月に舞う桜

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2007年06月30日(土) おメロン様

26日の日記に書いたマスクメロン話の続編。

昨日、地元の果物屋さんでマスクメロンを1個丸ごと買った。
ついに手に入れたぞ、静岡県産のマスクメロン!
もちろん千疋屋よりずっと安いけれど、それでも結構奮発してしまった。

食った。
半分に切って、スプーンですくって、贅沢な気分でメロン様を頂いた。そう、何よりも私は、「スプーンですくって」食べたかったのだ。

おいしい〜〜〜!!
すでに食べ頃に熟していて、やわらかく甘い。そりゃあもう、甘い。
口の中いっぱいに、みずみずしい甘みが広がるのだ。ブラボー!

かなしいのは、メロン様は大部分が水分でいらっしゃるので、あっと言う間に食べ終わってしまうことだ。
加えて、お腹いっぱいになるという意味での満足感は、ない。
でも、自分で働いたボーナスでマスクメロンを買い、おいしく食べたという精神的な満足感で十分なのだ。


2007年06月28日(木) O型魂!

O型は細かいことを気にしない、とか、あとに引きずらない、とか言われるけれど、私は結構長いこと気にするし、くよくよするんだ。そうは見えないらしいけど。

血液型で人の性質を判断するのはあくまでお遊びであって、真面目に語られたら適わない。
でも、くよくよしているときは、血液型の固定観念を逆手に取ればいい。

私はO型。
だから、細かいことは気にしない。いつまでも考え込まない。小さなことでくよくよしない。
O型だもの、本来はそういう人間のはず。
たいていのことは、「まいっか」でどうにかなるのだ。そうでないと、世界は回らない。

だって私、O型だもの。
悩まなくたっていいんだわ。


2007年06月27日(水) 本当に無知なのは……

朝から椎名林檎の『ここでキスして』が頭の中をぐるぐる。

真に知性と教養のある人間を目指すならば、他者の無知にも寛大であるべきだし、寛大になる努力をすべきなんだろう。
それができないうちは、無知であるのと同じことだ。

無知は知らぬ間に人を傷つける。傷つけていると知らずに傷つけるのは、故意よりも始末が悪い。
だから私は、無知を罪だと思い、無知の開き直りを悪だと思って憎んでしまう。
そして、そんな自分がときどき嫌いだ。

でも、内心の腹立ちが顔に表れなければ、なかったことになるのだろうか。

今はただ、何も考えずに歌っていたい。
あの巻き舌を真似て、迫真の声で。


2007年06月26日(火) ひょえ〜!

ボーナスも出たことだし、日々の労をねぎらう意味も込めてちょっと贅沢したくなった。
で、思いついたのがマスクメロン。メロンの中では、やはりマスクメロンが一番おいしいと思う。……最後に食べたのがいつだったか思い出せないけれど。

好きな果物を自分のために惜し気もなく買うことは、コースディナーを食べるよりもずっと贅沢な感じがする。金額の問題ではない。物理的なと言うよりも、精神的な余裕があるように思うのだ。

せっかくだから、ちょい高級なメロンを、と思い、参考までに千疋屋のサイトを見た。


………………………。


マスクメロン1個が1万円。


倒れそうになった。
桐の箱じゃなくて普通の化粧箱入りなのだ。それが1個1万円。
お呼びでない!
同じ1万円払うなら、フレンチのコースでも食べに行く。

自分がいかに庶民であるかを思い知らされた日であった。
千疋屋は自分で買うものじゃなく、人から貰うものだよ、うん。貰ったこと、ない(と思う)けど。
と言うわけで、マスクメロンは近所の果物屋さんで買うことにします。


2007年06月25日(月) ひとつひとつ。

そろそろ長期的な目で将来のことを考えていかなくちゃ……というのは、もう何年も前から思っていること。

とりあえず、できることを一つ一つやっていくしかない。
それだけじゃ、だめ。
でも、一つ一つ。

真面目に働いて、それから、遊ぶこともちゃんとね。
日記もできるだけ書こう。


それにしても、今日はボーナスDay♪ だったわけですが……。
厚生年金がたけ〜よ!
イヤんなっちゃうよ、まったく。


2007年06月24日(日) そういうお年頃……?

