私の雑記帳
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2007年04月26日(木) 「虹とスニーカーの頃」

昨日のNHK番組でチューリップの特集を見た。
「虹とスニーカーの頃」を聴くと私が中3、受験生だった頃を
思い出す。私はこの曲でチューリップを知ったようなものだが、
その前から十分にメジャーであった。
時が過ぎ、みな平等に歳をとったが、
財津和夫は渋くてまだまだかっこよかった。
解散はさみしい。



2000年から「3年日記」を時々付けていた。
たぶん2005年頃までは書いていたように思う。
離婚する前のことから、離婚後2年くらいまで。
まさに日常の記録であった。

何を食べたとか、どんな一日だったとか、
子供の記録もある。
でも、思い出したくないことも書いてある。
すでに忘れていることでも記録として残っている。

その「3年日記」を今日突然全部捨てた。
残したい記録については、残念だけど仕方なかった。
これを捨てられたら、私の物への執着もかなりなくなるような
気がした。
さっぱり生きたいのに、物が溢れて捨てられない。
私はかなりの重症だが、これですこし身軽になれるだろうか・・・
思い出に溺れるだけが人生じゃ、つまらない。


2007年04月16日(月) これは、違う

映画「東京タワー」舞台挨拶のmixiニュースで、

<長女の内田也哉子(31)と初共演したオカン役の樹木希林(64)>

とかいてあるが、これは違う。初共演ではない。
NHKドラマ「花へんろ〜風の昭和日記」のたしか第二シリーズで
親子の役で共演している。その時の内田也哉子の芸名は、
たしか、小きりん だった。(希林の子だからだろう)

当時は子供だから芸暦には入れないのかもしれないし、
子役時代は封印なのかもしれないけれど。


2007年04月15日(日) アングラの血

見ようかどうか迷って、最終回だけ見たNHK「ハゲタカ」で、
強い存在感で目を惹いた田中泯が気になった。
暗黒舞踏家の土方巽の弟子だというが、アングラ系はよくわからない。
うーん、誰に聞いたらよいものか。

また主役の大森南朋(笑顔がちょっと坂本龍一に似てる?)、なんだか
掴み所のない役者だが、麿赤兒の息子であると知って驚き。

濃厚なアングラの血が流れる「ハゲタカ」は、予想通り硬派で
スケールの大きな人間ドラマであった。
さすがNHKであると思う。



少し前に放送したフジの「鬼平犯科張」SPも、いつもの
レギュラー陣が、大変渋い名演技を見せてくれた。
多少歳をとった感はあるが芸達者たちだけの芝居は見ていて
心地よい。

いま見ているのは大河だけだが、今期は「時効警察」続編を
楽しみにしている。
ゴールデンでやれない低予算的だが軽めでそこそこ面白い。

質の良いドラマがみたいと思う。


2007年04月12日(木) 小さな一歩

今日はいつもなら車で行く買い物を、
自転車を牽きながら往復ともに歩いた。
正味20分弱、往復35分位だけれど。
私には大きな進歩だ。
他にも珍しくてきぱきと家事をした。
身体を動かすことで、少しは体力を回復したい。
まずは一歩から、頑張ろう。

パソコンの台をロータイプのものに変えた。
嫌いな椅子をやめて、座卓タイプのものにした。
これは、これで腰に悪いのだろうか。
机周りが荷物であふれている。
物が捨てられなくてうんざりする。

さて、いまからエクセルの勉強、頑張ろう。




2007年04月08日(日) 愛と孤独

久しぶりに、彼のことを書いてみる。

もう8ヶ月も会っていない。
というかこれから、会えるメドもない。
彼がお金で困っていたから会える機会もあったが
いまは長い借金から開放されて、私に会う絶対的な理由が
もはやないのである。
彼自身、そんなつもりはないと思う。でも現実に、彼は
休みのない仕事と危篤状態の続く母親のことだけで、
時間はいっぱい、したがって私と会う時間はないのである。

