月に舞う桜

前日目次翌日


2006年08月25日(金) 愚かで孤独な金曜の夜

TOKIAに行ってみた。TOKIAは丸ビルの近くにあって、元々は東京ビルディングというオフィスビルだったのが、近頃の丸の内ブームに乗っかって(乗っかったのかブームを引っ張っているのか、本当のところは知らないけれど)リニューアルされたものだ。
地下1階〜3階にはレストランとリラクゼーション施設が入っているけれど、それより上の階は今まで通りオフィスになっている(らしい)。なので、ビルに入ると各社の受付け嬢が座っていて、それ以上奥へ入れないようにゲートも設けられている。天井が高く、壁と床はグレーでロビーは薄暗い。そのせいか、やけに物々しく感じた。社員が首から下げた社員証をかざすと、ゲートがブーンと開く。
私だって職場では社員証を首から下げているし(社員証ケースのひもは、どうして決まって青なんだろう)、毎朝社員証で入り口を開けて入っている。でも、TOKIAに入っている企業やそこで働いている人たちの方が断然格調高い気がした。だって、うちの職場はあんなに立派なビルじゃないし、澄ました顔の受付け嬢なんていないし、社員証で開けるのはゲートじゃなくてしょぼい自動ドアだし、びしっとスーツを着こなして颯爽と歩くビジネスマンもキャリアウーマンもいないのだ……と言ったら怒られそうなので、スーツを着こなすビジネスマンはいると言っておこう。

友達と5時に待ち合わせ、夕飯には少し早いけどだらだら食べようということで、地下の中華料理店に行った。が、「6時半までなら、こちらのテーブルが開いておりますが……」と言われる。そのあとは予約でいっぱいらしい。何てこったい、そう言えば今日は金曜日。夏休みですっかり曜日感覚を失っていることを思い知らされる。仕方がないので6時半までいることにした。
2軒目に行くことを考慮して「腹五分目」を合言葉に料理を選ぶのだけれど、メニューを見ながら思わず「腹八分目だよね」と口走ってしまい、友達に「え、五分目だから」と突っ込まれる。腹八分目じゃ食事は終わりだよ、2軒目に行けなくなっちゃうよ、何て食い意地が張っているんだ、私!
そこは小龍包が売りのお店で、私たちもそれを目当てに行ったのだけれど、期待を裏切らないおいしさだった。小龍包を食べると決まって舌を火傷するけど、今日のは、出てきたときの熱さまでが私には程よくて。店員さんおすすめの蜂蜜入り梅酒、それから前菜と小龍包とフカヒレ。それらを全てお腹に収めると、ちょうど6時20分だった。我ながら素晴らしい時間配分だわ。

で、2軒目は近くにあったレストラン。パスタやピザがあるかと思えば、香港風ナントカとかベトナム風ナントカとか聞いたことのないソース(?)で味付けた料理とか、極めつけはデザートにわらび餅やこしあんの挙げ春巻きなんていうものまであって、いったい何料理の店なのか、何を目指しているのかよく分からないところだった。インターネットができるようにノートパソコンが置いてあるのだけど、パソコンが使われていないときはお店のPR画面が点滅していて、パソコンの方を見ていなくても目がチカチカするし、壁にはこれまた何を目指したいのか不明な古ぼけた外国の写真が貼ってあって、本当によく分からないお店だった。よく分からないので、私の中では「これはたぶんワイルドということなんだろう」と思うことにした。いずれにせよ、アラビアータがおいしかったので、何も問題はない。
そこでようやく、だらだらと食事をし、お店を出たのが10時過ぎ。だらだらにもほどがある。

「食事は20分で終わってしまう。ピクルスとパセリの残った皿を、美代子は脇へ押しやって時計を見る。短い時間で昼食をすませることも、美代子には大切に思える。時間をかけてここぞとばかり愉しむような、愚かで孤独な若い女や、暇で孤独な主婦とは違うのだ。」