曜日感覚が鈍っている。
明日からまた仕事だということは、とりあえず分かってはいるんだけれど。

そして、困ったことに、書きたいことが笑っちゃうくらい思い浮かばんのだ。
ニンニクの効いた、たっぷりキャベツ入りのパスタや、もらい物のさくらんぼがおいしかったなぁ。
あ、それは昨日ことか。
あとは、面白いのか面白くないのかいまいち分からない小説や、とうとう『21世紀少年』になってしまった『20世紀少年』の続編を読んだりしていた。
……これも昨日のことか。

近頃、小説を書きたいという気持ちが湧いてこないんだよなぁ。心の奥底からぐわーっと溢れ出てくるような情熱が、ない。
他にやりたいことが見つかったわけじゃない。かと言って、無気力なわけでもない。
何だろうね。そういう時期なのかね。


2007年06月19日(火) にじゅうななしゃい

27歳になりました。なってしまいました。
朝、友人数人から「おめでとうメール」が来て感激し、帰ってパソコンを開くとグリーティングカードが来ていてまたまた感激でした。
月並みですが、私の誕生日を覚えていてくれるということ、祝ってくれる気持ち、本当にありがたいものです。
年を取るという意味では誕生日が昔ほど嬉しいものに感じられないのですが、それでもやはり、誕生日って良いものですね。
「誕生日って、実は周りに感謝をする日では?」と、今日はそんなことをちらっと思いました。

27歳の抱負と言うわけではないのですが、最近、30歳になったら乳がん&子宮がん検診を受けよう! と強く思うようになりました。
20代前半の頃は、そんなこと少しも考えなかったのですけどね。
いくら早期発見で手術が成功しても放射線治療やホルモン投与を受けないといけないんだなー、と、山田邦子の話を真面目な気持ちで見聞きしている自分がいて、年齢の積み重ねというものを感じます。


2007年06月17日(日) 紫外線対策に

私のバッグは、必要な物しか入れていないつもりなのに何故かいつも重い。
学生時代から、友達に「弓月ちゃんのバッグって、重いよねー」と言われていた。
女の荷物は多いとよく言われるが、私の場合、見た目は大荷物ではないのだ。私のバッグを重いと言う友達の方が、大きいバッグを提げていたりするんである。がしかし、私のは持ってみると意外に重い。この「意外に」というのが感覚的な重さを増す要因なのかもしれない。
中身をすべて把握している私でさえ、「おお、意外に重いな」とたじろいでしまう。通常、移動するときは膝の上にバッグを載せているのだけれど、仕事帰りで疲れているときなんかは腿がしびれそうに思えてくる。
ちなみに、学生時代も今も、バッグそのものが重いわけではない。非力なので、どっしりしたバッグは買わないのだ。と言うことは、やはり中に入っている物が重いのだろう。

よく使うのはÅ5サイズが入るくらいの大きさのバッグで、たいていは以下の物が入っている。

・携帯電話
・ポケットティッシュ
・身障者手帳
・鍵
・手帳(スケジュール帳)
・眼鏡
・財布
・ポーチ
・タオル
・フォーク(お箸を使うことができないので、どこで食事をすることになってもいいように持ち歩いている)

ひとまわり小さなバッグを使うときは、スケジュール帳と眼鏡を除く。
女性の皆さん、どうですか。フォークと身障者手帳は私特有だとしても、それ以外は普通でしょ?
まぁ、スケジュール帳なんてめったに開かないし、眼鏡をかけなければならないようなことも起こらないのだけれどね。
ポーチも、こまめに化粧直しをする方ではないので何が何でも必要という物でもないんだけれどね。

