* たいよう暦*
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2004年01月31日(土) お誕生日おめでとう

「ぷ、ちょーだい」
「なに?プリンがほしいの?」
「ぷ、ちょーだい」

まだ、彼女が一歳半で、片言の日本語しかしゃべられなかった頃。
冷蔵庫の前まで走っていって、一生懸命のびあがって、母親である私の友人にうったえていた。

「はい、どうぞ」
「ぷ、ちょーだい」
「えー?あなた右手に持ってるやん」
「ぷ、ちょーだい」
「あげたやん」
「ぷ、ちょーだい」
「もう、しゃあないなあ」

しぶしぶ、私の友人は小さなプリンを、もう片方の手にももたせました。

「あいがと」

プリンをふたつももらえたのがよっぽど嬉しかったのか、にこにこしながらちょこちょこ歩いてきた彼女。
うふふ。かわいいなあ〜と、私が眺めていると。

「あい」

迷わず右手にもっていたプリンを、私にさしだしました。

えーーっ?!

「あい、どうぞ」

えーーーーっ?!?

あんなに一生懸命、しゃべられない日本語を伝えようとがんばり、冷蔵庫からプリンをだしてもらった彼女。
私にプリンをわけてくれるために、がんばっていたらしい。

「これ、ふたつとも、食べたらいいやん」
「ううん、あい、どうぞ」

にっこにっこにっこにっこ。
にこにこしながら、ぷりんを差し出してくれた。

「ああ、あげるためにふたつ欲しいって言ってたんかー」
「・・・そうみたいだねえ。」

どうも、ありがとう。

あの瞬間、彼女は私の友人の子供ではなく、小さな友人になりました。
間違いなく、友情が芽生えた瞬間。

きっと彼女はあの瞬間のことは覚えていないだろうけど、私はきっと忘れないだろうなーと、思う。
その時まで、私は、友情が芽生えた瞬間というのをはっきり自覚したことがなかった。
だから、あの時が、初めての体験。

そんな友情を結んだ彼女も、きのうで6才のお誕生日。
今年の春には、ランドセルを背負って小学校に通いはじめます。

背もずいぶんのびた。
髪ものびた。
顔もしっかりしてきた。
そして、心もそれと同時に、まっすぐまっすぐ大きく育っていっている。

お誕生日、おめでとう、小さな友人。
これからも、元気でまっすぐすこやかに育ってください。





2004年01月30日(金) よかった

小さな小さな友人と、その父母である友人に送った手紙が手元に届いたそうです。

まっすぐに届いた言葉。
届いてよかった。


2004年01月29日(木) 忙しい

先月末も、嵐のような忙しさだったけれど、
今月末も、嵐のような忙しさ。


2004年01月28日(水) 正しい知識その2

鶏肉を食べても、卵を食べても、鳥インフルエンザにはかかりません。

生きている鶏で、インフルエンザにかかったものからなら人にうつる可能性は残っているけれどもね。


2004年01月27日(火) 夢と冒険の国からのはがき

家に帰ると、届くはずのないはがきが届いていた。

えーっ!?なんでなんで!?

ずうっと一緒に一日過ごしたはずなのに、私の気づかない間に、いつの間にか特別なスタンプ入りのはがきを送ってくれた友人。
ほんとびっくりした。
うれしかった。
そして不思議!
いったいいつ書いたんだろう!?

今年最初のサプライズ!
ビックリしたなあ〜。
どうもありがとう。


2004年01月26日(月) 〜ねばならないこと

はっ!と気づけば「〜ねばならない」ことが、たくさんたまっていました。

・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・。

今日は、なにも見なかったことにして、もう、寝ちゃう。
まだ、夢と冒険の国の余韻を楽しみたいから・・・?
ただいま休憩継続中!


