希望の日記

2005年11月30日(水) 今日

 疲れた。脳がものすごく衰えているのに気づいた。簡単なことでも忘れてしまう。メモを見ても忘れている。海馬がずたずたに傷ついている。あんな場所にいていいんだろうか。あのキチガイの声を聞いているだけで脳に傷がつく。生きる気力が奪われている。どうしたらいいのかわからない。やればできる。何でもやればできる。あのキチガイのせいで母親まで傷つけてしまった。明るい奴というのは人を傷つけているだけだ。アングロサクソン的な明るさは地球を収奪し、環境を汚染し、罪もない人々を殺すことで成り立っている。明るければいいというものではない。
 自分を好きになろう。自分を愛そう。脳が疲れている。あのキチガイのせいだ。脳を休めないといけない。私なら何でもできる。やればできるのだからやればいいだけだ。何でもやればできる。でも少し休んだほうが良い。疲れて脳が弱っている。
 明るい奴は本当に嫌だ。人を傷つける奴ばかりだ。明るい奴の正体はただのいじめっ子だ。あのキチガイは死ねばいい。明るい奴は皆死ねばいいと思う。疲れた。egに出て明るくなったというのは平気で人を傷つけられるということだ。
 自分を愛そう。自分が好きだ。自分を好きになることだ。z氏もカウンセリングを禁止されているようだ。ホームページも禁止されているしだいじょぶなんだろうか。私と同じだ。兵糧攻めにあっているんじゃないのか。私はこれからどうしたら良いのだろうか。自分を愛すれば良い。やればできるのだからやればいいのだ。
 自分が好きだ。私は自分が好きだ。脳が疲れている。物が覚えられない。休んだほうが良い。休みたい。やればできる。何でもやればできる。私は欠けたところは何もない。能力的に完璧だ。
 疲れた。死にたい。いや生きたい。でも休みたい。自分を愛することが大事だ。やればできる。いままで仕事をちゃんとしたことがない。真面目に働こう。自分を愛することによって何が正しいかわかる。



2005年11月29日(火) 今日

 今日はカウンセリングの日だった。楽しかった。私はどこも悪くない。能力的にも倫理的にも全く問題ない。そういう話をしたらz氏は感心していた。どん底のレベルからいつも立ち直るのはすごいことだそうだ。確かに私は強いかもしれない。こんな状況でも生きている。あのババアはおかしな奴ということで一致した。他人に承認を求めずにいられないかわいそうな奴なのだ。自分を愛することができるからこんなことにも気づいた。あのババアにもすごいねとかほめてやれば簡単にコントロールできるそうだ。自分を愛するならばそんなことは簡単にわかるだろう。でも毎回z氏を感動させないといけないのかとも思うが。でもそうしたいのならばそうすれば良い。良い状態ではないということは最初に言った。
 私は父親にひどいことをした。人にひどいことをするのがいいことだと思っていた。何かが取り付いていたのだ。人にひどいことをするのがいいことだという観念は小学校の頃に芽生えた。ある級友のせいだ。そいつは嫌われ者だったが私が友達になってやった。ところが自分までそういう人間になってしまった。これではいけないだろう。絶対に通らない。父親にはひどいことをした。一生かけても償いきれない。私が生きて父を弔うことだけが償いだ。
 人にひどいことをしないことだ。女を避けるのは仕方のないことだ。恐ければ避けても良い。個人の自由だ。自分を愛そう。自分を愛そう。z氏はやっぱり私が良くなればそれでいいのだ。私は人にひどいことばかりするのでそんな人間がいるのが信じられない。あのババアはそれをまねしているのだ。人にひどいことをする私の行為を真似しているのだ。馬鹿だから何でもまねをする。
 人にひどいことをする。それを馬鹿がまねをする。とにかく女は嫌だ。絶対に合わない。合ったことがない。なぜ人にひどいことをするのだろう。私はどこも悪くない。どこも悪いところはない。能力的にも何の不足もない。やればいいだけだ。自分を愛そう。自分にひどいことをするのはやめよう。自分を愛そう。自分を愛することが大事だ。やればできる。何でもできる。不可能なことなどない。
疲れた。私は何でもできる。不可能はない。人にひどいことはしない。私はどこも悪くない。やればできるんだからやればいいだけの話だ。何を迷うことがあるのか。



2005年11月28日(月) 今日

 疲れた。でも良い方向に向かっているのだ。どんな仕事でも人並み以上にできるのだ。やらないからできなかっただけだ。やらない理由はあまりにもババアが気持ち悪かったからだ。今が底のような気がする。苦しいのは正しい方向に向かい始めたからだ。私は病気ではないし、能力の足りないところは全くない。何をやってもあんなごみみたいな奴よりよっぽどうまくできる。殺意を覚える。でもおかしくはない。殺意で十分なのだ。あんなキチガイ。あんな奴よりはるかに優秀であってあんな奴よりどんなことでも完璧にうまくできる。やればできる。やれば何でもできるのだ。
 私は何もおかしなところはない。能力的にも不足はない。病気でもないし、全く健康だ。どんなことでもやればできる。私は何でもできる。やればできる。絶対にできる。今までできなかったのはやらなかっただけだ。女のことなんか全く関係ない。女なんかどうにでもなる。100%馬鹿なのだ。
 自分を愛そう。自分を愛するのは良いことだ。今日はまだ言っていなかった。
 不可能なことはない。この世に不可能はない。あんなキチガイが社会で働いていられるのだ。不可能なことはないだろう。私が疲れているのは正しい方向に向かっているからだ。あいつは全く完全に頭のおかしいキチガイだ。人の名前すら覚えられないキチガイだ。何であんなキチガイと同じところにいないといけないのだ。隣のグループに移りたい。この世に不可能はない。脳は傷だらけなのに人を喜ばせる小説が書ける。すばらしいことだ。能力は十分だ。やればいいだけだ。女なんかどうでもいいだろう。全く関係ない話だ。
 私は何でもできる。人ができることならどんなことでもできる。やろうとしなかったからできなかっただけの話だ。全ての条件が整っている。必ずできる。人の100倍うまくできる。
 私は全然悪くない。仕事も100%できる。あんなキチガイにできて私にできないわけがない。女なんか全くどうでもいいだろう。これから良くなる一方だ。底に着いた。あんなくそ女なども、いくら嫌ってもいいんだ。性格が悪すぎるんだ。私は何も間違っていないし、能力的に全く欠けるところはない。



2005年11月27日(日)

 また今朝は特に具合が悪い。腰が痛い。9月に腰を痛めてから下降気味だ。眠れないのだ。昨日雪国のdvdを観た。とても面白かった。毎日がお祝いなのであるから、毎日観てもいいのだ。素敵な本を読んでもいいのだ。具合が悪いときは多くの気付きを得ているときでもある。自分を愛するとどうしても他人との対立を避けられない。でも避けられないものもあるのだ。それから逃げないで戦うのだ。喧嘩とは違う。弱者には法的権利がある。権力は味方してくれる。アサーティブもある。あのキチガイもコントロールできるのだ。文校もあまり居心地の良いところではない。奇人の皆さんといるのは疲れる。どうしてわざわざ疲れることをするのか。得るものは大きいかもしれない。とてもできないと思うことができた。強制的にやらされたからだ。楽しく生きていこう。自分も楽しく相手も楽しい。世間も楽しい。そういうことは可能だ。私にはそういう力がある。誰にでもある。女が嫌いだったらそれなりに対処したほうが良い。避けたって一向に構わない。向こうだって避けているじゃないか。u君は来なくなった。自分の壁にぶつかっている。私も親切にできなかった。でも彼には教わることもあった。こんな私でも受け入れてくれた。そういう風に自分を受け入れよう。具合の悪いときはやっぱり気づきも多いのだ。
 相当疲れている。eg以来の一年分の疲れだ。この間の文校のときは相当疲れていて変だったようだ。温泉でも行って来るか。長谷寺でも行こうか。昨日の電車で思ったが、人はそんなに機嫌が悪くないし、優しいと思った。おばさんも大阪のおばさんは目に余るが、それでもいつも暴力的なわけではなくておとなしい。よくしゃべるだけだ。疲れているので受け入れることはできない。そういう時は誰でもある。帰りの電車ではちょっと殺伐としていた。特におっさん。暴力を振るいそうで恐い。非常に不快だ。おばさんのほうがましだと思った。やっぱりおばさんはおっさんが恐いのだ。暴力は誰でも恐い。暴力を振るう女もいるが。あの小説では。
 疲れた。山河さんには嫌われたかも。あまりほめなかったし、きついことも言ったし。調子最悪だった。昨日の行きの電車で苦しかった。変なカップルが前に座って、くだらないことをしゃべっていたのが気が変になりそうだった。でも私がどんなに疲れているか、苛立っているか、危険な状態にあるかわかった。休んだほうが良い。自分を守るためにもこれ以上疲労を蓄積しないほうが良い。疲れた。行楽客の皆さんは私のように機嫌悪くなく疲れてもいないのに驚いた。少し救われた気もするし、逆に疲れた気もする。かなり変だと思う。私は。見た目に現れるくらい変だと思う。文校では変だと思われただろう。私は多分誰かに面倒を見てほしいのだ。ケアーしてほしい。疲れているから。
 精神的に不調な人をケアーしてくれるサービスってないのか。デイケアとかあるけどな。
 今調子が悪いのは疲れているからであって、良い方向に向かっている気がする。自分を愛するという路線は正しいからどこまでも行けば良い。今までがおかしすぎたのだ。正しい方向に向かって歩き始めたので疲れるのだ。アサーティブに生き始めたから疲れるのだ。弱気じゃなく強気で間違いないと思う。人や自分の権利を侵害するのではないから正しいと思うことはしっかりやったほうが良い。疲れているのは間違いではない。間違っているからではなく、正しいことをやり始めたから、慣れないせいで疲れるのだ。小説を書くこともなれない部分を使うから疲れるが、間違ってはいない。自己表現の欲求はすばらしいものだ。商売でも政治でも自己表現と根はひとつだ。自分を粗末にせず、愛し、大事にすることは良いことだ。悪いことはやめて生きるエネルギーを大事にすることは良いことだ。しっかり目を開けて自分の足で歩き始めるのだ。今回のことでも問題点がはっきり整理されたから、良かったのだ。問題点を抱えたままどこまで行ってもだめだ。隠蔽したってだめだ。膿を出し尽くすのだ。私は倫理的でないところがある。ことさらにそうしている。ホントはそんなことは思っていないし、そんな人間ではないのに。偽悪ぶるというか。小説はそういうものを出し尽くす意味ではいいのではないか。混乱する必要はない。
 自分を愛し、自分を信じ、自分を大事にし、まっすぐ歩き出す。それが必要であり、それが癒しにつながるのではないか。引きこもりではいけない。いけないというか、エネルギーを蓄積するためなら良いが、人生から、世の中から逃避するのでは埒があかない。自分を愛すれば他人のことはどうでもいいのだ。女なんか全くどうでもいいことだろう。自分を愛するのだ。私は間違ったほうに向かっていない。正しい方向に向かっているのだ。egも良い方向にエネルギーを向けることができれば大変喜ばしい変化をもたらすのだ。hから離れたのは自立への第一歩で良かった。あいつはゲームになっているのだ。だめな私を隠蔽し、そのままにしておくことで私の改善を結果的に妨げている。あいつから離れたほうが自分のためだ。好き嫌いで言っているのではない。損得の問題だ。あいつに恨みがあるのではないし、恨む必要はない。斉藤さんが言っていた。エネルギーの無駄だと。商売であって権力闘争ではない。私は法科出身だからすぐ喧嘩してしまう。しなくて良い喧嘩を。でもこの間の文校での議論は弁証法的で実りが多かった。私が火をつけた火種がうまく生きた。私は間違った道を歩いていない。ただ今非常に疲れているだけだ。egでも私は間違っていないということを教えられた。ハードもソフトも優秀なのに暴走しているか、フリーズしているか、うまく機能していないだけだ。
 今具合が悪いのは良い方向に向かっている証拠だ。恐れずひるまず、明るく前向きに生きていこう。誰かにケアーしてもらわずとも自分で自分を愛することさえできれば全て良い方向に動き始める。自分を愛そう。ちょっと調子が悪いのは、良い方向に向かい始めたからだ。なぜフリーズするか。全部お膳立てを整えさせておいてどうして向かわないのか。自分が幸せになるのが恐いのだ。男らしく強くかっこよくなるのが恐いのだ。これからは自分を愛し、バリバリ仕事も小説もやっていこう。処方箋は生きること。勇気を持つこと。素直に生き始めること。簡単だ。秘法や悟りなどない。少しの勇気と課長にも書かれたじゃないか。天は自らたすくる者をたすく。ごくシンプルな処方箋だ。天邪鬼をやめること。マゾヒズムから足を洗うこと。そうしないと相手にしてもらえなくなる。私は病気なんかじゃないのだ。引きこもりが病気ではないという意味がやっとわかった。私は病気なんかじゃない。どこも悪くない。うつでも統合失調症でもない。キチガイなんかじゃない。引きこもりをまだやっているのだ。処方箋は生きることだ。
 やればできるというのをモットーに行こう。シンプルイズベストでも良い。具合が悪いのは今変わりつつあるからだ。良くなりつつある証拠だ。やればできる。私は病気ではない。どこも悪いところはない。今いいときなのだ。今変わりつつあるいいときなのだ。調子が悪いのは正しい道を歩き始めたからだ。少しも悪いところはない。私は間違っていない。
 長谷寺に行ってきた。品の良い寺だ。女の寺だからか。女が嫌いではなくなった。良いことだ。おっさんは逆に嫌いになった。正しい道を歩き出したのだ。私はずっと間違ったことをしてきて、今正しいことをし始めたので、辛いのだ。調子が悪いのだ。私は何も間違ったことはしていないし、人生とは世の中とは、人間とはそういうものなのだ。辛くきついものなのだ。当たり前の話だ。ゆっくり休み、やるべきことを淡々とやるだけだ。
 私は正しいことをやり始めたので苦しいのだ。渡辺さんていたじゃないか。あれと同じ精神状態だ。今から良くなるのだ。人並みのことをやり始めたので疲れるのだ。全く間違ってはいない。休養さえしっかり取れば必ず立ち直れる。今まで真面目に働いたことがあるか。これからはしんどいけど真面目に働こう。
 私は正しい方向に向かっている。やればできる。飛行機に乗って恐い恐いと一人だけ騒いでいるようなものだ。
 自分を愛そう。自分を好きになろう。真面目になろう。子供の頃は真面目だった。結局真面目が一番だ。自分が好きだ。
 かなりおかしくなっているが、大丈夫だ。今から頑張ればきっと立ち直れる。ようやく正しい道に戻ったのだ。
 今とても調子が悪いが、疲れがたまっているのだ。でも正しいことをやり始めたから疲れているのだ。正しい方向に向かっている。後はやるだけだ。やればできる。あんなキチガイババア恐れる必要はない。
 楽しい。これからいいことがたくさん起こるに違いないと思うと楽しい。ようやく普通の人間になれる気がする。幸せになりたい。幸せになれる気がする。



