月に舞う桜
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広い歩道でも、わざわざイチョウの葉が積もっているところを通ってみる25歳、乙女チックなことをする年頃でもなかろうに、こんなんでいいのだろうか……? いや、いいんだ、自分が楽しければ!
某新聞社さんが『選びし者へ』を記事で取り上げて下さることになり、今日はその電話取材を受けました。 緊張しました! どうでもいいことはよく喋りますが、取材というきちんとした場面で「簡潔に要領よく話す」という行為(しかも電話で!)はどうも苦手です。 「うまく話さなくちゃ」という気持ちが先に立ってしまって、却ってまとまらなくなってしまうのですね。 自分が伝えたいことをどこまで伝えられたかは分かりませんが、記者さんが私の言ったことをうまく伝え返して下さるので、「あ、私ってこう考えていたんだな」と自分の頭の中を見直して整理することができました。 やはり、記者さんというのは聴き出すプロなのだなぁと思いました。 取材を受けている間中、「やっぱり、新聞社さんには新聞社さんの書きたい方向性というのがあるのだよなぁ」とは感じましたけれども。 たとえ自分の考えでも、新聞記事になった瞬間にそれは飽くまで「記者さんのフィルターを通した記者さんの言葉」となるわけです。 ですから、記事を通して自分の思いがどれくらい正確に伝わるのか少々心配ではありますが。 とは言え、新聞という影響力のあるメディアで『選びし者へ』を取り上げて頂けることは、本当に光栄なことであります。 同時に、物書きとして責任というものも改めて実感しております。新聞に載る以上、もう後戻りはできないぞ! という感じです。 記事の掲載日などが決まりましたら、またサイト内でもお知らせいたしますね。
2005年11月28日(月) |
別の場所で、自分の場所を想う |
昨日受けた筆記試験の続きで、12月中旬に面接試験がある。 会場が行ったことのない場所の上にちょっと遠いので、今日は下見に行ってきた。 試験会場になるのは、某大学のキャンパス。 来年の3月で、私が大学を卒業して丸3年になる。母校でなくても、大学という響きは懐かしい。 大学と言えばイチョウ並木なのだろうか。今日行ったキャンパスにも、イチョウの木がずずんと並んでいた。 眩しい黄色に色づいたイチョウを眺めながら、「でも、うちの大学の方が迫力あるな」と思った。 私が1年間だけ通っていたキャンパスには、それはそれは壮大で美しいイチョウ並木があって、「横浜のナントカ100選」にも選ばれていると聞いたことがある。 (でも、ネットで検索しても出てこないなぁ……記憶違いかしら)
私の母校は、どっしりした建物があって、学生数がやたら多くて、キャンパス内はいつもワヤワヤしていた印象がある。 それに比べて、今日行った大学はわりとのどかで、あまりアカデミックではない感じがした。それに、どちらかと言えば閑散としている。 いや、たぶん私の頭の中で母校びいきが働いて、そういう印象の違いを生むのだろうけれど。 本当に大学が懐かしくなって、久しぶりに母校に行ってみたいと思った。
2005年11月27日(日) |
心の余裕が、目に映る世界を変える |
筆記試験当日。 試験前、お昼ご飯を食べながら携帯でYOSHIKI mobile(YOSHIKIの公式サイト)をチェックした。 気合を入れたかったのか緊張をほぐしたかったのかはよく分からない。 ただ、無性にYOSHIKIのメッセージを読みたかった。「今どうしても読まなくちゃ!」とまで思ったのだ。 ほんの束の間、試験のことは忘れて、極限の状態でものを生み出すってどういうことなのだろうかと考えた。 極限の果てには、きっと特別な景色が広がっているのだろう。 YOSHIKIなら、そこに辿り着くことができるのだろうな。 私はまだ、そこまで到達していない。ミニチュア版なら見たことはあるけど。 私もいつか、そこに辿り着けるだろうか。私も、極限の果ての景色を見てみたい。 そんなことを思って何となく遠くを眺めたあと、「私も一発戦ってくるか!」と気合を入れて、携帯を閉じた。