で、今日はポーチを持たずに、ポーチの中から鏡だけをバッグに入れて出掛けることにした。
そうすると、バッグがぐっと軽くなったではないか!
ポーチよ、お前か! お前が重かったのか!
そんなに大きなポーチじゃないのに、侮れないものだ。


今日は、久しぶりに母と町田へ買い物に行った。
小田急で4℃やUNTITLEDの洋服をちょっと冷やかし、デパ地下でそれぞれ欲しいものを買って、それから私の帽子を探すことにした。

帽子は鬱陶しいし髪が乱れるのであまり好きではないのだけれど、夏の紫外線を考えるとそうも言っていられない。
去年、帽子を被らずに通勤していると、年上の同僚何人もに「今からしっかり対策しておかないと、5年後か10年後に染みがたくさんできて後悔するよ!」と脅された。
染みは怖い。日焼け止めを塗っているからいいかと高をくくっていたけれど、若いうちにケアしておかなかったことを未来の自分に恨まれたくないので、人生の先輩たちの忠告を聞いて帽子を買うことにした。日傘を差しながら電動車椅子を動かすほど、器用ではないので。
それほど探し回ることもなく、好みの帽子を見つけた。薄いベージュ色で、細いひも状の飾りがついていて、シンプルで上品だけどかわいいのだ。つばが広いので、紫外線防止に一役買うと思う。

そのあと、お昼ご飯にうどんを食べ、同じフロアにあるフルーツパーラーでパフェを食べた。
何度か行ったことのあるお店の釜飯も昼食の候補に上がっていたけれど、私も母も以前から気になっていたパーラーに今日こそは入りたかったので、メインは軽くうどんで、ということにしたのだ。釜飯にはおかずがいくつもついているので、お腹いっぱいになってしまってデザートまで食べる余力がない……というのが常だった。
パフェは、コーンフレークで量をごまかしていないところが感じ良く、底の底までチョコレートが詰まっていた。コーンフレークもおいしいので少量なら嬉しいけれど、どっさり入れて上げ底にしてあるパフェはがっかりする。

満腹になった私は母と別れ、一人で小田急の隣の名前が分からないショッピングセンターと、東急の閉店セールを覗いた。
覗いたものの、東急は予想通り混んでいて、エレベーターにもベビーカーと人がたくさん並んでいるので気力が萎えてしまい、早々に退散した。
混雑も何のそので突進していく気力がないと、セールには参戦できませんな。
東急のセールは、何か掘り出し物があるのかなぁ。ワゴンに積まれていると、それだけで安物っぽく見えてしまうのは気のせいですか。きれいに並んでいて、尚且つセール価格がいいんだけど。


2007年06月09日(土) 夢オチ

昼間のテレビ番組で、尾崎紅葉の『金色夜叉』は夢オチがあり、しかも未完だということを知った。

そのあと、ベッドにうつ伏せになって東野圭吾の『幻夜』を読み(分厚すぎて、いつ読み終わるか分からない……)、首や肩が痛くなったところで、突っ伏して目を閉じた。
深い眠りまではいかないけれども、ふわふわと気持ちの良い状態になり、ぼんやりした頭でふと考えた。

私のこれまでの人生も、もしかすると夢オチだったりして。
27年弱の間に私が経験してきたことや出会った人たち、それらは皆、本当は夢の中の出来事なんじゃないだろうか。うれしかったことも、悲しすぎることも、すべて。
私は長い長い夢を見ていただけで、今のこの、ふわふわとした夢うつつの状態は、長すぎる夢から覚めようとしている途中なのではないか。
目覚めると家には見知らぬ人がいて、例えばその人は私の母だったりして、「やっと起きたの?」と私に声を掛けるのだ。それで、私がこれまでの人生の話(家族や友人や仕事のこと)をしても、「何を馬鹿なこと言ってるの」と取り合ってもらえない。
いや、家には見知らぬ人も誰もいなくて、私は本当は一人ぼっちなのかもしれない。

