希望の日記

2005年12月31日(土) 大晦日

 日付が変わった。気が高ぶって寝付けない。これだけ一日で気付きが多かったのだから自然なことだ。ゆっくり休ませてあげよう。上手に休めるようになるといいな。それが上手にできれば人と喧嘩することはなくなると確信する。それはきっとできるということも確信する。知に働けば角が立つ。フォーカシングのように体のいうことを聞けば真実がわかる。体は全てを知っている。脳が健忘症になっても体は忘れない。だから脳を重圧から解き放って体に任せてみる。さっきそうしたらぐっと楽になった。どんどん普通の人に近づいている気がする。この調子で行こう。普通の人が一番立派なんだ。もくもくと勤めを果たしている市井の人々が一番尊い。全てに人に感謝だ。だから今日はゆっくり休もう。体に全てを預ければ全てうまく行く。素直が一番。知に働きすぎ、賢くなろうとするから破綻する。賢い人はいくらでもいる。全てに勝とうなんて正気ではない。その狂気じみた妄執から私の脳を解き放ってあげよう。体に全てをゆだねよう。そうすればきっとうまく行く。
 良い方向に行っている。少し落ち着いてきた。脳の興奮も醒めてきたのだろう。体に委ねると良いことがある。人に意地悪することは止めよう。反対に親切にしよう。特に弱い立場にあるものをいじめるのは一番良くない。必ずしっぺ返しを食らう。おじさんも人に偉そうにばかりしていると、頭を下げなきゃいけない羽目になる。私は偉そうにするほど偉くはない。謙虚が良い。ありのままの自分が良い。素直な自分が一番良い。ストロークを出し惜しみしてはいけない。解放してあげよう。この世の全ての人に親切にしよう。ああ、だいぶ落ち着いてきた。その調子だ。体に委ねよう。
 ああ、眠れない。これほど多くの気付きが押し寄せてきた一日だったので無理もない。真人間になる関門だ。牛乳を温めて飲んでいる。これが一番良いだろう。人に偉そうにするのが悪いところだ。弱いものいじめしたり。小さい頃弱いものいじめした悪い癖がまだ抜けない。一番悪い点なので直すようにしよう。hの奴がそういうところをまねする。kも同じだ。私はあの二人につらく当たっているのだ。本当に敵意があるか。今はない。むしろ感謝している。辛い仕事を引き受けてくれて感謝の念がないことに腹を立てている。きっとそうだ。私は素直になろう。悪いことをして開き直るのが一番悪い点だ。反省点、直すべき点、努力目標がいっぱい見えてきた。あの飼育係と白熊の物語に通じる。世の中は辛いことと楽しいことがちょうど半々くらいにできている。辛いことをクリアーして初めて楽しいことを味わえる。義務や責任を放擲する奴がおいしいものを味わえるのか。大きな勘違いだ。義務を果たそう。責任を果たそう。大人としての、社会人としての。感謝の気持ちがあれば当たり前にできるだろう。甘えるのもいい加減にしろ。人に悪いことをする点、義務を果たさない点、いずれも許されないことだ。でも私はもう、自分の過ちや悪い点に自分で気付き、自分で直せる普通の真人間になれそうだ。長い時間がかかった。カウンセリングを受け、九重に行き、b校に行き、物を書き人に会い、いっぱい癒され、いっぱい気付いた。感謝してもし切れない。幸せ者じゃないか。こんな私でも世の中は生きることを許してくれる。これからは人に優しくし、人をいっぱい愛し、親切にし、義務と責任を果たそう。悪いところはどんどん直そう。人を決して馬鹿にしてはいけない。当たり前のことだ。私はそういう卑しいところがある。誰の心にもあるだろうが、人は普通に修正している。自分の中で増幅したりはしない。当たり前のことができる大人になろう。
 私は自分が好きだ。こんな気付きができ、反省し、前に進める自分が好きだ。他人も好きだ。ようやっと前に進めそうな気がする。父が死んだショックから漸く立ち直れそうな気がする。自分の罪や悪い点が気付くようになって改善できる状態になった。やっとここまで来た。良かった。
 まだ眠れない。仕方ない。これだけ多くの気付きが押し寄せたのだから。九重から帰ってきたときとよく似ている。悪い変化ではない。良い点は伸ばし、悪い点は改めていこう。当たり前のことだ。当たり前のことができるようになった。hとは喧嘩すまい。気持ち悪いし、大嫌いだけど、仕方がない。ワニみたいで薄気味悪い。人間らしくない。寒気がしてくる。爬虫類は絶対人になつかない。そういう気がする。でも生きていかなくてはならない。何で私を目の敵にする。きっと私があいつを嫌いだから怒らせるようなことばかりしてしまうのだ。向こうから見たらいじめられているような気がするだろう。でも喧嘩は一人ではできない。だから絶対に喧嘩にはならない。相手をするから喧嘩になる。まだkの方が御しやすい気がする。私の得意な無意識に人をいじめている行動だろう。いじめる相手がいなくなると自分をいじめる。こういう行動に気付いて改めることが肝心だ。でも上手に手なづけることが大事だ。怒らせるようなことはしない方がよい。海賊の子孫だから恐い。会社に入ってから恐い思いばかりしている。恐いから逃げるとますますいじめにかかる。私にはどうしてよいかわからない。生きていくのは辛い。あの白熊の気持ちが痛いほどわかる。苦しみぬいて癲癇になってしまった。病とともに生きていくしかないだろう。ストレスから解放されることはないのだ。上手にストレスを飼いならすのだ。hのことは今は考えなくて良い。最善を尽くすだけだ。人のことがどうしてあんなに気になるのかがわからない。関係ないだろうといいたい。私は病気なんだといいたい。全く理解ができない。おそらく平行線だろう。飼育係と白熊の関係と似ている。飴と鞭で言うことを聞かせようとしてくる。こうして日記にぶちまけていると少しはストレス発散になる。役に立っている。私が正しいと思うならばこのまま行くだろうし、悪い点があれば改めれば良い。簡単なことだ。
また起きてしまった。でもいいだろう。大晦日だもの。一晩中おきていても良い。私は世間を知らないなあ。知ろうともしない。めくらで生きている。取り残されている。ほっかぶりしている。やっぱりhを非難するのは違うだろう。感謝していいはずだ。仕事を引き受けてくれている。これで憎まれたらたまったものではない。やっぱり謙虚になろう。素直になろう。
 九重に行ったのは良いけど大きな気付きをしたのだけれど、安定剤を手放せない状態になってしまった。得る物があれば失うものがある。甘い面と苦い面が背中合わせになっている。この世の中。正面突破を図ったのはいいが、やはり後が続かない。自分の悪い点を改め、行動を変えない限りだめだと気付いた。この間の研修くらいから変わり始めた。集会も楽しかった。興奮しやすい、激しやすい性格に変わってしまった。でもそんな自分を飼いならすことはできる。私は十分自分をコントロールできる。焦ったりあわてたりする必要はない。落ち着いてゆっくりやるときに良い結果が出る。試行錯誤が大事だ。一度でうまく行くものではない。脳が興奮しやすく喧嘩しやすくなってしまった。挑発には乗らない。喧嘩は一人ではできない。残忍であったり、意地悪であったりしてはいけない。優しい自分が一番だ。誰でもそうだ。理不尽なことを押し通そうとしてはならない。
