月に舞う桜
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朝ご飯を食べながら、昨日録画しておいた映画『LOVERS』を見た。 チャン・イーモウ監督の映画は、『初恋の来た道』『HERO』『LOVERS』と王道の3本しか観ていないのだけれど、この中では内容的には『初恋の来た道』が好きだ。 「切なさ」の描き方という点で、私には一番しっくりきたから。 『LOVERS』は『HERO』に続き、とにかく映像が美しかった。 日常の何気ない風景の素朴な美しさとは違うけれど、「現実の自然を撮っているのに、どこか現実感のないファンタジックな美しさ」というのもいいものだなと思わされる作品だった。 個人的には、ものすごく印象に残るストーリーというわけではなかったけれど、竹林の緑や吹雪の白や衣装の鮮やかさを目にするだけでも、充分観る価値のある映画だと思う。 あと、BGMの使い方に「中国っぽさ」の押し付けが感じられなかったところが好印象。
私は創り手としても受け手としても小説という媒体が性に合っていると言うか好きなのだけれど、絵(写真や映像も含めて)や音楽には勝てないなぁと思うことがある。 便宜上、脳と心を分けるならば、小説は一度脳を通さないと心まで届かない。まず理性を使って内容やストーリーを把握しないと、感性が充分には刺激されない。 でも、絵や音楽は理性を通さずとも、直接感性に訴えかけてくる。 小説だって最初の一行を読んだだけで心が震えるようなものもあるけれど、出会った瞬間の衝撃で言ったら、絵や音楽はたぶん比べ物にならない。 絵や音楽と小説の間に芸術的な優劣はない。 けれども、見た瞬間、聴いた瞬間に「理解」という過程を飛び越えて涙がぶわーっと込み上げてくる、そういう威力を目の当たりにすると、私は創り手として「ああ、やっぱ勝てないなあ」と思うのだ。
とか何とか御託を並べてみたけれど、『LOVERS』の第一の感想は、「かっこいい男性二人が自分を巡って争うって、なんて素敵で羨ましい事態なんでしょう!」だった…。 結局そんな感想かよっ!
とある資格講座の最後の授業だった。 資格試験の面接の練習をしたのだけど、私は相変わらず話しベタで困る困る。 自慢じゃないけど(こういうときはたいてい自慢だけど)、小論文などを書くとき字数制限ギリギリで終わらせるのは得意だ。 推敲しなくても、一発で600字とか800字にあと2、3文字残して書き上げる……ことが多い。 でも、話すとなるとまったく別問題なわけで。 私が勉強している資格試験では、伝えたいことを1分間で言えるように簡潔にまとめる力が要求されているのだが……無理! 「話す」というアドリブ行為を首尾よくこなすなんて、私には無理! 言いたいことはちゃんと頭の中にあるのに、話し始めると自分が何を言っているのか分からなくなってしまう。 皆さんはそういうこと、ないですか?