シーツに頬を当てて、私はそんなことを考えていた。
いずれにしても(見知らぬ家族が現れようと、一人ぼっちだろうと)、私は夢オチだという事実を受け入れて、すんなり「本当の人生」に溶け込めるような気がしていた。そんなものか、という感じで。

夢に一歩足を踏み入れていると、特にそれが昼間だと、夢を現実だと錯覚するよりも現実を夢だと錯覚することの方が多いような気がする。夢と現実の境界線に自分が立っているから、二つの世界が混ざり合う。混ざり合って、何故か現実の方が薄れてしまう。

私は、昔から「自分の人生は実は夢オチでは?」と考えることがたびたびあった。
心のどこかで、夢オチを望んでいるのかもしれない。そんなに不幸な人生ではないのに、漠然と、どこかで。


2007年06月06日(水) 若いツバメに

道を歩いていると、若いツバメに声を掛けられた。


……と書くと、ひと夏のアバンチュールの予感がしますが、若いにもほどがあって、声を掛けてきたのはお子様であります。すなわち、「男性」ではなく「男の子」。
しかも、声を掛けられたと言っても、ただの挨拶なんですが。

先週の木曜日か金曜日の仕事帰り、中学生くらいの男の子がすれ違いざまに「こんにちは」と言いました。
辺りには私しかいなかったし目が合ったので、おそらく私への挨拶だろうと思います。
が、どこの誰だか分からない……。
一応「こんにちは」と笑みを返しつつ、私の頭の中は「あなた、誰?」の?マークでいっぱい。

昨日は、仕事帰りに家の近くで、自転車に乗った小学校3年生くらいの男の子が勢いよく私を追い越して行ったのですが、追い越しざまに「こんにちは!」と。
明らかに私に挨拶しているのですが、やはりどこの誰だか分からない……。

家に帰り着いて母に話してみたのですが、

母「○○さんちの××くんじゃない?」
私「うーん、でも年が違うような……」

という感じで、誰だったのか判明せず。

私は車椅子に乗っていて目立つので、近所では私のことを覚えていて挨拶してくれる人が結構いるのですが、失礼ながら私は相手を知らないということが多々あります。
中年の女性だと、あとで母に聞けば誰だか分かる場合もあるのですけどね。


2007年06月03日(日) 俺はそーゆーふーに 呼ばれたかない!(hide『LASSIE』より)

2年くらい前からだろうか、障害者を「障がい者」と表記する風潮が広まっている。
実は私、この「障がい者」という表記が好きではない。当事者の一人として、「勘弁してくれ」と思う。

まず、「障害」で一つの単語なのであって、そのうちの一字だけをひらがなにするのは純粋に違和感がある。全て漢字で書ける単語をわざわざ漢字+ひらがなで表記するのは不自然なことだ。難しい漢字というわけでもないのに不自然さを無視し、本来の日本語をねじ曲げてまで「障がい者」と表記するのは、何だか胡散臭い。
「害」という字のイメージが悪いというのが大まかな理由のようだけれど、だいたい、そのイメージをそのまま障害者という言葉や存在に結びつけるのはナンセンスだし、飛躍しすぎだと思う。
それに、もし悪いイメージを本当に払拭したいと思ってのことなら、漢字をひらがなに変えれば済むというのは発想が幼稚ではないか。