2004年01月25日(日) お気に入り

夢と冒険の国でたらふく遊んだ後は、
友人の家に泊めてもらいました。

まだ、片手で数えるほどしか泊まったことのないそのおうち。
でも、いついっても居心地がよく、のびのびできちゃうそのおうち。

今回は、3年ぶりぐらいにおじゃましました。
「あっ、私の好きなトイレがかわってない!」
壁にかざられた絵の絶妙の配分も、
トイレカバーとスリッパの配色も、
トイレのタンクの横のかえる氏も。
なんだか、とっても落ち着く配色と装飾で、そのおうちで特に気に入っていたトイレ。
「そろそろ変えようかと思ってるの」
「いいよ、いいよ、このままで!
 あ、もし変えても、今度私が来たらまた
 この装飾に戻しておいてね!」
なんて思わずいっちゃったお気に入りのトイレ。かわってないことがなんだかうれしかった。

そして、今回遊びに行くと、もうひとつお気に入りものが増えました。
とってもすわり心地のいい黄色いソファー!

ソファー生活にあこがれた友人が、悩んで買ったその品。
いろいろ悩んだ末に選んだというそれは、大正解。
固さといい、大きさといい、もたれ心地といい、いままで座ったどんなソファーよりも、居心地がよかった!

今回は、ゆっくりできなかったけど、またあのソファーに腰掛けにいきたいな。
そう後ろ髪ひかれながら、お昼前にはそのおうちを後にし、ゆっくりごはんを食べて大阪へ帰りました。
楽しかった休日も、これでおしまい!
あ〜楽しかった。
あ〜また遊びにいこう!


2004年01月24日(土) 夢と冒険の国♪

「夢と魔法の国」に行くか、
「夢と冒険の国」に行くか・・・。

迷って相談して決めた結果は・・・
「行ったことのない国に行ってみよう」!

というわけで。
急遽決まった「ディズニーシー」への旅!
心配していた空も晴れ上がり、朝の光の中で夢と冒険の国は、ぴかぴかに光ってみえました。

ちょうど閑散期であるせいと、ランドでのイベントが重なってそちらに人が流れたせいか、シーは想像していたよりもずっと人が少ない!
あらかじめ友人に聞いていたとおりに、おすすめアトラクションを、順番にクリア!
朝9時の開園から夜8時の閉園まで、休むことなく精力的に活動した結果、ほぼすべてのアトラクションを制覇!

「センター・オブ・ジ・アース」
という、ジェットコースター系と
「マーメイド・ラグーン・シアター」
という人魚のショーと
「アクアトピア」という水の上をくるくる回る乗り物が特に楽しかったなぁ。

ランドは”おとぎの国”という感じだけれど、シーはもう少し大人なムード。
のめりこみ度でいえば、ランドの方が上かもしれませんが、それでもやっぱり楽しくて、久しぶりに丸一日、現実を忘れて楽しみました。
「ポルト・パラディーゾ!!」
陽気なイタリアを思い出させるような夢と冒険の国。
やっぱり、一度は行くべきです。


2004年01月23日(金) その先にあるもの

わくわくした気分をかかえたまま、30分だけ早く会社を後にしました。

電車を降りて、自分の駅につくと。
もう暗くなってくる時間だと思っていたのに、昼と夜がちょうどせめぎあっている不思議な空の色をながめながら帰ることになりました。

風の強さに、どんどん雲が流れていきます。
その雲には、日の光が反射して、夜の始まりが反射して。
とても不思議な空の色。
わくわく気分がさらに浮き立つような、昼と夜の境い目。

なんだか、余計にわくわくしながら家に帰り、お風呂に入り、おいしいハンバーグを食べ、荷造りをして、さあ、出発。

さあ。さらなるわくわくが始まるぞっ。


2004年01月22日(木) わくわく

わくわくしてきました。

わくわくしてくると、体調もどんどん上向きになってきました。

おや、いいこといいこと。
体は正直ですねえ。


2004年01月21日(水) おにく

食べ物を粗末にしてはいけません。

小さな頃から、同居していた祖母に、口すっぱく言われつづけました。
お茶碗にごはんつぶの一つでも残っていようものなら、すかさず「ちゃんと一粒残さず食べなさい」と飛んできた声。
その声をよく覚えているせいか、冷蔵庫の中で食べ物がくさっていると、ひどく悲しい気持ちになる。ぞんざいに扱われ、捨てられている食べ物をみると、ひどく憤りを感じる。