 自分をうまいことコントロールできれば、周囲の人間ともうまくやっていける。プラスのストロークが出せないことは拒絶と受け取られる。大変危険なことをやっている。知らなさ過ぎる。人を社会を。もっと社会性を身につけよう。今からでも遅くはない。ぜひとも必要なことだ。簡単なルールを覚えよう。そして素直に実行しよう。少しの勇気でできる。挨拶とかそういう話だ。
ああ、本当に疲れた。とうとう朝まで眠れなかった。こんなこともあるさ。体に委ねるということができなかった。くたくただ。いつか眠れるだろう。本当に気付きが多すぎて興奮していたのだ。自分にご苦労さんと言いたい。荷降しをしてゆっくり休もう。
ああ、疲れた。ついに朝を迎えてしまった。こんなこともあるさ。元気な証拠だ。風呂に入って神経を鎮めよう。良い人になろう。なれそうな気がする。周囲の人間とうまくやっていこう。極悪な人間はもうやめだ。私の柄じゃない。誰にでも親切にしよう。プラスのストロークを出そう。愛のパワーを出し惜しみせずだそう。それが生きる道だ。そういう力が備わっているのだ。
 顔を洗ったらだいぶ気分が直った。さっぱりした。これで風呂に入れば完璧だ。人間らしい心を取り戻せそうだ。歪んだ認知を修正して元気に生きていけそうだ。昔からあるのだ。受け止め方で気分が変わる。感情が変わる。私は重大な勘違いをしているようだ。それこそ認知の歪みだ。それは修正できる。あんな凶暴な人間を敵に回すなんて。いつもそういうことを繰り返している。入社したときからそうだ。高校、中学のときもそうだ。プラスのストロークが全く出せず息も絶え絶えだった。自分の殻に閉じこもっていた。今こそ変われる。長い準備を経て脱皮し、メタモルフォーゼする。十分可能だ。素直な心は何十年も死なずに生きていた。柔軟な心を取り戻して力強く生きるのだ。だいぶ落ち着いてきた。自分を守ることくらいはできそうだ。良い大晦日になりそうだ。
 今こそ変われるんだ。喜びだ。くよくよする自分から力強く明るい自分に私も普通の人間と同じなんだ。自分の力で生きていけるんだ。先のことは誰にもわからない。でも私はもう後戻りはしない。良い人間になるんだ。必要とされる。社会人になるんだ。簡単なことから目を背けるな。勇気を出せ。就職してからずっと同じことを言われ続け、同じ失敗をしてきた。小さい人間だった。でもこれからは違う。変わったんだ。変わり続けるんだ。奇跡は起きたんだ。
 一人は正直寂しい。そのことを認めることができただけでも大きな進歩だ。小田和正のコンサートを見ていると魅せられる。人柄、曲、歌唱力、いずれもすごい。曲はどれも良く似ているがどれも美しく飽きることがない。職人肌で信頼できる誠実な仕事ぶりだ。dvdも買ってしまった。エンヤのcdも買ってしまった。プチ衝動買い。ストレス発散だ。私はもう何も必要ない人間になってしまった。とても経済的だ。欲望が弱くなっている。ぎらぎらした欲望などない。バブルなど聞くのも不快だ。一人静かに豊かな生を楽しみたい。一人で生きているとピントがずれてくる。世の中から取り残されそうな気がする。でも一人じゃない。誰かのお蔭で生かされているのだ。感謝の気持ちだけは失うまい。何もできなくても感謝くらいはできるだろう。感謝の気持ちがあれば腹は立たないだろう。多少嫌味な人物であったとしても。一緒にいたくないという気持ちがストレートに出てしまう。母親に対してもそうだ。どうしてそんな気持ちになるのか。わからない。自分でもでもこれからは変われる。真人間に戻るんだ。自分も人も尊重するんだ。
 ああ、眠れない。異常だ。でもいずれ眠れる。心配は要らない。今は余計なことは考えず、荷降しをしてゆっくり休むのだ。変化しつつあるときの不安定な状態だ。心配は要らない。私は優しい人間でありたい。意地悪や嫌味はもう金輪際止めた。私の柄じゃない。でもどうしても女と衝突してしまう。衝突を避けるため女同士はいろいろやっているが私は何もできない。無力な存在だ。愛が恐いのか。愛は生きるために不可欠なものだ。愛を恐れる必要はない。
 今日は格闘技がある。楽しみだ。小川、吉田戦。シウバ対アローナはシウバを応援しよう。優しい人間でありたい。残酷な人間はだめだ。優しい人間でありたい。優しくない人間など存在しない。
 私は残酷なことをいっぱいしている。白浜で母にひどいことをした。自分では気付かなかったが、それはやってはいけないことだった。でも自分の力ではどうしようもなかった。疲れきっていた。申し訳ないことをした。でも母を思う気持ちは変わらない。愛がないと精神異常になる。あの白熊と同じだ。一人で暮らすと奇矯な人間になる。荒んでくる。今年の正月は盛り上がらない。精神的に不安定で気がかりなことがある。でもきっと良い予兆だ。子供を見る目に殺意がこもってしまった。相当来ている。人間らしさを取り戻そう。ありとあらゆる方法で。
 頭で考えることより体で感じることの方が正しい。体は全てを知っている。体の言うことを聞こう。
 優しさが大事だ。愛と優しさは不可欠だ。私は一生こんなものだろう。だからせめて人に迷惑をかけず、役に立ち、優しい人になりたい。本当にこの二日間は疲れた。物語が私を癒すだろう。
 やっぱりhのことが大きいということがわかった。もちろんkのこともあるが。今は6:4でhじゃないか。あいつのせいで気分が悪くなり、女まで憎く思えてくる。挨拶しなかったのがいじめの原因だ。今猛烈にストレスがかかって眠れないのもあいつのせいだ。でも喧嘩はしない。喧嘩は一人では絶対にできない。でも女に罪はない。認知が歪んでいる。
 相当ストレスがたまっている。そのことに気付いただけでも偉い。無関係な人にまで敵意を覚えるくらい危険な状態だ。あの職場にいることは大変なストレスだ。喧嘩はしないし、する必要はない。一人で喧嘩はできない。a対aで対しよう。上からものを言われることと、しつこいことと、個人を攻撃するところが受け入れられない。私はあいつの人格をどうしても受け入れられない。何を言っているのかまったくわからない。自分の仕事を黙々とやっていこう。私は絶対喧嘩はしない。でも喧嘩を売っているようなものだ。それがあいつを苦しめている。だったらどうすれば良い。距離を置くことだ。それが最善の方法だ。
 子供が可愛く見えない。相当ストレスがたまっている。あいつのことで私がストレスをためる必要は全くない。あいつの性格がおかしいのであって、私には関係ない。喧嘩は一人ではできない。喧嘩を売らない。買わない。a対aで行く。それだけ気をつけて自分の仕事に集中するだけだ。何であんな奴と喧嘩しないといけないのかわからない。
 私は優しい人でありたい。だから今の状況は嫌だ。枯渇してぎすぎすした状態。暴発しそうな攻撃性。おかしい奴はいくらでもいる。あの職場は。いちいち気にしていたら身が持たない。
 外に出たら気分がぐっと良くなった。この部屋にいてベッドとパソコンの前を往復していたらおかしくなる。受け入れないという選択肢があることに気付いた。必ず何でも受け入れようとするが、その必要はない。
 さあこれからプライドで楽しもう。漸く気分が改善して来た。
 楽しい。絶好調が戻ってきた。プライドは楽しい。
 楽しい。楽しい。吉田が勝った。小川は骨折したらしい。あれはあれでいいのかね。もうすぐ年が明ける。苦しいことは考えない。外界に目を向けていこう。内面なんかどうでも良い。小説でも外界に目を向けることが大事だ。
 もうすぐ年が明ける。新年は良い年になる。外界に目を向けよう。苦しいことは考えずに楽になることを考えよう。