2005年11月26日(土) 今日

 今日は早く目が覚めた。ふと自分の欠点がありありと見えた気がした。享楽的でないこと、禁欲的なことだ。小説を書く上でも現れている。道徳的であったり、何かに奉仕する必要はないのにそうしてしまう。この間の合評のとき妙に嫌われた気がしたのはそういうところか。oさんが嫌いなところと同じか。理屈っぽく倫理的で殺されそうな気がする。間違った上に倫理的だとほんとに殺人者になる。サドみたいなものだ。自分を愛することができなくなっている。小説を書く上でも説明するのは快楽が嫌いで小説の快楽と馴れ合いたくないからだ。不良になりたくないのだ。でも快楽を味わいつくすことが小説であって、労働でもなく奉仕でもない。そういうところを小説家は本能的に嫌う。不良といって馬鹿にされることを嫌う。私は無意識にそうしていたのではないか。最近女を愛することが全くできなくなった。愛の不能者だ。人と仲良くする能力の欠如もまさにそこにある。共感能力の欠如。そして他人を攻撃し始める。それをあのキチガイはまねしているのだ。いくら仲良くする必要がないといっても全く共感能力がなかったら人間じゃないので一緒に働くことはできないだろう。他人と共感することなく自分だけ愛しても高慢のそしりをまぬかれないだろう。だから私は人と会いたくない。人と共感できない。特に女と。女を受け入れることができない。性欲もなくなった。hのおばさんが私を拒絶しようとしたのは私が文学の圧殺者に見えたからだろう。あのキチガイは機械のように私をコピーしている。それがこんなに不快とは結局自分が嫌いということだろう。自分を好きになることだけが、キチガイババアという悪夢から一瞬でも逃れられる方法だ。なんでも真似して攻撃し、殺そうとしてくるババア。殺されてはたまらない。中学時代から一貫して私を殺そうとする奴ら。
 共感するよりまず自分を愛することじゃないのか。きちがいどもは自分だけを愛しているから。人のために犠牲になることなどないではないか。自分の人生を楽しもうではないか。私に重大な欠陥があるとしてそれに気づかないで、それをまねして私に同じことをやろうとするなら私は死ぬだろう。女が嫌いだ。それは欠陥か? 私の致命的欠陥か? ババアガ嫌いで悪いか。それのどこが欠陥なんだ。直す必要なんかないじゃないか。全てのババアはババアガ嫌いじゃないか。自分を好きになることだ。三島は文豪だろうか。文学の圧殺者じゃないのか。文学を妬み殺そうとして、自分が殺されたのじゃないか。文学を甘く見てはいけない。私に致命的欠陥などない。ババアが嫌いなだけだ。それでババアが殺そうとしてくる。それだけの話だ。共感能力の欠如?嫌いな奴と共感しないのは当たり前じゃないか。私は人と会いたくない。人が好きではないからだ。実際人といると攻撃を受ける。もう私には人を愛し、共感する能力は残っていない。ならばと自分を愛そうとしたのだ。これなら裏切られない。ナルシズムは裏切らないだろうか。三島を見よ。見事に裏切られたじゃないか。
自分を好きになることが自分を守る。自分を嫌いになれば誰も自分を守るものはいない。ババアが嫌いというのは私の個性だ。個性を含めて全部自分を愛そう。関西人が嫌いというのも個性だ。攻撃的で反社会的で天邪鬼なのは良くない性格だ。でもそれも自分のサブパーソナリティーだから認めよう。自分を好きになろう。自分は大事だ。でも脳が壊れるほどに嫌いなのだから、仕方がない。隣のグループに移ろう。
 実相院に行ってきた。きれいだった。庭は思った通り良かった。見ているだけで癒される。やはりいい庭は癒し効果がある。不思議だ。自然そのままではなく人工的な自然のほうが癒されるとは。京都の庭をめぐってみようかと思っている。人が多かったが、実相院は適度でよかった。自分を愛そう。腋臭には悩まされる。人に嫌われる。そばに座っている人間が怒りを向けてくることがある。暴力を振るわれることもある。でも自分は自分を愛そう。この間も何時間にもわたって罵られた。お前らは障害者を罵るのか。俺は二度も手術を受けた。それでもこれだ。私はもう気にしない。誰に嫌われようとも自分を愛そう。自分で自分を愛せば人に嫌われても一向に構わない。
 私は自分を愛そう。自分を好きになろう。もう嫌になってきた。会社を休みたい。自分を愛そう。わきがなんか全く関係ない。私は全く何も悪くないのに気にする必要なんかないのだ。自分を愛そう。自分を好きになろう。自分を愛せばいい。私は自分で自分を愛するので他人に愛されなくて結構だ。
 世の中いろんな人間がいても良いんじゃないのか。私は腋臭だ。文句があるか。日本人には珍しいだろう。だからどうした。私は自分が好きだ。
 私は神だ。だからわきがなんかどうでもいい。小説うまいな。私は。わきがなんかどうでもいい。全くどうでもいい。私は神なのでわきがなんかどうでも良い。わきがなんか存在しない。私は神なのでわきがなんかどうでも良い。それだけだ。大体お前らなんか生きていることが不思議だ。何で生きることを許されていると思い込んでいるのか不思議でならない。今すぐ市ね。



2005年11月25日(金) 今日

 今日は疲れた。毎日だけど。することがなくて困る。ババアは気にならなくなった。斉藤さんの本を読んでいると人を恨むと自分が具合が悪くなるとかそいつに大事な時間をささげていることになるとか思い当たることが多い。人を恨むのは確かに馬鹿だ。でも目の前にいて私を眼の敵にしている場合はどうしたらいいのだ。自分を愛そう。昨日文校の在特祭りで楽しかった。紫嬢が見れて嬉しかった。前よりやせてきれいになっていた。でも二次会はサボった。疲れていたのだ。人に会いたくない。
 自分を愛するのはモチベーションを高める。その反対は下げる。はっきりしている。中学の頃、どれだけ自分を愛していたか。それに対して自分を愛すなというメッセージを与え続けられた。何でそんなことを人に命じられなければいけないのか。何をいわれようと自分を愛することだ。無条件で愛されるのに何で母親に温泉をおごってやらなければいけないのか。そのくせ母親の望むことは断る。明らかにおかしい。物事がわからなくなっている。人を苦しめることを平気でするようになった。egの成果がそれか。おかしい。自分を愛するとはそんなことではない。
 毎日お祭りだ。自己愛祭り。自分を愛するお祭りだ。自分をおろそかにし、粗末にすることを戒めよう。毎日がお祭りだ。自分にとって大切な日だ。毎日自分に素敵なことをしてあげよう。好きな本を読むとか果物を食べるとか。ああ、生きてて良かったと思えることをしてあげよう。すると自分が好きになる。すばらしいことだ。自分を愛することは人に対する思いやりを捨てることではない。人への思いやりを保ちつつ、自分を愛することは可能だ。自分を愛することだ。毎日がお祭りだ。生きるとは毎日がお祭りだ。祝うべきことだ。生きていられるだけで。
 毎日が貴重なお祭りだ。貴重な一日だ。だからお祭りだ。自分が好きだ。もっともっと好きになろう。いくら好きになってもいいのだ。才能とは自分を愛する力のことだ。三島はなぜ天才か。自分を愛する能力に長けているからだ。自分を愛そう。何か最近カウントが増えたかな。気のせいか。私は自分が好きだ。好きというのはいいことだ。人に好かれなくても一向に構わないのだ。人を傷つけなければいくら自分を好きになってもいいのだ。
 自分が好きだ。自分が好きなのは良いことだ。生きているだけでお祭りだ。毎日がお祭りだ。自分が好きだ。これほど自分が好きになったことはない。本当に自分が好きだ。毎日がお祭りだ。すばらしい自分に乾杯だ。自分が好きということは自分が良いと思うことだ。自分は嫌われてなどいない。悪いところなどない。あったとしても愛すべき欠点であり、問題ではない。誰もが受け入れている。
 私は自分が好きだ。愛しているといってもいい。毎日自分を祝福しよう。毎日がお祝いだ。すばらしい自分に乾杯。
 頭が痛い。あのキチガイを嫌うのはもうやめよう。もう五年以上になる。貴重な人生の時間をあんなキチガイのために使うのはもう一切やめよう。これからは毎日がお祭りだ。大好きな自分を祝福するお祭りだ。



2005年11月24日(木) 最近

 最近は調子が良いんだか悪いんだかわからない。昨日は死ぬほど寝た。眠れたのは良い傾向だ。でもその前は調子悪かった。最悪期から脱し切れてはいない。人に会いたくない、休みたいというのは変わらない。文学に逃げようとしてもそこには厳しい戦いがある。奇行の果てに自分が維持できなくなる。そんなことは眼に見えているのに。休みたい。小説も書けない。でも今日は楽しかった。紫嬢や鳥居嬢に会えた。飲み会にも行きたかったが疲れ果てていた。文学にも元気がいる。油断すると大変なことになる。
 休むのが最善の選択だ。でも決断できない。まわりも勧めない。でも必要だと判断したら自己責任で休もう。決断は自分しかできない。大変な結果になってからでは遅い。北原は私の様子が変だと既に気づいている。hと違って賢いし優しい。z氏も大事なときに支えてくれない。もちろん自分が悪いのだが。抗うつ剤がきかなくなったのが辛い。昨日の休みがどれほどありがたかったか。
 私は自分が好きだ。心から愛している。一日一回は言わなくては。たとえ外で誰に罵倒されようとも。私は自分が自分を愛している限りは大丈夫だと思う。



2005年11月23日(水)

 風邪気味だ。疲れた。食べすぎだ。11時まで寝たが寝たりない。私は自分が好きだ。好きだということは人に殺意を持つことに他ならない。きちがいどもには殺意しか感じない。hとかkには殺意しか感じない。
 休みたい。一ヶ月くらい休みたい。疲れている。休みたい。脳が疲れている。薬が効けばいいが効かなくなっている。hやkは私を殺そうとしている。そんな奴と仲良くしようとするなんて。殺してやればいいんだ。
 楽しい。少し寝た。眠れるというのはいいことだ。脳が疲れている。最近食うことと寝ることしか興味がない。
 苦しい。グループを変わりたい。もう我慢できない。脳が傷ついている。隣のグループに変わりたい。何の仕事をするかは問題ではない。替わることが大事だ。
 eg以降、奇行が目立つ。躁状態だった。いろんなグループに出たり、サークルに出たり、迷惑がられた。もうやめよう。文校もどうだったかわからない。良かったのかどうか。会社でもキチガイに戦いを挑んだ。それは良かった。あのキチガイがおかしいので私の行為はまったくおかしくない。私は全くおかしくないのだ。グループを変わりたい。キチガイとどうやってうまく行くのか。
 自分が好きだ。自分を愛している。これを一日一度は言わないといけない。自分が好きだったら、おかしなことはしないだろう。グループを変わりたい。北原も喜ぶだろう。私もあのグループでは何もする気にならない。
 自分が好きだ。とても好きだ。今日は一歩も外に出なかった。良いことだ。自分が好きだ。キチガイはどこまでも私をいじめようとする。いじめ殺そうとする。殺されてはならない。殺してやればいいのだ。
 私は自分が好きだ。あのキチガイから離れたい。何とかしてほしい。殺し屋を雇って殺してもらおうか。今日は良く眠れた。



2005年11月22日(火) 今日

 今日はしんどかった。朝からしんどく休みたいと思った。小説を昨日書いたからそのせいか。消耗するのか。それにしてもあのババアとの距離が縮まって具合が悪い。声が大嫌いなのに声が聞こえてくる。向かい合っているのも嫌だ。地獄だ。休みたい。どこかの職場に行きたい。私にちょっかいをかけてくるのは眼に見えている。どうしよう。隣のグループに移れないものか。あの声を聞いているだけで気分が悪くなる。何とかしてほしい。気分が悪くならないようになるだろうか。あのキチガイがそばに来ないようにできるだろうか。無理だ。もう休みたい。あそこにいるだけで頭が痛くなってくる。脳が傷つく。あいつは一所懸命仕事しているだけだろう。でもそこには私への敵意が潜む。私は一人だけしゃべることを禁じられ、全く無意味な作業を一日強いられる。発狂しないほうが不思議だ。
 休みたい。しんどい。休みたい。発狂寸前だ。キチガイの手が迫っている。お前なんか何の関係もないんだ。死ね。



2005年11月21日(月) 今日

 今日は席替え最初の日だった。何か少し良くなったような気がする。キチガイは相変わらず興奮して超攻撃的だったが。キチガイはキチガイだ。キチガイもいていいのだ。いてはいけないといっても仕方ないだろう。s市なんか全員馬鹿でキチガイで気持ち悪い。それが当たり前で全員そうなのだから驚いている場合ではない。キチガイが視野に入るのは少し困るが仕方ない。自分は安全が守られればいいのだ。用心棒を雇ったようなものだ。hと縁が切れるのは愉快だ。私がおかしくなっていることに気づいたのは偉い。本当だったら休みたいのだが、休まなくても出勤しながら治癒することもできる。
 私は自分が好きになった。これで大丈夫だ。自分の全てが好きだ。長所も欠点も皆好きだ。自分が好きになることは自分を殺そうとするものに殺意を抱くことだ。それでいいのだ。皆そうだ。自分が好きな私が好きだ。自分が好きだと間違った考えをしなくなる。自分が嫌いだと全て間違う。



2005年11月20日(日) 今朝

 昨日は良く飲んだ。まだ手足がしびれている。二日酔いだ。自分を愛する。n氏の誘いでt氏o氏と会って話した。作家志望のユニークな趣味人、o氏の話は見た目以上にユニークだった。勉強家で一所懸命に生きている。いろんな学校に行っていろんな資格を取って仕事に役立てている。最近はファッションの仕事をしている。すごい人だ。タレントもやっているという。面白い。結局私はああいう人のほうが似合いじゃないのか。芸術、芸能に興味がある。私は危険な道を歩んでいるのか。そんなことはない。消去法で本来の道に戻っただけだ。自分を愛するの道はこれで正しい。私は相当やばいところにいる。昨日も隠すことさえできずに悩みをしゃべってしまった。脳が崩壊寸前だ。うつとは一時的に脳が壊れて言うことを聞かなくなる病気だ。文学に救いを求めて一部はかなえられた。o氏が言っていたのは悪いことをする奴には反撃せよということだ。温厚そうに見えてもやっぱり自衛のためには必要だ。自分の領分を侵すものにはきちんと反撃する。アサーションの考えと一致する。自分を愛そう。愛しているが、もっと愛そう。男も自分を愛してよい。o氏も心から自分を愛している。誰に何と言われようと自分を愛することを邪魔されるいわれはない。
 あんなグループにいること自体が自虐的だという結論に達した。他方でどこにいっても同じじゃないかという懸念もある。下に行ったときは変な女が噛み付いてきた。女が嫌だ。本当に嫌いだ。女はキチガイで下等な生き物だ。これは間違いない。キチガイなんだ。相手にしてはいけないのだ。
 自分を愛そう。とことん愛そう。自分を愛そう。努力は必要だ。少し休めば大丈夫だ。自分を愛することだ。ibの考えに影響されると努力しなくてよいみたいになってしまうが、そうではない。文学について努力する気があるのなら、楽しみを得られるだろう。
 自分を愛そう。自分を愛している。努力をしよう。女は愛されるためにできることはなんでもする。見習わなくてはならない。自分を愛そう。欠点も含めて自分を愛そう。それがこの苦境を脱する方法だ。自分を愛するならば自分を守れるはずだ。女はキチガイって皆知っているじゃないか。今更のように言うんじゃない。肉体的にも精神的にも性愛においても女を愛することができない。
 昨日は飲みすぎた。何だか疲れた。うつが高まる。リスパはセロトニンを遮断するのでうつになりやすい。でも飲まないと等質になってしまうので仕方がない。自分を愛することで乗り切ろう。頼り過ぎないようにしよう。万能薬ではない。自分を愛するとはうぬぼれとは違う。自慢でもない。他人に対するものではない。自分で自分を愛するのは当たり前のことだ。芸事に熱中すると通常の性愛では満足できなくなる。少なくとも私はそうだ。そうすると薄着をした若い女を見ても何も感じなくなる。女に何らの愛情も感じない。でも関係は持つことはできる。礼儀正しい関係だ。一番最初に接するような関係が大事だ。他人の関係。よそよそしい関係。仲良くなんかならなくていい。できないんだったらしなくて良い。あんなキチガイババアと仲良くできる奴なんかいない。仲良くしなければならないというのはibだ。打ち解けなければならないとか。何で仲良くしなければならないのか。恋人とか夫婦とかそういう関係なんかないんだから何でご機嫌取ったりしないといけないんだ。芸者じゃないんだ。いい加減にしろ。
 高橋ががんばっている。怪我というのは大したことはないのか。芸というのはなんだろう。o氏は芸熱心だ。諸芸に励み勤めている。見習おう。小説も修練だ。自分を愛するの修練だ。ゆっくりがんばろう。がんばれる条件が整ってきた。自分を愛することができるようになった。人に許可をもらわなくても自分で自分を愛することができるのだ。人に断らなくて良い数少ないことのひとつだ。人に会いたくない。会社に行きたくない。こんなことを思うのは初めてだ。私と母の関係は独特だった。ずいぶん親不孝だった。どうして親孝行ができないのか。温泉に連れて行ったときも結局は悲しい思いをさせた。残酷なのだ。自分に一番残酷だ。自分に近いものから残酷だ。無条件に自分を愛そう。仕事ができるから、何を持っているから、愛されるというのは辛いものだ。人は無条件で愛され受け入れられる場が必要だ。
 私は女が嫌いだ。もう隠さない。どうしても好きではない。でも関係は成り立つ。性を媒介としない関係はいくらでもある。自分も相手も尊重する関係はありうる。
 高橋が優勝した。ゴールしたときは涙ぐんでいるように見えた。辛かったのだろう。しかしインタビューにはもっと感動した。辛い立場にある人も希望を持って生きよというメッセージは私に届いた。一度は陸上をやめようと思ったらしい。辛かっただろう。でも夢をあきらめず、希望を捨てずがんばり続ければきっと夢はかなう。我慢も必要かなと思った。
 等質でもうつでも自分を愛することで自分の脳の変化が見える。するとコントロールできる。他人に惑わされることはない。あきらめずにがんばろう。あのキチガイのすごいところはあきらめないことだ。馬鹿なところだ。高橋だってあんなひどい目に遭わされたら、恨みを呑んでやめてしまうところをがんばって復活した。私もこの勝利に誓ってきっと復活しよう。
 疲れた。自分を愛そう。散髪に行った。あれもセラピーだ。自分を愛すれば自然に自分を大事にする。自分を大事にすれば相手も尊重することになる。自分を粗末に扱う人間ほど恐いものはない。人の利益を尊重するとは思われないからだ。文校も結構きつかった。でもまだ先は長い。また執筆を再開しよう。旅行記も終わった。掲示板に出なくなったのも自分を大切にする一環だ。
 自分を好きになると思考が自然になり、感情が自然に流れる。女との付き合い方がわかった。他人としてよそよそしく慇懃に対するのだ。絶対に文句を言われないだろう。仲良くなんかする必要はかけらもない。女とも立ち向かおうと思った。女だって理由もなく傷つけてくることがある。そのときは敢然と立ち向かおう。女と距離を保つ方法。男女関係は抜きにして、事務的に接すること。仲良くする必要なんかまったくない。自分を大事にしよう。自分を尊重しよう。
 自分を愛そう。自分を愛そう。自分を愛すればきっと道は開ける。おかしいんじゃないかと思う奴はほんとにおかしい。馬鹿じゃないのかという奴はどう考えてもおかしい。誰が見てもおかしい。s市の奴は全員おかしいんじゃないかと思ってきたがほんとにおかしい。皆知っている。常識だ。騒ぐことではない。あの職場にいる奴は全員おかしいんじゃないかと思ってきたがその通りだ。騒ぐほどでもない。自分を大事にするならばそんなことでは傷つかない。自分を愛そう。好きになろう。馬鹿やキチガイはいる。取り除くことはできない。馬鹿じゃないか。と思ったらほんとに馬鹿なのだ。普通に馬鹿なのだ。女は馬鹿じゃないのかと思うが、その通りだ。自分を愛することはすごい。いろんなことが見えてきた。
 自分を愛そう。他人は変えられないが、自分は変えられる。少なくとも自分の行為は変えられる。自分を愛することは可能だ。自分を愛すると自分の変化を愛することができる。女が嫌いになってきた。性が嫌いになってきたからだろうと納得される。それも仕方のないことだ。
 自分を愛そう。愛することはすばらしい。愛する対象がいなければ自分を愛そう。全く惨めではない。仲良くしなければいけないというのはibだ。間違いない。そういえば長井はどこに言ったのだ。ギター侍は?
 誰もいなかろうと私は自分を愛せるから大丈夫だ。仲良くしようなんておかしい。他人行儀というのが女とのありうる唯一の関係だ。おかしな上下関係は性的関係、男女関係を連想させておかしい。他人行儀というのは対等であって相互に尊重した上でお互いに立ち入らないという関係だ。今の私には最もふさわしく、唯一可能な関係だ。
 でも面白かった。昨日はo氏は愉快だった。故意のまいあひをルーマニア女二人に歌ってもらったときは最高だった。芸事が好きなのだと思った。生身の女よりも芸に熱くなるのは文校に通っているからに他ならない。私はもう女に心を騒がされたくない。他人行儀でいたい。ほんとに女が嫌になった。ほとほと嫌になった。もう年だ。ほんとのことを言おう。ibは捨てよう。
 自分が好きとはいいことだ。誰になんと言われようと自分を好きでいるが良い。自分を愛し、しげしげと自分を眺めてみるとどんな阿呆よりも完璧な人間であることに気づく。恐ろしく頭がよく、良心の塊、全てのことを知り尽くしている。自分のよい点を書き出すセラピー。
 自分を愛することはすばらしい。人が以下に自分を愛しているわかる。自己愛からすべての行動が説明できる。戦略も作戦もいらない。自己愛のみで十分だ。