いま、全国の港には、くさってもいないし、ぞんざいに扱われているわけではないけれど、捨てられるのを待っているおにくがたくさん並んでいる。
間もなく、焼かれるおにく。
誰も食べる人のいない、焼肉がはじまる。

人間の都合でだとはわかっているけれど、なんだかとってもやりきれない。
ただ、やかれる為だけに存在したおにく。

このおにくのことを、私は忘れないだろうな。


2004年01月20日(火) かにかにパーティー♪

よわよわの合間をぬって、毎年恒例の豪勢なかにパーティーに参加。

思い起こせば2年前、私はこのおたくに初めておじゃまして、おじゃまして10分後には、豪勢なかにをたらふくごちそうになっていたのでした。

それから3回目の蟹パーティー。
今年も、いつものように豪勢で、いつものようにおいしくて、いつものように幸せで楽しい夜が更けていきました。

来年は、一回休憩になっちゃうこの蟹パーティー。そう思うと、すごくさびしい。

今まで、たくさんの思い出ができた。
蟹だけじゃない、たくさんの思い出。

写真を一枚一枚のぞいてお気に入りをみつけたことや。
すごーくよっぱらった夏の昼間のことや。
雨の中みた安芸の宮島や。
部屋中焼肉くさくなったことや。
女だけもいいよねーと盛り上がった日のこと。

いつも、おいしい酒とごはんと笑顔とおしゃべりがセットでした。

来年は休憩だけど、再来年は、また会が再開してるといいな。

すこーしさびしい気分を心の底で感じながら、それでも楽しい夜を過ごしました。


2004年01月19日(月) いったいいつになったら・・・?

よわよわです。
あまりにも。
いまだ、治らず。
やや上昇気味ですが、それでも、完治にはほど遠い。
一体、いつになったら、治るのだろう・・・。
少し、不安になってきました。

心をいれかえて、山行きの為にスクワットに励んだ2002−2003年。
実は、一年半、まったく風邪をひきませんでした。
こりゃ、私も心を入れ替えたから、体も丈夫になったのかしら。
ちょっとおごっていたのがいけなかったのか。
山行きが無事にすんで、体がだらけてしまったのか。
ひさしぶりに風邪を12月にひいてから、1月に入って種類の違うものをふたつ。つまり、このシーズンもうすでに3つも風邪をひいたのです。

風邪菌の攻撃に、なんだかわけがわかんなくなって、どんな状態が元気な状態だったのか忘れてしまいました。

早く思い出さなくちゃあ!


2004年01月18日(日) きのうにひきつづき・・・

自宅にて静養中。
ただひたすら、眠るのみ・・・。

風邪がなおらなーい!


2004年01月17日(土) 地震

あの大きな地震の時。
我が家は神戸から離れていたこともあり、幸いたいした被害も受けませんでした。
その当時飼っていた猫のうちの一匹が地震に驚いて飛び出て行って、しばらく帰ってこなかったのが、被害といえば被害だったかもしれません。

名は「チチ」。
ミルク色にくろぶちの、牛柄猫でした。

地震の直後、オーストラリア人と電話で話す機会がありました。
もちろん、私のつたない英語で。
そして、時には両親とも教師で、中学生の時に数ヶ月日本にいた彼のつたない日本語で。

「大きな地震だったけど、ダイジョウブ?」
「はい、○○さんところは、マンションが傾いたけど、会社の避難所にいるから無事です」
「それはよかった。あなたのところは?」
「はい、うちはKOBEから離れているので、ダイジョウブ。」
「ほんとに?よかったね」
「でも、飼い猫のチチが地震にびっくりして家を飛び出して心配している」
「おお!それは大変!ほんとに?戻ってこないの?」
「そう。心配」
「きっと無事だよ。ダイジョウブ。」
「ありがとう」