そして、講座のクラスで名刺を配って回り、営業活動。 まるでクラブのママのようだわ! と一人、悦に入る。 みなさん、本名で接している方たちばかりなので、見慣れない&聞き慣れないペンネームに目を留めて下さったよう。 この機会に、どうぞ「桜井弓月」も合わせてお見知りおき下さいませ。
夜は飲み会だったのだけども、お店に行く途中、ハロウィーンの仮装をした子供たちに遭遇。 ハロウィーンのお祭りってテレビでは見たことあるけど、実際に生で目撃したのは初めて。 魔女風ワンピースがかわいかったなぁ。 私もあと15歳ほど若ければあんな恰好をしてお菓子をもらいに行くのだが…。
2005年10月28日(金) |
Coccoみたいなのが書きたい |
3年も前に書いた小説を、当サイトに掲載するべく少しずつ手直ししています。 そのままファイル作ってしまえば早かったのだけれども、さすがにちょっと修正しないことには目に余るものがあるので(汗) そう言えば『子猫たちの休息』も3年前に書いたものなんですけどね。 あれは大して手を入れてないや…。
今日のBGMは1日中Coccoでした。 いつか彼女の曲のような小説が書けたらいいなぁと思います。 あの、ちょっと狂気めいた情熱が好きです。歌詞も声も。 好きな曲を数え上げたら切りがないのですが、『焼け野が原』『水鏡』『夢路』なんかが特にお気に入りです。
ご無沙汰です。風邪を引いておりました。
えーと、喉と頭の痛みで目が覚めたのが月曜日の深夜(と言うか火曜日の早朝)。 風邪を引いていなくても、寝不足のときとか変な時間に急に起こされたときなんかに頭が痛くなることってあるので、それだと思い込もうとした。←ナゼ。 でも、無理だった。 だって、頭が鷲掴みにされたようにガンガンして目を開けられないし、熱が上がっていくのが手に取るように分かるんだもの! 体が具合の悪さにぐんぐん侵食されていく、その音が聞こえるようだった。 もしくは、オセロゲームをしていて初めは勝っていたのに、一気に逆転されて、あれよあれよと言う間に盤上が白から黒に塗り替えられていく感じ。 頭がぐわんぐわん言ってるし充分苦しいのに、「うわ、すごい! 私、今まさに風邪を引いていってるわ! 進行形だわ、ingだわ!」と、世紀の一瞬に立ち会ってしまったかのような感動を覚える私。
熱はMAXで37度7分だったけれども、体感温度は38度超えてたかな。 火曜水曜と、これでもかと言うくらいに寝たので、熱は下がった。 まだ鼻がぐずぐずしているし少しフラフラするけど、こうやってパソコンに向かって日記を書いているくらいだから、もう大丈夫なはず。
風邪のせいか寝過ぎたためか、腰が痛い…。
2005年10月23日(日) |
これを持って営業活動しなくっちゃ♪ |
毎日更新! を目指してはいるのですが、つい1日飛びになってしまいます…。 だって書くことがないのだもの。 私って本当に面白味のない毎日を送っているのだなー、と実感する日々であります。 いや、生活そのものの問題ではないのかも。 アンテナだな、きっと。アンテナの張り方が足りんのだよ。
ところでところで、わたくし、桜井弓月用の名刺を作りました! それが今日届いたのですよ。 桜の花が斜めに散りばめられていて、なかなか素敵なんです。 名刺やさんのサイトでこのデザインを見つけて、一目惚れしてしまいました。 かなりお気に入りですよ〜。実物を見て、にんまりしています。 まだプロでもない(それで生活を立てているわけでもない)のに、「作家」と堂々と書いてありますし。
しかし、名刺なんか作っちゃって、いったい誰に配るんかな、私…。 今後私と会った人は有無を言わさず名刺を押しつけられますので、ご覚悟の程を(笑)
2005年10月21日(金) |
★「書くこと」とその周辺★その2.「物書きであること」が全てなわけじゃない |
私の体には物書きの血が流れている。 DNAではない、私が固有に生成あるいは獲得した血だ。 例えば頚動脈を切ったなら、流れ出る血は「物書きの血」であってほしいと思う。 けれども、「体のどこを切っても物書きの血が流れる」というふうにはなりたくない。 私にとって「書くこと」は大切で、主要なアイデンティティの一つだ。 でも、「物書きであること」が私の全てではないし、何かが全てであるような人間でいたくはない。 あえて言うなら、物書きであること、桜井弓月であること以前の原始的な「私」、それが全てだ。
