月に舞う桜

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2006年09月30日(土) 流行に乗ってみました

季節の変わり目、風邪が流行っているようで。
私は決まって喉から風邪を引く。遺伝なのか母も同じで、我が家には「銀のベンザ」(ベンザブロックの中でも喉から風邪を引く人用のものだ)が常駐している。水曜日と木曜日は悪夢かと思うほど喉が痛かった。水曜日は騙し騙し仕事をしたのだけれど、何せ話すことが仕事なので騙すにも限界があり、木曜日は一日休んだ。
仕事のせいでときどき喉が痛くなることはこの日記にも何度か書いているけれど、その痛みと風邪の痛みはやはりレベルが違う。仕事で痛めたときはあくまでも自分の棲み処である体自体が疲労しているのだと分かるのだが、風邪を引くと体が自分以外の何かに乗っ取られるかのようで、自分が追い出されそうな心許ない感じがする。
うがい薬と塩水で喉を洗い(うがい薬の臭いが口の中に残るのが嫌で、そのあと塩水でもうがいをすることにしている)、「銀のベンザ」のお世話になったら、金曜日は出社することができた。
風邪で喉が腫れると、うがいをしたときの音が変わる。いつもより低くて重みのある音になる。それで私は勝手に、「あ、やっぱり喉がいつもと違う凹凸加減になっているな」と納得するのだ。どうして音が変わるのか、本当のところは知らない。
勝手と言えば、早く治したいにもかかわらず私は風邪薬の回数や量をあまり守らない。「銀のベンザ」の箱には「1日3回、1回2錠」と書いてあったけれど、たいてい「1日2回、1回1錠」にする。増やすのはヤバイけど、減らすのは別に構わないでしょ、と思う。昔、薬が効きすぎて体がふらふらになったことがあって、それがちょっとしたトラウマになっているのかもしれない。1日に3回も飲んだら、薬が体から抜け切らない気がして怖いのだ。さすがに、インフルエンザや肺炎になったら規定量を守ると思うけど(過去3回肺炎になった経験上)。

そんなこんなで、今日は喉の痛みもほとんどない。体はまだ本調子じゃないので、よく眠るし、鼻水もよく出るけれど。
鼻水がずるずる出るのはもちろん気持ちのいいものじゃない。でも、自分の体から悪いものがどんどん出て行く感じがして、ティッシュの箱を手繰り寄せながら「ぐんぐん回復中だわ!」と思う。


2006年09月21日(木) あの子たちは今

連休明けからずっと、どこかふわふわした感じで仕事をしている。
眠いしだるいし忙しいしで全く気分が乗らず、そのうち何だかいろんなことがどんどん嫌になってくるのだが、そんな日の帰り道は頭の中でだけ現実逃避する。
例えば、もう自分の手を離れてしまった子供たちのことを考えてみる。彼や彼女は今頃どうしているだろうか、と。それから、まだ外の世界には出ていないが私の頭の中では確かに存在している子供たちのことも考える。彼らはどんな人生を歩んできて、これからどんなふうに生きていくだろうか、と。早く、外の世界に触れさせなければ、と。
生き生きと日々を送る彼らに思いを馳せることで、私は彼らからエネルギーをもらう。それで、明日もきっと悪くないはずだと思う。


2006年09月18日(月) ただ私が勝手に思ってるだけ

秋になるとスピッツが聴きたくなる。スピッツの曲は、どれも何となくかなしい。かなしい内容じゃなくても、あの声とメロディーが心の奥の柔らかくてちょっと弱い場所を不用意に刺激する。それで、かなしい気分になる。でもそれは、心休まるかなしさだ。私は、緩やかにかなしいものが好きなのだ。

何があっても私だけは味方でいよう、と思うことがあった。
けれども、味方でいるっていったいどういうことなのだろうと、ふと考える。決意することも口に出すことも簡単だけれど、本当に本当に変わらず味方でい続けるというのは、実際は結構難しいことなんじゃないか。
たぶん、理屈じゃないのだ。時間に比例して深まっていく友情や愛情はもちろんあるけれど、関わった時間に関係なく、直観的に深い気持ちを抱いてしまうことってあるのだと思う。
たとえ「裏切られた」と感じることが起こったとしても、そもそも契約を交わしたわけではないのだから、裏切りでも何でもない。全ては私の直観が間違っただけ。