2005年11月19日(土) おはよう。

 昨日は睡眠薬なしで久しぶりに眠れた。自分を愛するようになったからだ。すばらしいことだ。自分の中で激しく勢いよく何かが動き始めている。それを恐れてうずくまった途端、激流が私を飲み込む。だから自分を愛し、信じ、変化を愛し、変化する自分を愛し、激流に身をゆだねる。すると激流は静流に変わり、楽になる。成長が始まる。人は本当に自分を愛するのだと知った。文校は自分を愛することを教えてくれた。自分を愛すると人を憎む気持ちが嘘のように消える。自分を憎むとやがて言うことを聞かなくなる。うずくまって動かなくなる。当たり前だ。
 楽しい。自分が好きだ。自分が好きであれば他に何もいらない。人を憎まなくなる。人を憎まなくなると本当に楽になる。楽しいことが好きになる。自分を変える必要なんかない。留まってはならない。時間は過ぎ、自分はどんどん変わっていく。変わっていく自分を愛せ。そうすれば成長する。自然に。it関係の社長は強烈なナルシストだ。自分が好きだ。自分を心底愛する。
 私は自分が好きだ。愛している。一日に100回ずつ言おう。忘れないように。刷り込まれるように。n女史やk女史が安定していて良い感じなのは自分が好きだからだ。見習おう。ナルシストでない男はいないし、女もいない。自分もそうなれば人を許せる。それは自然な姿だ。好ましい状態だ。金持ちの子供は愛されて育つので、健全なナルシズムが育ち性格が良い。ナルシズムは良い。すばらしい。私は中学生の頃めちゃくちゃにされたので、すっかり悪くなってしまった。でも今は健全なナルシストだ。自分が好きだ。



2005年11月18日(金)

 私は良く悪いことを考える。昨日も先生は私に悪感情を抱いていないのになんだかびくびくする。よく小さい頃意味もなく毒舌を浴びせられたことを思い出す。そういう家はどこにでもあるだろう。でもそう多くはない。人はそんなに悪くない。いつも自分が苦しみ、不幸になるように振舞う。悪いことをして自分が罰せられることを望む。おかしい。これからは自分を愛そう。自分を幸せにしよう。そのように努力することは全く正しい。
 自分を愛している。私は。本当に心から愛している。その気持ちさえ忘れなければ大丈夫だ。自分を愛することは甘やかすことではないから罪悪感は不要だ。芸術やスポーツをやる奴が苦手なのは当然のように自分を愛するからだ。それが苦手な私はそれが嫌なのだ。でも自分も自分を好きになればいいのだ。自分を好きになると気持ちが変わる。悪いことを考えなくなる。そんな必要は毛頭ないからだ。自分を愛すれば少しくらい厳しいことにも音を上げなくなる。人にもやさしくできる。ibに見えることは会社には多いが強制力で担保されている以上、ibではないことは明白だ。自分を愛するとそんなことは簡単に区別がつく。自分を愛すれば人を憎むことはなくなる。羨むことはなくなる。あのババアにうらやましい点なんかあるか。全くない。人を恨み、憎む暇があったら、自分を愛する方が何兆倍も得だ。自分を愛することだ。人を憎んで得をした奴なんか歴史上いない。自分を好きになれば人を幸せにできる。評価もされるし、愛される。何の問題もない。自分が好きになれば困ったことなんかないんじゃないか。厳しい仕事もできるし、人にやさしくもできる。
 今日はちょっと仕事をした。引継ぎの仕事だけど。体が自然に動いた。自分を愛する気持ちが何十年ぶりかによみがえったからだ。キチガイが私を攻撃する。それが恐いか。自分を愛していれば何も恐いことはないだろう。自分が好きだ。自分が好きなら悪いことはしないし、全てうまく行く。誰も腹が立たないし、全てうまく行く。
 自分の欠点を直そうとするよりもただ自分を愛すれば良い。そうすれば自分の良いところが自然に出てくる。私は自分が好きだ。自分が好きだ。
 ヤンキーみたいな職場の女とどう付き合ったらいいか大体わかった。b校の女だって似たようなものだ。オニババ化している。それは礼儀正しくすることだ。それは卑屈とは違う。礼儀は自分を愛するがゆえに行うものだ。相手を尊重すると同時に自分を守るものだ。護身術だ。どれだけ強くなっても上には上がいる。強くなっても孤独になるだけだ。礼儀正しくして適切な距離を保つことだ。他人でいることだ。女と仲良くする必要などない。
 いろんなibを発見するのはいいだろう。でも自分の外にあるものはほとんどibではない。エリスは内面を点検せよといっているのだ。
 自分は激しく変化する。変化に疲れると自己嫌悪に陥る。休もうとする。すると以前と違ってあっという間に破綻する。変化を受け入れる。変化する自分を受け入れる。そういう自分を愛する。変化を楽しむ。自分はどんどん変化している。それを楽しむ。昨日と今日ではもう違う。当たり前として味わう。自分を愛する。変わる前の自分を愛し、変わったあとの自分を愛する。どちらも隙。失敗しても成功しても同じくらい好き。変化を嫌い、倦み疲れ、自分を嫌いになると、眠れなくなる。攻撃的になる。行き詰る。発狂する。



2005年11月17日(木) b校

 今日はb校楽しかった。坊さんが何を言うかと思ったら見合いの話だった。お寺の婿養子。無能な私にはおいしい話だが。問題が多いのでお断りしたい。私は野たれ死ぬのが一番だ。でも自分が一番好きだ。たまらなく好きだ。本当に好きだ。もっともっと努力して自分を好きになろう。努力すればもっと好きになる。好きになればもっと楽しくなる。自分が好きとはいいことだ。すばらしいことだ。自分が好きだ。好きでたまらない。あの人は完全に私に引いている。でもいい。私は自分が好きだ。自分が好きだと毎日言い続けよう。あんなおんなどもがあれだけ自分が好きなのに私が自分を好きで何が悪い。幸せとは自分が好きでいられることだ。私は磔に会おうと晒し首になろうと幸せだと言い切れる。そんな私が大好きだ。



2005年11月16日(水) 今日

 今日業務変更が発表になった。私の居心地は良くなるだろうか。そうは思われない。でも私は自分を愛する。どこまでも愛する。休みたい。先週ほどではないが休みたい。夜眠れない。会社の規則をibと言ってみてもむなしい。強制力によって担保されているからだ。法律も道徳も同じだ。科学的かどうかはともかくとして実態として存在している。逆らってもいいが結局自分が不利益を受ける。それより自分を愛することに徹しよう。あんなキチガイを相手にすること自体が時間の無駄だ。自分を愛するならば相手にしないはずだ。
 ネバならないなんて存在しないと考えている。あのキチガイもネバならないと考えるから腹が立つ。あんなものはキチガイだろう。何で怒るのか。女と距離を保つのはきわめて簡単だ。絶対に関わりになりたくないと思えば絶対に何もできない。私は女に興味はないし、女も私に興味はない。何も起こるはずがない。女と距離を保つなんて簡単極まりない。女なんか関わりになりたくないと思えば絶対にかかわりにはならない。一生女とはかかわりにはならないだろう。



2005年11月15日(火) カウンセラー

 今日はカウンセリングの日だった。何か距離ができたような気がするが、それも仕方がない。自分がそう望んでいるのだろう。休みたいといったがあまり賛成しないようだった。話しているうちに休むほどでもないとも思うようになった。私は自分が好きだ。それが一番大事だ。気が狂おうが失業しようが、自分がたまらなく好きだ。女と距離をとるのはきわめて簡単だ。女に興味のない男を追いかけるほど女も暇ではない。興味を持たなければいいだけだ。自分が興味を捨てきれないからややこしい。でもほとんど興味なくなった。そんな自分が好きだ。
 私が嫌いなタイプがわかった。芸術家タイプ、スポーツタイプだ。クラブ活動やっている奴はほとんど嫌いということになる。芸術家は絵が得意な奴は嫌な奴が多いとはわかっていたが、小説も同じことだとやっと気づいた。当たり前だ。同じ芸術だ。ミミックの才能に長けた嫌な奴らなのだ。文校が嫌なのは偶然ではない。あのババアも何が嫌と言って人まねが得意なことだ。芸術家タイプかどうかは別にしてそういうタイプなのだ。いやらしいタイプ。女は大体そうだ。自分を美しく見せようと必死なわけだから、芸術に興味を持つのは自然だろう。母と姉は芸能人の話ばかりしていた。女は芸能好きだ。ワイドショーはそればっかりだ。女が嫌いな理由がわかった。それも人を楽しませようと必死なのだ。それが女のibなのだ。憐れだとは思わないのか。
 私は自分が好きだ。たまらなく好きだ。あれが嫌いなのは芸術家気取りでスポーツをやっているのだから性格めちゃくちゃだ。死んだらいいのだ。m氏もそういえばそうだ。好きなわけがない。人間はナイーブであるほど尊いと考える私としては最低の性格だ。
 変な奴と付き合った結果、おかしくなったとしても私は自分が一番好きだ。私は自分が一番好きだ。自分が一番大事だ。私は仕事ができなくなったとしても自分が一番好きだ。出世ができなくても身分が低くてもどんな境遇になっても自分が一番好きだ。決して変わることはない。世の中にはおかしな人間がいくらでもいるのだ。いちいち相手にしていられない。自分が一番好きだ。たまらなく好きだ。
 私は自分が好きだ。たまらなく好きだ。一番好きだ。自分が好きだから自分を大事にしよう。人のことなんかどうでも良い。キチガイだろうがなんだろうがどうでも良い。自分が好きになると良いことが起こりそうな気がする。少なくともアンフェアーな状態は改善があるだろう。自分が大好きな奴らと自分が大嫌いな私ではあまりにアンフェアーだ。世界一自分が好きな人間になってやろう。



2005年11月14日(月) 今日

 しんどい。休みたい。意識は明晰だが疲れ切っている。このままではやばい。休んだほうがよい。女と距離をとるのは簡単だ。取り続けるのも簡単だ。一生だって可能だ。あのキチガイババア殺意を覚える。私がここまで追い詰められたのはあのババアのせいだ。私は自分が好きだ。素直になろう。素直が一番だ。私はどうして人に悪いことをするのか。誰の影響かは知らないが。でも私は自分が好きだ。自分がたまらなく好きだ。自分が好きであればあのキチガイへの憎しみも募る。自分を守ろうとする。かけがえのない自分を守ろう。
 キチガイ死ね。ほんとに頭にくる。もう一回くらい言ってやろう。でも効果ないだろう。ババア死ね。
 本当に疲れた。休みたい。脳が疲れ切っている。私は障害を抱えているのと同じだ。でも幸せになりたい。悪の回路が頭の中にできている。これを無効化しよう。私は自分が好きだ。たまらなく自分が好きだ。愛すべき相手はいないが自分が好きだ。私は自分が好きだ。女は自分が好きだ。私は男だから自分を愛することは許されないと思っていたがそんなことはない。自分を愛してよい。自分が好きだ。自分を好きになることがいきのこる秘訣だ。自分が好きだ。自分がたまらなく好きだ。女がこんなに嫌いなのは自分が好きだからだ。あのファッション誌を見よ。女はどうしてあんなに能天気に自己陶酔していられるのか。
 もう限界だ。休みたい。休まなくても私がどんなに変かわかるだろう。あのキチガイ。どこかほかの職場に移りたい。私がどんなに変でも私は自分が好きだ。自分が好きだ。たまらなく好きだ。