上の文章は、江國香織の『号泣する準備はできていた』に収録されている「こまつま」という短編の一節だ。私はそれを、ちょうど東京へ向かう電車の中で読んだばかりだった。主人公である美代子という主婦がお気に入りのデパートへ行き、買い物のあと、お気に入りの洋食屋で昼食を摂る。その場面だ。
美代子が大切に思うのは「昼食を」短い時間で済ませることであって、私がだらだら時間をかけたのは夕食だ。だから厳密に言えば関係のない一節かもしれないけれど、ともかく私は上の文章を思い出して苦笑したのだった。
確かに、私は愚かなのかもしれない。それに、ある意味ではひどく孤独だ。でも、自分がたとえ「愚かで孤独な若い女」なのだとしても、私はそれを良しとする。若いうちに愚かでいられるのは、何と素敵なことだろうか。孤独であることに自覚的であることも。若いうちに愚かでいられなかったり、孤独の意味を知ることができなかったりするのは悲惨だ。それに、できれば年を取ってまで愚かでいたくはないので(だって、それは今の私の基準では醜いことだから)、今のうちに――まぁ、20代のうちに――思い切り愚かでいようと思う。

デザートにはマンゴーのパイとマンゴーのシャーベット。この夏はデザートにマンゴーばかり食べている気がする。友達が頼んだフレンチトーストはシナモンのいい香りがして、もうお腹いっぱいだと言うのに食欲をそそられた。
帰りの電車では、サラリーマンが端の席に座り、手すりにもたれてイビキをかいていた。このおじさんは乗り過ごさずにちゃんと帰れるのだろうかと思いながら、そう言えば今日は金曜日だったなと、再び薄れていた曜日感覚を取り戻す。
家の近くで雨がパラパラと降り出し、帰って浴槽に浸かる頃にはザーザー降りになっていた。何というグッドタイミング!
そんなこんなの、土曜日に変わる直前の金曜日の夜。


2006年08月24日(木) 店めぐり

昨日の日記に「休み明けの仕事がいや」と書いたばかりなのに、今は「そろそろ夏休みにも飽きてきたなぁ」というのが正直な気持ちだ。たった1日でこの差は何だ!

今日は家具屋めぐりをした。
In The Roomとニトリという対照的なお店を回って、主にパソコンデスクを物色する。
In The Roomは商品の見せ方がそのままインテリアコーディネートの提案になっているので、イメージが膨らみやすく、「こんな部屋で生活できたらなぁ」と憧れが募る。が、いかんせん、お値段がお呼びでない。
一方、ニトリはやはり安い。In The Roomを見たあとなので、余計に安く感じる。しかし、これまたIn The Roomを見たあとだからなのかもしれないが、デザインや材質はやや見劣りがして、いまいち惹かれない。それに、見栄えなんて気にしていられないと言わんばかりに商品がだーっと並べられ、どどんと積まれているので、夢が膨らまない。ここで家具を揃えたら、生活が今よりもう少し楽しくなるだろうな……とは思えないのであった。
何事にも長所と短所があり、あちらを立てればこちらが立たず、あっちもこっちも立たせるためにはやっぱり世の中お金なんだよな、と思い知る1日だった。でも、あちこち回ってあれこれ見たら、それだけで半分くらいは満足してしまって、インテリア改造計画熱は少し冷めたようだ。結局のところ、夏休みで暇だった私は「ああでもない、こうでもない」と考えたかっただけなのかもしれない。

手動式の小さなシュレッダーがほしかったので、ついでにと思って家電量販店に寄る。がしかし、幼児が誤ってシュレッダーで指を切断してしまったという事故の影響で、シュレッダーの販売が中止されていた。
新聞やテレビで大きく取り上げられているニュースをどの程度自分に引きつけて受け止められるかというのは、その事件や事故が自分の生活に少しでも影響を及ぼしているかどうかによって大きく変わってくる。それは当たり前と言えば当たり前のことなのだ。でも、私は何だか人間の想像力の限界(それも、実は低いところにある限界)を思い知らされた気がした。結局のところ、私たちはたいていのことを対岸の火事として片付けているんだなぁと思った。私はシュレッダーがどうしてもほしかったわけではないから、あの事故のことだって対岸の火事の域を出ないのだ。


