* たいよう暦*
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「平原をぱふぱふ歩くスノーシューハイキング」を想像していた私は、 きのうは「濡れないこと」を第一目的に、ボードブーツでスノーシューをしていました。
それが大間違いのもと。
実は「トレッキング」だったので、登り坂も下り坂もたくさんたくさん。 「トレッキングシューズ」持参で臨んだ友人達は完璧だったけれど、「ボードブーツ」では登りも下りもふんばりがきかなくて足も痛い。
途中からは、靴紐をゆるめたりしめたり小手先の技で対応していましたが、全然意味なし。下山途中からはほんとうに足が窮屈で窮屈であちこち痛み始めました。
そして、今朝。 「うっ・・・・いたい」 朝目覚めてトイレに行こうと歩いただけで、びりびりと痛い足。 階段を降りるだけで、悲鳴をあげる私のふくらはぎ。
やっぱり、早く「頼れる相棒」=「自分にぴったりの登山靴」を探さないといけないな。
痛む筋肉に顔をひきつらせながら、ボードブーツを箱にしまいました。 頼れる相棒がいたらからといって、筋肉痛にならなかったかどうかは、謎だけれど・・・。 でも、謎はいいわけにできます。 よかった。
2004年02月28日(土) |
初あそび:スノーシュー |
ぱふぱふぱふぱふ。 誰も足跡を残していない、新雪の上につく自分だけの足跡。 木立の間や、道ならぬ斜面を、自由きままに歩く楽しさ。 ふむ。 ’スノーシュー’というのは、なかなか楽しいものですな。
そう思いながら、今日は比良山で「ぱふぱふ=スノーシュー」を楽しんできました。
スノーシューとは、’西洋式かんじき’のことで、靴をはいた上にふたまわりほどでかい’足の裏’のようなものをつけると、雪深いところでも沈まずにどんどん歩いていけるというおもしろい道具。 それで遊ばないかと友人に誘われたのが先月末。 ここ一週間の異常な暖かさやお天気を心配していたけれど、まだまだたくさんの雪が残っている比良山上で楽しく遊ぶことができました。
「スノーシューハイキング」だと思って行ったら 「スノーシュートレッキング」コースだったので、想像していたよりもずっとハードな体験と相成りましたが、それはそれ。 なかなかおもしろかったです。 のぼりの坂道も、下りの坂道も、誰もいない斜面も、アイゼンをつけた登山家達があるいた道も。 どこもを「道」にできるおもしろさ。 最初に靴につけた時は、「じゃまだなあ」と感じた「スノーシュー」という道具が、逆に雪上では自分を自由にしてくれる道具にかわるおもしろさ。 なかなか奥の深い、楽しい遊びでした。
そして、雪山から降りた後は、友人宅でお鍋。 雪山の興奮さめやらぬまに見た シルベスタ・スタローンの「クリフハンガー」が、宴会を更に楽しく盛り上げてくれました。 いくら、スタローンでも、あのTシャツ姿で雪山をクライミングするのは・・・どやねん! と大盛りあがり。
宴会を盛り上げてくれた、スタローン。 どうもありがとう。 そして、ほぼ初心者ばかりの大所帯を率いてくれた、リーダー二人にも・・・ どうもありがとう。 たのしい一日でした。
小さな友人に教えてもらった絵本ですが、これがとにかくおもしろい。 なにげなく読み始めたのに、あっという間にはまってしまいました。
どちらかというと「おはなし」を楽しむ絵本が多い中で、堂々と「絵」で勝負する絵本。 それでいて、きちんと「絵」が「物語って」いる。 すごい力をもった絵本だなあ〜。 久しぶりに出会った新しい世界に、わくわくしてしまいました。
