* たいよう暦*
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台風の後で、空気中の塵がぜーんぶ吹き飛ばされたのか、月がとってもきれい・・・! 本当はおとついが十五夜だったらしい。 今日は、十七夜。 それでも欠けてることを感じさせない、きれいな丸いお月様でした。
あまりにきれいなので、帰ってからベランダに出て夜空を見上げて、一人でお月見。 今月は、こうやって夜空を見上げることが多かった。 気持ちに余裕があったってことだなあ。 今日で九月は終わりです。 私の好きな本格的な秋が始まる十月。 楽しい予定が目白押し。 さあ、秋をたのしむぞっ!
「台風大阪直撃」 と天気予報で言っているというのに、我が課は転勤する東京の同僚の送別会。 「帰ります、台風来てるし」 というと、 「8時前後に大阪近くに上陸やで。去るまでおろや!そのほうが絶対安全やで。夜10時ぐらいに帰ったらきっと雨もやんどるわ」
確かに。 なんだかんだ長居して、席をたった夜11時には雨もほとんどやんでおり。 台風なんてどこにも見当たらず。 うん、なかなかかしこい台風から身の安全を守る方法。
台風のかけらも感じられない弱い雨の中を、いつものように帰っていきました。 (ただし、家では約一名、台風の中宴会に参加するなんて、信じられない!と怒っている方がいらっしゃいました・・・(笑)。ので、ほんとに正しい身を守る方法かどうかは疑問の余地あり)
友人のHPに住んでいた「ハーボット」がとてもかわいくて、 飼ってみたいなあ。でも、HP持ってないと飼えないんだよね (ハーボットはHPの更新内容を餌にするペットなので) とふと言った私に、 「HP作ったよ。ハーボット飼えるよ・・・!」 と、友人が思いがけずプレゼントしてくれたことから始まった、HP。 今日、「たいようのしっぽ」が生まれて、一年です。
なにかを表現したくて始めた・・・というよりは、ペット(ハーボット)を飼いたくて始めたHPなので、何をどういう風にしたらいいのかわからなくて、迷いながら、探しながら、ゆっくりとスタートした、初めてのHPづくり。
そのうちに、「たいようのしっぽ」を通して、「日常」を表現することを、おぼえました。
なんということない平凡な一日。ってのはどこにもないんだ、いつもなにかがあるんだ、って改めて気づかせてくれた友人に、感謝。
自己を表現する場がある。 そうして自分の表現したものを見てくれる友人がいる。 そこから、なにかがはじまる。 この一年は、そんな毎日を過ごせました。
たくさんの感謝を、読んでくれている友人と、遊びに来てくれているすべての人に。 これからも、ささいな日常を、かけがえのない日常として表現していきたい。
小さい頃から、釣り好きの父に家族みんなでよく海に連れていかれていたけれど、ほんとうは、釣りがあまり好きじゃなかった。 人より鼻のきく私にとって、あの餌とか道具とかの生臭いにおいが苦手だし、潮風で体や髪がべたべたしてくるのもうんざりしてくる。 大体、虫が全く駄目な私にとって、餌がごにょごにょした虫だという時点で我慢がならないし、夕方の堤防には「船虫」とかいうわけのわからない気持ちの悪いものが、こりゃまたごにょごにょ動き回っていたりする。 あーんな広い海で、あーんな針一本たらして、魚が食いついてくれるわけがないと思うし、現実に(私の針には)くいついてもくれないし。
でも、釣りたての魚はたまらなくおいしくて、その上とてもうつくしい。 そして、大人になってからは、海を眺めてぼーっとしたり、太陽が沈むのをゆっくり眺めたり、よせてはかえす波をひたすらみているのも、楽しくなった。
そんなわけで、釣りにいく?と誘われると、断らないことにしている。 釣り上げることが目的じゃなくて、ひたすらぼーっとすることが、目的で。 竿先を眺めるよりも、あらぬ方向を眺めていることに大半の時間をついやすために・・・。
ところが、こんなやる気なしなし釣り人の私も、太刀魚釣りの時だけは別。 闇夜に銀がぎらぎら光るこの魚の時だけは、がぜんやる気を出してしまう。 なんといっても、餌が「わかさぎ」で、「虫」じゃないのが、いい。 そして、この魚は釣りたてがたまらなく、おいしい♪ 太刀魚のお刺身なんて、じゅるりんじゅるりん、よだれが出てしまいそうになる♪ 長さのある魚だけあって、つりあげるときの気分は、ハワイあたりで大きな魚を釣り上げる松方弘樹ぐらいになっている。がっつん!という手ごたえが楽しい。
というわけで、今日はまじめに釣り三昧。 おかげで、大きな太刀魚を二匹ゲット♪ 明日の晩御飯は、塩焼きとお刺身だぁ〜! たのしみ、たのしみ♪
お誕生日、おめでとう。 おめでとうの気持ちを、ふかくふかくこめて。 コロッケを作って、プレゼントしました。 へんなプレゼント?