2006年08月23日(水) 中だるみ、そしてカトちゃんはやっぱりすごかった

夏休みもちょうど半ば、すでに休み明けの仕事がいやになっている。来週の月曜日の朝はきっとものすごく憂鬱なんだろうなぁ……。
ここのところ変な夢ばかり見る。今朝方は、26歳の誕生日を迎える夢を見た。夢の中の私は、26歳になったばかりなのに早くも27歳を迎えてしまう、と勘違いして、ものすごく焦っていた。その焦り方と言ったら、26歳と27歳の違いがまるで一生を左右する重大なことであるかのようだった。散々慌てふためいたあとで「あ、違う私は26になったんだ」と気づいて心底ほっとし、目が覚めてからその一連の心の動きを思い出して、夢の中の自分に苦笑した。
でも、実際のところ月日の流れは驚くほど速いから、きっとあっと言う間に27になり30になって、例えばhideの年だってすぐに追い越してしまうのだろうなと思う。それで私は、夢の中ほどじゃないにしても、たぶんかなり焦るのだろう。

ときどき、自分が我が家という空間に馴染めていないんじゃないかと思うことがある。今日の午前中もそんな感じだった。でもそれはたぶん錯覚で、本当のところは、起き立てのせいで頭がぼんやりしていて時間の流れに追いついていないだけなのだ。
今すぐやらなければならないことがあるわけでもない夏休み、なまった体、窓の外の有無を言わさぬ光。そういうのが重なって、自分と世界が乖離しているような感覚に陥っているのだ。
ちょうどコンポからは『WEEK END』が流れていてTOSHIが「I'm at my wits' end〜」と歌っていたけれど、私も何だか途方に暮れているよ、と思った。
もしも今、無職で、いわば「毎日が終わりの見えない夏休み」という状態だったら、私は何日でも無駄な日を過ごしていると思う。実際、2年前に前の職場を辞めてからの1年半がそうだった。
ここで問題なのは、本当に無駄な日を過ごしているかどうかではなくて、私が「今日も無駄に過ごしてしまった」と感じるかどうかなのだ。私には、どうやら「1日を有意義に過ごさなければならない」という強迫観念めいたものがあるらしい。かと言って、その強迫観念にせっつかれて朝から晩まで活発に動き回るかと言えば、全然そんなことはない。1日をだらだらとやり過ごして、夜になって(例えば浴室を出て体を拭いているとき)そんな自分の生活をやけに後悔したりするのだ。

今日は、電話しなければならないことがあったのを夜の6時になってやっと思い出し、慌てて電話をかけ、それから部屋のあちこちをメジャーで測ってみた。
夕食のあとに見ていたテレビ番組にはカトちゃんが出ていて、若手芸人との差を見せつけていた。何だかんだ言っても、何年も何十年も一つの世界で生き残っているベテランはすごいのだ。カトちゃんは最初から最後まで徹底的に芸人で、一瞬たりとも手を抜くことがない。何という腕、何というサービス精神! と思い、笑い転げるというよりは感心してしまった。感心されたって、カトちゃんも困るだろうけど。


2006年08月22日(火) パワフルな女性たち

今日は家でのんびりな1日。
ネットでちょいと調べものをしていたら、かの有名な「きっこのブログ」「きっこの日記」のブログ版。日記が本家?)に行き当たった。それでついつい何日分も読んでしまう。
すごい! どうすればあんなに長い日記が書けるんだ! どうすればあれだけの日記を書く時間とモチベーションを維持できるんだ!
私はその長文ブログを読むだけで目が疲れてしまうと言うのに……。どうやら私の目は「文字サイズ小」にだんだんついて行けなくなっているらしい。年? 困ったもんだ、情けなや。
と言うわけで、個人的には「きっこのブログ」よりも文字の大きい「きっこの日記」の方が読みやすいのでした。

午後は昨日借りてきた『Mr.& Mrs.スミス』のDVDを観る。
ブラッド・ピットよりもアンジェリーナ・ジョリーが恰好良く、彼女の体は美しかった。そして内容は痛快。ストーリーより動きで魅せる映画は観ていて気楽だ。
それにしても今日は画面の見すぎで目が疲れたわ。懲りないやつ。学習能力なしとも言う……?


