月に舞う桜
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2005年12月31日(土) |
来年も、良い年でありますよう。 |
ものすごい勢いで……何もしてませんが、大晦日(汗)。 そんな感じで今年も終わっていきます。早いなぁ。 今年は、小説を書いたり資格の講座に通ったりしているうちに、本当にあっと言う間に過ぎてしまいました。 来年はもう少し腰を落ち着けて、一日一日をじっくりやっていきたいと思っています。小説の更新も、できるだけ頻度高く…とは思っています。が、どうなんでしょうか(おい!)。 今年の10大ニュースのベスト1と言えば、やはり『選びし者へ』の単行発売でしょう! 桜井にとって、人生に残る記念すべき出来事です。 お世話になった皆様には、この場をお借りして心よりお礼申し上げます。その節は、本当にありがとうございました。 それからもちろん、忘れてならないのが『選びし者へ』をご購入下さった貴方です。貴方が私の小説を手に取って下さったことは、私が今年経験した出会いの中で最も誇るべきことです。ありがとうございました。
さて(10大ニュースの残り9つはどうなったんだという話は置いておいて)、このサイトも、開設から3ヶ月が経ちました。長いような短いような。 おそらく、来年もこのような感じでやっていくと思います。日記の更新が飛び飛びになりがちで申し訳ないのですが、今後もよろしくお付き合い下されば幸いです。
2006年がキラキラとした日々でありますように。 良いお年をお迎え下さい。
※25日、26日分も更新しました。
夜、ひたすら『チョコレート革命』を読む。 旅先で詠んだ短歌にも素敵なものがたくさんあったけれど、やはり短歌は恋愛を綴るのに最適な表現方法だな、と思う。 特に、不倫の歌。 情熱的で繊細で、苦しい。 太陽の下で何も包み隠さず手を繋いでいられるような恋は、わざわざ短歌にする必要がないのかもしれない。 400首以上の短歌はそれぞれに心に染みて、豊かな時間を作り出してくれた。 けれども、それ以上に素晴らしかったのは、ドリアン助川さん(現TETSUYAさん)の解説だ。 万智さんにはかなり失礼な言い方だけれど、あの400首以上の短歌は解説の前振りなんではなかろうかと思うくらいだった(それにしても、何て贅沢な前振り!)。 おそらく、私の心にずっと記憶される文章の中の一つになることと思う。 創造するということ、その苦しみと限界、そこを超えた真実。 彼の言う通り、すべてはすでに与えられているのだろう。 私たちは、発信者になりたくて言葉を尽くしたり命を削ったりしているけれども、そんなものは、取るに足らない。だとしたら、もう、受信者になるしかないのだろう。すでに与えられているものを、ただ受信する。 世界が美しく残酷であること、愛する人に幸福を与えられていること、取り返しのつかない事態が起こっているということ、それでも世界は在るということ。私たちはただ、それらを受け取って、受け取ったものを言葉にしているに過ぎない。 あらゆるものを受取ったとき、きっと、今までとは違う発信の仕方に到達できるのかもしれない。 限界を見て、限界の先の真実にきちんと気づくことができるのは、とても素敵で神々しい。そして、それを自分の言葉で誰かに伝えようと思えること、伝えられることは、もっと素敵なことだ。
2005年12月28日(水) |
神奈川新聞にも&小説アップしました |
またもや日記が空いてしまいましたね。すみません……。 さて、神戸新聞に掲載された『選びし者へ』の記事ですが、12月19日付の神奈川新聞朝刊にも載っていました。 神戸新聞の記者さんが両紙を送って下さって、初めて知ったのですが。 で、現物を見てびっくり! 神戸新聞さんは想像していた以上に扱いがデカイ! どどーんと載っています。 webではカラーになっている写真が紙面では白黒でしたが、紙面の方がきれいに写っていて喜ばしいです(←どうしても写真が重要らしい)。 神奈川新聞の方は神戸新聞よりはスペースが小さいですが、それでもわりと目立ちます。 これで、私の知り合いが記事を目にする可能性がぐっと増えたな。 写真が載っているだけに、ヘタな行動は取れんぞ……。