夜になって、愛車を走らせました。 明日小さなリニューアルをする予定の私の”すみれちゃん”。 今の装備に愛着があるので、この装備でお出かけするのは、今日で最後かと思うと、なんだか愛しい。 でも、変化も悪くはないと思う。 と、自分に言い聞かせてもいる。 実は、愛着あるものとは離れられない性分なので、悪くもなっていないのに交換するのにはとっても抵抗があるのだ。 じゃあ、やらなきゃいいのに・・・ともいえるけれど、でも、せっかくだし、小さなリニューアルも悪くないと思うし、交換するんだ・・・、明日! いままでありがとう、とその部品に。 失うものもあるけれど、また、新たに出会うものもある。 変化を恐れてはいけない。 なあんて、部品の交換にちょっと大げさかあ。でも、ちょっとした交換でも、私は感傷にふけってしまうたちだ。 ちょっと悪いクセ。
今日は、きのう補充した元気を、その8割がた使ってしまったかんじ。 決算前の会社というものは、なぜにこんなにばたばたするのだろう。 もっとも・・・決算前にばたばたしない会社もどうかと思うが・・・。 それでもやっぱり、頭も神経もすごく使うこの時期は、ぐったり疲れるし全部を消耗”される”かんじがして嫌だ。
会社は会社、プライベートはプライベートとすっぱり切り離すことを信条にしているけれど、会社にいる時はいる時でプロに徹していたいし、全力を傾けていると思う。 そうすると、夜も更けてくる頃には電池が切れ、家に帰るとただごはんを食べて眠るだけでプライベートがなくなってしまう。 平日そういう日々を続けていると、かーっとストレスがたまり、仕事が忙しければ忙しいほど、休日はたまったストレス発散のためにでかけることになる。 そうすると、ストレスは発散されるけれども体の疲れは蓄積され・・・・。 うーん、ジレンマ。 心も体も元気であることが理想だけれど、それでもどちらかしかとれない場合は、心の健康が優先。 ということで、どんなに疲れていても、休日遊びに行ってしまう私を家族は責めるけれど、これは心の健康のために仕方ないことなのです!ときっぱりはっきり言い切って、また今週も出かける予定にしている。 しかたない、しかたない。 心の健康のためだもの・・・?!
