月に舞う桜
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2006年02月28日(火) |
物欲上昇中、視力低下中 |
最高気温8度。2月末日ってこんなに寒かったっけ? 寒い。寒すぎる。頭に来るぐらい寒い……。
今日は用事が2つあった。1つ目の用事を終えて、某デパートにてお昼ご飯。食べたあと、お化粧直しをしたかったのでトイレに行った。 車椅子用トイレのある階でエレベーターを降りると、そこはバッグや靴やアクセサリーの階だった。用事が残っているときに、何てこったい。バッグも靴もすっかり春色で、フロア全体が明るい。トイレを探すふりをしながら、ふらふらとバッグコーナーに寄って行く私……。ここが紳士フロアなら、トイレに直行できたのに。
Pinky&Dianneのバッグが好きだ。バッグコーナーを通ると、一番に目が吸い寄せられてしまう。今日も一通り見て回った。くすぐられるものはあったけれど、持っているのとデザインが似ていたし、「今日はバッグを買いに来たわけじゃないのよ」と思ってぐっと我慢。まぁ、たぶん、それほど欲しいわけじゃなかったんだろう。 しかし油断するにはまだ早かった。バッグの傍を離れた直後、財布と定期入れに心を奪われる。財布はピンク地全体にベージュで「&」のロゴが入っていて、同じくベージュで縁取りがしてある。何とも春らしい。お買い物するにも、さらに心が弾むに違いない。が、どう考えても、いま使っている財布の方が断然使いやすいと思われる。 いま使っている黒い財布は、大学時代に買ったものだ。使えば使うほど、皮が柔らかくなって手に馴染んできてたので愛着を感じているし、値が張っただけあって使い勝手がよく、かなり気に入っている。小銭入れの部分が開けると箱型になり、よくある財布のように小銭が奥に入り込んだりしないので、とても取りやすいのだ。あの小銭の取り出しやすさを経験してしまうと、他の形はなかなか使う気になれない。 Pinky&Dianneのピンクを買って、その日の気分に合わせて使い分けることもできるのだが、たぶん相変わらず黒ばかり活躍して、ピンクはあまり出番がないという羽目になるだろう。かわいそうだし、もったいない。でも欲しい。困った。 一方定期入れはと言うと、色はベージュ、真ん中にロゴ入りの金具がアクセントでついている。 以前勤めていたときは、アニエスの定期入れを使っていた。当時付き合っていた人に就職祝いとして買ってもらったものだ。彼からもらったという思い入れを抜きにしても、もの自体とても気に入っていたので、別れたあといくつかのものが夢の島送りになったときも、そのアニエスの定期入れだけは使い続けていた。が、そのあとわりとすぐ会社を退職し、いろんなことで冷静さを欠いていた私は「こんなもの、いるか!」と、あっさりポイしてしまったのだ。いまになって惜しいことをしたと思う。あぁ、アニエスよ、捨てるんじゃなかった……。自分で買ったものなら、捨てはしなかったのに……。勢いって、若気の至りって、怖いですね。ものって思い出や人の感情と切り離せないから、ややこしい。 教訓。本当に気に入って長く使いたいと思えるものは、男の人に買ってもらってはいけない。自分で買いましょう。 ……そんな昔話はどうでもいいんである。 まぁ、そんなわけで、私は定期入れを持っていない。就職が決まったら、あのPinky&Dianneを買うとするか。それを励みに就職活動を頑張れるなら、アニエスを捨てたのは正解だったのかも?(ポジティブだな、おい) 定期入れを買えば、財布は諦めがつくかもしれないし。
というようなことを、バッグおよび小物コーナーをうろうろしながら考えていた。 そのあと、やっとトイレへ行ってお化粧直し。 で、2つ目の用事に向かうべくエレベーターを待っていたら、横の壁に視力検査表が貼ってあるのに気づく。なぜ、ここに視力検査表? エレベーターを待つお客さんを退屈させないため? 試しに片目をつぶってみる……前より悪くなっている気がする。がーん。 目はあまりよくない。でも、普通に生活する分には裸眼で差し支えない程度。映画を観るときはメガネ必須。これ以上悪くなると困るぎりぎりのところ。 パソコンを控えて、星空や遠くの緑をよく見て、眼球マッサージもしないとねぇ。