2006年09月17日(日) わかろうとすること その2

(昨日からの続き)

私は今、某企業の特例子会社に勤めている。特例子会社の詳しい説明は省くけれど、要するに企業が障害者法定雇用率を達成するため(=障害者を雇用するため)に作った子会社のことだ(障害者雇用の現状や問題点、法定雇用率、特例子会社などについては、ちょちょっと検索するといろいろ出てくるので、詳しく知りたい方は調べてみて下さい)。
そういう会社に入ると本当にいろいろな病気や障害を持った同僚がいて、症状や障害の内容・程度は人によって様々だ。薬を飲んでいる人もいれば飲んでいない人もいるし、私みたいな車椅子ユーザーもいれば半身麻痺の人もいるし、内部障害の人もいる。

そういった環境で半年近くやってきて改めて痛感したのは、同じ障害者だからと言って、相手の気持ちが分かると思ってはいけないということだ。
「他人の痛みや葛藤がよく分かる」というのは、最も危険な思い上がりだ。それは、他人を自分の狭い枠組みに押し込めて捉えることに他ならないのだから。
障害者と一口に括ってみても、個々人の生々しい感情や体験や身体状況は決して本当には分からない。「障害者」という立場はある人の一面に過ぎないけれど、その一面でさえ複雑な要素で成り立っている。
今の時代、たとえば脳性麻痺でも脊椎損傷でも他の難しい病名でも、ちょっとネットで検索すればある程度の情報はすぐに出てくるから、知ることは容易にできる。ただし、それは一般的な知識を得たというだけのことであって、それ自体とても意味のあることではあるけれども個々人の深いところまで分かるということではない。「知ること」と「分かること」は違うのだ。
障害の内容や程度、障害を持つに至った経緯(先天的なものか後天的なものか等)、自分の病気や障害をどのように受け止めているのか、その人が生きてきた歴史や環境、周囲の受け止め方、何より、その人の人生に対する価値観。そういうものが絡み合って個人は作られるのだし、背景となる事情は人それぞれに異なる。
だから、障害者という大きな括りでは同じでも、私に同僚たちの真の気持ちが分かるはずはない。「本当には分からない」とは、「生々しい体験をすることができない」ということだ。体の痛みや精神的なしんどさや、何を大変に思い、何を大したことではないと感じているのか、他人のそういったことを自分のこととして体験することはどうやったって不可能なのだ。

それはもちろん、障害者どうしに限ったことではなくて、女どうし、日本人どうし、同世代などでも同じことだ。人が皆唯一無二の存在である以上、他人を真に理解する、分かるなどということはあり得ないと私は思う。

けれども、私はこの「分からない」を否定的には考えていない。むしろ、「本当には分からない」と自覚することは「他人を深いところで理解しようとすること」のスタートラインであって、そこからしか真の理解は始まらないとさえ思っている。
他人の本当の思いは分からない。「でも」ではなくて、「だからこそ」他人を理解したいと思うし、そのために耳を澄ませたいと思う。
自覚するとは、謙虚になること、他人を自分の思考の枠組みに押し込めないこと、自分の狭い世界を超えるものとして他人を見ることだ。
他人とは、端から自分の理解を超えた存在だ。それを分かっていないと、「自分には理解不能な人間=異常な存在」として排除することになりかねない。

少し前、中学生や高校生が実の親を殺害する事件が相次いだ。それらの事件を扱ったニュースを見ていると、「なぜ親を殺してしまうのか分からない」と言う人間がキャスターやコメンテーターの中に必ずいる。私にはその発言や口調が本質的な「分からない」を意味するのではなく、分かろうとする努力を単に惜しんでいるだけとしか聞こえないことが多い。当惑を出発点として子どもたちを理解しようとするのではなく、理解できない存在を排除しようとしているだけのように聞こえてしまう。
例えば、親を殺した子供が警察で「勉強しろとうるさく言われるのが嫌だった」とか「成績が伸びないことをなじられた」と話している、という情報が入る。言葉の表面だけを見れば、確かに「そんなことくらいで、なぜ?」だろう。
でも、ちょっと想像力を働かせれば、言葉の奥深くにあるものが見えるのだ。自分の存在を否定されたと感じてしまうこと、そのときの重く暗くどうにもできない気持ち、苦しさ、形容しがたい感情の塊。それぐらいは、理解しようと思えばすぐに想像できるのに。