この絵本をで一番新鮮だったのは、 「主人公以外にも物語は平等に訪れる」ところ。 主人公二人だけではなく、登場人物(たとえば、とある場面ですれ違うだけの人でさえ)全てに平等に時が流れ、その人その人の物語が場面場面で必ず描かれている。 決して主人公だけの物語ではないのだ。
この人は、この人がこうしている時、実はこうしていました。
私たちの人生には、当たり前のこと。 見る角度によれば、誰もが主人公で、誰もが物語の中心。 誰もが一生懸命で、誰もいらない人なんていない。
「一人一人みんな大事なんだよ」 作者が語りかけているような気がしました。
「・・・・すっぱくない!」
飲み始めて、6日目。 ついにその瞬間がやってきました。 うれしいけれど、ちょっとかなしい。 クエン酸飲料が、全然すっぱく感じない。 むしろ、ほの甘い(!)。
体が酸性になると、クエン酸のすっぱさを感じなくなるそうです。
きのうは母が旅行に出て留守。 父も妹も外食。 というわけで、自分の好きなものだけが食卓にならびました。 野菜あんかけ。 ほうれん草のおひたし。 肉じゃがの残りのにんじんとじゃがいも。
野菜づくしの晩御飯のおかげ・・・で、すっぱくなかったのかな。 体の反応の素直さに、ちょっとびっくり。
2004年02月25日(水) |
今日は30通「も」読んだ |
INVESTIGATE 調査する PURCHASE 買う、購入する SOLVE 解決する
今日調べた言葉の一部。 いつか、使わなくっちゃ。 ということは、ちゃんと覚えておかなくっちゃ。
「もしもし?」 「はいはい、おつかれー」
普通に携帯に電話をかけたら、普通に声が聞こえてきた。 当たり前だけど。 でも、相手がいるのはオーストラリア。 それも、車に乗って移動中。
便利な世の中になったものだ。 というか、世界はせまくなったものだ。 でも、世界がせまくなったのは、ちょっとさびしい。
一目惚れ。 即、購入!
わずか100メートルほどの距離を歩くのに、ジーンズの後ろもカーディガンの背中も、しぼれんばかりにぬれていました。
傘さしていたのに。全然意味がなかったみたい。雨も風も雷もそろったすっごい嵐。
こんな雨のことを、わが家では「じゃんじゃん降り」という。 「じゃじゃ降り」の、もっとひどいやつのこと。
その言葉が「わが家だけの言葉」だと知ったのは、高校生の時。 それから何度か大笑いされた時もあるけれど、やっぱりこんな雨の日は使ってしまう。
「今日は、じゃんじゃん降りだね」 ほらね。 なんだか、かんじが出てるでしょ?
いらいらいらいらいら。
今日は、渋滞にひっかかって、とってもイライラしてしまいました。 いつからだろう?渋滞にイライラするようになったのは・・・
免許を取り立ての頃、とにかく緊張しまくりで運転していた私にとって、渋滞は天の助けでした。
「うう〜。やっと休憩ができるう〜!」
渋滞にひっかかる度に、かっちかちに凝った肩をもみほぐし、だらだら速度にやっと緊張をとくことができ、心ゆくまで堪能した渋滞。
「渋滞がうれしいなんて、おかしいよ」 友人みんなが口をそろえて言ってたけれど、あの時には、ほんとにだらだら進む車の速度が嬉しくて嬉しくて「あっ!渋滞だあ〜」とひっかかる度に嬉々としていた。
いらいらいらいら。 「うー!もうっ!」 渋滞を抜けたあたりで、少々運転が荒くなってしまいました。 あっ、いかんいかん。気をつけなくちゃ。 イライラの心を静めながら、待ち合わせの時間を気にしながら、注意して目的地まで愛車を走らせました。
ふう。渋滞、やっぱりイヤだ。 こういうのも・・・成長・・・?