2006年08月21日(月) 一人遊び

お久しぶりです。桜井、今週は夏休みです! 土日も入れると9連休〜うひゃひゃ♪そんなに休むと休み明けに感覚を取り戻すのが大変で仕事をうまく処理しきれないこと必至なわけですが、そんなこと今はどうでもいいのです!

夏休み3日目の今日は、ふらりと横浜へ行ってきました。友達と出歩くのも楽しいけれど、最近は前にも増して一人でぶらぶらするのが心地良いのです。年上の友人が「30過ぎると一人で遊ぶことが増えて、それが全然苦にならなくなるのよー」と言っていたけど、私もその兆候か? いや、さすがにまだ一人で飲み屋や劇場や映画館には行けませんけどね。

今は洋服やバッグなどへの物欲は影を潜めていて、代わりに何を狙っているかと言うと、「インテリア大改造!」です。今使っている机やパソコンの台や本棚を取り替えて部屋の機能と印象を一新したいのですよ。そっちの方が洋服を買うよりも余程お金がかかるなぁ……とは思うわけですが。でも、前々からやりたかったんですよね。
焦ってやる必要はないので、いろんなものを見てじっくり検討したいと思います。部屋のあちこちをメジャーで測ったり、もちろんお財布とも相談しなきゃいけませんし。
今日はとりあえず小手調べ(?)に、ロフトを見て回ってイメージを膨らませてきました。スライド式の本棚が欲しいなぁと思っていたら、ちょうど手頃なものが置いてあって、今日のところは買う気もないのに何度もガラガラとスライドさせて遊びました。あれって、本をぎっしり並べても軽々とスライドできるものなのでしょうか。ご使用経験のある方、情報求ム。

デスクや棚は一通り見たし、そろそろ他のフロアへ……と思ってエレベーターへ向かおうとしたところ、ふと目に入った秋仕様のレターセットとハガキ箋に一目惚れしてしまいました。
レターセットはコスモスの柄、ハガキ箋はススキや紅葉やイチョウの柄のものがセットになっていて、どちらも淡くかわいらしい色使いでとても素敵なのです。
手紙なんてめったに書かないし、使い切れていないレターセットが引き出しにたくさん入っているんだけどなぁと思いながらも、どうしても目が離せず買ってしまいました。さぁて、誰に手紙書こう?
そうそう、そのレターセットの近くをふらふらしていて気づいたのですが、最近は絵を描くのが流行っているんでしょうか。大人向けのぬりえ用の色鉛筆や本がたくさん置いてありました。思わずそれも欲しくなったのですが、絵手紙も碌にできていなくて画材が棚の肥やしになっている現状を思い出し、伸ばした手をぐっとこらえて引っ込めました。
でも、本当は絵手紙よりぬりえの方が私には合っていると思うんだけどなぁ。だって、絵手紙でも色を塗るのは好きだけど、その前に墨で輪郭を描かなきゃいけないのがあんまり好きじゃないんだもの……。

ロフトには、行く度にちょっと立ち止まって眺めたくなる絵のコーナーがあります。私のお気に入りは青い絵(澄んだ空や、きらめく海だけを描いたシンプルな絵が、いつも必ず数点飾られている)で、今日もそれを眺めて来ました。気持ちがすうっと落ち着いて、心の深いところまで息を吸える感じがするのです。あそこにある青い絵を、いつか買いたいと思っています。インテリア改造計画が終了したあとにでも。

ロフトを満喫したあとは、フレグランスがあるフロアに立ち寄ってブルガリを試しました。試しただけです。某通販でブルガリが安くなっていたので、香りを確認したかったのですよ。約半額で買えると知っているなら目の前にあっても定価で買う気がするはずもなく、テスターでシュッとやって、即退散。
そのあとは、お気に入りのうどん屋さんでお昼を食べたり、自分へのお土産(え。)にモロゾフのゼリーを買ったりしてから帰りました。
今日はあまりお金を使わずに結構楽しめました。
一人遊び、万歳!