2005年12月30日(金)

 昨日はかなり飲んだ。一人で生きるのは辛い。でもつらさに耐えて生き抜こう。誰でも辛いんだ。他人のことを考えたことはなかった。ちょっと気分が悪いけど何とか乗り切れそうだ。何か自分を信頼できる。チョイ悪親父として生きていこう。uさんみたいに。でもuさんみたいに小さな悪事をしたりしない。大きな悪事も気づかずに、あるいは気づいてやっている。私と似ている。どうしようもないのだ。生きていることは罪を犯すことだ。私はそれを学んだ。神や仏にすがりつつ生きてゆかねばならない。長いようで短い旅だ。
 昨日のヨドバシの女店員はとても良かった。私はよほど疲れた顔をしていたのだ。親切にしてくれた。親切にしてくれているのに素直に感謝できない。そこがおかしい。疲れている。そこを直そう。a対aで行こう。疲れていてもそれくらいはできる。会社でも人と仲良くなんかしなくても良い。仕事なんだから。
 何か自分の中に変化が起きている。良い変化が。nhkの白熊の話を見てからすごく癒された。一言では言えない。すごく複雑で高次の変化(進化?)が起きている。霊的な変化。これを抑える必要はない。もっともっと表に出していけば人気者になれる。江原何とかみたいに。俺は江原じゃなくて江頭か。
 九重もいいけどお金使ってまで無理やり自分を変えるのは一度きりでよい。悪いことを悪いとわかっていてやるのは止めよう。世のため人のためになることをしよう。当たり前のことだ。役立たずになってはいけない。うつの只中にいる私は疲れ切っていることにも気づかない。憐れだ。ストロークの出し惜しみは止めよう。私は父と同じで人が良すぎる。もっと欲を出していいんだ。人に迷惑をかけない範囲で。一所懸命仕事をするのはibではない。いくらでもしていい。日本人は誤りを犯しやすい。誰でもそうか。ナチのこともあればベトナムやイラクのこともある。世界は日本はキチガイに牛耳られている。しかもそれを繰り返す。今またバブルの愚を繰り返そうとしている。
 いやみで意地悪な私。持っているものをあげないとじらす。持ってもいないものまで見せびらかす。それで商売とはあこぎな。堅気に戻ろう。山師かお前は。それか思い切って芸人になれよ。作家のお友達もいるぞ。
 来年から真面目に仕事しよう。一緒に仕事したくないので仕事しないとはいくら何でもひどい。真人間に戻ろう。
とても疲れている。昨日飲みすぎた。人に親切にしよう。全然人に親切にできない。でも今はできそうだ。そうしたいという意欲が湧いてきた。親切にすればするほど社会にいやすくなる。居場所がないなどと嘆いている暇があったら人に親切にしよう。
 世の中は快いものと不快なものとちょうど半々くらいでできている。どちらか一方だけというのはありえない。関西人でも東京人でも同じだ。世の中は一巻の物語だ。私はそれを読み味わう力を十分過ぎるほど持っている。
 私は一目で敗残者と見抜かれてしまうようだ。金を払っても親切にされない。私が物を買うのは人に親切にされたいからだ。でも今日はうまくいった。世の中は良い人が多い。私は悪い部分が多い。悪い部分を抑えて良い部分を出すようにすれば世の中きっとうまく行く。
 自然にうまく行く。認知療法とか姑息な手段を使わなくても賢い私は正しいことが自ずからわかる。誰でもそうか。賢ぶるのは止めよう。幼子にもかなわないくらい馬鹿なのに。
 今絶好調だ。一年前の絶好調をはるかに上回る。今のほうが知恵がついている。疲れ果てたとき私の頭に神が宿って、私自身を救ってくれた。素晴らしい。自分を頼ろう。それくらい力強く回復した。新年からバリバリ働ける。
 というか私も普通の人間と同じように働けるし、付き合えるということだ。当たり前のことが当たり前にできるようになったというだけのことだ。それでもめでたいことはめでたい。去年も自分を祝福したが、今年もそうしよう。
 今多くの気付きが押し寄せている。ひねくれた考えは追い払われようとしている。素直に自分の心が決めたままにした従えば良い。さりとて浮かれた気持ちではない。世界の半分は苦いものだと知ったからだ。落ち着いている。平静だ。そして必要な全てを知ってしまっている。素晴らしい境地だ。
 律儀なことは良いことだ。日本人は昔から律儀だ。家康様は日本一律儀だった。だから日本を統一できたのだ。ibだとか言って律儀は止めないほうがよい。
 気付きの嵐が押し寄せている。嬉しい限りだ。万事うまく行く。うまく行かない人はだめでしょう。社会から排除されて周縁に追いやられる。田舎暮らしとか言って自分から逃げているだけだ。田舎が嫌だといって都会に出てきたくせに甘えてるんじゃない。
 一人が落ち着く私に成り果ててしまった。良い悪いの問題ではない。私は何も必要ない日本一の良い男になった。
 肩や首の力が抜けてとても気持ちが良い。気付きが体にまで押し寄せている。
 ポジティブなストロークは尽きることがない。愛と同じで無尽蔵に押し寄せる。
 人の行く裏に道あり。花がある。文校との出会いは大きかった。ツッキーとの出会い、皆との出会い。大きかった。
 今ちょっと疲れてきた。プラスのストロークもさすがに疲れていてはだめかな。今日は早く寝よう。
 今日は疲れた。明日から人に親切にしよう。与えられるばかりじゃなく与えることができる人間になろう。それが芸人でもいいじゃないか。世の中を明るく照らす。眠れない。疲れているのに神経が高ぶってしまう。今眠れる健康食品を白湯に溶かして飲んだ。私は幸せだ。多くの人に支えられている。命を感じる。素晴らしい。人とつながっていることが信じられる。無駄に人を傷つけたりせず、悪いことをせず、親切にすれば生きる道は自ずから開けるだろう。
 世の中のルールを守れる、義務を果たせるちゃんとした大人になろう。物書きになることさえ甘くはない。果たすべき義務を果たして初めて作家の仲間入りができるのだ。私は今から社会の責任を果たし、立派な大人になることを誓う。私はちゃんと色んなことを理解できる普通の人間だ。ならず者なんかじゃない。役立たずなんかじゃない。ちゃんと義務を果たせることを証明していこう。
 何度も起きて日記を書き継ぐ。疲れているんだ。大きな気付きが一日中押し寄せて、期待と不安に打ち震えているんだ。今自分の悪いところを直すチャンスだ。パワーが愛のパワーがあふれ出している。社会に貢献できるときが来た。お待たせしました。大変お待たせしました。仕事は人に親切にすることだ。それが漸くできるときが来た。自ずから備わっているパワーが私にも普通に備わっているということだ。世の中は愛を原動力として動いていることに気づいた。愛と命。愛は命を守る。大きな気付きだ。脳は疲れ果てても体は覚えている。真実に漸く気付く準備ができた。



2005年12月29日(木) 休み

 今日から休みだ。楽しい。私の人生は大成功だった。特に今年は実り多かった。ところで誰とも喧嘩する必要はない。喧嘩は一人ではできない。あんなやつらのことを考える必要は毛頭ない。自分の楽しみだけ追求していれば良い。
 喧嘩は一人ではできない。人の心を考える必要はないじゃないか。aとaで話をしよう。親だ、子だとか関係ない。男とか女とか関係ないじゃないか。喧嘩は金輪際御免蒙る。絶対に一生嫌だ。喧嘩しながら暮らすなんて真っ平だ。馬鹿じゃないのか。
 怒る必要は全くない。全て忘れて楽しく過ごそう。全く相手にする必要ない。喧嘩なんか絶対に真っ平だ。
 かにを食って酔っ払った。良いことだ。怒る必要なんかないと思うとゆったりする。



2005年12月28日(水) 今日

 今日で今年は終わりだ。楽しい。楽になった。ゆっくりしよう。今年一年良い年だった。素晴らしい一年だった。今年くらい頑張った年はないし、実り多かった年はない。良く頑張った。素晴らしい。本当に素晴らしい。ゆっくり疲れを癒そう。ゆっくり楽しもう。
 それにしても女は嫌だ。職場の馬鹿女。死ねばいいのに。絶対に喧嘩は買わない。喧嘩は一人ではできない。
 真の勝利者は自分だ。本当に良い年だった。素晴らしい人生だった。本当に良く頑張った。
 楽しい。真の勝利者は私だった。本当に嬉しい。楽しい。



2005年12月27日(火) 今日

 今日も寒かった。変な女から喧嘩を売られても絶対に買わない。喧嘩は絶対しない。「はい、いいですか」おばさんとか、ファイリング女とかいても絶対喧嘩しない。人を見ただけで喧嘩を売ってくる。絶対見ない。近づかない。話さない。喧嘩しない。喧嘩は一人ではできない。喧嘩を売られそうになったら逃げる。絶対に買わない。一人では喧嘩はできないことを思い知らせる。
 絶対に喧嘩を買わない。喧嘩を売られても絶対に買わない。見ない。話さない。近づかない。見ただけで喧嘩売ってくるやくざみたいな女もいる。話さない。普通に話しているのに喧嘩を吹っかけて来る奴もいる。絶対に喧嘩しない。争いごとは絶対に永久にごめんだ。
 忍辱一筋だ。喧嘩を売られても絶対に買わない。絶対に喧嘩を売られても買わない。喧嘩は一人ではできない。



2005年12月26日(月)

 へんな時間に目が覚めた。腹が減って目が覚めたのか。牛乳を飲んだ。サディズムも悪くない。バランスの問題だ。自分のために立ち上がるということだ。世の中善人ばかりではない。自分の面倒は自分で見なければならない。そうでなければ自由を奪われる。買った本を全部読みたい。当然のことだ。
 クラッシュしやすい私の性格。でもそれは才能でもある。人の気づかないことを気づく。昨日の女将みたいに。でもプラス同士で合わないことがわかった。自立したいのであれば邪魔だ。女から自由になりたいのであれば邪魔だ。
 争いごとは避けよう。簡単なことだ。人道的でもある。自分につらく当たるのは止めよう。喧嘩には二人要る。わきがのせいで辛い思いばかりする。情けなくなる。惨めになる。頭がおかしくなる。わきがノイローゼか。それでも争いを避けて生きていこう。諏訪氏は優しい。自分をコントロールするすべを知っている。見習おう。
 喧嘩してはいけない。時間と労力の無駄だ。喧嘩しない方法。相手にしないこと。喧嘩には二人要る。一人では喧嘩できないので喧嘩にならない。それに気づいたのが最大の成果だ。絶対に喧嘩しない。誰とでもトラブルを起こす私の性格をなおそう。楽しい。喧嘩しないことは楽しい。喧嘩しなければ自由に考えられる。女なんかと絶対に喧嘩してはならない。馬鹿だ。本当の馬鹿だ。相手にならなければ絶対に喧嘩にならない。
 絶対挑発に乗らない。絶対に喧嘩しない。絶対争いごとはしない。絶対に相手にしない。相手がいなければ絶対に喧嘩できない。忍辱と言うことが大事だ。買った負けたと騒ぐばかども。絶対に相手にしてはならない。