そしてそして、やっと小説コーナーを更新しました。 2002年の夏に執筆し、今回加筆修正をしました。『愛を紡ぐ手』です。 何だか非常に愛着が湧いている物語です。 構成がなってないとか、内容にも登場人物たちにも突っ込みどころが満載だとか、いろいろ思うところはありますが。 今回載せたものは400字詰め原稿用紙にして75枚ほど、3年前は60枚程度だった記憶があるんですが、15枚も増やしたような感じがあまりしないのはどうしてなんでしょうか。 内容は……痒いですよ、ええ。 真面目だけど、痒いんです。 一人身の人は、読みながら「けっ!」と言いましょう。 私も、手を加えながら「けっ!」と言いましたから。 で、何か知らないけど続きがあるらしいですよ。 でも、それは来年になります。2月くらいかな……。
友達と忘年会で、有楽町に行く。 さすが年の瀬、忘年会シーズンだけあって、人がわんさかいた。 豆腐と牛タンが売りの居酒屋には「牛タンコロッケ」なるものがあり、その贅沢な牛タンの使いっぷりに驚いた私たちは、勝手にメニュー名を変えてずっと「コロッケにしちゃった牛タン」と言っていた。 (豆腐と牛タンが売りなのに、私たちの目当ては鶏のちゃんこ鍋で、しかも諸事情で豚のハリハリ鍋を食べる結果になった) あれこれ注文しては、空いた皿がテーブルの上に所狭しと増えていく…。 皿を片付けない主義の店なのかは知らないけれど、とにかく私たちの食べた結果が如実にテーブルに現れているので、「これだけ食べましたって自慢してるみたいじゃんねぇ」と苦笑し合った。 程よくお腹がいっぱいになったところで、甘いものと温かい飲み物を求めてスタバへ。 スタバというところは、何を頼んだものか、いつも迷ってしまう。そこがいいところなんだろう。 キャラメルマキアートで少しばかり舌を焼きながら、「私はいつからこんなものを飲めるようになったのだろう」と思った。 コーヒーと言えば、砂糖を入れただけの単純なものしか飲めなかったのに。 食べられる・飲めるレパートリーに甘いものが増えることの方が、苦いものに傾倒するよりはよほど幸福なことだと思う。 必ずしも健康とは言えないかもしれないけれど、健全で幸福なことだ。
23日に録画したミュージックステーションのスペシャルを、2日かけて細切れに観る。 私にとっては、紅白よりもMステのスペシャルライブが年末に欠かせない歌番組なのだ。 一番観たかったのがトリのB'zであることは当然として、今年の個人的目玉はレミオロメンだった。 歌も小説もテレビ番組も食べ物も洋服もイベントもあらゆるジャンルを総合して、この冬一番の私的ヒットがレミオロメンの『粉雪』。 (うそ。一番じゃないかもしれない。でも、間違いなく三本の指には入る) ああいう線の曲が、好きだ。問答無用で、「弓月の泣ける歌シリーズ」に仲間入りを果たす。 おめでとう、レミオロメン。来年はあなたたちがマイブームとなりそうだよ。
Mステのスペシャルと言って真っ先に思い出すのは、XJAPANのラスト出演となった97年のスーパーライブだ。 今年も誰かのステージを観ながら、「あのとき、TOSHIも走ってたな」と思った。 レミオロメンがどんなにマイブームになっても、Xを超えることはないだろう。 たぶん、これからも、超える人は出てこない気がする。それが嬉しくもあり、少しだけ寂しい。
お知らせ。 昨日の続きですが、神戸新聞のwebでも記事が取り上げられていることが判明しました。 神戸新聞 私の顔写真が載っているので記事のURLは張りませんが、見たい方は頑張ってサイト内を探して下さい。
日記。 朝ご飯を食べ、まずは昨日の夜録画しておいた小田和正さんのコンサート番組『クリスマスの約束』を観る。 この番組はここ数年、毎年恒例になっていて、必ず録画している。これを観ると「今年もクリスマスだなぁ」という気持ちになる。 小田さんの声は昔から好きだ。高くて切なくて、そして温かい。 彼のすごいところは、他人の曲をカバーしても「自分の曲」にしてしまうところだ。カバーというのは、往々にして「やっぱり本人の方がいいよな」と思わざるを得ないことがあるのに。 過去のこのコンサートでは、『Automatic』(宇多田ヒカル)、『チェリー』(スピッツ)、『桜坂』(福山雅治)、『Tomorrow never knows』(Mr.Children)なんかを歌ったことがあったと記憶しているけれど、どれもこれも本人が歌うときとはまた違った彼独特の魅力があって素敵だった。 番組終盤、「今年はなぜゲストが中居クンなんだ?」と思わず突っ込みを入れる。 過去のゲストは本当にもう錚々たるメンバーだったのに……。 『夜空ノムコウ』という選曲は、いい。SMAPのメンバーをゲストに呼ぶのも、まだいい。 しかし、SMAPの中でも、なぜ彼なんだ! 小田和正のコンサートだぞ! 彼のことは嫌いじゃないけど、嫌いじゃないけど……うーん。 