2005年11月13日(日) 今日

 私は一所懸命生きている。そんな自分がたまらなく好きだ。とても素直で立派だと思う。偉いと思う。決して嫌われ者なんかではない。私は自分が好きだ。たまらなく好きだ。私は今安定している。自分が好きだ。偉いと思う。偉くない人間など居ない。宅間でも小林でも生きているだけでも偉いのだ。生きているだけで価値があるのだ。犯罪行為はその人の外側にあるのだ。その日と本人は無垢なのだ。
 私は自分が好きだ。自分が好きだ。愛おしい。生んで育ててくれた両親にとても感謝している。憎んでもいいんじゃないかな。自分をこんなにもいじめるあいつらを憎んでもいいんじゃないかな。愛おしい私をこんなにも辛い思いをさせるあいつらを。愛おしい。本当に愛おしい。あのユリばあちゃん。誰も傷つけず、誰にも迷惑をかけず、自分の分を稼ぐばあちゃん。自由気ままに生き、天寿を全うしようとしているばあちゃん。何て尊いんだ。何て愛おしいんだ。優しく地球を傷つけず流れ着いた魚を焼いて食べ、昆布を拾うばあちゃん。可愛い。愛おしい。私は自分が好きだ。素直な自分が好きだ。私は素直で純真だ。ひねくれた大人なんかになりたくない。邪悪で欲に駆られた小ざかしい大人にならなくてもよい。馬鹿で結構だ。馬鹿こそ尊い。世間が何だというのだ。素直が一番だ。
自分が好きだ。私はそれで十分だ。誰に愛してくれとも頼まない。自尊心とは自分を愛し、尊いと思う気持ちだ。当たり前の感情だ。それを否定してはいけない。今日の講演で隣の変なババアのことが腹が立ってしようがない。社会にさまよい出るとあんな変なばばに餌食にされる。攻撃するか、情欲の対象にするかだ。人間になれといいたい。犬畜生が。hもkも犬畜生だ。私は変わった人間だが、自分が好きでたまらない。たまらなく愛おしい。優しく人間的だ。仏のようだ。人は皆仏性を持つという。それが欲に駆られるとおかしなことになる。自分ひとりの分だけ稼げればいいのに、全て独り占めしようとするから争いが生じる。あのばあさんのように自分ひとりの分だけ稼げればいいのだ。私は自分が好きだ。たまらなく好きだ。素直な自分が好きだ。素直が一番だ。私の素直な心は誰よりも清らかだ。いぬちくしょうのhやkとは全然違う。死ねといいたい。人をいじめる奴は死ねと言いたい。人をいじめてくる奴まで受け入れなければならないことはない。それがibだ。非現実的な思い込みだ。あいつらは自己愛の塊、がりがり亡者の殺人鬼だ。地獄に堕ちろ。
 私は自分が好きだ。素直な自分が好きだ。それに徹しよう。
 少し眠れた。自分が好きだ。素直な自分が好きだ。酒は週一回にしよう。苦しむだけだ。楽になろう。自分を好きになることが楽になる第一歩だ。ほんとに好きだ。自分が好きだ。昨日のユリばあちゃんが忘れられない。あの高齢という自分の運命に耐え余生を楽しんでいるさまが良い。やっぱり人生は辛い。誰にとっても辛い。辛さに耐えるのが人生だ。初めて就職したときあまりの辛さに死にそうだった。精神的に弱い。成長しない。他人に承認を求めるからだ。自分が自分を好きになるのだ。辛さから逃げている限りは成長しないな。でもようやく私は私を好きになり、次のステップにいけそうな気がする。田舎暮らしを本当にやりたい。でもそれは逃げなんだろう。田舎にいけばつらいことがあるだろう。同じことだ。
 昨日のユリばあちゃんのことが忘れられない。あそこに全てがあると思う。楽しい。こんな時間も楽しい。北海道に行ったのはどうかと思う。腰痛になったし。楽しめない精神状態だった。ユリばあちゃんは見た目よりはるかに尊い神話的人物だ。私はどうして愛を拒むのか、恐れるのか。自分を愛せないからだろう。愛を拒まれた経験が恐れさせるのだ。自分を思存分愛そう。愛して愛して愛しぬこう。昨日のダンス教師みたいに。自分を愛しそれによって再生しよう癒そう。癒しは人に求めるものじゃなくて内側から湧いてくるものだ。それがなかったら外側から金を使って与えても味わうことができない。北海道に行ったときみたいに。ユリばあちゃんのように生きたい。頑固で世の中を拒絶しているかに見えるがそれは自由だといえる強さがある。あの強さを見習おう。尊い鏡だ。私は男なんかではない。でも職場では男として振舞ったほうがいいんじゃないか。多少無理があってもそうする以外ないだろう。ユリばあちゃんはそういうのを越えている。そこが好きだ。
小説家というのは芸術家なので変わっている。それは間違いない。うっかり近づくと傷つく。私は純真無垢だ。だから傷つきやすい。私の弱さを知って攻撃してくる可能性もある。私は素直で純真で傷つきやすい。ヴァルネラブルな存在だ。小説家は精神の弱い人間居は無理じゃないかな。少なくとも苦しむことになるだろう。
 自分が好きだ。たまらなく好きだ。素直な自分が好きだ。昨日は辛かったが今日はだいぶ回復した。どうしてババアは私に悪いことをするのか。ババアガ嫌いで何が悪い。死ね。女には近づかないほうが良い。よく一緒に飯食ってるけど仲いいわけない。ばあさんを見習って生きよう。ばあさんは女なのに女とは見られない。私と同じだ。自分を愛そう。世の中は向かない。素直になれば無駄なエネルギーを使わなくていいし、創造的なことに使える。私は愛されないといけないというのはibだ。愛されないと居られない人間は愛されないと攻撃してくる。大変嫌だ。私は自分を愛そう。自分を愛する力を取り戻そう。当たり前にたくましく生きていこう。女は当然の権利のように自分を愛する。化粧やダイエットまでする。
 自分が好きだ。世間からずれていようとありのままの自分が好きだ。欠点があろうと、男か女かわからなかろうと、自分が一番好きだ。大好きだ。きわめて当たり前のことだ。素直なことが大事だ。自分がたまらなく好きだ。誰に嫌われようと関係ない。あの基地がいどもだって嫌われ者じゃないか。
 自分が好きだ。たまらなく好きだ。これを支えに生きていこう。素直になろう。楽になろう。会社を休むと休職、失職となってしまう可能性もある。素直とは仕事がしたいと思うことだ。それすらできなくなっている。自分が好きだ。たまらなく好きだ。素直に生きよう。自分は助かりたい。病気で入院していたときキチガイ女に殺されそうになった。医者は気に入らない奴を合法的に人を殺したり、社会的に抹殺したりすることができる。犯罪者であり、キチガイだ。
 自分を好きになろう。いや好きだ。たまらなく好きだ。自分が好きだということを認めよう。好きだということは大変良いことだ。素直になろう。一日素直に考えるようにしよう。私は自分が好きだ。人からどう思われようと自分が好きだ。自分が好きなことで攻撃されたりする。でも私は自分が好きだ。どこまでも好きだ。素直な自分が好きだ。優しく人情味豊かな。
 自分を大事にしよう。馬鹿な女どもに冷たくして意地悪されないようにしよう。自分がたまらなく好きだ。自分が好きなことを隠す必要はない。素直に好きといおう。素直が一番だ。かわいそうだ。自分が愛おしい。女が安定しているのは自分を素直に愛し、愛することを認められているからだ。私も認められているかどうかは別にして自分を愛する。素直に自分を愛そう。
 ミナミニ行ってきたが人ごみにいてもいらいらする。本屋で変な女に絡まれそうになった。頭おかしい。女は本当に嫌だ。女でさえ嫌だということだ。精神状態がまともではない。休みたい。一ヶ月くらい休みたい。
 自分が好きだ。他人にどれだけ嫌われても良い。それがどうした。あのキチガイババアなんかこれだけ嫌われているのに平気じゃないか。死ね。自分が好きだ。自分が好きだ。女みたいな馬鹿にさえ腹が立つということは大変精神状態がおかしいということだ。
 こうして精神状態がおかしいまま年を取っていくのだろう。都会に行っても田舎に行っても同じだ。でもどんなことが合っても自分は自分を見捨てはしない。自分が好きだ。自分を愛し続けるだろう。素直であること。考えをモニターしていると、悪いことしか考えない自動思考になっている。これを直していこう。女を見ればブスと思い、おばさんを見れば死ねと思う。その通りであってもそう考えるのは精神衛生上良くない。
 精神状態がおかしい。休みたい。勝手に頭が暴走する。eg以来、脳が活性化され、トラブルを解決したかに見えたが、今度は自分をコントロールすることができなくなった。私はかなりおかしい。社会性が全くない。一人で誰とも付き合わずに暮らしてきたので社会性が全くない。野蛮だ。誰とも話したくない。精神状態までおかしくなってきた。自分が好きだ。素直でありたい。この二つを信じて生きていこう。自分が好きだ。誰が何と言おうと自分が好きだ。仕事をちゃんとしよう。また引きこもりに戻るのか。家賃払えなくて路上に出るしかなくなる。絶対死ぬと思う。ホームレス界でも生きていけないと思う。何で皆残業するか。会社に残るためだ。
 今こそ慎重に行こう。元も子もなくなる。その日暮ではなく、将来のために何かしよう。
 完全にうつなのに本も読めるし、生きてはいける。そういうプログラムができてしまった。だから余計疲れる。疲れ果てているのに動けるから動いてしまう。休んだほうがいいのに。私は誰にどう思われようと自分が好きだ。素直に自分が好きだ。女なんか全くどうでも良い。馬鹿じゃないか。女なんか馬鹿じゃないか。相手にすることは全くない。ほんとに馬鹿なのだ。疎ましい奴ら。絶対相手にしないことだ。怒る必要もない。
 私は自分が好きだ。これは自分の権利だ。どんな人間でも私は自分が好きだ。うつだ。私は自分が好きだ。本当に心から自分が好きだ。自分が好きだ。自分が本当に好きだ。素直でありたい。素直になれば自分が好きになる。女なんか相手にすることはない。楽しい。素直になろう。素直でないのは恐いからだろう。私はもう恐いものはない。素直になれるのだ。素直だと楽だ。難しいことは考えないということだから。
 小さい頃から親に悪いことばかりしていた。やっと立ち直ったと思ったらやっぱり自立できない。どういうわけだろう。もう何もする気がしない。完全にうつだ。でも自分が好きだ。そんな自分が好きだ。素直な自分が好きだ。



2005年11月12日(土) すごいへんな時間

 に目が覚めてしまった。だいぶおかしい。休みたい。たらふく飲んだ。それは満足だ。飲みすぎ食べすぎには気をつけよう。今だけにしよう。楽しかった。欠陥の多い人間だががんばって生きていこう。
眠れない。町田の犯人が捕まった。同級生らしい。想像通りだ。あっという間につかまった。痴情のもつれだろう。
 ひねくれてものを考える癖がついている。何かあったのだろう。中学のときの出来事が大きい。生き抜く力を取り戻そう。素直に考えることと、自分を愛すること。簡単なことだ。自分が好きになった。小説を書くようになってからだ。自分の書いた小説がほめられてから、自分にも人を喜ばせる力があるのだと知って自信がついたし、自分が好きになった。変な女に罵られようと関係ない。私の値打ちに変わりはない。自分が好きだ。大好きだ。大好きな自分を大事にして行こう。素直に考えることは楽なことだ。楽なほうを選ぼう。苦しいほうを選ぶのはおかしい。それは死に通じる道だ。生きる道を選ぼう。掲示板に書き込みたいがやめておこう。これ以上ひどい目にあうのは真っ平だ。自分を大事にしよう。素直に考えるとは女を嫌いにならないとか、仕事を一所懸命やるとか、弱いものをいたわるとか親孝行するとか簡単なことだ。当たり前のことがわからなくなっている。常識を疑うのも結構だが、常識を失うのは良くない。小説なんか書くやつは常識とは無縁だろう。でも私は働いて収入を得なければならないので常識を捨て去るわけにはいかない。
人に会わないほうが良い。特にアメリカ人は嫌いだ。馬鹿にしている。宗主国だと思っているのだ。この関係は変わることはない。日本人は外交べただ。ちっぽけな島国だから無理もない。イベントとか行かないほうが良い。傷つくだけだ。素直に考えよう。馬鹿でいいじゃないか。利口になる必要はない。
人に会わないほうがよい。イラショナルビリーフは現実離れした思い込みとでも覚えておこう。z氏との関係すらうまく行かない。ibは人を批判したり社会を批判したりする道具ではない。人権思想もマルクス主義もアサーティブも乱用してはならない。私は何でも乱用してしまう。過去どういう経緯かわからないが、そうなってしまったのでそれを穿り出したりするのは無益な気がする。わたしがibなどといい始めると人の批判になってしまう。一所懸命仕事している人をibに囚われていると思ったり、人に好かれようと努力することをすべてibと決め付けたり。おかげでどうやらz氏ともうまく行かなくなった。素直に考えたら人を思いやったり礼儀正しかったり、親切だったり勤勉だったり、美徳だ。それをわざわざ台無しにすることはない。それじゃ一部の若者と同じだ。美しさを放棄した醜いだけの若者。ibから自由かもしれないが恐怖すら覚える。現実離れしているかどうかがibの基準であって、道徳や礼儀が全てibではない。社会的に受け入れられていれば現実なのだ。まして法的強制力を伴っていれば現実と認めざるを得ない。ibだと言い張っても虚しい。限度を越えて要求することはibだ。今の私にあのキチガイと一緒に働けというのは無理だ。国際交流などと言っても全く興味がなく、意欲もなく、適性もないならやめたほうが良い。会社は栄光を求める。私は名誉栄達には既に興味がない。そんな私には向こうから興味を失うだろう。危険なループだ。歯車の一部になることを拒否する。強制力を伴っていればibではない。自明だ。現実離れしたネバならないを探すのだ。それは自分の内側にあるのだ。他人を批判することではない。自分が自分の苦しみを生み出しているのだから自分の考え方の歪みを正すのだ。乱暴だが自分にはあっていると信じる。何かを信じないとだめだ。宗教者の強さを持たないと。だめだというとibになるか。だめではないがその方が良い。
あまり人に会いたくない。思えばこの会社に入ったときもひどく不適応を起こしていじめられておかしくなった。精神障害だった。そうでもしないと社会復帰できそうになかったので、危険な職場とうすうすわかっていたが飛び込んだ。結果は得失いろいろだ。いいことばかりではない。結局社会に出ても仕事の役に立ったことなどほとんどない。一所懸命にやらないからだ。休んだほうが良い。自分が好きで、素直な気持ちがあれば必ず再生できる。
自分が好きだ。たまらなくいとおしい。人がどんなに私を嫌おうと、自分は自分を見放したりしない。大好きだ。可愛い。優しいし、愛嬌があって思いやりがある。心優しい人。大好きだ。誰が何を言おうと大好きだ。うつになると自分が嫌いになりそうだがそうならないところがいいのか悪いのか。回りも私がそこまでおかしいとは思わないだろう。仕事ができないのが文句を言われる理由なので、仕事ができるようになればいいだろう。それを目標にしよう。
 私は入社したときとあまり変わっていない。あまり仕事に熱意がなかった。自分を好きになろう。もっともっと好きになってよい。そうすれば変われる。自分が好きなら辛い仕事もがんばれる。
 私は自分が好きだ。でもがんばり過ぎないようにしよう。こんなにうつなのにがんばろうとする私。ゆっくり休もう。沖縄に行ったのはともかく北海道に行ったのはどうだろう。人に会わないほうがいい。できたら休みたい。人に会わないほうがよい。
 素直でいいんじゃないのか。素直な私が好きだ。父や母が好きだ。限りない恩を感じる。こんなことは今までなかった。育ててくれてありがとう。とても感謝している。感謝などという言葉では言い表せない。素直が良い。素直に生きていきたい。きっと生きていける。大好きだ。父や母が私を愛したように自分を愛そう。きっと愛せる。素直に一所懸命働こう。素直に生きていれば非難されることはない。素直に一所懸命生きて行こう。素直に人を愛そう。自分を愛するようにできるだけ人を愛そう。よく似ているから愛する。違っているから愛する。どちらもホントだ。
 素直とは誰も皆欲望があると認めることだ。きれいごとではすまない。世の中はそうなっている。偉くなりたかったら人一倍働かなければならない。人よりいいものを食べたかったら一所懸命働かなければならない。世の中の現実から目をそらさずに素直に認めることだ。人は欲望を持ってはいけないというのはibではないか。仏教はあえてそういうが誰も守れない。
 馬鹿になれ、利口になろうとするな。素直が一番だ。この国は素直が足りない。誰も彼も小利口になりたがる。馬鹿で素直で正直であれば何かの役には立つ。神がそう創っているのに無理にだめにする。素直が一番だ。
 かくあらねばというibでがんじがらめになっている。素直になろう。素直が一番だ。写楽背絵ことを言ってるんじゃない。素直になれ。馬鹿になれ。一番楽だろう。あのキチガイ二人組の共通点は馬鹿なところだ。馬鹿とはキチガイの異名だ。素直って良いねえ。素直の基本は自分を愛することだ。私には愛するものがない。せめて自分を思い切り愛そう。
 私は天邪鬼といわれる。人と違ったことをいうのが好きだ。なんでも真似するおばさんがそれさえ真似する。
 素直に思考の歪みを取り去ることが大事だ。天邪鬼ではいけないだろう。あのクラスも居づらい。どこでも居づらいのだが。
 やっぱりあの板は引退した方が良い。恐い。なぜ今までうかうかと書き込みしていたのかわからない。あの原稿もどうだろうと思う。何のメリットがあるのだ。何でただでプライバシーをさらすのだ。従軍慰安婦か。人を簡単に信用するのはやめよう。相当疲れている。廃れ者だ。廃人寸前だ。素直になろう。
 アサーティブが少し理解できた。やっぱり女は社会的に弱い。弱いものから権利主張しましょうということだ。私は強者か。一応男だが、中身は女だ。だから男として攻撃を受けるのに女のように弱い。最悪のパターンだ。あいつは女だからそういう扱いを受けるのにおっさんだ。私とちょうど逆だ。これはフェアーとはいえない。何で私が悪者にされるのだ。アサーティブに行こう。
 疲れた。o刑務所の展示会に行ってきた。所内バスツアーをやるといっていたので整理券をもらってきた。でも二時からだから出かけている。庶民の展覧会だった。紅葉でも見に行けばいいのにこんなところに来ているのは、貧しい人ばかりだ。本当に疲れた。おばさんは可愛い。好きになりそうだ。おとなしいし、優しい。本当に疲れた。酒は週一回でいいだろう。無理してはいけない。素直であること。自分を好きになること。自分に愛を持とう。素直であろう。むしろおばちゃんを見習おう。意外に大阪のおばちゃんも礼儀正しい。エレベーターでも挨拶をする。女のほうが偉そうにしないからいいんじゃないか。私は庶民は偉いと思う。常識に従っていき、つつましく懸命に生きている。立派だ。私みたいに無意味にえらそうにしない。
 ああ疲れた。b校で隣に気の狂ったババアが居てものすごく不愉快だった。醜いババアなのに色情狂みたいなやつ。いらいらは頂点に達した。会社に居るのと変わらない。心斎橋の人波を見るとほっとした。だいぶ落ち着いた。人間が変わりつつある。新しい地平に。だからがんばろう。小説を書くやつも絵を描くやつと同じメンタリティーの持ち主となぜ気づかなかったのだろう。芸術はミミックだ。器用に私の精神状態が最悪なのを真似して私をいらだたせる。hやkと同じだ。
 おばあちゃんに見習いたい。70を越えて枯れたような可愛いおばあちゃん。謙虚で美しい。尊いと思う。人間らしく立派だと思う。欲に駆られて動き回るうちはあまり可愛くない。だからおばさんは可愛くないのだ。
 ビールを飲んだ。気持ちが良い。ほろ酔いのときが一番気持ちが良い。
安らかで穏やかな気分だ。楽しい。酔いを楽しむというのはある。楽しい。安らかで穏やかでありたい。いつも元気でないと人生もったいないだろう。人生短いんだ。悪いことはしないが楽しむのは悪いことではない。
 自分がたまらなく好きだ。短い人生、楽しく生きたい。もう少ししかない。誰にも邪魔されることはない。
 自分がたまらなく好きだ。自分が最高だ。我慢するのはもう真っ平だ。
 ユリばあちゃんの岬を見た。楽しかった。ばあさんは良い。たまらなく良い。存在自体に価値がある。尊い。人を傷つけない。知恵がある。年輪がある。可愛い。悟りがある。生と死を知っている。義務を全うしている。小さい子とばあさんだけが尊い。若い娘やうるさいおばさんにはない価値がある。