もう私を愛してもいないし、必要も感じていないのだ。
電話で話すことでさえ月にせいぜい2度である。
愛情などあるわけがない。

私は一時期、恋愛に恋焦がれていた。今でも誰かを強く愛したいと
思うし、愛されたい。
恋愛で満たされたいと思うのは、おかしいことだろうか。
彼を好きになって本当に苦しかった。

彼に貸したお金の残高は、まだ110万円ある。
昨年12月から毎月給料日が過ぎると3万を振り込んでくるように
なった。いままでかえしてもらった分は私の用立てた金で
後110万は私が妹からかりたお金なので、ようやく私も
その金を妹に返していける。

もう私たちをつなぐものは、悲しいことに
返済の振込みだけになっている。
私の調子が悪くて、ずっと考えることを避けてきたが
私たちは、とっくにおわっている。私は、ずっと来ない人だと
知りつつ待っていたに過ぎない。
もう少し愛されていると思っていたけれど、彼から会おうと
言い出すことはないような気がする。
彼は息子二人との生活、私は娘二人との生活、それぞれの生活は
もちろん大事である。
でも、とても寂しいとおもう。そして、薄情な彼を恨んでみる。
昔、彼が仕事で行ったというイタリアかハワイに、何時の日か
一緒に行けたらいいねと話したのが1年前。
英語が話せる彼に憧れた。いつか本当に一緒に旅行したかった。
外国はおろか国内でさえ1泊もしたことがないのに。
人並みな恋人でもなかったわけだ。

私も最近年をとり否応なく衰えを感じている。
どっぷりと中年なりになりもう恋をする相手もみつからず、
このまま惨めな生活のまま
老いて行くのが、私のこれからなのだと思う。

いろんなしがらみのある地元を離れて、どこかだれも知らないところへ
行ってしまいたいが、そんな望むような場所などこの世のどこにも
ないだろう。
日々の暮らしの金さえない人間に、遠くに行く術はない。
野垂れ死にする覚悟でもあれば別だが。

彼に愛してもらえないのなら、私は死に物狂いでいまの生活から
抜け出して、自分がこれ以上惨めな思いをしないようにして
自分を守るしかない。
娘たちにも、世間に肩身の狭い思いをこれ以上させられない。
学歴もなく資格もとりえも特技もない惨めな中年女が
わたしなのである。

いまから私に何ができるのだろうか?








2007年04月07日(土) 新学期

20年以上も使い慣れた親指シフトのキーボードから
JISキーボードに変えて、まるで左手で文字を書くがごとく
まどろっこしくキーを叩く。

ようやく回復傾向にある体調だが、元気になったら今度こそ
体力をつけたいと思う。

子供たちが新学期を迎え、否応なくわたしも親として
さまざまな試練がある春である。
私の辛さなどだれにもわからない。
私がどれだけ不安でびくびくしているかなど
どんなに話しても、理解できないだろう。

私の苦しみや悲しみは、私の中だけで存在すると思えば
他者に理解を求めても仕方ないのだが。


2007年04月03日(火) 地元優勝に沸く

まったく、風邪がぬけないというのに昨日は姪を三鷹の家まで
送り届けることになりまた上京。ここひと月で3度も上京というのに
三鷹往復ばかり、行きたいところには行けず、銀座も新宿も
素通りである。

とにかく身体が回復しないことに苛立ちを感じる日々。
今も調子が良くない。
頭痛もひどくなりイライラする。
やることがすべて滞り、時間だけがすぎてゆく。
新年度を迎えたというのに自立のめどがたたないのは
相変わらず辛い。保険証がない生活の恐怖は
計り知れない。
身体のこと、経済的自立、何もかもが連動している。



地元の高校が甲子園優勝した。
県勢では29年ぶりの快挙であった。
こんなに高校野球をしっかり観たのは久しぶり。
縁もゆかりもない高校だが、地元というだけで楽しませて
もらった。一生のうち地元が優勝するなんて
何度も観ることは無いだろうと思うと
今日の優勝も、これからも長く言い伝えられるのだろうなと思う。
監督が29年前の優勝チームの主将だったというのも
なんだか不思議なめぐり合わせである。
明日には地元テレビでは特番をやるので、それも見て
なんとなく嬉しい気分を味わいたい。




pearl〈パール〉 |MAIL

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