そこはやはり自社の他番組とのタイアップという事情なのか、TBSよ。 コンサート自体には非常に満足しつつ、一抹の疑問を残したまま番組は終了。 それにしても、このクリスマスコンサートはいつか絶対足を運びたい。あの声を生で聴くことができたら、涙もの、鳥肌ものだろう。 それから、父に年賀状のデザインの作り方と印刷の仕方を教え、お昼ご飯を食べたあとは、佐渡裕さん指揮の「一万人の第九コンサート」の番組を見る。 これも毎年恒例。 一万人の第九合唱は、いつ聴いてもぞわっと鳥肌が立つし感動する。 サントリーホールのアリーナ席もスタンド席も埋め尽くす、一万人の今年だけの合唱団。いいなぁ、あの中で歌ってみたい。歌い終わったとき、感激で思わず泣く自分が想像できる。 佐渡さんが指揮をする「第九コンサート」は、何年か前の真夏に一度だけ見に行ったことがある。 ほかの指揮者とはちょっと違う種類の熱さを持った人だなぁと思った。 番組が終わると、アマゾンから届いていた『あらしのよるに』を開く。 う、うーん、やっぱりああいう結末なのか……。 私としては、吹雪の中で2匹が決断した通りになって終わるのが良かったのだけれども、それじゃあ「安心して子供に見せられない」と思う大人も多いのかもしれない。 でも、友情や信頼というものを甘い方向からしか教えないのはだめだと思うんだな、私は。 自分も絵のかわいさに惹かれて買ったに過ぎないし、何となく想像できていた結末なので今さら文句を言うのもアレなのだけど、やっぱり狼と羊の寓話で友情を語るのでは説得力に限界があるよなぁ。 だって、人間同士の友情や信頼や絆の問題とは根本的に違うもの。 吹雪のところで終わっていれば、「他の命を取り込んで生きていくっていうのはこういうことだよ」と逃げずにちゃんと表現するいいチャンスだったのにな、惜しいよ、と思った。 で、夜は家族でここに行った。 一日早いけれども一応クリスマスディナーと銘打っているので、ワインを少々頂く。 そしてカニ三昧! 少量ずつをあれこれ食べたいのでコースにしたところ、どれこれもおいしくて、お腹いっぱいにもなって、本当に大満足だった。 私が頼んだコース内容↓ ・4種類のオードブル(蒸しカキ、カニクリームコロッケ、エビとイカの刺身、カニとマヨネーズの乗ったスライスバケット) ・カニと豆腐のサラダ ・カニのグラタン ・エビマヨ ・カニ爪の天ぷら ・ゆでガニ ・カニのトマトクリームスパゲッティ ・カニの味噌汁 ・巨峰シャーベット ・コーヒー 中でも、カニ爪の天ぷらとエビマヨは特別おいしかった。 一品がほんの少しなので「もうちょっと食べたいなぁ」と思うのだけど、料理というのはそれくらいがちょうどいいのだ。 おすすめ品の小龍包や23日〜25日限定のデザートも狙っていたのだけど、コースが終わったときには満腹で手が出なかった。残念。
『選びし者へ』のことを新聞記事にして頂けることになった、というお話は以前にも書きましたが、今日、その記事が掲載されたようです。 媒体は、神戸新聞です。朝刊に載ってます。 私もまだ現物を確認していないので、詳しいことや感想など書けないのですが。 とりあえず、名前と顔写真が新聞に載ってしまいました。 昔、誰かの歌に「表彰されるほど善いことはしていないけれど、新聞に載るほど悪いこともしていない」というような歌詞があったような……。 いえ、悪いことはしてませんよ? 神戸辺りにお住まいで神戸新聞を購読されている方がいらっしゃいましたら、ちらっと見てみて下さいな。
2005年12月20日(火) |
香織ワールドと寿賀子全集 |
※昨日の分も更新しています。
電車に揺られながら、江國ワールドにどっぷり浸かる。 あの人の物語は、どうしてあんなにかなしいんだろう。 かなしくて、とても美しい。 誰も彼もがきちんと生きているから、かなしいんだろうな。 江國さんの小説を読むと、決まって「私が今、一番会いたい人は誰だろう」と思う。そして、「私が死ぬとき、傍にいてほしいのは誰だろう」とも。 すごく、大切な人を探している感じになる。