個人個人が「障がい者と書く方が良いな」と思って、例えば自分のサイトなんかでそういう表記にするのは別に構わない。構わないと言うか、私がとやかく言うことではない。
でも、役所や企業の公の文書で「障がい者」という表記を見ると、何だか気持ち悪いしぞっとしてしまう。『24時間テレビ』と同じにおいがする。
「私たちは障がい者のことを気遣ってますよ」的な雰囲気が漂っているのだが、表面だけ取り繕われても当事者の一人としては非常に白けるし、漢字をひらがなにしてみたところで一体何が変わるんだ? と言いたくなる。
それで何かものすごく良いことをしたような顔をされても……いや、たぶんやっている側は善意なのであって、「ものすごく良いことをしたような顔」はしていないのかもしれない、ただ私が捻くれているだけなんだろう。でも、無意識に他人を下に見ているからこその善意というものが、確かに存在する。
方向性を誤った「やさしさ」や「気遣い」は、一歩間違えると相手を見下す行為になってしまうし、「善意」である分、受けた方が大きな声で拒みづらいという点では時には強迫になりかねない。そういう「気遣い」は、逆に差別以上にタチの悪いものなんではないかと思う。

ひらがなは、漢字よりも口当たりがやわらかい。口当たりのよいものは、本当に大切な根本的な事柄をぼやかしてしまうことがある。オブラートで包んで、中身を見えなくするみたいに。
「障害者」を「障がい者」とすることで何かをした気になって、本当に重要なもっと深い問題、障害者の教育や就職や自立生活などの課題が意識の隅に追いやられたり、簡単なことのように考えられたりしなければいいなと思う。

うちの会社のサイトは、就職活動をしていた去年の2月に見たときには「障害者」という表記になっていて、世の中の流れに安易に乗っていないところが気に入ったのだけれど、甘かった。入社して間もなく、気がつくと「障がい者」になっていた。今や、親会社が発行しているお客様向けの案内も「障がい者」となっていてがっかりだ。
ただ、うちは特例子会社で社員のほとんどが障害者なので、社員の中から「うちも障がい者という表記に改めた方がいいのではないか」という声が上がっての変更なのであれば、それは仕方がない。
こういう問題で難しいのは、当事者でも両極の考え方を持つ人がいるということだ。
非当事者からの一方的な押し付けなら、まだ簡単なのだけど。
まぁ、同じ当事者と言っても私のような考えの人間もいるのだということを、非当事者の人たちにちょっと知ってもらえればいいかな、と。

ちなみに、私は「チャレンジド」と呼ばれるのも好きじゃない。これはあまり浸透していないようだけれども。
障害者を美化するのもたいがいにして欲しい、という気分になるのだ。
障害者・健常者に拘らず、何かにチャレンジしている人もいれば、していない人もいる。チャレンジしている時もあれば、していない時もある。
別の言い方をすれば、人間は生きている限り誰しもが「チャレンジド」だ。
障害者という一括りで考えたとき、一体障害者が何にチャレンジしていると思ってそう呼ぶのかと問いたい。
もし、障害を持ちつつ生きていることそのものがチャレンジだと言うなら、それは大きな間違いだ。チャレンジとは自分の意志ですることであって、障害とともに生きることは意志ではなく、「否応無くそうして生きねばならない」のだ。
障害を持って前向きに生きることはできる。けれども、障害者であるという事実そのものは、「チャレンジ」という言葉で表されるような前向きな事態ではない。

先日の『源氏物語』についての日記にも書いたけれど、私は美しくないものを美しく表そうとすることが好きではない。
障害者は、特別美しくもなければ特別醜くもない。でも、人間である以上は美しさも醜さも併せ持っている。


2007年06月02日(土) 別の世界へ

コンテンツを増やしました。
小説ではない創作物を掲載したくなったので。
スタートからたくさんアップしているように見えますが、実は大半が22〜25歳くらいのときに書いたものです。

ダークな言葉とそこから広がっていく世界というのは、思いついた瞬間にばばっと書き殴りたい。だから、小説よりも詩のような形態が適しているかな、と。
ダークな言葉を、小説を書くときみたいに心の中で大事に温めているというのも不健全な話だし。

インスピレーションというものを、あるいは言葉が放つ瞬間的な爆発力を、今は大事にしたい。


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© 2005 Sakurai Yuzuki