ずうっとずうっと休みなく、仕事と遊びに飛び回っていた私にとって、今日は9月に入って初めての予定のないお休み。 たくさん、たくさん、心と体を使ったなあ。 なーんにもせずに、本だけ読んで、そして一日寝てすごした。 元気を補充。 人間たまには、なあんにもしない休日も、大事だねぇ〜。
言葉というものは、刃物にもなるし命綱にもなる。 使い方ひとつ。 言葉に敏感でありたいと思うけれど、敏感でいたいがゆえに、ふと投げつけられた言葉に傷つきもする。 それでも、言葉に敏感でいたい。 と思う私は、言葉に救われたこともたくさんあるからだと思う。
上場ベンチャー企業の役員で、38歳にして年収1億円、という人と話す機会にめぐまれた。 どんなおもしろい話が聞けるかな、とちょっとわくわくしていたのだが、どこまでいっても自分のことと、そしてさりげなさを装っていながら、実は全然さりげなくない自慢話しか出てこない。 最初は話を聞いていたけれど、途中であきて放り投げてしまった。 ここ数年で、一番無意味な3時間を過ごしてしまったなあ、と私的にはかなりつまらなかった。 一緒にいた人の中にはきゃいきゃい盛り上がっている人もいたから、単に私の興味のない話だっただけのことなのかもしれないけれど・・・。 「貧乏人のひがみ根性もあったんじゃないの?」 というコメントが、とある方からやってきたけれど・・・うーん、そういうわけでも、ないと思う。 年一億稼ごうが、ゴルフ場を持っていようが、クルーザーを持っていようが、NYに年10回行って庭のようにすみずみまで知っていようが、南青山に住んでいようが、そんなことだけ説明されても、私にはひとつもおもしろさを感じなかったんだもん。 いっぱいいっぱいかざりたてた、くじゃくっぽかった。 「羽」じゃなくて「なかみ」に魅力ある人のほうが、どれだけ美しくみえるだろうと、私は思うけれど・・・。 でも、くじゃくの羽の美しさを愛する人も、世の中にはたくさんいるらしい。
小さな小さな友人の写真がいっぱいつまったアルバムを、きのうの夜から何度も何度も見せてもらいました。
そこにおさめられている写真の一枚一枚を見るたびに、いろんなことを思い出す。そして、いろんなことをまた思う。
一枚一枚が、私にとっても特別な大切な宝物だ。
どこまでも、くつろいで。 どこまでも、心をひらいて。 ただ、そこにいるだけでいい場所がある。 というのは、とてもうれしいことだなあ。
自分がそこにいることが、とても居心地がいい。 そんな面々と、真夜中を過ぎてもわいわい騒いでいた。
たのしい二日目の夜もふけた。 顔を見ているだけで、安心する夜もある。
ハタチになるまでは、家にいることが好きで好きで好きで好きでしょうがなかった。 暇さえあれば家にいて、気に入りの本をかかえて家中でごろごろしていた。 ハタチを過ぎたら、環境がかわったこともあり、それまでの反動か家にいないでいることが嬉しくて嬉しくてたまらなくなった。 休みといえば、あっちへこっちへ、飛んでいってそれまでの知らない世界をのぞきまわって、自分の領土をちょっとづつ広げていった気がする。
そんな私は、少し前まで三連休といえば、「どこかにいかなきゃ損だ」なんてつまらない考え方を持っていた。 どこかへ出かける、じゃなくて、どう過ごすか、ということの方が大事なのにね。 なんだか、予定のない休日や、遠出しない三連休は損した気分になったものだ。
今日から始まる三連休は、どこにもいかない。 私はずっと、大阪にいる。 そして、訪ねてきてくれる何人かの友人を迎える。 久しぶりにあう友人や、会いたかった友人や、ほんとうにしばらくぶりに会える友人。 どこにもいかない、三連休。 でも、うれしい三連休の始まりだ。
今日は、おいしいごはんをわいわい食べて、楽しく過ごした。 いい三連休のはじまりはじまり。 どこにも行かない、なんていいながら、近場でお泊り。 夜中までみなでわいわいするのが、とても楽しい。 こんな三連休の過ごし方を楽しめるようになったことも、うれしい。
「音楽を聞きにいくというよりは、言葉を聞きにいくかんじ」 という友人の言葉に惹かれて、でかけていったライブハウス。
ライブハウスというところは、音をじゃばじゃばかけてもらったうえに、さらにシャワーのようにあびる感じなんだなあ。と楽しかった。 音にのって聞こえてきた言葉も、心地よかった。言葉を、文字で読むのではなく、音にあわせて聞くのは、芝居の台詞を聞くのとまた違って、響きがおもしろい。
音に囲まれるなら、なんだかお酒に酔っ払うのも楽しい気がして、いつもならウーロン茶を飲むところを、カクテルを頼んでみた。 案の定、半分も飲まないうちに、音楽を聴きながらうつらうつらしてしまったけれど、音楽の船にのっているようで、その揺れがまた楽しかった。
体の奥底から、音がずんずん共鳴するかんじ。響くかんじ。 ライブハウスって、楽しいんだなあ。
ちょっとよっぱらいながら、音と言葉を楽しんだ夜でした。 芸術の、秋!