夜は、テレビで橋田寿賀子さんのお宅を見た。 広い広いお宅には蔵書室というのが一室あって、一歩入ると扉つきの大きな本棚にぐるりと囲まれる。 そこには橋田さんがこれまで書いてきた本がずらっと並んでいるのだが、中でも生原稿を製本したものには、ちっともファンではない私でさえ感動した。 外見は立派な文学全集という感じの作りになっていて、開くと中には直筆の原稿が閉じてあるのだ。 すごい! この世に一冊しかない本、命の結晶の本だ! 何十年経っても、橋田さんが亡くなったあとでも、あの本を開いて原稿に触れれば、書いた当時の息遣いが伝わってくるかのようなんだろうな。 命を削って生み出したものによって人が生き続けるというのは、こういうことなのだなと思った。 私はパソコンを使うようになって以来、原稿を全く手書きしないので、例えば『選びし者へ』の生原稿というのも存在しない。 ちょっと惜しい気がした。 パソコンの中のファイルは何部でも印刷できてしまうし、それを見ただけでは誰が実際に打ったのか分からない。 文章自体は私の生きた証でも、「印刷されたもの」は証の濃度が薄れてしまう。 と言って、じゃあこれから原稿を手書きに変ようなんてことは、これっぽちも思わないのだけど。 それに、原稿を遺すこともかなり魅力的ではあるけれど、自分が書き記したものや作ったファイルを全て処分して死ぬのも粋かもしれない。 「場所」は無尽蔵ではないし、私が去った跡は必ず誰かがそこを埋めるのだ。だったら、死後も尚「場所」を占拠することがないように、潔く何も遺さずに逝く方が私にはしっくりくるような気がするのだ。 でもやっぱり、いいな、あの製本された生原稿……。 橋田さんはセリフの一字一句覚えているそうで、それを聞いたとき思わず「そうだよね!」と頷いて、お酒を酌み交わしたい気分になった。 ドラマというのは何人もの手によって作り上げられるけれど、やはり「一番最初の生みの親」のものなんだなぁと思った。
2005年12月19日(月) |
書くより読みたいんです |
試験が終わったので、年賀状作成に取り掛かる。 枚数が少ないので、宛名と裏面の絵柄の印刷は完了した。 あとは一枚一枚メッセージを書いていけばいい。 絵柄は毎年、友人用と目上の方用の2パターン作っているのだけれど、今年はネットの素材集で「これ使いたい!」と思うものをたくさん見つけてしまって、どれも捨てがたいので結局数パターン作ってしまった。 その中の一つは、墨のような味わいで描かれた梅の枝が「戌」という字を成していて、周りに淡いピンクの梅の花があしらわれている。 その絵柄もあいさつ文の書体も清楚でとても美しいので、かなり気に入っているのだけれど、一つだけ難点がある。 構図的に、どう見ても縦書き用なんである。メッセージを横書きにすると、たぶんおかしいんである。 実を言うと、私は縦書きが苦手だ。 もともと字がうまい方ではないにしても横書きなら何とかなるが、縦書きとなると絶対に真っ直ぐには書けないのだ。 あの上品な絵柄を私の子どもじみた字で汚してしまうのかと思うと、いたたまれない。 いたたまれないのをいいことに、メッセージ書きは後回しにされて、無機質なままの年賀状が待ちぼうけを食らう羽目になる。 せっかく早めに印刷を終えたのに、筆不精ゆえ、今年も投函はギリギリになると思われ……。
年賀状を放っておいて何をしているかと言うと、その一つは「暇ができたときのお約束、アマゾンで買い溜め注文」だ。 本屋は好きだ。何時間でも無駄にうろうろしていられる。 しかし「無駄にうろうろ」はしょっちゅうできることではないので、買いたい本が数冊決まっているときはアマゾンで買っている。 特に、ほしいハードカバーが2冊以上あるときは重い思いをしなくて済むのでありがたい。 アマゾンで買い物をしたことのある人ならお分かりかと思うが、本をカートに入れると「この本を買った人は、こういう本も買っていますよ」というリストが出てくる。 同一作者の本だったり、同じようなジャンルの本が出てくることが多いので、ついつい「これも買っておくか」となってしまう。 で、今日は先日この日記でも紹介した俵万智さんの『プーさんの鼻』をカートに入れた結果、上記のリストのせいで『チョコレート革命』にまで手が出てしまった。 まんまとアマゾンの策略にはまる私……。 家に『サラダ記念日』はあるが『チョコレート革命』はない。けれども、もしかすると数年前に図書館かどこかで借りて読んだことがあるかもしれない。 ま、いっか。 それから、映画『あらしのよるに』の絵のかわいさに惹かれたのがきっかけで原作を読みたいなと思っていたので、探す。 (ちなみに映画は見ていない。たぶん映画館では観ないと思う。) そうしたら、原作って6冊+番外編もあるのね! しかも、原作はあんなアニメアニメした絵じゃないのね! し、知らなかった……。 迷った挙句、絵に惚れたのが始まりだったのでとりあえず『アニメ絵本 あらしのよるに』を買ってみることにした。 あとは、衛澤さんが「読むべき」と言っていた浦沢直樹の『PULTO』をとうとう1、2巻とも買ってしまった。 1巻だけは特別版を購入。高いので(通常版の3.5倍!)泣きそうになったが……。 本が届くのが楽しみだ。どれから読もう。