● クエン酸飲料を飲む。 ●体内の疲労物質であるLー乳酸を分解し、疲労回復します ● 代謝活動が活発になり脂肪分を燃やしやすくします。 ● 老廃物もどんどん分解されます。 ● 尿・汗の量が一時的に増えます。 ● 老廃物が血液から無くなります(きれいな血液)。 ● 肩こり・便秘・冷え性が改善されます。
という「体にいいクエン酸飲料」を、昨日から飲み始めました。 「最近ほんま疲れまくりやー」と言っていたら、友人がプレゼントしてくれたもの。 水にとかして、飲みます。 これがなかなかすっぱくておいしい♪ と、思っていたら、説明書きを読むと、疲労のたまっている人、体調の悪い人はすっぱく感じ、健康な人は甘く感じるそうです。
体は健康になりたいけれど、「酢好き」ですっぱいものが大好きな私としては、すっぱくならなくなるのは、ちょっとかなしい。
今日で2日目。まだ、すっぱいです。
「車が・・・今日の朝、盗難にあいました(T_T)」 と、朝、友人からメール。
ええええええ?!?! あの、車が盗まれちゃったの〜?!?! ぴっかぴかの白のスープラが?!?! ががーん。と、私までショック。
友人が愛していたその車に、何度のせてもらったことか。 いつみても、すみずみまで手入れされて。 ぴっかぴかに磨かれて。 乗り心地は決してよくなかったかもしれないけれど(笑) その車から見える光景がとても好きだった。 そして、その車を嬉々として操る友人の運転が好きだった。
落ち込んでいるかな〜と電話してみると ちょっと空元気な友人の声が聞こえてきた。 想像してたよりは、元気そうでなにより。 でも、たくさんの想い出のつまったあんなおっきなものを突然奪われるなんて、ほんと、ひどい話だなあ。
車の盗難事件が増えているとは聞いていたけれど、こんなに身近な人で盗られた人ははじめて。 きちんと駐車場に止めて、そして、盗難防止グッズまでつけて、きちんと鍵かけて止めているのに、これ以上どう気をつけろというのだろう!
ほんとに、ひどいことする人は世の中にいるんだなあ。 返してあげてよ!私の友人のスープラくんを!!
2004年02月18日(水) |
ラブ・アクチュアリー |
「クリスマスを控えた数週間を舞台に、9つのゆるやかにつながったストーリと、総勢19人が織り成すの愛の物語」
なんて、書かれると、 うっひゃー、はっずかしい〜! と逃げ出したくなる。 普段の私なら、まず、そんな「愛」を題材にした映画には、近づきもしない。 ・・・どうも、照れくさくて。
ところがところが。 「最近、どうも心に栄養が足らん気がするねん〜。なんか、心がぎしぎししてるわ」 なあんて友人にこぼしていたら、 「じゃあ、ラブ・アクチュアリー観て元気になってきぃ!」 と力一杯おすすめされて、その「19人の愛の物語」を観る為に、映画館に足を運ぶことになってしまった。
これが・・・想像に反して、すっごいよかった。 じーん。心に沁みた。 間違いなく、心が、優しく元気になれたと思う。
「愛の物語」なんて、一歩間違うと月並みになりかねないのに、絶妙の角度で切り取っている監督(脚本家兼)の視線のおかげで、嘘がなくリアルに観る人に心の痛みや喜びが伝わってくる。 そして、「19人が織り成す愛の物語」じゃなかった。 「19人が織り成す’それぞれの愛のカタチ’の物語」だったのだ。 だから、照れなくて最後まで見ることができた。
誰の人生でも必ずドアが開き、光が差し込む瞬間がある。 そのせつない、そして幸福な瞬間が、優しいまなざしで描かれていた。 登場人物たちのせつない本音が描かれた物語に、思わず「わかるわかる」とうなずいたり、せつなくて胸が痛んだり、胸のあたりがあったかくなったり・・・。 いいとこどりだけをしているのではなくて、ちゃんと心の痛みや不純やずるいところが描かれているからこそ、いい映画だったと思う。
間違いなく、元気になれるよ。 ほんわか、優しい気持ちがわいて出るよ。
元気のない人。 心が疲れている人。 そんな人に、おすすめの映画です。
「あ〜!生き返ってるう〜!」
13日の金曜日に、上司に届いたアレンジメント。 いやいや、嫌がらせではない。 飲み屋のママからの一日早いバレンタインプレゼントです。 ところが、やっぱりどうも家庭には持ち帰りにくかったらしく(笑)、土日、お水ももらえずに会社に置きっぱなしにされていたらしい。 きのう私が出社したときには、お花全部が、しゅーんとうなだれていた。
お花だって生き物なのにー! あんまりだー!