日曜日のみなとみらいは、カップルや家族連れでかなり賑わっていた。 こんなにいい天気で、みんな楽しそうなのに、なんで私はこれから試験なんだ! と心の中でわけの分からない悪態をつきながら会場へ向う。 しかし心というのは不思議なもので、試験が終わって精神的に解放されると、そんな荒んだ気持ちはどこへやら。 試験会場から最寄り駅までの帰り道では、周りのふんわりとした幸福な空気を素直に認められる自分がいた。 多くのカップルや家族連れとすれ違いながら、「休日を大切な人と過ごせることや、そういう人と先を急ぐことのない足取りで歩けることは、何と幸せなことだろうか」と思った。 そういう日常的な幸せをきちんと自分のものにできる人は、本当にいい顔をしている。 ランドマークプラザでは、ケイタクがライブの準備をしていて、まだリハーサルだと言うのに人がたくさん集まっていた。 気にも留めずに通り過ぎる人や、ちょっと足を止める人、ギターの音に耳を傾けながら本番を待つ人、皆それぞれ勝手に自分の時間を過ごしているのだけど、「あぁ、ここは何だかそういう自由な場所なんだなぁ」と思えるような一つのまとまった空気があった。 きっと、そこにいる人たちが少しずつ幸せな雰囲気を発しているからだろう。だから、何となく温かいんだ。 みなとみらいは、すっかりクリスマス仕様になっていた。たぶんそれも、ほんわかな空気の原因の一つ。
行きと帰りでは周囲に対する気持ちが全く違うことに、自分でも驚いた。 自分の心持ちしだいで、世界はこんなにも色を変える。
俵万智さんが久しぶりに歌集を出されたそうだ。 今回はお子さんとの日々を詠んだ歌が多いようで、テレビで紹介されたいくつかの歌からはお子さんへの温かい眼差しがふんわりと伝わってきて、まるでこちらまで子供の柔らかな肌に触れているような気持ちになる。 昔、NHKで『チョコレート革命』を題材にしたドラマがあった。 ストーリーはあまり覚えていないけれど、ドラマの中に出てきた歌がどれこれも素敵で切なくて、感情移入せずにはいられなかった記憶がある。 あぁ、こんなふうに自分の思いをきちんと込められる人っていいなぁ、しかも短い言葉にできるって潔くてかっこいいなぁ、と思ったものだ。 短歌は情熱的なものが多いけれど、短い分、情熱で身を滅ぼしたあとの言い訳がないところがいい。
俵万智さんの新歌集『プーさんの鼻』
2005年11月25日(金) |
Student's High! |
勉強で活性化されすぎた脳を静めるには、エンヤやオルゴールの曲が良い。 モチベーションを保つには、B'zが良い。 今日はB'zをリピートしていた。 アドレナリンが出すぎて、しまいには『ZERO』のサビのあとで稲葉さんと一緒に「ウッ!」と叫んでいた。 そんな私を万が一目撃しても、どうかそっとしておいて下さい……。
BGMを取っ替え引っ替えしながら、神がかり的な集中力で勉強する。 すごい! 原稿を書いてるときだって、こんなに集中するのは珍しいほどだ。 と言うことは、相当切羽詰っているんだな、私。 この半分でもいいから日頃から集中力があれば、こんなに慌てずに済むのになぁ。
今日のラインナップ↓ ・浜崎あゆみのアルバム『LOVEppears』 ・JUDY AND MARYのアルバム『ミラクルダイビング』 ・Mr.childrenのオルゴールCD ・松本孝弘コレクションのオルゴールCD(B'zの楽曲)
2005年11月22日(火) |
苦手なものと困るものシリーズ |
私にとって鳥類は天敵だ。 特に、ハト。絶対近寄りたくない。 近道なので大きな公園を突っ切って目的地に向かっていた。 その公園では子供たちがボールを蹴って遊んでいた。 公園と言えば、ハト。ハトと言えば、公園。 私は、ポッポポッポと気ままに歩くハトと距離を保って歩いていた。 それなのに! さっきまでボールを蹴っていたお子様たちが、ハトを追い回して喜んでいるではないか! ぎゃー、やめてー! 逃げ惑うハトが私のほうに寄って来るのよ〜!! なぜ子供はハトを見ると追い回すのか、なぜハトをそっとしておいてやれないのか……。
冬のいや〜な風物詩と言えば静電気。 そろそろそんな時期だなぁ、嫌だなぁ、と思っていたら、さっそく来ましたよ! エレベーターのボタンを恐る恐る押したら、無情にも「バチッ!」と。 私はどうも帯電する女のようで、静電気に痛めつけられる率が人より高いと思う。 これから冬は長いよ。嫌だなぁ、怖い怖い。
私は撫で肩である。 明らかに遺伝と思われるので、母を恨むしかない(それはどうか)。 最近は、冬でも首周りや肩が大きく開いた服がたくさんある。そして、それらの洋服はたいていかわいい。 しかし、かわいいからと言って私がそういう服を着ると、とんでもなくヤバイ恰好になってしまう。 おしゃれでわざと肩を出しているんじゃなく、「出てしまう」のだ。 だから、買えない。 今日も、淡い紫でものすごくかわいい、ふわふわの半袖ニットを見つけたけれど、どう考えても着こなせない形なので、買えなかった。
くそー、子供とハトと静電気と流行りの洋服め! 覚えてろよ!