私は、「桜井弓月以外の部分」で物事を見ていることが多い。 そのとき、私は物書きであることや桜井弓月であることを自ら進んで忘れている。 例えば友人といるとき、私は桜井弓月という名前を捨てて本名の私で存在している。 例えば、今勉強している資格を取得して、その資格を活かして仕事をすることがあるなら、私は今までとはまた別の「私」を獲得することになるだろう。 例えば恋人がいるなら、その人の前で私はあらゆる立場を脱ぎ捨てて、ただの女でいるだろう。 そのどれもこれもが、私にとって物書きであることと同じくらい、いや、もしかするとそれ以上に大切な「私」なのだ。 そして、そういう時間が逆に「物書きとしての自分」を作っていく。 日々、物書きの血を生成しつつ、その血を巡らせてフル活用するのは、実際にパソコンに向かってキーを打つそのときだけでいい。
とてもとても好きな人がいるとして、その人が隣にいるとき、見慣れているはずの風景がいつもとまったく違った色を帯びることがある。 そのとき、私は目の前の美しい風景を言い表すことなどできなくてもいい。 むしろ、言葉になどできない人間でありたいと思う。 ただ「言葉にできない」ということを感じられる、その方が私にとっては余程価値がある。 「どうして言葉にできないんだろう」と言いながら、そのことに酔っていたい。 それが、原始的な「私」で在るということ。
もしも「その風景」が物書きの血と引き換えにしか手に入らないなら、私は喜んで、その血の全てを手放すかもしれない。
「書くこと」は大切。誰にも奪わせない。 けれども、物書きであることよりももっと輝かしく、もっと貴重で失えない瞬間が、「物書き以外の私」の中に存在するということを、私は知っている。 それを知っているということが、物書きとしての一番の誇りかもしれない。
昨日、糸井さんの「ほぼ日」にリンク報告メールを送った。 そうしたら、なんとお返事が来たではないか! びっくりしましたよ、本当に。 あんなビッグサイト(東京ビッグサイトではない)だから、1日にたくさんのメールが来るだろうに。 こんな、しがない物書きサイト相手でも、わざわざお礼メールを下さるなんて!
マメにやる、ってことは大事なことだと思った。 だって、メール1通で私はより一層、どーんと「ほぼ日」ファンになってしまったもの。 そして、マメというのは他人を丁寧に扱うことなのだなあと実感した。
2005年10月18日(火) |
何の撮影かは分からないまま |
外出先で、ドラマか何かの撮影に出くわした。 雨の中、エキストラの方たちが傘を差して待機していて、頭が下がる思い。 名前のある女優さんなら、暖かい場所を用意してもらったりして、雨で寒い中でも少しはマシな待遇を受けているだろうに。 大変だなぁと思いながら、ミーハーな私は撮影場所に近づいてみる。 すると、向こうから筒井真理子さんがレインコートに身を包んでロケバスの方へ駆けて来た。 あぁ、有名な女優さんとは言え、傘を差してくれる人もいなくて一人で走ることもあるのね、と、そんなところでなぜか好印象。 そうなのよ、有名無名にかかわらず、みんなで等しく苦労を味わって一つのものを作り上げるんだわ! と勝手に納得したのだった。 筒井さん、お顔はちらりとしか見えなかったけれど、やはりきれいな方だった。 テレビで拝見する妖艶さがレインコートからも覗いていた。
用事が済んで秋物の洋服を見て回ったあと、パステルで巨峰タルトとチョコレートケーキを買った。 昨日、11月に発売予定の「選びし者へ」に関する仕事がとりあえず一段落した。 書くべきものは全部書いた。 だから、ケーキは全てのことを片付けた自分へのご褒美。 帰ってからさっそく巨峰タルトを食す。 おいしい。非常においしい。 が、甘くない。いくら私が甘すぎるお菓子は苦手だと言っても、甘くないにもほどがあるぞ、パステル。
秋になると髪が激しく抜けるのは私だけでしょうか。 お風呂に入ると、抜けた髪の毛が湯槽に浮くことこの上ないんですが。 タンパク質が足りないんだろうか……。
まあ、髪の量が多くて困る私としては、少々抜けても全く問題ないんですけどね。 むしろ、歓迎?