すぐさま、洗面所へ連れていき、みずあげをして、ちょっきんちょっきん。 花瓶なんて見あたらないので、勝手にガラスのコップに生け直し、冷たいお水をそそいで、早く元気になればいいなあと日当たりのいい棚の上に置いておいた。
それでもなかなか元気にならずに、夕方になっても’ややうつむき加減’。 大丈夫かなあ〜と、心配していたのだけれど・・・
今朝、出社すると、きのうの元気のなさがうそみたい! はっぱの先まで、花びらの先まで、あきらかに元気になって、しっかり胸をはってガラスのコップの中でたっていた。
「あ〜、よかったねえ〜」
物は言わないし、動きもしないけれど。 それでも、お花も生き物だ。 動物に二日も餌やらない人はいないのにな。 とにもかくにも、生命力があって元気になってよかったなあ。
心と体に栄養補給して帰りました。
うーん、満足満足♪
2004年02月15日(日) |
今までで一番すごいチョコレート |
中学高校と女子高で育ちましたが、やっぱりそこにも巡ってきた「バレンタインデー」。
「愛の告白」なんてなかったけれど、 こっそり先生にチョコを渡す子がいたり、 かっこいい(!)」先輩に渡す子がいたり、 かわいらしい後輩が差し入れにくれたり、 友達同士で交換したり、 行きや帰りの電車の中での告白を夢見る子がいたり・・・。 校内はそれなりに楽しい一日となるのでした。
一緒にお弁当を食べていた友人達とは、チョコレートを持ち寄って食べるのが恒例になっていました。 もちろん、学校にお菓子の持ち込みは禁止ですから、こっそりこっそり。 その「こっそり」がおいしさに拍車をかけ、毎年やめられずに続いたその行事。
ある年のバレンタインデー。 「じゃじゃーん!!」 テーブルの上に出されたのは、手作りのチョコレート。 「おおおおお!」
「おっとこまえな性格」と「おっとこまえな外見」で後輩からも人気のあった彼女。 実は、手先が器用。 そして、凝り性。 お料理・・・というよりは、何か思いついて創意工夫をこらして作るのが好き。
「うっふっふ。中にとあるものを入れてみました。なんでしょう?!」 「アーモンド?」 「クランチ?」 「そんなアリキタリのもんじゃありませーん!でも、絶対ホワイトチョコにはこれがあうと思ってん!食べてみて〜」 「なんやろ?いっただっきまーす」 一同。ばくっ。
ぐにゅっ。じゅるっ。 ・・・・・・・・・・? ・・・・・・・・・・・!?
「うっわー。なにいれたん?これぇ〜?」 「まずい?」 「しょっ・・・触感がすごすぎる、これ」 「熱でとけて、水気でてるし」 「あかんか〜思いついたときは、絶対あうと思ってんけどなー」 「うーん・・・」 「ちゃんと皮もむいたし」 「うー」 「なんといっても、白と、ほら、色があざやかで合うと思えへん?」 「・・・・・・」
確かに、皮はむいていた。 確かに、色の組み合わせ的にはきれいだった。
でも。でもでも。 触感がすごすぎた。
それ以来、その組み合わせには出会ったことがなかった。 味はともかく、ちょっと触感がすごすぎるもの・・・。
ところが。 今日テレビにその組み合わせが出ていた! イギリスで、チョコレートフォンデュの材料として!! そして、おいしそうに出演者が食べていた!!!
チョコとオレンジの組み合わせ。 あの時と何が違ったんだろう? こっちはみかんだったけど。 そんなに違いがあるわけじゃあない。 やっぱり「からめる」のと「とじこめる」との違いかしら。
みかんとホワイトチョコの組み合わせ。 あの時は衝撃的だったのに、テレビで見るまですっかり忘れていた。 でも、テレビを見た瞬間、あの口にいれた時のものすごい触感がまざまざとよみがえってきた!