2006年02月27日(月) |
試作品だけどお気に入り |
落款の第一号が完成しました。 ちょっと写真が暗くなってしまいましたが……↓
材質は消しゴムです。母に彫ってもらいました。 これからデザインを改良したり周りも削って丸っこくしたり試行錯誤しながらいくつか作って、ゆくゆくは木や石で作れたらなぁ、と。 二号は自分で彫ろうと思います。消しゴムなら私にもできるだろう。 さて、どこに押すかね。
ずいぶん前、衛澤さんが「漢字バトン」を回してくれていたのです。 ちゃんと受取りました。 こんな答え↓
1.バトンを回してくれた人に対して持つイメージの漢字は? 「書」 物書きという意味ではなく(それもあるけど)、「手書き」の「書」のイメージ。 正座して原稿用紙にどんどん手書きしてらっしゃる様子が目に浮かぶのです。ありありと。
2.前の人が「質問6」で答えた漢字に対して自分が持つイメージは? 「豆」 →小さいけど侮れない。「豆知識」とか「豆単」とか。 「噺」 →一筋縄じゃいかない。適当にできる「話」とは大違い。 「性」 →逃れたいけど逃れられないもの。
3.大切にしたい漢字を3つ 「潔」 →「せいけつ」より「いさぎよい」のほう。潔い生き方をしたいです。 「止」 →人生で最も大切なことは「立ち止まること」かと。扇情的になりやすくスピードが求められ持てはやされる時代だからこそ、「走り続けること」よりも遥かに。 「聴」 →他者を自分の枠組みに押し込めず、本当に相手の気持ちにそって積極的に耳を傾けるということ。「見る・観る」は能動的。「聴く」は積極性でありながら受動的な行為。つまりはひたすら受け止めるということ。謙虚さ。ものごとを澄みきった形で知ることはそこから始まるのではないかと。
4.漢字のことをどう思う? 見た目だけで意味を推察できるところがすごい。 私がパソコンに頼りすぎだからと言って、私の頭からどんどん零れ落ちていくのはやめてほしい。
5.最後にあなたの好きな四字熟語を3つ教えてください 「一期一会」 →何事も。 「諸行無常」 →この言葉を見聞きしたり思い出したりするたび、「だから人生を重苦しく考えなくてもいいんだ」という気持ちになって気が楽になる。永遠なんていうものがあったら、恐ろしくて生きていけない。 「才色兼備」 →言われたい……。
6.次の人に回す漢字を3つ 「紅」 「害」 「語」
7.バトンを回す人5人とその人をイメージする漢字を。 ご自由にお持ち帰り下さい。ここを見て下さっていることは共通かと思いますので、「謝」かな。謝謝。
終わり。 ところで、昨日は絵手紙講座の第一回添削課題を描きました。お題はバナナ。上達したいなぁ。「絵が下手でもできそうだから」と思って始めたのだが、だんだん欲が出てきた。
演技を終えてインタビューを受ける荒川静香選手を見て、「この人の演技用メイク、もっともっと濃くしたら昔のTOSHIメイクになるな」などと考えてしまいました。テレビのこちら側で何を考えようが視聴者の自由なのですが、自分が何だかとても間違っている気がして苦笑しました。何も、あのすばらしい実力を見た直後に思いつかなくてもいいことでしょ。ファン心理って時と場合を選ばないのね……。
履歴書を書いていると。
・自分が平成何年に中学を卒業したのか、何年に大学に入ったのか、しばらく悩む。 →西暦だとパッと分かるんだけどね、元号だとややこしいよね。子どもみたいに指を折って数えないと分からない有様。
・出身大学の漢字が分からなくなる。 →いや、分からなくはないんだけど、ちょっと立ち止まって考えてしまう。
知れば知るほど書けなくなることって、あるよね。 ないかな。私は、結構あります。 でも、その結果書くことを断念するとしても、開き直って書き続けるとしても、「ためらう」という過程は無駄にはならないと思うのです。