前は夏の終わりくらいによく抜けていたんだけど、最近は抜け毛の時期が延びたみたいです。
今年4月から、とある資格取得を目指して養成講座に通っている私。 講座は講義の日と実技を学ぶ日に分かれているのだけれど、今日は講義の日だった。 講義はお昼休みを1時間と10分休憩を数回はさみつつ、朝9時から夕方4時まで行われる。 大学を卒業して2年半、長い講義というものからすっかり遠ざかっていたので、集中力が続かないこと続かないこと…。 講義内容に興味はあるのに、気づくと眠たくなっていて、ノートを取る手が止まっている。テキストを目で追うことすら放棄していることもある始末。 学生時代はよく1日中授業を聴いていられたものだなぁと、我ながら感心してしまう。
講座に向かう朝の電車に、制服姿の高校生が大勢乗っていた。 「近頃の子供たちは…」なんてよく嘆かれるけれど、何だかんだ言ってもちゃんと学校に通って授業を聴いている(もしくは聴いているふりをしている)子たちは本当にえらいなぁと、彼らを見て思ったのだった。 週5日、へたすると6日も学校に通って、1日5、6コマの授業を受けるなんて、今の私にはとても考えられん…。
2005年10月14日(金) |
話せたらいいなとは思うけど、そんな使うことなんてないし |
※昨日の分も更新しました。
2年後にも、小学校で英語が必修になるそうだ。
私は、小学校で英語を教えることに、ものすごく反対というわけではない。 早い時期から楽しく英語に接することができれば、私たちとは違った感じで英語を吸収できるかもしれないし、今までとは別の英語教育が確立される契機になるかもしれない。
ただ。 小さい頃から英語を教えるのも結構だけど、その前にやることが他にたくさんあるんじゃない? と私は思う。
言語というのはコミュニケーションの手段なわけよ。 で、コミュニケーションというのは国語力がないとできないの。 (もちろん、国語力だけあってもダメだけど) 学生時代に英語を勉強していて痛感したけど、英語だって国語力がかなり物を言う。 相手が意図していることを理解して、自分の言いたいことを相手に伝わるように表現する。日本語だろうと英語だろうと、つまりはこれができればいいんだろうけど、この力を身につけるにはかなり訓練が必要だと思う。 日本語を使ってさえ、その訓練をしていないのが今の学校の現状なのに、それを飛ばして外国語を教えるのか?と思うわけ。 日本で生まれ育ったら、英語圏の人より日本人と接することの方が多い、なんて当然のこと。 ならば、まずは身近な友達や親や先生とコミュニケーションが取れるように国語力を養うのが筋ではないんだろうか。 それをせずに言語としての英語をただ教えても意味がないし、また表面的な改革だけで終わっちゃうと思うけど。 英語を必修にするのはいいけど、小さい頃からもっと自分の意見を言ったり他人の考えを聴く機会を作ることも忘れないでほしい。 小学校の頃から、ディベートとか模擬裁判とか模擬選挙演説とか討論会とか、やればいいのに。
と言うか、ぶっちゃけた話、今の英語のレベルってそんなに問題か? 確かに国際的に見て日本人の英語能力は高くないのかもしれないけど、ほとんどの日本人は学校を出たら英語とは関わりなく生きていくような気がする。 旅行や仕事で必要に迫られたら、そこからいくらだって勉強できるんだし。 まあ、話せないよりは話せた方がいいかもしれないけど、英語くらいできなくたってまったく問題ないでしょ。
英語ができないことよりもっと根本的な問題があるのに、それに気づかないのか気づいてるけど見ないふりをしている人たちが教育を決めているって、それが一番イタイと思うんだな。
何気なくテレビのチャンネルを「徹子の部屋」に変えたら、林真理子さんが出ていた。 彼女の小説を読んだことはないけれど、作家の話というのは興味深く聴けることが多いので、番組を見てみた。
林さんの1か月のスケジュール表には、びっしりと予定が書き込んである。 前は週刊誌の連載を4本も抱えていたそうで、その原稿の締め切りのほかに、打ち合わせや取材や趣味のオペラ鑑賞などで毎日毎日忙しそう。 さすが売れっ子作家、これくらいパワフルでないと務まらないのね!と感心してしまう。 でも、土日の欄はすべて空白。 だんなさんが亭主関白だそうで、休日に林さんが仕事の予定を入れると怒るらしい。平日の夜に彼女が外出することも、いい顔はしないそうだ。 私はそういう男性とは絶対に結婚できないし、したくないなぁと思う一方で、家庭に縛られることで却って作家としての仕事にメリハリがつくのかもしれないとも思った。