2005年11月21日(月) |
わりとテンパっているのさ |
トップページでもお知らせしております通り、週末に資格の筆記試験があり、こんな間近になって足掻いているので日記更新まで手が回りませんm(_ _)m
今後、日記の更新が滞るような場合には、トップページで近況をお知らせいたします。
あ、掲示板にカキコして下されば、喜んでレスはしますので〜。
では、ごきげんよう。
2005年11月19日(土) |
それしか言えないけれど |
NHKの連続テレビ小説『ちゅらさん』や映画『いま、会いにゆきます』の脚本を手がけた岡田恵和さんが、新聞でコラムを書いていた。 「死のうとしている人たちへのメッセージ」なんて言葉は、きっと適切ではない。 そんな生易しいものではなくて、奇麗事を剥ぎ取った、懺悔に似た切実な叫びのような感じがした。 本当に真剣に何かに向き合おうとしている人の言葉は、少しの摩擦も起こさず、怖いくらいすんなりと心の奥まで流れ込んでくる。 ごく稀に、自分以外の誰かの言葉が自分の思いを完全に、過不足なく表現していることがある。 そういう言葉に出会ったとき、私は何もかも投げ捨ててその人に会いに行きたくなる。 記事を目で追いながら、「この人に会いたい!」と思った。 彼が手がけたドラマや映画のことは分からない。でも、少なくともあのコラムに書かれた岡田さんの言葉は、私が日ごろから思っていることと寸分違わぬものだった。 いや、違うな。 自分の中ではちゃんと言葉になっていなかったんだけど、「私の気持ちはこれだ!」って完璧な形で示された感じ、もしくは目覚めさせられた感じだ。
「何もいいことがなくても、生きていてほしい」と、岡田さんは書いていた。 「生きなくてはだめだという道徳が何の意味もないことは分かっている。生きていれば必ずいいことがあるとか、生きたくても生きられない人だっているんだからとか、そんな言葉に何の説得力ないことも分かっている。それでも、生きていてほしい。それしか言えないけれど、生きていてほしい」と。 (カギカッコの中はコラムの原文ではありません。桜井が覚えている範囲で再現しています。でも、ニュアンスに間違いはないと思います) 上に「懺悔にも似た」と書いたのは、岡田さんが「希望を感じられない社会にしたのは自分にも責任があるから、自殺する人を責められない」と言っているからだ。 どこかで加害者的な意識を持っている人の言葉は、とても真摯に聞こえることが多いんだな、とよく思う。 集団自殺が話題になったとき、ワイドショーのあるコメンテーターが「生きたくても生きられない人がいるのに、自分から死ぬなんて許せない」と言っていた。 そうじゃないんだよ! それとこれとは全く別問題なのに、そんなこと影響力の大きいテレビで言ってどうするんだよ! 本当は生きたくて、生きようと努力もしたけど、それでも生きられないから死ぬんじゃないか! そう憤った日から、私は自分自身の言葉やそれを的確に表現してくれる人をずっと探していたのかもしれない。
岡田さんのコラムのように、誰かに真に伝わる言葉を紡ぎたい。 全ての人に伝わる言葉なんてありえないのかもしれない。 だとしたら、せめてたった一人でもいいから、その人に伝わるようなものを書けたらと思う。
「死ぬな」とか「生きてほしい」と言うことは、何というエゴだろうか。 まだ苦しみ続けろと言っているのと同じことだから。 絶望感も幻滅感も悲しみも苦しみも、他人である私には背負えないし解決もできない。 だから、他人のそういう感情を前にしたとき、私は「生きなくちゃだめだ」なんて何の足しにもならないことは言えないし、保証もできないくせに「生きていればいいことがあるから」なんて無責任なことも言えない。
でも、ごめんなさい。やっぱり私も生きていてほしいんです。 勝手なことを言っているのは分かっているけれど、それでも生きていてほしいんです。 悔しいんです。何もできない自分も、生きていけないと貴方に思わせるような世の中のために、貴方の方があらゆる可能性を捨てなければならないことも。 生きていて良かったと貴方が思える日が来るかどうかは、私には分かりません。 でも、生きていてほしいです。私には、それしか言えません。