「メダルがメダルが」と言うよりも、「この種目で初めて入賞!」とか、「15位を目指していたけど12位に入れた!」とか、そういうのが何だかすごくいいよなぁと思う毎日です。オリンピックらしさって実はそこにあるんじゃないかと。だって、他の大会だと地道に成長を遂げていてもメダル以外は(あるいは優勝以外は)ニュースにならないから、私たちは全然知らないままだし健闘を称えることもできないじゃん。
JUDY AND MARYのベストアルバム(complete盤)を聴きながら、「ほぼ日刊イトイ新聞」の「言いまつがい」を読んで「ぐふっ♪」と一人吹き出す日々であります。完全に怪しいです……。
ご無沙汰です(汗)。 実は今、二度目の就職活動中です。 桜井の経歴はと言うと、大学卒業から半年経ってやっと就職が決まり、事務の仕事を一年ほどしておりました。体調を崩したり何だりでそこの会社を辞めてから、現在約一年半が経過しています。 退職したのは、ちょうど『Silence revolution』で「選びし者へ」を連載している頃ですね。あの頃は精神的に荒んでいたので、連載を持っていたことがかなり支えになりました。「まだ私にはやるべきことがある。私は必要とされているんだ」という感じで。連載中は、何でこんな苦しいこと(小説を書くこと)をやっているんだろう? と毎月思っていましたが、いま振り返ると非常に助けられていたな、と。支えて下さった5人のメンバーの皆様、本当にありがとうございました。この場を借りて、改めてお礼申し上げますm(_ _)m 話がそれました……。 まぁ、そんなわけで、ブランクが長くなってきたし、そろそろ仕事を探さなくては! と思っているのであります。 で、就職活動中につき、物理的にと言うよりは精神的に慌しい感じなので、日記が滞りがちです。申し訳ない!
さて。 去年、資格試験を受ける、やれ筆記だ、やれ面接だ、と騒いでおりました。励ましのお言葉もたくさん頂いておきながらご報告が遅くなってしまいましたが、おかげ様で無事に合格することができました。一週間ほど前に合格通知が、昨日合格証書が届きました。 私が今回取得したのは、「産業カウンセラー」という資格です。大雑把に言えば、「働く人たちのカウンセリングをする人」です。大きな企業だと健康相談室やカウンセリングルームがあったりしますが、そういうところに産業カウンセラーの資格を持っているカウンセラーさんがいたりします。臨床心理士の資格を持っている方も多くいらっしゃいますが。一般に思い浮かべるようなカウンセリングのほかにも、企業へのメンタルヘルスの普及・教育や、「キャリアアップを考えたいが、自分一人ではどうしたら良いか分からない」という方の援助なども行います。 まぁ、こんな感じの資格を取ったわけですが、資格を取ったからと言って、それですぐにカウンセラーになれるわけでもないし、食べていけるわけでもないんですね。産業カウンセラーという資格自体、臨床心理士などに比べるとまだまだ認知度が低いという現実もありますし。 で、できればカウンセラー業務に就きたいなぁと思いますが、それに絞って就職活動をしたのではなかなか仕事が見つかりませんので、普通に事務職も探しながらやっています。と言うか、ぶっちゃけ事務職探しがメインですね。カウンセラーは講習などに参加して研鑽に努めつつ、長い目でやっていこうと考えてます。カウンセラーという仕事でなくても、「人の話を聴く」という能力はいろんな場所で活かすことが出来ると思いますし。
桜井の近況はこんなところです。 でも、物書きであることも忘れたくないのです。
2006年02月10日(金) |
春の予感が少しずつ間近に |
少しずつですが陽気が春めいてきましたね。だんだん日も長くなってきましたし。夕方、ふと外を見て、それから時計を見て、「え、もう5時? こんなに明るいのに?」とびっくりしているここ数日であります。
いま、部屋にフリージアを飾っています。近づくと、ふわぁっと強い香りがします。嫌いな香りではないのですが、ちょっとむせそう……。香りを抽出して香水を作りたいなぁなんて思いました。 花の香りが漂うと、春が近い感じがしてちょっとウキウキしてきます。春は一番好きな季節なのですよ。 そう言えば、桜が咲く頃には何か特別企画でもやった方がいいんでしょうか。名前とサイト名にちなんで、3月か4月(桜の季節)と9月(月の季節)に企画を設けるのも風流で良いかなぁなんて考えておりますが。