印象に残ったのは、「子供ができて自分も一緒に成長した、なんてことは言いたくない」という言葉。 確かに、子供を育てる中で自分が何か変わった部分はあるかもしれないけれど、成長という言葉とはニュアンスが違うから、とのこと。 あ、なんかいいなぁと思った。 私は天邪鬼だから、使い古されて手垢にまみれた「耳障りのいい表現」を聞くとちょっと引いてしまうところがある。 「自分の方が子どもに育てられた」なんて、確かに本心からそう感じている人もいるのだろうけれど、ほんとに?と疑ってしまうこともあるのだ。 実は「子どもに育てられたと言っている私って、いい人でしょ?こんなこと言うなんて、成長したでしょ?」とアピールしたいんじゃないの?と勘ぐってしまう。
「成長」なんて分かりやすい言葉を使うのは簡単なこと。 でも、自分が感じているのは「成長」とは違う。 だから、その言葉は使わない。 そこに、言葉に対する彼女の真摯な対面が感じられた。 「小説を読んだことはないけれど、この人はたぶん、ちゃんとした作家なんだな」と思った。 林真理子は作家なのだ。
でも、正直なことを言うと、それ以上に感じたのは「こいつ、私と同じで天邪鬼だな」ってこと。
今日は久しぶりの良いお天気でした。 部屋の窓から見える秋の夕方が好きです。 柔らかな秋の陽射しに照らされた桜の葉が、とてもやさしい色合いをしているのですよ。 それから、芝生も遠くの建物も、みんな少しノスタルジックに輝いていて、ミレーあたりの絵のよう。
……ウソです。「ミレーあたり」は適当に言ってみました(汗) ミレーは「落穂拾い」しか知りません。
まぁ、とにかく、この時期の晴れた日は、部屋の外を眺めているとふんわりと落ち着いた気持ちになれるのです。
ところで。 日本語って難しい…。 話し言葉は勢いで(?)乗り越えられますが、書き言葉ではちょっとしたところで躓いては悩む、ダメ物書き・桜井です。 しかも、一度深みにはまると、なかなか抜け出せない日本語の罠。
辞書の同じ箇所を何回も引いてしまうワタクシ…。
2005年10月11日(火) |
★「書くこと」とその周辺★その1.ばななパワー |
※今日から当日記にて、「「書くこと」とその周辺」と題して、物書きであることや物を書くことについて 桜井が日々感じたり考えたりしていることを、不定期で綴っていきます。 日記タイトルの前に★「書くこと」とその周辺★とついているものは、内容が日記ではありませんので 悪しからず。 果たしてシリーズ化できるのか……?
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プロフィールにもある通り、私はよしもとばななさんの小説が好きだ。 初めてばななさんの小説を読んだのが確か中学生のときだから、かれこれ10年以上愛読していることになる。 その間、「新刊が出れば即買う」というような真面目なファンをやってきたわけではないけれども、彼女の小説は今でも気持ちにぴたっとはまるところがあり、私の心を充たしてくれる。
そんなばななさんが、糸井重里さんのサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」でコーナーを持っている。 ちょうど原稿で切羽詰っていてどうしようもないとき、そのコラムを読んだ。 そのとき、自分でも驚いたのだけど、私は読みながら涙ぐんでしまった。 ばななさんの文章から何か途方もないエネルギーをもらって、自分にエネルギーが湧いてきたことに安心したのだと思う。 いや、正直なことを言うと、自分があんなふうに迷いのない文章を書けないことへの悔しさも、あったかもしれない。 とにかく、そんな感じで涙しながら、「ああ、私は自分で思っているより結構追い詰められていたんだな」と自覚したのだった。 そう自覚したら、今度は開き直ったのか、そのあとは却って原稿に集中することができた。 恐るべし、ばななパワー!