その時は、気づかなかったのですが。
なまじっか、彼が片言の日本語を理解できるのが、その先の騒動の元になりました。

彼の口を通して、私の「チチ」ではなく「父」が家を飛び出し行方不明になったことになっていたのです。
現地では大騒ぎになりました。

たいそう驚き、心配してくれたみなさん。
翌日の昼前になって、やっと電話が私につながり、「’ちち’違い」だとわかり、ようやく一件落着。
あの時、遠い異国から、心配してくれたみんな。
「’ちち’違いで本当によかった」と
安堵の息とともに言ってくださったあたたかい心が忘れられません。

「’チチ’は’父’じゃなかったのね!ごめんね!僕が間違えたんだ!」
そうか。おかしいとは思ったんだよ。
猫が飛び出ただけで、あんなに驚くとは思ってもいなかったから。
「地震に驚いて父が飛び出て行方不明」
うん、確かにびっくりするなあ。

避難する人がいたり、けがした人がいた暗い地震の話題の中で、唯一の笑い話として、しばらく語られたこの話。
「やっぱり、彼が日本語の’父’という単語を知っていたのも誤解の原因だけど、私の英語力のなさも誤解の原因だよなあ」
と反省し、英語力アップを目標とした私。

あれから、何年もたちました。
でも、やっぱり英語力はついておらず、英語の書類とメールを前にうんうんうなっている私がいます。

ふむ。あの時の決心は、どこに行ってしまったのでしょう・・・?
せっかく思い出したのですから、ちゃんと実行すると・・・しますか・・・?!


2004年01月16日(金) 反省

今日は、意味もなく八つ当たりしてしまいました。

当てられてしまったあなた。

ごめんなさ〜い!


2004年01月15日(木) 成人式

祖母が私が生まれたときにあつらえてくれた振袖があります。
20年間、私が着るのをずっと箪笥の中で待っていてくれた振袖。
成長した私にあつらえたものではありませんが、成人式に着せてもらうと、私の体にぴったりでした。

それって実はすごいことだったんだな、と気づいたのは、私より縦にも横にも成長した妹が成人式を迎えた時。
妹は身丈が足らずに、その振袖を着ることができなかったのです。
初めての女孫に振袖を着せたい。と願った祖母の思いが、天に通じて私はこの身長に成長したのかもしれません。
祖母の願い通りに、着物を着ることができてよかった。
成人式から何年もたって、祖母もいなくなってから、初めてそう思いました。

その当時はそんなことにも気づかず、ごく当たり前に用意された振袖を着せてもらいました。
振袖を着こなせるはずもなく、借り物のようでしたが、それでもいそいそと式典に出かけました。

いざ会場について、まわりを見渡すと、途端にうらやましくなりました。
友人の着物は、色もかわいらしく、赤やピンクや山吹色。金銀のぬいとりや、派手な柄が入っていてとても華やかにみえたからです。
それにひきかえ、私の着物は、まず色が違う。柄も入っていますが、もちろんその色使いも人とは違う。金も銀も入っていない派手さもない。
着付けの人には「なんていいお着物なんでしょ」と誉められたけれど、誰も友人はほめてくれない。かわいらしさというものがない。

その着物が「粋」で「華やか」で「すばらしくいいもの」だとわかったのは、20歳を随分すぎてから。
そして、そのよさがわかった上で、その着物を着こなせるようになったのは、さらにそこから何年もたちました。

戸籍上は、大人と呼ばれる年齢を迎えても、ものの良さや大事なことが少しも見えていなかったんだな。
今でも胸をはって「立派な大人」とはいえませんが、それでも、少しはものの良さや子供の頃は見えなかったものが見えてきたような気がします。
まだまだ「立派な大人」ではないけれど、それでも20歳からは少しは成長しているな。もっともっと、子供の頃に見えなかったものが見える「立派な大人」になりたい。
「立派な大人」でないことを少し恥じながら、そう、思った今日はごく普通の平日だったけれど、昔でいう成人の日。

いまだに「1月第2週目の月曜日」が成人の日だなんてぴんとこないなあ。


2004年01月14日(水) あれえ・・・?