6時間くらい前からずっと、ある言葉を思い出したいのに思い出せないでいる。喉元まで出かかっているのだけど、そこで止まったまま一向に出てこない。気になって気になって仕方ない。すっきりしないなぁ。
ある俳優さんがテレビでドリアンの話をしていた。 昔、もう9年も前のこと、友達がある日ドリアンを教室に持ってきた。「何でそんなもの持ってるの!?」と騒ぎ立てながら、私たちは物珍しさに喜んで、みんなでドリアンを取り囲んだ。それは巷で噂に聞くほどのものすごい臭いではなかったけれど、近づくとやっぱり臭かった。私たちが散々ドリアンを眺めたあと、置き場所に困った友達は、それを黒板の上に置いた。授業中、黒板の上に乗った物体がずっと視界の隅に入って可笑しかった。 そんな日のことを、俳優さんの話を聞いて思い出した。 彼女がドリアンをどこで手に入れたのか、どうして学校に持ってきたのかは分からない。あのとき話してくれたような気もするけれど、忘れてしまった。 晴れて青く澄んだ空の日には、亡くなった人をよく思い出す。彼女は二十歳のとき、雪山で亡くなった。だから、もう尋ねることもできない。 「彼女がもういない」ということを思い知らされるのは、日常のこういう些細な瞬間だ。あのドリアンが何だったのかは永遠に分からないのだなと思うと、愕然とした。 彼女が亡くなったときの衝撃は大きく、突然のことだったので混乱し呆然ともしたけれど、私たちは一気に彼女を失ったわけではなかった。5年経った今、改めてそう思う。「取り返しのつかなさ」を噛み締めるのは、むしろ亡くなったあとに積み重ねる日々の中でだ。「もういないんだ」ということを思い出しては、そのつど愕然とする。そうやって、彼女の不在はゆっくりと時間をかけて私たちの中に浸透していき、繰り返し繰り返し、少しずつ彼女を失っていく。 取り返しがつかないというのは、何てかなしいことなんだろう。彼女が生きていれば、あの日のことを思い出したとしても、ドリアンの出どころなんて大して気にならなかっただろう。でも、もう聞けなくなってしまったから、私は余計に知りたくてたまらないのだ。「あのとき、何でドリアンなんか持ってきたの?」とどうしても聞きたいのに、何でいないんだ! と思う。
あ。 書いていてちょっと思い出したけど、「珍しいものを手に入れたから、部活の先輩に見せるんだ」とか言ってたんだっけな。 でも、定かじゃない。ドリアンは買ったのかもらったのか、それも分からない。分かるのは、50年後くらいかしら。ねぇ?
IMAGEの2006春夏カタログが届きました。 IMAGEのカタログは大学時代から取っている(取っていると言うか、一度頼むと毎号送られて来る)ので、もう5,6年になるでしょうか。 毎月何かしら買っていて、洋服をほとんどIMAGEで揃えていた頃もありましたね〜。「気がついたら上から下までIMAGE」というコーディネートの日もあったような……。 だんだん私の好みが離れていっているのか、最近はあまり買わなくなりましたけれども、カタログをペラペラめくるのは相変わらず楽しいです。 見ているだけで楽しめるのが、通販のいいところですよね。でも、見ているうちに欲しいものがどんどん増えてしまうのが困りもの……。 欲しいものや取り入れたいスタイルのイメージをIMAGEのカタログで膨らませて、それから横浜のマルイなどに探しに行くことも多いです。そうやって自分の中にイメージを作って行くと、お店を歩き回る時間が短縮できたりもするんですよね。 カタログを見ていて、今日は新たな発見が! 私は足が小さいので、普通のショップだと合うサイズがなかなかなく、靴選びにはいつも苦労するのです。でも、IMAGEには22cmや22.5cmもあるんですね! 嬉しいじゃあないですか! 靴の種類は決して多くないのですが。 今回のカタログでちょっと気に入った靴を一足見つけました。1980円とお手頃なので、試してみようかと思っています。安くない?