2005年12月25日(日) 旅行

 浜坂から帰ってきた。調子が悪かったのによく頑張った。城崎も楽しかった。色んな気付きがあった。反省点も多かった。でも素晴らしい経験もした。最後は列車が遅れてご愛嬌だった。争いはしたくない。利益にならないし、気分が悪い。人に勝とうとか優越しようとかばかばかしい。喧嘩には二人要る。相手にしないか逃げれば絶対に喧嘩にならない。喧嘩を買うから喧嘩になる。誰とでもトラブルになる私の性格に問題がある。落ち着こう。無意識のうちに人を傷つけようとか偉そうにしようとかいう気持ちが良くない。謙虚になろう。偉そうにしてもだめだ。忍辱と言う言葉がある。耐え忍ぶこと、争わないこと。女とは争いが生じにくいと知った。男はがきから爺まで葛藤が生じやすいことに気付いた。向こうが喧嘩を売ってくるし、こちらも買ってしまう。ばかばかしいことだ。女は賢いので争いを避ける。見習うべきだ。争いをしたくない。これが今回の旅の一番の収穫だ。
 わきがが争いの種になりがちだが、自分を抑えてリラックスすれば大丈夫だ。はまかぜが城崎駅を出発したとき喜びでエクスタシーを感じた。争いごとは生じない。ずいぶん変な奴と思われるようだ。泥棒とか変質者か狂人と思われる。早くまともになりたい。争いを今すぐ止めることだ。それは全ての基本だ。
 争いを止めることだ。今すぐ。落ち着こう。誰とも喧嘩をしてはいけない。喧嘩を売らない。買わない。そうすれば絶対に争いは生じない。
 落ち着こう。喧嘩を今すぐ止めよう。誰とでも喧嘩するのは止めよう。そうすれば大変うまく行く。無駄なエネルギーを節約できる。絶対喧嘩をしてはいけない。
 私にも悪い点がいっぱいある。悪いところだらけだ。これからは自分で自分の悪い点を直していこう。人に指摘される前に。
 人と喧嘩するのを止めるのは意志の力でできると思う。常識の問題だ。争いは利益にならない。何で誰とでも争うのかわからない。今すぐ争いを一切やめよ。喧嘩を売られても絶対に買うな。



2005年12月24日(土)

 すがすがしい朝だ。昨日は2時まで小田のコンサートを見ていた。楽しかった。おばさんが泣いていた。とても楽しい。今日は浜坂に行く。楽しい。自由に楽しんで生きていくことにした。馬鹿みたいな生き方は止めることにした。
 今うまく行きそうな気がする。突破口が開けた。拷問のお蔭か。何をやってもうまく行く気がする。負ける気がしない。連戦連勝だ。喧嘩は二人要る。私はあんなばかどもと喧嘩している暇はない。
 仕事もできそうな気がする。バリバリやらなくて良いんだ。適当で。調子悪いと言っているんだから。でもできそうな気がする。小説が書けるんだから仕事もできる。小説は全ての仕事の基本だ。



2005年12月23日(金)

 気持ちのいい朝だ。気分が悪くなることはもうないんじゃないかとさえ思える。去年のk重のときにもそう思ったけど。でもストレスに強くなった。拷問の効果だ。持ってる本、雑誌を全て読もう。
明日から浜坂温泉に行こう。きちがいじみている。雪と寒波で誰も行かないのに。前から行きたかった。寒い時期、雪の時期に。かにを食べよう。
 梅田にカレンダーを買いに行ってきた。いらいらしてきた。寝てないからだろう。大阪から鈍行に乗るとほっとした。とげとげした雰囲気が消えた。南方面がすっかりなじんだ。それでいいだろう。



2005年12月22日(木) 寒い

 とても寒い。朝は雪が降っていた。何かわかった気がする。小さい頃からのいろんなことが。手に取るようにわかる。認知療法は大変役に立つ。受け止め方で感情は変わると言うことだ。受け止める必要なんかないのに受け止めている。認知療法は本当にすごい。この間のおばさんは自家薬籠中のものにしていたのでわかりやすかった。
 振り返ったり、反省したりする暇があったら前に進もう。すごく調子がよくなった。拷問の本を読んでいたら自由になった。本を、買っている本を全部読もう。旅もしよう。今パワー全開でいこう。



2005年12月21日(水) シャラポア

 シャラポワをみてきた。楽しかった。顔が小さい。手足が長い。また九重の季節がやってくる。でも私は行かないだろう。一度でこれだけのマイナスとプラスがあった。受け止めかねている。これ以上は無理だ。
 人生の脚本を勝手に書き換えようと思う。小説家になりたいならなるがよい。十分可能だと思う。あのキチガイが勝手な脚本を書いているのと同じことをして何が悪い。



2005年12月20日(火) 今日

 あの人は坊さん界から追放されるのを恐れて書かなかったのじゃないかと今気づいた。世の中は暴力で成り立っている。でも暴力は嫌いだ。暴力で脅されるのは嫌いだ。でも世の中はそうなっている。だから処方箋はその暴力に従うことじゃないか。自分に暴力が及ぶことを恐れて行動することじゃないか。行きたくもない会社に毎日行って8時間座っているじゃないか。暴力に従っている。殺したい。冗談じゃなく殺したい。俺を傷つけた奴ら。今苦しめているあのキチガイを殺したい。嬲り殺したい。
 日記を書く暇があったら、小説を書け。自分が楽なことをしよう。自分が楽で相手も楽と言う道。自分が苦しいと人に親切にはできない。むしろ傷つけるだろう。それは自然なことだ。ババアを拷問に遭わせることだ。



2005年12月19日(月) 今日

 昨日は眠れなかった。辛かった。この日記も止めようかと思う。自分にとって害になるかもしれない。考える必要のないことまで考えてしまう。あいつのことは未来永劫考える必要はない。ほっとする。考えないと決めたら絶対に考えない。何を考えているかわかるわけはないのに考えても仕方がない。だから考えない。考えると不愉快になるだけなので考えない。キチガイや嫌いな人間がいてはいけないと言うのはべき思考だ。いても仕方がない。必ずいる。だから諦める。すると腹立ちはゼロになる。
 楽しいことを考えよう。自分とキチガイとどっちが大事なんだ。自分を大事にせずにどうするんだ。自分の時間を大事にせずにどうする。小説を書こう。



2005年12月18日(日) 研修

 昨日今日と研修に京都に行ってきた。疲れた。b校の集会に寄って来た。楽しかったけど、疲れているからどうも調子が悪かった。仕方ない。気にしないことだ。楽しかったし。今日はゆっくり休もう。薬を飲もう。研修は実りが多かった気付きが多かった。ゆっくり休もう。明日になれば回復しているだろう。



2005年12月17日(土) セミナー

 今日からセミナーだ。楽しいな。雨か霙が降っている。辛いな。仕事みたいだ。リラックスすることだ。リラックスするとは興奮しすぎないことだ。ネバならないと考えるのは大概おかしい。欲求の充足はリラックスさせるだろう。欲求不満なのだ。



2005年12月16日(金) 寒い。

 今日は少し寒さが緩んだ。z氏との関係は悪化している。避けようとしている。私を。それも仕方のないことか。拷問の効果を話したら喜んでいた。aとかkとか死んだらいい。想像の中では何万回も死んでいる。お前はもう死んでいるのだ。
 拷問があって初めて生の大切さがわかるのだ。想像力の大切さがわかる。想像力のパワーで不快極まりない職場を快適に変えられる。私に苦しみを加えてきた、今も加えつつあるキチガイどもを残忍な拷問を加える。また楽しからずや。
銀行時代に私をいじめていたキチガイ課長、医者、この会社のOLども、今目の前にいるキチガイババア三人組。拷問を加えて何度も殺す。想像力の勝利だ。



2005年12月15日(木) 寒い

 今日も寒かった。今日hがわけもなく絡んできた。本当に嫌だ。でも仕事はちゃんとできた。北原のおかげだ。自分の努力もある。小説を書いているからか。仕事がきちんとできたのは。「さすが」と言われた。やっぱり変化が見られる。拷問のお蔭か。ババアやブスが気にならなくなった。良いことだ。小説も書いて仕事もしよう。あすみ嬢が日記をやめるらしい。仕方ないことだ。病気が治ると日記をやめるのは。日記が悪化させているかもしれない。私の日記は書く訓練もかねているので、簡単にはやめられない。芥川賞を取るまで頑張るぞ。
小説を書いている間は自分が価値があると信じることができる。感じることができる。そのためにも書き続けよう。昨日は朝起きれない日が続くので薬の量を減らしてみた。朝割りとすっきりと起きられた。問題は少し怒りっぽくなることだ。ああいう職場だから仕方がない。仕事にその怒りをぶつければプラスのパワーになる。