今、日本の年間自殺者数は3万2千人を超えています。 自殺成功率は決して高くないのに、です。
昨日、某バラエティー番組に家田荘子さんが出ていた。 一緒に出ていた芸能人と比べた相対的な年収の低さに、正直驚いた。 あれだけ著名な人なのに…。あれだけ映画がヒットしているのに…。 映画の原作料がロイヤリティー制ではなく定額制だというのは有名な話だけれど、実際に本人の口から聞くと改めてショックだった。 ノンフィクション作家だと取材費は出ないし、時には東京−大阪間の新幹線代のせいで足が出ることもあるらしい。 そんなのは売れない作家だけだと思ってたなぁ。
家田さんの「もっと文化に投資して下さい!」という言葉に、テレビの前で「そうだそうだ!」と頷いた。 バラエティーだから冗談めいた口調で言っていたけれど、かなり切実な本心なんだろうな。 日本は文化レベル自体は決して低くないのに、文化に対する意識が低い。 軽んじているとまでは言わないけれど、あまり重視していないように思う。 確かに、小説や映画を含むどんな文化も芸術も、なくたって生きていくには差し支えない。あった方がいいけれど、ないからと言って生きていくのに困るというわけではない。 でも、「必要最低限のもの」以外の部分を大切にする社会はとても豊かだし、余裕があって素敵だ。 何かを生み出すということに、もう少し目を向けてもいいんではないだろうか。 「ものを創る」って、工業製品だけではないのだよ。
「本ちょうだいってよく言われるけど、私だって8掛けで買ってるんですよ」と家田さん。 別にファンでもないのに、「あなたが8掛けで買った本を定価で買ってあげたい!」と思った。
2005年11月17日(木) |
装丁でかなりハッタリが効くと思った |
編集さんから『選びし者へ』のCDを送って頂いた。 ソフト自体の確認は何度も行っていたけれど、CD版の現物を見るのは初めてだ。 パッケージとCDラベルのデザインがあまりにも私好みで、思わず感嘆のため息が漏れる。 パッケージには花の写真があしらわれていて、素材自体はFutta NETさんという写真サイトでお借りしているものなのだけれど、その写真を編集さんが程よい具合に加工して下さっている。 デザインそのものはとてもシンプルだけれど、写真のカットの仕方だとか配置の仕方だとか花の淡い色合いだとかが、私のツボに本当に絶妙な感じで、はまったのだ。 自分の書いた小説が初めて単独で商品化されて、それが目の前にある。それだけでもかなり感激なのに、その上こんな素敵なパッケージデザインを作って頂いて、私にはもったいないくらいだ。 もったいないので、「このCDの中身が江國香織の小説ならいいのに」と思った。 ほんわりとしたこのパッケージには、私の大好きな江國さんの美しく流れる文章がぴったりに違いない。 自分が書いた小説なんて、それこそ一字一句覚えているくらいに見飽きているので、私の場合、商品化される頃には既に小説の内容への興味がなくなってしまっている。それどころか、自分が書いたものは、できればあまり読み返したくない。 だから素敵なパッケージににんまりしても、「中身はよく知っているあれだしな」と思うと、わくわくした気持ちも半減なのだ。 そこを、CDを起動させたとき思いもかけず江國さんの小説が出てきたら、何て素敵なんだろう。 逆に言えば、そんなふうに思わせてくれるデザインのCDに私の小説を入れてもらっているのは、とても光栄なことなのだ。
編集さんとは、かれこれ2年以上の付き合いになる。 私の好きな雰囲気や目指しているイメージをよく分かってらっしゃって、とても驚かされる。 物を書くというのはものすごく孤独な作業で、その孤独が苦しみでもあり魅力の一つでもある。 けれども、それを人前に出すまでの過程は決して孤独なんかではないから、そこで苦しみが和らぐのだろう。
届いたCDは、物書き仲間である衛澤蒼さんの作品集『道草』の隣に置かせてもらった。 すごい。何だか私まで一丁前に見える!