社会人になって一時期、困ったことに特定のものしか食べられなくなったことがある。 あの時期は、自分にとっては短かったけれど、友人にとっては長かったようだ。 「あの時、ほんとうにサラダとプリンばっかり食べて夏を乗り切ってたよね」 と、夏にもしっかりごはんを食べるようになった私の姿を見て、何度もいう。
そうだ。 あの時は、本当に毎日毎日お昼ごはんにサラダとプリンだけを食べていた。 気が向くとスープや冷奴をつけていたけれど、あくまで主食はサラダとプリンだった。 あれはなんだったのだろう。 なにかが自分の中で、がらがらとくずれるかんじ。それに頼らなければ、なんともならない感じ。自分の中でなにかがあったのかもしれない。でも、いまだに自分のことであるのにわからない。
ところがあるとき、つきものが落ちたように、あっというまにごはんを食べるようになった。 お昼ごはんに、サラダとプリンを買いにいくことはなくなった。普通にお弁当も持っていくようになった。 あれは、秋の風が吹き始めたころ。 突然、おいしいものを食べたくなったのだ。 たきたてのごはんの、あったかい湯気。 ことこと煮込んだ煮物のうまみ。 そんなものが、恋しくなり、食べてみるとほんとうにあっという間に体にしみいった。 そして、自分に対してひどいことをしていた食生活は、なんとか終わりになった。 今は、いつでもどこでも、おいしいものを、おいしくいただけるようになった。 ちょっぴり夏ばてすると、やっぱりサラダやプリンにたよってしまうこともあるけれど、それに依存してしまうことはなくなった。 秋の風は、私においしい生活を取り戻させてくれたのだと思う・・・。
・・・というのを、今日さんまを食べながら思い出した。 さんま。秋の味。 あのまま、プリンとサラダの生活を続けなくてよかったと、この秋の味覚を味わうと本当にそう思う。 おいしい生活は、ゆたかな生活だ。
生まれて初めてみた競馬というものが、かの有名なオグリキャップの引退レースであった有馬記念。
その時まで「競馬」というものを一度も見たことがなかった私は、 「オグリキャップ」という馬がどんなに強かった馬なのか、 けがで故障を繰り返し、かつての強さがなりをひそめていたのだとか、 天才武豊の騎乗で、最後の有終の美をかざらせてやりたいんだけど多分ムリだろう、とかなんにも知らなかった。
たぶん、あの日はクリスマスイブだか、その前日だったかで、ケーキを焼いていたのだった。 卵白を一生懸命泡立てている時に、たまたまつけていたテレビでファンファーレが鳴り、地鳴りのような歓声を聞いた。 「どうしても、勝ってほしいですね」 というようなことをアナウンサーがいい、 「どうしても、勝たせてやりたいですね」 というようなことを、ゲストが答えていた。
どうやら、すごーく強かった馬が、すごーく弱くなって、このいちレースで引退らしい。 という内容を知ることができた。
頂点をきわめた馬が、どん底にまで落ちてそこで引退。ちょっとそれは悲しすぎる。 なんとかしてやりたい。 せめて、最後は勝たせてやりたいなあ。
一分前まで競馬を知らなかった私ですらそう思ってレースを見守ってしまったのだ。 あの有馬記念の会場にいた競馬ファンはどれだけそう強くそう願っていたことだろう。
勝てるはずのない試合が始まった。 スタートを、かたずを飲んで見守った。 なんだかよくわからないままに、ぐんぐんスピードをあげた一群の中から、するするっとオグリキャップは、抜きん出て、追随をかけるほかの馬達を振り切って、一番でゴールを駆け抜けた。 勝てるはずのない試合を覆した。 今まで一度も競馬を見たことなかった私にとって、それまでどん底に落ちていたことが信じられないようなレースだった。 その時、競馬場全部が、揺れていた。 「ゆたかコール」が「オグリコール」が、巨大なうねりとなって、競馬場を揺らしていた。興奮がうずまいていた。
勝ってよかったな。 有終の美を飾り、自らを伝説としたそのあし毛の馬は、どれよりも美しい馬だと思った。
そのレースから二日後、我が家に仔猫が迷い込んできた。 二日前のレースの感動が忘れられなかった私は、声高に「オグリって名前がいい」と主張したが、もちろん即却下された。 「じゃあ、キャップでもいいよ」 それも黙殺された。
「ちび太くん」(くん、までが名前)と名づけられたその猫を見るたびに、私は何度もオグリキャップの引退レースの感動を思い出したものだ。
ことほどさように。 私のネーミングセンスはこんなもんだ。 たかが知れている。 歴代のペットの名前も採用されたことは数少ない。 今日は自分の所属することになるチーム名を、みなで一生懸命考えた。 もちろん、私はたいしたことは思い浮かばなかったが、センスある友人達のセンスある発言によって、とってもいいチーム名がついた。
このチーム名を思い出すたび、私はきっとこの4人で小さなテーブルを囲んだこととか、後ろの席で騒いでいた人のこととか、ちょっと言葉のあやしいウエイトレスさんのこととか、おいしかった食べ物を思い出すに違いない。
チーム名は、できた。 活動内容も、できてきた。 さてさて、いいかんじ。 みのりあるチームになりますように・・・!
