* たいよう暦*
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ごおごおとなる風の音が気になって、あまり寝付けないままむかえた今朝。
昔はこの日は、特別だった。
明日からは友達と、会える。 でも、もう、この夏休みは戻ってこない。
「複雑な気持ち」というのを初めて知ったのは、この8月31日だったかもしれません。
でも、大人になっちゃうと。 きのうとかわらぬ、今日。 今日とかわらぬ、明日。 8月31日でも、なにもかわらない。
うつりゆく「時」を感じるものを失った喪失感。 複雑な思いをしなくなった、安心感。
かわらないことへの、安心感と、失望感。
8月31日。 この日が特別であった日々が、懐かしい。
方向音痴の私は、自分の中に特別な地図を持っている。
自分の中での目印や、そのときの思い出と一緒に描かれている地図。 役に立つときもあれば、まったく役立たないこともある。
現実の地図とは大きな隔たりのある私だけの地図。 もちろん、私の地図にのっていない土地は多々あるわけで。
いつか現実にそぐった地図が、私の中にえがかれることがあるのかな。 今は、現実とのへだたりを楽しんでいるかんじ。
私が生まれて初めて真冬の北海道に行って、富良野駅ではいた息がその当時はやっていたガムのCMどおりどこまでも広がるのをみて驚いている時、その友人は宿でお世話をしてくれる側の人でした。 それまで、宿といえば修学旅行や家族旅行で泊まったる、ホテルや旅館しか知らなかった。「旅」もしたことがなかった。 だから、きっと、あれが私の旅のデビュー戦。 今まで知らなかったフシギな空気の流れる「宿」の雰囲気と、寒い寒い北海道の冬にちょっと興奮していたのだと思う。 見るもの聞くものやることが多すぎて、「こちら側」じゃなかったその友人とは、ほとんど話した記憶がありません。 だから、「そこにいた」友人の姿も、あまり覚えていません。 でも、帰ってきてからその友人のカウンターごしの姿を思い出したので、実は視界の中につねにいたのだと思います。
二度目にあったの、いつだっけ? 三度目は・・・? 思い出せないぐらいたくさん会うのを重ねて、あっという間に「こちら側」の人になった友人。 「そこにいた」ことを忘れるときがあるけれど、ときどき、「そこにいた」時に感じた思ったことを聞くにつけ、自分にはない引き出しをたくさん持っているんだなあって思うことがある。
そんな友人と、久しぶりに再会。
久しぶりでも、久しぶりのかんじじゃない。 でも、やっぱり久しぶりでうれしい。たのしい。
今日は、楽しい一日だったなぁ
しっかり眠って英気を養うつもりが、豆台風の襲撃を受け、のんびりできなかった。
・・・・私も子供の頃って、こんな元気やったっけ?
小さな頃は、キャンプをする習慣がなかった。 だから、初めて外でテントの中で眠ったのは、立派な大人になってから。 「外で眠る」ってこんなに気持ちいいことなんだなあ、と気づいてから、時々むしょうに「外で」眠りたくなる。
初めて寝袋ってものの中で眠ったときは、小さな頃から冬には布団をぐるぐる巻き込んで眠るくせのあった私には、ぴったりの寝具だと思った。 自分の体の外側に、ほわん、と囲まれている感じが、なんとも安心感がある。 軽くて、薄くて、でも、あったかい。 寝袋にもぐりこんで、暗がりのテントの中でいろんな話をしたり、誰かのいびきが耳についたり、外の風のざわめきや虫の声に耳をかたむけるのはなによりも、楽しい。
友人が、新しいテントを買ったそうだ。 さて。これからいい季節。 久しぶりに「外で」眠りたいなあ〜。
こんな小さな言葉に、さくっと斬られることがあるんだなあ。 と、小さな傷にうだうだいろんなことを考えた夜でした。 ま、そんなこともあるある。
今日はレディースデイで、映画が千円で観られる日。前から気になっていた映画を観にいってきた。 「誰も知らない」
キャッチボールをしようとしたら、相手から投げられたボールは野球ボールじゃなくって、ボーリングの球だった。