2006年08月15日(火) 月に隠れて

ときどきすべてを壊したくなるのは、月のせいだろうか、それとも人間の業だろうか。
何の変哲もない、けれどもだからこそ強固に存在を主張する銀色の輪っか。
アタシを属性で、それもわざわざカタカナの響きで呼ぶ無知な人間。
いらないものはすべて壊れてしまえと、冷笑混じりに呪う。
月に隠れた卑怯な場所で。


2006年08月14日(月) メモ書きのごとく

先週木曜日からの覚書。

10日(木曜日)
業務上の変更について少々、いや、かなり頭に来る事件が発生した。低血圧な私のためを思って、少しでも血圧が上昇するように仕向けてくれているのだろうか。
「この社会は、無能な人間が上に立つような仕組みになっているのか、それとも元は有能な人間でも上の立場になった途端に無能にならざるを得ない仕組みになっているのか」という命題は永久不滅……か?
とにもかくにも、BSで放送されていた『ウォレスとグルミット』で和んで気持ちを落ち着ける。

11日(金)
飲む。食べる。飲む。

12日(土)
強烈な雷と大雨にビビリながら、本棚とCDボックスを大々的に整理する。本当に必要と思えるもの以外は思い切って処分していかないと、新しい本やCDを仕舞うスペースがないのだ。
それにしても、雷、雨、雷、雨。

13日(日)
初めてディタアップルを飲み、初めてイベリコ豚を食べる。
ディタはオレンジかグレープフルーツでしか飲んだことがなかったのだが、アップルもとてもおいしかった。アップルだけだとかなり甘くなるということで、ソムリエさんがソーダを足してくれた。おかげでさっぱり爽やかな口当たり。
あれ、イベリコ豚は初めてじゃなかったか……?
大変楽しい時間を過ごしたあと、友人にもらったお気に入りのバーバリーのハンドタオルをどこかで失くすという、とてつもなくショッキングな出来事に見舞われる。どこで落としたんだ、私!


2006年08月08日(火) 台風もエヘン虫も飛んで行け

昨日のこと。
夜9時。自分の部屋に入ってエアコンのリモコンについているディスプレイを見ると、室温が30度もあった。見た瞬間に思わず「バカじゃないの!?」と心の中で叫んでいた。誰or何に対しての罵倒なのかは分からないけれど、夜の9時に30度なんて冗談じゃない、まったくどうにかしているわ! と思ったのであった。でも、どうりで汗が吹き出るはずだ。
夜中(朝方?)には雨風と雷の音で目が覚めた。家のすぐ目の前に落ちたかと思うような雷だった。
そして今(夜の7時前)、空は赤く燃えている。
夏の気候はいろいろな表情をくるくると見せて、本当に騒々しい。

8月に入ってから、風邪でもないのに喉にエヘン虫が住み着いている。夕方へと時間が進むに連れて調子が悪くなっていき、帰ってうがいをすると少しすっきりする。土日はわりと調子が良い。これはもう完全に仕事のせいである。
でも、何だかんだ言っても私はこの仕事に就いて良かったと(今はまだ)思っている。自分が今までやってきたこと、それが一見バラバラに見えることでも、実はちゃんと繋がっていると思えるから。
それに、心が痛くて悲鳴を上げることを思い出せば、喉の痛みなんてどうってことはない。