いや、まずくはなかったんだよ。 ほんと。 でも、今までで一番すごいチョコレート。 あれを超えるものには、まだ、出会っていない。
13日の金曜日は無事に過ぎたのに、14日の土曜日に、やってしまいました。ひさびさに。
ごめんなさい・・・・ 反省・・・ただただ反省・・・・。
だけど、なにごともなくおだやかな一日でした。 よかったよかった。
毎年毎年、むだだなぁ〜と思う気持ち半分。 感謝の気持ちをあらわすちょうどいい機会だなぁ〜と思う気持ち半分。
私の部署では、バレンタインに女性全員でお金を出し合って、男の人全員といつもお世話になっている業者の人に、チョコレートを送っていた。 業者の人には、全員で食べられるような種類が多く入ったものを。 同僚の男の人には、甘い物嫌いが多いのでハンカチや靴下を。
業者の人には、いつもお世話になりながらなかなか感謝の念を表す機会がないので、ちょうどいいかなと思いつつ、ホワイトデーのお返しが「すごすぎ」て申し訳なくなる。 同僚には甘い物嫌いが多いので、わざわざ小物を買いに行くたびに、そこまでする必要あるのかなあ〜とぶつぶつ。
今年はそのバレンタインが土曜日で、会社はお休み。
ちょうどいい機会だから、今年はやめてみましょうということが、全員一致であっさり決まった。 本当にあっさり決まったので、全員が必要と思っていなかったのに、なんとなく続いていたんだなあ。 全く無駄な行事を何年重ねていたんだろ。 なんて思ってしまった。
たぶん、来年もやらないだろうな。 たぶん、その次も。 きっと、もう義理チョコを買いに人混みでごったがえす売場にわざわざ足を運ぶことはあるまい。
そう思っていたのに・・・。 遊びに来た3才の甥っ子が、目を輝かせて私にむかって言った。 「バレンタインって、チョコがもらえるんだよね〜!ぼく男の子だから!」 うきうき。わくわく。 思いっきりうれしそうな顔で言われてしまった。
これは気持ちのこもらない「義理」チョコじゃないなあ。 気持ちのこもった「義理」チョコだなあ。 しゃあないなあ、買いにいったるか。
そして、今年もやっぱり、人混みでごったがえすチョコ売場に足を運ぶはめになったのでした。 でも、いつもと違って、ちょっぴり楽しい気分なのでした。
いいことと肩透かしと半分半分の一日でした。
「吉野家がすごい行列だよ」 と、会社のパソコンに友人が写メールを送ってくれた。
携帯の小さな写真からでも、十分伝わってくる人人人・・・。
発祥から一世紀。 思いもかけないことで、一時日本から姿を消す牛丼。 一度も食べたことはないけれど、今の私の生活からは身近だった食べ物。 まさかこういう形で消えるなんて半年前には、誰も想像もしていなかった。
「うちの業界どうなるんだろうなあ〜」 ため息まじりに語る人がいたけれど、この未曾有の大災難が、私にはちょっとおもしろい。 おもしろいなんていうと、真剣みが足らないと叱りそうな人もいるけれど、いや、真剣だからこそおもしろいんだけれど。 問題は山積みで、先行きも読めなくて。 この事態の着地点も定まらない中、予測をたてて問題解決にあたっていくのが、力量がためされているようでおもしろい。 一歩でも二歩でも周りよりも先読みして進まないと、なしくずし的にまわりと同化してだめになっちゃいそうな今。 頭と経験と想像力と行動力を使って、いろいろと動き始めている。
こんな時だからこそ。 だめになっちゃうか抜きん出ていくか、はっきり別れていく。
頭も体も使いすぎて、かなり脳疲労肉体疲労気味だけど、だからこそ、おもしろい。だからこそ、最後まで見届けたい。 さてさて、半年後。 どうなっていますかね。
2004年02月09日(月) |
失せ物みつかる・・・? |
お気に入りをなくすのは、心がすうすうする。
先々週の木曜日の帰り道、お気に入りをなくしてしまいました。 ずいぶん前に買ったものですが、暖かさも配色も肌触りも、とても気に入っていたので、かなり悲しかった。
あちこちに電話をかけたけれど、見つからずじまい。 あれから一週間半。ほとんどあきらめていたら、突然電話がかかってきた。
うわ〜。みつかったかも・・・?! ちょっとうれしい。 ううん、かなりうれしい。 ご対面は明日になりそうだけど、ほんと、私の失せ物だったらいいのになー。
