月に舞う桜

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2007年05月30日(水) あるところからないところへ

太腿と下っ腹のお肉を、膝から下と肘から下に移植したい。

自分で動かしづらいところだから、痩せるのも難しいよなぁ。
痩せると言うより、筋肉をつけたほうがいいんだろうね。


2007年05月27日(日) 予想通りのリタイア

まともに読んだこともなくてよく知りもしない小説を安易に批判するのはどうかと思うので今まで黙っていたけれど、実は私、『源氏物語』が嫌いなのだ。
歴史に残る名作と言われるだけあって、『源氏物語』に関する話はちょいちょい耳にするので内容は知っていたけれど、きちんと読んだのは高校の教科書に載っていた「桐壺」くらいだった。あとは、授業で東山紀之主演のドラマを見せられたことと、漫画『あさきゆめみし』を友達に借りてちょっと読んだだけだ。そういった断片的な情報から、イメージだけで何となく「私はあんまり好きじゃないな」と思っていた。
でも、これだけ語り継がれる小説なのだから私の好みに合う要素が本当はあるかもしれないし、それを知らないで遠ざけているならこんなにもったいないことはないので、瀬戸内寂聴の現代語訳を買ってみたのだった。教養の意味でも、一度きちんと読んでおいた方がいいだろうし。

が、しかし、やはり私には合わなかった。
イライラしながらも「桐壺」は最後まで頑張って読んだのだが、次の「帚木」でイライラを通り越して気持ち悪くなってしまい、あっけなくリタイア。

以下、悪口になりますんで、『源氏物語』がお好きな方はお戻りください。不用意に読んでしまってご気分を害されても責任は負いません。



たぶん、内容は昼メロと似たようなものなのに、それをやけに雅な雰囲気に仕立てているのが性に合わないのだ。
美しくないものを美しいもののように描いているところが、一番癇に障るところなんである。
もし、もっと醜い感じに書かれているのであれば、同じ内容でも私はもっと楽しめたかもしれない。あるいは、「これは恋愛小説ではなくて、ポルノ小説です」と言って渡されたなら。
でも、それじゃあ後世に残る「大作」にはならないだろうから、結局私の目に触れないわけで。
正直なところ、これなら韓国映画『スキャンダル』の方がマシだったな、と真っ先に思った。
だいたい、愛だとか恋だとか母の面影だとか言ったって、結局は女とやりたいだけじゃねぇか、と。
いくら高貴で類稀なる養子でも、やっていいことと悪いことがあるわけで。ま、エディプスコンプレクスを乗り越えられず、女とやりたいだけの、女と見るや節操なく手を出す男が主人公の小説というのは、別にそれはそれで構わない。構わないんだけれど、これでもかと源氏の美しさを強調されればされるほど、引いてしまうんである。
源氏の魅力を微塵も感じ取れない私は、女として、あるいは小説の読み手・書き手としてダメなんでせうか。

瀬戸内寂聴はあとがきで、

「作者は紫式部一人ではなく、複数かもしれないという説もあるのは、これだけの壮大華麗な傑作が、到底一女性の手で書ける筈がなかろうという、男性研究者の想像と仮説から出たもので、根拠はない」(『源氏物語 巻一』講談社文庫)

と書いているけれど、私はむしろ作者が男性であってくれと願わずにはいられない。
悪趣味なものを長々と、しかも美しさを装って女性が書いたのかと思うと、同じ女性としてはもうやってられんのである。

時代によって、恋愛観や男女観に大きな差があることは当然だ。きっと、そういう時代の差を越えたところに、『源氏物語』の「良さ」があるんだろう。
でも、残念ながら私は恋愛観や男女観を重視するので、その「良さ」は分からない。そこまで辿り着けない。
男が女を教育するって何!? アンタ、何様のつもり!? と思ってしまう人間には、あの壮大な物語を理解するのは無理なんでしょう。
……理解しようという気もないんだが。

そんなわけで、教養がないと言われようと、私はもう『源氏物語』を読むことはないだろうと思う。
あー、『枕草子』が読みたいなぁ。
考えたら、随筆と小説でジャンルが違うんだし、比べられるのは清少納言も紫式部もお互い迷惑な話だよね。


2007年05月25日(金) 笑いながら毒を吐いて

同僚と不定期の夕食会。
今日行ったのは初めてのお店で、和食・中華・イタリアン・インド料理などなどのレストランが一箇所に集まってる(フードコートというわけじゃなく)広いところだった。

今日のメニュー↓
・グラスワイン(白)
・海老とアボカドのサラダ
・パエリア
・スクリュードライバ
・ミニチョコバナナパフェ

あと、同僚が頼んだエビマヨと五目チャーハンをお裾分けしてもらった。

同じテーブルにユニークキャラの人がいて、その人のおかげで大いに笑った。
日頃から鬱憤が溜まっている対象はみんな同じようなもので、だから、その対象である他部署の一部の人たちの悪口も大いに言い合った。

あぁ、それにしても私は、日に日に毒舌キャラになっていく気がする。
いいんだろうか。

いいんだよ。安心している証拠だ、きっと。
ねぇ?