2005年11月11日(金) 今日

 今日はしんどいので半休で帰ってきた。朝からしんどかった。眠れないのだから金曜日に薬を抜くのはやめよう。女は本当に嫌だ。今調子悪いから会いたくない。話したくない。関わりになりたくない。いつ治るかわからないが治るまで会いたくない。互いに不愉快で傷つくだろう。性愛なんか悪いけど全く興味ない。ばりばりのうつなのだ。あの掲示板のババアもうつで男に興味ないのだ。それであんな攻撃的な態度になる。あの掲示板はもう引退だ。掲示板であれなんであれ、今は人に会わないほうがよい。何でサークルなんか出入りするのかわからない。やめておいたほうが身のためだ。仕事に集中しよう。仕事が一番大事だ。次が文学。仕事を失ったら文学どころではない。
 今日は午前中いたけど職場の雰囲気は悪くはなかった。これだったら耐えられる。あのキチガイも私をいじめれば自分に帰ってくるとやっと理解したのだろう。午前中何か仕事をしたいという意欲がわいてきた。あの辛気臭い仕事からやっと逃れられるからだろう。人が何をやっているか興味が湧き、疎外感もなかった。何かが変わりつつある。そのためにも休みたい気がする。積極的な休養。仕事に対しても私はこんな仕事をやるべき人間ではないとか、マスト思考が湧いてくる。ほかの仕事ができないからその仕事をやらされているのに身の程を知らない傲慢な態度。現実離れしたネバならないがマスト思考で現実的であればマスト思考ではない。職人の丁寧な仕事は社会的に認められていて、価値が高いから、マスト思考ではない。会社員が無遅刻無欠勤なのはマスト思考ではない。時間を厳守することはマスト思考ではない。現実と一致しているからだ。どちらが現実離れしているかだ。中学のとき遅刻したのは、自分だけは自由でなければならないという非現実な思い込み=マスト思考に他ならない。
 仕事を一番大事にしようとの思いは、改善の一番の証だ。自分の気持ちを知ることは大事だが、精神分析的なことまでやるのはやりすぎだ。論理療法が合っている。著しく気分が改善した。リスパは飲んだほうが良い。私の脳が悪いことを考えることを自分の力で抑えるのは難しい。人と会わないほうがよいし出歩かないほうが良い。家で小説でも書いていよう。
 現実離れしているのがマスト思考だ。よく覚えておこう。現実と一致していればネバならないと思ってもマスト思考ではない。給料を上げるためには一所懸命働かなければ、というのはきわめて合理的で現実的な思考だ。私はどんなことがあっても不愉快な思いをしてはならないとかくびにはならないとかもっと良い仕事があるはずだとか、途方もない勘違いだ。現実離れしている。eやoと衝突したのもその辺を見透かされてのことだ。だからあまり人前に出ないほうがいいのだ。でも人前に出ないと自分のマスト思考に気づかないかもしれない。掲示板に出入りして初めて世の中良い人ばかりじゃない、優しい人ばかりじゃない、安全な場所などユートピアだと悟った。
 仕事をがんばろうと始めて思った。自分に酷なことはやめようと思った。
 私は勝ったと思う。というかやっと人並みに生きられる可能性が出てきた。長い戦いだった。戦いに勝ち抜いた。勝利だ。
 今日は旅行記だいぶ進んだ。楽しい。書くことは楽しい。書くことが好きだ。自分の中の何かが掻き立てられる。青春だ。沖縄のことを思い出す。それ自体が幸せだ。書くことはものを作ることだ。職人仕事という面では製造業に通じる。少なくとも金融業ではない。これで生きていけたらと思うが、作家は食えないものだ。純文学の作家でも兼業が多い。純文学はどうも無理っぽい。あまり文学について考えたことないから。毎日人生をかけて考えないと純文学は書けない。人に会わないというのは気持ちが良い。悪いことはしなかったという気がする。今人に会うのは大変まずい。仕事であっても会いたくない。偉い人だろうが有名人だろうが会いたくない。
楽しい。酒飲んでたらふく食って楽しい。最近大食いだ。ストレス解消だ。セックスできないから食べる。飲む。それでいいだろう。女なんか大嫌いだ。
 楽しい。酒飲んでたらふく食って楽しい。作家になりたい。もっと修行しよう。小説を読み、書こう。賞にも応募しよう。
 自分を大事にしよう。キチガイに負けないようにしよう。
 楽しい。腹いっぱいだ。小説を書こう。キチガイに負けないようにしよう。今は誰にも会わないようにしよう。



2005年11月10日(木) 疲れた

 休みたい。今日北原と話したが今の仕事はくびだ。結果としては良かったかも知れない。でもあのババアはいなくならない。あの声が聞こえるだけで頭がおかしくなる。休みたい。休みたいのだ。ゆっくり休みたい。皆くびになるのが恐くて有休さえ取らない。私は有休を使い切って病気療養しようとしている。私は少なくとも2,3年に一回は一ヶ月くらい休みたい。精神障害者だからだ。
 定年まで勤め上げないといけない。それは明らかだ。今から新しい職などない。100%ない。だから今の仕事でがんばらないといけない。
 仕事に意欲を持てばいいのじゃないか。自分が有利になるように振舞うことが大事だ。疲れた。休みたい。自分がしっかりしないと。あのババアがどうこう言うのはやめよう。どこにでも嫌なやつはいる。あの職場は変なやつ、キチガイを集めた精神病院なのだ。休みたい。診断書をもらって休みたい。何て言われてもいい。自分のためだ。
 休みたい。あの声を聞いているだけで気が狂いそうになる。何なんだ。あれは。助けてくれ。自分がもう持たない。あの声が聞こえるところにいたら、気が狂う。休みたい。おかしくなる。発狂する。
 休みたい。私がネバならない思考をするから結局他者にそうされるのだ。ネバならないを恐れているから、ネバならないといわれるのだ。
 おばさんが嫌いといったら必ずなぜと訊かれる。でも答えられなかった。今はやっと答えられる。ババアと嫁姑の関係にあるのだと。性と権力をめぐって相容れないライバル関係にあるのだと。若い女はまだ権力を手に入れていないのに対してババアは妻の座、母の座という権力を手に入れている。だから相争う関係に立つのだ。ババアはおっさんとなって父権を得ようとまでする。私の母がそうであり、あのキチガイがそうだ。どんな手段を使っても権力を手中にしようとする。自分に美と若さという権力がない以上、実権を握ることに執着するのだ。その姿が私をいらだたせる。私が男であればそんなに腹は立たないだろう。だが私は女なのでライバル関係になる。私は妻や母の権力を手に入れることはできない。それがまたいらだたせる。私は北原に何も腹が立たないが、このグループにあのババアがいる限り、うまく行かないだろう。私が女として北原と仲良くしようと、告げ口しようと、あのばばあはこのグループを支配し続ける。それはいつまでも私を不愉快にさせる。このグループを出るべきだ。どのグループにも属すべきでない。あのババアみたいに。
パソコンに異音がする。欠陥商品じゃないのか。職場にいる間、一瞬も油断ならないというのが困る。昨日も食事中嫌がらせされた。キチガイじゃないのか。キチガイなんだ。キチガイがいてはいけないというマスト思考がこんなにも不愉快にする。キチガイだらけだ。眠れない。薬を飲まないと眠れない。キチガイがいてはいけないと考えるのがおかしい。キチガイがいて当たり前なのだ。でも私を付けねらうキチガイがいるというのは本当にぞっとする。絶対に私は正しい。攻撃されたくないというのが何がおかしいのだ。攻撃するのをやめろというのが何がおかしいのだ。でも絶対に攻撃してはいけないというのがマスト思考なのだ。自分も思い切り嫌っている。無視している。それを攻撃とみなして反撃してくるのだ。こちらが攻撃しているのだから向こうが攻撃してきても不思議ではないと思うようにしよう。大嫌いなやつが四六時中そばにいてそいつの声を聞かなければいけないというのは辛い。こんなやつはいてはならないというのがマスト思考なのか。ばばあというのは全員キチガイだ。キチガイが普通にいるのがあの職場だ。職場にキチガイが絶対にいてはならないというのが私のマスト思考だ。あいつらがキチガイだというのは全員知っている。でも寛容に受け入れている。私一人が騒ぐのはやっぱりおかしいのだ。少なくとも弱い。ありえないことではないのだ。キチガイが職場にいるというのはごく普通のことなのだ。前の職場にも、その前の職場にもいた。いなかったことなどないじゃないか。キチガイがいてはいけないというマスト思考を変えよう。北原も嫌いなやつがいるという。それに耐えられないのはマスト思考があるのだ。絶対に不愉快な思いをしてはならないという。いつまで驚くのだ。キチガイが職場にいることに。



2005年11月09日(水) 休み

 今日は休んだ。疲れている。脳が疲れている。このまま一ヶ月くらい休みたい。それくらい疲れている。ネバならないというのはibだ。ネバならないというのはないのだから、あんなババアは殺してもいいのだ。
 ネバならないことはない。ネバならないと思うからぐれなければならないと思うのだ。真面目な人間がぐれると恐いのはぐれなければと思うからだ。ぐれなければならないことはないのだ。ネバならないということはない。
 もう疲れた。休みたい。休みたい。もう五年以上戦ってきた。いつ終わるんだ。あのババアはどんどん元気になる。私がいくらおとなしくしていても関係ない。俺を殺そうとしている。しゃべると攻撃してくる。キチガイだ。
 電車男面白い。ネバナラナイと思っているからいじめられる。ネバならないことなどこの世にない。ibだ。小さい頃からネバならないの塊だった。でももう今は何もかもどうでも良い。良い人でなければならないとか、優しくなければならないとか。じゃああのババアはなんだ。キチガイの人殺しじゃないか。ネバならないなんてないんだ。
 ネバならないなんてないんだ。縛られすぎなんだ。いくらなんでも。もっと自由にならないと。いや、なったほうが良いが、ならなくてもどうということはない。
 休んでも退屈しない。あと一週間休んでも退屈しないだろう。本を読みたい。小説を書きたい。下手でもいいじゃないかと思うようになった。ほめられたいとか思う必要はない。それはibだ。自分がハッピーで相手もハッピーであればいいのだ。
疲れる。休みたい。マンションを買おうと思ったときには疲れていた。母親を温泉に連れて行ったときにはもう疲れていた。女、おばさん、本当に困る。我慢しないといけないんだろうか。ネバならないということはないのだ。
 エリスの本を読んでいるがわかりにくい。目からうろことはいかない。休みたい。私は道徳的におかしい。間違ったことと平気でする。やっぱりおかしい。でも疲れているのも確かだから休みたい。休めば何をして何をしてはいけないかわかるだろう。
 エリスの本で不適切にポジティブな感情というのは思い当たる。今年に入ってからの私がそうだ。今もそうだ。もっと前からそうだ。偉大な人間でなければならない。それはibだ。偉大な人間であればよいが絶対にそうでなければならないということはない。
 疲れている。休みたい。起きていると消耗する。蕩尽する。
 私は本当に多くのibに囚われている。邪悪でなければならない。人の善意を裏切らねばならない。残忍でなければならない。法を破らなければならない。ヤンキーと一致しやすいのは私の考えが一致するからだ。人気の観光地に行かなければならない。人気の店に行かなければならない。紅葉を見に京都に行かなければならない。意地悪でなければならない。不真面目でなければならない。全部ibだ。
私は母親に好かれようとした。兄弟と母親の愛情を争う関係にあった。でもそれを得てしまうと結局疎ましくなって拒絶してしまった。私の女に対する関係、あるいは感情はそのパターンの繰り返しじゃないのか。愛されようとして愛されると拒絶して激しく嫌う。愛されなくてもいいじゃないか。でも愛されないことでこんないじめを受けなければいけないのか。嫌いだから嫌いで何が悪いのだ。何で攻撃されなければいけないのか。
 私は女性と男性の両方がある。性と権力をめぐって難問がある。女の権力と男の権力の両方と相容れないということだ。女は集団の中で権力を得ようとすると権力者の妻の座を狙う。女にも当然権力欲がある。女は出世が早いというやつだ。ババアが嫌いな理由は人の嫁というだけで一定の権力を得るからだ。私のできないことをやるからだ。アサーティブが有効なのは自分が男でも女でも人権という権力を行使できるからだ。男でも女でも中性でも一番権力を最大化できる位置を得ればいいのだ。男になるのが嫌なら女になれば良い。でも女と仲良くしなければいけない。それが嫌なら男になって男と仲良くすることだ。私はどちらもできないので困っている。両親と私の間で起こったことは私の問題をよく表している。私は性的に女であれば父親に惹かれ、母親とライバル関係になる。逆であればエディプス関係だ。私はどちらもあるがどちらにも落ち着かない。女は妻の座を得ると構成員が自分の言うことを聞かないと男の、夫の権力に頼る。そのために妻の座を得たのだ。娘が弱いのは妻の座を得ていないためだ。女は男の権力を間接的に行使する。私は私を男とみなし、権力への挑戦者とみなす父親と対決せねばならない。私は女でもあるのに父親に愛されず、母親の攻撃を受ける。私の座はこうして神経症的な不安定さと弱さに悩まされる。私は女として男の権力を行使する権利がある。女とライバル関係にあるからだ。嫁姑の関係にあるからだ。この争いに終わりはない。死ぬまで続くだろう。kは最近北原の好意を得つつある。一所懸命働くことによって認められることで一定の認知を得たと思うと、それを元に私を攻撃しにかかる。全く油断することはできない。女のように権力者と安定的な関係を持つことはできるだろうか。絶対に無理だ。中学生以来、すなわち思春期を迎えて父親との対立を強いられる頃に父親ではなく教師と激しく対立した。家庭と社会があまりに違うので、とまどったのだ。許せなかった。父権というものが許せなかった。そこからマルクス主義、人権思想に行った。人権に性別や差別はない。ルソーもおそらく父権への反発があったに違いない。生涯独身で男か女か判らない顔をしている。楽な立場を取るしかないだろう。中高大学と対立し続けたのは父権だったのだ。女なのに父権と対立して居場所を失い、狂気に追いやられる。父権とも対立するが、女とは連帯しない。女と仲良くしたこともあったが、気持ち悪くなって仲違いした。今でも気持ち悪い。文校で起こったことはその繰り返しだ。父権と対立し、女が父権を利用して私を男として、挑戦者として攻撃した。私は女として仲良くしたいのに全然だめだった。女と同性として仲良くするのはごめんだ。私の居場所はどこだ。女との間は嫁姑、男との間ではライバル、挑戦者とみなされる。何でそんな過酷なことに耐えられるのか。私は耐えられない。男として振舞おう。会社では男として振舞ったほうが有利だ。女であっても。女に対しては権力者への密告という形を取らざるを得ない。女は私が女だと見抜いている。でも仲良くしないといけないのか。面倒だ。男として振舞ったほうがいいのじゃないか。どれだけしつこく攻撃してくるのだ。それは分裂病にもなるだろう。休みたい。一切から休みたい。