私が登った西穂は、独標(どっぴょう)から先は、ひょいひょいと気軽に行けないぐらいの岩場もあったし、登り下りの繰り返しのいわゆる「しんどい道」が続く。 だから、独標から先は、ぐんと人が減る。 でも、独標までは比較的簡単な道が多いので、ツアー客をたくさん見かけた。 高所が好きで岩場が平気な私にはなんとかなった道だけれど、独標の手前でも一部よじ登るような感じのところがある。 登るのも大変だけど、下るのは垂直に切り立っているように見えて、怖い人には怖い道だろうなあと思った。 案の定、ツアー客のおばさんが斜面にへばりついて、恐怖で一歩も下れなくなっていた。 もちろん、前後は大渋滞。 ガイドさんは、「一歩だけ前に踏み出しましょう」「ここ、ここは安定しています」と声をかけて誘導している。 なんとか、下り終わったそのおばさんが言うことには・・・ 「こんなところなんて、聞いてなかった・・・!」 前後で、長い間彼女が下るまで、ひたすら待っていた人たちに謝るより先に言った言葉がそれ。 ・・・・・自分で申し込んで連れて来てもらったのでしょう〜?と文句の一つも言いたくなった。 足がすくむのは、当然だと思う。 それによって、人によって登り下りに時間がかかるのは、当然だし、仕方ないことだと思う。 でも、それならそれで、人が少なくなるまで自分はよけて待つ、とか、人に道をゆずるとか、迷惑をかけない方法はいくらでもあるのだ。 山には山のマナーというものがある。 道をゆずりあったり、助け合ったり、小さな情報を交換しあったり・・・一つの山を共有するための、最低限のマナー。 そのマナーすら守れない一部の非常識なツアー客が、わからないままに無謀に山登りをして、マナーを守っているツアー客や、一般登山客に迷惑をかけるのはどうかと思った。
山はひとつ。 みんなで一緒にその山を楽しめたらいいのに、と思う。
生まれて初めてみた降るほどの星空というものは、きっと西表で見た空。 天の川が、あまりに濃いので、最初は雲がかかっているのだと思っていた。 街灯もほとんどない西表の闇の中で、見上げた星空。 闇だけど闇じゃない。 星明り・・・ってこんなにも明るいのだ。と、初めて知った。
西穂山荘の前ではったテントの中の小さな空気とりの穴から外をのぞいて、思わず声をあげた。 生まれて初めて体験した西表の夜をはるかにしのぐ星空が、自分の上に広がっていたのだ。 満天の、星。 すごい、数。 見上げている間に、きらきらと流れ星が流れていく。
すごいすごいすごい。
興奮していると、山歩きになれている山の師匠は一言。 「地表から2キロ以上上なんやもん、星空に近い2キロ近いんやで。 だからこんなにきれいに見えるんや」
宇宙に、ぐんと近づいたような気がした。 自分はちっぽけだけど、こんなにも宇宙とつながっている。
そんなことを思いながら、首が痛くなるまで、ずうっとずうっと空を見上げていた。 吐く息の白い寒い山の上で。 宇宙と自分と対話していた。 すごくすごくすごく心にのこった。
あさ一番の信州の空気は、間違いなくおいしい。 その空気をすいながら、靴紐をしっかり結びなおし、駐車場をあとにする。 いよいよ、一泊二日のテント泊山行の、はじまりはじまり〜。
ロープウエイに乗って、一気に高度をかせぐのは、一週間前の木曽駒ヶ岳と一緒。 でも、まぶしいほどの太陽の光と、澄み切った青空でがらりと雰囲気が違う。 先週もはれていればよかったのになあ。