2005年12月14日(水) 寒い

 今日も寒かった。今日は珍しく気分が良かった。やっぱり拷問が良かったのか。ババアは性的楽しみの対象にはなり得ないが、拷問の対象にはなりうる。楽しい奴ということになる。若い女は性的好奇心の対象になる。ほとんど常にだ。ババアはそれを提供できないので不愉快だ。心の中で拷問を加えていると一定の快楽を提供できるので楽しい。存在理由がある。あんなキチガイでも。ババアが嫌いなのは、小さい頃おかしな奴と一緒にいじめをやらされていた頃の刷り込みかなと思う。私はいじめなんかしたくなかったのに、そのばかと一緒にいなきゃいけないとなぜか思ってしまったので、それに付き合うことになってしまった。それはそれとしてババアは嫌いなので、拷問を加えてもよろしい。



2005年12月13日(火) 寒い

 今日は寒かった。今年一番だ。昨日は良く眠れた。リラックスできた。リラックスできるのは拷問のおかげだ。拷問はすばらしい。拷問万歳。キチガイには拷問しかない。キチガイなんだから。
 楽しい。風邪が治らない。私のいない掲示板が賑わっている。複雑な気分。でも書き込みする気にはなれない。私は雰囲気を壊すだろう。リアル世界でもそうだから。拷問万歳。良く眠れる。



2005年12月12日(月) 寒い

 今日は寒い。仕事なんかやる気がしない。全くしない。キチガイを拷問にかける空想ばかりしている。気分がすっとする。怯えていてはいけない。これでキチガイも哀れな犠牲者だから全く恐くない。良い考えだ。
 人間の想像力はすばらしい。小説を書くことで想像力が研ぎ澄まされ、不可能が可能になる。人間の全ての活動は想像力に負うところが大きい。文学は十分生きる力になる。
 ホント死ねと思う。あのキチガイ。完全に頭がおかしい。ババアは完全に頭がおかしい。あんなものは人間ではない。



2005年12月11日(日) 日曜

 今日は体調が悪い。おとといの飲みすぎが今になって効いている。風邪を引きそうだ。昨夜既におかしかった。ラーメンがとてもおいしかった。
 自分がおかしいという認識は極めて健康だ。今日のあすみさんの日記は印象的だった。今でも兄が好きなのだと言う。いつか自分も兄も許せる日が来るだろう。人間の魂の純粋さを信じる。
 私も悪い人間ではない。ただおかしいということはわかった。ずいぶんおかしい。緊張と不安でリラックスできないからちゃんと必要なことができない。中学に入ったときも緊張と不安からリラックスできなかった。それが学校嫌いになった原因だ。教師のいじめを誘発した。これからはリラックスしたい。リラックスできないので女とも仲良くできない。女といると不安になる。楽しいと思ったことは最近あまりない。
 今拷問刑罰史の本を借りている。あのきちがいどもを想像の世界で苛め抜いてやろうと思う。想像の世界で人を苦しめることは主観的には実際の経験と同じだ。
 自分が好きだ。私は自分が好きだ。自分を愛することができるとき、緊張せずリラックスできる。不安や緊張に苛まれずに生きていくことができる。自分を愛することができるからだ。一人でいても人と一緒にいても同じように幸せだ。自分が好きだ。自分を愛することで何かが見えてくる。自分を生かす道が見えてくる。大好きな自分を生かす道が。私はもう長く生き抜いた。19の頃死掛けた。でも神は私を殺さなかった。神と両親に感謝しよう。
 私は自分が好きだ。もっと自分を愛そう。一所懸命愛そう。ほかのことをしている暇はない。自分を愛そう。
 男とか女とか言っても役割に過ぎない。男に生まれたら男の役を割り当てられるが、それは役割に過ぎない。
 私は自分が好きだ。自分を評価している。リラックスすることだ。リラックスできないからわけのわからない行動をする。リラックスすることはいいことだ。拷問の話を読んでいたら気分が悪くなった。気が弱いからだめだ。あんなキチガイとは違う。悪いことはできない。爬虫類性が強いと悪いことができる。残酷なことは嫌いだ。あのキチガイどもとは違う。拷問の話を読むとしゃきっとする。働き者になる。ベッドの傍の本が片付いた。風呂掃除をした。洗面所を掃除した。新聞を片付けた。拷問の話は私を元気付けた。拷問は楽しい。拷問は楽しい。想像上の世界でブスやババアを拷問にかける。楽しい。
 リラックスしよう。楽しいこの世の中、リラックスして楽しもう。拷問は楽しい。ババアは生きていなくても良い。楽しい。リラックスした方が楽しい。無理をする必要はない。リラックスした方が良い。



2005年12月10日(土) 晴れ

 今日は良い天気だ。車を借りたのだが昨日飲みすぎて頭がボーっとするので少し時間を置こう。命が大事だ。pに入れたままアクセルを吹かしたときにはやばいと思った。安全第一で行こう。でも昨日は調子が良かった。体も心も調子が良かった。今日だって調子は良い。ただちょっと飲みすぎただけだ。無理はしないほうが良い。昨日はいくらなんでも飲みすぎた。焼酎をどぼどぼ入れて飲んでいた。父親が酒が好きだった理由がわかる。性格が一瞬だけ良くなる。修正される。くどいとか、しつこいとか、勘違いしているとか、いやみだとか、犯罪者っぽいとか、そういうのが、一瞬解放されてまともになる。むしろ酒飲んでいるときだけまともになる。ずっと酒飲んでいればいいと言われたこともある。私は小さい暗い穴に頭を突っ込んでいるようだ。自分と周りが見えていない。呪縛されている。反社会的な性格がむしろ修正される。親父が酒を欠かさなかったわけがわかってきた。親父を酒飲みと嫌った時期もあったが親父も辛かったのだ。申し訳ないことをした。
 ほんとに疲れた。でも良い経験になった。レンタカーも楽じゃない。のんびりしたかったのにとても疲れた。神経が磨り減った。飲みすぎで心身ともにおかしいのに車に乗ってはいけない。気をつけよう。ええじゃないか的な精神状態では運転は向かない。これは仕事にも言える。私は職場で同じことをやっている。でも人は大きな義務を果たしながら生きている。当たり前のことが見えなくなっている。でも小説を書き始めてから目が開かれたように色んなことが見えてきた。良い方向に進んでいる。緊張しすぎなんだ。飛行機のパイロットなんかどれだけ緊張を強いられる激務なんだ。そんな働き者がこの世にいることが信じられないことが飛行機が恐い理由のひとつだ。自分みたいな奴がパイロットだったらどうしようと思ってしまう。私はあってもなくてもいいことのために働くことが向いてると思う。作家、芸人に向いている。掃除夫だって勤まらない。なくてはならない仕事だというプレッシャーが私を萎えさせる。適度にリラックスすることが仕事をする上で不可欠だ。追い込んで萎縮させては実力が出ない。意味不明な行動を取ってしまう。自分がまさにそういう状態だと気づいた。大きな進歩だ。親父はきちんと話をするのに酒が不可欠だったのだ。大いに理解できる。今となっては。そう思うと人が悪人に見えないし、人が私を責めたくなる気持ちもわかった。そういうことがようやくわかるようになった。大きな進歩だ。小説を書いて褒められたのが大きかった。力があると確信できたし、それを乱用しようとも思わなくなった。
 私がおかしいのは今に始まったのではないと気づいた。というより自分がおかしいと初めてわかった。自分がおかしいということがこんなにも実り多い気づきだとわかった。今私は自分がおかしいとはっきりわかるが、これは今までになかったことで、実はすごいことかもしれない。きっとそうだ。新たな実り多いステージにやっと私は立てたのではないだろうか。自分を追い込んでしまうので脳が統合失調症並みに緊張する。そんな状態でまともな判断や思考ができるわけがない。人が気味悪がるのは無理のないことだ。でも私は自分がおかしくないとかたくなに信じているものだから、周囲と摩擦が生じる。h君とよく似たメカニズムだ。酒は少しはそのような緊張を解きほぐしてくれる。昨日初めて気づいた。親父も酒を飲んでいる間だけ緊張から解放される臆病な性格だったのだ。今ようやくわかった。私は悪人ではない。生まれつきの悪人はいない。宅間だって長い年月をかけてあそこまで追い込まれてあんなふうになってしまったのだ。私はあいつが理解できる。やったことは許されないが、あいつが心底悪人ではなかったということは明らかだ。カウンセリングを受け入れ、結婚を受け入れたのは彼がまだ心を開くことができたことを証明する。それは自分が心底悪人ではないことをわかってくれという彼の絶望的なメッセージだ。悪人ではないからこそ無理やり悪人を演じることができるのだ。まともな部分が残っているからこそ人が何を嫌がるかがわかるのだ。一番人の嫌がることを選んで実行できるということは彼が正気であって、純然たる悪人ではないことを証明している。
 酒に酔った。昨日飲みすぎたので少しで酔ってしまう。酒を飲みすぎるのも自分を追い込んでいるからだ。女は絶対に自分を追い込んだりしない。生き残るほうしか考えていない。男は死ぬことを考えてしまうからだめだ。自分がおかしいというのは大変な気づきだ。私は自分が良い人過ぎるので恥ずかしいが、恥ずかしがる必要はない。良い人でいいじゃないか。悪い人はいないのだ。
 考えすぎてはいけない。単に脳を酷使しているだけで何も考えていない。私はおかしいと気づいたのは小説を書き始めてからだ。日記は閉ざされている。人に読まれることを本来予定していない。小説は違う。人を楽しませるものだ。根本的に違う。そのことが私を目覚めさせた。
 何か正気に戻りつつある気がする。狂いそうな気がしない。自分を愛することがようやくできそうなこと、自分がおかしいことに気づいたこと、この二つが大きい。おかしいといってもおかしい状態に追い込んでいるということで、病気でもなんでもない。追い込まないでリラックスできれば普通に生産的な生活ができる。リラックスしないと仕事はできない。追い込んでもだめだ。北原は私を追い込んでもだめだということを本能的にわかっている。今日車の運転ができなかった理由と仕事ができない理由とは良く似ている。緊張と恐怖と不安でリラックスできないのだ。これからはきっとうまく行く。