・・・・・・・・・うまくいえないけれど、そんな感想。 うーん、わかりにくいだろうなあ。 でも、そんな感想(笑) ずしん、とくるなんて思わずに行ったから、ずしん、具合によろめいているかんじ。 まだうまく全部を受け止めることができない。
救いも主張もなく、ただ淡々と描かれる積み重ねられる日常。 ただ、淡々と。 淡々と。 子供たちが、描かれる。
現実の事件をベースにした話。 これを通して、監督は何が描きたかったのだろう。 ゴンチチの音楽と、是枝監督独特の演出と、独特の映像が心に残る。
ずしん。 そんな映画でした。
「お弁当を持ってきてなかったら、ランチ一緒にどうですか」 と友人からお昼前にメールがきた。 もちろん、そのメールを受け取った瞬間、かばんの中のお弁当をつかんでてくてく歩いていって、会社の備え付けの冷凍室にほうりこんだ。 うちの部署にだけある、業務用の冷凍庫。 こんなときはとっても役に立つ。 明日は、こりゃまた備え付けの電子レンジでチン!すれば、ごはんも無駄にならないし、楽しい友人とのランチもできる。 一挙両得。
「いこういこう、何食べる?」
一時間って時間はとっても短いけれど。やっぱり、ランチは楽しかった。 いつものお昼休みの倍以上笑って、倍以上しゃべって、なんだか心が元気になった。
人間、生きている限りは食べ続けなければ生命をつづけてはいけない。 以前は「何を食べるか」が非常に重要だと思っていたけれど、今は、「誰と食べるか」の方が大切だなあと思うようになってきた。 もちろん、「誰と」「何を」食べるかが大事なのだけれど。 「何を」「誰と」ではなく、「誰と」「何を」の順番。
今日の「友人と」「パスタランチ」はとってもよかった。 これもまた一挙両得(?)。 なんだか、今日はお得な一日だった。
また、突然、会社の近くに来てくれないかなぁ〜。
銀メダルって、すごいことだよ。 だって、銀メダルだよ? 世界で二番目、ってことなんだよ? いろいろ、くやしいこともあるんだろうな。 一番になりたかったんだろうな。 でも、二番目でも充分・・・というか、めちゃくちゃ立派だよ! そんなに厳しい顔しないで、いいよ。 おめでとう。って言ってあげたいな。
すっごい熱心に見ていたわけじゃないけれど、48キロ級の女子レスリングの伊調選手をみて、とってもそう思いました。
いつか笑顔にならはるかなぁ? 笑顔にしてあげたいなあ。
めでたぁ〜〜い! おぉ〜め〜で〜とぉ♪♪♪
一昨年も昨年も。 「連れていってもらった」 でも、今年は違います。 友人と二人で、「行ってきます」
行き先が決定すると、わくわく、してきました。楽しみだなぁ。 スクワット、増やさなきゃ。 がんばるぞぉ〜!
こおろぎの声を、きのう初めてきいた。 今日みた夕焼けは、そらがぐんと高くて、秋の空だった。 朝晩、涼しい。
日中は暑いけれど、間違いなく次の季節はやってこようとしている。
一年で一番私の好きな季節。 はやく、やってこぉ〜い!
しまっておく。 今日の出来事は、内緒。
普通、お盆前とお盆明けは、ばたばたとするものなのだけれど、今年はどうもそんな感じではない。
「なんでだろ?」と話していると 「オリンピックやからちゃう?」
ギリシャアテネとは、かなりの時差がある。 その時差のおかげで、大方の人が夜遅くまでテレビにかじりつく。 睡眠時間がいつもより少ない。 そのおかげで、どうも日中は緩慢な活動になりがちである。
・・・あながち、嘘とは言えない。 みんな、妙に寝不足だったり、ぼうっとしていたりするもの。
ま、四年に一度のことですし。 それに、日本選手も快進撃を続けていることですし。
いそいそと、なんだかみんなが家路につくこの時期。 サッカーのワールドカップの時みたいだなあ。
スポーツで生まれる団欒。 たまには、こんな一家団欒もいいね。
「じゃあ、あなたにとって一番大事なものって、なによ?」
・・・・・ ・・・・・・・・。
即答できなかった。
・・・・・ナンダロ?