2006年08月06日(日) 読了を諦めかける

なかなか読み終わらない小説がある。
「本当は面白いはずだ。もう少し読み進めればきっと面白くなるに違いない」と言い聞かせて読んでいるのだけれど、本を閉じるときにふと見ると、しおりの位置があまり変わっていなかったりするのだ。たぶん、私にとっては面白みがないのだろう。
友情というものに対する考え方が、私とは大きく異なるのだろうと思う。登場人物たちが「友達であるが故のすれ違いや葛藤や苛立ち」と捉えているものを、私は「すでに友情とは呼べないもの」と考えている。
ある程度の価値観の違いは世界を広げるけれど、自分にとって譲れないものに関する大きな相違は受け入れるのが難しい。友情というものにまつわるあれこれが、私にとってはとても重要で譲れないものの一つなのだと改めて思い知らされた。
この小説を読み進めることがだんだん苦痛になってきたので、カウンセリング関係の本を開いてみた。カタカナ語が多くてときどきつっかえるのだけれど、それにも拘らず、こちらはどんどんページが進んでいく。やはり、興味があるのとないのとでは、読んで理解するときに発揮される集中力に雲泥の差があるのだ。
期待していた小説が好みとは違っていたことが結構残念で、その反動からか、衝動的にアマゾンで小説を大量注文した。本をしまう場所に困りそうだけれど、もうすぐ夏休みなのでいい機会だったと思う。


2006年08月05日(土) 年を重ねることの、何と素敵な

大学時代の友達と丸ビルでフレンチディナー。「丸ビルでフレンチ」という響きだけで、ワインを飲む前からすでにちょっぴり酔ってしまう私なのであった。何という田舎者だろうか……。
電車の中ではせっかく持ってきた文庫本も読む気にならず、車窓から見える景色をぼーっと眺めていた。そのうち、ずいぶん昔の夏を思い出して物思いに耽り、危うく乗り換えの駅をやり過ごすところだった。

待ち合わせ時間ぴったりに現れた友達は、ぐっと綺麗になっていた。化粧が変わったとか特別派手に着飾っているとかではなく(でも、ちゃんとお洒落が行き届いている。光沢のあるキャミソールとか、お出かけ用の巻き髪とか)、たぶん年齢に相応しく自然に身につけた大人の女性の美しさなのだろうと思う。
最近、久しぶりに会う友達は皆、記憶の中の彼女たちよりも一段階綺麗になっているのだ。それを目の当たりにするたび、「私たちはもう高校生や大学生じゃないんだな」と今さらながら実感し、そんなに変化しているとは思えない自分に少しばかり焦りを感じてみたりもする。でも、美しくきちんと年を重ねている友人たちを誇りに思う気持ちは動かしようがない。

予約しておいたレストランは35階にあり、大きな窓からは東京駅周辺が一望できる。もちろん、緑などは一切ない。見えるのは、ビル、ビル、ビル。それでも、少しずつ暮れていって次第に灯りが増えていく東京を見下ろすのは、悪い感じじゃない。
正直なところ、テーブルクロスのあるレストランは久しぶりだった(最近の私がいかに出かけていないかだ分かる……)。その上、今日のレストランはメニューを丁寧に説明してくれるし、椅子も引いてくれるのだ!(私は車椅子なので関係ないが、友達がちょっと立ち上がったり席を外して戻ってくるたびに、さりげなくスタッフがやって来て椅子を引いていた。それも、こちらに気を使わせないよう、絶妙のタイミングで) そんなもてなしに慣れていない私は、いちいち心の中で感動していた。繰り返すが、何という田舎者だろうか……。