2007年05月24日(木) ガールズ・ブラボー☆

ちょっとしょげちゃったけど、分かってくれる人もすぐ身近に結構いるから、まいっか、ってことで。
「女の敵は女」ってよくあることだけど、それでもやっぱり肝心なときは「女の味方は女」なんだなぁと、つくづく思う。


あー、それにしても、風邪のせいかしら、舌先がちょいとただれてる感じで何か口に入れるたびにピリッと痛いのね。
喉の痛みは治まったけど。


2007年05月22日(火) VC3000のど飴が必需品

風邪を引いておりました。母の治りかけの風邪が移ったようでして。
金曜日の午後、喉がじわりと痛くなり始めてやばいなぁと思っていました。そしたら、土曜の朝はものすごい喉の痛みと体のだるさで起きれず。
結局、土日は
ご飯を食べる→薬を飲む→喉飴をなめながらベッドに転がってマンガを読む→薬が効いてきて眠くなる→爆睡→起きてご飯を食べる
この繰り返しでした。
で、昨日は大事を取ってお休みをもらいました。

微熱というのは、ともすると高熱よりもたちの悪いものでして、何だか体の奥の方に熱がくすぶって、そりゃあもう、だるくてたまらんかったとです。
昔は今より平熱が高かったためか、少しくらいの熱ならわりと平気だったような気がするのですが、今は36度8分くらいでもしんどいです。

皆様も、くれぐれも風邪にはご注意下さいませ。


2007年05月17日(木) ホケキョ。

朝は強い雨。でも、うぐいすは雨ニモ負ケズ、元気にホーホケキョと鳴いていた。

木曜日の仕事が終わると、少しほっとする。

17日にもなって今更こんなことを言うのもなんだけど、今月は安全運転強化月間とすることにした。安全運転というのは、もちろん電動車椅子の。
私の愛車はスピードが出ることもあって、つい調子に乗って無謀なことをしがち。
時速6kmは結構速い。スピードが出ていると、その分、道路のちょっとした起伏なんかに手元がついていけないことがあって危険なのだ。
時速4kmでいきましょう、4kmで。


2007年05月12日(土) 余韻頭痛

東野圭吾の『手紙』の残りを読み終えた。
小説を読んでこんなに泣いたのは、久しぶりかもしれない。うるっと来ることはよくあるけれど。
泣いたせいで、読み終わってから頭が痛くなった。
泣いたあと、頭が痛くなるときとならないときがある。それは流した涙の量の違いというより、泣いた理由や内容の違いによるものなんじゃないかと私は思っている。泣いたあと頭痛がしないのは、切なくてかなしいけれど現実を突きつけられて考えさせられるというのではない、単純に「いい話」の小説を読んだとき、もしくは映画を観たとき。そういうときの涙は、カタルシスになる。だからたぶん、頭痛に繋がらないのだ。
でも、『手紙』は全然違う。『グリーンマイル』を観たあとみたいな感じ。テーマがものすごく重くて、そこから目を逸らすことすらできないほど重いので、どっと疲れてしまう。それで、頭が痛くなる。
「いい話」ではないけれど、いい小説だった。解説で紹介されていたジョン・レノンを巡る(と言うより、オノ・ヨーコを巡る?)エピソードも含めて。

こういう小説を読むと、反動で甘ったるいものがほしくなる。例えば『下妻物語』みたいな、「人生は甘いもの。疲れることはしたくない」と言ってしまうような小説。
そりゃ、そうだ。疲れることはしたくないし、考えたくない。誰かや何かにずっと甘えてワガママ言っていられるなら、そんなに楽で楽しいことはない。人生は、そんな感じで何とかなっていくものなんだ。
……って思えちゃうような小説や映画がほしくなる。


犯罪加害者の家族に対する差別が、本当に『手紙』の中で社長が言っているようなことだとすれば、そういう差別と女性や障害者や外国人への差別は次元や性質の違うものなんだろうか。
どうなんだろうね、ジョン・レノン。


2007年05月11日(金) チャングム

夜8時ちょっと前、MステにB'zが出ることを新聞のテレビ欄で知り、チャンネルを10に合わせて待っていた。
トップバッターは確かSEAMOで、そのあとシングルランキングがあって、ランキングが終わると嵐が前に座っていた。
で、ほんの軽い気持ちでチャンネルをくるくる変えてみたら、BSでやっている『チャングムの誓い』に見入ってしまった。
韓国ドラマにはあまり興味がないけれど(特に純愛ものには)、チャングムは妙に面白くて、観始めるとはまってしまうのだ。しかも、母子揃って。キャラクターがそれぞれに魅力的で、人間臭いところがいいのだと思う。それから、宮廷の様子なんかが日本と似た雰囲気を持っているのも観やすい。
ちなみに、私はチャングムの叔父さんが好きだ。
そんなわけで、チャングムを最後まで観てしまい、結局B'zを見逃した。
まいっか。