2005年11月15日(火) |
こんなに重なるのも珍しい |
寒い。 季節を一ヶ月先取りしたような寒さだ。 と言うわけで、フリースを引っ張り出してみる。
今日は面白いくらい電車運のない一日だった。 まずはA駅で、私を乗せるために駅員さんが操作していると、エスカレーターが故障した。 ここの駅はよくエスカレーターが故障する気がする。故障にぶち当たったのはこれが初めてだけど、しょっちゅう点検しているもの。 駅員さんが何回か復旧を試みたけれど、何をどうしてもエスカレーターは動かず、階段を使って4人がかりで車椅子を持ち上げてもらった。 そうしてやっと電車に乗れたと思ったら、なかなか発車しない。 車内アナウンスによれば、他の駅で線路に人が侵入したので救出しているとのこと。 電車が発車したのは10分後くらいだと思う。車掌さんは「お忙しいところ電車が遅れまして申し訳ございません」と何度も謝っていた。 その人がわざと線路に入ったのなら、電車の遅れは鉄道会社のせいではないから仕方ないよねぇ、と同情的に聞きつつ、気長に揺られる。 そして、無事B駅に到着。 が、しかし。 エレベーターが点検中だっためエスカレーターを使うことになったのだが、エレベーターが設置されていることの思わぬ落とし穴なのか、駅員さんがエスカレーターの操作方法をいまいち分かっていない…。 駅員さん2人で試行錯誤するも、結局操作できず、エレベーターの点検に来ていた業者さんに教えてもらって解決した。 寒いホームで待たされ、正直ちょっとイラっと来る私。
ここで不思議なことが一つ。 線路に人が入ってしまったという、ある意味不可抗力な事態での電車の遅れでは何度も謝るのに、エスカレーターの操作方法を知らないという職務怠慢とも言える事態では、なぜ「遅くなってすみません」の一言もないのか? いや、別に謝ってほしいわけじゃないんだ。幸い、こっちもそれほど急いではなかったし。 でも、この二つの対応の間には、何か大きな隔たりがあるよね。態度が一貫してないよね? 客を安全かつ円滑に輸送するのが鉄道会社のサービスなら、車椅子対応のエスカレーターを車椅子利用者がスムーズに使えるようにすることも、当然サービスの一つだよね? 設備上の問題とか点検中で使えないとかラッシュ時で対応が遅くなるとか、そういうことならいざ知らず、駅員がエスカレーターの操作方法をよく知らないから客を待たせるというのは、線路に人が入って電車が遅れること以上に鉄道会社の責任だと思うけどなぁ。 そもそも、分からない者同士で試行錯誤して客を待たせるなら、エレベーターの業者さんが近くにいること分かってるんだから、普通は彼をすぐに呼びに行くよなぁ、と素朴な疑問を抱くのであった。
今に始まったことではないけれど、こういうところにものすごく矛盾を感じるのですよ。 一方では電車の遅れに過剰なほど敏感なのに、もう一方では客を待たせることに対する意識が非常に低い。
え、まさか、車椅子の客は待って当たり前とか思ってないですよね? まさか、忙しいところ本当は迷惑なのにやってあげてるんだから文句言うな、とか思ってないですよね? 思ってるわけないですよ〜だって日本の鉄道網を背負って立つ天下の大手鉄道会社さんですもの、そんな、サービス業にあるまじき意識なわけないじゃない♪
いや、でも、真面目な話、とても気持ちのいい対応をして下さる駅員さんもたくさんいらっしゃいます。 ただ、そういう方は、上で述べたのとは違う鉄道会社の駅員さんが多いです。 つまり、会社によって根本的な姿勢が違うように見受けられるのです。 意識や態度の違いを見るにつけ、社員教育ってとても大切だし、ある意味とても怖いものだなあと思います。
話が脱線した。 そうして何となくモヤモヤした気分を抱えながらB駅の近くで用事を済ませ、帰るためにまた電車に乗った。 で、自宅最寄り駅に着いたとき、電車とホームの間に板を渡すためにホームで待ってくれていた駅員さんが、私が乗っているのとは違う車両の方へ走って行った…。 私の近くにいた親切そうな女性が「こっちですよ!」と駅員さんを呼びに行ってくれたので、無事に電車から降りることができたけれども。 こんなことではいちいち腹も立たないけれど、一日の間に電車関連でつまづくことがあまりに多かったので、「お前もか!」と突っ込みたくなる気持ちをぐっとこらえて苦笑した。