ただでさえ他人は理解できない。その上、言葉の表面だけを見ているようじゃ、もっともっと他人は遠退いて行く。
深いところで人と関わるのは、確かに途方もないエネルギーが必要だけれど。


2006年09月16日(土) わかろうとすること その1

夏にメンバーズカードを作った洋服店から、リニューアルオープンセールのハガキが来ていた。今すぐ新しい洋服がほしいわけではなかったけれど、せっかくの3連休だしと思って出掛けることにした。
横浜駅周辺は、いつにも増して人が多いような気がした。でも、あそこはいつだって人が溢れていて、休日ならあれくらいが普通だったかもしれない。人ごみに怯まず突き進んで行くだけのエネルギーが今日の私には不足していたようだから、「いつにも増して」なんて感じたのだろう。
行き交う女の人たちは皆、すっかり秋色のコーディネートで、それが私をちょっぴり焦らせた。自分だけが季節について行っていない感じがした。
目的のお店を含めて何軒か回ったけれど、どのお店でもこれと言ってピンと来るものがなく、何よりどこも人がいっぱいで、ピンと来るものに出会えるほどゆっくり見られないのだ。そして、人をかき分けてゆっくり洋服を見るだけのエネルギーが、やはり私にはなかった。
洋服以外にも見たいものはいくつかあったけれど、混み合うエレベーターを待ってまであちこち行く気になれなかったので、今日は早々に引き上げることにした。
結局、何をしに横浜まで行ったのか分からない結果になってしまった。
でも、たぶん私には「出掛ける」ということが必要だったのだと思う。外出は、日々の中で固まってしまった円から抜け出すことだ。

電車の中で、よしもとばななの『ハゴロモ』を読んでいた。私の好みが変わってきたのか彼女の小説の色が少しずつ変わってきたのかは分からないけれど(おそらく、どちらでもあるのだろう)、以前ほどその小説の世界にどっぷり浸かることはなくなった(だいたい、私はオカルトとかスピリチュアルとかニューエイジとかいった言葉が苦手なのだ)。それでも、よしもとばななの小説はいつでも、私に「人と深いところで精神的に関わること」について考えさせる。そこが好きで、読み続けているのだろう。死を始めとする何か決定的な消失と、そこからの再生、それらを巡る真摯さ。

深いところまできちんと見つめて他人と関わるのは本当に難しい。それは、他人を理解すること、あるいは「理解できないこと」をどう受け止めるかという問題と繋がっているように思う。最近、いろいろと思うところがあって、そういった難しさについて考えてみたりする。

(続く)


2006年09月08日(金) あいのうた

職場から帰るとき、いつも駅ビルの中を通る。2階から入ってエレベーターで1階に下りると、そこは某コンビニエンスストアになっている。そのコンビニを突っ切って駅ビルから出、私は家までの道を急ぐ。
最近、そのコンビニでは私が通るときにちょうどYEN TOWN BANDの『Swallowtail Butterfly〜あいのうた〜』が流れている。驚くことに、何日も連続して。エレベーターが開いた瞬間にCharaのあの独特の歌声が耳に入ってきて、そのたびに私は「何で今さらこの曲?」と思う。あの曲は私が中学生か高校生の頃のものだから、10年以上も前の曲だ。
Charaは特に好きでも嫌いでもないけれど、あの曲は好きだ。流行っていた当時から今でもずっと。だから、10年以上も前の曲がどうして毎日流れているのか不思議に思いながらも、私はそのコンビニを通るたびにちょっと嬉しくなる。
家に帰り着くまでの間、そして、帰り着いてからもしばらくはCharaの声が頭から離れない。
コンビニから先の帰り道、ひとけがなくなったところで私は彼女の歌い方を真似しようと試みる。わぁたぁしは〜うぅわの空で〜、と。あんな声は出せないけれど、空を見上げたまま歌い続けたくなる。