2007年05月09日(水) 苦しいんじゃなく、走り出したくなるような

暑い。
袖をまくって、それだけじゃ足りなくて、どんどん衣服を脱いでいきたくなるような、風のにおい。

こんな日は、とんでもなくかなしいことと、とんでもなくうれしいこと、その両方をいっぺんに思い出しそうになって、窒息しそうになる。


2007年05月04日(金) 話題のスポットへ行ってみた

3月にオープンしたショッピングセンター「ららぽーと横浜」に友達と行ってきた。
とにかく人が多いと同僚からも親からも聞いていたので、「わざわざゴールデンウィークに行くなんて、我ながらアホだな」と思いつつ。
そして、行ってみると、やっぱりむっちゃ混んでいた……。それから、むっちゃ広かった。ちょっと広すぎ。

お昼ご飯は、和洋中いろんなお店が集まったダイニングで食べることにした。
そのダイニングは全部で600席あるにもかかわらず、私たちが行ったときは目眩がするくらいの行列で、並ぶのにちょっと躊躇した。でも、ダイニングとは別のところにあるお店はもっと待つようだったし、空いているお店をうろうろ探すよりは並んでおいた方が確実だろうという結論に達したのだった。2人ともお腹が空いていて、それ以上あれこれ考えるのが嫌になってもいたのだ。
で、実際に並んでみると列は思ったよりはやく進んだ。ちょこちょこ前進するという動きがあるし、友達と喋りながらということもあって待ち時間が苦にならなかった。並んでいたのは30分弱、もしかするとそれより短かったかもしれない。
私は、山形そばのお店の冷たい鶏そばを食べた。山形そばはきっちり四角く、太くて食べ応えがある。鶏肉はこりこりと食感がよく、どっさり乗った白髪ねぎも嬉しい。この鶏そばはお店のおすすめメニューだそうだ。

満腹になった私たちは、紀伊国屋やIN THE ROOMやペットショップやスヌーピーショップや雑貨屋や、それにDAIMARUとイトーヨーカドーも合わせて
、とにかく一通りを見て回った。
そんな中、私が気に入ったのは、和物雑貨を扱うWarakuyaというお店だ。きれいな扇子や和食器や切子グラスや、凝った柄のがまぐちや、ちょっとしたかわいらしい置物があり、私はそこで友禅染の布巾とハンカチを買った。布巾は黄色地に白い菖蒲柄、ハンカチはピンク地に白い桜がちりばめられている。黄色もピンクも、淡くて清楚で上品な色合いだ。

あとは、何と言ってもペットショップの子犬たち! 
そこで売られている子犬たちが何匹かずつ籠から出されて、遊べるスペースを元気に走り回っていた。パピヨンやチワワやヨークシャーテリアやミニチュアダックスのちびちゃんたち。彼らが互いにじゃれ合ったり走ったり骨型のおもちゃで遊んだりするのを、小さい子に交じってガラスに顔がくっつきそうになる勢いで見入ってしまった。特に、パピヨンの黒くて小さなしっぽが無邪気に揺れる様のかわいいこと!

私たちは、おやつにシャーベットを食べ、ついでに夕飯も食べ、結局、レストラン以外のお店が閉店する9時のアナウンスを聞きながら「ららぽーと」を出たのだった。
それだけ長い時間うろうろしていたからだろうか、全体的な感想としては「1回行ったから、もういいかな」というところだ、正直。
とにかく広いのだ。広い広い。


2007年05月03日(木) カルピスの思い出

外は気持ち良く晴れ、桜の葉の黄緑がまぶしい。朝から気温が高くて、袖を捲くっていないと暑いくらいだ。
こんな日は、カルピスが飲みたくなる。

カルピスを初めて飲んだのは、幼稚園の年長のときだった。甘いものだから与えないでおこうと親が考えていたのか、私はそれまでカルピスというものを知らずに育ったのだ。
私が通っていた幼稚園では、月に一度、その月生まれの園児をまとめて祝うお誕生日会が開かれていた。
あるとき、そのお誕生日会で小さなカップケーキと白い飲み物が出された。私はその白い飲み物を「いつも飲んでいるものより薄いみたいだけど、たぶん牛乳だ」と思い、その頃から牛乳はあまり好きではなかったので、せっかくのお誕生日会なのになんで牛乳なんか出すんだ! と、ひどくがっかりした。
が、しかし。一口飲んであらびっくり。牛乳とは程遠く、それはそれはおいしい、お誕生日会にふさわしい飲み物だった。
甘くて、でもさわやかな口当たり。それまで飲んだことのない、何とも言えない素晴らしい味が口の中に広がっていく。私がカルピスと出会った、感動の瞬間である。
私が幼稚園でカルピスを知ってしまったので諦めたのだろう、それ以後は親も買って来るようになり、私は晴れて家でもカルピスを飲めるようになったのだった。
めでたしめでたし。


2007年05月02日(水) 時を経ても変わらぬもの

年を追うごとに、どうしようもなく薄れていくものがある。
でも、生きた証のその声は、今日も光となって私を照らす。

この日がいつしか日常に紛れてしまっても、ずっと変わらないもの。

まだ聞こえているよ。


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