私に帰巣本能が備わっていないのは、有名な話だ。
知らない土地ばかりか、知っている土地でも東西南北がよくわからなくなる。 地図を正しく見るまでに、時間がかかる。 時には、正しく見られないこともある。 たぶん、こっち。と思った方向は、たいがい逆。 3回以上曲がると、道が覚えられない。
そんな典型的な方向音痴で、よく道に迷うけれど、まったく道を見失ったのは久しぶりだった。
友人宅からの帰り道、日が落ちて暗かったことも手伝ってか、駅まで歩いて5分程度の道を、20分かかってしまった。 人通りの少ない暗い道を、不安に思いながら歩くのは、かなりどきどき。 こんなときに限って、道を聞けそうな人は誰もとおりかからない。 このまま暗闇にまぎれて完全に道を見失ったらどうしようか・・・とかなり真剣に考え始めた時、やっと駅が見えた。
友人宅への行き道は完璧に覚えていたんだけどなあ。 帰り道は、いつも友人が送ってくれたので、漫然と歩いていた。 だから、曲がり角や目印をよく覚えていなかったのだ。
「行き道と同じところで、曲がればいいやん」 と人はきっと言うだろう。 でもねー。行きと帰りじゃ目に入る景色が違うから、曲がり場所もわからなくなっちゃうんだよー。
漫然と今まで歩いていた自分が悪かった。 これからは、人まかせはやめて、きちんと自分で目印を覚えよう。 そう決心した私でしたが、来なれた道なのに一人で駅になかなかたどりつかなかった私のことを不安に思ったのか、友人は「少々遠回りだが、2度しか曲がらずに駅までいける道」を教えてくれた。
自分的にも不安だったので、とりあえずその道を覚えた。 さて。 これで退避路は確保できた。 敗因もはっきりしたし、心を入れ替えなくては。 いつも歩く道を、一人でも、いつでも、悠然と歩けるように、練習にはげむといたしますか。
あったかい車の中と。 宇多田ヒカルの曲と。 月光浴と。 つるつるひかったうどんと。 なにげない会話に。
癒された夜でした。
本格的な登山靴。 というものを、いつか買おうと思っている。 というわけで、今日はお店をのぞきに行ってみました。 登山靴というものは、はいてはいて履きまくって、自分にあうものを選ばなければならないらしい。
「では、これを履いてみてください」 「はい」
・・・・・・・・・・。
「はい、歩いてみてください。どこか、違和感ないですか?」
・・・・・・・・・・。 全部が違和感ありすぎて、わからない。 とにかく、「靴」と想像していたものと違って、固いのだ。 だから、歩くと、どうも自分の足で歩いていない感じがして、とにかく違和感の固まりになってしまう。
「どうですか?」
どうですか?といわれても・・・困る。 正直に感想をのべるとしたら、「ガンダムな気分です」と口走ってしまいそうだ・・・。
「では、左右違う靴をはいてみましょう。どうでしょう?履き心地の違いがわかりますか?」
えーと、えーっと、ワカリマセン。 だって、両方とも、ちょっとかんじは違うけど、固いなあ。という感想しかわいてこない。
「どちらの方が履き心地がいいですか?」
ええ?どっちも悪いのですけど・・・。
うまく答えられなくて、店員さんもうまく私から答えが引き出せなくて、お互い困って黙り込んでしまった。
「・・・・・・・・えーと、また、見に来ます」 「とにかく、登山靴はたくさん履いた方がいいですからね。自分にぴったりのものを、みつけてください」
そんなの、みつかる日が来るんだろうか・・・?
「はい、また、来ます」
うーん、今日の質問はむずかしかったなあ。 とっても答えにくい質問だった。
2004年02月05日(木) |
残念ながらパンの会欠席 |
母が高熱を出して、赤い顔して、熱ぴたシートをはって、ふうふう言いながら寝込んでいる。 その横で、心配そうに、犬が一匹、猫が二匹布団の上を取り囲んでいる。
「・・・・・・・・・あんたら、重いねんっ!!」
時々思い出したように、病人が3匹を追い払う。ところが、心配なのか、単に寝心地がいいのかわからないけれど、また5分もすれば母の布団の上に戻っている。
もしもし?あなたたち、とっても迷惑になってるわよ? そんなことしてたら、治るもんも治らないわよ?
