こんな一日でした。
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2005年07月25日(月) 甘えん坊

やっと風邪が治ってきた、と思ったら、今度は軽い怪我。車の後部ハッチにしっかりと右手親指をはさんだ。我が家の車は、後ろをぶつけた跡があり、思い切りバンッとやらないと閉まってくれない。いつものように、力任せに閉めたら、そこに親指がありました、という次第。

慌てて、ハッチを開けるまでの数秒の長いことといったら。ハッチを開けて、指を確認すると殻付きピーナツのように挟んだところが凹んでいる。見事に凹んでいる。

あと少し、指を奥まで入れていたら、もしくは浅く置いていたら、私の指先はつぶれたり、骨に支障が出たりしていたかもしれない。私の手はひどく頑丈だし、爪も元気なのでどうにかひどい内出血程度で納まってくれた。

湿布をもらいに実家の母の所へ行く。親指の先に、湿布を巻いていたら「そんなことでは駄目だ」と、手のひらの方にまで湿布を貼ってもらう。湿布を押さえるために包帯もしっかり巻いた。まるで大けがという風情となる。

夫は「大丈夫、大したこと無いよ」となぐさめるタイプなのだが、私は怪我をしたり、熱が出たりした時には大げさに、治療される方がだんぜん好きである。これは大いに子供の頃からの染みついた感覚で、熱が出たら父も母も体温計をみんなに見せて「大変だ!寝てなくちゃ」と、大事にされたり心配されたりしたがる。私もそうするものだと思っていた。
だから「平気、大丈夫」などといわれると、何か、もったいないような気持ちになるのだ。せっかく、痛い思いをした場合は、可哀想がられないともったいない、というバランス感覚が働くのである。

というわけで、痛くて涙のにじむ思いであったが、30も半ばにさしかかっても、母に湿布を貼ってもらったら、かなりご満足でした、という甘えん坊な話。


2005年07月20日(水) 子供



この日記は、画像を付けられる訳だけど、そうやるのか分からなくて今まで付けていなかった。今日は、付けてみましょう。

画像は自分の子供の時の写真。今の私は写真に撮られるのが苦手である。最近、カメラマンさんにポートレートを撮ってもらうことがあったけど、いずれもひどく固まっている。身近な人に「別人みたい」と言われてしまう。

子供の頃の写真は、大抵親が撮っていて、無論、目に入れても痛くない年頃の愛娘、撮られた私が見ても可愛いモンだ、と思ったりしてしまう。子供は可愛くできている。ムチムチして、髪もシルクのように細く、白目は青く、瞳はオニキスのように濃く光る。どの子もみんな、可愛いと思う。

自分は子供を産むことがあるのかな?最近、考える。どうかな?どうなのかな?


2005年07月16日(土) 再出発

15日に個展が終了いたしました。ご来場いただいたみなさま、本当にありがとうございました。

風邪を引いたので、今日は村上龍の「コインロッカー・ベイビーズ」を再読しながら、寝床で半日過ごした。緊張の続く物語。下がった熱がふたたび上がるようで、これは身体に悪いかも、と思った瞬間、玄関のチャイムが鳴った。注文していた画材が届いたのだ。さあ、始まりだね、と真っ白な筆先が言っている。

村上龍もそうだし、武の映画やクローネンバーグ、塚本晋也など、私はけっこう暴力の物語を好む。怒りは、感情の中で、痛みは感覚の中で、最も純度が高いと私は信じているところがある。優しさや、心地よさよりも、混じりっけ無く思うのである。

「あなたは、自分の欲求や感情に罪悪感を感じて抑圧するけど、なぜか怒りに対しては抑圧しないね」と、臨床心理士の方に言われたことがある。そこを突破口にして、自分を自由にしてみるといい、そんな話だったと思う。
夢じゃないよね?と頬をつねる、というコテコテの定番も、全てが曖昧なものに思えた時、痛みが現実を引き戻すことを根底に成り立っていると思う。
立ち会い前の高見盛がほっぺをバシバシとやる、あれも同じだろう。