2005年12月09日(金) 休み

 今日は少し眠れた。良かった。良い寝覚めであった。神に感謝し、両親に感謝し、自分を愛する。
 今日は楽しいことをしようか。少し元気が出てきた。欲求を押さえつけることは良くない。拷問、死刑を女に課す。想像力の恐ろしさ、楽しさ。
 なんでも可能で何でも自由だ。私は正気ではない。でも頑張って生きている。女に拷問を課すと自由な気持ちになる。私はやられっぱなしではない。自由に生きていける。積極的に行こう。一度しかない人生楽しく生きていこう。頑張って生きていこう。
 小説を書いている効果が出てきた。自信がついたこと。周囲に興味が湧いてきたこと。絶好の社会訓練になったこと。あれは学校という側面もあるからだ。
 無気力になったり、ネガティブになったりせずにちゃんとやっていけそうな気がした。何でもできるのだ。車の運転もできるし、女と付き合うことだってできるのだ。小説を書き始めてからそんな風に考えることができるようになった。受身ではなく積極的になれるのだ。世界を我が物にみたいな野心さえ生まれてくる。ITの社長はそういう気持ちだろう。
 このまま人生終わってはいけない。ちゃんと自分のやりたいことをやって死んで行くのだ。もう一年文校に行って楽しもう、そして成長しよう。小説は続けよう。諦めずに。自分史でもいいではないか。賞を狙っても良いし。若くなくても十分大丈夫だ。
 楽しい。酒を飲んだ。楽しい。週に一回だ。早く薬をやめて酒を飲めるようになりたい。小説を書いている人の喜びはつつましいものだ。それを笑ってはいけない。私もともに楽しもう。ノーベル賞作家でも市井の無名作家でも同じだ。
 文学を守り続けて行きたい。



2005年12月08日(木) 楽しい

 毎日が楽しい。ババアやブスに想像の中で刑罰や拷問を加える。私の想像力が願望充足に向かう。サドを読んでいたのは無駄ではなかった。悪いことでも無駄ではないのだ。人生無駄なことはひとつもない。私はアクセルではなくブレーキを踏むとちょうどよい。ちょうどよく人生を享受できる。
 神と両親に感謝する。自分を愛する。これが私のできる最善のことだ。高橋源一郎だって12の時サドを読んで人生が変わった。それは良いとも悪いとも言いがたい。私は自分を受け入れるだろう。小説を読もう。せっかく文校に通っているのだ。文校よいとこ一度はおいで。想像力が羽ばたき始める。死んでいた心がよみがえる。ババアを繰り返し拷問にかける。楽しい。ババアはそれに値する罪を犯しているので、何の罪悪感も感じない。むしろ報復の喜びを感じる。傷つけられていたのを少し復讐できた。文校に通った甲斐があった。初めて自分の思い通りになった。想像は思い通りだ。小説が書けそうな気がする。小説を書くとはサディスティックな気持ちになることだ。欲張りになることだ。全てを手に入れると考えることだ。そうでなくても一番ほしいものを手に入れると思うことだ。小説を書くことはそういうことだ。技術ももちろん必要だがまずそういうことを思うことだ。全てを手に入れることだ。
 問題はほぼ解決している。これ以上望むことはない。私は自分が好きだ。自分を愛している。自分を認める。自分を受け入れる。自分を許す。自分を許せない人間が他人を許せるだろうか。気に入らない人間がいたら想像の世界で拷問や死刑を科してやれば良い。簡単なことだ。何か書きたいことがあるか。作家デビューしたい。想像力を羽ばたかせたい。



2005年12月07日(水) 今日

 今日は面白かった。ババアやブスを想像の世界で拷問や刑罰を与える。すると意外なことにすっとする。これなら誰にも迷惑をかけないしメンタルヘルスに良い。これは自分を愛することと、小説を書く中で身についたのだ。喜ばしいことだ。日野原重明の本は自分を愛することを勧めているのだ。楽しい。自分を愛すると自分の直すべき点が見えてきた。自他の境界が不分明で悪い相手でも受け入れてしまう。自分を愛すると自分の不利益なことはしなくなる。悪人を受け入れなくなる。
 賞に受かったことを考えると楽しい。東京に行こう。東京のどこがいいだろう。高円寺だろうか。考えるだけで楽しい。
 自分を好きになれば自分に不利なことをしなくなる。他人から身を守ることができる。



2005年12月06日(火) 寒い

 今日も寒かった。職場のブスが私の悪口を言っていた。一人は前にも私の悪口を言った奴だ。今度何か言ったら北原に言ってやろう。いい人である必要はない。心の中でババアの悪口を言う。ブスの悪口を言う。そうすると少し楽になる。心の中でババアを実際に傷つけている気がする。女がいつもやっていることだ。それを私がやってやろう。自分を好きになると自分を守れるようになる。それが心の中でババアに毒づくことでも私の中では自分の心を守るためには有効なのだ。
小説を書くことは自分の中でひとつ思い切ることだ。何かを獲得することだ。自分を守ることだ。自分を好きになることだ。自分を好きになれば、自分を守ることができるようになる。自分を好きになることが最大の自己防衛だ。死ね、ババア、死ね、ブス。自分を好きになれば自分を守ることができる。



2005年12月05日(月) 今日

 ババアの声は相変わらず精神に悪い影響を与える。気分が悪くなる。あのキチガイ、気分が悪くなる。でも私は何かがわかってきた。善人はいいだろう。善人のままで。だが現実をよく見ないといけない。このキャラクターで世間に対することはできない。小説を書くこともできない。世の中がいい人ばかりなら苦労はしない。ああいうキチガイがいるから困る。自分を好きになると、他人を傷つける気がなくなる。あのババアはほんとに死んでほしい。いい人ぶるのはよくない。冷静であろう。冷静に自分の利益を図ろう。いい人である必要はない。あんなキチガイにいい人である必要などないのだ。
 自分を愛すればどうすればいいかわかる。自分を愛すればあんな奴のことで悩む必要などないということがわかる。自分を愛すればあんなのは取るに足りないクソヤロウだとわかる。あんなキチガイのところにまで降りていく必要はないことがわかる。自分の脳の状態がわかる。休むことと自分を愛することだ。現実離れした私の頭を何とかするには休むこと、自分を愛することだ。