さてさて、今日のこの一連の出来事を、「電車運」という言葉で片付けてよいものか否か。 あなたなら、どっち?(ハンバーグとトンカツなら……悩むなぁ、難しい><)
2005年11月13日(日) |
それだけで部屋が白くなった感じ |
先日、ジュディ・オングさんの版画展に行った母が、版画を一つ買って来てくれた。 もちろん、それは本物ではなく、額縁には絵葉書が入れられている。 だからサイズは小さいけれど、その小ぶりな感じがちょっとしたインテリアには却って良い。 モチーフとなっているイトギクの花は、清楚でかわいらしく、とても素敵だ。 正直、版画でここまで表現できるとは思わなかった。質感が水彩画に近いのだ。 歌手の方は美術の才能も持ち合わせている人が多い。 つくづく、天は二物を与えるものだなぁと思う。
その版画を、壁に飾った。 代わりに、今まで張ってあったBON JOVIのポスター2枚をはずしたので、壁がぐっと広くなった。 それだけで部屋にこれだけ清潔感が出るとは驚きだ。 不思議なもので、心なしか天井まで高くなったような気がする。 ちょうど蛍光灯も換えたこともあって、部屋の白さと明るさが増した。
2005年11月12日(土) |
そうやって世界が広がる |
木枯らしピープーで枯葉が舞う中、友人とランチに行った。 以前飲み会で行ったちょっとお洒落なダイニングはランチ時でも照明を少しだけ落としてあって、昼間でも落ち着いた雰囲気だった。 テーブルに置かれた銀色のクリスマスツリーや、店長さんと思しき女性の細やかな心配りが感じ良く、あまりの居心地良さに約4時間半も居座ってしまった。
本日のオーダー↓
食事 ・厚切りベーコン入りシーザーサラダ ・渡り蟹のトマトクリームスパゲッティ(これが目当てで行った) ・白身魚のフリッター ・マンゴージュース
デザート ・ワイルドベリーのタルト(ワイルドベリーなるものを初めて知る) ・オレンジティー
メニューを開くと見慣れない名前のフレーバーティーもあって、単純な私はこういうところでセンスを感じてしまう。 カクテルの種類も豊富だったから、少人数での(と言うかカップルでの)しっとりしたディナーにも良いかもしれない。 ホットカクテルがあるのが印象的だった。
友人とは取り止めもなくいろんな話をした。 年上の人というのは学校では先輩、職場では上司という立場が先にあって、どこか壁を作ってしまうことが多い。 だから、年上の友人はとても貴重な存在だ。 自分の数年先のいろいろな可能性をリアリティーを持って見せてくれる人であり、自分にはない経験から来る新しい視点を、そんな意図もなく自然に教えてくれる人。 相手が同い年の友人なら、その人と自分を比べて嫉妬したり落ち込むこともあるけれども、年上の友人の言動なら素直に見習いたいと思えることが多いような気がする。 ああ、そうか、他人へのちょっとしたフォローや気遣いというのは、こうやって行うものなのだな、と、彼女の何気ない言葉から学ぶ。 学んだからと言ってすぐに身に付くわけでもないから、今の彼女の年齢になるまでの何年かで習得できればいいや、という逃げ道も作りながら。
昼間はそれほど寒くもなかったのに、お店を出ると空気がかなり冷えていた。 駅まで歩く間に空が急速に暗くなって、二人で驚く。 自分ではそろそろ飽きが来ている編み上げブーツを彼女が「かわいい」と褒めてくれたので、まだまだ現役でいけるか? とブーツを見直してみたりした。
2005年11月11日(金) |
「元の鞘に納まるってこういうこと」な音 |
横向きに寝るのが好きです。 昨晩、左を向いてちょっとモゾモゾしていたら、背中の筋を違えました…。 なぜ!私の動きのいったい何が悪かったのだ!? 以前も、寝ていてくしゃみをした瞬間に背中を違えたことがありました。 筋を違えるのが好きらしい、私の背中…。
しばらくはじっと我慢していたのですが、どうにも痛くて寝付けません。 で、ぐぐっと丸まったり仰向けになって両手を上に伸ばして背伸びをしたりしていたら、ボキッと音がして筋が元に戻りました。
ボキッて…。 どうなってるんだ、私の体……。 くしゃみをすると、たまに肋骨が鳴ってるんじゃないかと思うような音がします。 やばいですか?