ロープウエイを降りてから西穂山荘まで一時間半。 重い荷物をかついで登り、まずはテントを張る。 山荘に比べればごくごく小さなテント。 でも、何度みてもこの小さなテントが張られるたびに、自分の居場所が確保できた、と安心感がわくし、そしてなによりぴん!とはったテントがとてもたのもしく見える。 そのテントに荷物をおいて、いよいよ山頂を目指し始める。
私は、3000m級の山は、みっつしか知らない。 そのどれもが、最終的にはひとつの山頂を目指すものだった。 山頂まで延々登るし、ゴールはひとつだけ。 それが、山というものだと思っていた。 ところが、今回登る「西穂」は山頂までいくつものピークが続く。 つまりは、登ったり降りたりを何度も繰り返すということ。
・・・・といっても、それは登り始めてから知ったことで。
「なんで下るん?今までせっかく登ってきたのに!」 「次のピークがあるからやろ」 「次の見えてる頂上が、あれが、山頂?」 「まだまだ、こっからは見えへん。あのピークのまだまだ先や」 「これ、山頂?」 「まだやで」 「・・・・・うーっ☆」
そんなことを繰り返し、まずは「独標(どっぴょう)」までたどりついた。 ここは、山の頂上がにぎわっている。ツアー客も多い。 ところが、そこから先にそびえる山々に、人の姿はほとんどない。 後で話しを聞くと、「独標(どっぴょう)」から「西穂山頂」まで、大小あわせて13のピークがあるそうだ。 (先に聞いていなくてよかった!聞いていたら途中で挫折したかも・・・!)
独標の独特のシルエットに別れをつげ、ピラミッドピークと呼ばれるピラミッドそっくりなシルエットの山を越え・・・。 心構えさえできてしまえば、登って下って・・・を繰り返す方が、登りばっかり、下りばっかりよりはるかにおもしろいことに気づいた。 楽しい。山を次々に征服しているかんじ。 でも、おもしろいのと体力とは別問題の話だ。 山頂の手前で、だいぶ疲れてきた。
ちょうどそのとき、ヘンな鳴き声が聞こえたなあ〜と思っていると・・・雷鳥! 写真でしか見たことのない、茶色のまだらの、あの雷鳥が、目の前を親子連れでほてほて歩いている! 誰にもおびやかされたことのない彼らは、人間が近づいてもほとんど逃げない。 そのぼうっとしたところに心和まされる。というか、妙におかしい。 人間に気づいて、あれ?ってなかんじでぼうっとしている。 そんなにぼうっとしていて、大丈夫かい?なんてこちらが心配になってしまうほど。 カメラを構えて、何枚か写真をとっているうちに、休憩もかねてだいぶ元気になってきた。
そこからもうひとふんばりして、ようやく、西穂山頂にたどりついた。 青空を背に、はげはげの木に「西穂山頂」とかかれている。 山頂には、誰も人影がなかった。 青空が、近い。 わたる空気はどこまでも澄んでいて、冷たくて気持ちいい。 どこまでも静かで、風の音だけがひびいている。 山頂でただ風に吹かれ、ゆっくりと時間を過ごした。 いい時間だと、いつも思う。
また、こうやって、こんな時間がもてますように。 いつも、山頂で、そう思う。 そうして、私はまた山に向かうのかもしれない。
明日の山登りと、今日の夜の運転のために。 一日寝て過ごしました。
・・・・・・体は、十分元気になったけれど。でも、ちょっとなまけすぎて本来の調子を狂わせてしまったかも・・!