メニューを見ただけでは、煮ているのか焼いているのか、どんな味のソースなのか、まるで判らない料理たち。それから、まず値段に目が行ってしまう分厚いワインリスト。
結局、スタッフの丁寧な説明も半分くらいしか理解できなかったので(申し訳ない!)、料理は素材で選んだ。オードブルが魚だったらメインは肉料理で、できるだけ野菜がたくさんある方がいい、豚よりは鶏の気分だな……などというふうに。ワインは「白で、辛口よりは甘口、尚且つさっぱりしたもの」をキーワードに、スタッフに絞り込んでもらった。
こうして出てきた料理やワインは、どれも私たちを満足させるものだった。新鮮なスズキ、ぱりっとした野菜、フォアグラをはさんだ鶏肉、少し酸味のあるソース、口当たりの良いワイン、それからデザートのマンゴー。「月に一度は贅沢をして、いいものを食べなさい」という誰かの言葉を思い出した。「自分で働いたお金で」というところがたぶんポイントなのだ。奢ってもらうのも、もちろん素敵なことではあるけれど。
空がすっかり暗くなって店内の照明も押さえ気味になった頃、窓の外の遠くの方で花火が上がった。スタッフが「今日は江戸川の花火大会なんですよ」と教えてくれた。私たちのテーブルは窓側の特等席。花火を見られるなんてちっとも思っていなかった私たちは、そのサプライズに大喜びして、ずっと窓の外を眺めていた。

彼女と久しぶりに会うことが決まったとき、話したいことが山のように浮かんでいた。けれども、実際に会った瞬間、話したかったはずのほとんどは頭の中から消えていた。最低限の近況報告(仕事にはだいぶ慣れたこと、相変わらず恋人はいないこと)をしたあとは、ただその場その場で浮かんだことを話していった。そうして、ふと、本当に楽しい時間というのはこんなものなのかもしれないと思った。用意してあった話題なんて、どうでもいいのだ。こういうときに大切なのは、何を話すかではなくて、自分が本当に楽しんでいるかどうかなのだ。
不思議だったのは、彼女と会うのは一年ぶりくらい(!)なのに、ほぼ毎日会っていた大学時代よりも精神的に近くなっている感じがしたことだ。あの頃からもちろん仲は良かったのだけれど、今はもっとお互いに構えが取れているように思えた。

食事のあと、閉店間際の雑貨屋や輸入食材のお店を見て回った。
私たちは江戸川の花火に触発されて「花火やりたい!」と言い、雑貨屋に置いてあったシャボン玉セットを見て「シャボン玉もやりたい!」と言っていた。花火やシャボン玉などという子ども染みた遊びをしたがるのは、逆にそれだけ大人になったということでもあるのだろう。中途半端に子どもだった学生時代は、そんなものには惹かれなかった(特にシャボン玉には)。
輸入食材の店には、見たことのないミネラルウォーターや英語が書かれた缶詰や瓶詰めがたくさん並んでいた。
知らないものや世界は、まだまだ数え切れないほどある。でも、私たちは確実に日々を重ね、年を取っている。知らないものを減らすためにではなく、きっと、知らないものを見つけるためにだ。


2006年08月04日(金) 一件落着、かな?

先ほど(午後8時ごろ)、電動車椅子くんが無事に退院して帰ってきました。ちょっと乗って動かしてみたところ、調子はいいようです。これでもう不具合が起きないといいんだけれどなぁ。
今日はとりわけ暑かったですね。と言っても、私は「今日は何だかものすごく暑かったらしいね」くらいの認識しかないのですが。確かに仕事の行き帰りは暑かったのですが、日中はエアコンの効いた部屋にこもっていられるので楽でした。今日みたいな日は「あぁ、こういう仕事をしていて良かったな」と思います。


2006年08月03日(木) 桐の箱に入っていなくていいから

いつの間にやら8月ですね。さすがに暑いです。
えーと、入院した電動車椅子は明日帰って来るようです。本当に直ったのかなぁ。
今日は比較的暇だったので、職場の席が隣の人とあれこれ話していたのですが、やれメロンが食べたいだのサクランボが食べたいだのと言っていたら、本当に「メロン食べたい熱」が上昇してきました。
あー、マスクメロンが食べたいなぁ。四分の一に切って、スプーンで贅沢にすくって。


桜井弓月 |TwitterFacebook


My追加

© 2005 Sakurai Yuzuki