2005年12月04日(日) 忘年会

 楽しかった。昨日の忘年会は。あまり外に今は出ないほうが良いだろう。私の状態が良くないのは仕方がない。人をコントロールすることはできない。相手が進んで言うことを聞いてくれるときだけなのだから合意のときだけということだ。ああいうところにいってもなじめないが、以前よりはなれた。仲良くなれば不安は消える。休むことだ。快楽におぼれないことだ。自分を守るのだ。自分を好きになる。自分が好きだ。ありのままの自分を受け入れる。文校も外と考えると辛いが中と考えると楽しい。でもどうしてそれが維持できないのかなと思う。疲れやすいのだ。mだからだ。薬で休もう。風邪も治らない。薬でしっかり休むことだ。私は本来の優しい人柄が好きだ。それで十分だと思う。いろいろ余計なことを考えたくない。隣のグループに移りたい。でも全ての問題は解決したと思う。神に感謝すること。良心に感謝すること。自分を愛すること。やればできるからやること。問題は存在しない。問題は存在しないのにあるといわれるのは心外だ。日本人は欧米人とは違う。違って当たり前だ。違いを尊重しよう。
 疲れている。疲れていても頑張るのか。少しだけ頑張ろう。自虐的な私に愛想が尽きて頑張ることをしなくなってからもう長い。すっかりぐうたらが身についた。私の世界観と周りの人のそれとが大きく食い違う。ほかの人が考えるようには考えられない。変わっているとはこういうことか。宅間や宮崎も大きく異なった思考をした。でも私は自分が変だということがわかっているので犯罪や狂気に走ったりしない。ただ神に感謝し、両親に感謝し、自分を愛するだけが私にできることだ。やれば何でもできる。小卒のおっさんが長者番付に載る。神戸はきれいな女性が多い。町もおしゃれだ。最近行ってないな。
 自分が好きだ。そうすればそう間違ったことはしないし、考えない。疲れている。疲れると大変不機嫌になる。快感ばかりを与え続けても良くないようだ。脳が快感に耐えられなくて不調になる。麻薬をやるのと似ている。
 やれば何でもできる。余の辞書に不可能の字はない。腰が痛くなってから眠れなくておかしい。恐い。昨日は人が恐いと思った。あのグループは基本が体育会系なので恐いことは恐い。あまり立ち入らないほうが良い。あのおっさん恐いし。恐いと嫌いはほぼ同一だ。私の精神はどうにかならないだろうか。m的なところ。それが全て台無しだと思う。疲れている。休んだほうが良い。&人に会わないほうが良い。人と話すだけですごいストレスになる。そうして父の死と結びついたうつな状態まで追い込まれる。多分工夫次第でしのげるようになるだろう。休むことだ。そして仕事を減らすことだ。たとえばmでも本物は実際にやる。私はやらない。ビデオはたまに見たくなる。空想の世界だ。快感に弱い。薬やアルコールにも弱い。依存しやすい。父親からの遺伝と思う。体質はアルコールに強いが脳は弱い。依存体質だ。愛情にも依存しやすい。権力や金にも。性にも。誰でもそういう傾向があるがセーブできるようになっている。私は自分が好きだ。女のように自分が好きになってよい。男が自分を愛してはいけないというのはibだ。思う存分自分を愛しましょう。人は皆個性があって一人で何もかもコントロールすることはできない。自分の個性に合ったことをやれば良い。
 仕事の量を減らし、自分も楽で相手も楽というレベルに設定することが大事だ。小説を書いたときそう思った。あれは仕事の基本だ。機嫌よくなるのは簡単だ。機嫌とはコントロールできるものだ。赤ちゃんは自分の機嫌をコントロールできない。大人はできる。昨日の忘年会でも自分からウェルカムな気持ちを演出することは十分可能だ。ウェルカムな気持ち。この間の文校で階段を上がるとき、疲れていつものように不機嫌だったのだが、ここは利害関係ないのだから、機嫌よくしようと思って行ったら、機嫌よくできた。あそこは結局文学とは違うものが渦巻いている。会社でも金をもらって契約しているのだから機嫌悪いことはできない。当たり前のことだ。文校でできたことが会社でできないわけはない。無理なことはない。ウェルカムな気持ち。簡単なことだ。
 できることをできる範囲でやっていこう。できることをやるのだからできるに決まっている。自分も楽で相手も楽。これは全てに通じる。頑張るのは結構だが、自分ができる以上のことをやろうとしてもたいてい失敗する。それに自分が疲れ、傷つく。だからやめた方がよいと言っている。私の受験みたいなものだ。禍福はあざなえる縄の如しだ。幸不幸は状況や主観で大きく変わる。何が幸せとは一概に言えないのだ。
 今はゆっくり休んで人に会いたくない。今回のことでわかった。これも自分に無理を強いている。それはだめだ。文校はぎりぎりだ。職業がかかっているからこれはokかも知れない。風呂に入ると気分が改善した。知らない人との忘年会は私の能力を超えている。疲れているからやめたほうがよい。できることを苦しくない範囲でやる。できることはできるし、できないことはできない。できたらできないことではなくできることだ。
 自分が好きだ。愛される価値のない人はいない。全ての人は愛される価値がある。自分が好きと言うのは当たり前のことだ。だけど私はそれができなくなっているので意識してやるのだ。当たり前のことができると世の中が違って見えてくる。自分が好きになると世界が開ける。人間が見えてくる。自分が好きでなかったら仕事もできない。自身も責任感もないからだ。自分を愛するとようやく仕事をする気になる。自分が好きだ。でも人に会いたくない、今は。ほんとに危険だと思う。会社にも行きたくない。
 自分が好きだ。自分が好きだ。休もう。ゆっくり休もう。自分が好きだ。昨日傷ついたナルシズムを再び取り戻す。文学に触れるときのみ自分に価値があると感じる。自分が好きだ。自分が愛おしい。自分を愛すると自分を愛してくれるだろう。私は人を憎む必要はない。
 自分が好きだ。自分を好きになればなるほど自分を信頼できる。嘘をつく必要はなくなる。人と交わらなくても寂しくない。自分が好きだ。自分が好きだ。当たり前のことだ。自分が好きになることは最大の防御だ。自分を守るために人を攻撃する必要などない。というか自分を好きになれば適切に自分を防御することができる。自分を愛することをやめると行動がコントロールできなくなる。自分を愛することは最大の自衛行動だ。だから自民党が愛国心教育を唱えることはわからないでもない。過去の過ちを反省することは必要だが愛国心を完全に除去することは可能ではないし、必要ない。私は私のやり方で故郷を愛している。明治以前は国とはふるさとに他ならなかった。そこまでさかのぼっても一向に構わない。
 自分を好きになるといかに自分がこれまで自分をなおざりにし、冷たくあしらってきたかわかる。どうしてそうしたのかわからない。山口県の文人を特集していた。共通点があるようなないような。皆良家の子供だ。真面目だ。山頭火も真面目だ。山頭火も読んでみたい。金子みすずも。中原中也も。自分を愛する余裕があるならば読むことができるだろう。自分を愛することを禁じると自分に快楽を許さなくなり、疲れ果ててゆく。自分をもっと愛しましょう。
 自分を愛することはすばらしい。自分を愛している。一日一回は確認したほうがよい。自分を愛していることを。自分を愛することはすばらしいことだ。全ての人は愛される価値がある。全ての人は愛される価値がある。
 自分を愛することは免疫であり、自衛であり、セルフカウンセリングの第一歩である。大体昔から自分が好きだった。でも男だから自分を愛してはいけないと思い込んでいた。全然そんなことはない。ありえない。現実離れしたことを信じていた。自分を愛することは基本中の基本だ。男とか女とか関係ない。全ての基本だ。自分を愛することを禁じられることはない。自分を愛して初めて仕事ができるのだ。自分を愛することは大変なパワーを私に与える。モラルも自分を愛することから始まる。自分を愛さなかったら真剣に生きようと思うだろうか。なおざりにするだろう。私の投げやりでいい加減な生き方は自己愛を失ったことから始まる。そこからスタートだ。自己愛はすばらしい。人を傷つけない。すばらしいパワーを生み出す。文校で頑張れたのは他者に認められたから自己愛を少し回復したのだ。
 自分が好きだ。自分が好きと言うことは人が自分が好きでもいいということだ。自分が好きである自分を認める。自分を愛することが悪いわけではない。良いことだ。というか絶対必要なことだ。水や空気と同じだ。
 自分が好きだということはいいことだ。生きる基本だ。自分が嫌いな人間を大事にしようとは誰も思わない。自分が好きだ。まだ女と仲良くするところまでは行かない。楽しい。自分を愛することは楽しい。人生が楽しくなる。自分が好きというのはいいことだ。というか基本だ。
 世の中についていけない気がする。文学とはそういう魔力がある。バーチャルな世界といえばこれほどバーチャルな世界はない。でも何に価値を置くかだから気にする必要はない。自分を愛すること。金子みすずは女ながらに賢者と思う。言葉という武器で心の真実をつかんだ。命と引き換えではあったが。全ての文学は命と引き換えである。命を酒に変えることだ。快楽という美酒に。一握りの天才にのみ許される生き方を私は生きようとしている。
 自分が好きだ。自分が好きだ。自分が好きになると嫌いな人間がいなくなる。と思う。自分を好きなら人を嫌う必要はなくなるからだ。自分が嫌いな人間は自分を守るのに必死で、人を傷つけようとする。愚かにもほどがある。幼子だってそんなことはしない。私は他に依存することを自分に許さなかった。それはあまりに過酷である。
 自分が好きというのは良い。誰でも多少はしんどいんじゃないか。でも家族を養うために耐えている。家族を愛するのは自分が好きだからだ。自分が嫌いだったら家族は愛せない。文学は食えないものだ。売れっ子になって初めて食えるが一握りだけだ。自分が好きというのは人が好きになるということだ。自分が好きというのは恥ずべきことではない。ほめられるべきことだ。武士が切腹するのは自分を愛し、名を惜しむからだ。嫌いだからではない。
 自分が好きだ。自分が好きになってから少し人間らしさが戻ってきた。文校の皆さんだけには少しは人間らしく振舞えるようになった。他はどこでも同じじゃないか。文学的才能があるということは特権である。わずかなものにのみ許された特権であるから享受してよいのだ。しかし特権には義務も伴う。何か書かないといけない。いい作品を書かないといけない。三島みたいに良い作品を描かないといけない。私のおかしな趣味を、その結果傷ついた精神を小説に生かせば良い。小説に残りの人生を捧げよう。和尚の誘いを断ったのは勇気がなかったから。私の惨めな人生を見かねてせっかく言ってくれたのに。愚かだ。人の好意がわからないなんて。幸せになる勇気がないのか。作家だって結婚しているじゃないか。作家だって倫理を守れば全然okだ。
 自分が好きになれば自分が好きで自信のある道に進むだろう。自己評価が低いために進路を誤ったとしか思えない。今からでも遅くないから、自分を信じて好きな道に進んだら良い。自分の好きなことをやって自分を愛している人間を人は嫌いはしない。
 目に見えるものだけが価値があるのではない。文校で私が得たもの味わったものは計り知れない。自分の力で掴み取ったもの、与えられたもの、いろいろある。文学に留まらない多様で豊穣な何かであった。価値があると思ったら貪欲に行かなければならない。文学は私にとって宝の山だ。あんな場所に出かけないようにしよう。浅ましい。
 自分を愛そう。多田富雄のドキュメントを見た。生きるとはすばらしい。よく生きること。自分を愛することで多くのものを生み出す。私もそうしよう。芸術にかけよう。きっとものになる。自分を愛することは最大の防御である。尊厳を失わないでキチガイから身を守れる。それは自己愛である。自分を愛しましょう。もっと自分を愛しましょう。