今回の発表を終えて、私は私自身に、怒りを覚えた。しなければならないと知っていて、しないでしまっている多くのことに、反省ではなく、怒りを感じた。制作を阻害する周囲のさまざまな状況にも怒りが沸いた。仕方ない、などと言っていられる余裕もないと思えた。そのことは、きっと、良いことだと思う。いたらなさを反省して、しょげてしまうことを繰り返したけど、今回は違う。しょげる気持ちを押しのけて、怒りが沸々とこみ上げる。
…といったって、この私である。切実に力一杯頬を叩いても、高見盛よろしく、みんなの笑いを呼ぶに違いない。それで良い。絵の中に、混じりっけ無いものが立ち現れるなら。


2005年07月14日(木) 発熱

風邪をひいた。会期を後一日残すところで、疲労の方が追いついてしまった。
昨日は、疲れのためにアレルギー性の喘息が出たのかな、と思っていたのだが、今日になって鼻も詰まり、順調に熱も上がっている。

私は発熱が結構好きだ。忙しくなければの話だけど。手足が熱くて、意識がぐるぐるしたり、全身がだるくて熱に膨張したような感覚に包まれるのも面白い。いつもより、アイスクリームも美味しいし。

とはいえ、明日は搬出。這ってでも会場に行かねば。ギャラリーの方に風邪を置きみやげになどしないように、ちゃんとマスクをしていこう。熱が楽しいなんて物好きはそうそういないんだから。


2005年07月13日(水) 折り返し

ワッツ・アート・ギャラリー(仙台)での個展も、残すところあと3日となった。毎日、会場で自分の絵を対峙していると、様々なことを考える。否定的な考えや、楽天的な展望まで。
会期の折り返し地点を過ぎて、今、自分の心に浮かぶのは、次に描く絵の構想である。今回の作品への反省や問題点でもなく、評価に対する不安でもなく、将来に対する期待や心配でもない。具体的に、寸法を考えたり、構図を考えたり、手順をイメージしたりしている。

それは、きっと、とても良いことだ、と思う。自分はどんどん、変わり続けて、これから、もっともっと描くんだ。あんな風に、こんな風に、と考えが浮かんでくる。

疲れ果てて、空っぽになる展覧会というものを繰り返してきたけど、前回くらいから、何となく、会期の終わり頃に「次の絵」が浮かぶようになってきた気がする。
今回の作品の中で、次にこれを発展させたい、と思っている一枚があって、「これいいですね」と、言ってくれた人は全員その絵を選んでくれた。美術館の学芸員さんも、作家の人も、近所の人も、幼なじみも、通りすがりの人も。そのことが、なにより嬉しい。

自信を持って、次に進めます。みなさん、ありがとう。


2005年07月02日(土) 我が家のホラー

今年、我が家のトイレに大量の蜘蛛の子が発生した。その数たるや、恐ろしい。アンパンの芥子の実のような大きさで、昼間は散っていて、夜になると一カ所に集まっていた。

その蜘蛛の子達が、この夏、大活躍中である。家のあちこちに、大きくなった蜘蛛が巣を作り、どんどん蠅を捕獲している。蜘蛛はメタリックでまん丸な腹を持ち、針のような足をしている。SF映画の宇宙船のような姿だ。
その蜘蛛が、あっっっという間に蠅を捕まえて、鮮やかにぐるぐる糸を巻き、悠然と蠅の体液を吸っている。怖い。本当に、怖い。

我が家はあちこち傾いているので、全ての戸が閉まりきらず、隙間が開いている。その上、我が家には、なんと網戸がない。虫はいくらでも入ってくる。
夜になると、電気や白い色の部分に小さな虫が集まる。そして、一晩で息絶えてしまう。朝になると、蛍光灯の下などにちいさな虫の死骸がたくさん積もっている。困るのは、絵の上にも積もることだ。胡粉の辺りがとくにひどい。

蜘蛛は益虫だ、と昔から聞くが、ちっとも好ましい虫ではなく、子供の頃は毛虫と同じ害虫のような気がして仕方がなかった。しかし、今年になって、蠅を狩っていくその冷酷なハンターぶりが、実に頼もしく、心から「蜘蛛は益虫だ」と認識するにいたった。今時、知識としてではなく、実体験から、心の底から、虫の益について理解するなんてそうそうできない事じゃないかな、と思う。

頼りになる蜘蛛たち。惚れ惚れとするその活躍を見て、しかし、私は蜘蛛を嫌いになりそうである。怖い。本当に、本当に、怖すぎる。


Oikawa Satoco |MAIL

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