くっしょん!

・・・・・・・・ん?

ずるずる。

・・・・・・・・んん?

こほんこほん!

・・・・・・・・んんん?!

どうしたんだ、私のからだ?
お〜い、がんばれえ〜!!


2004年01月13日(火) ちょっと

振り返って。
自分がちょっと嫌いになったかもしれない。

キライになってきた理由ははっきりしているのだけれど、
どこをどうすればいい方向に転がっていくのかも、ちょっとよくわからない。

・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・。

でも、できればキライになりたくないので、
好きになれるように、とりあえず、ちょっとづつ変えてみよう。と、考えた。

ひとーつづつ。
ひとーつづつ。

・・・・・・・・うん、ひとつづつね。


2004年01月12日(月) こんな休日

ゆっくりゆっくり寝て。
お粥をたいて食べて。
本を開いて。
昼寝して。
片付けものをして。
パソコンひらいて。
整理して。
夕ご飯を食べて。
テレビみて。
お風呂に入って。
早く寝る準備をする。

すべては、明日からの仕事のために。
ここで倒れてなんていられない。
がんばらなくっちゃ。
休んだ分も。
さて、体調は戻ってきたかな・・・?


2004年01月11日(日) 手紙

今日は、小さな小さな友達へ、みんなで手紙を書きました。
頑張りつづけている彼女へ。早く届けたい。


2004年01月10日(土) お星様

今朝突然、飼い猫が亡くなりました。

突然命の消えていく瞬間を、家族3人で見守りました。
ただ、見守ることしかできませんでした。
でも、見守ってあげれてよかったです。


2004年01月09日(金) いつものお医者さん

夜中までずっとトイレと仲良しの一夜をすごした後、げっそりしたまま「かどっこのお医者さん」まで行きました。
小学生の頃から、ずっと通っている内科です。

「どうしましたかぁ〜」
低音の、響く声のその調子は、小学生の頃から少しも変わりません。
「ふむ。典型的な今年のはやりの風邪だね。」
そうそう、この先生は標準語で話すんだよなあ。
白髪が前にきた時より増えはったよなあ。
ちょっと痩せて小さくならはった。
「じゃあ、お薬だしときますから。あっという間に治りますよ。今はすごく苦しくても」
ほんとうかなあ。
お水も飲めないのに。
こんなに苦しいのに。
「ありがとうございました」
部屋を出てから薬をもらって家に帰る。

一年に一度行くか行かないかのこの場所。
でも行く時には必ず、子供の頃の思い出と重なるもの、重ならないものを無意識に探している。

今回は、スリッパ入れ。
自動殺菌のものにかわっていた。
でも、靴箱や床や受付箱は一緒のまま。
かわらないものが、うれしい。
かわっているものも、うれしい。
なんだかすっかり子供に戻ったみたいに、すごくたよりない気分のまま扉をあけて家に向かいました。

この不思議なかんじ。
体の不調の不安感と、たくさんの思い出の不安感がないまぜになって、あっという間に子供の頃に戻っちゃうのだろうな。
一番、不思議な空間を味わえる場所かもしれない。


2004年01月08日(木) う〜残念!