2004年08月16日(月) |
マイナス思考プラス思考 |
今まで失ってきたもの、と、 これから失ってしまうかもしれないもの、と、 これから失ってしまうであろうもの、について、 考えています。
これまでえてきたもの、と これからえるかもしれないもの、と これからえるであろうもの、について、 考えればいいのにね。
一晩限りの独身貴族に戻った友人と、ぶらぶら買い物したり、夜更かししてオリンピックを見たり、のんびり朝寝を楽しんだり、外国のお菓子を買い漁ったりした。 いつもの、友人と私の関係。くつろいだ時間。 あ〜楽しい二日間だった。 そう語りあいながら、車を走らせ、友人宅に着くと。 先に帰りついていた子供たちが、母を迎えに走り出てきた。
車の窓は閉まっていたから、声はぜんぜん聞こえなかった。 だから、こそ、余計に見えた。 二人とも、とっても喜んでいる。 たった一晩離れていただけなのに、再会をそんな風に喜びあえるってなんか、いいなあ。 ほんわりした気持ちで、運転席からその光景を眺めていた。
二日間、いつもの私の前での顔をしていた友人は、子供に抱きつかれた瞬間、あっという間に母の顔に戻っていた。
うん、その顔もいいなあ。
そう思いながら、母に戻った友人にごはんを作ってもらって、みんなでわいわい食べて家路についた。
自分の家族を持っていて、自分の役割をしっかり持っている友人の姿が、なんだかまぶしい夜でした。
オリンピックで一番好きなのは、入場行進。
というと、はああああ?と言われたことがある。 うん、技を競い合う本番も確かにおもしろい。 日本人選手が活躍していると、どきどきする。 (日本人というアイデンティティを常日頃考えることはないのだけれど、4年に一度、必ず「頑張れ日本!」と言っている自分に気づく度に、ああ、私って日本人なんだなあ〜としみじみ思う) でも、それでも。 子供の頃から、ずうっと今まで。 一番好きなのは、入場行進。
アメリカ。 ドイツ。 フランス。 イギリス。 ・・・etc。
知っている国は知っている国で、行進の仕方を見ているだけでもおもしろい。 それぞれの「民族性」というものが出るような気がする。
カーボヴェルデ共和国 チャド共和国 バルバドス ナウル共和国 ・・・etc
聞いたことも見たことのない、国の人々・・・! たった一人の入場行進や、見たこともないような民族衣装を着ての行進。 国旗も、運動会で万国旗がはためいていたような所には、なかったような模様や色づかい。 きっと、この入場行進で見なければ、一生知らなかったような小さな小さな国や、独立したばかりの国・・・。
世界って広いのだなあ、まだまだ私の知らない世界が広がっているのだなあ、としみじみ思う、入場行進。 これが、どうも好きでならないのだ。
今日も、NHKの放送で見ていた。 延々3時間近く、いろんな国のいろんな人がいろんな歩き方で行進するのを見ていた。
こうやって、入場行進をして、この競技場に集まっている人は、間違いなくその国の代表で、そして、間違いなく世界のトップレベルの人たちなのだなあ。 そう思うと、そこに立てているだけですばらしいことじゃないか、メダルなんか必要ないんじゃないか、なんて思ってしまう。
それでもやっぱり、競技が始まると応援しちゃうんだろうな。 頑張れ、日本! 頑張れ、世界の色々な国の人々!
アテネオリンピックが始まった。
太陽が出ているうちに、会社を抜け出した。 「フレックス」という制度を使った正々堂々たるものなのだけれど、どうも微妙に、後ろめたい気分になる。 ・・・?なぜ? 「平日」の「昼間」の街に出ると、学生時代に学校をさぼって抜け出した気持ち・・・がどうもよみがえるみたい。 ・・・? 学生時代は、はるか遠く、記憶の彼方のハズなのに・・・・!
