月に舞う桜
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えーと、いつからか全く日記を書いておりませんでした……。 明日から4月なのですね。時の速さに驚くを通り越して呆れるばかり。 私は元気です。元気に生きております。 実は、勝手に非常に切羽詰っています。でも、ちっとも苦しくないのです。つらくもないのです。むしろ、愉快。「やらなきゃ」と「やりたい」が見事に重なっていくときって、それはもう極上の快楽なのですよ。
多摩川を渡るときの景色が好きです。電車でも車でもね。土日に新宿の方まで出掛けたのですが、改めてそう思いました。大きな川と開けた景色を見ていると、どこまでも行けそうな気がするんですよ。 多摩川は、神奈川と東京の県境になっています。横浜市民のくせに田舎者の私は、多摩川を渡ると「東京まで遠出するんだわ♪」と思います。だから好きなのか?
用事があって、10時半に家を出た。朝起きたときは雨が降っていた。出かけるときは曇り空。風が冷たい。 この日の日記の後半に、「ラザニアを食べたことがない。食べれるかどうか分からないが試してみたい」という話を書いた。 実は今日、初めてラザニアを食べてみたのだ。 食べれる食べれる! 味がちょっとしつこくて、ものすごく好きと言うほどではないけれど。でもとにかく食べれたのだ。完食した。嬉しい!
お昼ご飯を食べて外に出ると、空はすっかり晴れていた。青い空(それも、知らない間に青くなっている空)を見上げると、万事うまくいくような気がしてくる。時間が経てば、物事はおのずといいほうに変わっていくのだ。風も和らいで、穏やかな陽気。 帰りの電車で文庫本を読んでいた。終わりまであと数ページのところで、駅に着いてしまった。こういうときだけは、家がもっと遠ければいいのにと思う。 それから美容院に行った。私が行っている美容院は予約制ではないので、その日によってすぐにカットしてもらえたり、しばらく待たされたりと時間が読めない。 今日は30分くらい待つと言われた。さっきの本を最後まで読めると思って、私は嬉しくなる。退屈な待ち時間ではなく「本を読むための時間」だから、ちっとも苦にならない。 こうやって、どこかで帳尻が合うものだ。物事によって、それが一日の中でなのか一年の間でなのか一生の内でなのかは変わってくるけれど。 きっと、うまく行くよ。
2006年03月20日(月) |
好きなものに囲まれて、私が私でいられる場所に |
こうやってふらふらしてられるのも、あと2週間だ。ちょうど2週間。 『東京タワー』と言えば私にとってはもちろん江國香織なのだけど、世の中的にはリリー・フランキーなんだろうか。そんなことを考えながら、テレビを見ていた。 テレビでは、パラリンピックが閉幕するという話。大日方選手を始め、メダルを獲得した人たちをざっと紹介していた。あの座って滑るスキーは、私なんて見てるだけで怖くなってしまう。あれをやってみようとするだけでも賞賛ものだと思う。その話題の締めに、コメンテーターが「事故に遭ったりして障害を持ってもこうやって頑張っている人を見るたびに、健康なのにだらだらしている人たちがいることを思うと嫌になる」という趣旨のことを言っていた。あーあ。何なの、その視点。世界大会でメダルを取ったという話を、何でそんな次元に下げちゃうの。世界で一番(あるいは二番、三番)になったんだもの、そりゃあ、とんでもなくすごいことだよ。並大抵の努力じゃそこまでいけないよ。でも、彼らへの正当な拍手は、ただ純粋に、彼らの世界トップレベルの才能と努力と情熱と実績に送られるべきだと思う。「障害があるのに頑張ってるから」じゃない。そんな枕詞をつけたら、却ってメダルの価値が下がっちゃうよ。障害者限定のパラリンピックなら、なおさらね。出場者全員が障害を持っている中で、「障害があるのに頑張っている」も何もないもんだ。