※5日(土)、8日(火)、9日(水)分の日記も更新しています。
複数のことが重なるときは重なるもので、いろいろと立て込んでおります。 ま、「いろいろと立て込んでいる」のうちの一つは母が買ってきたモンブランを食すことなのだけれども。
そんなこんなで、トップページでもお知らせしている通り、明日は『選びし者へ』の発売日です。
2005年11月09日(水) |
何だか年月を感じた話 |
ずいぶん前に好きだったアーティストのライブを衛星放送で見た。 変わってしまったのは私なのかその人なのかは分からないけれど、あの頃の印象と比べて「あれ?」という感じ。 キャリアを積むと、葛藤や迷いが生じる。 そこを越えた人間の悪い部分…傲慢さですらなく、「私もできたから、あなたも大丈夫、ここに来れるよ」という、本当は上から見ているのに同列だと思っていることを強調した物の言い方に、ちょっとがっかりだった。 それならいっそ、「私はあなたたちとは違うんだ」とおごった方が余程潔い。
何かの証人になるのは難しい。 勝者でなければサクセスストーリーの証人にはなれないけれど、勝者になった瞬間、その人が「私だってここまで来れたのだから」と言っても何の意味もなくなってしまう。 勝者が勝者である以上、「私『だって』」とは言えないはずだから。
私が何となく嫌な感じを受けたのは、その人の頭の中で幸せや成功の形というものが枠にはまっていると感じたからだろう。 「あなたも幸せになれるよ」と言うのは、他人の今の幸せを無視することだ。
最近メイクにかける時間が長い。 と言っても、たいした顔が出来上がるわけでもなく、そもそも時間の長さと丹念さが比例しているわけでもない。 メイクをしている最中、何となくマッタリしてしまうのだ。 あー、これぞ女の時間だわぁ〜などと思いながら。
そんなふうにして秋色メイクを施して、秋晴れの空の下のお出掛け。 家を出たところで、道の真ん中で蛾が日向ぼっこをしていた。 羽が保護色だったこともあって、私が彼or彼女の存在に気づいたのは車椅子の前輪で轢いてしまう一歩手前だった。 私が気づくと同時に彼or彼女もやっと身の危険を察知したらしく、慌てふためいた様子で飛び立った。 そっちも轢かれそうになってびっくりしただろうけれど、こちらも急に目の前で飛び上がられてびっくりした。 だからおあいこね、と思った。
外出先で用事を済ませたあと、久しぶりにみなとみらいに行った。 広くて開放的で、好き勝手に歩けるところに余裕があって、いつ行っても好きな場所だ。 必要以上に構われたり気遣いをされたりする野暮ったさがないところが良い。放っておいてもらえる気楽さ。 それが叶うのは、ごく当たり前のように一人ですいすい動ける広さと造りになっているからだ。 精神が物を作り、物が精神を左右する。 唯一難点なのは、海の横なので風が強いことだ。 ただでさえ車椅子だとスカートがヒラヒラして危ういのに、みなとみらいを歩くのは無謀というものだ。 でも、今日は先週買ったスカートを穿きたかったのだから仕方ない。
ランチに入ったレストランでは、二人掛けのテーブルが埋まっていたので、4人掛けのテーブルに通された。 一人で広いスペースを占領しちゃって何だか申し訳ないなぁ、でも私のせいじゃないし、ちょっと嬉しいし。 そう思いながら何気なく隣のテーブルに目をやると、男性がやはり一人で座っていた。 お互い広いテーブルで一人寂しくランチなのね、と勝手に親近感を抱いてみる。 これがシックなバーとかで、しかも美男美女であれば、「せっかくですから一緒に飲みませんか」とか言って席を移動したりして、新たな物語が始まったりもするのだけれど。 あいにく今は真昼間、それ以前にキャストが私じゃな…。
お腹がいっぱいになったところで、クイーンズスクエアとランドマークプラザをふらふらと回ってみる。 ランドマークプラザのとあるお店にいるとき、館内放送が流れた。 火災報知器が作動したとかで、点検しているとのこと。しかも、鳴ったのは私がいる階だったのだ。 「次の放送にご注意下さい」と言われたけれども、私はその後すぐにランドマークから出てしまったので、真相は分からずじまいだった。 ランドマークプラザで火災が発生……などというニュースは聞いていないから、きっと何か誤作動だったのだろう。
駅から家までの帰り道、落ち葉をカシャカシャ踏みながら歩くのが愉快だ。 家の近所でも風は少し強くて、枯葉が一枚、膝の上にひらりと舞った。
10月31日(月)、11月1日(日)、2日(水)、3日(木)の日記を更新しました。
明日は昨日の分の日記を更新する予定です。(え?)