2006年09月06日(水) 21世紀の極東アジアが、本当の21世紀になりますように

自分より年下の人たちには、一人残らず幸せになってほしいと思う。若い人たち、子どもたち、生まれたばかりの赤ちゃん、そして、これから生まれてくる全ての人。たとえまったく見ず知らずの人たちであっても、私は彼らの幸福を願わずにいられない。何の根拠もなく、無条件に、絶対的に、強く強く。
男に生まれても女に生まれても、どこの国のどんな家庭に生まれても、どんな体であっても、そんなことに関係なく「これからの人たち」は等しく幸せにならなくちゃいけない。
大人の目論見や思惑や意図にできるだけ振り回されず、あらゆる下らない争いに巻き込まれたり負けたりせず、ただただ一人の人間として幸せに生きてほしい。
生命は、その属性や付随するものや周辺の諸々ゆえに尊いわけでも美しいわけでもない。生命は、ただそうやってそこに在るだけで祝福されるべきもの。
「これからの人たち」は、そんな世の中を生きなくちゃ。

だって、今はもう21世紀なんだから。


2006年09月04日(月) あい・うぉんとぅ・すぴーく・いんぐりっしゅ・うぇる

お久しぶりです。夏休み明けで疲れたのか遅い夏バテなのか、やる気が全くなくて雲隠れしていた桜井です。

えーと、先週はこんな感じでした↓(と、先週を振り返ってお茶を濁そうとしてみる……)

月曜日。
夏休み明けそうそう喉を痛め(月曜日は電話がじゃんじゃん鳴るので)、「やっぱり仕事の威力ってすごいわ!」と妙に感心した。
この日、駅のホームで上司に目撃されていたことが判明。やだなぁ、もう。

火曜日。
改善要望書にびっしり記入して提出したところ(だって、あまりに腹が立っていたので)、すばやいリアクションとフォローがあってかなり驚く。そして、うちの中間管理職をちょっと見直した。考えてみれば、中間管理職ってほんと大変よねぇ。
私は、「言ってもどうせ何も変わらない」という歪んだ信念を前の職場で強化してしまったのだけど、最近はそれが少しずつ修正されてきたように思う。変わっても変わらなくても、言いたいことは言ってやれ! と思えたのもその証。

水曜日。
生まれて初めて(たぶん)、生のとうもろこしを食べた。これは生で食べられるから、と聞いていた私は、でも半信半疑だった。本当に生でおいしく食べられるの? と。ところがどっこい、これが本当に予想以上においしいのだ。ゆがいたり焼いたりしたものほどは甘くないけれど、みずみずしくしゃきっとしていて、ちょっとフルーティーで。
生で食べられる新鮮なとうもろこしに出会ったら、騙されたと思ってぜひ一度お試しあれ。

木曜日。
地震が怖かった日。退社間際、がたがたっと来た。わりと大きな揺れで、あとで確認すると震度4だった。にもかかわらず、周りは意外と冷静で、「わー、地震! 揺れてる!」と一番騒いでいたのは私だった……。

金曜日。
英語を勉強しなくちゃ! と、過去最高に痛感した日。I can NOT understand English well.と何度も言っているのに、お構い無しに英語でまくし立てられて困った。
でもさ。英語は話せた方がいいし、勉強する必要はあるけれど、それにしても、英語圏の人というのはどうしてあんなに外国で堂々と(むしろ図々しく)当たり前のように英語で話すんだろう。日本人だったら、外国で当たり前のように日本語を話すなんてことはしない(人がほとんどだと思う)のに。
ま、これは半分私の逆ギレだけどさ。

土曜日、日曜日。
自分でも驚くくらい、何もしない週末だった。朝寝坊して、そのせいもあって、1日じゅう体の表面に薄い膜が張っている感じ。
何もやる気がせず、何を食べてもあまりおいしさを感じられなかった。だらだらだらだらして、その合間に信田さよ子の『アダルト・チルドレンという物語』や江國香織のエッセイ『いくつもの週末』を読む。
いつもながら、あっと言う間の2日。

こんな感じの一週間でした。
今朝はものすごく眠かったのですが、だんだん体が仕事モードに戻ってきたらしく、帰って来ると日記を書く気力がありました。
ほんと、英語が話せるようになりたい……。でも、英語の勉強は嫌い、昔から。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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© 2005 Sakurai Yuzuki