2005年11月08日(火) 今日

 今日も疲れた。休みたい。完全にうつだ。うつなのに起きて動けるからうつに見えない。でもうつだ。リスパは良く効く。先週末は死のうかと思っていたがちゃんとすごせるようになった。誰からも好かれなければならないというのはibだ。誰でも好きにならなければならないというのもibだ。
 あんな職場は嫌だ。いじめの温床だ。私はやっと働く場所を見つけたのにあんなキチガイが三人もやってきて私をターゲットにした。信じられない。リスパを飲もう。心が穏やかになる。
 掲示板はよくない。議論でも熱くなることはあるが、その場で議論できる。掲示板は文字だけなので誤解しやすくエスカレートしやすい。文校でもえらい目に遭った。女には関わりあいたくない。女に好かれようなんて無理な話だ。
 会議なんか何をしゃべっているのかわからない。出たくない。人に会いたくない。
 リスパダールを飲もう。疲れている。脳がおかしい。



2005年11月07日(月) 今日

 脳が疲れている。人と会うのが嫌だ。女とうまくいかない。うまくやろうとは思わない。全ての人間とうまく行くと考えることはibだ。脳が疲れ切っている。休みたい。あのキチガイの人殺しは何とかならないのか。
 休みたい。私は無理をしている。キチガイにいびられ始めてからもう五年以上になる。休まずにがんばってきた。でももう限界だ。休んだほうが良い。抗うつ剤を飲み、人格改造をし、カウンセリングを受け、心理療法を試み、がんばってきた。今は休養が必要だと思う。うつではない。でも疲れ切っている。うつのとき薬を飲んで、egを経験してうつは治った。しかし脳が活性化すると消耗し、蕩尽する。そうすると抗うつ剤も効かないうつ状態になる。こうなると休むしかない。休養しよう。今大変無理をしている。大事にならないうちに休もう。
道徳的にちゃんとしていないといけないというのはibだ。あのババアどもを見ろ。キチガイで人殺しじゃないか。それで文句言っても罰せられないじゃないか。何だ。一体。入院したときもそうだった。変なやつらが私をいじめにかかった。何で道徳的にちゃんとしなければならないんだ。ibだ。あほじゃないのか。
ibに囚われてはいけない。道徳的でなくてはならないというのはibだ。どれだけそれで利益を損なったか。道を誤ったか。入院したときのことを思い出していた。キチガイみたいな看護婦や患者どものこと。どうして自分を大事にしなかったか。そもそも自分を大事にしないから病気になる。今も仕事をしたいのにキチガイが恐いばっかりにできないから評価も下がるし、病気にもなる。自分を一番大事にすること。世界で一番嫌われてやると思うこと。誰かに皆に好かれようとすることはばかばかしいibだ。あのババアをみろ。誰かに好かれようとしてるか。それで病気にもならず自由に生きている。楽しんで生きている。あんなものとうまくやって行こうなんて想像するだけ無駄だ。人殺しなんだ。仲良くできるわけないだろう。自分の利益を最優先することだ。ババアは自分の利益を最優先にして最大限追求して、誰からも好かれようなどと思っていない。人殺しなんだ。hもkも自分の利益だけを最大限にすることだけを考えている。それで誰からも好かれようとしているのではない。ibは捨てよう。何で損することばかりするのか。人殺しを相手にしてはいけない。



2005年11月06日(日) 今日

 今日は雨だし遠足は休もう。疲れている。私に起こったこと。ババアが気持ち悪かったので一緒に仕事をしたくなかった。ババアが逆上して私を攻撃にかかった。自分が偉くなって、受け入れられないということがないようにしようとした。それでも私は受け入れない。昨日のp文研でも同じことじゃないのか。疲れているから受け入れることができない。どうしても受け入れなければいけないということではない。ババアから自分を守らなければならない。受け入れないのであれば必ず攻撃してくる。反撃しなければならない。
 あのババアは私を殺そうとしている。仲良くなんかできるわけないだろう。世の中人殺しばっかりだ。休みたい。一ヶ月くらい休んで元気を取り戻したい。あのババアが来たときからもう休みたかった。受け入れなければならないというibはやめよう。何でも受け入れなければならないというものではない。
 自分に危害を加えようとしているやつまで受け入れることはできない。あのババアは私を殺そうとしているのだ。私は昔5年間引きこもりだったことがある。その時代に戻るのか。一ヶ月休んでも同じことだろう。それにしても疲れている。とても疲れている。
 疲れた。休みたい。脳が疲れた。本も読めない。人に会うのも嫌だ。仕事も身が入らない。疲れた。本当に疲れた。5年間戦い続けてきた。あの人殺しと。人殺しとなんで戦わないといけないのだ。休みたい。あんな職場行きたくない。私が道徳的に悪いのか、疲れているのか。身の回りのことをきちんとしよう。最低限のことができなくなっている。あのばばあが来てからだ。
 疲れた。無意識に人に喧嘩を売ってしまう。ババアが喧嘩を売ってくるからどうしてもそうなる。あんな人殺しとどうして仲良くできるのか。あまり人前に出ないほうが良い。会社にも行かないほうが良い。休んだほうが良い。
 疲れた。キチガイを相手にしてはいけない。相手にする気はなくても一方的に攻撃してくる。今一所懸命に仕事をする気はない。疲れすぎている。昨日の飲み会でもやっぱり疲れているのでだめだった。疲れているときはだめだ。ましてうつのときは。私は単に道徳的におかしいのか。あんな変な表が作れないのは疲れすぎているからだ。あんな職場はおかしい。
 こんな社会は全否定でいいんじゃないか。あの木辺という作家みたいに世の中を否定して背をむけて生きるということ。あらゆるibを捨て去ること。人格道徳云々はばかばかしい。あのババアは人殺しなのにとがめられない。合法的に私を死に追いやることができるのに私は道徳的に自分を責めなければいけないのか。おかしいじゃないか。
 この世は人殺しだらけだ。人殺ししかいない。休みたい。休むことは敗北ではない。自分を癒す大切な決断だ。以前会社を休んでそのまま行けなくなった。あれは病気だ。体の病気だ。無理してはいけない。キチガイや人殺しと仲良くしようなどと思ってはいけない。うつは脳の病気で怒ったり攻撃したり、いじめても良くはならない。この社会はキチガイと人殺ししかいない。そのことに泣き言を言ってもしようがない。人殺ししかいないのに道徳とか倫理とかいってもしようがないだろう。休もう。会社を休もう。脳の状態がおかしい。キチガイや人殺しと仲良くしようとしてもだめだ。キチガイが私を殺そうとする。キチガイや人殺しだらけだ。
 休んだほうが良い。本当に疲れている。人殺しだらけの世の中でなぜ人を信じるのか。ヤンキーだ。私は気づいたらヤンキーになっていたのだ。優等生だと思っていたが主観であって、客観的にはヤンキーだったのだ。ヤンキーだったらヤンキーでいいじゃないか。人殺しなんだから人殺しと思えば良いのだ。世の中は人殺しだらけなのに不思議なことは何もない。
 人殺しから身を守らなければならない。世の中は人殺しばかりだ。どうして信用するのか。私にはわからない。人殺しが私を狙っている。egで得たものは疲れていても明るく元気に振舞うことである。しかしそれは結局消耗と蕩尽を引き起こすのだ。疲れているのに元気なことはむしろ危険じゃないのか。エネルギーを消耗してしまう。休むことだ。危険から遠ざかることだ。原因をなくすことだ。人殺しを放っておかないことだ。人殺しは人殺しだ。
 人に会いたくない。人が恐い。好きになれない。好かれるとは思われない。全ての人に好かれようとするというのはibだ。キチガイや人殺しから身を守らなければならない。
 私は何も悪くない。私が女性的であろうと、何であろうと非難されるいわれはない。道徳的である必要はない。相手は人殺しなのにどうして私が反省したり私が性格を直そうとしたり、道徳的であろうとしたりしないといけないのか。キチガイはキチガイ、人殺しは人殺しだ。



2005年11月05日(土)

 今日は最悪な気分だ。調子が悪いのはいつからだろう。年初から調子はずっと悪いのだ。正常だとはいえない。ここに来て明らかにおかしくなった。休んだほうがいいと思う。どれだけ調子がわるいか理解させる必要がある。わからないままいじめればよくなると思うやつもいる。ただ面白がっていじめるやつもいる。中学時代からもうおかしいのだ。不調歴30年のベテランなのだ。自殺未遂1回服薬歴2回の。休んだほうがいいくらいわかる。笑う元気もない。これで気持ち悪がられたり攻撃されたら困る。
疲れた。休みたい。改善しないなら休んだほうが良い。身の回りのこともできない。遊びに行こうとも思わない。夜全く眠れない。簡単なことを間違える。自分ができる以上のことを求めるからおかしくなる。中学時代からおかしくなった。あの職場はおかしい。あのキチガイは人殺しだ。完全に私を殺そうとしている。5年間いびり続けられている。絶対にやめない。殺そうとしている。自分の身は誰かが守ってくれるというib。仕事に集中したい。一からやり直したい。私はあいつを許さない。私をずっと殺そうとしている。自分を殺そうとしている人間を受け入れるほど寛容ではない。
 寛容でニコニコはしていられない。あんな職場にいるのに。あんな人殺しのキチガイがすぐそばにいるのに。おっとり構えていられるだろうか。職場では男でいよう。疲れた。休みたい。
 休みたい。疲れた。キチガイとの死闘に。まだ俺を狙っている。殺そうとしている。何で人に好かれないといけないのか。何で人を受け入れられなければならないのか。二ヶ月くらい休みたい。机片付けられるだろうか。人生どうなっていくのだろうか。環境は整ったのだから後はやるだけじゃないのか。中野さんだってあの史上最悪の二人に囲まれて必死でやっているじゃないか。私のやる仕事はあれだけなのでやったらいいんじゃないのか。だめだったら休もう。誰からも好かれないといけないというのはibだ。完全でなればならないというのはibだ。私は今良い状態ではない。仕事なんかできたためしはない。この年になってそれでいいのだろうか。良くないと思う。仕事を覚えてできるようにならないといけないのじゃないか。何で仕事を覚えようとしないのか。あのババアとの死闘で全てを使い果たしたからだ。敵に回したって勝手に向こうが攻撃してきただけじゃないか。何であんなババアのご機嫌をとらないといけないのか。断ったらいいじゃないか。たったひとつのことをマスターしたらいいんじゃないのか。でもあんな技術系の仕事をやらされるのは本当に納得いかない。
 今日はP文研に行った。疲れていたが、少し眠れたので思い切って行ってみた。楽しかった。自分の疲れ振りがわかった。かわいい少女に会えてよかった。私はロリコンなんかではない。かわいいから好きなだけだ。親が子を見る目と同じだ。悪いことをして注目を集めたいという変な癖がある。小さい頃から。nさんは本当に優しい。世話好きだ。でも友達だったらそうなるんじゃないのか。友達がいないからそういう優しさがわからないのだ。人と会うと人はテンションが上がって異様に気を使いあう。それが私にはできない。訓練ができていない。あんな変わり者ばかりでもそういうことができるのに、私はできない。どうしてだろう。中学時代に全てをあきらめたのか。相当疲れている。人間のテンションの高さに合わせることができない。
 休みたい。本当に疲れている。何とか療法とかじゃなくてゆっくり休みたい。消耗している。何もしないほうが良い。自分の身の回りのこともできないのに出歩いたり、人に会ったりして消耗しないほうが良い。仕事は来週様子を見て休むかどうか決めよう。仲良くしようとかうまくやろうとか思わない。それはibだ。私にはわかっている。あのegで何でもうまくいくような気がして躁状態になって、強気になって外に出ようとした。でもうまくいかないことも多くて疲れ果てて消耗している。それは消耗するだろう。あんな基地外と同じペースでやろうとしてもだめだ。
 疲れた。今の精神状態で人前に出るのは苦痛だ。文校に行った時点で気づけよ。m氏のサークルに行った時点でまともじゃなかった。作家として生きて行きたい。書くことだったらできそうだ。普通の人間だったら犯罪とか考えずに社会に有益なことを考えるだろう。生産的なこと賞賛されること。家族を持ち養うとか。風俗通いはしないだろう。真面目になろう。仕事でうまくいかないのは真面目じゃないからだ。真面目になろう。
 今日も本当は行くべきではなかったかもしれない。何のために行ったのか自分を痛めつけるだけに終わった。元気だったら楽しいかもしれないが、疲れ果てているのだからだめでしょう。