コラムの内容は、別にどうということはない。 感動的な話でもなければ切ない話でもなくて、ごく普通の、日常生活で起きたちょっと気になることが書いてあるだけだ。 つまり、内容自体には、どこにも涙の要素がない。
私が圧倒されてしまったのは、彼女の文章に溢れる潔さだ。 小説を読んでいても感じることだけれど、ばななさんの文章はとても潔い。 それは、生きることへの潔さでもあって、人生での悲しみや寂しさや悲惨さや他人に対する甘えというものがない。 物書きとしての腹のくくり方、みたいなものが、文体から滲み出ているのだ。 「自分の意志で、覚悟を決めて物書き始めたんでしょ、これくらいの心意気がなきゃ、やっていけないよ?」とでも言われているみたいな……そんなことは一言も書いていないけど。 私の中にある覚悟を試されているような気がした。 だから、「それなら、やってやろうじゃない」と思って、原稿に戻ったのだ。
そして、もう一つ彼女のコラムから学んだのは、自分の日々の生活で起こる出来事や周りの人たちと丁寧に接することが、いかに大事かということだ。 私はどうしても、「自分の周辺で面白いことがたくさん起きる人と、そうでない人がいる」と考えがちだ。 でも、本当はそうではないんだ。 自分がいかにアンテナを張って身の回りのことをキャッチしているか、なのだ。 何が起こるか、の違いではなくて、自分がどれだけのことを感じ取れるか、の違い。 ばななさんは本当に、ちょっとしたことを自分の中にうまく吸収して、そしてきちんと自分の目を通したアウトプットの仕方をする。
好きな人の言葉というのは、こうやって私の背を押し、手を引いてくれるのだ。 そして、私が物書きであることを自覚させる。
ほぼ日刊イトイ新聞 (よしもとばななさんのコーナー「U.M.A. 未確認動物」は毎週水曜日更新です)
※10月8日(土)分の日記も更新してあります。 今年の秋は雨が多いと思いませんか? 今日は旧体育の日の10月10日。晴れの特異日ですよね。 なのに、朝からずっと雨が降ったり止んだり…。 桜井は車椅子を使用しているので、雨の日はお出掛けがなかなか大変(><) どうしてもという用事がない限り、外出はしません。 雨は外出に関して一番心配なことなので、昔から雨降りの日は嫌いです。 用事がある前日は、天気予報を何回も見ます。
でも! いろいろとやるべきことがある日は、雨降りもいいですね。 お天気に誘われてフラフラお出掛け〜という気にならないから。 こんな日は、音楽を掛けながら家での雑用をお片づけ。 それが終わったら、読書の秋もいいものです。
ところで。 最近、パソコンに向かっている時間が長くなっているせいか、目が重かったり痛くなったりします。 あと、あくびするときに出る涙の量が多い! 泣いてるみたいにボロボロと…。 原稿が一段落したので、少しパソコンの時間を減らそうかな。
あ、でも! 日記はちゃんと更新していきますよ☆
家を出ると、ふわぁっとキンモクセイの香り。 キンモクセイは香りがきついので好き嫌いがあると思いますが、私はわりと好きな方ですね。 朝早くからの外出で、空もどんよりしていたので気が重かったのですが、甘い香りのおかげで気持ちがしゃきっと目覚めました。
夜はとある無国籍レストランで飲み会でした♪ 飲み放題のコースで料理が決められているのですが、最後にデザートで紫芋のシューアイスが! 紫芋のアイスって珍しいですよね。 甘さ控えめで、とってもおいしかったです^^ (桜井は洋菓子が好きですが、甘すぎるお菓子は苦手><)
それから、カシスオレンジもおいしかったですよ〜。 一般的に、カシスって甘いですよね? だから私は1杯で飽きてしまうのですが、今日飲んだカシスはどんどん飲めちゃいました。
初めて行くお店でおいしい料理とお酒を頂けると、また一つ自分に合うものを見つけられた♪って、嬉しくなります。
とりあえず一山越えました。
来週からはマトモな日記を書きたいです。
えーと。 フルマラソン走っていて、もうラストスパートだと思っていたのが、実はあと10kmもあった。 という状態に陥っております(汗)
そのため、ネジが1本飛んでどこかに行ってしまいました。
どなたか桜井のネジをご存知ありませんか?