面接試験も無事に終了。 待機室では手の平に汗が滲むほどだったのに、いざ試験本番となったら妙に気持ちが落ち着いて、「別にどうってことないよ」という心持ちになった。 私、実は案外と肝が据わっているかも知れん。 結果が「無事」かどうかは分からないが…。 ま、とりあえず。
帰りの電車内で、女子中学生の集団に囲まれた。 あの年頃のエネルギーというのはすごい。 なぜ、やる気なさげなダルダル感と無駄に高いテンションを同時に発揮できるんだ! ただでさえエネルギーがあるのに、その上、周りの人間のエネルギーまで吸い取ろうというのだから恐ろしい。 いや、彼女たちに「吸い取ってやろう」という意識はないわけで、こちらが勝手に吸い取られているだけなのだけど。 私と同年代の男性が一人で目の前に立っていて、やはり彼女たちに(たぶん気分的には)押しやられていたので、内心「お互い大変ですね」と思って親近感を抱いていたのだが、彼が私より先に降りてしまったため、私はいよいよ孤軍奮闘する羽目に。 この途方もないエネルギーに負けてたまるか! 話に聞き耳立てて楽しんでやる! と思ってリスニングを開始した。 (ちなみに、聞き耳を立てなくても話の内容はがんがん入ってくるのだが) どうやら彼女たちは盲導犬関係の映画を観ていて、その感想をグループで英作文にまとめなければならないようだった。 「感動しました」 「感動って、何て言うの?」 「わかんない。習ってないよ、たぶん」 「じゃあ、幸せな話でした、でいいよ」 「幸せな話だったっけ?」 「いいよ、いいよ、happy storyで」 ええっ!? いいのか!? 作文のためなら映画の内容も捻じ曲げてしまう、恐るべし、女子中学生! 「犬を必要としている人たちがいます……Some people need the dog?」 「need for the dogじゃない?」 「forだっけ?」 「わかんない。違うかも。前置詞系って、あんま、得意じゃないんだよね」 前置詞「系」って何ですか! という突っ込みは置いておいて、とりあえず、そこにforは要らないんではないかと…。 「目が見えない人がいる、だよね。目が見えないって……」 「not see?」 ……助動詞なしですか。 「目が、だから……」 「eyes not see?」 えーと、いいでしょうか。 blindという単語がさらっと出てくることを中学生に要求するのは酷かもしれないし、「目の見えない人たちがいて、彼らは盲導犬を必要としている」というような趣旨の表現自体、確かに難しいのかもしれない。 だから、英語についてはこれから地道に勉強してもらうとして。 問題は、英語がよく分からなくなったときに苦肉の策としてどんな表現方法を思いつくか、ですよ。 「eyes not see」という言葉が浮かぶのは、英語力がどうのというよりも国語力の問題だとおねえさんは思うのですが、どうなんでしょうかね。 ま、いいや。続き、続き。 「彼らを助けたいです……help to them…their?」 「their……themじゃない?」 おいおい、theirとthemもあやふやなんかい! しかも、help toって…。 「I want to help to them.でいいか」 「いいよ。toが二つあるけど」 いや、一つとか二つとか、数の問題ではないような…。 もう本当に、「help meって言うじゃん!」と教えてあげたくてしょうがなかった。 喉元まで出かかっている余計なお世話をぐっと飲み込むのに苦労しましたよ。 彼女たちは「できた、できた♪」と言って喜んでいたけれど、あの作文でいいんだろうか…。 ま、いいんだよ。 help themだろうがhelp to themだろうが、彼女たちはたくましく生きていくんだから。 「目が見えない」という表現の構造は理解してほしいと思うけど。 何はともあれ、若いって素晴らしい! あの、あらゆるものをなぎ倒して行きそうな可能性の塊、なんと輝かしいことか。
2005年12月17日(土) |
こう見えて(?)緊張屋なんです |
ここのところ早寝早起きが続いていたのだけれど、今日は朝方にものすごく真剣に夢を見てしまって、かなりの寝坊。 夢ではいろんな場面がどんどん出てきて、私は全エネルギーを使ってそこに入り込んでいた感じだったので、本当に疲れた。 その結果、どれくらいの寝坊かと言うと、『王様のブランチ』の本のコーナーにばななさんが出ていたらしいのに、見ることができなかったほどだ。 そして今は夢の疲れもすっかり取れ、明日の面接への緊張がぐんぐん高まってきている。 やばいやばい。