2005年11月04日(金) 今日

 今日は疲れた。北原が私の作った表をミスが多いといって怒り出した。私が全部悪いのだろう。でも疲れている。遅刻をしたといって怒られていたことを思い出す。確かにあの仕事はやる気がしない。モチベーションが低い。単調でつまらない。疲れていると思う。明るく振舞っているが疲れている。文校に行きだしてから疲れているのじゃないかと思う。知らない間にストレスになっているのじゃないか。疲れた。生きていくのに疲れた。何でおばはんは俺ばっかりいじめるのか関係ないじゃないか。文校に通うのはいいことだろうか。無駄にエネルギーを使っていないか。ババアとの戦いに疲れ、文校に疲れ。生きるエネルギーを蕩尽しているのじゃないか。薬を飲んでも改善しないので休んだほうがいいのじゃないかと思う。私がこの五年間どれだけ苦しんできたか誰も理解してくれない。休みたい。休まないと危険じゃないか。昨日少し死にたいと思った。仕事ができない。あんな表作れといわれてもできない。あんなババアと仲良くしろといわれてもできない。変な外人と仲良くしろといわれてもできない。疲れすぎている。疲れているのを変だとか気持ち悪いとか、邪魔とか言われる。休んだほうが良い。出歩かないほうが良い。外に出ないほうが良い。消耗しないほうが良い。ひっそりと暮らしたい。外に出て行っても全部失敗だった。成功なんかしなくてもいいんじゃないか。成功しなければならないというのはibだ。金持ちにならなければならないとうのはibだ。仕事ができなければならないというのはibだ。休んだほうが良い。疲れることはなるべくしないほうが良い。疲れていない振りをしないほうが良い。
 疲れていると人に愛想を振りまくのもできなくなる。それで攻撃を受ける。疲れるという悪循環だ。人前に出ないほうが良い。攻撃される。あのmの野郎にも攻撃されたのになんでのこのこ出かけていくのか。ひっそりと生きていこう。あんな職場で静かにしろよといいたい。いい加減にしろと。がんばれないからあんなところに来ているのだろう。それをいじめるというのは許せない。休みたい。来週疲れて気分が改善しないなら休もう。一ヶ月でも二ヶ月でも回復するまで休もう。自分探し、犯人さがしはやめよう。女だった私に男になれといわれても無理だ。今私が言われていることも同じだ。小説は書けるが企業で仕事はできない。私は道徳的におかしいのだろうか。ババアは私が道徳的におかしいと非難する。そういう場所に行かなければいいのじゃないのか。非難されるような場所に。働けるのか。働けますといって働けなのじゃ給料泥棒といわれる。休んだほうが良い。今働けない。優しくしてくれそうなのに受け入れないので怒る。怒り狂って、自分が偉くなればいいんだと必死で働く。そして受け入れてもらおうとする。
 私はふざけているんじゃない。この五年間苦しみぬいてきた。がんばってきた。人格改造までやった。無理に無理を重ねてきた。もう疲れた。休みたい。がんばって明るくする必要などない。ibだ。無理をするのは私はハッピーじゃない。私もハッピー、相手もハッピーというのが正しい。我慢して乗り越えたほうがいいのか。休んだほうがいいのか。中学のとき遅刻をとがめられたときと同じだ。結局私は不真面目なのか。でも疲れすぎている。疲れた。休んで身の回りのことだけをしたい。不真面目な人々から逃れたい。疲れている。がむしゃらにがんばった。あのババアから逃げたいばかりにがんばってきた。あのババアの元気は全く衰えない。私は消耗して疲れてきた。休みたい。出歩くのはやめよう。休もう。
 あまりがんばらないほうが良い。あいつはキチガイだ。キチガイに勝てるわけがない。静かに暮らしたい。休みたい。自分を消耗する何かが自分の中に組み込まれたようだ。このままでは死んでしまう。休みたい。身の回りのことをやろう。身の回りのことすらできない。
 何でも受け入れることはできない。自閉しよう。そうしないと死んでしまう。何であんなババアと戦わないといけないのか。死闘に疲れ果てた。勝つことはできない。完全に頭おかしいのだ。誰とでも仲良くできるというのはibだ。何で戦わないといけないのか。私は平和に暮らしたい。わけのわからんことをいっぱい言われた。ibの塊だ。できないことはできないのだ。やる気が起こらない。こんなibの塊の社会で生き抜くことは難しい。なぜ小説は書けるのか。才能がある。小さい頃から無意識に修練を積んでいる。でも技術系の知識も経験もないのだ。疲れているから仕事が出来ないのじゃないか。抗うつ剤を飲んでからますますおかしくなった。休みたい。自閉したい。自分の安全を守りたい。z氏も私のことがわからないに違いない。ババアとの死闘に疲れ果て、働くことができないのじゃないか。休んだほうがいいんじゃないか。無理してもしようがない。私は変だ。変で悪いか。仕方ないじゃないか。元気なときにはできることが疲れているからできない。危険に気づくことがそのひとつだ。疲れていることさえ気づかなくなる。無理をしてしまう。
 憐れみが大事だ。誰に対しても。年や性別に関係なく。ババアが嫌いなのは人の嫌がることをするからだ。当たり前じゃないか。嫌がることをなぜ受け入れなければならないのか。
 こんな職場自体が嫌なのにあのババアは何であんなやる気満々なんだ。それが恐いというのだ。私はおかしいだろう。客観的にはどう見てもおかしい。でも病気なのだ。病気だからしょうがないだろう。真面目にやってもこの程度なのだ。hと衝突するようになった頃からおかしくなった。文校に通い始めた頃と符合する。ものすごく恐くて嫌な思いをした。私はどこに行っても受け入れられなければならないというのはibだ。今の私ではどこにも受け入れられないと考えるのが正しい。それでいいじゃないか。誰にでも受け入れられるわけではない。当たり前じゃないか。それどころかヒステリックに拒絶される。今までもそうだったじゃないか。
 明るいことは良くないような気がする。私の場合は。明るくするとキチガイババアが面白がって、突っ込んでくる。ドンだけ性格悪いんだ。明るくてもだめだし、暗くてもだめだし、黙ってもだめだし、しゃべってもだめ。あのババア俺を殺そうとしている。明らかに殺そうとしている。明るくする必要は何じゃないのか。人に好かれる必要はないんじゃないのか。。うまくやる必要はないんじゃないのか。がんばる必要はないんじゃないのか。戦う必要はないんじゃないのか。仕返しする必要はないんじゃないのか。信用ならないし、恐いし、実際傷つけるし、話にならないじゃないか。頭おかしいんじゃないのか。何で打ち解けなきゃいけないんだ。何で張り合わなきゃいけないんだ。何で受け入れなきゃいけないんだ。何で受け入れられなきゃいけないんだ。何で仲良くしなければいけないんだ。キチガイじゃないか。完全なキチガイじゃないか。全く理解できない。ドンだけ攻撃的なんだ。人間じゃないじゃないか。
 あまり人前に出ないほうが良い。疲れた。二日間眠れなかった。全ての人と仲良くしなければいけないというのはibだ。小さい頃その考えに取りつかれた。あんなきち外ババアと仲良くしないといけないというのはibだ。
 何で仲良くしないといけないのだ。私が人に好かれるわけないじゃないか。何で人に会おうとするのか。ほんとに馬鹿だ。何で無理して明るく振舞おうとするのか。家でおとなしくしていよう。明るくするなんて無理に決まっているじゃないか。無理して何で明るく振舞うのか。明るかったことなんか一度もないじゃないか。腋臭の手術のときも無理とわかっているのにキチガイ医者を儲けさせるためだけに無益な手術を二度もして自分を痛めつけた。人としゃべったことなんかないじゃないか。休んだほうがいいと思う。休もう。何がegだ。絶対やめたほうが良い。明るくなんかできるわけないじゃないか。普通にできることをしていたら良いなじゃないのか。何で自分を傷つけることを強いられないといけないのか。私は売春婦ではない。憐れみ。憐れみだけだ。私に必要なものは道徳ではなく憐れみだ。



2005年11月03日(木)

 今日は2時ごろ目が覚めてそれきり眠れない。最近眠れない。腰痛の加減もある。女は馬鹿で弱い。社会の中ではそういう役割を負わされている。女がお情けで大臣になるとニュースになる。女はいい気になってドレスなどを着て勝負服などという。かわいいものだ。私は女を嫌ったり、攻撃したりしないことにした。嫌うということを攻撃と勘違いするらしい。嫌うということと攻撃とは違う。どうして同じだと思うのか。でも攻撃はやめることにした。かわいそうだからだ。その必要がないからだ。その代わり私は男になろうと思う。簡単なことだ。中学のとき私が攻撃されたのは男なのに女だったからだ。男なのにやさしくされたいと思ったからだ。それで理解されないと憤った。女にはからかわれたりして仲が悪かった。今でも変わらない。私はこの世を恨む。私を女性でいさせないこの世を恨む。三島も強いられて男にさせられた。それは法学部に進み官僚になることだ。三島の心の女は圧殺された。しかしそれは死なずに形を変えて生き残った。私がこの世を大変生きづらいと思い、居心地が悪いと思うのは女なのに男として生きることを強いられるからだ。私は性同一性障害なのだろうか。女々しい男はいくらでもいる。仮に私がゲイでも構わないではないか。男らしくというのはibだ。ただ私は男になることにした。そのように振舞うことにした。そのほうが得だからだ。幸い私は法学部に進み男の思考もできるようになっている。そちらの脳を使って思考し、行動しよう。文学は私が女であることも男であることも許す。文学が本当の私の場所になるまでは男としてこの世界で生きていこう。男である以上、女など哀れむべき存在でしかない。哀れみの気持ちを持つ。愛する必要はないのだ。弱く愚かで劣った存在である女を障害者や老人にそうするように哀れむ。それで万事片付く。怒る必要などない。
 男として男の取り分を取ったほうが楽しいし楽だということがわかった。片山さつきも外見は女だが中身は男だ。男になるというのは楽しいことだ。ただ男のやるようなことに私はあまり興味がない。働くこと、出世競争、ゴルフ、野球、パチンコ、競馬。私はどう見ても女性的だ。でも男としての思考訓練もした。でももうそれは十分だ。あまりに大きな苦痛と代償を支払った。文学の世界に生きればよかった。論理療法は簡単に思考を変えてくれる。無理がない。私がibの塊だと明らかにしてくれる。会社では男になろう。論理療法だけに絞って論理的に考えよう。女が男になるというのはそれだけでものすごいストレスだ。私はもうその努力はしなくて良い。自分の中にあるものだけでよい。それで十分やっていける。政治経済はibの世界だ。文学は本音の世界だ。だから私には楽だ。今あるもので勝負できる。私のそういう事情をかぎつけてキチガイは喧嘩を売り、ねたみ、足を引っ張り、時にはまねする。おっさんになろうとしているババアにとって私はねたましい存在なのだ。私は既に夢を実現しているのだ。憐れみだけ持てばいいのだ。女と私を隔てるものは憐れみだ。
 どんな屈辱を受けても怒ってはいけない、反撃してはいけないというのはibだ。自分で自分の身を守ってはいけないというのはibだ。私は男だから男として攻撃してくるのだから、男として反撃しなければならない。でも相手が女なら深追いはしないだろう。勝負は初めからついているからだ。ものすごいハンデを背負っているからだ。今日も絡まれた。会社にいる女は男社会で苦しんでいる。私は女なのに男の格好をしているのが許せないのだろう。でも私は男になることにした。簡単なことだ。女は社会に出るべきではない。女に対しては哀れみの感情だけで十分だ。深追いすべきでない。何の感情も持つべきではない。
何か先行き不安になる。ibだとはわかっている。自分がだめだと決め付ける悲観的な思い込み。でも自信もある。あまり出歩かないほうが良い。文校もサークルも嫌になった。傷つけられる。いじめられる。馬鹿にされる。文学に打ち込もう。文学は私の得意分野だ。昨日は役員にパワハラを受けた。全然関係ないのに何でいじめられなければならないのか。文校でもサークルでもいじめを受けた。脳がしびれたように動かない。反撃したほうが良い。反撃してはいけないというのはibだ。私はもうあのきちがいどもから自由だ。絶対に攻撃は許さない。今は自重すべきだ。力を蓄えるときだ。出て行くときではない。出て行っても何の得にもならない。命の危険すらある。今年初めのあの絶好調はどこに行ったのか少し休んだほうがいいのではないか。休んでゆっくり考え直す。論理療法に取り組む。昨日はアサーティブに主張できた。これからもからまれたらそうしよう。hはずっと私に絡んできていた。私が仕事ができないのはあのばばが嫌だからだ。私を目の敵にするからできないのだ。それを何百回言ってもわからない。私を憎んでいるのだ。これからは自由だ。あのgにいなければいけないというのはibだ。私は回復するだろう。仕事ができるようになるだろう。幸せになってはいけないというibから自由になるだろう。アサーティブに生きられるだろう。このまま出続けると死ぬだろう。消耗していって死ぬだろう。休んだほうが良い。アサーティブに生きるのも楽ではない。でも論理療法は自分を楽にしてくれる。私の彼に対する態度は最近おかしい。攻撃的になっている。いったん攻撃的になる必要があるのか。命を守るために。安らかな気持ちになろう。それが大事だ。女には憐れみを。あのキチガイはあのgが自分のものになったといって狂喜しているだろう。憐れなやつ。ibに縛られているのだ。勝ったと思っているに違いない。馬鹿なやつだ。北原に対する攻撃的な態度が今回の結果を招いたのか。いや招いてくれて結構だ。望む結果が得られた。
 年初に比べたら徐々に弱ってきている気がする。攻撃的になり、活動的になっているが、自滅への悪あがきか。文学と経済は違う。病気で不活発で無表情になり刺激に鈍感になると奇妙に映るらしい。それが不気味とか反抗的とか敵意を持っているとか悪いことを考えていると誤解されて攻撃される。文校でもサークルでも会社でも同じだ。休んだほうが良い。休めない何かがビルトインされてしまったのか。徐々に弱ってきて攻撃性だけが残り、北原にも見放されたのか。私も自分で自分がわからない。攻撃される。出歩かないほうが良い。人と会わないほうがよい。人を不愉快にし、攻撃される。私にすれば理由もなく攻撃される。自閉すべきなのか。昔のように元気のないときはそうすべきかも知れない。誰も傷つけないように誰からも傷つけられないように。都会になじめないのだ。文明に。スローに生きよう。そうしないと早死にする。天寿を全うしたい。疲れているときは誰かに守ってもらい、少しずつやっていくことだ。だんだん弱ってきた。自衛に徹しよう。明るく自滅している場合ではない。攻撃されたら反撃しよう。それが身を守る。身を守れなくなったら死ぬしかない。休もう。
 文学は生産的でも経済的でもない。自滅と蕩尽だ。経済と相性が悪い。きわめて悪い。回復したのはいいが、文学なんかを始めたのが悪かったのだろうか。よくわからない。良い面と悪い面がきっとあるだろう。いいところだけというわけには行かない。文学はやめようかな。生きる力を奪う。いきるちからを奪っているのは文学かな。よくわからない。疲れたら文学も続けられなくなる。
 蕩尽、自滅は良くない。節約、倹約が良い。沖縄行ったり、北海道行ったり、母親に10万円おごったり、マンション買おうとして具合が悪くなったり、蕩尽の一年だった。egと薬のせいだ。ここらで黄信号が点滅している。方向転換しよう。ブレーキを踏もう。明らかにおかしい。今回の騒動は私のおかしさが北原にばれたということじゃないか。kが狂喜するのも無理はない。私は疲れてきていた。憐れみの気持ちが大事だ。女に対する憐れみ、弱者への憐れみ、年寄りへの憐れみ。女とのことは憐れみということで終わりにしよう。あのババアも含めてこれで終わりにしよう。
 私はだいぶおかしい。今は休んだほうが良い。無理することはない。ゆっくり休みたい。今年の初めからおかしい。快楽は得られたかもしれないが何か改善があっただろうか。少しは進歩しただろうか。いろいろ経験はした。しかし良い結果は得られたか。少なくとも休めるし楽になる。金曜日から。ストレスの軽減になる。ほんとにhとkはキチガイだ。ストレスがたまる。消耗する。北海道旅行のとき少しも楽しくなかったのは蕩尽し、消耗していたからだ。休もう。ゆっくり休んで本当に必要なことをしよう。無駄なことばかりやってエネルギーを消耗しないで。
 やっぱり私はおかしい。少し休もう。とても疲れた。眠れないし。酒を飲んでも。相当疲れている。休んだほうが良い。休みたい。北原は私がおかしいと判断したのだろう。それで結構だ。ストレスから逃れられるなら。足を組むなはさすがにやばいと思った。おかしくなっていると。北原には迷惑をかけた。申し訳ない。少し休める。心身ともに。
 人間が恐い。小さい頃から変だったかもしれない。末っ子で甘やかされた。それを姉に指摘され、逆上し、親を恨み、謝らせた。頭がおかしかった。やっぱりおかしい。sosのサインだったのだ。hやkが嫌だというのは。頭がおかしくても役に立てばいいのだ。これから楽になるから仕事がんばろう。あのキチガイの声が脳に傷を付けるのは頭が既におかしいからかもしれない。論理療法が役に立つだろう。がんばろう。
 うまく行くような気がしてきた。今急にいつもうまく行くうまく行くと念じてがんばればきっとうまく行く。誰だって少しはおかしいよ。あのババアに対する態度のうちibは人間は人間的に完全でなければならない、私に対して完璧に失礼のない態度でなければならないというものだ。そういう自分はちゃんとしているだろうか。仕事をちゃらんぽらんにし、やる気がなく道徳的でない。そんな人間がババアの欠点を云々できるだろうか。北原や課長に言っても結局限界があるのは、私の言い分が病的なまでにibだからだ。公平でなければならない。多分私は女を馬鹿にしていて平等ではないと思っている。不当に利得を得ようと思っている。自分では気づかないだけだ。アサーティブとは自分にも帰ってくる。憐れみだ。対等で誠実であるためには哀れみは欠かせない。女はやっぱり弱者だから憐れみを持たなければならない。でもあいつの言い方は本当に切れる。でも対等とどうしても思えないのだから、憐れみは欠かせない。どんな言い方をしようとやっぱち女は弱者なので憐れみを持たなければならない。急速に正常化してきた。起きて動いていたほうが良い。寝てなくても平気だ。眠くなったら寝るだろう。あのババアについては対等であることを認めること、それが無理でも最低限憐れみを持つこと。不当に自分だけ得しようと思わないこと。逆も同じだ。自分も相手も奴隷であってはならない。これはibではない。憐れみは本当に大事だ。自分自身に対しても。父親に対する憐れみを失ったから大きな罪を犯した。結局自分だけ得しようとしている。フェアーでない。やっぱりおかしい。あいつは子供を育て上げてその上で働いているのだから、私よりも上じゃないのか。少なくとも周りはそう思うだろう。こちらが逆に下でなくてもいいのだ。対等なんだから対等な上で足りないもの、あいつの場合は知性、を補い合えばいいのだ。からむということは愛情を当然のように求めることだ。でも憐れみで十分だ。対等ということは争う必要がないということだ。どういう状況になっても対等なんだから。どちらかが上というのはibだ。北原だってある面では私のほうが上だ。だからどちらが上ということを決めるのは愚かなibだ。対等というのは自分に対する保険でもある。あいつがどんだけがんばろうと人間的には対等だ。当然だ。役員の態度は完全に狂っている。われわれをどう見ているかはっきりわかった。
 あいつがこうなったからといって何も変わることはない。私が楽になるだけだ。対等というのは万人にとっての保険だ。この保険を信じている限りは大丈夫だ。アサーティブであろう。論理療法に従おう。私はこれらと心中しても言いと思っている。それくらい賭けている。信じている。頼っている。これらは実践的な宗教だと思っている。信じる人間は強い。私はやっぱり成長した。合理的になった。内面と環境の区別がつくようになった。これでゆっくり仕事に集中できるだろう。憐れみを持とう。憐れみを。誰に対しても対等で誠実で率直であること。憐れみを持とう。一方的に自分だけ得しようと思わないほうが良い。フェアーであること。憐れみを失ったものは生きてはいけないだろう。倫理の基本だ。私は倫理的ではない。外面に現れているようだ。全ての行動に出ている。自分を甘やかしてくれる人を求めてサークルや文校に出かけてえらい目に遭った。北原に甘えて結局しっぺ返しを食う。倫理的でないままにいろいろやってみてもだめだ。だからあまり人に会いたくない。あいつに負けたとは思っていない。勝ち負けなんかibだ。自分らしくあればいいのだ。
 起きていると気分が良くなってきた。いい考えが浮かんできた。これから自分のibをどんどん変えていけばいいのだ。その前に倫理的にならないと受け入れられない。かつては本当に倫理的だった。憐れみを持とう。あの優しかった私はどこに行ったのだろう。このままでは私を受け入れてくれるところはないだろう。これ以上蕩尽することは得策ではない。誰かに受け入れてもらおうとする前に受け入れられる人間になろう。倫理的になろう。一皮向くと人非人というのでは困る。どうして堕落してしまったのか。そういうこともあるか。あってはならないといっても起きてしまったことは全て現実として受け入れるほかない。アサーティブであれば疲れることはない。対等に主張していくことができる。道徳的であろう。その基本は憐れみだ。対等だ。対等というのは自己防衛のためでもある。会社は対等ではないというibに縛られている。でもそのなかで人は対等だと気づいているはずだ。それが大事だ。ibを壊していこう。倫理的であろう。
 すごく希望がわいてきた。私がどんどんいい方向に変わってきたからだ。今回のことを私は自己責任として受け入れよう。これをこそ望んでいたのじゃないか。気持ちを言うことは会社ではだめだとされる。でも緊急事態だ。改善される見込みのない異常事態を突破するにはこれしかなかった。私は賭けに勝った。
 どんどん良い方向に変わってきている。私はどんどん気づいている。私のアサーティブな主張によって、私の望むように環境を変えてもらった。あのキチガイもハッピーかもしれないが私もハッピーだ。倫理的でありたい。礼儀や道徳はやっぱり大事だ。挨拶も大事かな。私は道徳心を失っている。憐れみを取り戻そう。礼儀や道徳を大事にしよう。これからは無理をしなくてもいいから楽になって、仕事ができるようになる。良いことずくめだ。そして少し休もう。人生楽しかった。人と少し違うが私は私の人生を愛そう。こんなユニークな人生はない。退屈しなかった。楽しかった。大事な人生だ。後悔はない。反省はしても後悔はない。こうなるべく生きてきたのだ。過ちは改めよう。謝罪しよう。
 これで私も正常化するだろう。私はずいぶんおかしかった。今は私は変わりつつあるのであまり人に会いたくない。あのキチガイコンビと別れられるのだからどんなことでも耐えられる。nさんはかわいそうだ。大変かわいそうだ。あの二人に愚痴愚痴言われて耐えられるなんて信じられない。かわいそうだ。私の改善点はいっぱいある。主張どおり変えてもらったので自分の改善に勤しもう。対等であること、憐れみを持つこと。
 私は気持ちを率直に話したのでこういうハッピーな結果を得た。良い方向に進んでいる。これを喜んで受け取ろう。私もハッピー皆もハッピー、これが一番だ。最初の小説を書いたとき反応がなかったのは、自分にも読者にも不快なものを書いてしまったからだ。不快なものが純文学と誤解している。良い方向に変わった。私はハッピーだ。あんたもハッピーだろう。大喜びしている。あんたが喜んでくれて私も嬉しいよ。私は人間ができているから本心から言っている。
 憐れみと対等というのは矛盾しているだろうか。そんなことはない。平等であっても、身分さがあろうとも思いやりという形で働く当たり前のことだ。あのねえちゃんとうまくいかないのは私が思いやりが足りないからだろう。対等だと思っていないからだろう。私は憐れみを感じなければ仕事をしない。憐れみを感じても仕事をしない。これではいけない。こういうことに気づくことが成長だ。やっぱり北原を困らせることを言ってしまったのだ。でも気持ちを伝えて思い通りの計らいになったのだから私もハッピー、皆もハッピーで言うことないじゃないか。ハッピー独立だ。私は独立心旺盛なのだ。義務意識がないなら思いやりが必要だ。あまり出たくないといいながら忘年会に予約してしまった。これで最後にしよう。気持ちを変えてこの状況を自分にとってよいものにしよう。私はどこへ行っても浮いてしまう。そういう人ばかり集まるところに行っても浮いてしまう。ババアにいじめられてグループで孤立していた。それが全てだ。だから離れるのは良いことだ。大変良いことだ。ハッピーなことだ。アサーティブであること。論理療法。この二つが大事だ。
 どうも調子が悪い。ゆっくり休もう。人に敵意を持つことは自分に帰ってくるからやめよう。ゆっくり休もう。
 外出してきた。楽しかった。シャラポアのカレンダーを買った。気分が少し改善した。悪いことを考えることはやめよう。文学が私に及ぼした影響についてはよくわからない。いい面と悪い面があるのだろう。護身術でもある。疲れない範囲でやろう。hとkと別れられることは大変嬉しい。単純に嬉しい。仲良くできないやつと一緒にいるのは辛い。母親の気持ちがわかる。私が悪に染まったのは変な本を読んだからだ。純粋な私が変になってしまった。でもこれが人生だ。わが人生だ。否定することはできない。あいつが妙に生き生きして大声を出すようになった。そのうち収まるだろう。憐れなやつだ。残りの人生は楽しく生きたい。今抗うつ剤を飲むべきではない。少しブレーキをかけてゆっくりするべきだ。文学は自分の心を酷使する。私は恐くなって離れた。そして今もう一度近づこうとしている。確かに何かの化学反応が起きた。これはいいことか悪いことか。何でも食らいつけばいいものではない。ちょっと考えてみよう。とりあえず今は体調を元に戻すのが先決だ。何でも思い通りにはならない。それはibだ。やっぱり周囲と妥協しつつ、礼儀や道徳を守って生きていくのだ。悪いことはもうしない。散々悪いことをして報いを受けた。悪いことをすれば報いを受けるのだ。真面目になろうと決めた。がんばろう。そういう気になった。良いことだ。良いことしか起こらない。北海道は最悪だったなあ。蕩尽による消耗だ。ブレーキをかけるべきときだ。自分でわかるからまだ大丈夫だ。誰とでも仲良くしないといけないというのはibだ。小さい頃なぜかそう思った。でも今は間違いといえる。仲良くできないやつと付き合うのは大変な犠牲を伴う。なぜそんなことをしなければならないのか。ibはもうこりごりだ。なんでもまねする。悪いことをすれば悪いことをまねする。何でそれだけ張り合おうとするのか。全く理解できない。憐れみの感情あるのみだ。私に近寄るなといっている。ストーカーかお前は。かわいそうになる。ほかのやつらが。
 