女子が男子のゴルフツアーとか男子の野球チームに混じって活躍したり好成績を残せば、「女子なのにすごいね」ってなるけど、純粋に女子の試合だったらそんなこと言わないでしょ。 「頑張る」っていうのは絶対的なものであって、相対的なものではない。事故や病気から必死に努力して這い上がってきた人たちはもちろん頑張ったさ。でも、だからって、そうじゃない五体満足で何となくいい加減にやっているように見える人が頑張ってないなんて、どうして言えるだろう。生きている限り誰にだって越えがたいような壁はある。そこを乗り越えたり迂回したり共存したりしながら日々生きている。生きているというだけで、私たちは皆等しく「頑張っている」のだと思うけどな、私は。人の人生って、他人には分からない。だらだらしてるように見える人だって、本当のところは他人である私たちには分からないじゃない。 それに、自分の人生なんだから、別にだらだらしたっていいんじゃない? 赤の他人が頑張ってるからって、自分まで今以上に頑張らなきゃいけない道理はないよ。人生の責任を負うのは自分なんだし。 だいたい、「障害があっても頑張っている人がいるんだから、健常者も頑張らなきゃ」と言うのは、そもそも障害者を下に見ていることに他ならないのでは? 私に言わせれば、「障害者をなめんなよ?」って感じ。だって、「小さいのに一人でお使いできて、えらいね」と同じ理屈じゃないの? こんなふうに思うのは、私がひねくれ者だからだろう。だけど、さっきのコメンテーターのような発言は本当に不快。たぶん、障害当事者でも不快に思わない人のほうが多いのだろうけど。まぁ、こんな人間も中に入るってことですよ。 中学のとき、障害を持つ女の子を準主役にした小説を書いた。それを読んだ私を知るある人は、「健気に頑張る弓月像」を勝手に作り上げていて、小説の出来以前に「そんな弓月がこれを書いた」ということで頭がいっぱいになって涙したらしい。それを聞いたとき、私はひどく屈辱的だった。ドキュメンタリーじゃないよ、小説だよ。泣かれてもちっとも嬉しくはなかったし、正当に評価されていないと思った。私のことを知らない人に小説を認めてもらいたい。そう思うようになったのは、それがきっかけだったのかもしれない。桜井弓月がどういう人間かなんて全然知らない人が、私の書いた小説を読んで「桜井弓月ってよく知らないけど、これ、何かいいね」と言ってくれる。それが、私にとって「本当に純粋に小説を認められる」ということだ。この基準はいつか変わるのかもしれない。ただ、今はそう思っている。自分のバックボーンを知らない人に評価してもらえるのは、大雑把な括りで言って「芸術」しかないような気がする。だから、小説を評価されることは私にとって特別な位置を占めるし、的を射たものなら批判さえ、私の存在を認める歓迎すべきものに当然含まれる。
午前中はケースワーカーさんがいらした。4月からヘルパーさんを頼むので、その相談のためだ。4月から法律が変わることもあって、区役所の方でもバタバタしているらしい。担当のケースワーカーさんは何かとこちらの身になって考えてくれて提案もして下さるのでありがたい。どんな法律ができても、やはり最後は現場の人の意識次第なのかもしれないと感じた。10月(9月?)からは障害者支援も介護保険に近い形になるそうで、支援申請をしたときの審査がものすごく細かくなると聞かされた。面倒くさいなぁ。必要な審査ならいいけど、「どうでもいいじゃん、関係ないじゃん」と思うような質問はやめてほしいよね。質問するケースワーカーさんだって心苦しそうだし。