冒頭、いきなりお詫びから入るのもアレですが…。 ごめんなさい、トップページに掲げた目標「面接試験までに小説アップ!」は、どうやら果たせそうにありません。 楽しみにお待ち下さっている方がいらっしゃいましたら、申し訳のないことでありますm(_ _)m 実は今回は新たな書下ろしではなく、3年前に書いたものを加筆修正して掲載する予定でいます。 それで、最初は「ちょこちょこっと直せばいいや」くらいの軽い気持ちでいたのですが、やり始めると「あそこもここも」という具合になってきまして…。 しかも、3年も前に書いたものを今さら読み返すと、ものすごーく痒いんですよね(汗) 顔から火が出ますよ、火が。 「自分としてもそれなりに納得のいくものでないと人様にお見せできないよな」という気持ちと、「でも、どこかで妥協点を見つけないと、いつまで経っても仕上がらないぞ」という気持ちとの板挟みになったりもしていますが。 締め切りというものがないサイト掲載には、こんな落とし穴があったのか! でも! 年内には絶対アップしますので、もう少しお待ち下さい。
今は夕方4時前なのだけれど、2時間くらい前からものすごく眠い。 ちょっと油断するとキーを打ちながらでも眠ってしまうんじゃないかと思うほど、眠い。 そんなに眠いなら昼寝をしてしまえ! という話なのだが、「今寝たら、夜眠れなくなって悪循環だ」と思ってしまって、ほとんど意地だけで睡魔と闘っている。 こうやって意地を張っていると、眠気は取れないのに時間はどんどん過ぎていって、気がつくと「もう昼寝と言うには遅すぎるけれど、本格的に寝るには早すぎる」という最早どうすることもできない中途半端な時刻になっている、というのがオチなのに。 それで、そのときになって「こんなことなら、あのときさっさと15分でもいいから寝ておけばよかった」ということになるのだ。 それにしても、週末は試験だから、この眠気が風邪の兆候でなければいいなぁ。
2005年12月13日(火) |
そんなに買い集めてどこへ行く! |
※11日(日)、12日(月)分も更新しています。
最近、なぜかヘア・アクセサリーをよく買っている。 いろいろアレンジできるほどの長い髪じゃないんだけど。 しかも、あれこれ買い集めたからと言って、全部をちゃんとフル活用できるとも思えないんだけど。 でも今度、丸ビルのフレンチレストランに行くので、髪の毛もちょっとオシャレしたいよなーと思っていて。 何だかそんな年頃なんです。
友達との忘年会計画が着々と進行中。 その一つが、白衣の堕天使・ノエルと地下の受付け嬢・愛理との忘年会。 この忘年会は、またの名を「『選びし者へ』完成祝賀会」という。 (今、勝手に決めた。) 「完成祝賀会」なのだから、当然二人の奢りである……というような喜ばしい事態にはたぶんならないと思われるが。 私が「鍋が食べたい!」と言ったので、鍋に行く方向で話が進んでいた。 すると、愛理が「横浜辺りでいいなら、お店探しておくよ」と言ってくれたので、すかさず私が「豆乳鍋と闇鍋以外なら何でもいいよ♪」と注文をつけ、頼んでおいた。 豆乳鍋は私が豆乳嫌い(と言うか、牛乳が嫌いなので豆乳も飲まず嫌い)だからなのだが、闇鍋に関してはもちろん冗談である。 が、しかし! 昨日、愛理と電話で話していたら、彼女が「弓月のご希望通り、闇鍋のお店があったよ♪」と不敵な笑みを浮かべて(電話だから見えないけど、たぶんそうだったはず)言うではないか! 闇鍋を出す店が本当にあったのか! 何が入っているんだ、闇鍋! 想像するに、きっと「ちょっと変わった、ごった煮」なのだと思われるが、メニューに「闇鍋」としてしまうところが商売上手よのぉ。 だって、「怖いもの食べたさ」でちょっと惹かれるもの! でもやっぱり、私は無難に鶏鍋やモツ鍋を頼んでおいて、誰かが闇鍋を注文するのを見ているくらいがちょうどいいかな……。 まぁ、結局はノエルの仕事の都合で場所が東京方面になり、闇鍋行きは免れたのだけど。 と言うわけで、おいしい鍋物が食べられるお店を探し中です。 山手線沿いでいいお店をご存知の方は、情報下さいm(_ _)m
2005年12月11日(日) |
★「書くこと」とその周辺★その3.言葉を伝えることの責任とその限界、それでも…… |