本当は。

東京に住んでいる友人と、久しぶりに食事をする予定だった。
もうすぐ中国にいってしまう友人と、3人で。

すごく楽しみにしていたのに、お昼をまわってから、急に具合が悪くなった。
気持ち悪くて、しんどくて、椅子に座っていられない。
あまりのしんどさに、医務室のベットで寝させてもらったのだけれど、一時間たっても具合がよくなるどころか、どんどんどんどん悪くなる。

帰れるように状況が落ち着くまでに、4時間もかかりました。
なんとか、自分の足で家に帰り着いたものの、その後は、布団にまるまってうんうんうなるのみ。

木曜日の午後は休診。
お医者にもいけず、ただひたすらうなるのみ。


2004年01月07日(水)

山を越えた。
先が見えた。

ふぅ〜。


2004年01月06日(火) くっきりはっきり

「もう、月末処理できあがったぁ〜?」
「まだ!できてません!」

質問はひとつ。
返答は四声。

はい、全員が忙しい。


2004年01月05日(月) 仕事始め

とても、とても、とても忙しい。

はい、とっても。


2004年01月04日(日) 心のこもった場所で

今日は、小さな誕生会がありました。

「おめでとうございます♪」
言う方も、言われる方も、とってもうれしそうで・・・。
あったかい心のこもった小さなお誕生会が始まりました。

誕生日は、自分が生まれた日と思っていたのが、いつの頃からか母が私を産んでくれた日だと思うようになった。

と、以前その方から聞きました。
私はその時、まだ自分の誕生日は自分のものというイメージがあったので、これが子をもつ親の感情なのだろうかと、自分はいつそんな風に親に感謝できるようになるだろうかと思いました。

今日は、ちょうど郷里のことが思い出される道具がそろったようです。
きっと、ご両親のことも思い出されたことでしょう。

お誕生日、おめでとうございます。


2004年01月03日(土) おみくじ

「大凶」

高校一年生のお正月に、私がひいたおみくじにはそうかかれていました。
わが目を疑いました。
「大凶」
言葉では知っていたけれど、ほんとうに、おみくじにそんな存在があるだなんて・・・。
そして、そんなものがまさか、お正月早々のおみくじに入っているだなんて・・・。
そして、そんなものを、まさか自分がひいてしまうだなんて・・・。

「・・・・・・・・・・・・・」
さすがに、かしいましい高校生5人も、黙り込んでしまったあの瞬間。
「・・・・・・・・・・・・・」
見た瞬間、思ってた以上に打ちのめされた私。

「大凶ってさあ、今が一番最悪ってことやって。ダイジョウブ!」
「そうそう。よかったやん、ここで厄払いできてさ!」
一瞬の間のあと、発言されたかず数の言葉が、むなしく空に響きました。

神社の神木にそのおみくじを結びながら
「もう、おみくじはひかない」
と心に決めたあのお正月。
そして、それ以来、一度もひいたことがありません。

その後、その神社には50本のおみくじがあって40本が大吉、1本だけが大凶だったこととか。
大凶ってのは本当は「逆縁」といってとてもめでたいことだとか。
いろいろ聞かされましたが、やっぱりあの瞬間の「すっごくいやな気分」を味わいたくなくて、どうしてもひけない「おみくじ」

お正月や、初めていった神社で、楽しみながらひいている友人をみると、ちょっぴりうらやましくなります。
一体いつになったら「大凶」の呪縛からのがれられるかな。


2004年01月02日(金) この世のものと思えぬ不思議な光景

私の家から、南へ車で20分ほどいった所に
「この世のものと思えぬ不思議な光景」が見える場所があります。

子供の頃から、すごくすごく好きな場所です。

2004年の始まりの日に、その光景をみることができました。
いろいろあったけれど、その光景が全部を超越してしまった。
うん、いい一年になりそうだ。


2004年01月01日(木) あけましておめでとう

新しい年がやってきました。

元旦の朝には、特別な一年が始まる気がしてわくわくします。

「大晦日にいい一年だったなあと言える年にしよう」
毎年、元旦の朝に考える目標です。
目標といえるかどうかわからない、抽象的な目標ですが・・・。
そして、今のところ、順調にその目標は達成できている気がします。

今年も目標を達成できますように。


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