緊張しているせいか、何度も何度も目を覚ましながらの昼寝でした。 そんな具合なら起きてなにかしている方がよっぽどいいのに、それでもなにか「眠り」が「活力の源」のような気がしてならなくて、 無理やり寝ていました。
・・・・いいのかそれで?!
結果は明日の成果に反映されるはず。
月曜日お休みしようと思うと、鬼のような忙しさだった。
休みの前の忙しいさなかには、決まって「アリとキリギリス」を思い出す。 今、のちのち困らないために、アリのようにがんばっているんだ、と自分の中で言い聞かせている部分があるようだ。
ずいぶん小さい時に読んだ(聞いた?)話だと思うのだけれど、こんなときに思い出すほど体にしみついているとは、なんて教育的寓話なんだ・・・! あの話、知らない人はきっといないだろうな。 みんな、いつどこで読んだのだろう・・・?
今日はアリのように、こつこつがんばりました。 明日の晩から、信州の山!
はやくも緊張してきました。
どきどきどきどき。
どきどきのあまり、いつもはなかなか準備しないのに、もうやりあげてしまいました。
緊張の度合いが知れるってもんだ。 ふぅ。 どきどきどきどき。
歌よりも「ことば」を聞きに行く感じ。 という友人の言葉がとても新鮮だった。 その言葉づかいに惹かれて、「芸術の秋」がひとつ決定。
たのしみだなぁ。
またしても、台風。 かぜが、ものすごい。 自転車をこいでいると、前にすすめない・・・!
まるで漫画の中のひとコマのようでしたが、ほんとのお話。 自然の力って、すんごいなあ。
関西で生まれ育った私にとって、「湖」といえば「琵琶湖」。 といっても、子供の頃は連れていってもらった記憶はありません。 社会人になってから「琵琶湖を見たことがない」というと、大笑いして友人が連れていってくれたのが最初。 対岸の見えない琵琶湖は、「海だよ」と言われるときっと信じる広さで、それが私の中の「湖」の基準。
今日は「諏訪湖」と「白樺湖」をぐるりと一周してきました。 湖をぐるりと一周。 初めての体験でした。 こうやって、気軽に「ぐるりと」できるのが、いわゆる湖なんだろうなあ。 なんて思いながら、それでもやっぱり「ぐるりと」ができない琵琶湖が自分の中の湖の基準であった私にとって、なんだか、違和感のある一周でした。
対岸が見える。 これって、当たり前なんだろうけれど、それもやっぱり「変な気分」。 琵琶湖って、いまさらだけど、湖として飛びぬけでっかかったんだなあ。
よその土地を訪れて、初めてわかる自分の見知った土地のこと。 旅をすると、そういうものと一緒に、自分のこともいろいろと見えてくる。ような気がします。
いろんな意味で、いい旅でした。 あ〜、楽しかった・・・!
今日やったことと言えば・・・
松本に住んでいる友人と再会してイタリアンレストランでだらだら3時間おしゃべり。 温泉。 明日の朝ごはんを買って、ばんごはんを食べる。
そんな旅としては「薄い」一日だったけれど、 前日の登山の達成感と、 前夜のよっぴいてのおしゃべりと、 友人との久しぶりの再会と、 いい温泉と、 おいしいごはんが揃えば、 味のある一日になりました。
旅先で大雨に降られると、えてして悲しい気持ちになるものだけれど、今日はそんなふうにはちっとも思わなかったなぁ。
旅は明日まで。 あと、一日。
交代で運転をして、目的地に到着。 車を降りると、朝5時のぴん!とした空気。 大阪では感じられない、澄んだ冷たい空気だ。 間違いなく、信州にきたのだなあ、と肌で感じた。
あせらず、あわてず、ゆっくり仮眠をとってから山の頂を目指す。 2612mまで一気につれていってくれるロープウエイに乗ると、今にも泣きそうな空に、ガスでけぶった山。 残念だけれど、それでもまだ泣き出さないだけ、まし。 登り始める前に、まずは腹ごしらえ・・・と、友人のリュックから出された朝ごはんを見て、びっくり仰天!そして大爆笑! なんと、顔の半分ほどもある大きな大きなおむすびが、二人分出てきたのだ。 きのうお見送りをわざわざしてくれた方から、友人に託されたおにぎり。 「がんばるんだよ」って励まされているみたいで、なんだか、うれしくなる。