お昼ご飯を食べたあと、通勤用のA4バッグを買いに横浜へ行く。 マルイにもそごうにも行ったけれど、気に入ったものがなくて途方に暮れた。デザインはいいけど使い勝手がいまいちだったり、機能的にはいいけど望む色から遠かったり、デザインも機能も申し分ないけど完全に予算オーバーだったりと、いろいろ難しい。本当に「これ!」と思えるものじゃないと高いお金は出したくないし長く使いたいから、妥協はできない。 ずいぶん時間が経ったし疲れたし、今日はもう見つからないかなぁ、でもどうしても入社までに新しいA4のバッグがほしいんだよなぁ……と思案して、ダメ元で高島屋に行ってみることにした。 そうしたら、4℃のバッグに出会えたのですよ! 以前、Pinky&Diannneが好きだと書いたけれど、4℃もかなり好き。そごうの4℃には置いていなかったタイプのバッグが高島屋にはいくつかあって、諦めないで来てみて良かったなぁと心底思った。人生、諦めたらダメなのだ! と、こんな場面で学び直す私。 華原朋美に似た店員さんが押し付けでない程度の親切さと丁寧さでいろいろ見せてくれて、じっくり吟味した結果、最初に目についたものを買うことにした。色は青みがかった爽やかな白で、内側の生地は深い色のマリンブルー。仕切りと十分な内ポケットがあり、使いやすそうだ。もちろん、A4サイズがすっぽり収まる。 私はこうして、るんるん気分で家に帰った。この4℃のバッグをお供にすれば、仕事が楽しくなりそうに思えた。 好きなものに囲まれて、私は新しい環境への不安を和らげていく。そうやって、どこも歪めずに無理のない私でいられる場所を作っていく。
自分がどういうスタンスで何に関わり何をやっていくか。それを常に的確に判断していくことって、結構難しいなぁと感じることがある。 もしかすると、私は自分の手で何かのきっかけを潰しているのかもしれない。「やらずに後悔するより、やって後悔する方がいい」という言葉には、確かに一理ある。でも、自分の中で折り合いがつかないまま、ずっと「何か違うな」ともやもやしながら「やる」よりも、ここはすっぱり切ってしまった方が私にとってはいいのだろうと判断した。 たとえそれが守りに入って世界を広げずにいることの証だとしても、今の私にはきっと最善の選択になる。 迷ったときは、優先順位を考えてみる。今の自分には何が一番重要なことか。就職を前にしている今、心の中に引っ掛かりを作るようなことはできるだけ排除したい。余計なストレスを抱えずに新しい環境に入っていくことが、最優先事項なのだよね。
一つの立場を確立してもっと自信が持てたとき、わだかまりも曲がったプライドも少しは解けていくんだろう。そうすれば、「桜井弓月」がどういう観点で見られているのか気にならなくなるのかもしれないし、あまり歓迎したくない側面から人間像を捉えられることも平気になるのかもしれない。 スタンスが変わるのはそのときだろう。自分を頑なに守る必要を感じているうちは、今のスタンスを貫いてもいいのだと思う。
どんな結果になっても責任を取ることができるか、取る覚悟があるのか。それが、最善の選択をするための私の判断基準。
2006年03月15日(水) |
新生活に向けて血を採られる |
就職が決まり、4月から電話オペレーターとして働くことになりました。お客様からの料金支払いなどのお問い合わせに対応する業務です。何と、研修が4ヶ月もあるんですよ。普通はそれくらいあるんでしょうか。前の職場では研修がなかったので……。料金体系など、覚えることがた〜くさんあるようです。ひー! 念願の正社員なわけですが、無理をしすぎないよう、自分のキャパをちゃんと見極めながら、できるところまでやっていこうと思います。 私は新しい環境に慣れるまでにかなりの体力と精神力を要するタイプなので、入社後しばらくはサイト運営がおろそかになるかもしれませんが、ご了承下さい。週末は日記更新できるようにしますね。
以前の日記で「Pinky&Dianneの定期入れがほしい」と書きましたが、悲しいことに(?)職場が自宅から歩いて行けるところにあるのですよ。まぁ、そこが入社の大きな決め手だったのですけどね。と言うわけで、定期入れは必要なくなってしまいました。残念! でも、A4サイズのバッグは買おうと思うのです!