自分が物書きとして発した言葉には、責任を持ちたいと思う。 それにはやはり、自分の言葉を自分の手で伝えるしかない。 この日記や小説のように、私が感じていることを読者の方にダイレクトに伝えられる手段であれば、その言葉がどんなに批判あるいは批難されても、全ての責任は私にある。 間違った受取られ方をしたとしても、たいていの場合は誤解を与えるような書き方をした私の側に責任がある。 けれども、誰かや何かを媒介にすると、私の与り知らぬところで言葉は形を変えていくし、それだけ真意は伝わりづらくなる。 媒介となる人の数だけフィルターを通すことになるのだから、「私が伝えたかったこと」は少しずつ少しずつ微妙にニュアンスを変えながら読者に辿り着くことになるのだ。 そして、そういった伝言ゲームの場合、言葉が最後まで行き渡った頃には最初の発信者は為す術がない。 だからと言って、もちろん発信者としての責任を全部放り投げてしまうことは出来ないし、するつもりもないし、したくもない。 「他者を媒介として言葉を伝える」という方法を選択したことには、大きな責任があるのだし。
私に直接の責任がなくても、全てのことは私の責任なのだ。 大学のときに出会ってとても惹かれた思想家レヴィナスを、「書く」という行為と結び付けて今でも時々思い出す。
何にせよ、何かを発信するとは余程の覚悟がいることなのだ。 そして、その「余程の覚悟」には、「どーんと構える大きな心」という意味も含まれているように思う。
2005年12月10日(土) |
美しい人はより美しく、そうでない人は……果たして無事「それなり」に写るのか? |
来週の日曜日に、資格の面接試験があります。 というわけで、今日は同じ資格取得を目指している人たちと面接対策の勉強会を行いました。 いや、今日の日記に書きたいのはそのことではないんですけどね。
えーと、先日の日記に、『選びし者へ』について某新聞に記事が掲載される予定だという話を書きましたけれども、今日は勉強会のあと、その記事に載せる私の写真を撮影して頂きました。 記事が載るのは関西の地方紙なのですが、そちらからカメラマンの方がいらっしゃるには遠い距離ですので、私の地元地方紙のカメラマンの方がいらしてくださいました。 地方新聞社というのは、そうやってお互いに協力し合っているのだそうです。
わたくし、新聞に写真が掲載されるのは初めてのことでございます。 しかも、「桜井弓月」としてですよ! これは気合を入れねば! ということで、それなりの恰好で行きました。 撮影前にメイク直しもしたし……でも、勉強会で疲れたのか、目が少し充血してたかなf^^; と言うか、元の素材が素材だけに、私のメイクの腕では何とも…(汗) ま、物書きは書いたものの中身で勝負なのですよ! 外見は問題ではないのです! …とは言っても、やはり美しく撮られたいのが女心というものですが。 それに、小説が勝負の作家でも、江國さんはかわいらしいよなぁ。 角田光代さんもかわいい方だなぁと思います。 最近の新人女性作家でも、綺麗な方が多いですしね。
2005年12月09日(金) |
バトンを引っ張り出してみます |
ちょっと前に衛澤さんが回して下さった「キャライメージバトン」、しばらく部屋の片隅に大事に取っておいてましたが、ここらへんで行使してみようかと。 では、答えます。
Q1:まわしてくれた方の印象をどうぞ A :ダメ人間を装っている節があるけれども、実際はかなり真面目に生きていらっしゃる物書きさん。 でも、「この人、本当はやっぱりダメ人間なんじゃないか?」と思わせてくれるところのある愉快な方。
Q2:周りから見た自分はどんな子だと思われていますか? 5つ述べてください。 A :・冷静 ・強い ・意外に天然 ・実は頑固 ・芯がある
Q3:自分の好きな人間性について5つ述べてください。 A :・包容力がある ・他人の痛みを分かろうとする ・気配りができる ・根は真面目だけど下らない話もできる、ちょっとアホ ・多様性を認める
Q4:では反対に嫌いなタイプは? A :・デリカシーがない ・無知を言い訳にする ・子供をはけ口にする ・思ったことをすぐ口にする ・他人を自分の思考の枠組みに押し込めて判断する
Q5:自分がこうなりたいと思う理想像とかありますか? A :さりげなく気遣いができて、潔く、絶望や残酷なものを知りつつ美しいものに目を向けられる人。 あとは、知的でかわいらしい女性になりたい。
Q6:自分の事を慕ってくれる人に叫んでください! A :どこにそんな方がいらっしゃるのか存じませんが、何で慕って下さるのか理由を小一時間問い詰めたい!