いま欲しいものリスト↓ ・梨花写真集『SWEET SEASON RINKA』 ・ちょっとフェミニンでスカートにもパンツにも合う黒い靴 ・春物のレザージャケット(フェイクレザーでも可) ・A4サイズのバッグ
落款が欲しい欲しいと言っていたら、知人(同級生のお母さん)がデザインしてくれることになった。この方は長年書道をやってらして、絵心もあって、芸術的というかセンスのある方なのだ。 「暇のあるときに、いつでも構いませんので」という感じでお願いしていたところ、何日も経たないうちに大まかなデザインをいくつか(いくつも)描いて持って来てくださった。それが先日のこと。 デザインはどれもこれも一工夫されていて、みんな素敵で捨てがたく、さすが! と唸るものばかり。ずうずうしいことに、本名に加えて「弓月」バージョンも頼んでしまったのだけど、「月」が象形文字になっていたり三日月の枠に平仮名の「ゆ」が入っていたりする。 特に気に入ったデザインをピックアップしたので、今日はサイズの相談と正式な下絵のお願い。そのとき、ご自分で彫ったという落款を見せてもらった。「こうやって角を削ると面白い形になるよ」なんて教えてもらいながら。すごいのは、消しゴムや木じゃなく、石なのだ! しかも、下絵を描かずにいきなり石を彫ったらしい。私がそんなことをしたら、鏡文字にするのを忘れて彫ってしまうに違いない……。 いろいろ面倒なことをお願いしているのはこちらなのに、鎌倉の、手作り小物を売っているお店で買ったというお土産――素敵なしおり――まで頂いてしまった。
木でできているのだけれど、とても薄いので、ちゃんとしなる。そのお土産物屋さんには洒落たちょっとしたものがたくさん置かれていて、それらは全てお店のご主人の手作りなんだそうだ。 彼女は「素敵なものがたくさんあるのよ」と言ってそこの手作り小物を褒めていたけれど、私は、さりげないプレゼントをとても上手に選ぶ彼女を素敵だと思った。素敵なものは、やはりそれにふさわしい人に選ばれるものなのだ。 彼女は興味範囲の広い人で、いろいろなことを知っていたし、いろいろなところに出かけているようだった。母によれば、彼女は歩くのが好きで、少し遠くても電車を使わずに自分の足で行くことを厭わないそうだ。いつも、大きなバッグを背負って、颯爽と。 「江國香織が好きだ」という話をしていたら、「何がお薦め?」と訊かれたので、私がエクニストになるきっかけだった『冷静と情熱のあいだ』を貸した。江國さんの文章や世界を彼女も好きになってくれたら嬉しいなぁ。
2006年02月01日(水) |
浦沢直樹病と脆弱な都市と |
一日中、雨だった。 ぽつぽつでもザーザーでもなく、しとしと降り続く雨。部屋の中も窓の外も梅雨のような色合いで、ちょっと物悲しい。
昼間、テレビで『旅情』をやっていた。タイトルを見た瞬間に、「『MONSTER』でニナが銃を習おうと思った元殺し屋が見て泣いてた映画じゃん!」と思った。 映画をしばらく見るともなしに見ていると、「『失われた時を求めて』みたいね」というセリフが耳に入った。そこで私は「プルートゥだっけ? 違うなぁ、それは浦沢直樹だし……」と思って、プルーストという名前がなかなか出てこなかった。 完全に浦沢直樹に毒されている。苦笑しつつも、嬉しい。
夜は、関東地方で地震があった。私が住んでいるところは震度3だったようだけど、横浜市内でも他の区では震度4だったらしい。 ガラスがはめ込まれたリビングの戸はガタガタと音を立てて怖さを増すし、物が落ちないかという心配もある。でも、「自分の家が崩れるのではないか」という不安は少しも頭をかすめない、私にとってはその程度の揺れだった。 揺れが完全に収まって気持ちも落ち着いたとき、あの人たちには一番大切な想像力というものが完全に欠如しているんだな、と改めて実感した。この国に住んでいれば、自分たちだって地震の怖さを感じたことがないはずはない。そのとき、「自分の住んでいるこのマンションが崩れるかもしれない」という恐怖まで味わわなければならないとしたら……などということは、これっぽちも考えなかったのだろうか。考えなかったんだろうね。 東京や横浜では、安全点検のために運行をストップした鉄道がいくつもあった。地震があったのは確か夜の8時半頃だ。ある路線が運転を再開したのは、結局12時近くのことだったらしい。 私は都会が好きだ。でも、都会はあまりにも脆弱だと思う。そこに住む私たちも。便利で高性能でスタイリッシュなところがすきなのだけど、そういうふうになればなるほど脆くなっていく。精密機械みたいだ。都会に住んでいると、自然の変動に対処したり抵抗したり逆らわずに身を任せたりする人間としての野性的な強さが、失われていくのだろう。だからと言って田舎に住む気はないので、都会が追い求めるべき逞しさを身につけるしかない。
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