いつまで、この気持ちを持っているのだろう。 いつまで、この気持ちを忘れられないんだろう。
いつ呪縛から解き放たれるのか。 いつまでも呪縛の中にいられるのか。 なんだか、ビミョウな気持ち。 うまく説明はできないんだけれど。
小さな小さな友人に、贈り物を送りました。 無事ついたよ、ありがとう、と電話がかかってきました。
小さな小さな友人。 道に迷わず、まっすぐ帰っておいでよね。
中学高校と通っていた学校は、一部の校舎の床は木でした。 ほこりは散るし、水拭きはめんどくさいし、雑巾がけすると妙にくさくなるしで、あまり好きではなかったけれど、これが真夏になると、あっという間に「極楽の場」と昇格する。
クラブ活動のために、夏休みによく通っていた学校。もちろん、冷房などない。 あるのは、あけはなした窓からかろうじて入ってくるゆるやかな風。 太陽が照りつける南向きの教室は、信じられないほど暑くなり、少し動くだけで汗がしたたりおちる。 ところが、中庭に面した廊下にでると、空気はぐんと涼やぐ。 日の射さない廊下の木の床は、ひんやりとしていて、何十年とたった木の独特のつや感があり、すべすべと気持ちよさげに見える。 引き寄せられるまま、(廊下であるという概念を捨て)体操着姿でごろんとねっころがり、窓から入る中庭の涼しい風を受けながら目をつぶると、すうっと睡眠の入り口まで、簡単にたどりついた。 遠くから吹奏楽部の自主練の出す「ぷぅおぉ〜」「ぱぁ〜ぁ〜」という管楽器の音を聞きながら、風わたる廊下で一瞬の眠りに入るあの極楽の間・・・!
夏といえば、あの廊下を思い出す。 木の廊下が頬にあたる、すべすべ感。風の抜けるその場所での、うっとりするような清涼感。 もう、取り戻せない、あの夏の一瞬。
お盆にむけて、荷物が続々と動く。 でも、私の会社には、お盆休みがない。 一度も体験したことが、ない。 お盆休みのある人がうらやましい。
新聞を見ると、長崎の平和式典の様子が載っていた。
長崎と言えば、中学校3年生の時に修学旅行で訪れた大浦天主堂で受けた礼拝が忘れられない。 人に語ることはなけれど、心の奥にはあの時の言葉が強く残っている。
あの時ささげた「平和への祈り」は、意味もわからず形式ばったものだったけれど、今ならあの時の祈りの意味がわかるような気がする。
昔は、わけがわからずにただ、その状況を受け入れていただけなんだなあ。 でも、あの時まいた種は無駄にはならなかったわけだ。 こうしてン十年たって、芽が出てきている。 小さな小さな芽かもしれないけれど。
わが家の犬一匹、猫二匹は、母がいないと、だめだ。 寝る時は必ず一緒。 洗濯ものを干しに行く時も、時には、トイレの中までも、ついて歩く。 まさに3匹は「金魚のフン」。 そこへ、弟の子供一号と二号がやってくると、母は「金魚のフン」を5つつけて歩くことになる。 お互いがお互いとも、母に自分を見てもらいたいものだから、各自熱烈にアピール。 母の後を片時も離れない。 というわけで、一号二号がやってくると、わが家にはちょっとした大名行列ができる。
べつに。 こちらを見てほしいものではないけれど、母しか目に入っていない様子を見ると、すこーしうらやましくも、ある。 でも、夏には見ているだけでうっとうしい。 というわけで、今日はそれでなくても暑いのに、暑苦しい一日でした。
疲れているのに出かけたいと言いながら、居眠りをする人。
を、ちょっと心配しながら眺めた一日でした。 ムリしなければ、いいのになあ。 もっと、自分をいたわってあげる、ということを覚えるといいと思う。 でも、いたわり方ってのは、人それぞれで、私の視点からみたいたわり方でないからと言って、自分のことをないがしろにしているとは言えない。その人にとっては、それが一番楽な方法なのかもしれない。 でも、いろんなことに疲れている人を、いじくり倒さず見守るというのはむずかしい。 「見守る」というのは、大きな忍耐と愛の必要な作業ですね。
関東生まれ関東育ちの後輩が研修で大阪にやってきた。 いろいろと複雑な立場にたっている彼女。たまっていること、語りたいことが山ほどある。と研修前に言っていた。 これは、おいしいもんを食べながら語り合うしかないな、と思い「どんなところに行きたい?」と聞くと「大阪らしいベタなところ」という返事。