今日は入社時に必要な健康診断に行ってきました。 実は私、この世で最も嫌いなもののうちの一つが採血なんです……。左腕から目を逸らしていても、気絶しそうなくらい怖い。しかも、私の腕は血管が見えない。ゴムチューブで腕を縛っても浮いてこない。ので、たいてい手の甲から採血されます。それがまた怖いんです。説明するためにこうやってキーを打っていても指の先がじんじんしてくるので、この話はこれでやめます(汗)。←どれほど嫌いかお分かりになるかと。 視力検査もしました。両目とも0.3あれば良いかなくらいに思っていたのに、右が0.6で左が1.0でした。お、おかしい……。そんなに良いはずはないのだが。
そんなこんなで、何とか今月中に小説をアップせねばなりませんな。むふー。
2006年03月13日(月) |
意志とは関係なく、生きようとする以上 |
先週金曜日の午前中に採用の面接に行き、その午後から風邪を引いておりました。面接から帰った直後に症状が出るなんて、タイミングがいいと言うか何と言うか。 と言うわけで、日記の更新が止まり、掲示板のレスとメールのお返事が遅くなりました。すみませんm(_ _)m 今回の風邪の主な症状は、熱と胃痛(ひどいと吐き気)でした。とにかく寝ましたよ。金曜の正午から日曜の正午までの48時間中の睡眠時間、何と約34時間! 体調を崩したときほど、「人間の生命力って偉大だなぁ」と思います。熱で朦朧として吐き気もして、関節も痛くて、ベッドに倒れこんでいるしかないような状態で、生きようとする意志なんて吹っ飛んでいるわけですよ。むしろ「こんなに苦しいなら、ウイルスに体を乗っ取られて死んだ方が楽なんじゃ?」と思ってしまうのです。風邪ごときで大げさなのですが、そのときは本当にそう思います。 でも、体は勝手に生きようとする。もう降参して楽になろうよ、とこっちは思うのに、体は「いや、絶対に生きてやる!」と張り切って戦うんですよね。だから熱が出たりなんだりして、苦しい思いをさせられるわけですが、おかげで私は生きているのだな、と。 金曜の夜中に一度嘔吐したのですが、吐くときのエネルギーって実は凄まじいよな、と思いました。自然の摂理では上から下に流れるものを逆流させるんだもの、そりゃ、すごいことだよ。 私の意識では統率できないところで、その凄まじいエネルギーが生まれて、私を生かし支えている。体がきちんと機能することを当たり前と思いがちだけれど、私の生命なのに私の知らないところで勝手に動いているというのは、本当はもっともっと驚かなきゃいけないくらいすごいことなんだろうと思います。風邪を引くたびに。 私は毎日、私の意志で生きています。生きたいから生きています。でも、精神が届かないところで起きている何かは、生命自身にとっては意志なんかよりも余程重要なものなのかもしれません。 私は「何があっても生きていなくてはならない」という道徳観や倫理観や義務感を持ち合わせていないのですが、体が生きようとする以上はそれに従うしかないのだろうなとは思います。何となく。
あ、今日はもう熱も下がりましたので、ご心配なく〜。 まだ胃がちょっと重くてご飯があまりおいしくないけれど、食べないと低血糖や貧血を起こしそうなので頑張って食べていたら、だんだん持ち直してきています。
昨日の日記には書き忘れましたが、「みたらすぐやるバトン」を見てしまった方は強制的にバトンを渡されたことになりますので、ご覚悟のほどを。見たら答えないといけないのよん。答えてね。 さてさて、今日は衛澤さんから頂いたもう一つのバトン「携帯バトン」に答えてみようと思います。 携帯電話、必需品ですね。場合によっては、お財布より大事かも。でも、「ないと生きていけない」という程ではないんだよなぁ。なかったらなかったで、やっていけると思う。パソコンはないとやっていけない。でもやっぱり携帯はお財布より大事な気がする。不思議ねぇ。
Q1:現在使用中の機種は? A1:vodafoneの802N(色はシルバー)。 機種変してちょうど1年ですね。携帯5代目にして初のNECです。本当はシャープがほしかったのですよ。それまでもずっとシャープだったし、使いやすかったから。実はこれ、デザインがあまり気に入ってないです(><)最近のボーダフォンはどうして角張ったものばかりなんでしょうか。J-PHONE時代みたいに、もう少し丸みのあるデザインも取り入れてほしいものだ。ソ●トバ●クになったらちょっと変わるかしら。 気に入ったデザインがなかったのになぜ無理に機種変したかと言うと、4代目のバッテリーが死にかけていてイライラさせられていたからなのです。シャープがほしかったのになぜ802Nにしたかと言うと、デザイン的にこれが一番マシだったのです。当時店頭に出ていたシャープはサブディスプレイが小さくて見づらいものばかりだったので。 何か文句ばかり書いていますが、それでも愛着はあるんですよ?