2005年11月02日(水) 今日

 今日は北原が業務変更について説明したらしい。何と説明したのか私らはつんぼ桟敷か。もうあのgとは関係ない。本当にせいせいした。今日も一日気違いみたいにしゃべりまくっていた。本当に頭がおかしい。相手をさせられる皆さんが本当にかわいそうだ。お見舞い申し上げる。あの声を聞いていると脳に傷がつく。気が狂いそうになる。抵抗できないと思うと発狂しそうになる。私はあの基地外が恐いので仕事ができない。同じ空間に基地外がいるだけでうつになる。あの基地外はさらにいっそうわめき散らす。私はただひたすら黙って耐えるしかない。脳はどんどん傷ついていく。そのうえhが何か言ってくる。本当に耐えられない。これからはhは私に何も言う権利はなくなるだろう。ババアもいくらわめき散らしても私には関係ない。ところが今日はよりいっそう大きな声でわめき散らしていた。どうなっているのか。脳の興奮を鎮めよう自分の仕事をしよう。怒ってもいい。抗議してもいい。自分の身を守ってよい。自分の身も守れないのはibだ。絶対どんなときも怒ってはならないというのはibだ。今日は出張先で怒ってやった。どんな屈辱を受けても怒ってはならないというのはibだ。どんなときでも穏やかでなければならないというのはibだ。人に会いたくない。誰にも会いたくない。会社にも行きたくない。誰にも会いたくない。今私はおかしい。誰にでもいじめられる。反撃しないからだ。恐いと思うのは反撃することができないと思うからだ。反撃できると思うと何も恐くはない。これからはあの基地外がどれだけわめこうが、関係ないのだから気にしないようにしよう。自分の身の回りのことをしよう。落ち着こう。
 酒を飲むと少し落ち着いた。会社でもその調子で行けばいいのだ。会社なんかibの塊だ。誰も信じているやつはいないのだ。純情かすれっからしかの違いだ。私もすれっからしになろう。恐がるなんておかしい。あの基地外を人間と思っているなんてそんな気前のいいことをしてはいけない。キチガイなんだ。キチガイ。
 あのキチガイはもう終わりだ。何の関係もない。絶対に関係ない。火星のクレーターくらい関係ない。うれしい。もうあのキチガイどもと関係ない。非常にうれしい。キチガイはキチガイだ。もう勘弁してくれ。それだけの話だ。キチガイはもう勘弁してくれ。それだけの話だ。
 酒をいっぱい飲んだ。楽しい。東京は楽しい。でもテレビで見ているだけでいいや。働こうと思わない。無理だもの。キチガイ死ねばいいのに。何で生きているのか。ほんとに死んでほしい。
 私にも悪い点はある。hやkと関係なく自分の悪いところを直していこう。反省しよう。自分を責めるのではなく、ibを正して行こう。悪いことをしなければならないというib、悪いことをしても罰せられないというib。これからは腰をすえて仕事に打ち込もう。そうすれば違うものが見えてくる。悪いことをしてはいけない。自分は悪いことをしているつもりはなくても何かしら悪いことをしている。自分が偉いと思っている。そういうところはおかしい。自分は何もしなくても完全に扱わなければならないというib。役員でもないのにどうしてそう思うのか不思議だ。あまり自分を追い詰めるのはだめだが、早急に考え直そう。私ならできる。仕事も人間関係は楽になるはずだしじっくり自分を見つめなおそう。今こそ休みたいが、休むと出てくるのが厄介になる。診断書もいる。どうすれば安全か。悪は最低だめだろう。気づかなかったというのはおかしい。気をつけなければならない。モチベーションが下がり、自堕落になっている。倫理的でなくなっている。女のことは憐れみで十分だ。女は思ったより控えめだ。あいつだけだ。あんな変なやつは。
 やっぱり厳しさが必要だ。自分がいくら弱いといってもがんばるべきときはある。うつってホントか。言い逃れではないのか。皆辛いのを我慢している。北原に話してみるとそういう答えが返ってくる。だからがんばろう。あいつの言うことはいつも正しい。



2005年11月01日(火) 今日

 今日はあの馬鹿が一人でしゃべりまくっていた。その声を聞いていると発狂しそうになった。脳に傷がついていく。我慢することはできない。いじめられている気がする。不当な仕打ちを受けたら怒ってよい。少なくとも抗議してよい。それがアサーションだ。でもできないときがある。女との関係で意地悪されているとき。意地悪は誰にも気づかれないので抗議できない。昼休みにしゃべるなと言ってもやめない。足を組むなといってもやめない。小さい頃から姉と仲が悪かった。高校生くらいから暴力を振るうようになった。女と相性が悪い。無性に嫌いだ。今まで恋愛関係になったことなどない。私が女だからだ。「おかま」とか大きな声で言っていたのは私に対するあてこすりに違いない。「電話番」とも言われた。怒る。抗議する。それ以外ない。おっとり構えていてはいけない。女とうまくいかないのがすごく良くわかった。あのババアとうまくいかない理由は私が女だからだとわかった。でも私は女として生きているわけではない。だったら男として振舞えばいいのだ。抑圧者として振舞えばいいのだ。女として振舞う必要があるか。男女差別論者として振舞えばいいのだ。女と性的なものを得るためにsmに頼る必要があるだろうか。それはibだ。どうしてそんなことをしなければならないのだ。どうして嫌いな奴と無理に仲良くしなければならないのだ。ibだ。不当な仕打ちを受けたら怒ってよい。怒ってはいけないというのはibだ。文校でも怒っていいのだ。仲良くなんかしなくていいのだ。
 人が恐い理由は不当なことをされたときに、怒れないからだ。抗議できないからだ。誰もが親切で、優しければいい。でもそうでなければならないというのはibだ。嫌いな奴がいてはならないというのはibだ。嫌いな奴がいてもいいのだ。不当なことをされたら抗議すればいいのだ。怒ればいいのだ。
 臭いというのは差別だ。思いやりがないからそういうことを言う。堂々といわれたのはあの職場に来てからだ。それからあの文校でもくそ坊主に何回もいわれた。仲良くしたいと思っている。仲良くするに越したことはない。でも絶対仲良くしなければならないということはない。ibだ。だから怒れないのだ。どんな不当な仕打ちを受けても黙って耐えなければならないというibを持っているから怒れないのだ。しつこく最初に怒りながら私に姉が言っていたのを覚えている。小さい頃から相性が悪かったのだ。いつも女は私に辛く当たった。だから女が嫌いになるのは当然だろう。smに走るのはおかしい。掲示板であれだけ何度も不快な経験をしながら怒りもせず、抗議もせず、書き続けるというのはおかしい。不当な仕打ちを受けたら怒ってよいのだ。
 あまり日記を書くと脳の興奮が高まってよくない。中学から始めた日記は私の精神を培ったが、同時に害したかもしれない。人に会いたくない。心底そう思う。私は悪くなった。明らかだ。小学生からなのか中学生からなのかわからないが悪くなったのは明らかだ。同時に精神を病んだ。安らかな気持ちになろう。人を憎むのは嫌だ。でもあの声を聞いているだけで発狂しそうになる。私の精神状態をコピーする。それを見て声を聞いて発狂しそうになる。h君の作品は私の精神状態までコピーしているようで薄気味悪い。kは私が悪いとそれをコピーして攻撃してくる。何でそこまでコピーしなければならないのか。普通に振舞っていてもだめだ。心の中までコピーしてくる。私が善人に生まれ変わればいいのか。私は善人のつもりでいるから攻撃されるととまどう。なぜ攻撃されるのかわからない。ひとつは論理療法で自分の邪悪さを解きほぐしていく。第二に不当なことをされたら反撃する。アサーティブだ。第三に人を避けて隠棲する。これができたら最高だ。
 私は過去に悪いことをしただろう。でも役に立つということを証明できる。小説がうまいということがわかった。それ以外にも必ずやればできる。やろうとしないだけだ。やれば必ずあんな基地外より上手にできる。
 私は女とは絶対にうまくいかないと思った。小さい頃からうまくいかなかった。仲良くしようとするからいけない。サディスティックな態度でいいんじゃないか。サディスティックにくるんだからお互い様だ。喧嘩上等だ。仲良くなんかする必要はない。喧嘩したからここまで楽になったんだ。戦う以外にない。不当なことをされたら怒ってもいいのだ。絶対どんな不当なことをされても怒ってはいけないというのはibだ。反撃も抗議もできないと思うから恐い。でも何かされたら必ず反撃すると思っていれば何も恐くない。


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