2005年12月03日(土) 今日

 昨日は少しだけ眠れた。人間はコントロールできないことが多い。コントロールしようと思うことが既に間違っている。少なくとも苦しみを生む。ババアのことなんかコントロールできないし、考える必要はない。コントロールできるのは自分だけだ。しかも今の自分だけ。過去も未来も変えられない。私は年の割りに未熟だ。だからだめだとはいわない。良い面もある。自分を好きになれば楽しく成長できる。
 コントロールできるのは自分の行動だけだな。人のことを不快がっても仕方がない。z氏の言うとおり、プラスのストロークを出し続けるしかない。この間の文校がうまくいったのはその辺の呼吸が少し身についたからだ。純粋にちょっと楽しいと思ったのは確かだ。利害関係がないから。
 誰かと争う必要があるだろうか。この間の文校でもうまくいったのは皆okというスタンスだったからだ。それが何か危険だろうか。全く危険ではない。とげとか角とかそういうのが多すぎる。誰もそんなものは持っていない。この間うまくいったのは、そういうとげとか角が自分で抑えられたからじゃないのか。女のそういうところはまねしなくて良いのだ。落ち着いてゆっくりいけば困難なことはない。すべてokだ。この間の変化は大きな変化だったと思う。相手の喜ぶことをすれば良いというz氏のコメントは参考になった。
 自分を好きになることだ。自分を愛そう。やればできる。不可能はない。絶対にない。人間の能力は無限大だ。小説を書くと疲れる。精神的に負担になることは確かだ。自分が好きだ。これは正しい。宗教とか法律とか政治とか自分が好きというのは基本だ。自分が救われたいから、宗教があるのだ。救われたくなかったら宗教なんか必要ない。自分を好きになろう。自分を愛そう。自分を愛することは大きなメリットがある。今読んでる本にも書いてある。
 自分を好きになろう。私は自分が好きだ。私は自分が好きだ。大変自分が好きだ。自分が好きだ。自分が好きだ。自分が好きだ。自分が好きだ。自分が好きだ。自分が好きだ。
悪い気持ちは私にはない。初めからない。私は良い人間だ。生まれつき良い気持ちが備わっている良い人間だ。善人だ。人に敵意を持つ必要があるか。全くない。全く問題はない。今は全く問題がない。
 内藤さんの問題点はわかった。愛情不足だ。だから過剰サービスして尽くしたりする。本人は疲れる。でも楽しければ良いんだけど。でも文学の世界でそんなことを指摘するのは野暮を通り越して野蛮なことだ。以後気をつけましょう。文学の貴重にして唯一の資源を奪おうとするのはやめましょう。セックス中毒で何が悪い。smで何が悪い。人に迷惑をかけなければいいのだ。
悩みなんか存在しないと気づいた。愛することだ。自分を愛すれば人は愛をくれる。不思議なものだ。自分に価値があると思えば人は価値があると思う。つまらない価値のない人間などいない。人を選別したり、序列付けしたり、差別したりすることは間違いだ。便利だから、気持ち良いからやっているだけであって、誰も正しいとは思っていない。全ての人は愛される価値がある。もちろん自分も含めて。今読んでいる本がすばらしいので思わず泣いてしまった。やっぱり愛は尊い。全ての人間は尊い。あの女だって愛される価値はあるのだ。



2005年12月02日(金) 今日

 今日は賞与の支給日だった。さっきのデルのテクニカルサポートはキチガイみたいな女だった。いやほんとのキチガイだった。デルはおかしい。というかあの女がおかしい。忘れよう。
 昨日の文校は楽しかった。ようやく一年かけてここまでなじんだような気がする。入ったときはうつだったが今は少しましだ。というか自分の精神状態がわかる気がする。仕事の負荷が軽減してストレスがたまりにくくなった。でも精神状態がおかしい。あの薬をしっかり飲んだほうが良い。私はうつなのでなんとなく恐いのではないか。大体どこのサークルに行ってもおかしい。抗うつ剤がなぜ逆効果か良くわかる。脳が異様に活性化していてそれで過労になっているのにそこで脳に鞭打つようなことをしてはいけない。休むことだ。リスパを飲んで脳を強制的に休ませることだ。だから文校に通い始めた頃には全くそういう準備ができていなかった。だから異様に見えたのではないか。というよりその通りだ。
 やればできる。不可能はない。不可能と思うのは勘違いだ。ウェルカムという気持ちが大事だ。自分は機嫌がいいよ、大丈夫だよという態度が大事だ。ほんとに機嫌が悪いのなら、機嫌よく振舞う自信がないなら人に会わないことだ。
 自分を好きになろう。自分を愛するのは良いことだ。自分の変なところが少しはわかる。でも小説を書きたいならおかしくてもいいんじゃないのか。おかしいくらいのほうが良い。昨日調子が良かったのは何でもできると思ったことだ。そして自分を好きになったことだ。
 私は人の嫌がることをする癖がある。小さい頃変な子と付き合ったからだ。別に人に嫌がることはしなくていいんじゃないのか。それをしなかったらどれだけ生きる労力を節約できるか。
 私の問題は父が死んだことのショックが大きいと思う。それからうつになって生きるのが嫌になった。それをやる気がないとか言ってスポコン式にやる奴とか倫理的に責める奴がいるが間違っている。大怪我をして身障者になった人間を責めていいのか。やる気がないのとは違う。うつなのだ。治らないと思う。小説もこつこつ書いたほうが良い。
 自分を好きになることが一番だ。やればできる。やれば必ずできる。私のうつの原点に父の死があることは確かだ。だとしたら自分を責めることはできない。
 今の境遇はいいものとは言えない。くそババアの声や姿を聞き、見ながら一日仕事もなく過ごす。北原に始終小言を言われ、おびえつつ過ごす。ストレスがたまる。前と比べてあまり改善とはいえない。隣のグループに変えてもらおうか。



2005年12月01日(木) 今日

 今日は文校がとても楽しかった。どうしてかわからない。心が変わったのか。もしそうならこのままずっとこの調子で行ってほしい。明日また暗くなっていませんように。文校の階段を上るとき、自分の姿がはっきり見えた気がした。いつもくらい顔をして全く周囲に反応しない、病的な顔。その姿が目に浮かんだとき、あ、これではいけないと思った。明るく行こうと。そうすると周りが明るくなった。周りを受け入れると周りがパッと明るくなった。ウエルカムと周囲を受け入れるとまわりも受け入れてくれて心底面白かった。私は追いついていっていなかったのだ。それが良くわかった。今日はとても嬉しかった。
 途中で燃料切れしたが、あれは父の死からずっと続くうつの名残で仕方がない。でも精一杯頑張ったから良かった。どこでも一緒だと思う。文校の仲間はいいな。今日はなんかさえていた。面白くない小説でも皆とわいわいやっていると楽しかった。人間がしゃべるときは脳で考えてるのではなく体で反射するのだ。今日はどういうわけか体が反射してしゃべることができた。こんなこともあるのだ。不思議だ。先生が私の変化に気づいたみたいで何か話しかけてきた。私も普通に話すことができた。ちょっと引いたけどでも普通にしゃべれた。
 やればできるということと、自分を愛するということだ。不可能はないのだ。この世に不可能などないのだ。私はそう信じている。


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