Q7:そんな大好きな人にバトンタッチ15名!(印象つき) A :15人って……(困)。 じゃあ、貴重な時間を割いてここを見て下さっている暇人……いや、物好き、いや、これも違った…… えーと、非常に非常にありがたい存在のそこのあなた! バトンを受取って下さい。
答え終わり。 Q7で衛澤さんは「鋭い視点と切り口いつも真摯で一生懸命桜井弓月さん」と書いて下さっていますが、衛澤さん、そんなに褒めたら照れちゃいますわよ、いやーん♪ それとも、もしかしてこの私に何かをねだっていますか?(←わりと失礼な邪推) それにしても「いつも真摯で一生懸命」……ふふっ、桜井の「ソトヅラのいい、猫かぶり術」にまんまと騙されよったな( ̄ー ̄+)ニヤッ
2005年12月07日(水) |
落款師さん募集中&第九の季節です |
※昨日の分も更新しています。
先日の絵手紙の話からも繋がっているのだけれど、落款がほしい。 かっこいいじゃないか、マイ落款。 大したことを書いていなくても、隅っこに落款をちょんと押すだけで、いっぱしの絵手紙や色紙や書に見えるんではなかろうか。 絵手紙や色紙や書をいつ誰宛に書くのかは置いておいて…。 誰か作ってくれないかなぁ、「弓月」の落款。 「弓」と「月」って雰囲気が出る書体にしやすいような気がするんだけど。 (自分じゃ作らないくせに、勝手な発言↑)
今年も「第九」の季節がやってきた。 12月になると、小沢征爾さんが指揮をされている「第九」のCDをハード・リピートするのが恒例。 「第九」は昔から好きで、いつかアマチュア合唱団に参加して、よくある「年末の第九コンサート」に出るのが夢だ。 大学のとき、ドイツ語の授業で「歓喜の歌」の歌詞の意味を一通り習った。 それ以来、「第九」をより身近に感じるようになった。 広い舞台で、オーケストラの生演奏つきで大勢の人たちと一緒にわーっと歌い上げたら、それはそれは気持ちいいだろうなぁ。
うがい薬は嫌いだ。 理由はいたって簡単明白、嫌な味がするからだ。 でも風邪は引きたくないし、インフルエンザも怖いし、もちろん、うがいが効果的であることは知っている。 そこで最近やっているのが、緑茶でうがいをすること。 前は「塩水信者」だったのだけど、カテキンパワーに鞍替えをしてみたのだ。 朝起きた直後と外から帰ったときは、緑茶で口濯ぎとうがいをする。 ちなみに、塩水と緑茶のどちらが風邪予防に効果大なのかは知らないけれど、個人的には喉が痛いときは塩水の方が効くような気がする。
※11月27日(日)、28日(月)、29日(火)分を更新しました。
絵手紙をやってみたい。 葉書に墨汁と絵の具で果物や野菜の絵を大きく描いて、余白に一言メッセージを添えるという、あれ。 最近流行っているようで、いろんなところで見かける。 今日は、テレビで芸能人を相手に絵手紙の先生が描き方を教えていた。 墨汁と絵の具が淡くほんわかとして、なんとも優しい感じに仕上がるのだ。 何より、絵心に自信がなくても描けそうなところが良い。 気の利いたメッセージを考えるのも楽しそう。
絵が描けたらいいよなぁと、昔からよく思う。 生活が豊かになる感じがする。 私は自分で絵のセンスがないと思っているので、なおさら憧れるのだろうな。 よし! 老後の趣味は絵手紙だ!
2005年12月02日(金) |
日記はその日に書くから日記と言うのではなかろうか…。 |
※11月18日(金)、19日(土)、22日(火)、23日(水)、25日(金)、26日(土)分の日記を更新しました。
ご無沙汰しております(大汗)。 早いもので、もう12月なんですか! 筆記試験が終わって以来、何だかだらけております。 と言うわけで、もう12月だとか今年もあと1ヶ月しかないだとか、そんな実感はまるでありません。 上記のように、やっと過去日記を書いてみましたが、まだ終わっていません。 あと3日分書く予定です。 日記に書きたいことがあるのに書く時間や気力がないときは、あとで思い出せるようにキーワードだけをメモ帳に書いています。 このメモ帳ファイル、「25日、「ウッ!」」とか書いてあって、非常に笑えますよ。
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