Q2:現在使用中のメアドの意味は? A2:YOSHIKIにちなんだアドレスです。
Q3:着信音は? A3:着メロはTommy heavenly6の『Hey my friend』。 映画『下妻物語』のテーマ曲でした。あの映画は面白かったなぁ。実は2,3日前にレミオロメンの『粉雪』から変えたばかりです。『粉雪』の前はYUKIの『ドラマチック』でした。携帯には他にXやYOSHIKIの着メロがわんさかと、B'zの着うたが3曲入っています。でも、XやB'zはあんまり着メロに設定しないなぁ。たまに聴いて楽しむ感じ。 メールの着信音は元から入っている「ピピピ」音。
Q4:待ち受け画像は? A4:携帯に最初から入っていた若葉の写真。待ち受けにはカレンダーを大きく表示しているので、邪魔にならない画像がいいのです。
Q5:自分の携帯で入力して、一番最初に出てきた文字を書こう! (変なのが出てきても変えないでちゃんとかいてね!) A5: あ → 甘えて い → 今 う → 梅と え → 英語 お → ♪
か → 確認 き → 来て く → くて け → 結構 こ → コピー
さ → 参加 し → 新 す → するときに せ → 専用の そ → 空は
た → 助かります ち → 力 つ → 強い て → 程度の と → とかで
な → なんて に → には、 ぬ → 濡れなかった ね → ね の → 残り
は → はいくつか ひ → ひな祭りの ふ → 不安定で へ → 返品 ほ → 他に
ま → 回った み → みんな む → 難しい め → メモ も → 持って
や → や ゆ → 夕飯は よ → 横浜
ら → らしい り → 履歴書 る → る? れ → レポート ろ → 論の
わ → 私も を → を ん → んだよね。
あんまり面白みがないなぁ。もっと、ここに書けないような言葉が出てくればよかったのだけど。 というわけで、「携帯バトン」終わり。持って行きたい方はご自由にどうぞ。 岡田クンはかっこいいよ。請求明細と一緒に、岡田クンが表紙のお知らせが届くんだよ。いいでしょー。
衛澤さんから「みたらすぐやるバトン」を頂きました。頂いたと言うより「見ちゃった感」が強いのですが……。だって、見てしまったら否応なく受け取って答えないといけないらしいのですよ。答えないと衛澤さんに祝われるらしい。 ん? 祝ってくれるの? じゃあ、答えない方がいいのでは……と思ったことは内緒です。「しやわせ」も一緒に下さったので、それに免じて(偉そうだな!)答えます。 バトンを見たのは昨日だから「すぐ」ではないけど、いいよね?
Q1:今、どこに居る? A1:横浜市内の片田舎にある自宅の自室。6帖のフローリング。元は4畳半の和室だったのですが、3年前に押入れを取っ払うなどのリフォームをして、今の状態になったのです。
Q2:今、一番近くに誰が居る? A2:隣の部屋に母がいます。たぶん。いると思ってるのにいなかったら怖いなぁ。逆も怖いけど。
Q3:今、どんな服装? A3:ばりばりの部屋着だから見せられない。パソコン画面の向こうから女の子に「今、どんな服装?」って訊くのはえっちぃと思う(いや、考えすぎだし。趣旨違うし)。
Q4:今、何食べたい? A4:ハムカツ。
Q5:今、何飲みたい? A5:おいしいカクテル。色がきれいで甘過ぎなくてさっぱり系の。
Q6:今、真後ろには何がある? A6:ベッド。その上には布団と毛布とぬいぐるみとバッグと部屋の電気のリモコン。後ろの壁にはTOSHIとhideと稲葉さんのポスター。
Q7:今、まわりを見渡して、いちばん目についたものは? A7:ラッパ水仙。ガラスの器に飾ってある。
Q8:今、誰に会いたい? A8:ヒ・ミ・ツ(え?)。
Q9:その人に今伝えたいことは? A9:おかげで生きてこられました。
Q10:今一番歌いたい曲は? A10:レミオロメンの『粉雪』。キーが合わなくてうまく歌えないのですよ。気持ちよく歌い上げたいんだけどなぁ。
