ているテレビ番組を見つけては、エクササイズの部分だけせっせと録画している桜井家でございます。毎日毎日どこかしらに出ているので、本家DVDを買わずともそれなりのエクササイズができそうです。助かります。 ハードに録画しているのですが、ワタクシ、それをDVDにコピーして自室で励もうかと目論んでいます。上半身だけだったら、何とかできそうなので。とりあえず、二の腕だけでもキュッとなれば良いかなぁと。
目指せ、ヴィクトリー!
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