2005年10月04日(火) |
ほしいものがいっぱい |
昨日はサイト開設3日目にして早くも日記をサボってしまった…。 前途多難だなぁ。
さて、気を取り直して。 今日は横浜高島屋をちょっとウロウロしてきましたよ。 今年は秋冬物をまだ何も買っていないので、あれこれチェック。 と言っても、今日は買わずに、下見という感じです。 ショップを見て回っているうちに、欲しいものが増える増える! 今年は黒いロングブーツを買いたいのですが、そうすると、ブーツに合うスカートも欲しくなるし、明るい色のニットや黒いセーターも検討中なのですよ。 むむ〜欲しいものが多すぎて困るゾ。 とりあえず、23区と卑弥呼のブーツは要チェック! 何はともあれ、高島屋は私にはお値段高めなので、本当に買うとなったら他のお店に行きますが…。 でも、買わなくてもデパートを見て回るのって楽しいですよね。
そしてそして、今日は横浜駅のコンコースにHIROTAのお店が出ていました! あそこのカスタードシュークリーム、大好きなんです♪ シューがふわふわで、クリームは上品な甘さで、とってもおいしい(*^^*) でも、HIROTAって最近あまり見かけなくなったんですよね〜。 ということで、見つけたからにはもちろん買って帰りました☆
何日か涼しい日が続いていましたが、今日は打って変わって夏が戻って来たように暑いですね。 お天気も良かったので、遊びに行かれた方も多いのでは? 私は部屋にこもっていましたが…f^^; 明日は今日に比べて気温がぐんと下がるようなので、皆さんも風邪を引かないようにお気をつけ下さい^^ ……と言ってる私が気をつけないとね。
さてさて、桜井がなぜ引きこもっているかと言うと…。 この秋、『選びし者へ』が単行CD-R化されることになり、それに向けてラストスパートしているところなのです! 昨年『選びし者へ』を連載していた『Silence revolution』と同じDigitalCreateさん発刊です。 詳細が決まり次第、またサイト内でもお知らせしますね。
今回のお仕事が全て終わったら、カラオケにも行きたいし、秋冬物の洋服も買いに行きたいし、しばらく会っていない友達とも遊びたいです! 秋の味覚も気になりますからね〜おいしいものも食べに行かないと♪ 心置きなく遊べるよう、今が踏ん張りどころなのですよf^^;
(あ、仕事が終わっても、あまり遊んでる場合じゃないかも。とある資格試験を控えているのでした…汗)
はじめまして。桜井弓月です。 (「はじめまして」ではない方のほうが多いでしょうか?) 本日、無事にサイトを開設いたしました。 それと同時に、念願の「エンピツ」デビューです。 ずっと、「エンピツ」で日記を書きたかったんですよ〜。
当サイトは物書き・桜井の小説サイトです。 が、まぁ、あまり気負わずにゆるゆるとやっていこうと思っておりますので、気長に見守っていただければ幸いですm(_ _)m 日記はできるだけ更新していきます。
もしよろしければ、今後ともよろしくお付き合い下さい☆
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