Q11:今頭の中でパッと思い浮かんだ言葉もしくは台詞は? A11:「えっとねぇ」。質問を読んだ瞬間に頭の中でそう言ってしまったんだもん。しょうがないじゃん。 Q12:今の体調は? A12:「非常に良い」より3歩くらい手前。
Q13:今どんな気持ち? A13:わりと前向き。でも眠い。そろそろ質問が終わってほしい。
終わり。 実は、このバトンの質問をコピーするために今衛澤さんのお宅を拝見したところ、新たなバトンが回って来ていました。でも、それはまた明日。 何か、Q5が面倒くさそうだなぁ……(←わりとメンドクサガリなので要注意)。
昨日は春一番だった。打って変わって今日は寒い。ここのところ、私が外出する日は決まって寒い気がする。太陽に嫌われているんだろうか。 電車に貼ってあったボーダフォンのLOVE定額の広告。岡田准一がカッコ良すぎる。私はボーダフォンユーザーで、岡田クンとはタメだ。だからどうしたと言われても困るけど。 タイミングが合って、急遽友達とお茶をした。産業カウンセラーの合格祝いと言って、友達がピーチティーを奢ってくれた。ありがとう、友達! イタリアントマトのピーチティーはかなりおいしい。ピーチフレーバーは甘過ぎるものも多いけれど、ここのは爽やかで程よい甘さなのだ。口当たりが良い。浮かんでいるレモンも効いているのかもしれない。「イタリアントマトのピーチティーはおいしい」ということを教えてくれたのも、そう言えば彼女だった。私はそんなことをすっかり忘れていて、今日また思い出した。
2006年03月05日(日) |
日本の美しさと醜悪と、国境を越える人 |
友人がこの前梅と桜を見に行ったと教えてくれた。桜と言えばソメイヨシノを思い浮かべてしまうので「もう咲いてる所があるの?」と驚いたのだが、桜にもいろいろな種類があるんだよな。 今日の朝刊に満開の桜(と菜の花)の写真が載っていた。「お?」と思ってキャプションを読むと、伊豆半島の河津町で咲いている河津桜とのこと。河津桜は本州で一番早く咲く桜だそう。花は濃いピンク色なので、写真の桜並木はむしろソメイヨシノよりも春の暖かさを連想させるものだった。
同じく今日の朝刊にトニー・ラズロさんのインタビュー記事が載っていて、わりと大きなカラーの顔写真がついていた。トニーさんと言えば、小栗左多里さんの漫画『ダーリンは外国人』でお馴染みのあの人だ。写真を見た瞬間に、「トニーじゃん! 漫画にそっくり!」と思ってしまった。 違うよ、私。漫画にそっくりなんじゃなくて、漫画「が」トニーさんそっくりなのだよ。
それからテレビの『スクープスペシャル』で、冤罪事件がどのようにして作られるかを観る。 いやぁ、すごいね。大昔の話じゃないんだよ。遠い異国の話でもないんだよ。現代のこの日本で起きている話だ。 他人の人生を左右しているということについての自覚が微塵もない人間が集まると、あんなことまでできてしまうのね。 この国では、逮捕されて起訴されてしまうと、それで人生終わりのような感が拭えませんな。
夕方、空が黄色くて、非現実的な感覚に陥る。黄砂だろうか。 空は不思議だ。季節や気候や時間帯によって、どんな色にもなる。
Mステには、5年ぶりのCocco。どこか不安定で危うく、でも確実に力強い声。彼女はいつもぎりぎりのところで歌っている印象を受ける。生きることの全エネルギーをただ一点に集中させて歌っているかのような。そんな危うさに惹かれて、目が離せなくなる。 そして、自分はぎりぎりのところで書くということを少し忘れすぎているな、と思う。
黄色い空は、そう長くは続かない。 現実の中の非現実的な瞬間をつかまえなければ見えないもの。そんなものがあるのかどうか分からないけれど、私はそれを見るために、ぎりぎりのところまで行きたいのだ。
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