持ちネタはいろいろあるが、その中でも最もベタな「でんたこ」に案内してみた。 ここは「大阪のおばちゃん(笑)」がやっているたこ焼きやさん。たこ焼きだけじゃなくって、「おばちゃんの作るおかず」も楽しめる。 私の友人達が、中学校の頃から通っているお店。 大阪の下町にあり、お金の無かった頃は友人達は「おばちゃん、おでんの汁10円分飲まして」(!)なんて通っていたお店だ。
大阪を訪れるのは二度目の彼女は、そんなベタなお店に行ったことがなかったらしく、いたく気に入ってくれた。 たこ焼きやエビ焼きを「おいしい、おいしい」とほおばりながら、日頃思っていること、悩んでいること、をだーーーーーっと語り合った。 酒は口をなめらかにする人生の潤滑油。 なんて言った友人がいたけれど、お酒だけじゃない。おいしいものも口をなめらかにする人生の潤滑油。と言えるのじゃないかな。
「でんたこ」の「おいしいもん」のおかげで、いい時間が過ごせた。 たっぷり食べて、たっぷり語りあった後、ちょっとすっきりした顔で笑顔で手を振った後輩。
「大阪らしさ」味わってもらえてそして、いろんなことが「すっきり」してよかったな。 私、なんだかんだ言いながら生まれ育った「大阪」がすごく好きだから人に「大阪」を喜んでもらえるととってもうれしい。
高校三年生の夏休み、受験するか推薦を受けるかもはっきりしぼりきらないまま、世間一般と同じように、いわゆる「受験生」をしていました。
予備校に通って、自習室で勉強したり、近所の図書館で、本を積み上げてみたり・・・。 我が家では「寝る時にしかクーラーはつけちゃいけない」という不文律がありましたが、「勉強」という印籠をふりかざし、夕方から涼しい部屋で勉強したり、息抜きしたり・・・。
そんな汗かき知らずだった快適な夏が終わる頃、ある日突然、発熱。
まる三日間、39度の熱が下がらなかった。
うんうんうなりながら医者に行くと、先生は一言「クーラー病だね」 楽をした分だけ、体は馬鹿になってしまい、体温調節機能がある日突然ぶっこわれたらしい。
その日から、私にとって、クーラーはとってもすてきな文明の利器であるとともに、体の敵になってしまった。 とってもクーラーが好きなのに、長時間その中には、いられない。 真夏でも、片時も長袖を手放せない。 一日のどこかで大量に汗をかいておかないと、熱が体にこもって発熱となる。
そんな私は、昼はウールのカーディガンにひざ掛け毛布・・・という冷え切った職場で働き、夜は扇風機ひとつで汗だくになりながら過ごす。
うーん、これって、体によくないような気がする・・・。 もう少し、バランスのいい温度の中で一日を過ごしたいものだ。
またしても、台風がやってきているらしい。
今回のは、和歌山沖で、熱帯低気圧から台風に昇格したやつだ。 天気図でみると、ちっこいけれど、台風は台風。帰る頃には、すごい風になっていました。
なんとかかんとか、自転車をこいで近くの駅から帰っていると、骨組みだけになった傘がふたつも地面に転がっていました。
傘おばけ。 そのふたつの傘おばけは、ちょっとさびしそうに見えました。 ひろってあげるわけにもいかず、自分の傘が傘おばけにならないように、気をつけながら帰りました。
雨も風も、夜が更けるとともに勢いを増してきました。 今年はこれで、何個目の台風だ? あきらかに、おかしな気候だなあ。
いくつになっても、妹は妹なんだなあ。
当たり前だけれど、そう思った一日でした。 妹よ。 お誕生日、おめでとう。
今日はびっくりすることがありました。
ああ、それはずるいよな〜・・・と思いながら、なしくずしてきにいい方向に気持ちが転がっていくのがわかりました。
作戦勝ち、だなあ。 完璧に一本とられました。
今日は朝から、 死がわかつものと、 生きていく力と、 肉体の持つ力について考えた一日でした。
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