「もううう〜、どっかいってえ〜! ただでさえ熱であついのに、あんたら3匹もいたら余計にあついい〜!!」
ほらほら。39度の人が叫んでいるんだから、どきなさい!
でも、また5分後には元のとおり。 ほんと、心配してるんだか、邪魔してるんだか・・・。
えぇ〜?!そうだったのぉ〜?!? えっ、ほんとに? えーっ?だって・・・だって! な、一日でした。
どうしてそんなにえらそうに言えちゃうのかなあ。 あなたが背負ってる看板は借り物であってあなた自身ではないんだよ。 看板を背負っていない、素の人間としてあなたと向き合ったとしたら、絶対お友達になれないな。なりたくないな。 いつか看板をおろすときがきたら、そんなにもえらそうな物言いは誰にもできなくなる。 なにか、勘違いしていないですか? それは、あなたじゃない。借り物の、あなたですよ。
「厄とは災いにあらず。人生の節目に反省を促す昔人の知恵」
なるほど。なるほど。 ちょっと、どきどきしていたのがおさまりました。
祖母が80歳の声をきくようになった頃、息切れが激しくなりました。 「もう、年やからなあ〜」 散歩に行くのも、階段を上るのも、なんだかとってもつらそうに、ゆっくりゆっくり。 行動範囲もせばまりました。 本人も、まわりの人間も「これが年ってもんなんだ」とずっと思っていました。
そんなある日、学校から帰ると母が、 「おばあちゃん、手術することになったよ」
実は息切れは、ちっとも「年のせい」なんかじゃなく、「心臓のせい」。 なんと、祖母の心臓は普通の人の半分以下、一分間に30回〜40回しか脈うってなかったのです。 風邪気味で病院にいってみてもらったら、聴診器をもった先生が 「?・・・?・・・?!」 そのまま、即検査、即入院、即手術となりました。
ペースメーカーというものを体の中に入れて、脈をうつのを助けることになりました。 「手のひらにすっぽり入る大きさですよ」 と説明されたその機械は、どういう仕組みかはよくわかりませんが、着実に祖母の心臓を助けてくれました。 手術をしてから亡くなるまでの約10年間、毎日毎日祖母の体の中で、心臓のそばで、きちんと働き続けていました。
今、私の手元にはそのペースメーカーがあります。 最近のペースメーカーはどうなっているかわかりませんが、その頃は、亡くなると、必ず骨にする前に取り外すようにと言われていました。 高温になりすぎて、爆発する危険があるからとのことでした。
祖母は、自宅でゆっくり息をひきとりました。その後病院で、ペースメーカーをとりはずしてもらいました。 それが、人間の体の中に入っていたとは思えないほど、つるりとしていて、ひかっていて、びっくりするほど硬質です。 そんな小さなものが心臓を助けていてくれたんだと思うと、なんだかとても不思議な気がしました。
きっと父も母も、ペースメーカーを取り外した後どうしたかは、葬儀の準備の忙しさにとりまぎれて覚えていないでしょう。 私は誰も興味をもたずに置かれていたペースメーカーを、「形見わけにもらおう」と勝手に決めて、誰にも言わずに机の引き出しにしまいました。
そのペースメーカーを引き出しにしまった日から13年目の今日。 十三回忌がいとなまれました。 祖母の子供や孫やひ孫があつまり、お仏壇の前で手をあわせました。
机のひきだしの中にしまいっぱなしの、ペースメーカーにも、そっと手をあわせました。 今も誰かの体の中にはこんな小さなものが入っていて、そしてその人の心臓を助けているのかと思うと、ちょっと不思議になります。 そして、その小さな機械の働きを、携帯電話の電波が邪魔をするのかと思うと、心が痛みます。
この小さな機械の働きを、どうかさまたげることのないように。 自分の携帯電話の使い方を、もう一度考えなおそうと思いました。
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