千畳敷カールと呼ばれる、夏は一面お花畑となる道をゆく。 残念ながら、高山植物は時期が過ぎていたけれど、美しい緑が広がっている。 すぐそこの緑は見えるけれど、目指すべき山の頂は、乳白色のガスにはばまれて見えない。 一歩一歩、ゆっくり歩を進めていく。
進めど進めど、ガスはどんどんひどくなるばかり。 まわりの景色は、全然見えない。 自分の足元だけをしっかり確認しながら、歩く。 段々とガスがひどくなり、後ろを歩く友人の姿も、少し離れると見えなくなる。 人より遅くに出発したせいか、行きかう人もほとんどおらず、ただ静かに乳白色につつまれた景色の中を、歩く。 自分ひとりで、この場所に立っているような・・・白い闇。
分岐点では 「こっちかなあ」 「こっちじゃない?」 友人と相談しながら、道を選択して、進む。 今までたった一人でいるような気持ちでいたけれど、すぐ後ろには友人がいるという安心感がわいてくる。
ガスは霧になってきて、髪の毛がしっとりぬれる頃、頂上についた。 もちろん、乳白色のガスでなんにも見えない。 それでも、不思議と達成感があった。 山頂の目印の前で、ぱちり、ぱちり。 記念写真を撮る。二人とも、笑顔。 なにも見えなくたって、いい。 二人でひとつひとつを積み上げて、自分達の手で頂上にたどりついたことが、ただ嬉しい。
山頂は風がきつかったので、少し下った中岳で、塩ラーメンを作る。 朝食べ切れなかったおにぎりも用意する。 塩ラーメンは、駒ヶ根SAで、わざわざ追いかけてローソンの場所を教えてくれたお兄さんのおかげで手にいれることができた。 塩ラーメンを作るコンロは、友人の父からの借り物。 塩ラーメンを入れるコッヘルは、私の山の師匠からの借り物だ。 おにぎりは、お見送りをしてくれた方から私達への贈り物。 二人で登ってきたんだなあ、と思っていたけれど、実は二人じゃなくていろんな人に支えられての登山だったんだなあ、と湯気あがる塩ラーメンや、おいしいおにぎりを食べながら、ほわっとした気持ちがわいてきた。
今までは、つれていってもらうのが「登山」だった。 今回は、自分達の手で、そして支えてもらって、登ってきた。
アルピニスト初心者。 また、ちょっと違う山との付き合い方ができた一日だった。
ずうっと、にらめっこしていた天気予報図。 状況は、どんどん悪くなるばかり。
「予定を早めて、今夜出発しよう」 金曜日のお昼、急遽予定変更が決まった。
ほんとうは、土曜日の朝から、のんびり出かけて、日曜日に登山を決行する予定だった。 アルピニスト初心者の私たちの、ムリのない計画。 でも、このままじゃあ、降水確率80%にはばまれ目的を達成することができない。
仕事を大急ぎで、終わらせ、準備を整え、まずは集合場所まで愛車’すみれちゃん’を走らせる。 急遽決まったばたばたした出発と、初めての初心者二人での登山旅へのスタートに、ちょっとどきどき。
ちょっと緊張したまま集合場所に到着すると、見送りに来てくれた二人がいた。 いつもの笑顔と、いってらっしゃい、の言葉にちょっと元気がわいてくる。
いってきます・・・!
こうして、二人のアルピニスト初心者の旅は始まった。
とてもいい夕焼けを、見た。 心に元気がわいてくるような。
ただ、広い景色を、ぼうっと眺めて。 ただ、落ちていく太陽を、ぼうっとみつめていた。
そんな、心のゆったりするような一日の終わり・・・・になるはずが、自分のささいなきっかけからがらがらと崩してしまった。 「小さな失敗」を重ねてしまった。
反省、反省。
はぁ〜。
毎日、天気予報とにらめっこ。
がんばれ、がんばれ、高気圧!
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