2005年11月05日(土) |
セリヌンティウスにしびれる |
某テレビ番組で、『走れメロス』のあらすじを3分のアニメで紹介していた。 アニメが終わって、解説者が言った。 「日本人は体制に一人で立ち向かっていく人にしびれるんですよ。例えば小泉総理なんかもそうですね。自民党の古い体制に一人で立ち向かって、今回の選挙でも国民からの絶大な後押しを受けて郵政民営化法案を成立へ持って行ったわけです」 うーん、それはちょっと違うんでないかい? 確かに総理になりたての頃はそうだったかもしれないけど、こんなに何年も内閣が続いて、郵政民営化のために衆議院解散までした今となっては、彼自身が体制側の人なのだと思うけど。 反体制は、体制を倒せば即その座を奪って立場が逆転する。勢いがなければ反体制として「英雄」になることはできないけれど、勢いがありすぎると反体制ではいられなくなる。そんなものだ。 メロスを政治の世界、それも体制のトップに例えられると少々白ける。
それに、確かに日本人は体制に一人で立ち向かっていく人にしびれがちだけれど、そういう「英雄」は「後先考えないただのアホ」と紙一重でもあるわけで。 大事な妹の結婚式を控えているのに一人で城に乗り込むのは、普通に考えれば正気の沙汰ではないと私は思う。 にもかかわらず私が『走れメロス』を「よいな」と感じるのは、最後にセリヌンティウスと殴り合うからだ。 厳密に言えば、「私を殴れ」と言うメロスをちゃんと殴ったセリヌンティウスの方にしびれてしまう。 私は天邪鬼と言うか、どこかすれて歪んでしまっているので、素朴な正義感からメロスが城に乗り込んだり人質に出した友人のために走ったりするだけでは、「へぇ、恐ろしく奇麗事な話だな」で終わりだっただろう。 いくら心底信頼し合っている友人とは言え、人質になってくれと頼まれたら神経を疑ってしまう(自分から身代わりを申し出ることはあるかもしれないが)。 でも、最後にセリヌンティウスがメロスの気の済むようにして彼を解放してやったことで、私は彼らの友情をリアルなものと感じることができた。 ああ、彼らの友情というのはそこまで深いものだったのだなと、そこで初めて真に納得ができる感じだ。 何らかの罰を与えることは、場合によっては許すことそのものだから。
もっとも、私が一番しびれるのは、内容ではなく太宰のテンポの良い文体なのだけれど。
2005年11月04日(金) |
なかなか更新できずに申し訳ないですが… |
一週間のご無沙汰となってしまいました。 桜井はぼちぼち元気にやっております。 久しぶりの更新なのに、ただの生存報告で申し訳ございません。 もしかすると、今週分の日記を随時更新するかもしれないです。 「もしかすると」ね。
来年のカレンダーと手帳を買った。 カレンダーは卓上式で花柄、手帳はムーミン。 新しい手帳を買うとわくわくする。そういうとき、自分はまだまだ将来に何か期待できているのだなぁと思う。
買い物のあとは、「崎陽軒なのに中華だけじゃなくて和食のご膳に丼物、カレーまであるお店」でお昼ご飯。 とりあえず無難に酢豚と白ご飯を頂いておく。
2005年11月02日(水) |
そしていつか彼に会いたい |
漫画家では浦沢直樹さんが好きです。 『MONSTER』はアニメもばっちり見てました。 昨日『20世紀少年』の最新刊を買ったので、早速読みました。 謎はますます深まるばかりですね…。 単行本を読み終えると先が気になって気になってイライラするので、いい加減完結して欲しいような気もしていますが。
よくもあれだけの人物を登場させられるなぁ。 きっと、相関図とか年表とか、詳細に作ってあるんだろうな。 資料も膨大なんだろうな。 構成力の弱い私としては、むちゃくちゃ羨ましい頭脳ですよ、ホント。
秋冬物の服を買いにお店を渡り歩く。 すっかり散財してしまった。
今日ゲットしたものたち↓
・半袖のカシミアセーター (淡いピンク色がとてもかわいらしい。が、上着に大量の白い毛がつく…) ・薄手のタートルネックセーター (色は、私にしては珍しいダーク・パープル。ちょっと冒険してみた) ・グレイのスカート (ちょいラメ入りなのと、縁を飾る黒いレースがかわいい。一目惚れしてしまった)
実はこの前、黒いスカートを買ったばかりなのに、またスカートに手が伸びてしまったよ。 物欲は止まることを知らず、本当はオフホワイトかクリーム色の柔らかいセーターと黒いブーツも欲しいのだが…。 この調子だと諭吉さんに羽が生える一方なので、しばらくお買い物は自粛しないと。
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